元TS聖女の受難 作:脱糞十字騎士
俺たちの冒険は、凄惨ながらに楽しい旅でもあった。まぁ、俺以外人外のとびっきりの英雄だったので、どう考えても足を引っ張っていたのが申し訳ないところだが。
だから、最後の最後に役に立てた時は。――こいつらに並びたてるという事実が。それだけが、ただ嬉しかった。
死ぬのが怖い。性別は違えど。文明は劣れども。魔法があり、奇跡がある世界に、曲りなりも授かった命を、再び拒絶するという選択肢は私にはありえなかった。だから、聖女として勇者討伐を命じられた時。死ぬほど怖かった。
その思いは、変わらない。うん、変わらない。
死ぬのは、文字通り。死ぬほど怖い。でも。
「お前らを失う方が、どうやら怖いらしい」
それは、死に直面したから気づけたのだった。腹に大穴が開いて。出血多量での死が確定してようやく、俺は聖女として「本気で」戦った。
結果として、魔王には隙が生まれ、勇者は、魔王を滅ぼしたのだ。なんという栄光。なんと望ましい結末だろう。ああ、生まれてきてよかったな。そう思える人生で。ここから先が俺にはないという事実が、あまりにも嘆かわしい。
「勇者様、戦士殿。それと、――シシィ。えっと、どこにいます?」
目を瞑っているつもりはないのだが。手で、無理やり瞼を広げる。あれ。暗いままだ。
「聞こえてますか? なんだか、すごく静かで。あれ、喋れてるんですかね、私」
俺は、対外的には私という癖が抜けない。これは、社会人だった時からそうだったから。別にいいんだけどね。
「みんなのおかげで、すごくいい気分です。魔王は勇者様が討ってくださいましたし、世界を救うことができて。それで、それで。みんなを守ることもできました」
全員無事で王都に帰還する。その約束を、果たすことに貢献できた。みんな、何一つ失っていないのだから!
「私は――私自身を、初めて誇れるようになった。みんなのお役に立てた。足手まといじゃなくなったんです、どうです、シシィ。すごいでしょ!」
シシィは、魔法使いで、俺の親友だ。ずっと死ぬのが嫌だと泣いていた俺を励まして、慰めて、そして守って見せると言っていた。事実として、俺の心はシシィに守られてここまでこれたのだ。
まだ、言いたいことはたくさんあるのに。なんだか、すごく、そういうのを後回しにしたくなってきた。あぁ、すっごくいい気分だ。無性に眠い。
その眠りが、多分私の終わりなんだって、わかっている。
「でも、まだ。死にたくないなぁ――」
まだ、みんなにもらったものを返せていないから。俺は。恩返しもできないまま死ぬのか。それだけが、心残りだ。
目が覚めると、真っ白い神殿の中にいた。そこでは、頬を膨らませた女神様――俺が仕えていた、主神そのものが座っていた。
慌てて跪き、礼拝する。
機嫌の悪そうな声で、女神様はつぶやいた。
「気に入りません。実に、実に気に入りません。――何ですか、アレ」
「……? えっと、私は……」
「ふーんだ。別に、俺でもいいんですよ? お見通しですからね」
女神さまは、俺の方につかつかと歩み寄り、無理やり身体を起こす。
「――ねぎらうのを忘れていましたね。よくぞ、魔王を滅ぼしました。あの大いなる悪を討ち果たし、この世を救った礼を、私はしなければなりません」
「あれは、いったい何だったのでしょうか」
「……今となっては過去のことですが、あれは。旧時代の神々が残した、最後の遺物。下界を遊技場とし、人類で遊ぶために放たれた憎悪と破壊を振りまくために作られた、怪物です」
ああ、旧時代の神々ってそういう感じの存在だったのね。旧遺跡を研究してる人たちって、そういうの理解してたのかな……。
「ですから、あなたには無理をさせました。でも、心の清いあなたなら。きっと何とかしてくれると思っていました。だから、ありがとうとごめんなさい」
「そ、そ、そ、そんな! 恐れ多い。女神様のおかげで、二度目の生を受け、あまつさえ謝罪など。受け取れませんよ、私には!」
女神さまは、俺の隣にちょこんと座った。容貌を評価する(不敬すぎる。死刑)と、女神さまはまさに美そのもの、って感じだ。つややかな髪の毛に、長い睫毛。なんか、ずっと見てると本当に溶けてしまいそうなくらい美しい。教団の石像は、この美のかけらも写し取れてはいないのだとよく理解した。
「なーに余裕こいて私の風貌を評価をしてるんですか? 今からあなた、お説教ですからね」
「……へ?」
女神さまは、俺のほっぺたを思い切り引っ張った。てか、思考が読めるのか? まずい……。
「何がまずい? 言ってみろ」
「いひゃいれす、めがみしゃま」
「いいえ。痛いのはこっちですよ。私は、あんな風に。道具みたいに、あなたを使ったわけではありません。私が授けた権能を、あんな乱雑に――! 人の子がどう使うかは自由ですが、聖女にあんな使い方をされたのは初めてで、すごく胸が苦しかったですよ! 二度とやめてくださいね」
「ごめんらさい」
「あと、最期のあれは何ですか? 人の言葉も聞かずに、自分の言いたいことを言って、満足して死ぬのかと思えば、最後の言葉は『死にたくない』ですって!? ――いや、人の子が生を求めるのは女神としては喜ばしいんですけどね? うん」
ほっぺたから手を放すと、女神さまはぴしりと俺に指を突きつけた。
「『大聖女』アリア・ルーシー・マグナポラリス。貴女は、大きな罪を犯しました。他人の心を理解できず、理解しようとも思わず、大きく人を傷つけた。そのことを、私は公平の女神として許すわけにはいきません。――ですから、これはもう、とんでもない罰を下さないといけません」
「――え」
「死にたくない? 大いに結構! 天使として私の側に置くつもりでしたが、あなたには下界に生まれなおしてもらいます」
女神さまは、コホンと咳払いして。宣言する。
「ええと、それでは。――愚かなる迷い子よ。神の導きに従い、それはもう、とびっきり、大いに――悔い改めよ!!!」
かくして、「私」は生まれなおすことになった。
魔王の攻撃。――闇の矢が、俺の頬を掠めた。当たっていれば死んでいた。一瞬だけ安堵してからエリザベート*1の叫び声に、振り返る。アリアの腹に、大きな穴が開いていたのだ。腹部から、血があふれ出す。口からも、大量の血を吐き出した。
アリアが、死ぬかもしれない。そう思った瞬間、俺は。魔王に突っ込んでいた。剣閃が、さっきよりも早くなる。
こいつを殺さないといけない。幼子の姿で。俺たちを惑わせていたが。今、目の前にいるこいつは。
やはり、とびっきりの、外道で、邪悪な存在だ。エリザベートが、アリアに鋭く声をかける。
「アリア、さっさと傷を治して!」
どくどくと流れる血液を眺めながら、穏やかにアリアは答える。
「えっと、シシィ。もう助かりませんよ」
エリザベートは、一瞬間をおいてから、震える声で返す。
「は、んなわけないでしょ。あんた、もっとすごい傷でも治してたじゃん――」
「魔王の傷は、破壊の権能そのもの。射抜かれたものは、遅かれ早かれ存在それ自体を破壊されるのです。見た目を治すことに意味はありません」
攻撃は、必殺。ゆえに、絶対に避けねばならないものだった。アリアは、いつもピーピー泣いていた様子とは打って変わって。まるで聖女のように穏やかだった。
「そ、そんな……」
「ま、私の死が確定してしまったわけですし、そうですね――」
アリアは、臆病で。他人の傷は癒すが、死ぬような危険は半泣きで拒否するような少女だった。神に選ばれた聖女だというのに、わが身可愛さで帰ろうとするなんて、許されることではない。俺は、何度もアリアとけんかをした。だが、アリアは町でも、村でも。人と関わるときは、立派な聖女のフリが得意だった。
「ど、毒の沼……あはは、私は遠慮しますね。え、ダメ? うぅ、どう考えても私は要りませんよぅ*2」
「ど、ドラゴン!? おっと、そういえば
「うぅ……大怪我するのやめてもらえますか? これくらい大したことない? あのねぇ、治す側として気分悪いので。無傷で勝ってくださいよ」
必ず救う。必ず助ける。そういって、村や町の病やけがをすべて治してしまったこともあった。旅の果て、魔王を必ず打ち滅ぼす。アリアは、聖女として卓越した技能を誇っていた。言葉とは裏腹に、俺たちの旅を塗り替えた救世主は、彼女だった。
「これまで巡った村や町がまた襲われる可能性? ありえませんが。私の張った聖霊結界は私の心臓の鼓動が止まらない限り有効なので!」
「誰彼構わず治療して、肝心な時に回復できなかったら? あんたたちが攻撃を受けなければいいだけでは……?」
「し、シシィ!? 話をしませんか? あくまで差し上げたのは私のお小遣いです! パーティの資産には手を付けてません! や、やめろォ!」
王国による刺客集団でしかなかったはずの俺たちは、いつしか民衆の希望となっていた。
それは、まぎれもなく半泣きで逃げていた、臆病な女の力だった。
村に入るなり鍛冶屋の爺さんに声をかけられたこともあった。
「勇者様、その剣、ぼろぼろじゃねぇか。こんな鍛冶屋でも、名剣を一振りしまってたんだ。使ってくれ」
聖女の力だと思った。人の心を溶かすことが、俺たちの意味だったなんて。そんなこと。
誰も知らなかった。そして、俺は。聖女アリアの力すら。本当は、何も知らなかったんだ。
自分の命に指がかかったらしいから。アリアは、これまで張っていたすべての結界を解除し、己の力を再び一つにまとめたらしい。輝星十字が、まばゆい輝きを放つ。それはさながら、太陽のようで――。
「死ぬのが決まったんだから、本気で援護します。勇者様」
「死ぬのは? 怖いんじゃないのかよ、アリア」
「それは、死ぬほど怖いけど。――お前らを失う方が、よほど怖いよ」
刹那。アリアの身体が、宙を舞いあがる。羽が生えていた。まるで、神の御使いのように。
「ただ見上げろ。これが聖女に与えられし女神さまの権能。我が女神の神威に恐れよ、魔王」
アリアの翼の、羽の一つ一つが、光の槍となって魔王に襲い掛かる。槍は雨のように魔王に襲い掛かる。突き刺さった矢は、魔王の魔力に触れると大爆発を起こす。
「神威に少しでも触れられること。感謝しろ」
いつしか持っていた弓に、矢を番えて放つ。ひょうという音とともに、魔王が地面に倒れ伏した。あれは――封印結界か。
アリアは、鋭く叫んだ。
「いまだッ!」
俺は、魔王に剣を突き立てた。幼女の姿で、泣きわめくふりをする、外道の身体に、疵をつけ、殺し、破壊する。ぐちゃぐちゃになり、その体の中は、空っぽだった。魔王は、中身のない少女だった。俺たちには理解できない存在だったというわけだ。
アリアの力の行使により、俺たちは何とか助かったが……アリアは死ぬ。
ゆっくりと、アリアが地上に再び降り立った。
その事実が、重く、体にのしかかる。
アリアは、立ってはいるが、眼は虚ろだった。きょろきょろとあたりを見回してつぶやいた。
「勇者様、戦士殿。それと、――シシィ。えっと、どこにいます?……聞こえてますか? なんだか、すごく静かで。あれ、喋れて、私」
声が、小さく、不安定だ。たまに、大きな声が混ざる。その場に、どさりと倒れた。思わずエリザベートが、アリアを抱きとめる。そんなことにも構わず、アリアは何かをぼそぼそつぶやいている。
「みんな。魔王は…………………私は――…………初めて誇れるようになった………足手まといじゃなぃ…………シシィ、……死にたくないなぁ――」
アリアの呼吸は、途切れていた。もはやなにも映さない、虚ろな瞳が彼女の終わりを示していた。