元TS聖女は生まれ直して分からせられるそうです(旧題:元TS聖女の受難) 作:黄金りんね
完成したマグナポラリス大聖堂のメインは、言うまでもなく腐敗を退けた聖女の遺体である。皆が足の甲に口づけをしたいと望んだが、教会はそのすべてを許さなかった。
聖霊結界を維持し続ける鼓動が、何をきっかけに失われるかがわからないからだ。精神的にも、社会的にも、彼女は死んでいる。だが――宗教的には、生きている。
アリアも信仰していたシドゥス教は、天上の神々を主な信仰対象にする世界宗教であり。女神は今なお啓示を伝え、恩典を授ける唯一の神であることから実質的な一神教となっていた。
アリアはいまだに「生きている」。奇跡が解除されないということは、女神がその存在を、生存を認めていることに他ならないのだから。
眠ったように穏やかなアリアの顔を見て、小さくため息をつく。少女のような顔で修道院を走り回っていた姿が、未だに思い浮かぶ。
後ろから、声をかけられた。
「礼拝堂を閉める時間です。そろそろ――あ、ドロシーさん。……あなたも、大聖女様を?」
私は、苦笑いしながらうなずいた。大聖女、か。相応しいのか、相応しくないのかわからない称号だ。
「ドロシー。急患です。おそらく、内臓を患っているでしょう」
「……症状が似てるから間違えやすいけど、これは頭からくる疾患よ」
「へ?」
「まったく、……ほら、治癒をするわよ」
修道院には、時折病人が訪れる。アリアと私は、修道女として治療を施したり、薬を調合したりする。アリアは薬の調合実験を好み、私は治療の奇跡を好んだ。
アリアの薬は良く失敗するし、効き目も弱い。味も苦いので、みんな服用を嫌がっていた。アリアは何度か実験を重ね、危険な薬はあまり作らなかった。
「私は治療の奇跡が苦手ですからね。なんか、こう……魔力を練るイメージがつかないんです」
そんな言い訳をするアリアを、私は余り快く思っていなかった。教会で、最も尊いとされるのは人の命を助けること。治療の奇跡は、上手になればなるほど。人の命を救える力だ。
信仰は篤いわりに、いい加減で臆病で、さぼり癖があって、私をひどくイラつかせることが多かった。
「おっと……ドロシーさんじゃないですか。今朝の診療ですか? ただの風邪なんですから寝たら治りますよ……冗談! 冗談ですって、薬は渡しました!」
「えっと……病毒をもたらす魔王配下の騎士? 討伐? 教会で? 御冗談を。死にに行くようなもんじゃないですか。え? いや、惜しむでしょ、命ですよ? ……戦闘はほかの人に任せます。それでいいなら」
「……なぜドロシーさんがここに? おっと、私がいる理由なんてどうでもいいじゃないですか。んーっと、その、ほら。――すみません、戻ります」
思い出すのは、言い訳の数々。悪徳の限りを尽くす不良修道女。なんて、噛みついても。理不尽なことに。アリアは、私よりもはるかに多くの人に受け入れられていた。
休日に突然現れ、看病や家業の手伝いをしてもらったとか。魔獣討伐で夫が死んだ家に行って、一日中話を聞いていたとか。衛兵とカード遊びに興じて、有り金を全部持っていかれたとか。
修道院周りの村は。ひょっとすると、あの子を中心に回っていて、皆があの子に振り回されていたんじゃないかと思う。
「家で休んどけって診療所から追い出されたけど。後になって看病しに来てくれたの。変な子よね」
「死んだあの人のこと――自分の腕が及ばず、助けられませんでしたって謝りに来たの。殴ってやろうかと思ったけど。あの人との思い出を、すごく大事そうに話すから。……バカみたいだなって思ったわ。一緒に話してると、私より泣くんだもの。あの子、ホントに変な子よ」
「毎度毎度カモにされる癖に、懲りずにやってくるんだよな。無敵の戦術とかなんとか、毎回言ってんだけど。戦術以前に顔に全部出てるんだから無意味だよな。ったく、変なガキだぜ」
そして、それは私もで。
腹が立つし、怒鳴るし、けんかするけど。私も、こんな「変な子」が一人くらいいてもいいんじゃないかなって思っていた。私自身、あの子のことが嫌いじゃなかった。
ある日、天からの啓示が来た。お祈りの時間に、駝鳥の羽をあしらった王冠が、アリアの頭にかぶさって、空気に溶けるように消えた。皆が、瞠目する中……アリアは、ただ茫然としていた。後で聞いたところ、女神さまとお話をしていたらしい。そして、アリアは聖女として福音を授かった。
「聖女として、然るべき救世を為す器は、あなたしかいません。いずれ来る勅令を受けなさい。世にはびこる、魔王を討ち果たすのです」
私は、それを聞いて――少しだけ納得した。あぁ、この子は、そういう天命の下に生まれてきたのだ。女神さまですら、彼女の重力にあらがえなかったのだ。
王宮への呼び出しを受けた、その日の晩。私と話している中で、アリアは笑いながら言った。
「私なんかより、優秀なドロシーの方が聖女には向いていますけどね」
「……は?」
それを聞いた時、本気で意味が分からなかった。アリアは、はにかみながら言っていた。
「ほら。初めてここに来た時のこと。覚えてるかな。シシィ……幼馴染と離れて暮らすことになって、すっごく不安だったんです。そんなときに、ドロシーは言っていましたね。ここでは、務めを果たさないといけない。だから、それができるようになるまで、私を諦めないと」
「……そんなこと、当然でしょ。人間には使命があって、それを果たすことこそが肝心なんだから。――そうでしょ?」
「……私には、人生を使って為すべき使命なんて、何一つない」
ふざけるな。そう、思った。
「どういう、意味? アリア」
「砂金をよなげる時に、比重が軽いがゆえに川に溶ける砂の一粒が私です。砂粒に使命なんて、多分ないんですよ。――あっても、きっとどうでもいい、粗末なものでしょう。女神の冠を隠すために、一時的に預かった盗人程度の価値しか、私にはない。私は、英雄の器ではないので」
「なんだよ、それ」
ぶん殴ってやろうか。そう思ったけど。ぐっとこらえた。
「……だったら、魔王討伐なんて。あんたにとっちゃ命を賭すに値しないただの旅行ってわけね。さっさと帰ってきて、診療所で老人と子供の面倒を見るといいわ。……わかったわね」
「――ありがとう。ドロシー」
初めて、呼び捨てにされて。――私は、騒がしくて面倒な聖女が。人として好きだったらしいと気付いた。お前は、価値のない人間などではないと。言わなければならないと思った。
皆が、お前のことが大好きだと。だから、魔王が倒せなくてもいいから。帰ってきてほしい。
そう言えていれば、あの日。命を失わずに、帰ってこられただろうか。
礼拝堂を後にして。改めて、思った。
人は、務めを果たさなければならない。そのために、生まれてきたのだから。
大きすぎる、偉業を果たした少女を想いながら、つぶやく。
「修道院でみんなに愛されながら生きる。それが、務めだったのに」
私は、疑問に思った。ミシェルは、平民の分際でなぜここにいるのかと。いや、差別的な意味ではなく。シシィは、どうしてこの子を見出すことができたのか。これがわからない。
仮に分かったとしても。家はどうやって探し出したのだろう。後で聞いてみようかな。
あと、シシィにも疑問がある。なんで、さっき会った時より老けているんだろう。魔力の質は変わっていないから、同一人物ではあるのだが。
今のシシィは二十代後半って感じの、威厳? バリキャリ的な雰囲気が感じられる。
「――さて、ここに集まった魔法使いの卵たち。私が騎士を……自分の弟子を作ろうと思ったきっかけでも話しておこうかな」
帝国騎士に備えて、ではないのか。確か、お父様がそんな感じのことを言っていたし、勇者との対立がどうとか……なんか、考えてて不快になる。この話やめ! もうしませーん! したくないもん!
「きっかけは、十二年前に遡る。こう見えても、私は魔王の討伐に貢献した魔法使いだ」
こう見えてもってか、どう見ても。魔力の操作、出力の絞り方。そして、静かな湖面を想起させるような、驚くべき静謐。明らかに怪物だろ。
「私がそこで得た教訓は、人間個人の力では絶対に勝てない存在がいるということだ」
昔を思い出す。勇者も、明らかに人知を超えた化け物というか。なんか、普通にこんなやつ誰が勝てるんだよって感じだった「善意・敵意・殺意・ゴリラゴリラ・ちょっとだけ人間」みたいなクソゲー野郎が、魔王相手には普通に不利だった。
それで、理由を分析して、聖剣の力と魔王の権能や魔力操作を総合的に勘案した結果、あれは天の加護か、あるいは権能を持つっぽいので、大地の祈りであれば打ち崩せるのではという答えに行きついたわけだ。戦士の一撃は素晴らしいダメージだった。私なんて心の中で「あばら粉砕コース!」って叫んだもんね*1。
うんうん、とうなずいていると、シシィは続けて言った。
「聖女のふるった権能。あの圧倒的な力の前には、誰も勝てないと思った」
「えっ」
「……リリーナ・アリア・ハミングバード。異論があるなら聞くが?」
「――失礼いたしました。てっきり魔王かと」
「まぁ、魔王も恐ろしい存在であることは認める。その魔王を凌駕して、殺しているのだから。大聖女と女神の権能こそが地上にあるあらゆる力に勝るだろう?」
……ぐぬぬ。いや、でも――。
「だったら、聖女の力に類する奇跡を中心に鍛錬すべきでは? 輝星十字さえあれば誰でも
「あのくらい、ねぇ…………ずいぶん敬虔な信徒らしいな? 信仰に由来する力を悪く言うつもりはないが、奇跡と権能は違う。奇跡についての考察は禁書だからな。広く教えることもできんし、私もその手法をまねる気はない」
「なる、ほど……」
つんつん、と横からつっつかれる。どうしたミシェル。構ってほしいのか?
「リリーナ様、やばいですよ! 聖女程度の奇跡を行使できるなんて……」
「いや、でも……ドロシー・リスティ・シュガーアンセムは大聖女以上の治療を施していましたし……」
「シュガーアンセム枢機卿が引き合いに出てる時点でおかしいですよ!」
「あ、あの子……失礼、あの方、もうそこまで出世していたんですか?」
ひそひそ話していると、コホンと咳払いが響いた。
「リリーナ・アリア・ハミングバード。二回目だ。何か、異論が、あるのか?」
「あ、ありません」
「次はないぞ……それと、ミシェル・サークホルン。私語は慎め」
「申し訳ございません!」
「よろしい。ええっと、どこまで話したかな……あぁ、魔王との闘いの話だったな」
シシィは再び演説を始める。
「圧倒的な個を超越する力。それが、集団による力だ。大聖女ですら果たせなかったこと。それは、複数の災厄に対応すること。私たちは、優れた力を養い、複数のチームを作り、王国と皆の平和を守る。そのための組織を作らなければならない。英雄級の人間が大きく数を減らしている。我々は、英雄に頼らない在り方を目指さなければなるまい。――少しでも、強くなってくれ。そして、より多くを救う人間になれ。一緒に、強きものとして務めを果たそうじゃないか」
……あれ。意外と悪くない動機だ。――もっと、政治のこととか。そういうのを考えていたのかと思っていたが。
少しだけ、安心する。
シシィは、シシィだった。見た目が変わっても、私への態度が変わっても。優しくて、厳しい。そして、なんだかんだ、人のために動いてしまう人。
変わっていないシシィに、思わず笑ってしまう。
「……何かおかしなことでもあったか? ハミングバード*3」
「まさか。……今度こそ、異論なしです。団長」
シシィは、ふんと鼻を鳴らした。
「そうか。何よりだ。だが、団長はまだ早いな。魔法騎士団には、これから選別があるのだから。選別漏れすれば、お前は実家送りだよ、ハミングバード」