そして、次回! ついに八幡のユニークスキルお披露目……なのか?
八月。
茹だるような暑さが身体を、蝉の鳴き声が耳を蝕み、比企谷小町の不快度指数を著しく上昇させる。
千葉市から電車に乗り、兄がいる東京へと急ぐ。
お兄ちゃんがいた頃は、望めばバイクで大体どこでも連れてってくれたなぁ……。僅かに揺れる電車で、兄がまだSAOの虜囚じゃなかったときを懐かしむ。
家族だからといっていつまでも一緒にいられるわけではないことくらい小町は知っている。ただ、もし兄が死んで、それでお別れなんてことは納得できない。
SAOが始まってから二年近く経つ。まだ兄は生き残っているが、いつあの悪魔の機械に脳が焼き切られるかもしれないと思うと気が気じゃない。
おもわず滲んだ涙を、周りの人に気づかれないようそっと拭う。
――小町が泣いちゃダメなんだ。泣きたいのは、知り合いが誰もいない命懸けの世界に小町のせいで入り込んだお兄ちゃんなんだから。
悔恨の気持ちが小町の胸中を占めたとき、目的の駅に電車が到着する。
ハンドバッグを手に持ち――一応小町も花の女子高生なのだ――、駅の改札口を出てから見慣れたバス停に足を運ぶ。――願わくば、病院で兄が死んでいないように……。
「ん? 比企谷妹じゃないか。君も比企谷の見舞いか?」
「あっ、平塚先生! どもども、こんにちは〜♪」
八月の夏休み中だというのにも関わらず、相も変わらず白衣を着ている平塚先生に内心苦笑いしながら小町は先手必勝とばかりに挨拶をする。
「いい挨拶だが、ここは一応病院だ。少し音量を考えるべきだな。まぁ、ボソボソ挨拶する比企谷より全然いいが……」
「うちの愚兄がどうもすいません……。でも平塚先生、一人の生徒に肩入れしていいんですか?」
「ん? ハッハッハ、何を言ってるんだ比企谷妹。私は担任としてクラス代表で見舞いに来ただけだぞ?」
私的なのは明らかだけど、あくまで担任として来た、と言い張る平塚先生が少しおかしくて笑ってしまう。
「……ま、戻ってきたらいつまで私が受け持つクラスにいるのか、お灸を据えねばな。最近衝撃のファース○ブリットが繰り出せなくてなぁ……」
「兄でよかったら、今まで心配させた分を思いっきりやっちゃって下さい」
「あぁ。まっ、それもこれも比企谷が帰ってきて、リハビリを終えたあとだな」
悲しきかな、八幡が帰ってきたら平塚先生が殴ることが決まり、また二人は微笑を浮かべる。
小町ももう高校二年生。総武高校は進学校のため、二年留年している八幡は学年的にはもう小町と同じだ。
ただ悪いことばかりではなく、政府が各大学に掛け合って、SAOから生還した時、年齢的に大学生のプレイヤーの受け入れを頼んでいて、先日一校だけ許可した大学があったのだ。総武高校も八幡が帰ってきたら――総武高校でSAO事件に巻き込まれたのは八幡だけだった――、特別措置として卒業試験で卒業するだけの学力があると判断できるなら八幡が帰ってきたその年度に卒業させることが決まった……というより、平塚先生が掛け合ったのだ。
兄はきっと生きて帰ってくる。帰ってきた後の生活も、政府にある程度保証されている。
だから、少しでも早く帰ってきてね。
神様でも仏様でも星にでもなく、十数年同じときを過ごした兄に願いを。
そこで目的の部屋の前に着く。白くて代わり映えのない院内でも、そのドアは比企谷小町にとって特別なもの。
兄、比企谷八幡の病室の前の扉。
この扉を開けるとき、比企谷小町は淡い願望を抱く。どうか兄が、この扉を開けたら起きていて、いつものあの腐った眼を開いてこっちを見てほしい、と。
しかし比企谷小町は知っている。何十回も同じことを思い、この扉の向こうで寝ている兄を見て幻滅する。
今回も、同じだった。
「……あの眼だから朝には弱いとは思っていたが、比企谷はかなりの寝坊助だな。千葉村の時然り、な」
さ、中に入ろう、と肩を軽く叩かれ、小町は少し沈んだ気持ちを浮かせる。
病院近くの花屋で買ったブリザーブドフラワーを置き、ベッド近くの椅子に腰掛ける。
布団からはみ出た、痩せこけた兄の腕は年齢が下で女の人の小町よりも細い。
「お兄ちゃん……」
「…………」
本人いわくチャームポイントの眼を閉じ、眠り続ける……否、別の世界で戦い続ける兄は痛々しかった。
頬は骨の形がわかるほど痩せ、筋肉が全くないように見える四肢、そして室内と同じように真っ白な肌。白くないところといったら、長く伸びた髪くらい。初めて見る人は死んでいると判断してもおかしくない状態だ。
「……私は久しぶりに来たが……想像以上に……」
それ以上を口にしなかったのは小町への気遣いだろう。数ヶ月ぶりに見た八幡の姿は、それほどまでに酷かったのだ。
別の世界にいる兄には届かないと理解しながらも近況を報告する。
「えっと、お兄ちゃん。一週間くらいぶり。こっちは八月で、物凄い暑いです。それで、えっと……」
言葉の途中で涙が滲む。声は震え、かすれて出せなくなる。兄は生きて帰ってくると信じている。だが、胸中渦巻く不安はどうしたって拭えない。
平塚先生は粗っぽく小町の頭を撫で、ベッドで眠り続ける問題児に声を掛けた。
「比企谷、久しぶりに会った君に言いたいことは多くあるが……取り敢えず、生きて帰ってこい。そうすればファーストブリットで勘弁してやる。だが、もしこの命令を破ればラストブリットを放ち、魔人ブウにボコられたベジータみたいにしてやるからな」
本人の意識があったら、どっちにしろ一発殴られんですねとか、先生古い少年漫画好きすぎでしょうとか言ってただろうが、重い空気を払拭するにはこのくらいがちょうどいいのかもしれない。
「じゃあ小町も、取り敢えず一発ビンタと、なにか奢ってくれるだけで勘弁してあげる。だから……絶対生きて帰って来てね。可愛い妹からのお願いなのです♪」
あざとく微笑んだ小町は、骨が浮き出てゴツゴツしている手を握る。と、二人以外の声がドアの外から聞こえる。
「ねえねえゆきのん。病室ってノックするべきなの?」
「さぁ……、私も見舞いなんて縁がなかったからよくは知らないけど、した方がいいんじゃないかしら。一応入室する意を示すのだから」
「そ、そっか……」
コンコン、と二回ノックされ、扉が横に僅かにスライドされたところでまた声が聞こえる。
「……由比ヶ浜さん、二回のノックはお手洗いの個室で中に人がいるか確かめるときの回数よ」
「ええっ! じゃあ何回すればいいの?」
「仕事場とかでは四回、親類の部屋をノックするときは三回らしいのだけれど……まぁ、三回でいいんじゃないかしら」
「そ、そっか! ようし……」
また一回ノックされ、今度は完全に扉が開けられる。
「由比ヶ浜さん、そこはやり直すべきだったのではないかと思うのだけれど」
「へ? でもさっき二回ノックしたんだから、今のと会わせて三回でしょ?」
「……もう、それでいいんじゃないかしら」
諦めたように短く溜め息を吐きながら雪ノ下雪乃は入室してくる。
「あ、雪乃さーん、どうもやっはろーです!」
「えぇ、こんにちは、小町さん」
「小町ちゃんやっはろー!」
「やっはろー、結衣さん!」
病院に似つかわしくないキャピキャピした雰囲気を感じ、平塚先生は一言。
「……これも若さのなせる技なのかなぁ。……はぁ、結婚したい」
哀愁を超えて、いっそ悲愴なオーラを出している平塚先生をスルーし、小町は唐突に提案する。
「せっかくだし、雪乃さんと結衣さんもお兄ちゃんに一言あげて下さい!」
「……? なぜかしら」
「まあまあいいじゃんゆきのん。私たちもそんな頻繁にこれる訳じゃないし。たまにはこういうのもいいじゃん」
「はぁ……まぁ、たまには、ね」
(平塚先生。前々から思ってたんですけど、雪乃さんって結衣さんに特別甘いですね)
(はぁ、けっ……ん? ああ、まぁ、そうだな。比企谷曰くゆるゆりらしい)
(はぁ〜納得しました。やってないとか言って、やっぱお兄ちゃん造語作るくらいネットやってるんじゃん……)
(……そっちに納得したのか?)
ボソボソと話す八幡の妹と教師。そんな様子には気づかず、八幡の同級生×2の一言が始まろうとしていた。
「そ、そのー、なんか改めて言うのって恥ずかしいね……ゆきのん、ちょっとパス! 考えたいから!」
「あなたが私を懐柔したのでしょう? まぁやるなら早いか遅いかの違いだからいいのだけれど」
ひとつ呼吸を置き、雪ノ下雪乃は鋭く冷たく、されどどこか温かい声音で一言。
「比企谷君。取り敢えず生きろ、と言おうかと思ったけれど、ゴキブリ並の生命力のあなたがくたばるはずないから、帰ってきたら取り敢えず心配を掛けた人達に一発殴られ、謝り、そして感謝なさい。特にあなたのご家族に……これでいいかしら?」
あまりにも雪乃らしい一言に苦笑の面々。奉仕部は三人がいてこそ成り立っていた。だが八幡が事件に巻き込まれたことによっていなくなり、それでもいつかは戻ってくると守ってきたのだ。あの場所は三人共通で、居心地のいい場所だったから。
「うん、そうだね。取り敢えず、生きて帰ってきて、ヒッキー。そうしたら、また皆で遊びにいこうね?」
四人の思いは、いくら祈り願おうとも比企谷八幡には届かない。そして、この四人は知らない。比企谷八幡が今まさに違う世界で人との殺し合い……狂乱の舞踏を演じていることを。
本編の中の知識はにわかなので、大目に見てください。