今さら嫌われていることに気がついたので、黙って消えたらなぜかパーティーが壊れた 作:どうも
港町セイルに着いて最初に分かったのは、海というのは思っていたよりずっと広くて、それを眺めながら食べようと買った焼き魚は、油断すると鳥に持っていかれるらしい、ということだった。
「兄ちゃん、上!」
「うおっ、マジか!」
屋台のおばちゃんに言われるまま身をかがめると、頭の上を白い翼がかすめていったので、焼き魚を胸もとへ抱え込んだ俺は、この街の食事には見張りが必要なのかと、少々不安になってしまった。
「端っこの席にしときな。そこの屋根の下なら狙われないから」
「助かります。入場料に昼飯まで含まれてるとは聞いてなかったんで」
ありがたく屋根の下へ避難し、改めて港へ目を向けてみれば、船の帆は洗い立てのシーツみたいに風をはらみ、桟橋を行き交う人たちの声が、波音に混ざって聞こえてきた。
前の街を出てから三日、馬車を乗り継いでたどり着いた場所は、一人でぼんやりしているには、ちょうどよさそうな賑やかさだった。
魚の腹へ箸を入れると、白い身がほろっと崩れた。
これはリゼが好きそうだな、と考えてから、隣の席へ向けかけた顔を皿へ戻し、まだ食べていないほうに香草の汁を垂らしてみる。うまいものを見つけたとき、誰かに教えるところまでが癖になっていたらしく、その行き場がなくなると少々手持ち無沙汰ではあるのだけれど、だからといって魚が冷めるのを待つ必要もないだろうし。
「おばちゃん、これ、もう一本頼んでもいいですか」
「気に入ったかい」
「だいぶ。引っ越し先を飯で決めるの、案外アリかもしれないっすね」
二本目を焼いてもらう間に宿とギルドの場所まで教えてもらえたので、この屋台には、これからも世話になりそうだった。
***
「斥候のハルさんですね。こちらでの活動は、今日からでよろしいですか?」
「はい。しばらく一人で、土地に慣れるところから始めようかと」
受付の女性が登録証を確認している間にも、長靴を履いたおっちゃんが『網に変なのが入った』と窓口へやって来たので、この街の冒険者はわりと漁業に近いところで働くらしかった。
受付の名札には、ミナ、と書かれていた。
「でしたら、倉庫の点検はいかがでしょう。第三倉庫で床下から音がするそうで、荷物を動かす前に原因を調べたい、と」
「床下。ネズミとかですかね」
「そのくらいで済めば助かるのですが、港ではたまに、海から魔物が入り込むので」
さっきのおっちゃんが抱えていた網の中で何かが跳ね、俺は依頼書へ伸ばしていた手を、ほんの少しだけ慎重に動かすことになった。
「巡回担当の槍使いを一人つけます。危険があれば二人で戻って、追加の人員を呼んでください」
「了解です。俺、海の魔物は詳しくないんで、その人に教わりながらでよければ」
ミナさんはうなずき、机の下から港の見取り図を出してくれたので、倉庫の位置とギルドへ戻る道を確かめてから、俺は依頼書へ名前を書き込んだ。
索敵と、危ないやつがいた場合の先行処理なら、これまでもやってきたことなので、港の決まりさえ教えてもらえれば、それなりには働けるんじゃないだろうか。
***
「あたしはナギ。海の魔物は、陸のやつと勝手が違うから、見つけても一人で近づかないこと」
「了解。知らない魚を勝手に食わないような感じで」
「まあ、それも守ってね」
案内役のナギは、短く切った赤茶色の髪と、俺の背丈より長い槍が目立つ女性で、港の巡回を三年ほど担当しているらしく、すれ違う人たちから次々に声をかけられていた。この人についていれば道に迷う心配はなさそうだったけれど、一応、ギルドへ戻る角と水路の位置を覚えつつ歩いていると、並んだ倉庫の奥から、少し気になる音が聞こえてきた。
「ナギ、第三倉庫って、あの赤い屋根のやつ?」
「そうだけど、よく分かったね。まだ看板も見えないでしょ」
「下から床を叩いてるのがいるんで。あと、人が一人、高いところで動けなくなってるっぽい」
ナギの足が止まった。
「……聞こえるの?」
「うん。息がだいぶ速いし、床のほうも、あんまり長くはもちそうにないかな」
言い終える前に、港の鐘や荷車の音に混ざって、木材が割れる響きがしたので、俺は荷物の紐を締め直し、ナギと一緒に倉庫へ走ることにした。
入口には、腕に包帯を巻いた若い男と、白髭のおっちゃんがいて、逃げ遅れた見習いのトマが中二階にいる、と教えてくれたのだけれど、その話を聞いている途中で、中から飛び出してきた太い鋏が、戸板の片方を根元からへし折ってしまった。奥に見えた甲羅は、俺が両腕を広げても足りないくらいの大きさで、脚の先には、床板だったものが何枚か刺さっている。
なるほど、こいつは確かに、網に入ったら漁師のおっちゃんも困るだろうな。
「大鎧蟹……なんでこんなのが、港の内側に」
ナギが槍を構え、おっちゃんへ、討伐班を呼んで、と短く告げた。
「大盾を持った前衛が三人、魔術師と治癒術師も必要。普段なら八人以上で囲む相手だから、ハルも下がって」
「そっか。ちなみに、毒とか、死ぬと爆発するとかは?」
「ないけど、殻は船底の鉄板より硬いし、鋏に挟まれたら鎧ごと――」
そこでまた、柱の折れる音がした。
中二階の床が傾き、縁につかまっていた男の子の身体がずるっと滑ったので、俺はナギへ収納袋を渡し、首のマフラーを服の内側へ押し込むことにした。
「その子を連れて戻るんで、受け取ってもらえると助かる」
「待って、何を――」
足へ魔力を回して踏み込むと、周りの声が後ろへ流れ、次の瞬間には、目の前に鎧蟹の脚があった。右から閉じてくる鋏の下を抜け、手近な荷箱を足場にして跳び上がり、落ちてきたトマを抱えたところで、今度は反対側の鋏がこちらへ向かっていたので、俺は空いている手で短剣を抜き、その付け根へ刃を通しておいた。
切り離された鋏が床へ落ちるより先に入口へ戻り、ぽかんとしているナギへ男の子を預けてみれば、どういうわけか、まださっきと同じ形に口が開いているようだった。
「足をひねってるかも。立たせないほうがよさそう」
「……え、いま、何した?」
「連れてきた。あ、腕、ぶつけたりしてない?」
トマが首を横に振ってくれたので、そのへんは大丈夫らしかったけれど、続けて『お兄ちゃん、いつ来たの』と聞かれてしまったので、挨拶を後回しにしたのは、少しよくなかったかもしれない。
名乗ろうとしたところで倉庫が揺れ、壁から埃が降ってきた。
片方の鋏をなくした鎧蟹が、残ったほうで柱を殴りつけている。
「おっちゃん、この建物、まだ使いますよね」
「そ、そりゃ使うが」
「じゃあ、外で済ませたほうがよさそうかな。入口の前、空けてもらってもいいですか」
白髭のおっちゃんが周りの人たちを下がらせ、ナギがトマを作業員へ預けたのを見届けてから、俺は再び倉庫へ入り、わざと靴底で床を鳴らして、こちらへ伸びてきた鋏を、閉じる直前に横からつかんだ。刃のついていない背の部分でも、普通に握れば指のほうが負けそうな硬さだったけれど、腕に回す魔力を少し増やしてやれば、ひとまず離さずに済む程度には押さえられそうだった。
「悪いけど、その柱は勘弁してほしいんだよな」
腰を落として引くと、魔物の脚が床を削りながら浮き、ずっしりした重さが肩へ乗ったので、そのまま半歩ひねって、開いた搬入口の向こうへ放り出すことにした。
石畳が、思っていたより派手な音を立てた。
これ、道の修理代まで請求されたら、点検の報酬ではちょっと厳しいかもしれない。
そういう話になる前に片づけようと追いかけると、甲羅を下にした鎧蟹は、暴れながらも脚を引っかけて起き上がろうとしていたので、転がった拍子にこちらへ向いた首元へ、短剣の刃を当てておく。
なるほど、船底の鉄板より硬いというのは本当らしく、いつもの具合では刃が止まった。
なら、少し多めでよさそうだった。
刃先へ魔力を絞り、息を吐きながら横へ振り抜くと、殻を割る硬い音が短く続き、鋏を持ち上げかけていた魔物の身体が、そのまま動かなくなった。切れた首元から刃を引き抜き、念のため脚と鋏が止まったことを確かめてから顔を上げてみれば、さっきまで怒鳴り声の飛び交っていた倉庫通りが、なんだか妙に静かになっていた。
「……終わった、と思うけど」
ナギは槍を構えたまま、俺と鎧蟹を交互に見ていたし、おっちゃんは口にくわえていた笛を落としていたし、離れた場所の荷運びの人たちまで、仕事の途中みたいな格好で固まっている。
誰も何も言わないので、俺はとりあえず、一番気になっていたことから聞いてみることにした。
「これ、食えるやつ?」
「今、そこを気にする?」
ようやく返ってきたナギの声が少し裏返っていたので、質問の順番は、やっぱり間違えたようだった。
***
討伐班が到着したのは、おっちゃんたちに借りた布で短剣を拭き終えたころで、大盾を担いだ先頭の男性は、石畳に横たわる鎧蟹を見るなり足を止め、その後ろの人に思いきりぶつかられていた。
「討伐済み? どこのパーティーが来た」
「この人。一人で」
ナギの指がこちらへ向き、そこにいた全員の視線までついてきたので、俺は布を持ったまま、どうも、と頭を下げておいた。班長らしい男性は、倉庫に残った鋏と、外へ投げ出された本体を調べ、最後に俺の短剣へ目を落としてから、なぜか深く息を吐いた。
「殻ごと切ってるな。関節を狙ったんじゃないのか」
「最初の鋏はそうっすね。最後は動きそうだったんで、そのまま」
「その短さの刃で、魔力もろくに漏らさず……」
何か考え込んでしまったので、壊れた石畳について先に謝ってみると、『あれを倉庫から出したのも君か』と、さらに話が増えてしまった。
どうやら、順を追って説明したほうがよさそうだった。
***
夕方、ギルドへ戻った俺を待っていたのは、点検依頼の小さな報酬袋と、その何倍もありそうな討伐報酬、それから、ミナさんの横にきっちり積まれた追加の依頼書だった。
「ナギさんと討伐班から報告を受けました。単独で大鎧蟹を倒されたうえ、救助も済ませていたそうですね」
「怪我が軽くてよかったです。それにしても、報酬、ずいぶん増えるんですね」
「去年は討伐に半日かかって、前衛が三人、治療院へ運ばれていますから。救助の分も加算されています」
それを聞くと、あの場で片づけておいてよかった、という気がした。フィオが誰かの傷を治しながら、本人より痛そうな顔をしていたのを思い出したせいもあるけれど、怪我をする人数は、少なく済むならそれに越したことはないだろうし。
横にいたナギが、依頼書ではなく俺の顔をのぞき込んできた。
「確認するけど、あんた、本当に斥候?」
「そうだよ。先に道を見て、危ないのがいたら、みんなが来る前に減らしておく感じ」
「……その『減らす』、どのくらいまでやってたの」
「一人で済みそうなら、だいたい全部かな。帰ってから飯の支度もあるし」
ナギが額に手を当て、ミナさんは手元の登録票と俺を見比べたあと、点検要員、と書かれた欄へ静かに線を引いていた。評価を直してもらえるのはありがたいのだけれど、あまり大きな期待を乗せられると、道に迷ったときなんかに、言い出しづらくなりそうではある。
「明日、支部長とお話しできますか。北の航路で被害を出している魔物について、ご相談したいそうです。もちろん、資料を見てから判断していただければ」
「それなら。海の上での仕事は、教わるところからになると思うけど」
返事をすると、ミナさんがほっとしたように笑い、待合の卓からは『あいつがそうか』という小声が聞こえてきた。外へ出れば、昼には知らない顔だったはずの荷運びのおっちゃんに名前を呼ばれ、魚屋では、鎧蟹の鋏を持ち上げたのは本当かと聞かれ、最初の屋台へ着くころには、俺が素手で海の主を殴り倒した話になっていた。
短剣、わりと働いたつもりなんだけどな。
「ほら、トマを助けてくれた礼だよ。あの子、うちの妹の息子でね」
おばちゃんが差し出した大皿には、昼の魚に加えて貝と海老まで乗っていて、俺は礼を言いながら、屋根の下の席へ腰を落ち着けることにした。名前を呼ばれるたび、まだ少し落ち着かない感じはするけれど、明日も来てほしいと言われているらしいことだけは、さすがに俺にも分かってきた。
だったら、この街では、けっこう楽しくやっていけるのかもしれない。
とりあえず今夜は、冷めないうちに食べようと思う。
港の鳥たちは、どうやら討伐の噂くらいでは、遠慮してくれないようなので。