10秒で泣ける天才子役は2周目の人生では泣かない 作:M1tarash1
すべての事件に完全なケジメがつき、世界から『復讐』や『亡霊』といった不穏な言葉が綺麗に消え去ってから、少しだけ時間が経ったある日の午後。
苺プロダクションの事務所のソファーには、驚くほど緊張感のない、平和そのものの光景が広がっていた。
「ねえ、聞いてよアクたん! ルビーがさっきから私のポテチの九州しょうゆ味ばっかり狙い撃ちしてくるんだけど!」「えー、いいじゃんMEMちょ! センターを引退したロリ先輩の代わりに、これからは私がB小町の絶対的エースとして炭水化物をたくさん摂取しなきゃいけないんだから!」
「そんなエース嫌だよ! 体型管理どうなってんのよ!」
ルビーとMEMちょが、一袋のポテトチップスを巡って小学生のような争いを繰り広げている。
私はその隣で、役者業の新しい台本を読みながら、呆れたように小さく息を吐いた。
少し前までは、テレビ局の裏でナイフを突きつけられるようなギリギリのサスペンスを生きていたなんて、今のこの空間を見ているとまるで嘘のようだ。
「……おいルビー、いい加減にしろ。リビングの床にクズを落とすな。掃除するのは俺なんだからな」
キッチンの方から、エプロン姿のアクアがフライ返しを片手に顔を出した。
あいつは医大への進学を目指して猛勉強する傍ら、最近ではなぜか星野家の『主夫』としてのスキルを爆発的に向上させていた。
今日の晩ご飯は、アクア特製のハンバーグらしい。
事務所には、お肉の焼けるたまらなく良い匂いが漂っている。
「お兄ちゃん、お腹空いたー! ハンバーグまだー?」
「あと10分だ。有馬、お前も台本ばっかり読んでないで、少しはルビーの行儀の悪さを注意しろ」
「なんで私に振るのよ。……まあ、ルビー。あんた、これから歌って踊るんだから、少しはプロ意識を持ちなさいよね。ポテチばっかり食べてると顔が丸くなるわよ」
私が台本から目を離さずに言うと、ルビーはぷくっと頬を膨らませて私に抱きついてきた。
「もー、ロリ先輩までお兄ちゃんみたいなこと言う! 二人して付き合い始めてから、どんどん小言のトーンが似てきてるんだけど!」
「っ――!? な、何言ってるのよバカ!」
突然のルビーのツッコミに、私は10秒で顔を真っ赤にして台本で顔を隠した。
キッチンから
「ルビー、余計なことを言うな。ハンバーグの肉汁を飛ばすぞ」
と、これまた少し耳を赤くしたアクアの声が聞こえてくる。
「あはは! 両片想いの時も面白かったけど、付き合ってからの二人の初々しさも最高だねー。良いねぇ、若いって!」MEMちょがニヤニヤしながらスマホのカメラをこちらに向けてくる。
そんな私たちの騒ぎ声を、事務所の奥のデスクからミヤコさんが優しく、少しだけ呆れたような目で眺めていた。
「本当に……。少し前までは、この事務所もなんだかピリピリしてて心配だったけど。……賑やかになって良かったわ」
ミヤコさんのその呟きに、ルビーが「へへっ」と嬉しそうに笑う。
特別な事件なんて、もう何も起こらない。
誰かが傷つくことも、誰かが夜中に一人で涙を流すこともない。
ただ、大好きな仲間が集まって、お腹を空かせて、誰かが作った美味しいご飯を待っている。
私が二度目の人生を賭けて、泥をすすりながら仕込みを続けて手に入れたかったのは、この、どこまでも『他愛もない、何でもない一日』だったのだ。
「よし、焼けたぞ。テーブルの上を片付けろ」
アクアの号令とともに、みんなが一斉に動き出す。
漂う湯気の向こうで、みんなの、そしてアクアの本当に穏やかな笑顔が弾けていた。