10秒で泣ける天才子役は2周目の人生では泣かない 作:M1tarash1
その日は、私たち二人の人生にとって、最大にして最初の勝負の日だった。
冬の冷たい空気が張り詰める、二月の上旬。
私は、とある日本最高峰の映画賞の授賞式会場の楽屋にいた。
役者一本に絞ってから数年、泥臭く積み上げてきた演技が評価され、私は今年、最優秀助演女優賞の最有力候補としてこの場所に立っている。
けれど、鏡の前でドレスの最終チェックを受ける私の頭の中は、今頃、東京屈指の難関医大の門をくぐっているはずの、あいつのことで一杯だった。
(アクア……。緊張で行きの電車、間違えたりしてないでしょうね)
スマホの画面を見る。最後に届いていたのは、今朝早くに送られてきた『行ってくる』という短く、あいつらしいシンプルなメッセージだけだ。同じ頃。
試験会場の張り詰めた静寂のなかで、アクアは机の上の解答用紙を見つめていた。
かつてのあいつなら、受験なんてアイを救えなかった後悔から来る義務感でしかなかったはずだ。けれど、今のあいつの瞳にあるのは、誰かに強いられたわけではない、一人の人間としての、純粋で強い『執念』。心臓外科医になって、今度こそ目の前の命を救うという、アクア自身の夢。
(待たせるわけにはいかないからな)
試験開始の合図とともに、アクアは迷いのない手つきで万年筆を走らせ始めた。
あいつが机の上で戦っているその瞬間、私もまた、眩いスポットライトが照らす授賞式のステージへと、一歩を踏み出していた。
「――最優秀助演女優賞。……有馬かな」
名前を呼ばれ、満場の拍手のなかでマイクの前に立つ。客席を埋め尽くす業界の関係者や、カメラの向こうにいる何万人の視聴者。
1周目の私なら、このプレッシャーに押しつぶされて、また周囲の才能に嫉妬して、おどおどした仮面を被っていたかもしれない。
けれど、今の私には、私の未来を一生かけて支えると言ってくれた、世界一贅沢なファンがいる。
「……ありがとうございます。でも、私の役者人生は、ここでは終わりません」
私はトロフィーをしっかりと握りしめ、カメラの向こうで戦っているはずのあいつに届けるように、不敵で、最高に輝く笑顔を弾けさせた。
「私、世界一の女優になりますから。……だから、皆さんも目を離さないで見守っていてくださいね」
会場が割れんばかりの歓声に包まれる。夕暮れ時。
すべての試験を終え、張り詰めた緊張感から解放されて試験会場の門を出たアクアの元へ、私のスマホから一本のニュース速報が届いていた。
【速報:有馬かな、最優秀助演女優賞を圧倒的評価で受賞】
スマホの画面を見つめながら、アクアはフッと、周りの受験生が驚くほど、心の底から穏やかな苦笑いを浮かべた。「……本当、あいつには敵わないな」
あいつはスマホをポケットにしまうと、まだ見ぬ私たちの明るい未来に向かって、力強く歩き出し始めた。
最高のお医者さんと、世界一の女優。
ただの男女になった私たちは、それぞれの最前線で、完璧なハッピーエンドのその先を爆走している。