10秒で泣ける天才子役は2周目の人生では泣かない 作:M1tarash1
婚姻届を区役所の夜間窓口に提出し、晴れて「夫婦」になってから数時間が経った。
二人で新しく借りた都内のマンション。
まだ引っ越しの段ボールが片付ききっていないリビングで、私は手にしたプラスチックのカード――新しく『星野』の苗字に書き換えられたマイナンバーカードを凝視したまま、ソファーの上で完全にフリーズしていた。
「有馬、お前さっきからずっとそのカード見てるな。……あ、もう有馬じゃないか」
キッチンの方から、マグカップを二つ持ったアクアが歩み寄ってきた。
あいつは当然のように私の隣に腰を下ろすと、私の手からすっとカードを取り上げ、自分の運転免許証の隣に並べた。同じ苗字。同じ住所。
画面の向こうのサスペンスでも、ステージの上でもない、これが私たちの『現実』。
「……星野、かな、か。悪くない」
「っ――!? な、何よ、本人の前で堂々と復唱しないでよバカアクア!!」
あいつが口にした私の新しい名前に、案の定、脳内の全回路がショートを起こした。
顔から火が出るんじゃないかってくらい一気に血が上り、私はたまらず近くにあったクッションに顔を埋めた。
1周目の悲惨な結末をひっくり返すために、2周目の人生のすべてを仕込んで、裏で泥をすすりながら走ってきた10数年間。
その執念のゴールが、まさかこんな、あいつと同じベッドで寝て、同じ苗字で呼ばれるような甘い生活になるなんて、あの日の私に教えても絶対に信じない。
「本当に、お前は分かりやすいな。付き合いたての高校生の時と、ちっとも変わってない」
アクアはフッと、心の底から愛おしそうに苦笑いすると、クッションごしに私の身体を自分の胸の中へと引き寄せた。「有馬……いや、かな。研修医の給料じゃ、まだこんな狭い部屋しか用意してやれなくてごめんな。お前はもう、国民的女優なのに」
あいつの大きな手が、私の髪を優しく撫でる。耳元で囁かれる低くて心地いい声に、胸の奥がキュンと締め付けられる。
「……バカね。部屋の広さなんてどうでもいいわよ。私が欲しかったのは、あんたが一人で死なない未来と、……この、あんたの隣の特等席なんだから」
クッションから少しだけ顔を出して、真っ赤な顔のまま私がそう告げると、アクアは一瞬だけ目を見開いたあと、これまで一度も見せたことのないような、本当に、本当に幸せそうな笑顔を浮かべた。
「ああ。これからは一生、俺の特等席でお前を幸せにしてみせる」
漂うコーヒーの湯気の向こうで、二人の距離が不器用に、けれどこれ以上ないほど確かに重なる。
星野かなになった私の、新しく、そしてどこまでも平和な二度目の人生の本番が、ここから甘く始まっていく。