10秒で泣ける天才子役は2周目の人生では泣かない 作:M1tarash1
昨夜の、あの宝石を散りばめたような夜景と、二人きりの甘い時間は、朝の訪れと共にひとまずクローゼットの奥へと仕舞い込まれた。
「ほらアクア、早く起きなさい! 今日は大事な本読み(台本合わせ)の日でしょ!」
午前七時、星野家のダイニング。
まだ少し眠そうに髪を揺らすアクアの前に、手際よく朝食のプレートを置いたかなは、すでに完璧にメイクを済ませ、戦闘モードの顔をしていた。昨夜、高台の公園で「私は最初からあんただけのものよ」なんて愛らしく囁いていた花嫁と同一人物とは、到底思えないほどの切り替えの早さだ。
「……わかっている。昨夜は少し夜更かしが過ぎたな。ルビーのところに陽菜を迎えに行く時間は?」
「本読みが終わったら、そのまま二人で迎えに行くわよ。ルビー、また先輩呼びをいいことに『陽菜ちゃんにアイドルのステップ教えちゃいました!』なんてドヤ顔してたし、今日こそきっちり釘を刺さないと」
かなはハキハキと言いながら、自分の分のコーヒーを口にする。
家庭の主婦であり、一児の母親。しかし一歩外に出れば、彼女は今なお第一線で戦い続ける役者・有馬かなだ。アクアはそんな彼女の横顔を見つめながら、昨夜の甘さに溺れかける自分を、心地よい緊張感で引き締め直していた。
「――よし、それじゃあいきましょうか。今日の現場、黒川あかねも来るからね。負けてらんないわ」
あかねの名前が出た瞬間、かなの瞳に、かつての天才子役としての鋭い光が宿る。
すべてを乗り越えて救済ルートへと辿り着き、今は戦友となった黒川あかね。しかし、いざ芝居の現場となれば、彼女たちは今でも互いを高め合う最高のライバル同士だった。
一時間後。都内のスタジオの会議室には、独特の張り詰めた空気が漂っていた。
新作映画の主要キャストが集まる台本合わせ。アクアとかなは、少し離れた席に座り、お互いに「夫婦」ではなく「一人の役者」としての距離を保っていた。
「それでは、シーン15の掛け合いからお願いします」
監督の声が響く。
その瞬間、かなの空気が一変した。
彼女が口を開いた瞬間、会議室の温度がすっと変わる。それは、昨夜アクアの胸の中で甘えていた女性のものでは決してない。周囲の役者を巻き込み、作品を引っ張っていく、圧倒的な『主人公』の芝居だった。
(……相変わらず、とんでもないな)
アクアは心の内で静かに舌を巻いた。
最近は家での幸せな日々に少しだけ牙が鈍っていたかもしれない。だが、ステージや現場に立つ彼女の光は、出会ったあの日から、何一つ色褪せてはいないのだ。
「――っ、あんたに私の何がわかるっていうのよ!」
かなの鋭いセリフが、アクアに突き刺さる。
アクアはゾクりとするような快感を覚えながら、自分の台本を強く握りしめた。
「お前がそうやって、一人で全てを背負い込もうとするからだ」
アクアもまた、これまでの人生で培ってきたすべての技術と感情を込めて、彼女の芝居を受け止め、打ち返す。
夫婦だからこそ分かる呼吸、けれど夫婦という関係性を完全に超越した、役者同士の魂の殴り合い。隣の席でそれを見ていた黒川あかねが、 嬉しそうに、けれど負けじと目を細めるのが見えた。
「はい、オッケーです! 素晴らしい掛け合いですね!」
監督の満足げな声で、張り詰めていた糸がふっと切れる。
かなは小さく息を吐き出すと、アクアの方を向いて、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。その顔は「どう? 私の勝ちでしょ」と言いたげだった。
「やるな、かな」
「当然でしょ。あんたが昨日のデートの余韻でボケっとしてたら、私が主役を食っちゃうところだったわよ」
声を潜めて交わされる、二人だけの会話。
そこには、昨夜の激甘な雰囲気とは違う、同じ過酷な世界を生き抜く『相棒』としての、深い信頼と熱い絆があった。
「さ、仕事はここまで。急いでルビーの家に行くわよ。今頃、陽菜がルビーの周りをぐるぐる回ってる姿が目に浮かぶわ」
「ああ。帰りに、昨夜話した通り、三人でやるための新しいカラーボールでも買って行くか」
「ふふ、賛成。」
スタジオを出る二人の背中には、役者としてのプロフェッショナルの矜持と、そして家に待つ愛娘への、溢れんばかりの『本当の愛』が満ちていた。
感想にてご指摘頂いた部分を修正しました。
34話の「31.星野家の物語は、どこまでも輝いて」で完結しようと思ってるのですが続けるべき…?
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続けるべき
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キリ良いしやめるべき