10秒で泣ける天才子役は2周目の人生では泣かない 作:M1tarash1
「――うん。セリフはこれだけね。本当にただの、通行人Aみたいな超脇役。これならパパやママの耳に入る前に、静かに終わらせられる……」
カミキプロダクションの指定した小さな事務所の控室で、陽菜は渡された数行だけのドラマの台本をカバンへと仕舞い込んだ。
男との『秘密の契約』。陽菜が彼らの用意したドラマの現場に協力する代わりに、星野家の平穏には二度と触れさせないという密約。あいつらの狙いが何であれ、自分がこの小さな役割を演じきり、人形としての価値を支払えば、大好きなパパとママの日常は守られるはずだった。
「お疲れ様、陽菜ちゃん。次の撮影スケジュールはまた連絡するよ。……お父さんたちには、ちゃんと『友達の家に遊びに行ってた』って言うんだよ?」
「……分かってます」
演出家の男の部下であるスタッフに冷たい視線を浴びせ、陽菜は足早に事務所を後にした。胸の奥に広がる罪悪感と、家族を守れているという奇妙な安堵感。中学生の小さな背中には、あまりにも重すぎる『嘘』だった。
――午後七時、星野家のリビング。
ガラガラ、と玄関のドアが開く。
「ただいまー……。ごめん、友達の家で宿題教えてもらってたら、遅くなっちゃった」
陽菜はいつものように、完璧に「普通の娘」の笑顔を作ってリビングのドアを開けた。食卓には、かなが作った温かい料理が並んでいる。
いつもなら「おそーーい! 心配したじゃない!」と真っ先に飛んでくるはずのかなが、なぜだかキッチンに立ったまま、おろおろとした様子でダイニングテーブルの方を見つめていた。
リビングのソファには、まだ部屋着にも着替えず、病院のスーツ姿のままのアクアが座っていた。
その瞳の奥には、いつも陽菜に向けてくれる優しい光は微塵もなかった。かつて彼が人生のすべてを懸けて復讐に狂っていた頃の、あの底知れない、凍りつくような『漆黒の星』が禍々しく灯っている。
アクアは静かに立ち上がると、陽菜の目の前へと歩み寄った。リビングの空気が、一瞬で氷点下へと叩き落とされる。
「……陽菜。どこ行ってた」
低く、地を這うようなアクアの声が響いた。それは、ただの父親の心配などではない。陽菜の嘘を、その裏にあるカミキプロダクションとの密約を、完全に、すべて見抜いている男の本気の詰問だった。
「え……? だから、友達の家で宿題を――」
「嘘をつくな!!」
ドン、とアクアが近くの壁を強く叩きつけた。凄まじい衝撃音がリビングに響き渡り、かなが「アクア……っ!?」と短い悲鳴を上げる。
「お前が友達の家になど行っていないことくらい、見ればすぐに分かる!俺やかなに隠れて、どこの誰と会っていた!……カミキプロダクションの男だな!?」
アクアの瞳にあるのは、本気の、そして烈火のごとき怒りだった。
なぜお前がそんな泥をかぶる必要がある。なぜ、自分が命に代えても守ると誓った我が子が、かつての自分と全く同じ『哀しい自己犠牲』へ自ら飛び込んでいくのか。その焦燥と怒りが、アクアを怪物へと戻していた。
だが、すべてを知る陽菜もまた、ただ怯えるだけの子供ではなかった。
陽菜はアクアの『漆黒の星』を真っ向から睨み返し、かな譲りの強い声で激しく怒り狂った。
「そうよ!! あの人のところへ行ってたわよ!! それの何が悪いの!?」
「陽菜、お前……っ!」
「パパのせいじゃない!! パパがあんな怖い顔して、裏で危ないことしようとするからでしょ!? あの人は、私が言う通りにしないと、パパやママの周りをずっとうろついて、このお家の平和を全部壊すって言ったのよ!! だったら、私がちょっとくらいドラマの脇役で出れば、パパもママもこれ以上危ない目に遭わなくて済むじゃない!! なんでそんなに怒るのよ!?」
「いい加減にしろ!! お前が身代わりになって掴む平穏など、俺たちには一ミリの価値もない!!」
「パパだって昔、1人で全部背負って死のうとしたくせに!! 私に偉そうなこと言わないで!!」
激しくぶつかり合う、アクアと陽菜の怒号。
それは、お互いが相手を「何よりも大切に想っている」からこそ絶対に譲れない、本気の親子喧嘩だった。
「ちょっと、二人とも……何、何の話をしてるのよ……っ!?」
ダイニングテーブルの横で、かなは完全に困惑し、震える声で二人を見つめていた。
なぜ、目の前でアクアが昔のあの恐ろしい復讐者の目をしているのか。なぜ、陽菜が叫んでアクアと怒鳴り合っているのか。
かなには、何も分からない。
アクアも陽菜も、かなにこれ以上の絶望を思い出させたくない、心配をかけたくないという一心から、あえて彼女には詳細を一切伝えないまま、二人の間だけで感情を爆発させていたのだ。
「ママには関係ない!!」
陽菜は涙をボロボロと溢れさせながら叫ぶと、かなの制止の声を振り切り、リビングのドアを激しく叩きつけて自分の部屋へと駆け上がっていった。
バタン、という重い音が響き、静まり返るリビング。
かなは、息を荒くして拳を握りしめている夫の背中を、悲痛な目で見つめた。
「……アクア。ねえ、私に隠れて、陽菜と何の話をしてるの……? 2周目までやってあんたを救った私に、まだ隠し事をするつもり……?」
かなの困惑と、胸を締め付けられるような問いかけに、アクアは瞳の漆黒の光を揺らしながら、ただ静かに、拳を強く握りしめることしかできなかった――。