10秒で泣ける天才子役は2周目の人生では泣かない 作:M1tarash1
番外編04.天才女優の熱血レッスンと過保護なドクター
星野家のリビングは、臨時の演劇スタジオと化していた。
「違うわ陽菜! そのセリフ、ただ台本通りに綺麗に喋ればいいんじゃないのよ。演劇部の最初の発表会でしょ? あんたの役は、主人公の背中をそっと押してあげる親友の役。だったら、もっと言葉の端々に、相手を想う『本物の温かさ』を乗せなさい!」
「はいっ、先生! ……君なら、絶対に大丈夫。私はいつでも、君の味方だから」
「そう、今の響きは悪くないわ! でも視線がまだ泳いでる、もっと相手の目を真っ直ぐ捉えて!」
ソファを端に寄せたリビングの真ん中で、かなによる陽菜への演技指導が白熱していた。身内だからといって一切の妥協を許さないかなの指導は、まさに2周目の人生を這い上がってきた大物女優のそれだった。陽菜もまた、母親の放つ圧倒的なオーラに目を輝かせながら、その技術をスポンジのように吸収していく。
そんな二人の熱気溢れる空間に、カチャリ、と無機質な音が響いた。
「そこまでだ。かな、陽菜、一回休憩にしろ」
台所から現れたアクアが、二人の間のダイニングテーブルに、冷たいスポーツドリンクと、細かくカットされたバナナの皿を静かに置いた。病院のスーツ姿のままで、その手にはなぜかストップウォッチと、細かく書き込まれたノートが握られている。
「ちょっとアクア、今いいところなんだから邪魔しないでよ」
「邪魔ではない、プロとしての体調管理の忠告だ。かな、今の陽菜の連続発声時間は二十五分を超えている。中学生の未発達な声帯に、これ以上の負荷をかけ続けるのは医師として見過ごせない。それに陽菜、右足の重心が僅かに後ろにブレている。疲労による乳酸の蓄積が始まっている証拠だ」
「パパ、私まだいけるよ……!」
「ダメだ。陽菜、お前は可動域を超えた動きを要求されて、無意識に筋肉を緊張させている。まずは水分を補給して、三分間のストレッチを行え」
大真面目な顔で、医師としての(そして重度の親バカとしての)プロ監修を始めるアクア。かなはハァ、と大げさにため息をつきながら、バナナを一切れ口に放り込んだ。
「あんたねぇ、演劇部の基礎練習にそこまでガチガチの医学データを持ち込まないでくれる? 芝居っていうのはね、多少の無理を熱量に変える瞬間だって必要なのよ」
「それは一昔前の古い精神論だ。俺がこの家にいる以上、我が子の身体に一ミリの無理もさせるつもりはない。ほら陽菜、アキレス腱を伸ばせ」
「あはは……パパ、本当に過保護なんだから」
陽菜は苦笑しつつも、ドリンクを飲みながらパパの言う通りにストレッチを始める。厳しくも自分を最高の役者に育てようとしてくれるママと、世界一の医療サポートで自分を絶対に傷つけないように見守ってくれるパパ。
リビングに響く賑やかな声を聞きながら、アクアは瞳の奥を優しい光で満たしていた。かつて復讐の闇にいた自分が、今、こうして愛する妻と娘の「お芝居」を全力で支えている。この他愛のない星野家の日常こそが、何よりも輝かしい、彼らの本当の幸福の姿だった。