推しの子×ジョン・ウィック物 作:ウィック好き
その日の早朝、蓮は友人の家でクリスマスパーティをして帰る所だった。
中学の制服のままなのは昨日の学校終わりにそのまま友人の家に向かったからだった。
友人の家は8階にあったが、その日は何故か一度7階の廊下を見る為に降りていた。
本当のところは自分でもよく分かっていなかった。ただ、胸の奥のあたりがざわついて、家に真っ直ぐ帰る気になれなかった。
こういう感覚は、物心ついたときからずっとあった。
人混みの中で、なぜか誰よりも先に「あ、ぶつかる」と分かる。階段で誰かがふらついた瞬間、考えるより先に体が動いて支えている。母親には「反射神経がいいのね」と笑われ、父親には「筋がいいな」とだけ言われて終わる程度のことだった。父の指導で幼い頃から護身術を習っていたし、体も動かしてきたせいだと、蓮自身もそう思っていた。
だから今回のこの胸騒ぎも、きっと大したことじゃない。
そう思っていた。
早朝の閑静なマンションの一角で、蓮の足が止まったのは本当に何の前触れもなかった。ただ、フードを深く被った1人の男がとある一室のドアの前で花束を持った佇んでいるのが見えた。
その男がインターホンを押して中から返答が聞こえた。
気のせいかもしれない。
そう思う自分と、体はもう動き出していた自分がいた。
玄関のドアが開き、男が手にしていた花束の中から刃物の様な物を持ち、構えたのが視えた。
玄関のドアを開け対応しようとした女性の顔は、蓮でも見覚えがあった。テレビや雑誌で何度か見た、今をときめくアイドルグループB小町のメンバー――アイだ。
考える時間は、なかった。
蓮は身体に染み付いた護身術の技を男に繰り出す。
「――は?」
男が振り返るより早く、蓮は間合いを詰めていた。刃物を持つ腕の関節を極め、体重を利用して男を床に叩きつける。教わったことなど何一つ思い出している暇はなかったのに、体は勝手に、まるで何百回もこなしてきた動作のように、無駄なく、正確に、男を制圧していった。
男の手から刃物が転がり落ちる。蓮はそれを蹴って遠ざけると、抵抗を続けようとする男の腕をさらに極めた。低い呻き声が上がる。
「……っ、いてぇ、いてぇって……!」
「大人しくしてください」
自分の口から出た声が、思っていたよりずっと落ち着いていることに、蓮自身が一番驚いていた。
床にへたり込んだままのアイが、荒い息をしながら蓮を見上げていた。頬に薄く血の筋がついている。深い傷ではなさそうだが、それでも尋常な光景ではない。
「だ、大丈夫、ですか」
蓮が声をかけると、アイは何度か瞬きをしてから、震える声で答えた。
「……大丈夫、たぶん。……あなた、誰?」
「近くを通りかかっただけの、中学生です」
自分で言っていて、あまりに現実味のない説明だと思った。それはアイも同じだったのだろう、男を押さえつけたまま平然としている目の前の少年を、しばらく信じられないものを見るような目で見つめていた。
その時、ガチャッとリビングに繋がるであろう扉から1人の金髪の子供が顔を出した。
「か…アイ?凄い音がしたから一応警察を呼んだんだけど大丈夫…?」
そう呟いた子供はアイさんの頬に血が付着しているのを見て一目散に駆け寄った後、こちらの存在に気が付きこの場の異様さを悟ったらしかった。中々に聡明そうな子である。
やがて遠くからサイレンの音が近づいてくる。
警察が到着し、男が連行されていくのを、蓮は少し離れたところから眺めていた。制服姿の刑事に「もう一度話を聞かせてほしい」と言われ、名前と連絡先を伝える。その間際、連行されていく男が、要領を得ない調子で何かをぶつぶつと呟いているのが、蓮の耳に微かに届いた。
「……誰かが、教えてくれたんだよ……ここにいるって、誰かが……」
何を言っているのか分からなかったし、正直、それどころではなかった。事情聴取だ、保護者への連絡だと慌ただしく事が進む中で、その言葉は蓮の記憶の隅に、特に意味を持たないまま埋もれていった。
全てが落ち着いたのは、日没する少し前だった。
12月の日没寸前だからかとても寒かった。
救急隊員に傷の手当てを受けたアイが、担架に乗せられる直前、1人の強面な大人を連れて蓮のところまでわざわざ歩いてきた。
「俺は苺プロダクションの社長で、こっちがウチに所属してるアイだ。君のお陰でウチのもんが助かった。感謝してもしきれない……」
そう言いながら強面の彼は名刺を渡してくれた。
「あ〜まあ、間に合って良かっです」
斉藤壱護と言うらしい彼に無難な返答を返すと次はアイから謝意が述べられた。
「……本当に、ありがとう」
「いえ。たまたま、通りかかっただけなので」
「たまたま、って」
アイは苦笑いを浮かべた。血の気の引いた顔に、それでもどこか芯の強さを感じさせる笑みだった。
「あんな動き、たまたまでできるものじゃないと思うけど」
蓮は何と答えていいか分からず、曖昧に頭を掻いた。
「――名前、聞いてもいい?」
「蓮です。星野、蓮」
嘘だった。名字は星野ではない。とっさに口をついて出た、意味のない冗談のようなものだった。アイはきょとんとした後、小さく吹き出した。
「星野は、私の名字なんだけど」
「あ〜…すみません、なんか、口が滑りました」
「ふふっ変な子」
そう言って、アイはようやくいつも通りの、少し悪戯っぽい笑みを見せた。
この日のことは、その後しばらく世間には知られなかった。事務所側の意向で大きく報道されることはなくB小町のドームライブは無事成功したらしい。また、蓮の名前が表に出ることもなかった。ただ、この一件をきっかけに、アイは個人的に蓮へ連絡を取るようになる。
最初は感謝の言葉を伝えるためだけだったはずのそのやり取りは、やがて思わぬ方向へと転がっていく。
「ねえ、蓮くん。うちの事務所、興味ない?」
電話越しに投げかけられたその一言が、蓮の人生を大きく変えることになるとは、この時の蓮はまだ知らない。
ただ、妙な胸騒ぎだけは、その日以来、ぴたりと収まっていた。
間違えて消したので再掲です