推しの子×ジョン・ウィック物 作:ウィック好き
不定期に投稿しますが、元々去年位に書いてたものだったので、書き方が多少変わってるかもしれません。
蓮が星野家に出入りするようになって、もう半年近くが経っていた。あの事件の後、アイが個人的に連絡を取ってきたのを皮切りに、いつの間にか事務所の先輩後輩という関係を越えて、こうして子守を頼まれるほどの間柄になっている。
最初のうちは戸惑いもあった。命を助けたとはいえ、赤の他人の中学生をここまで信頼していいものだろうか、と蓮自身が思っていたくらいだ。だが双子の面倒を見るうちに、その心配は少しずつ意味を失っていった。ルビーの無邪気さも、アクアの生意気さも、蓮にとってはいつの間にか、放っておけない存在になっている。
星野家のリビングは、いつも通り賑やかだった。
アイの仕事に付き合って何度か顔を出すうちに、蓮はすっかりこの家に上がり込むのが日常になっていた。今日もアイの撮影の合間、双子の子守を頼まれて訪れている。マンションのインターホンを鳴らすと、返事の前に子供の足音が二人分、玄関へと駆けてくるのが聞こえた。
「蓮くん、また来たー!」
ドアが開くなり真っ先に飛びついてきたのはルビーだった。まだ四歳になったばかりだが、人懐っこさは既に一級品だ。
「こんにちは、ルビーちゃん。今日は何して遊んでたんだ?」
「あのね、きょうね、こうえんでね、はっぱいっぱいひろったの!」
「へえ、すごいね。見せてくれる?」
「うん! まってて、いまもってくる!」
ルビーが奥の部屋へ駆けていくのと入れ違いに、玄関の陰から、腕を組んだ小さな男の子がじっとこちらを睨みつけていた。アクアである。
「……蓮」
「ん? どうした、アクア」
「僕、強くなった」
「そっか。よかったな」
「嘘じゃない。本当に、強くなったんだ」
どうやら今日は、いつも以上に対抗心を燃やしているらしい。蓮はアクアのこういうところが、正直なところ結構好きだった。星野家の子供たちの中で、アクアだけは蓮に対してどこか挑戦的な態度を崩さない。しかも他の四歳児と比べて妙に言葉遣いが大人びていて、時々こちらが調子を狂わされる。
靴を脱いで上がりながら、蓮はソファに荷物を置いた。
「強くなったって、具体的に何をしたんだ?」
「毎日、腕立てしてる」
「腕立て伏せ? 四歳児が?」
「十回を、三セット」
「セット数の概念があるのがもう普通じゃないんだけど……。誰に教わったんだ、それ」
「テレビ」
「テレビの何を見てそうなったんだ」
アクアは答えず、ただじっと蓮を見つめ返してくるだけだった。この妙に大人びた無言の圧力にも、蓮はもうすっかり慣れつつある。
「まあ、努力してること自体は偉いと思うよ」
「褒めてるつもりか」
「褒めてるつもりだけど」
ちょうどそこへ、葉っぱの束を両手いっぱいに抱えたルビーが戻ってくる。
「みてみて! これぜんぶ、こうえんでひろったの!」
「すごいな、色が全部違う。これは何の葉っぱだろうな」
「わかんない! でも、きれいでしょ!」
「きれいだな」
しばらくルビーの葉っぱの説明――どの葉っぱがどこに落ちていたか、という詳細な報告――に付き合っていると、アクアが痺れを切らしたように割って入ってきた。
「蓮。前から言おうと思ってたけど」
「なんだ、改まって」
「僕と、勝負しろ」
「勝負、ねえ」
蓮は少し考える素振りを見せたが、断る理由もなかった。何しろこの後、アイが戻ってくるまでの時間、双子の相手をするのが今日の仕事だ。
それに、と蓮は思う。アクアがこうして真正面からぶつかってくるのは、決して悪いことではない気がしていた。ルビーが素直に懐いてくるのとは違う形だが、それもまたこの子なりの距離の詰め方なのだろう。
「じゃあ、勝負する?」
蓮が軽い調子で提案すると、アクアの目がすっと細くなった。
「する。受けて立つ」
「よーし。ルビーちゃんも見てて」
「みるー! わたし、しんぱんする!」
「審判、頼んだ」
リビングの広めのスペースで、簡単な勝負のルールを決める。子供相手ということもあり、蓮が提案したのは「じゃんけんで勝った方が相手を追いかけて、五秒以内にタッチできたら勝ち」という、取っ組み合いというよりは鬼ごっこに近いルールだった。ソファやテーブルの角には、念のため蓮がクッションを寄せておく。
「じゃんけん、ぽん」
アクアがチョキ、蓮がグー。
「よし、俺の勝ち。逃げていいぞ」
「逃げない。僕が捕まえる」
「そういうルールじゃないんだけどな……」
律儀にルールを説明しようとする蓮に構わず、アクアは全力で突進してきた。とはいえ、まだ小さな体である。蓮からすれば、その動きは可愛らしいと言っていいほどゆっくりに見える。
「――っと」
軽く体をずらすだけで、アクアの突進はあっさりと空を切った。勢い余ってフローリングに転がりそうになるのを、蓮はさりげなく支えてやる。
「……もう一回」
アクアが悔しそうに、しかし表情はあまり崩さずに立て直す。ルビーがそれを見て、けらけらと笑っている。
「アクア、おそーい!」
「うるさい」
「がんばえー、アクア!」
「応援するなら、どっちかに決めろ」
ルビーの気まぐれな声援を浴びながら、アクアは何度も突進を繰り返した。二度目は角度を変えて右から。三度目はソファの陰から回り込むようにして。四度目にはルビーの足元を利用して視界を遮ろうとする、なかなか小賢しい作戦まで飛び出した。子供の体でよくそこまで考えるものだと、蓮は内心で少し感心していた。
「今のはちょっと惜しかったな。ちゃんと重心を見て動いてる」
「重心って、なに」
「体の真ん中の、バランスの取れてる場所のこと。そこを崩されると、人間って踏ん張れなくなるんだ」
「……重心」
アクアはその言葉を頭の中で反芻するように、しばらく黙り込んだ。四歳児にしては真剣すぎる横顔だった。それからまた突進しては、また空を切る。その繰り返しだった。
結局、その日の勝負はアクアの十連敗という結果に終わった。もっとも蓮の側は本気を出すどころか、常に八割方は手加減している。それでも子供の体力には限界がある。最終的に、息を切らしたアクアがリビングのラグの上にぺたんと座り込む頃には、窓の外もすっかり夕暮れに染まっていた。
「……悔しい」
「筋はいいと思うぞ、アクア」
「慰めなくていい」
ぷいと顔を背けるアクアの隣に、蓮はしゃがみ込んだ。
「慰めてないよ。本当に、動き自体は悪くない。重心の見方も、フェイントの入れ方も、教わったわけでもないのに自分で考えてやってるだろ。もっと大きくなったら、ちゃんと教えてやってもいいけど」
「……本当に?」
「本当に」
アクアはしばらく黙って蓮を見ていたが、やがて小さな拳をぎゅっと握りしめた。
「じゃあ、大きくなったら、必ず勝つ。覚えてろよ」
「楽しみにしてる」
蓮は軽くそう答えたが、その時のアクアの目には、幼いながらもどこか妙な鋭さが宿っていたことを、蓮はまだ深く気に留めていなかった。
傍らでは、勝負そっちのけで葉っぱを並べて何かの模様を作っていたルビーが、満足げにそれを見下ろしていた。
「できたー! みて、はなのかたち!」
「お、本当だ。上手いな」
「アクアのは、ぐちゃぐちゃ」
「僕のじゃない」
「あるじゃん、ほら、さっき負けた時にふんじゃったやつ」
「……あれは事故だ」
兄妹のじゃれ合いに付き合いながら、蓮は少しだけ考える。この体質――危険を妙に察知してしまうこの感覚――のことを、いつかこの子たちに話す日は来るのだろうか。今はまだ、想像もつかない未来のことだった。
夕方、仕事を終えて帰ってきたアイがリビングの様子を見て、呆れたように笑った。
「また蓮くんに構ってもらってたの?」
「別に」
「アクア、蓮くんに十回も負けてたよ! わたし、ぜんぶかぞえてた!」
「ルビー」
「え、十連敗?」
アイが目を丸くすると、アクアは耳まで赤くしながらそっぽを向いた。それでも、その足取りはどこか軽やかだった。
「今度こそ勝つ」
「はいはい、楽しみにしてる」
玄関先まで見送りに出たアイが小声で尋ねた。
「アクア、本当にそんなに動けたの?」
「動けたというか……年齢の割に、動きの理屈を理解しようとするのが早いです。重心とか、フェイントとか、教えてもいないのに自分で考えて仕掛けてくるので。多分、頭がいいんだと思います」
「そう。……蓮くんがそう言うなら、そうなんだろうな〜」
アイは少し嬉しそうに、そして少しだけ複雑そうに微笑んだ。
「あの子、あんまり甘えるのが得意じゃなくて。だから、蓮くんに対抗心を燃やしてる姿を見ると、なんだか安心する」
「そういうものですか」
「そういうものだよっ☆」
蓮には、その母親としての機微はまだよく分からなかった。ただ、アイがそう言って笑うのを見ると、なんとなく悪くない気分になるのだった。
マンションのエレベーターに乗り込み、一階まで降りる間、蓮はふと自分の右手を見た。今日の勝負で使ったのは、ほんの遊び程度の力加減でしかない。それでも指先には、まだ微かに緊張の余韻が残っている気がした。
この体はいつでも、本気を出せば人を壊せる。その事実と、さっきまで無邪気にはしゃいでいた双子の姿が、蓮の中でどうにも噛み合わない。噛み合わないまま、それでいい、と蓮は思うことにしていた。壊すための力を、壊さないために使う。それだけで十分だ。
エントランスを出ると、夜風が少し冷たかった。友人の家から帰宅しようとしたあの時からもう二年近くが経とうとしている。あの時感じた妙な胸騒ぎは、あれ以来一度も戻ってきていない。
こうしてこの日以来、アクアの中で「いつか蓮を超える」という小さな目標が、静かに芽生えることになる。それが後に、彼自身の人生をどう動かしていくのか――この時はまだ、誰も知らない。