包丁が無くても、貴方には手があるじゃない。
鈴木智恵
三対の翼をはためかせ真っ黒なブレスを吐く漆黒のドラゴン。黒色のドラゴン。あからさま、中ボスとか特定イベントのボスみたいな形相の魔物が牙を向いて空を舞う。
「ヤバァ……」
あまりの強者感に、身震いを感じる。
どの攻撃も、ひとたび街に届けば、一瞬にビルや建物は崩落し、多くの人が死に至るだろう。
ふと隣から暖かく柔らかい何かを感じて、横を見る。
虹色のオーラを纏わせた白とピンク色のふわふわなバトルドレスを着た少女がいた。その子が手をかざすと、白色の無数の光の筋が螺旋を描きながら、ドラゴンを追う。
ドラゴンは上下左右に避け続けるが、白い光の筋はドラゴンを追うことをやめず、やがて一つが突き刺さる。
ドラゴンの悲鳴が響き渡り、ビルや建物のガラスが震える。ドラゴンの失速した体に、次々と白い光の筋が一斉に突き刺さり、巨大な体を埋め尽くす。
白い光の塊になり、その光が弱くなり、やがて消える。
その時には、そのドラゴンという存在は消えて、何事もなかった街の空だけが残る。
世界最強の魔法少女サナが一息吐いて腕を下ろした。
汗ひとつない、涼しい顔。にこりと私、魔法少女チエに顔を向ける。
その美しい顔や私たちの真の姿を捉えようとドローンが近寄ってくる。
「じゃあ、今日も帰りますか!」
サナが私の手を取り空へ舞った。
夕暮れ前の空気が、頬をひやりと撫でていった。
ーーー
この世界には魔法少女協会というような名前のものだとか魔法少女を保護してくる機関はない。
多分、世界最初の魔法少女がサナで、敵があからさま強くてもサナ一人でなんとかできてしまうことが原因だと思う。
サナが大きな怪我を負うことも、街に大きな被害もない。
サナが強すぎるし、魔法少女の先行者であったことから、魔法少女が何を必要としているか、何に困っているかなんて本人くらいしかわからない。
サナがいなくなったらどうなるか、サナが死んだらどうなるか……。
サナを援助してあげて魔法少女の仕事をしやすくしてあげようとか……。
新しい魔法少女の存在を探したり、保護した方がいいとか……。
そういったことがすっかり抜け落ちてしまっているのだ。
本当に危ないとかも、という場面を皆が経験してないから。
ふと私は、ビジョンを使う。
説明しよう。
魔法少女チエが変身解除後も使える、少し遠くの未来から直近の未来まで見えるチートだよ。
この前、
ビジョンを使えば株で一儲けできんじゃね?
そう思い立ってビジョンを使おうとしたら、パソコンの前に雷が落ち、ビジョンで次の瞬間を見たら自分に雷が落ちてマルコゲになっていた。
素早く土下座して自分を転生させた神様に謝って事なきを得た、超強力で、規制も飛び切り強いクソチートだよ。
そのビジョンで見えるのは、自宅で倒れたサナの姿。
顔色は青白く、息は止まっている。
病院の廊下で、極度の栄養偏重により身体を壊して死んだことを医者から告げられ、泣き崩れるサナの両親。
そして、残された私がたった一人で魔物に挑み、あっけなく喰い殺されて人類が滅亡する結末。
ビジョンを止める。
栄養の偏りの理由はわかっている。
サナは自炊が出来ない。
アルバイト先のコンビニの廃棄弁当と学食、あとお菓子で食事を賄っている。
だから、栄養の偏りがやばい。
もちろん外食の選び方で偏りもできるけれど、それにだって限界があるし、お金がもたない。
この世界の魔法少女は魔物を倒したって何一つ収入はない。
サナが自炊が出来なければ、人類は確実に詰む。
ーーー
ドローンから逃げ続け、街の路地裏にたどり着き、変身を解除する。
見た目が14歳の正統派魔法少女サナから、18歳の大学一年生の桜紗奈に戻り、見た目13歳メスガキ系魔法少女チエの私は13歳メスガキ系中学生鈴木智恵に戻る。
「ところでさ、サナさん、いつまで魔法少女やるの?」
「そんなの決まってんじゃん。魔物や怪人が出なくなるまで、生涯現役だよ!」
サナ婆さんになってもフリフリふわふわバトルドレスコスチュームを着て戦うのか……変身したら年齢は14歳くらいに戻るかもしれないけど……。この子、性格いいのか天然なのか……それともクソ真面目なのか……。
「よーし、今日は仕送りももらったから、このサナお姉さん、ラーメンでも奢っちゃうよ」
サナが自信満々に財布を取り出す。可愛らしい赤色の二つ折りの財布を私に見せた。
顔には、私に任せろ、と書いてある気がする。
そもそも、そのお金は親の金だよね?
親から貰ったお金の使い道はなめたらいけない。中身大人として本題をぶち込んだ。
「自炊するんじゃなかった?」
「えっ、いやぁー、たまには……」
目を見つめると、目がバタバタと犬かきするように泳ぎ始めた。
叱りつけるのは良くない。
数少ない魔法少女のパートナーだ。
やんわりと自炊するように誘導するのも大人のテクニックだ。
「お米、炊けるようになったんでしょ。それならサナさんの手料理のほうがいいなぁ」
私はわざと目つきを緩め、上目遣いに小首を傾げてみせた。人のいいサナは、こう言われると断りにくいことを知っている。少々恥ずかしいが、背に腹は代えられない。情に厚いサナは、こういう頼み方に弱いのだ。
「うっ……その普段の目つき悪いキャラから一変して可愛らしい雰囲気になってお願いするの、ずるくない!?」
サナが両手で顔を覆いながら、指の隙間からこちらを見る。
「なんのことかな? チエ、全然わかんなーい」
「絶対わかってるよね!」
しばらく悩んだ後、サナは観念したように肩を落とした。
「お米と、ふりかけぐらいしかないんだよねぇ……」
他に料理作れないのかよ……。いや、まだ自炊に挑戦したばかりのひよっこなのだ。褒めよう。褒めて伸ばそう。今の子は打たれ弱いのだ。
「それでも、自炊できるようになったんだ! えらい! サナ姉ちゃんえらい!」
「え、それほどでも……」
サナがちょっと嬉しそうにする。
世界最強の魔法少女の大学生が、13歳の私に褒められて喜んでいる。
……なんだこれ。
「お米が炊けたら、あとはレトルトで済ますのも自炊のテクニックの一つなんだよ。でも、他にも作れるといいよね。お肉料理とか卵料理とか」
サナが少しだけ困った顔をした。
「あ、あのさ、何を買えばいいのかなって」
「どういうこと?」
「あれ作ってみたいな、これも作ってみたいな、とは思うんだけど……材料を見ると、その料理以外では使わないものとかあるじゃん?」
「あー」
「結局、余って腐らせるよね」
「あるある」
「だから、どうしたらいいのか分からなくて。買い物ができない」
一人暮らし入門者のあるある失敗例だ。
何を買えばいいかわからない→とりあえず作りたい料理ための材料を買う→その料理以外に使わなくて腐らせるor数ヶ月後に冷蔵庫の奥から謎の何かが発掘される
私にもそんな経験はある。
何度も失敗し、腐らせて捨てたり。もったいないからと口にして、ちょっと臭う牛乳や痛んだ肉にお腹を破壊されたことがあった。
だけど、サナはちょっと違った。
「なんていうか、もったいないのよね。だから廃棄弁当貰っちゃう」
サナがぽつりと呟いた一言に、私は少しだけ黙った。だらしないんじゃない。真面目すぎるだけなのだ、この子は。
「コンビニのお弁当、美味しいしさ、食べ物を大切にするのもいいことだけど、自分の健康のために自炊をするの」
物を大切にするのはいいことだけど、自分を大切にすることはもっと大切。
「だから、今日は買い物に行きましょう」
ーーー
スーパーのアックスに入る。自動ドアをくぐると明るいBGMが聞こえてきて、店の入口には色とりどりの野菜と果物が並んでいた。夕方の時間帯、値引きシールを貼る店員の姿がちらほら見え、レジのところには、たくさんの人の列ができている。
「ほ、本当に入るの、チエちゃん? というか、慣れすぎてない?」
何を困惑しているんだ。
ここにいるのはただの人だ。
サナは魔物の軍勢に単身で飛び込んで千切っては投げ、千切っては投げを繰り返すではないか。
「はいはい、びびってないで、カートを押して世界最強さん!」
私は前世の年齢も含めれば48歳。しかも独身。
何も怖いものなどない。魔物以外はね。
あの時も怖いと思っていたことは、将来の孤独死ぐらいだ。
「何から入れたらいいの!? 沢山ありすぎて迷う!」
カートを押しながら目を回すサナの横でメスガキ顔で私は講釈を垂れる。
「栄養価の高くて、生でも調理してもいい野菜とか考えたいけど……とりあえず、今日の分だけにしよう」
もやしのコーナーの前で、サナの足が止まった。値札を二度見している。
「み、見て、もやし一袋10円だって!? 10個くらい買ってい……」
カートの手を掴んで止める。
「スタァープ! もやしそんなに数日間に食べられるの?」
「食べられ……ません」
「もやしは日持ちが悪いので、その日か翌日に食べる分までしか買わないつもりで購入するのが一人暮らしの鉄則! 一人暮らしだとどうしても外食しなきゃいけない日が発生します。ちなみに今日は使わないから買わなくてよし」
「ちなみに、その外食しなきゃいけない日って?」
「サナさんなら、レポートとか研究で遅くなって家に帰るのが遅くなりそうな時とか、お仕事をするようになると、就業間際に明日までの仕事が追加されて職場に残されたり、みんながてんやもの頼むので空気を読んで注文したり、行きたくない急な飲み会に参加する羽目になったり……」
「チエちゃんは今中学生だよね?」
「そうだけど?」
「あ、はい……、なんでもないです。でもさ……もやし安いなあ……」
名残惜しそうにもやしを見つめるサナの背中を押して、次の棚へ。
「ゴミを10円で買うような無駄遣いするのと同じ。でも、気持ちはわかります。
では、今日のメニューに使うトマトをカゴに入れましょう」
艶々と赤いトマトを4つ入りのパックを1つカゴに入れる。
「トマト?」
「トマトは生でも調理もできるし、栄養価も高い。トマトやりんごが赤くなると医者が青くなるって言われたりするの聞いたことない? 体の調子を整えるビタミンCやβカロテン、リコピンを多く含むの」
「へぇー」
私はトマトを手に取った。
「それに、赤い野菜が一つあると食卓がそれっぽくなる」
「それっぽく?」
「大事だよ。自炊は見た目も大事。あと、バナナ好き?」
「嫌いじゃない……好きな方だけど」
バナナの房に手を伸ばし、皮の色を確認してからカゴへ。
「それなら朝ごはんのデザート用でバナナ買おう。朝ごはんがわりにしてもいいけど。バナナはカロリーもそこそこあるし、カリウムや食物繊維も摂れる。カリウムは体の塩分バランスを整えるのを助けて、食物繊維はお腹の調子を整えてくれるし、ビタミン類も入ってる!
それなのに値段は通年安い!
ヨーグルトに混ぜて食べれば食欲のない朝には最適だし、小腹が空いた時の間食としても超優秀!」
「すごい早口!」
「今日のメニューからそれた。卵買いに行くよ」
「卵?」
卵売り場の前で立ち止まり、パックを一つ手に取る。10個入りだ。
「そう、今日のメニューは料理初心者なら最初に通る道、卵料理にしよう。卵は今は高くなっちゃって、一パック300円くらいになっちゃって……」
「300円? 安くない? うちのコンビニ330円だよ」
「基本的にコンビニは、便利な分だけ値段も高め。廃棄弁当もらっているんだから、自分の働くお店の商品を買って貢献してあげるのも大事だけど、安いスーパーみたいなところで基本は買おうね」
「そうなんだ。あんまりスーパーとか他の店見たことないから知らなかった」
「だろうね、コンビニで働いていたら、帰りにそこで買い物するとほぼ揃えらえるしね」
精肉コーナーに移動する。パックの並んだ棚を指でなぞりながら、値札を見比べる。
「次はお肉……だけど、ベーコンにします。この100グラム128円のやつ」
「普通のお肉じゃないんだ」
「加工肉は体に悪いと言われることあるんだけど、ハムもベーコンも便利なんだよね。普通のお肉と販売価格が同じなら買いたいアイテム。調理しなくても食べれるしね」
「お肉は生で食べれないからね」
「半生でなら大丈夫だとか、生大丈夫だと言われているお肉も、お肉に関してはやめた方がいいよ。感染すると腸炎の後、数週間経ってから筋力低下や歩行困難を引き起こすことがある菌もあるから」
「そんなのあるの?」
「あるよ。カンピロバクターって菌。スマホで今度調べるといいよ」
「マジかー。焼肉は半生の方が美味しいって言われてるけどやめた方がいいんだね」
「一時の快楽のために一生涯の後悔。生でヤルのと同じだね」
サナはポカーンとして私を見た。
「ん、どういうこと?」
うっかり子供がわからない下ネタを言ってしまった。いや逆に気づかれたら色々勘ぐられるのでスルーしよう。
「えーと、次は調味料……一式買うかな。砂糖と塩と味噌、醤油、中濃ソース、あと顆粒の和だし、コンソメ、今回使う中華だし」
「この、和だしとかコンソメ、中華だしって?」
調味料の棚から、顆粒のだしを取り出す。
「まあ、味噌汁とかスープの素になる旨み成分の塊だね。これでとっても料理を美味しく手軽に作れるの。だしを取るのすごく手間がかかるし実際の材料から作るとお金もすごいかかるの。しかも日持ちがしない。だからこれは絶対買った方がいい」
「へぇー」
レジ袋がずっしりと重くなる頃には、外はすっかり夕焼け色に染まっていた。
アルミフィルム付きのエコバッグ、そのうち教えなきゃ。
ーーー
【調理!】
髪をハンドタオルで縛る。まるでラーメン屋のアルバイトさんみたいだ。
サナがお米を研ぎ終え、炊飯機にスイッチを入れるのを見届ける。サナが米をちゃんと炊けることに少し感動を覚えた。
「では、本日のメニューのラピュタパンとトマトと卵の中華風炒めを作ります」
「ラピュタパンって?」
「詳しく知ってるの30代から60代の方なんだよね、これ。アニメで出てくる手軽で美味しそうな料理。ハムエッグとかベーコンエッグ、目玉焼きにベーコンとかハムを敷いた料理ね。これをトーストとか食パンに載せるの」
「なんか簡単そうに聞こえるね」
「調理は本当に簡単だけどね、あの、少年と少女が出会って、追いかけられて、洞窟の中で食べる姿はね、なんか胸に来るものがあってね。これを口に含むたびに、あの光景が目に浮かんでね……あの時のドキドキやワクワクが味を三割増しに……」
「えっと、チエちゃん……本当に中学生だよね?」
サナがひきつった顔をしてこちらを見ていた。
「そうだよ、生徒手帳見る?」
「いや、いいんだけど……」
「別に見られても私は怖くないよ」
「いや、私が怖いよ。チエちゃんが本当に中学一年生とかさ!」
なんという失礼なやつだ。
中身はともかく、今世はまだぴちぴちの中学一年生なんだぞ。
一息ついて、サナが少し不安そうな顔をする。
「ところでトマトと卵の中華風炒めって、あんまり美味しそうに聞こえないんだけど……」
こういう反応してくれると実は嬉しい。
実は私もこの料理を知ったのは前世で大人になってしばらく経ってからなのだ。
だから、白々しく驚いて見せた。
「えっ? もしかして知らないの!? 見た目はあっさりだけど、コッテリしていて……まあ作って食べたらわかる」
フライパンを取り出し、コンロに置く。
「まずは、ラピュタパン。
フッ素コーティングのフライパンを使うけど必ずサラダ油を少し垂らします。小さじ一杯くらいかな。
フッ素コーティングのフライパンは強火で空焚きするとすぐに簡単に劣化してしまうから、基本は油を入れてから中火で」
フライパンがじゅわりと温まり、油の匂いが立つ。
「フライパンが温かくなったら、ベーコン二枚くらいフライパンに入れて、片面に焦げ目がうっすらついたら、ひっくり返して卵を割ってその上に一つ落とします。
卵をきれいに割れるようになるまでは別の容器の上で割ってからフライパンに落として。殻が入っちゃうから」
小さな水音を立てて、大さじ2杯ほどの水をフライパンに落とし、すぐに蓋を閉める。湯気が蓋の隙間から立ち上る。蓋の内側で大雨が降っているような音が聞こえる。
「私目玉焼きは半熟派なんだよね」
「わかる。私も。半熟のタイミングは、黄身の上の白身が白くなった頃だね。それが黄色くなると完熟になっちゃうよ。
白くなったら蓋を開けて、フライパンの水分を少し飛ばして、フライ返しでとって、食パンの上に乗せて出来上がり」
「これ、ようは目玉焼きの前にベーコンを焼いて、その上で目玉焼きを作るだけ?」
「そう。それをパンに乗せるだけ。作れそう?」
「これは作れそう」
「でしょ。これはベーコンの塩味が目玉焼きに乗るから、味付けはいらない。簡単な料理だよ」
「これにトマト一個と牛乳一杯をつければ、朝食としてのバランスは一気に良くなる」
私はさっとトマトをくし切りにして皿に盛り付けて、ラピュタパンの横に置く。断面から汁がじわりと滲んだ。
「次はトマトと卵の中華風炒め。まずは卵2個を容器で割って、中華だしのソ海シャンタンを小さじ1ほど入れて溶かします。完全に溶けきらなくてもいいです。はい、ではやってみましょう」
うっ、とサナがうなり、卵を慎重に割る。ぐちゃりとつぶしてしまい、白身と黄身が混ざって出てきた。からは奇跡的に入っていなかった。まあ、入ってしまって間違えて食べてもカルシウムになるだけなんだけどね。
もう一個は不器用ながらもうまくいき、サナが笑顔になる。
「すごいじゃん!」
「私天才!?」
「そうそう、この調子で頑張ってね。次はこの中華だしのソ海シャンタンを削って小さじ1杯分を入れて混ぜる」
「そういえば、この中華だしってスープに使うんじゃないの!?」
「スープ以外にも使えるから、本当に私たちはいい時代に生まれたんだよ。プロみたいな味わい深い料理を本当に簡単に作れる」
「へぇー」
かちゃかちゃと卵と中華だしを混ぜる音がキッチンに響いた。
「それから、トマトをくし切りにして……そういえばサナさん、包丁使えるの?」
「魔物を叩き切るのなら使える……」
「使えない、ね……じゃあ、こうしますか」
私は熱し始めたフライパンの上でトマトを潰しながら千切る。果汁がじゅっと音を立てて広がる。
「えっ、何!? 私をこのトマトみたいに潰してやるってこと!?」
「自虐しない。こういう料理方法もあるってこと。包丁を使わないで千切るだけのね。でも、私はトマトはくし切りにした方が好きだなぁ。
まあ、家で作る料理って完璧を求めるものじゃないんだよ。
はい、ちょっと火を弱くするから、もう一個はサナさんやってみて」
サナの手でトマトが控えめにぐちゃりとつぶされて、大切そうにちぎられフライパンに落とされていく。
「なんか、これ、背徳感がある……。でも、料理は絶対に包丁使わなくてもいいんだね」
「うん。魚を包丁を使わないでさばく、手開きなんて技法はあったりするしね。それはやったことないけど……。トマト2個分を軽く炒めて小さじ1の砂糖をいれ……甘いの好き?」
「甘い味付けの方が好きかな」
「じゃあ砂糖は小さじ3にしようかな。炒めて水分が出てくるでしょ」
フライパンの中で、トマトがぐつぐつと崩れていく。酸っぱい匂いに、甘い湯気が混ざり始めた。
「そうそう、忘れてた。ベーコンを少し千切っていれて、そうしたら次にさっきの卵と中華だしの混ざったものを入れて、少しまぜて、中濃ソースをフライパンにひと回し入れます。
後は卵に火が通れば出来上がり」
黄色と赤が混ざり合い、湯気とともに香ばしい匂いが部屋いっぱいに広がっていく。
ーーー
【実食!】
炊き立てのご飯を茶碗に注ぐ。湯気の甘い匂いが鼻先をくすぐる。
大皿に盛り付けたトマトと卵の中華風炒めをご飯の上に乗せて食べるその前に、ラピュタパンを半分に切り分ける。
トマトの赤。
卵の黄色、白色。
ベーコンの赤茶色。
思っていた以上にあざやな食卓の色だ。
「そうだ、忘れてた……いただきます」
サナが手を合わせた。
「一人暮らしだと言わなくなるよね。いただきます」
私も手を合わせる。
「これがラピュタパンですか……。なんとなく想像つく味だけど、美味しいね」
「これにコショウをかけるとさらに引き締まった美味しさに変わるよ。朝にこれと牛乳とトマトをつければバランスの良い食事になるでしょ」
「なるほど」
サナが感心したように頷く。
そして、目線は大皿のトマトと卵の中華風炒めの方へ向けられる。
「これ、トマトと卵、本当に一緒に炒めたんだ。いい匂いだけど、これ、本当美味しいの?」
「食べてみるんだ。それで全てわかる」
サナが卵とトマトの塊を口の中に入れた。
飲み込むとハッとして口を開いた。
「トマトの酸っぱさと、コッテリとした味わいが……えっ、これトマトと卵と、あと申し訳程度のベーコンしか入ってないよね!?」
「そう、すごく、あっさりしているのにコッテリしているでしょ?」
「うん! これ普通にメインのオカズだよね……なんでこの料理知らなかったんだろ……」
「外食で中華料理屋さんに行ったら、まず選ばないよね。これ実はすごい有名な中華料理の一つなの。でも、材料と値段が一致してない気がするよね。麻婆豆腐とか油淋鶏とかと同じ値段だったりするから。あと、トマトと卵の炒め物って純粋に合わないような気がするよね。でも、すごい合うんだよね」
「これは、食べた人にしかわからないよ……なんで食べてこなかったんだろ!?」
「それとさ、気づいた?」
「えっ、なに?」
私は食卓に指をさす
「調味料以外は、朝ごはんメニューと晩ごはんメニューの材料はほぼ同じでしょ?」
サナの箸が止まる。
「あっ……そうだ……」
「こうやって、冷蔵庫の中身を考えながら今日作るメニューを考えると冷蔵庫の中身は効率良く消費できます。ベーコンが余っていたらレシピに追加したり、トマトは生で食べるとか、今日買った生卵と炊き立てご飯で卵かけご飯で食べたりね」
「一つの料理を作るためだけに材料を買うんじゃなくて、買った材料をどう使い回すかを考える……。自炊って奥が深いね……」
「そう。ちょっとしたパズルみたいなものだよ。いろんな食べ方やレシピを知れば、今まで無理ゲーだった冷蔵庫の中身消費パズルが超簡単になる」
「そうは言われても……」
「大丈夫。少しずつ簡単な料理を作れるようになれば、効率良く冷蔵庫の中身を使えるし、考えつくようになるよ。とりあえずさ、当分買うものは、卵とかトマト、ベーコンみたいな料理したことのあるものをメインに。ときどき挑戦したいレシピの材料を必要な分だけ買う。オーケー?」
「わかったよ……とりあえずさ……」
サナが空になりかけた茶碗をこちらに差し出す。頬がわずかに緩んでいた。
「ご飯、おかわり、いいかな?」
私は恥ずかしそうに差し出した世界最強の魔法少女の茶碗を受け取った。
ーーー
本日のメニューの栄養価概算
【朝食】
・ラピュタパン 1枚
・低脂肪乳 200cc
・トマト 1個
栄養素 摂取量 充足率
カロリー 468kcal 23%
たんぱく質 24.4g 38%
ビタミンC 22mg 22%
βカロテン 835μg 21%
カルシウム 283mg 44%
カリウム 873mg 34%
鉄 2.3mg 22%
【夕食】
・ご飯 150g
・トマトと卵の中華風炒め 1人前
(レシピの半量)
栄養素 摂取量 充足率
カロリー 431kcal 22%
たんぱく質 14.0g 22%
ビタミンC 22mg 22%
βカロテン 827μg 21%
カルシウム 52mg 8%
カリウム 507mg 19%
鉄 1.9mg 18%
【メニューに対する追加アドバイス】
カリウムが不足気味なので、補食としてバナナ一本。
鉄分とカルシウムが不足気味なので小松菜入りの味噌汁を夕食に追加しましょう。
読んでいただきありがとうございます。
9月中旬くらいになると、トマトにはもう飽きているのに、ご近所からトマトをもらって困ることありませんか?
トマトと卵の中華風炒めやトマトソースを作ればすぐ無くなりますよ!