無職転生 異世界行ったら妄想を本気で再現する! 作:ぐちロイド
最初から手加減なしの全力で挑んだものの、元・上級冒険者であり大人であるニルシィの壁はあまりにも高かった。
結果として敗北。だが——足払いとアクロバティックな身こなしで体勢を崩させ、死角からの不意を突いた一瞬の隙に、ニルシィの脇腹へ木剣の先を「一撃」だけクリーンヒットさせることができた。
「ハァ……ハァ……ハァ……っ」
全身から滝のように汗が吹き出し、息が乱れる。5歳児の限界を超えた負荷に、太ももと腕の筋肉が生まれたての小鹿のようにプルプルと震えていた。
「いやー……参った参った! まさか本当に一撃入れてくるとは思わなかったよ!」
ニルシィは脇腹を押さえながら、どこか嬉しそうに八重歯を覗かせて大笑いしていた。シアン色のポニーテールが汗で少し首筋に張り付いている。
俺が肩で激しく息をしながら地面に木剣を突き立てて体を支えていると、呆然と一部始終を見ていたパウロとルーデウスが歩み寄ってきた。
「おいおい……マジかよ。ニルシィのやつ、剣神流の『上級』相当だぞ……? それ相手に5歳のガキが一本取るか普通……」
パウロは頭をガシガシと掻きむしり、信じられないものを見る目で俺とニルシィを交互に見つめていた。
「ああ見えてアレンのやつ、剣の筋だけじゃなく体術のセンスがズバ抜けてやがる。普通ならあり得ないアクロバティックな軌道で間合いを狂わせてきやがった。パウロ、お前が教える水神流で体幹と守りを固めさせたら、数年後にはとんでもない化け物になるぞ」
ニルシィとパウロが、俺の剣術の組み立てや体術との相性について熱っぽく意見を交わし始める。
その横で、ずっと黙っていたルーデウスが、どこか複雑な表情を浮かべながら俺に話しかけてきた。
「……すごかったよ、アレン。あんな動き、どうやって思いついたんだ……?」
純粋な感嘆と、ほんの少しの焦燥が混ざったような声。
俺はゼニス譲りの金髪を手でサッとかき上げ、呼吸を整えながら短い視線を向けた。
前世の記憶を持つ俺にとって、ルーデウスは双子の兄ではあるが、同時に「無職転生」の主人公だ。余計な干渉をして歴史の歯車を狂わせるつもりもなければ、ベタベタと仲良く馴れ合う気もない。だから俺は、いつだって彼とは必要最低限の会話しか交わさないようにしていた。
「……別に。頭の中にあった動きをそのまま試しただけだ」
淡々とそれだけ言い捨て、俺はパウロの方へと向き直った。
「パウロ。次は水神流の基礎を教えてくれ」
「お、おう! そうだったな!」
パウロはニルシィとの会話を切り上げ、水神流の基本的な「架け」の構えと、相手の斬撃を受け流す際の「力の逃がし方」を説明し始めた。
相変わらず「相手の剣が来たら、ヌルッと手首を返してスッと逸らすんだ!」といったクソみたいな擬音混じりの説明だったが、俺は前世の物理知識と武術の理屈で脳内変換し、軽く木剣を使って受け流しの型を試してみた。
身体が悲鳴を上げていたため、今日のところは型を数回確認する程度で終了。
こうして、5歳の誕生日の翌日における怒濤の稽古は幕を閉じたのだった。
◇
夕方——。
行水を済ませて汗を拭った俺は、夕食前の僅かな時間を使って2階のニルシィの部屋へと向かった。
部屋に入ると、ニルシィはベッドに長身を投げ出し、相変わらず胸元をゆるめたラフな姿でくつろいでいた。
「よう、アレン。身体は大丈夫か?」
「筋肉痛で全身が痛いがな……。それより、さっきの反省会だ」
俺は床に腰を下ろし、今日の模擬戦での自分の動きを客観的に分析し始めた。
「最後の一撃は入ったが、あれは初見の奇襲だから通じただけだ。蹴りや体術を挟む時に体幹がブレて、ほんのコンマ数秒の隙ができていた。それに、連撃と剛撃の切り替え時に魔力の補助(身体強化)が追いついていない」
「ほう……5歳でそこまで自分の戦闘を客観視できてんのは大したもんだよ」
ニルシィは起き上がり、シアン色の瞳を細めて感心そうに頷いた。
「指摘の通りだ。お前のその『変幻自在スタイル』は強力だが、身体の軸がブレたら一発で自滅する。蹴りを出す時ほど背筋を伸ばし、軸足を地面に叩きつけろ。あと、打ち込む瞬間に右手の『星屑の錬成』で短剣を顕現させるイメージを持つなら、剣を振る動作と魔力練成のタイミングを完全に合致させなきゃならんぞ」
「……ああ。そこが一番の課題だな」
ニルシィとの反省会は、いつも非常に有意義だった。
俺のやりたい「オリジナル近接錬成戦闘」の弱点を的確に突き、具体的な修正案を出してくれる。まさに最高の家庭教師(指導者)だった。
◇
やがて夜になり、家族と家庭教師みんなで賑やかな夕食を終えた。
自室に戻ろうとしたところで、俺の脳内に強烈な「面倒くささ」が襲いかかってきた。
昼間の過酷な運動と、夕方の稽古による全身の激痛。一刻も早くベッドに倒れ込み、気絶するように眠りたい。
(……水浴びか。夕方にも軽く汗は流したし、今日くらい水浴びをしなくても死にはしないだろ……)
そう高を括り、足音を殺して廊下を通り抜け、自室のドアノブに手をかけた——その時だった。
「——あら? アレン、どこに行くの?」
背後から、背筋が凍るような優しくも逃げ場のない母親の声が響いた。
振り返ると、そこにはタオルを手にした母・ゼニスが立っていた。彼女は聖母のような微笑みを浮かべているが、その瞳は誤魔化しを許さない光を宿している。
「あ……いや、母さん。今日はもう疲れたから寝ようかと……」
「ダメよ〜。今日はあんなに泥だらけになって汗をかいたでしょう? 綺麗さっぱり水浴びをしてからじゃないと、お布団に入らせません!」
「いや、でも夕方に一度——」
「はい、言い訳は言いませ〜ん!」
ガシッ。
幼い俺の身体は、ゼニスの細い腕によってあっさりと持ち上げられてしまった。3歳児よりは成長したとはいえ、大人と5歳児の筋力差は圧倒的だ。俺は抵抗むなしく、裏手の水浴び場(洗い場)へと連行されることになった。
水浴び場に到着すると、大きな木桶に冷たい井戸水が溜められていた。
この世界の水浴びは、基本的に冷たい水で行う。夏場ならまだしも、運動後の冷えた身体に冷水をかぶるのは拷問に近い。
ゼニスが「さあ、服を脱がせてあげるわね」と手を伸ばしてきたので、俺は溜息をついた。
「……母さん、ちょっと待ってくれ」
「え?」
俺は木桶の中に小さな右手を差し入れた。
集中し、体内の魔力を『水』ではなく『火(熱)』へと変換して放出する。
(水魔術で温度を上げるのではなく、純粋な熱エネルギーの伝導……!)
じわわわっ……!
木桶の水から一気に白い湯気が立ち上り、一瞬にしてちょうど良い加減の「温かいお湯」へと変化した。
ゼニスは目を丸くし、口元を両手で覆って感嘆の声を上げた。
「まあ……! お湯に変えてくれたの!? アレンったら、本当に凄いわ……! すごく温かい……!」
「……冷たいのは嫌だからな」
「ふふ、ありがとうアレン。優しい子ね」
ゼニスは嬉しそうに目を細めると、お湯を使って俺の小さな身体を優しく丁寧に洗い始めてくれた。
頭を洗われ、背中を流されている間、ゼニスは愛おしそうに俺の顔を覗き込んできた。
「ねえ、アレン。今日から本格的な剣術が始まったでしょう?」
「……ああ」
「色々頑張っているみたいだけど……どうかしら? 稽古は楽しい?」
ゼニスの問いに、俺は少しだけ言葉を詰まらせた。
「楽しい」という感情なのかは自分でもよく分からない。前世の知識を活かし、強くなるための合理的な鍛錬をこなしているだけだという意識が強かったからだ。
だが、温かいお湯の感触と、母の手の優しさに包まれながら、俺は素直な本音をぽつりと溢した。
「……苦しいことも多いし、体力が追いつかなくてイライラすることも多い。でも……ニルシィやパウロに教わって、出来なかったことができるようになるのは……悪くないと思ってる」
ゼニスは一瞬驚いたように瞬きをし、それから溢れんばかりの愛おしさを込めた笑みを浮かべた。
「そう……良かったわ。アレンは少しルディと違って、なんだか大人びていて少し寂しい時もあるけれど……頑張っているあなたを見るのは、お母さん、とっても誇らしいのよ」
頭を撫でられ、俺は少し照れくさくなって顔を背けた。
◇
水浴びを終え、身体もさっぱりしたところで自室へと戻った。
ゼニスは「髪をちゃんと乾かしてあげないとね」と言って、タオルを持ったまま俺の部屋までついてきた。
ベッドの縁に二人で並んで腰掛ける。
ゼニスは優しくタオルで俺の金髪を拭い、丁寧にお湯の熱で濡れた髪を整えてくれた。
部屋の中には、パチパチと揺れるランプの灯りと、静かな夜の羽虫の声だけが響いている。
温かいお湯で身体が芯から温まったこと。
豪華な夕食でお腹が満たされていたこと。
そして何より——隣にいる母親・ゼニスの優しい体温と、甘く落ち着く匂い。
(……あ、やばい……)
昼間の限界を超えた筋トレと剣術の疲労が、一気に脳の理性を塗りつぶしていく。
急速に意識が遠のき、視界がグラグラと揺れ始めた。
「アレン? どうしたの……って、あら?」
ゼニスが声をかけた瞬間、俺の身体は糸が切れた人形のように倒れ伏した。
ドサッ。
「ん……ぁ……」
俺の頭が落ちた場所——それは、ベッドの上に投げ出されていたゼニスの柔らかい「膝の上」だった。
無意識のうちに、俺はゼニスの膝を枕にするような形で倒れ込み、そのまま「すぅ……すぅ……」と小さな寝息を立て始めたのだった。
膝の上に伝わる、愛息の小さな頭の重みと、幼く規則正しく温かい寝息。
ゼニスは一瞬固まったが、すぐに状況を理解し、その両目を輝かせた。
(〜〜〜〜っっっ!!!)
ゼニスの胸の中で、愛おしさと可愛さの感情がキャパシティを突破して爆発した。
普段のアレンは、3歳や5歳とは思えないほど落ち着き払っており、どこか冷静で大人びている。甘えてくることなど滅多になく、母親としては少し物足りなさを感じることもあったのだ。
それが今——極度の疲労と、水浴びでリラックスした安心感から、無防備にも自分の膝の上に倒れ込んで、無邪気な顔でスヤスヤと眠っている。
「可愛い……! 可愛すぎるわ、アレン……っ!!」
ゼニスは声に出てしまわないよう必死に口元を押さえながら、悶絶するように顔を赤らめた。
寝入っているアレンの幼く整った顔立ち。普段のツリ目が和らぎ、無防備に結ばれた小さな唇。
ゼニスは愛おしくてたまらないといった様子で、膝の上のアレンの柔らかい頬を指先で優しく撫で、金髪に何度も愛おしそうに手を通した。
「ふふ……どれだけ大人ぶっていても、やっぱりまだたったの5歳の子どもなのね……」
ゼニスはそっと抱き上げるようにアレンの身体をベッドの中央へと移動させ、優しく毛布をかけてやった。
アレンは毛布の温もりに包まれると、満足そうに「ん……」と小さく鼻を鳴らし、再び深い眠りの底へと落ちていった。
額にそっと優しくキスを落とし、ゼニスは愛おしそうに微笑みながら、静かに部屋のランプの灯りを消した。
「おやすみなさい、私の可愛いアレン」
静寂に包まれた部屋で、アレンは明日への成長の糧となる、深い深い眠りをむさぼり続けるのだった。