無職転生 異世界行ったら妄想を本気で再現する! 作:ぐちロイド
あの5歳の誕生日の夜、水浴び後にゼニスの膝の上で眠りこけてしまってからというもの、屋敷での俺の扱いに明らかな変化が生じていた。
ゼニスがそれまで以上に俺の世話を焼くようになったのだ。
食事の時には「アレン、お野菜もちゃんと食べなきゃ駄目よ」と皿に取り分けてきたり、出かける前には「お洋服が少し乱れているわ」と甲斐甲斐しく襟元を整えてきたりする。普段はどこか冷めていて大人びた息子の「無防備で可愛い一面」を目の当たりにした母親の愛は、どうやら限界突破してしまったらしい。俺としては少々くすぐったく、家族の温かさに気恥ずかしさを覚える日々だった。
そして、それから数日後の朝のことだ。
庭へ出ると、ロキシーがどこからか手配してきた一頭の馬の綱を引き、何やらルーデウスと話していた。
「ルーデウス、今日は魔術の卒業試験を行います。村の外へ出ますよ」
「え……む、村の外……ですか……?」
ルーデウスが分かりやすく顔を引きつらせ、足踏みを渋っている。
(あいつ……まだ家から一歩も外に出られないのか)
そういえば、俺とルーデウスはこのブエナ村に生まれてからの5年間、一度として敷地の外へ出たことがなかった。俺自身は鍛錬に忙しく、外に出る必要性を感じていなかっただけだが、ルーデウスのあの怯えようは明らかに異様だった。門の向こうを見つめる彼の瞳には、トラウマに似た根深い恐怖が張り付いている。
(やっぱり、ルーデウスも俺と同じ『転生者』なんだろうな……。前世で外に出られなくなるような、引きこもりの原因になる大きなトラウマでもあったのか)
内心で兄の様子を察しつつも、俺は余計な干渉をせずにそのまま通り過ぎた。俺には俺の、今日やるべき鍛錬がある。
庭の奥へ向かうと、そこには既にマイペースに木に背をもたれかけさせているニルシィの姿があった。シアン色のポニーテールを揺らし、174cmの長身と豊かなFカップの胸元を誇る彼女は、俺の足音に気づくとシアン色の瞳を向けてニッと八重歯を覗かせた。
「よう、アレン。待ちかねたぞ」
「ニルシィ。ルーデウスとロキシーは卒業試験のために外へ行くらしいが……俺も何か試練的なものでもあるのか?」
俺が尋ねると、ニルシィは木から身体を離し、腰に手を当ててニヤニヤと不敵な笑みを浮かべた。
「察しが良いな! そうだ、今日はお前の卒業試験……ってわけじゃないが、実戦演習だ! 村の隣の森へ行って、直接『魔物』を狩りに行くぞ!」
「……魔物、を……狩る……!?」
ニルシィの口から出たその言葉に、俺の全身の血が激しく沸き立った。ツリ目が興奮でわずかに見開かれる。
前世の男として、そしてこの世界で近接錬成魔術師を目指す者として、「魔物との実戦」「狩り」というフレーズはあまりにも魅力的で、男心を強烈に刺激するものだった。
「よし、すぐに行こう! 今すぐだ!」
俺が思わず身を乗り出すと、ニルシィは爆笑しながら俺の額をポンと指先で突いた。
「ハハハっ! 気合入ってんなぁガキ! だが待て、その格好で行く気か? ちゃんと準備してこい、ここで待っててやるからよ」
「……分かった、すぐ戻る!」
実は、子供を魔物がいる森へ連れ出すことに関しては、事前にニルシィからパウロとゼニスへ話が通されており、二人の許可は既に取れていた。パウロは「男なら魔物の首の一本や二本獲ってこい!」とノリノリであり、ゼニスは心配しつつもニルシィの実力を信頼して送り出すことを承諾してくれていたのだ。
俺は速攻で自室へ駆け戻り、装備を整えた。
誕生日にニルシィからもらった、魔力を流すと青熱の刃が形成される『片刃短剣の魔道具』を腰の帯にしっかりと装着。さらに、パウロから譲り受けた子供用の頑丈な『革の胸当て』を着け、両腕には『革の小手』を装着する。5歳児の小さな身体には少し重厚だが、動きを阻害しない完璧な防具だ。
「よし……行くぞ!」
準備を終えて庭へ戻ると、ニルシィは腕を組んで待っていた。
「準備できたか? じゃあ、現地までの足を出してやるよ」
そう言うと、ニルシィは不敵に笑い、両手を前に出してみせた。
そして、人差し指と親指を組み合わせ、影絵を作る動作に入る。
(ん……? 影絵……?)
俺が首をかしげた瞬間、ニルシィの口から信じられない単語が飛び出した。
「——『玉犬(ぎょくけん)・白』『黒』」
サッ……!
ニルシィの足元に伸びていた影が漆黒の泥のように蠢き、そこからぬうっと二頭の巨大な狼が姿を現した。
一頭は雪のように真っ白な毛並みを持つ『白』。もう一頭は夜の闇を切り取ったかのような漆黒の毛並みを持つ『黒』。どちらも力強い四肢と鋭い眼光を持つ、美しくも威厳ある神聖な狼だった。
「……っ!?」
俺の時が止まった。
前世の俺には、実は人にはあまり言えない熱狂的なフェチ(好み)があった。それは「犬や狼のモフモフとした極上の毛並み」を愛して止まないということだ。
眼前で佇む二頭の玉犬。その毛並みは、前世で見たどんな血統書付きの犬よりも、どんな高級な毛皮よりも美しく、フワフワで、それでいて力強い肉体美に満ち溢れていた。
俺の理性のタガが弾け飛んだ。
「お、おいアレン……?」
ニルシィが制止の声をかける間もなく、俺はダッと地面を蹴り、驚異的な素早さで二頭の狼へと突進した。
「うおおおぉぉ……っ! なんて素晴らしい毛並みだ……っ!!」
ワシッ!!
「なっ……!?」
俺は玉犬白と玉犬黒の首元へ同時に抱きつき、その極上の毛並みに顔を埋めて擦り付けた。
「ハァ……ハァ……! 柔らかい……! 密度が凄まじい! 手触りが最高すぎる……! 素晴らしいぞお前たち……っ!」
普段の冷めた大人びた態度など微塵もなく、目を輝かせて二頭の狼の頭や背中、耳の裏をワシワシと撫で回す俺。玉犬たちも最初は困惑していたようだったが、俺のあまりにも情熱的な撫で方に気持ち良くなったのか、「ク〜ン……」と喉を鳴らして俺の顔を舐め返してきた。
ニルシィは目を丸くし、口をポカンと開けて固まっていた。
(こ、こいつ……あたしの前で一回もこんなガキっぽい顔見せたことねぇのに……こんな一面があったのかよ……!?)
100年以上生きているニルシィにとっても、目の前の光景は衝撃的すぎた。クールな5歳の弟子が、召喚された狼に頬をすりすりして「ぬぅ……最高だ……」と悶絶しているのだから無理もない。
「あー……コホン! おいアレン、流石にそろそろ乗ってくれないか? 日が暮れちまうぞ」
ニルシィが苦笑いを浮かべながら制止に入り、ようやく俺はハッと正気に戻った。
「ッ……! あ、コホン……失礼した」
慌てて顔を上げ、ゼニス譲りの金髪を整えて冷静さを取り戻す。だが、その耳元はわずかに赤くなっていた。
俺は撫で回すのをやめ、二頭を見上げた。
「……これで移動するんだな? 乗れば良いのか?」
「ああ。どっちかに乗れ。あたしは白に乗るから、お前は黒に乗れ」
「分かった」
俺は玉犬黒の背中へと手際よく跨がった。小さな身体には少し大きな背中だったが、黒の毛並みがしっくりと身体を支えてくれる。ニルシィも軽やかに玉犬白の背へと跨がった。
「よし、行くぞ! 飛ばすからしっかり掴まってな!」
ニルシィの合図と共に、二頭の玉犬は風のように大地を駆け出した。
◇
目的地は、ブエナ村から少し離れた場所にある隣の森だった。
玉犬の脚力は圧巻で、鬱蒼とした木々が立ち並ぶ森の入り口まで、ものの十数分で到着した。
「よし、ここで降りるぞ」
ニルシィの声に従い、俺たちは玉犬から降りた。俺は未練がましそうに玉犬黒の頭を最後にもう一度撫で回したが、ニルシィが影を収めると、二頭は静かに影の中へと消えていった。
「さて……今日の実戦演習だが」
ニルシィは腰に手を当て、森の奥を見つめた。
「ここに生息してる魔物を二、三匹程度狩るつもりだ。ちなみにな、狩った魔物は今日のあたしたちの『夜飯の食材』にする。手ぶらじゃ帰さねぇからな!」
ニルシィが八重歯を覗かせて笑う。
「夕飯の食材か、望むところだ」
俺たちが森の中へ数メートル踏み込むと、早速、鬱蒼とした茂みの向こう側に「一匹の魔物」が姿を現した。
体長1.5メートルほどはある、巨大な野生の猪——『アサルト・ボア』だ。鋭い二本の牙を剥き出しにし、血走った目でこちらを威嚇している。
ニルシィは木剣を腰に下げたまま、俺の横顔をチラリと見た。
「どうだアレン? 最初にあたしの見本(お手本)が必要か?」
ニルシィとしては、5歳の子供にとって初めて見る本物の魔物だ。恐怖で足がすくむかもしれないという気遣いだったのだろう。
だが、俺はニルシィの申し出を即座に断った。
「いや、大丈夫だ。俺一人でやる」
「……へぇ、いい顔すんじゃねぇか。やってみな!」
俺はニルシィの前へ一歩踏み出した。
(アサルト・ボア……突進力は凄まじいが、直線的な動きしかできない。俺の新しいスタイルを試すには絶好の相手だ……!)
俺は右手を構え、体内の魔力回路を一つに繋いだ。
目指すは、我が術式『星焔の創世宮(せいえんのそうせいきゅう)』の基礎能力【星屑の錬成(スターダスト・フォージ)】。
パウロから教わった剣術の型、そしてニルシィとの稽古で叩き込んだ間合いの詰め方。
今の5歳の俺の体格では、大人用の長剣や太刀は振り回せない。自分の腕の長さとリーチに最も適合する武器——それは『小太刀(くだち)』だ!
「——『星屑の錬成』」
シュバッ!!
俺の右手の中に、高密度の土魔術によって錬成された、漆黒の美しい『小太刀』が瞬時に顕現した。
刀身の表面には、均一に張り巡らされた火の魔力による「赤熱の皮膜」が揺らめき、柄の部分は完全な断熱層によって冷ややかさを保っている。ニルシィから叩き込まれた最高精度の完成形だ。
「ブモォォォッ!!」
アサルト・ボアが地響きを立てて突進してきた。鋭い牙が俺の幼い身体を貫こうと迫る。
だが、前世のアクション知識と、ニルシィとの死闘を経験した俺の知覚速度(クロックアップ)の前では、その突進はあまりにも遅く見えた。
(引きつけて……合わせる!)
引きつける。ギリギリまで。
牙が目と鼻の先に迫った瞬間——!
ザッ!!
俺は『水神流』の踏み込みと身体の軸移動を応用し、右斜め前へと鋭く滑り込んだ。紙一重でボアの突進をかわす。
「ブモっ!?」
すれ違いざま、俺は体勢を低く落としながら、手に握った赤熱の小太刀をボアの首元へと閃かせた。
ズバッ!!
「ブモォッ!?」
熱皮膜を纏った小太刀の刃は、ボアの頑丈な皮膚と肉を、まるで温かいナイフでバターを切り裂くかのようにあっさりと断ち切った。
さらに俺は足を止めない。流れるような身こなしで一回転し、遠心力を乗せた左足の回し蹴りをボアの側頭部へ叩き込む!
バシィンッ!!
「ガッ……!?」
衝撃でボアの体勢が大きく崩れ、横転した。
俺は空中で体勢を整えて着地すると、そのまま飛び上がり、横転したボアの眉間へと、小太刀を逆手で垂直に突き立てた!
ドスッ……!!
「……ッ!」
赤熱の刃が脳漿を焼き切り、アサルト・ボアは一度大きく身震いした後、二度と動かなくなった。
錬成した小太刀の魔力を解除し、土へと還す。
「……ふぅ」
静かに息を吐き出し、汗を拭う俺。
後ろ振り返ると、ニルシィが腕を組んで、ニヤニヤと満足そうに頷いていた。
「見事だ! 体格に合わせた小太刀のチョイス、水神流の最小限の回避、そして錬成刃の威力を乗せた一撃必殺! 完璧な狩りだったぞ、アレン!」
その後、俺たちは森の奥でさらに二体の魔物(別のボアと、大トカゲの魔物)と遭遇したが、俺はアクロバティックな体術と小太刀の複合錬成で、一傷も負うことなく全てを一人で瞬殺してみせた。
「合格だ! 大合格! これで今日の夜飯は豪華なジビエ肉パーティだな!」
ニルシィは機嫌良く魔物の解体と回収(魔法の袋への収納)を終え、俺たちは大満足で帰路についた。
◇
帰り道——。
夕暮れ時の赤橙色の光が、街道を優しく照らしていた。
俺とニルシィは並んで歩いていた。ニルシィは「今日の肉はどうやって食うかな〜」と気楽に鼻歌を歌っている。
その横顔を見つめながら、俺の頭の中では、今日起きた出来事の「ある一つの違和感」が猛烈な勢いで組み合わさり、一つの衝撃的な結論へと達しようしていた。
(待て……おかしいだろ……)
召喚された二頭の狼。
白い狼と、黒い狼。
そして、ニルシィがそれを呼び出す時に作った「両手の影絵」。
何より……彼女がはっきりと口にしたあの技名。
『玉犬・白』『黒』——。
この世界の魔術体系に、そんな名前の召喚術が存在するはずがない。
それは——前世の俺がいた世界で大人気だった漫画・アニメ『呪術廻戦』に登場する、伏黒恵が使用する「十種神宝(とくさのかんだかり)」の術式そのものだ。
俺の歩みが、ピタリと止まった。
「ん? どうしたアレン? 足が止まってるぞ?」
ニルシィが不思議そうに振り返る。
俺はゼニス譲りの金髪を夕風に揺らしながら、ツリ目を極限まで細め、意を決して直球の質問を投げかけた。
「……ニルシィ」
「あ?」
「……お前、もしかして『転生者』なのか……!?」
ニルシィのシアン色の瞳が、わずかに見開かれた。
俺はニルシィを指差し、探偵のように畳みかけた。
「さっきの狼だ! あの影絵も、技名の『玉犬』も……前世の日本で大人気だった漫画『呪術廻戦』の伏黒恵が使う術式そのものじゃないか!! この世界の魔術にあんな技があるわけない! お前、前世は日本人だな!?」
ついに突き止めた真実。
同じ「転生者」としての師匠の正体。俺は動揺と興奮を隠せずに、ニルシィの反応を待った。
どれほどの衝撃を受けるか、どんな言い訳をして誤魔化してくるか——。
だが、ニルシィの反応は、俺の予想を遥かに斜め上を行くものだった。
「……」
ニルシィはポカンと口を開けた後、気まずそうに自分のポニーテールをガシガシと掻きむしった。
「なんだ、バレたかー」
「……は?」
ニルシィはあっけらかんとした様子で、軽〜く肩をすくめて言った。
「そうだぞ。あたし前世は日本のオタク女子高生だったんだわ。……つかお前、今まで気づいてなかったのか?」
「っ……!? か、気づいてなかったのかって……あんた、隠す気が一切なさすぎるだろ!!」
俺の怒涛のツッコミが夕空に響き渡った。
「いや〜、だってさぁ!」
ニルシィは両手を広げて、サバサバとした調子で笑い飛ばした。
「この世界に転生してエルフになって、魔力が使えるって分かった瞬間に試すだろ普通!『影絵で式神出せたら最高じゃね?』って! で、試したらなんか出来ちゃったから『じゃあ玉犬って名付けるか!』ってノリで使ってただけだもん!」
「ノリで伏黒恵の術式再現してんじゃねぇよ!!」
「あははははっ! でもアレン、お前も前世のオタクだろ?『星焔の創世宮』とか言っちゃってさぁ! 武器に熱塗ってかっこつけて錬成してんの、完全にオタクの妄想ノートの具現化じゃん!」
「っ〜〜〜〜〜ッっ!!(そこを突くのはやめろ!!)」
自分の黒歴史(前世のノート)を正確に刺され、俺は顔を真っ赤にして撃沈した。
ニルシィは長身を揺らして大爆笑しながら、俺の頭を乱雑に撫で回した。
「いーじゃねぇか! 師匠と弟子で、お互い前世のオタク知識と妄想をこの世界で全力で具現化させてんだ! 最高のコンビだろ、あたしたち!」
「……っ、笑うな……!」
悔しそうに顔を背ける俺だったが、胸の奥では、不思議なほど大きな親近感と安心感が広がっていた。
まさか、自分を指導してくれていた型破りな師匠が、自分と同じ「前世の知識を持ち、それをこの世界で実現させようとしている仲間(転生者)」だったとは。
「さーて! バレたからにはこれからはもっと容赦なくオタク術式を仕込んでやるからな、アレン!」
「……望むところだ。お前の『十種神宝』の再現、全部見切って俺の錬成術式の糧にしてやる!」
「ハハッ、生意気な弟子だねぇ!」
夕暮れのアスラ王国。
ブエナ村へと続く街道を、前世の記憶を持つ異色の「師弟コンビ」が、笑い合いながら歩いていくのだった。