無職転生 異世界行ったら妄想を本気で再現する! 作:ぐちロイド
追記
目次にアレンの術式「ネタバレを含む」の詳細が乗っているページへアクセス出来るようにしたので良かったらご覧ください。
それから1ヶ月が経った頃、我が家に大きなおめでたい知らせが舞い込んだ。
母・ゼニスが三人目となる子供を妊娠したのだ。
パウロは「やったぞぉぉぉっ!!」と大喜びでゼニスを抱き上げ、屋敷中はパウロのバカ騒ぎとゼニスの幸せそうな笑顔で一気に賑やかになった。
アレンとしても、もちろん素直にめでたいことだと思っていた。
ゼニスは以前、アレンとルーデウスの双子を産んでから「私はもう子供が産めない体なのかしら……」と人知れず不安を漏らしていたことがあったのだ。だからこそ、母の長年の悩みが解消され、新しい命を授かったことは、一人の息子として本当に良かったと胸を撫で下ろしていた。
……しかし、問題はそのさらに1ヶ月後に発生した。
◇
「……皆様、お集まりいただきありがとうございます」
重苦しい空気の漂う食堂。
ニルシィには事の重大さと状況を考慮し、あらかじめ気を利かせて席を外してもらい、自室で待機してもらっている。
テーブルの前で、いつも通りに整えられたメイド服を着たリーリャが、淡々と、しかし静かに頭を下げた。
「ご報告がございます。私……妊娠いたしました」
「……っ!?」
その場が一瞬で氷つき、静寂が痛いほどに全員を締め付けた。
リーリャは極めて勤勉なメイドだ。普段の行動範囲は屋敷とその周辺のみで、羽を外して外に出るような真似は口が裂けても不可能な人間である。そんな彼女が妊娠したとなれば、相手として考えられる男は一人しか存在しない。
(……パウロの野郎だな)
アレンは冷めたツリ目で、隣で引きつった顔をしている父親を睨みつけた。
ゼニスの妊娠が発覚してからこの1ヶ月間、パウロはゼニスの体を気遣って当然のように禁欲生活を強いられていた。そこで欲求不満に耐えかねて手近なリーリャに手を手を出したのだろう。
アレン、ゼニス、そしてルーデウスの三人の冷ややかな視線が同時に注がれると、パウロはダラダラと冷や汗を流しながら、消え入りそうな声で白状した。
「……すまん、多分……俺の子だ」
最悪の確信。
アレンは内心で(この親父、本当に救えねぇな……)と呆れ果てていた。リーリャの普段の生真面目な性格からして、彼女からパウロを誘惑したとは到底考えられない。一先ず、パウロが力ずくか言葉巧みに無理矢理手籠めにしたのだろうとアレンは推測した。
こうして、浮気現場の渦中であるリーリャを交えた、あまりにも重苦しい『緊急家族会議』が始まったのだった。
◇
沈黙が暫く続いた。
部屋の隅に置かれた時計の針が刻む音だけが、カチ、カチと虚しく響く。
その重苦しい沈黙を破ったのは、妻であるゼニスだった。
「……それで、どうするつもり?」
ゼニスの声は、興奮して叫ぶわけでもなく、極めて冷ややかにリーリャへ問いかけた。
会議が始まる直前、ゼニスはパウロの頬へ思い切りのいいビンタを叩き込んでいたが、今は怒りを通り越して異常なほど冷静にリーリャと対峙している。リーリャの方もまた、感情を押し殺して冷静を保っていた。
リーリャは深く深くお辞儀をした。
「奥様の出産をご助力した後、お屋敷をお暇させていただこうかと……」
屋敷を去る。それが彼女が出した決断だった。
だが、その言葉を聞いたアレンは、幼い頭の中で即座に旅の行程を計算し、冷や汗をかいた。
(待て……この世界で妊婦、あるいは赤ん坊を抱えた状態で長旅をするのがどれだけ危険か、分かっていないのか?)
ここフィットア領はアスラ王国の北東に位置している。
前世の知識とこの世界で学んだ地理によれば、アスラ王国で『南』とされる地域へは、乗合馬車を何度も乗り継いだとしても、最短で一ヶ月近くかかる過酷な道のりだ。出産直後の体力が衰えた女性と赤ん坊が耐えられるような環境ではない。魔物の危険だってある。
(……そんな無茶、死にに行くようなもんだぞ)
アレンはいても立ってもいられなくなり、少し体を寄せると、隣に座るゼニスの服の裾を小さな手でギュッと掴んだ。
「……母様」
不安そうに、ただ低くそれだけ呼んだ。
ゼニスはアレンの手に自分の手を重ね、優しく握り返してくれたが、その顔は険しいままでリーリャへと問いを続けた。
「……子供はどうするの?」
「フィットア領内で生んだ後に、故郷で育てようかと思います」
「あなたの故郷は南の方だったわね」
「はい」
「子供を産んで体力の衰えたあなたでは、長旅には耐えられないわね」
「……かもしれませんが、他に頼れる所もないので」
淡々と答えるリーリャだったが、その声には諦めと覚悟が混ざっていた。
ここで、役に立たない父親がおずおずと口を開いた。
「あ、あの……母さん、さすがにそれは……」
「あなたは黙っていなさい!」
パウロが庇おうとした瞬間、ゼニスの鋭い金切り声が飛んだ。パウロは「ひいっ」と子供のように体を縮こませ、首をすくめて黙り込んだ。
(……まったく、パウロは本当に役に立たないな)
アレンは心の中で大きな溜息をついた。今回の件に関して、この男に発言権も人権もない。自業自得だ。
ゼニスは難しい顔をしながら、苛立ちを抑えるように爪を噛んだ。
一見冷酷に見えるゼニスだったが、アレンには母が激しく迷い、葛藤しているのが手に取るように分かった。
ゼニスだって、リーリャを殺したいほど憎んでいるわけではないのだ。
この6年間、一緒に屋敷の家事をこなし、時に愚痴を言い合い、支え合ってきた。二人はただの「主人とメイド」を超えて、もはや親友と言っていいほど仲が良かった。
だからこそ、追放すればリーリャと赤ん坊が死ぬかもしれないと分かっていて、冷酷割り切ることができずに苦しんでいるのだ。
その重苦しい停滞を破ったのは、隣にいた双子の兄——ルーデウスだった。
「母様。一度に二人も兄弟が出来たというのに、なんでこんなに重い雰囲気なのですか?」
ルーデウスはなるべく幼い子供らしく、無邪気を装った声を張り出した。
(リーリャも妊娠したの? やったね、家族がたくさんだ。なのにどうしてこんなに暗いの?)
……というニュアンスを全身から醸し出しながら、無垢な子供のフリをして切り込んだのだ。
ゼニスは溜息混じりに、苦い顔で答えた。
「……お父さん達がやっちゃいけない事をしたからよ」
その声音には、底知れぬ怒りが混ざっている。けれど、その怒りの矛先がリーリャ個人に向いていないことを、ルーデウスも見抜いていた。
ゼニスだって分かっているのだ。一番悪いのは誰なのかを。
ルーデウスは首を傾げ、さらに追い打ちをかけた。
「そうですか。……しかしリーリャは、父様に逆らえるのでしょうか?」
「どういう事?」
ゼニスが眉をひそめて問い返す。
ルーデウスは真顔になり、あらかじめ仕込んでいた(あるいは前世の知恵をフル活用した)起死回生のブラフを口にした。
「僕は知っています。父様はリーリャの弱みを握っています」
「え? 本当なの!?」
「この間、夜中にトイレに行こうと思ってリーリャの部屋の前を通ったら……父様が『なんとかを言いふらされたくなかったら、大人しく股を開け』って言っていました」
「なっ! ルディ、なにをバカな……っ!?」
パウロが血相を変えて立ち上がろうとしたが——
「あなたは黙っていなさい!!!!」
ゼニスが腹の底から金切り声を上げ、パウロを即座に圧殺した。パウロは「あぐっ」と声を詰まらせ、そのまま顔を真っ白にして固まった。
ゼニスは震える肩を抑えながら、リーリャに向き直った。
「……リーリャ、今の話は本当?」
「いえ、そんな事実は……」
リーリャは困惑し、視線を彷徨わせた。
本当に心当たりがないのか、それとも過去にパウロと何らかの秘密(あるいは大人のプレイ)があったのか、言葉を濁してしまう。
だが、その揺れる態度を見たゼニスは、勝手に脳内でルーデウスの言葉を「事実」として納得してしまった。
「そうね……あなたの口からは『あった』とは言えないわね……」
「……っ!?」
パウロは目を白黒させ、口をパクパクと金魚のように開閉させているが、もう何の反論も許されない空気だった。完全なるハメ技だが、自業自得という他ない。
ルーデウスは「手応えあり」とばかりに畳みかけに入った。
「母様。リーリャは悪くないと思います」
「そうね」
「悪いのは父様です」
「……そうね」
「父様が悪いのに、リーリャが大変な目にあうのは間違っています」
「……そうね」
ゼニスの声は徐々に柔らかくなり、怒りのベクトルが完全に「パウロへの蔑み」へと固定されていく。
(……よし、兄貴もいい流れを作ったな。俺も一押しするか)
アレンはゼニスの服の裾をキュッと引っ張り、まっすぐな瞳でゼニスを見上げた。
「……かあさま。俺も、リーリャには居てほしい」
短く、だが本気で込めたひとこと。
普段は大人びていて甘えないアレンが、素直に言葉にした引き留め。これがゼニスの心に強く刺さった。
さらにルーデウスが決定打を放つ。
「僕はシルフィと一緒にいて毎日が楽しいのですが、生まれてくる僕の弟か妹にも、同じぐらいの年齢の友達がいたほうが良いのではないでしょうか」
「……そう、ね」
「それに母様。僕にとっては、両方とも大切な兄弟です」
「…………わかったわよ。もう、ルディには敵わないわね」
ゼニスは深々と、胸の奥から大きな大きな溜息を吐き出した。
苦労をかけるね、ママン。
ゼニスは立ち上がると、毅然とした態度で涙ぐむリーリャを見下ろし、言った。
「リーリャ、うちにいなさい。あなたはもう家族よ! 勝手に出ていくのは許さないわ!」
——鶴の一声。
まさに絶対権力者の決定だった。
パウロは信じられないものを見るように目を見開き、リーリャは両手で口元を覆い、ポロポロと涙を溢れさせてその場に崩れ落ちた。
「お、奥様……! ありがとうございます……! ありがとうございます……っ!」
こうして、家庭崩壊の危機だった修羅場は、ルーデウスの策とアレンの短い一押し、そしてゼニスの深い慈愛によって、見事に収束したのだった。
これにて、一件落着。
◇
「……ふぅ」
修羅場が終わり、部屋の空気がようやく和らいだ。
ゼニスはパウロに対して、まるで路傍の豚でも見るかのような極限まで冷徹な視線を向けた後、一言も口をきかずに自分の部屋へと戻っていった。
パウロは「母さん……ゼニス……」と情けない声を上げながら、おそるおそるその後に続いて自室へと消えていった。
ルーデウスもまた、「ちょっとパウロと母様の部屋の様子を見てくる」と言って、二人の後を追っていった。何やらパウロから貸しを作った分のお礼(あるいは交渉)でもするつもりなのだろう。
一人残されたアレンは、静かに息を吐き出し、胸を撫で下ろした。
「……さて。一件落着したことだし、あいつを呼び戻しに行くか」
アレンは廊下を歩き、二階にある自分の部屋へと向かった。
ドアをノックして開けると、中ではニルシィがベッドの上に長身を投げ出し、退屈そうに木剣の手入れをしていた。
「お、戻ってきたかアレン。……で、どうなった? 下が静かになったようだけど」
ニルシィがシアン色の瞳を向け、尋ねてくる。
俺は扉を閉め、部屋の椅子に腰を下ろしながら肩をすくめた。
「……なんとか無事に解決したよ。リーリャは屋敷に残ることになった」
「へぇ! あの堅物メイドが追い出されずに済んだのか! ゼニスも懐が深ぇなぁ」
ニルシィは感心したように口笛を吹き、ベッドから起き上がった。
「まあ、一番悪いのはパウロの野郎だけどな〜。ゼニスの妊娠中に手ぇ出すとか、男として最悪だろ」
「まったくさ。あんな親父、一度痛い目を見ればいいんだ」
俺が呆れ果てて言うと、ニルシィは大爆笑しながら俺の金髪を乱雑に撫で回した。
「ハハハっ! 実の父親に手厳しいねぇ! だが、これでまた屋敷が賑やかになるな。お前にも一気に二人も弟か妹ができるんだぞ?」
「……そうだな」
アレンは窓の外を見つめた。雨上がりのブエナ村に、美しい虹がかかり始めていた。
パウロの愚行によって一時はどうなることかと思ったが、結果として我が家はバラバラにならず、むしろ新しい家族を迎える準備が整ったのだ。
「よし、ニルシィ。騒ぎも収まったことだし……午後の訓練を始めるぞ。『星焔の守護獣』の素体錬成、今日こそ形にしてやる」
「おうよ! その意気だ、アレン!」
家族の絆を守り抜いた我が家で、俺とニルシィの熱い鍛錬の日々が、再び動き出すのだった。