無職転生 異世界行ったら妄想を本気で再現する! 作:ぐちロイド
それから数ヶ月の月日は、何事もなく平和で静かに流れていった。
屋敷の中での小さな変化と言えば、これまでどこか距離を置き、ルーデウスのことを強く警戒していたリーリャの態度が軟化したことだ。例の妊娠騒動でルーデウスが自分を庇ってくれたことを心から感謝したのか、警戒の毒気がすっかり抜け、二人で仲良く昔話や過去の思い出話を語り合う姿が日常的に見られるようになった。
一方、俺——アレン・グレイラットの魔術修行、『星焔の創世宮(せいえんのそうせいきゅう)』の第二段階である「星焔の守護獣(ステラ・ガーディアン)」の構築も、着実に前進していた。
一番手の『狼座(ルプス)の熾火』に関しては、目の前にニルシィの『玉犬(ぎょくけん)』という完璧な生物モデルが存在していたため、骨格や筋肉の可動域、重心の置き方を直接観察して模倣することができた。おかげで土魔術による素体の完成度は一気に跳ね上がり、破裂せずに安定した形態を維持できるレベルにまで達していた。
だが問題は、残る三体——『虎座(ティグリス)の猛火』『鷹座(アクラ)の瞬火』、そして全長50メートル超を誇る超大型の『龍座(ドラコ)の劫火』だった。
これら三体には、参考にできる実物のモデルが手元に存在しない。
そのため俺とニルシィは知恵を絞り、まずは手のひらに乗るような「プラモデルサイズ(小さなミニチュア素体)」から精密に作り上げ、構造上の問題がないかを確認してから、ドンドンとサイズをデカく拡大していくというステップアップ方式を試していた。
ニルシィも「おっ、プラモ作りみたいで楽しいじゃん! 精密作業はお手の物だぜ!」とノリノリで指導してくれ、プラモサイズの虎や大鷹、東洋龍が庭のあちこちにチョコンと飾られるという、少々シュールな光景が広がっていた。
そんな穏やかな日々が過ぎ——ついに、その日がやってきた。
母・ゼニスの「出産の日」である。
◇
「——ひぃ、ひぃ……っ、あああぁぁぁっ!!」
普段の優しく穏やかな表情からは想像もつかない、痛切なゼニスの悲鳴が屋敷の二階から響き渡っていた。
だが、今回のゼニスの出産は、想定を遥かに超える過酷を極める惨状となっていた。
この世界(アスラ王国)では「逆子(さかご)」という症例が滅多に発生しないらしく、前もって呼んでいたブエナ村の熟練の産婆(ばあさん)を部屋に迎えて手伝ってもらっていたのだが——その産婆すらも顔を青ざめさせ、汗だくで頭を振る始末だった。
「だ、ダメじゃ……! 赤ん坊の足が先に出てこようとしておる! このままじゃ母子ともに命が危ない……! 破水も始まっておるのに、降りてこんのじゃ……! 申し訳ないが、ワシの手には負えん……!」
「そんな……! ゼニス! ゼニスぅぅぅっ!!」
部屋の外でオロオロと取り乱すパウロは全く役に立たない。産婆から「手上げ(お手上げ)」を宣言され、部屋の中は絶望的な空気に包まれかけた。
だが、そこに二人の転生者がいた。
「兄貴、呆けてる場合じゃない! 治癒魔術だ!」
「ああ……っ! 母さん、死なせたりしない……!」
俺とルーデウスは即座にゼニスのベッドの脇へと駆け寄った。
前世の医学知識から「逆子」の危険性と状況を即座に把握した俺たちは、ベッドの左右からゼニスの腹部と身体へ直接手を当てた。
「『神なる力は芳醇なる糧、力失いしかの者に再び立ち上がる力を与えん——ヒーリング』!」
「『ヒーリング』……ッ!」
俺とルーデウスは集中力を極限まで高め、絶え間なく、休みなく治癒魔術をかけ続けた。
ゼニスの急激な体力低下を防ぎ、出血を抑え、体内の傷を塞ぎながら、赤ん坊が安全に産道を通れるよう微細な魔力でサポートし続ける。
どれほどの時間が経っただろうか。
魔力を絞り出し続け、汗みずくになりながら治癒魔法を流し込み続けること小一時間。
「……っ、出たぞ! 頭が出た! 押し出しなされ、奥様!!」
産婆の叫び声と共に、奇跡的に峠を越えたゼニスの身体から、新しい命がつるりと滑り出してきた。
「おぎゃあぁぁぁあ! おぎゃあぁぁぁあ!!」
元気な産声が、部屋いっぱいに響き渡る。
「……あ、あったかい……無事、産まれた……」
力尽きたようにベッドへ倒れ込むゼニス。
産婆が手際よく赤ん坊を洗い、布に包んで抱き上げた。
「おめでとうございます、元気な女の子ですよ!」
産まれてきたのは、小さな小さな女の子——俺とルーデウスにとっての、二人目の妹だった。
俺とルーデウスは疲労で膝をつき、大きく胸を撫で下ろした。
「ハぁ……ハぁ……なんとか、助かったな……」
「うん……本当によかった……」
命の危機を乗り越え、安堵の息が部屋の中に広がった——まさに、その一瞬だった。
◇
「……っ……んぐあぁぁぁっ!!」
陣痛の激しい呻き声が、隣の部屋から響き渡った。
全員が緊張を解き、誰もが疲れ果てて気が緩んだまさにその瞬間の出来事だった。
リーリャが、産気づいたのだ。
(っ……!? まだ予定日より早いはずじゃ……!)
ルーデウスの脳裏に「早産」という二文字が激しく踊る。
ゼニスの難産で全員の魔力も体力も擦り切れかけている最悪のタイミング。だが、今度はあの村の産婆さんが真価を発揮した。
逆子の対処法は知らなくとも、この婆さんは長年の経験で「早産」の取り上げなら何度も経験があるらしい。さすがは年の功、一瞬で顔つきをプロの顔に変え、鋭く指示を飛ばし始めた。
「お前さんたち、ぼさっとするな! 次はあっちの娘さんじゃ! 道具を用意しろ!」
俺とルーデウスは即座に婆さんの指示に従って動き出した。
部屋の隅で「え? え?」と呆けて立ち尽くしていた役立たずのパウロの尻へ、ルーデウスが問答無用で強烈なケリ(蹴り)を叩き込む。
「痛ぁっ!? ルディ、なにを——」
「パウロ! ぼさっとしてないでリーリャを僕の部屋へ運んで!」
「お、おうっ!」
蹴られて正気に戻ったパウロにリーリャを抱えさせ、ルーデウスの部屋へと運ばせる。
その間に俺は、残った魔力を振り絞って温かい「産湯」を即座に作り直し、屋敷中の綺麗な布という布をありったけかき集めて、婆さんの元へと全力で走り戻った。
「産湯と布だ、使ってくれ!」
「よし、上出来じゃ! 助かるぞアレン!」
婆さんは本当に頼りになった。的確な指示と手際良い処置で、陣痛に苦しむリーリャを導いていく。
汗だくになり、痛みに耐えるリーリャは、健気に何度も夫であるパウロの名前を呼んだ。
「……っ……パウロ……様……っ……!」
「リーリャ! ここにいるぞ! 頑張れ、リーリャっ!」
パウロも自分自身の汗と涙で顔をグシャグシャにしながら、リーリャの細い手を両手でぎゅっと固く握りしめていた。
そして——。
「おぎゃあぁぁっ! おぎゃあぁぁっ!!」
再び、屋敷に新しい産声が上がった。
我が妹の赤ん坊よりは少し小柄だったが、それでも十分に元気で、力強い命の産声を上げていた。
こちらも——女の子だった。
ふたりとも、元気な女児だ。
「はは……両方とも女の子かー……!」
二人の赤ん坊を交互に見つめながら、パウロがデヘデヘと鼻の下を伸ばして笑っている。
完全なる、バカ親丸出しの情けない顔。
俺たちが産まれた時にも見た、デジャヴのような二度目の顔だった。
俺はそのパウロのニヤけた顔を冷めたツリ目で見つめながら、心の中で毒づいた。
(……けっ、デヘデヘ笑いやがって。このクソ親父、また何か良からぬスケベな事でも考えて居ないだろうな……?)
だが、毒を吐きつつも、俺は同時に「パウロという男の今後の立ち位置」に対して不憫さを禁じ得なかった。
なにせ、今日この日をもって、我がグレイラット家の「女性勢力」が一気に二倍(ゼニス、リーリャ、そして二人の赤ん坊)に膨れ上がってしまったのだ。
家庭内のピラミッドにおいて、そんな状況下で一番下の最低ランク(奴隷以下)の立場に追いやられるのは誰か?
言わずもがな、妻の妊娠中にメイドに手を出して浮気し、子供を産ませた自業自得の父親(パウロ)である。今後の彼の立場を思うと、同情の余地はないが哀愁を感じずにはいられなかった。
◇
その後、二人の赤ん坊の名付けが行われた。
ゼニスから産まれた長女は、——『ノルン』。
そして、リーリャから産まれた次女は、——『アイシャ』。
それぞれ、そう名付けられたのだった。
二人の小さな妹を迎えたグレイラット家は、以前にも増して賑やかで、そして少しだけドタバタとした温かい日常へと戻っていくのだった。