無職転生 異世界行ったら妄想を本気で再現する! 作:ぐちロイド
アレンがゼニスから冒険者活動の許可をもらってから、およそ一ヶ月が経過していた。
しかし、アレンはまだギルドでの冒険者登録をしていなかった。それは、自身のオリジナルの魔術体系である『星焔の創世宮(せいえんのそうせいきゅう)』の第二段階、とりわけ『虎座(ティグリス)の猛火』の素体錬成と構造の試行錯誤を、少しでも前へと進めておきたかったからだ。本物の虎型魔物のデータや、プラモデルサイズから実寸大へと移行する精密なプロセスを完璧にした上で、満を持してデビューしたかったのである。
そんなある日の午後、グレイラット家の庭園では、いつも通りパウロによる剣術の稽古が行われていた。
風が心地よく吹き抜ける中、木剣を構えるルーデウスに対し、パウロは真剣な眼差しを向けながら、ふと重々しい口調で切り出した。
「おい、ルーデウス。……もし、お前に『シルフィーと離れろ』って言ったら、お前はどうする?」
その突然の問いかけに、ルーデウスは動きを止め、戸惑いながらも即答した。
「……そりゃあ、嫌です。絶対に離れたくありません」
ルーデウスの返答を聞いたパウロは、小さく息を吐き出した。
口で説得しても、あいつはまた理屈や言葉巧みに言いくるめてくるだろう。だからこそ、父親として強硬手段に出るしか選択肢がないと考えていた。
——これしかないか。
パウロがそう心の中で呟いた瞬間、彼の全身から異様な空気が放たれた。
それは殺気というよりも、圧倒的な強者が放つ凄まじい「威圧」に近いものだった。
「……っ!?」
少し離れた場所で見ていたアレンとニルシィは、そのピリついた空気を敏感に察知した。
アレンはツリ目を細め、ニルシィはシアン色のポニーテールを揺らしながら、ひそひそと小声で会話を交わす。
「おいおい、パウロの野郎……息子相手に本気で殺気を飛ばすつもりかよ?」
「いや、殺気って言うよりは……例の『仕事の件』に関連した、荒療治の威圧だな。あの親父のことだ、どうせまた強引なやり方で兄貴を分からせようって腹だろ」
アレンとニルシィは、これ以上余計なちょっかいを出して計画を邪魔しないよう、少し離れた位置から腕を組んで冷ややかにその様子を防観することにした。
庭の中央。
パウロから突然放たれた圧倒的な威圧感に、ルーデウスは冷や汗を流しながらも身構えた。
「父さん……っ!」
ルーデウスは咄嗟に魔術を行使しようと呪文を紡ごうとしたが、元・上級冒険者であり、剣神流・水神流・北神流の三つの流派で上級の腕前を持つパウロの速度と戦闘経験値は、今のルーデウスを圧倒的に凌駕していた。
身を翻したパウロの踏み込みは神速だった。
ルーデウスが魔術を放つ隙を一切与えず、パウロの木剣の柄がルーデウスの鳩尾(みぞおち)へと正確無比に叩き込まれる。
「がはっ……!」
空気を強制的に肺から追い出されたルーデウスは、白目を剥きかけ、そのまま糸が切れた人形のようにガクンと崩れ落ちて気絶した。
「……ふぅ。すまないな、ルディ。荒療治だが、これが一番確実だ」
気絶した息子を眺めながらパウロが額の汗を拭っていると、タイミングを見計らったかのように、地響きを立てながら一台の大型の馬車がグレイラット家の門の前にガタゴトと音を立てて横付けされた。
ゴウン、と重い車輪が止まる。
その馬車の御者台、あるいは車内から放たれた、人間離れした、あまりにも野生味に溢れる凄まじい「気配」が辺りの空気を一瞬で凍りつかせた。
「っ……!?」
アレンとニルシィは、その本能を逆撫でされるような強烈な気配の主を察知し、反射的に体が反応した。
アレンは腰に装着している魔道具の短剣の柄へ右手を掛け、ニルシィも瞬時に戦闘態勢に入ろうと身構え、思わず武器へと手をかけそうになる。
だが、パウロが慌てて手を大きく振って二人を制した。
「待て待て! 落ち着け二人とも! 武器を抜くな!」
パウロは汗を拭いながら、馬車の方を振り返って大声で説明した。
「俺が呼んだ……! 馬車の中にいるのは、ルーデウスの『仕事先』の用心棒だ! 安心しろ、敵じゃない!」
パウロのその言葉を聞き、アレンとニルシィはゆっくりと手を緩め、警戒を解いた。
「……仕事先の用心棒、ねぇ。よりにもよって、あんな野性的で殺気立った気配を放つ奴を用心棒に雇う仕事って一体どんなんだか……」
ニルシィが呆れたようにシアン色の髪をかき上げる。
アレンもまた、冷めたツリ目で馬車を見つめながら、心の中で「また親父が変なところに話を持ち込んだな」と確信していた。
パウロは気絶してぐったりとしているルーデウスの身体をひょいと軽々と抱え上げると、雑に、しかし乱暴にならないよう気をつけて、馬車の荷台へとポンと放り込んだ。
「っと、すまないね。こいつを頼む」
パウロが馬車の窓に向かって声をかけると、そこからゆっくりと姿を現したのは、一人の「狼の獣人」だった。
艶やかな銀色の長髪、野生的な美しさを湛えた整った顔立ち、そして頭部から生えたフワフワとした狼の耳と、尻尾。引き締まった肉体から放たれる圧倒的な戦闘者のオーラ。
ギレーヌ・デドルド。彼女こそが、馬車から降り立った狼の獣人であり、ルーデウスの今後の運命を大きく変えることになる剣士だった。
ギレーヌは鋭い黄色の瞳でパウロを一瞥し、低く通る声で頷いた。
「ああ、預かった」
パウロは懐から一枚の折りたたまれた手紙を取り出すと、ギレーヌへと手渡した。
「これを受取人に渡してくれ。それと、こいつの教育も合わせて頼む」
ギレーヌは差し出された手紙を受け取り、懐へと丁寧にしまい込んだ。
アレンは少し離れた場所から、その狼の獣人の姿をじっと観察していた。
(……ふむ。あの獣人の女性、剣の腕が相当に立ちそうだな。しかも、ただの剣士じゃない……北神流か剣神流の使い手か、あるいは独自の闘気を使っている)
「アレン、あの獣人……すごいぞ。魔力の質こそそこまで大きくないが、肉体から発せられる『闘気』の密度が桁違いだ。下手に挑んだら一瞬で斬り伏せられるレベルの猛者だな」
ニルシィも真剣な表情を浮かべ、小声でアレンに耳打ちした。
馬車の前では、パウロとギレーヌの短いやり取りが終わり、出発の準備が整いつつあった。
気絶したままのルーデウスを乗せた馬車は、これから遠く離れたフィットア領のロアの街へと向かうことになる。
アレンは腰の短剣から手を離し、静かにその様子を見守りながら、心の中で呟いた。
(——兄貴、いよいよ家を出るのか。……まあ、あいつならどこへ行っても勝手に生き残るだろ。俺も、俺自身の『星焔の創世宮』を完成させるために、自分のペースで着実に強くなってやる……!)
夕暮れの光が、馬車の影を長く引き延ばす中、グレイラット家の新しい波乱の幕開けとなる出発の時が、静かに訪れていたのだった。