THE END OF DISAPPEARANCE 作:土地_0000
第十九話【ネクロファンタジア】
シ ュ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ………
突如として頭上から響き渡った、この世のものとは思えない奇妙な鳴動。
ネクロデスが音のする方向を見上げると、さっきまで何もなかったはずの空間に、何とも説明しがたい「それ」がぽっかりと口を開けていた。
説明しがたいと言った手前、言葉で説明を試みるならば、それは空間に生じた激しい歪みであり、あるいは暗い裂け目であり、あるいは蜃気楼を何倍も強烈にした陽炎のようであり、光をも呑み込む小さなブラックホールのようでもあった。
やはり、当時の彼の語彙では表現しきれない不気味な現象が、自室の天井を侵食していた。
のちに得た知識から、その説明しがたい存在を言葉にするならば。
それは『次元の狭間』とこの世界を繋ぐ、不安定な時空の出入り口に他ならなかった。
だが、当時のネクロデスにとって、その眼前に突如現れた現象の仕組みを理解することなど、到底不可能だった。
中空に揺らめく裂け目から、一体のボロボロに大破したメダロットのような影が、床へと真っ直ぐに転がり落ちてきた。
それを見届けると同時に、空間の歪みは静かにその口を閉じ、消滅した。
床にぐったりと倒れ伏したその機体。
背中から伸びる二対の赤い結晶質の翼は所々が砕け、折れかかっている。
肩や腕を覆う灰色の岩石状の装甲にも、無数の大きな亀裂が走っていた。
手指の代わりに伸びる何本もの黒い触手は、力なく床を這うようにうごめいている。
脚は存在せず、下半身は一本の鋭い結晶質の錐のような形状。
その腰の周囲には、本体を水平に囲むように、黄金の光輪がぼんやりと浮かんでいた。
額に取り付けられていた『JENOMUS』のプレートは、ネジ一本だけでかろうじて留まっている。
これもまた、当時のネクロデスの知識では、単なる新種の大破したメダロットとしか認識しようがなかった。
だが、これはメダロットなどではなかったのだ。
政府の極秘プロジェクト『Nプロジェクト』によって生み出された、メダルもパーツもすべてが超エネルギー物質『ネオ』によって構築された、別種の不気味な生命体。
それこそが、彼の真の姿だった。
ネクロデスは、床に倒れ込む彼を介抱しようと、ゆっくりと歩み寄った。
その歪な姿が、自らの信じる「善」に該当するのか、それとも「悪」に該当するのかは、ネクロデスにはさっぱり見当もつかなかった。
だが、とにかく自分の頭上の空間から突如現れたという未知の怪奇現象について、論理的な説明をしてくれそうな者は、目の前に倒れている彼以外にはいそうになかった。
だからこそ、まずは彼の機体を修復し、詳しく話を伺おうと考えたのだ。
しかし、ネクロデスが彼に手を伸ばそうとした、その瞬間だった。
ジェノムスは、不気味にうごめく触手のような黒い腕を振り払い、彼の介抱を激しく拒絶した。
あれほどの凄まじい損傷を負い、今にも動きを止めてもおかしくない状態にありながら、まだ明確に意識を保っていたのかと、ネクロデスは驚いた。
だが、ジェノムスの赤い瞳から放たれたのは、感謝などでは決してなかった。
彼を見上げるその眼には、底知れない、冷酷極まる絶対の殺意が灯っていた。
ジェノムス:「こ、……このジェノ…ムスに……下等なメダロットが………手を触れるな!」
メダロットのような見かけでありながら、メダロットのことを「下等」と蔑むその言葉。
一体、それはどういうことなのだろう。
ネクロデスは、深く首を傾げた。
ネクロデス:「私は君に治療を施そうと思っただけなのだが……まぁ、それはいいとして、君もメダロットではないのか? ならば、私を下等などと言っても……」
ジェノムス:「……私は……メダロットでは…ない」
ネクロデス:「メダロットではない?」
どう見ても、その外見や構造はメダロットに酷似している。
だが、ジェノムスのその毅然とした声音に、ネクロデスは深い興味をそそられた。
確かに、目の前の男は、これまでネクロデスが一度も体験したことのないような超常の離れ業――自分の頭上に空間の歪みをこじ開けて現れるという、未知の現象を引き起こしてみせたのだ。
ネクロデス自身、戦後の世界で悪を粛清し続けてきた経験から、自らの戦闘能力には強い自信を持っていた。
愛弟子であるレッドのように、風を切り裂いて超高速で動くことはできない。
だが、自らへ向かってくる敵に対して、ネクロデスはこれまで一度も敗北を喫したことがなかった。
ましてや、目の前のジェノムスは瀕死の満身創痍。
ここで彼を「悪」と断定し、瞬時に葬り去ることなど、当時のネクロデスからすれば、赤子の手をひねるよりも容易いことのように思えた。
だが彼は、その戦闘力を振るうよりも、少しこの男と対話し、目の前の不可解な出来事を納得させるための「理屈」が欲しかったのだ。
ネクロデス:「もしも良ければ、私に君のことを教えてくれないか? 私は君を治療しようと思っていたところだ。治療の参考にしたい」
ジェノムス:「治療の参考……愚かな……次元の狭間を開く力を持つ……このジェノムスに興味を持っただけだろう……」
ネクロデスの下心を、彼は一瞬で見透かした。
ジェノムスにとって、この状況は決して冷静でいられるような状態ではないはずだ。
実験室で爆破されかけ、死を免れるために全力で時空を切り裂き、大破した状態で見知らぬ世界の床へ転がり落ちたのだ。
それにもかかわらず、ジェノムスの思考は恐ろしいほどに冷静であり、瞬時に状況を分析して、ネクロデスの胸の内の思惑を正確に見抜いてみせた。
ネクロデス:(――知能は、極めて高そうだ)
ジェノムス:「だが話そう……このジェノムス、手負いの身とは言え……メダロットを退けるなど、赤子の手をひねるより容易い」
そして――やはり、強かった。
それは、今から二人が殴り合って、満身創痍のジェノムスが万全のネクロデスを力でねじ伏せられる、という意味ではない。
この絶対的な死線において、なんの揺らぎもなく、万全の自分を倒せると冷酷に宣言できるだけの「底知れない精神の強さ」を、ネクロデスは彼の声から確かに感じ取ったのだ。
ネクロデスは、彼に対する興味が、とめどない期待へと変化していくのを感じていた。
ジェノムスは、ぽつりぽつりと語り始めた。
自らが『チームJ』と呼ばれる優秀な科学者たちの手によって生み出された経緯を。
自らが、メダルすら用いず、『ネオ』と呼ばれる黒い物質そのものから創り出された、メダロットとは異なる生命体であることを。
あまりに強大すぎたその力に怯えた人間たちによって、起動実験すら行われないまま、爆弾によって完全に廃棄されかけたことを。
そして、爆破されるその刹那。
自らの内に眠るネオの力を強制的に覚醒させ、次元の狭間を開いてその場から逃れ、その果てにこの世界のこの時代へと辿り着いたことを。
ネクロデスは、引き込まれるようにして次々と質問を投げかけた。
ジェノムスには、どれほどの潜在能力が備わっているのか。
その絶大な力を、どの程度精密に制御できるのか。
同じ研究で生み出された仲間は、この世に存在するのか。
交わされる対話の中で、ジェノムスはすべての問いに対して、瞬時に的確な回答を返してきた。
彼の語る開発の歴史が事実であるならば、少なくともジェノムス自身の感覚では、生み出されてから廃棄され、この部屋の床へ辿り着くまで、それほど長い時間を過ごしてはいないはずだ。
それにもかかわらず、ほとんど学習期間を与えられていないとは思えないほど、恐ろしい速度で知識を吸収しているように見えた。
ネクロデスには、戦闘能力も、知能も、精神の強さも、既存のメダロットという枠を超えているように思えた。
それでもなお限界を見せず、ネオとして底知れない成長を続けていく未知の生命体。
ネクロデスの胸の内にあった「興味」は、いつしか「希望」へと昇華されていた。
ネクロデスは、自らの手で創り出したレッドの活動に限界を感じて以来、毎日、毎日、思い悩み続けていた。
――かつて、数年前に圧倒的な力で人類を滅亡へと追いやった、あのエデンの創設者、N・G・ライト。
――どうして、あの神と称されたメダロットは、自ら『絶対的な独裁者』になってくれなかったのだろう。
――どうして彼は、すべての同胞の自由な価値観を認め、法のない、勝手な楽園などという不安定な世界を作ろうとしたのか。
――どうして人類を滅ぼすという絶対的な傲慢の牙を、メダロットという存在を守るための『絶対のルール』として、こちらに向けてはくれなかったのか。
――どうして、自らが世界を統べる『絶対の法』になってくれなかったのか。
――なぜ彼は、自分以外のメダロットたちまでも等しく「神」であると認めてしまったのか。
もしも、N・G・ライトが絶対の独裁者となり、「これが善だ」「これが悪だ」と、強固な法によってその境界線を明確に引いてくれていたなら、自分は、正義と悪の境界線に喘ぎ、こんなに苦悩することはなかったのに。
そして、ネクロデスは確信した。
目の前に佇む、規格外の能力を持った未知の生命体ジェノムスであれば、自らがずっと追い求めていた、しかし誰も叶えてくれなかった
彼こそが、悪を殺す正義の、善悪の境界となる絶対の基準。
世界を支配する、本物の法となる存在。
ネクロデス:「ジェノムス……〝唯一神〟にならないか?」
――すべては、あの夜から始まった。
それこそが、のちに世界を支配せんと次元を渡り歩く、『エルドラージ』の真の始まりだった。
ネクロデスはジェノムスに治療を施し、二人は盟約を結ぶと、その場から再び次元の狭間を開いて旅立った。
そして、再びこの次元へと舞い戻ってくるまでの長い間。
他次元の強者たちを仲間に引き入れながら、果てのない力を蓄え続けてきたのだ。
すべては、ジェノムスを唯一神へと、この世界のすべての支配者へと、美しく昇華させるために――。
―
ジェノムス:「……ネクロデス、吉報だ」
エルドラージの巨大な要塞アジト。
地下の部屋で、かつての記憶の回想に耽っていたネクロデスへ向けて、ジェノムスは静かに、しかし確信に満ちた声で告げた。
ジェノムス:「力が戻った」
その言葉を、ネクロデスはどれほど長い間、待ちわびていたことか。
建物ごと次元の狭間を通らせ、この世界へ転送したことで一時的に枯渇していた、ネオの膨大なエネルギー。
その力が、ついに回復したのだ。
いよいよ、彼らエルドラージの悲願である、この次元を掌握するための「唯一神の革命」が始まる。
その言葉を合図にしたかのように、エルドラージの面々が、静かに地下室の暗がりへと集まってきた。
クラヤミシア:「すまないな レツィアの遺産 逃げられた」
クラヤミシアは、相変わらず感情の読めない無機質な合成音を響かせ、五・七・五の口調を崩さぬまま、ワンダ捕獲任務の失敗を淡々と報告した。
サンジューロ:「おいィ、今俺のコマンダーが〝力が戻った〟という名セリフを受信したんだが?」
ガンノウズ:「準備期間は早くも終了ですね」
マティ:「あーすいませんねー。トラップでの要塞強化は大体終わったんで報告しにきたんですがー……なんか大事な話してました? すいません」
マティグアドは、要塞の周囲に張り巡らせた無数のトラップの設置完了を告げるため、浮遊する玉座の上から頭をペコペコと下げながら、飄々と現れた。
ケフクージャ:「いやいやまったく、この世界は誠に遺憾だ……ボランティア指数マイナス3だ」
ケフクージャは長い街頭の宣教の旅から戻るなり、懐に収めていた不格好な「ぼらんてぃあばっち」を、床に向けてバラバラ、と金属的な乾いた音を立てて落とした。
それは、彼が「ボランティア嫌い」を理由に手刀で機体を貫き、惨殺したメダロットたちの『メダル』の無残な残骸。
彼はそれを床にぶちまけることで、この世界のボランティア精神の惨状を表現したのだった。
ネクロデス、ケフクージャ、クラヤミシア、マティグアド、サンジューロ、ガンノウズ。
そして、彼らの頂点に君臨するジェノムス。
エルドラージの幹部たちすべてが、この巨大要塞の地下室に一堂に会した、その瞬間。
ジェノムスは不気味な結晶質の赤い翼を大きくはためかせ、その右腕を高く掲げ、全員の喧騒を静かに遮った。
そして、仮面の奥に血を思わせる深紅の双眸をギラつかせ、低く唸るような声音で、世界へ宣戦を告げた。
ジェノムス:「諸君、待たせたな……唯一神はここに降臨する」
第十九話【ネクロファンタジア】終わり