悪役の魂と共にMCU転生したので生き延びる 作:ゴウカザルのスケジュール
連れ来られた一時保護施設の面談室は、消毒液の匂いと古びたエアコンの重い駆動音に満ちていた。
目の前に座っているのは、ニューヨーク市児童福祉局のケースワーカー。
名前は、サラ……なんだっか。
兎に角、サラサラヘアーみたいな名前の女だ。
その反面、疲労の滲む荒れた髪質。
肌も化粧が浮いている。
年齢は30代後半と見た。
そのケアワーカーは手元のバインダーに挟まれた書類にペンを走らせつつ、質問を投げ掛けてくる。
「……さて、坊や。体調はどう? 何か欲しいものや、食べたいものはあるかしら」
成程、凄く柔らかい声質だ。
これは天性のものだろう。
マニュアル通りの声掛けであろうとも、
この声色のせいで幾分か、落ち着かせる効果があると見た。
いや、懐かしいな。
同期にもこんな調子の職員が福祉課に配属されていた事を思い出す。
因みに、私は数年間、役場に勤務し、建築関係や税金関係に飛ばされる事はあれども、ついぞ配属される事はなかった。
やはり、人事課の采配は有能だ。
どう考えても、私には到底こんな真似は出来ないだろう。
さて、と。
私は心の中で大きく息を吐く。
中身はアラサーの地方公務員とマッド老サイエンティスト。
肉体の主導権を手にしている前者こと私は、独身だった。
5歳児と触れ合う機会など皆無に等しい。
と、なれば、だ。
今さら幼児特有の拙い甘えや、無邪気な身振り、心を閉ざした厨二病患者を演じたところで、毎日何十人もの虐待児を見ているプロの目を欺けるはずがない。
不自然な演技は即座に疑念と変わり、無用な警戒を生むだけだ。
特に最後の選択肢であった厨二病患者ともなれば、大半の確率で児童精神科へ回すべく、精神病院直行コースだろう。
「予め決めていた通り、取るべき選択肢は1つじゃな」
脳内で相槌を打つゾラ爺の言う通りだ。
そもそも、このシチュエーションは我々にとって予測範囲内であった。
故に、対策は立てている。
───開き直って大人の対話を行う。
過酷な環境で感情を死なせ、異常に精神が成熟した児童。
行政の現場でたまに見かけると伝え聞く、擦れ切れた子供のスタンスをそのまま貫き通す。
私は椅子の深くに深く腰を掛け直すと、彼女の目を正面から見つめ返した。真剣な眼差しは不要。
当たり障りの無い張り付けた笑顔で対応する。
声のトーンは少し明るく、ビジネスの場に相応しい大人の対応だ。
「はじめまして、サラさん。先ずは御心配頂き感謝申し上げます。大変有難い事に、皆様方のお陰様で食事も睡眠も問題ありません。ただ幾つか確認したい事が御座いますので、宜しければお時間頂けますか」
ペンを走らせていたケアワーカーの指が、ピタリと止まった。
彼女の眉が跳ね上がり、目の前の5歳児を二度見する。
「……え?」
「あくまでも此方の認識ですので、間違いがあればどうか御指摘を。
先ず、私の母親が保有する親権に関する観点から整理しますね。
今回のケースの場合、『ニューヨーク州家事裁判所法 第1012条』における『児童放置・不適切な監護』に明白に該当します。
現場の状況から見て、ニューヨーク市児童福祉局は同法第1024条に基づく『緊急保護手続』を……恐らくですが、この面談が行われているという事は、既に完了されていらっしゃいますね」
ケアワーカーの手がピタリと止まる。
私は敢えて無視をして、ニコリと笑いかけた。
そして、同じペースで淡々と続ける。
「同法第1028条を参照すると、本来であれば、親権者が72時間以内に返還の申し立てを行った場合、同法に基づく家庭裁判所での聴聞が開かれるでしょう。しかし、それはあくまでも、条文を額面通り受け取った場合に限りますね。
実務において───特に、今回の母親の状態を考慮すると、72時間の待機期間の存在は余り現実味が有りません。この推論は当たっていますか?」
ケアワーカーは強い混乱状態に陥りながらも、ゆっくりと頷いた。
その姿を確かめつつ、私は言葉を紡いでいく。
に、しても、私は思うのだ。
我が祖国、日本の法律は余りにも行政が弱過ぎる。
そして、親権が強過ぎる。
基本的に、児童虐待が疑われるような親よりも、市民の模範となる行政職員の方が善良な判断を下せるのであるから、アメリカのように行政権が親権を超越する事を法によって明記すべきだろう。
本件においてはアメリカが全面的に優れているな。
「そもそも……嗚呼、此方は刑事罰となり、根拠となる法令が異なるので敢えてこの呼び方をさせて頂きますが、母親は、 『NY州刑法 第220条3項である規制薬物所持罪』 並びに、『同州刑法 第240条20項である騒乱罪』、 そして、現場には私が居たので、恐らくですが、『同州刑法 第260条10項である児童危険罪』も適用される事となるでしょう。
しかし、元来、警察は児童保護の手続きに関心がない場合が多く……」
六法全書を丸暗記する大学生の様な額面通りの法解釈とは打って変わって、業務に励む行政職員として、実務上の手続き処理における弊害の一例を予測して取り上げていく。
その一環で、警察の批判を行おうとすると、ケアワーカーの目付きが若干変わった。
それを目敏く見つけた私は咳払いをして、誤魔化す。
「嗚呼、失礼。救済されるまでが遅かったので私怨が混じりました。
では、此方の視点でいきましょう。 薬物乱用状態の母親が明確な意思を取り戻すまで時間が掛かるので、実務上、弁護士が後で説明する建付けになっている。
さて、いずれにせよ、コレで72時間は優に経過し、申し立ては行われなと思うのですが、 ここまでの推論は正しかったでしょうか」
目の前のケアワーカーは息を呑んだまま、喉を鳴らして小さく頷くのが精一杯だった。そろそろ、笑い出すなり、救援を呼ぶなりして、現実逃避しても良さそうな頃合だが……。
ふむ、既に───この会話はマキマに聞かれている、か。
「……では、ここからが本題です。今回の件、先程、例示した通り、母親は起訴、そして、収監される見込みです。
しかし、あくまでも、初犯である事とそもそもの罪状が騒乱程度であれば、量刑や保釈を考えても比較的、短期での身柄解放が予想されます。
つまり、『同州社会福祉法 第384条』が定める『親権の永久剥奪』の要件───『15ヶ月以上の継続的放置』や『改善不能な重度虐待』等には当然届きません。
嗚呼、因みに、この場で私が母親から重度の性的虐待を受けていると叫んだ場合は……ええ、現状は変わらなさそうですね。残念です。
故に、現段階で親権剥奪という重い判断が慎重を期す家庭裁判所から下りることは有り得ないでしょう。親権が母親の所属から離れないという見解はお互いに認識が一致しているかと思います。いかがでしょう」
ふむ、遂に反応を無くしたか。
ケアワーカーは唖然とした表情のまま固まってしまった。
仕方無い。
外から私を観察している何者かに向けてお伝えするか。
私は部屋全体をゆっくりと見渡す。
ゾラ爺曰く、分かりやすく設置されている監視カメラはブラフ。
本命は……其処か。
「私からの要望は実にシンプルです。
───皆様に職務を全うして頂きたい」
一呼吸置いて、続きの台詞を紡ぐ。
「ええ、大変抽象的で分かりにくいでしょうね。
申し訳無い。
順番通りに整理しつつ、具体的にお伝え致します」
ふむ、ゾラ爺の言う通りだったなり
壁の内側から微かな光が漏れていた。
監視カメラと断じて。間違いないだろう。
「先ず、『同州法 第1027条』に基づく『一時保護命令』により、母親の親権は実質的に機能停止となります。
この期間を最大限活かすべく、家庭裁判所の判決により正式に私の『監護権』の移転を受けた児童福祉局の手で、『同州社会福祉法 第398条』に基づき、私を『里親委託の候補リスト』へ掲載していただきたいのです」
「次に、『同州規則 431条』に触れますが、此方が定める通り、未就学児の一時保護施設滞留上限は原則30日以内───実務上は21日以内の移行が推奨されていますね。
ここから導き出せる回答はただ一つ。
先程挙げた一時保護施設の滞留限界と実務上の行政処理を鑑みれば、2週間、遅くとも3週間。
それが私から提示させて頂きたいタイムリミットです」
ここで私はアドリブを行った。
私は張り付けた笑みを崩さず、カメラから視線をズラした。
少し頭を傾け、目の前のケアワーカーの手を握る。
「当然、仕事熱心なサラさんなら、この程度のスケジュール調整は十分射程範囲内かと存じますが……いかがでしょうか」
人事は尽くした。
あとは天命を待つのみ。
さて、どう転ぶだろうか。
エアコンの重い駆動音だけが、静まり返った面談室に響いていた。