悪役の魂と共にMCU転生したので生き延びる 作:ゴウカザルのスケジュール
引き伸ばして申し訳ないです。
───カチャリ。
あと10年すれば、銃を突き付けられた音だと認識するのだろうか。
今後の身の振り方にも寄りそうだが、此処は前世とは異なる銃社会。
偉大なるアメリカ合衆国に栄光あれ。
と、脳内で皮肉を吐きつつ、私は至って平静に目の前の人生への観察を続ける。
ロックが解除された面談室の防音扉から入って来たのは、50歳前後の男。
白髪交じりの短髪に、フレームの細い眼鏡。先程のケアワーカーと異なり、首から職員証をぶら下げていない。何者だろうか。
監視カメラの向こうで私を見ていた上の人物か。
それとも、高みの見物を決め込んでいた上の者が呼び付けた応援か。
───どちらもありうる……そんだけだ。
手元には厚みのあるカルテを脇に抱え、腕に包帯を巻いている。
負傷しているのか。どうも左手の動きがぎこちない。
「……サラ。君は一度外に出て、冷たい水でも飲んでくるといい」
落ち着いた低い声。
こういった異常な空気感に対する圧倒的な場馴れを感じる。
男が肩に手を置くと、サラは弾かれたように立ち上がり、私の方を一度も振り返ることなく、逃げるように面談室を飛び出していった。
その姿を引き攣った苦笑いで見届けた男は、私と向かい合うパイプ椅子へ滑らかに腰を下ろす。
「初めまして、坊や。私はヴァイス。児童精神科医であり、この施設の心理鑑定を担当している」
ヴァイス博士と名乗った児童精神科医の男は、眼鏡の奥の鋭い光で私の全身を満遍なく観察している。
顔は笑っているが、目は本気だ。
少なくとも、哀れな虐待児を見るそれではない。
成程、並の大人たちでは手に扱えないから精神病院隔離コースか。
「壁のカメラに気づいていたようだね。……それどころか君は並のロースクール生すら凌駕する法手続を論理展開したじゃないか。驚いたよ。5歳児の口から『我が州の家事裁判所法の滞留限界』が飛び出すとはね」
「恐縮です、ヴァイス博士」
私は姿勢を正し、目の前の児童精神科医に会釈する。
ある程度、情報共有はされていそうだな、と
踏んだ私は先程と変わらぬ調子で確認作業を続けた。
「では、改めまして。先程、御提示させて頂きました里親委託へのタイムスケジュールに関して、心理鑑定の責任者である博士のご見解をお伺いさせて頂きないのですが、よろしいでしょうか」
児童精神科医は静かに目を細めつつ、ゆっくりと口を開けた。
「スケジュール調整の話をする前に、一つだけ手続きを挟ませてもらいたい。本来であれば、サラが行わねばならなかったものなんだがね……君も承知の通り、彼女は少々動揺してしまった。
代わりに私が、入所時の規定マニュアルに基づく初期発達アセスメントを担当させてもらうよ」
児童精神科医は肩を竦めながらそう言うと、手元のファイルを開き、机の上に色鮮やかなプラスチックブロックと、標準化された検査用紙を並べ始めた。
「大変ご迷惑をお掛け致します。『NY州児童・家族支援局規則 430条11項』等に基づく、入所時の形式要件を埋めるための必須手続きですね。お手を煩わせますが、順を追ってご指示ください」
児童精神科医のペンの動きが、ピタリと止まった。
そして、児童精神科医は手にしていたバインダーを静かに机へ置くと、眼鏡の奥の目を細め、興味深そうに身を乗り出してきた。
柔和な笑みを浮かべてはいるが、全くもって信用ならない。
「……今日は驚きの連続だな。5歳の男の子から『形式要件』なんて言葉を聞くのは、私の30年のキャリアで初めてだよ」
児童精神科医はストップウォッチを机の上に置き、前のめりの姿勢となった。肘を机の上に付けて私を見据え、温和な声で語りかけてくる。
「ねえ、君。その言葉は誰から教わったのかな? お母さん? それとも……君の頭の中にいる『誰か』かい?」
刹那、私は背中に嫌な汗が伝うのを感じた。
遂に仕掛けて来たからだ。
という事は、あちらの中で勝てる算段が着いたという事。
ここから対応をミスると即座に精神病院コースだ。
なにせ、目の前の男にはそれを為せる権限がある。
脳内でゾラが叫んでいる。
解離性同一性障害や統合失調症による幻聴の枠にはめ込む気だろう、と。
私も同意見だ。
私は吊り上げた口角を微動だにせず、背筋を伸ばしたまま児童精神科医の青い瞳を正面から見据え返した。
動揺を隠せ。
湧き溢れる不安に押し潰されるな。
自分に激励叱咤する。
「いいえ、博士。誰からも教わっておりません」
ゆっくりと落ち着いたトーンで、しっかりと否定の意を示す。
児童精神科医からのアイコンタクトを察し、話を続けた。
「母親が不在の間、近くの市立図書館で時間を潰すのが日課でした。置かれている共用パソコンでネットサーフィンを行う事が一番のお気に入りでした。しかし、使用出来る時間に制限がある為、順番を待つ間は書棚にあるNY州法典や児童福祉の解説本、1996年の福祉改革法に関する文献を、辞書を使いながら独学で読んでおりました」
児童精神科医の眉が、ピクリと跳ね上がる。
「……図書館で州法典を。5歳で専門書を解読したんだ。凄いねぇ、君は」
「いえ、必要に迫られていただけです。ネグレクトの環境下において、自身が助かる為の具体的な手順が知りたかっただけです。その際、行政手続き上の保護を受ける為の要件と法的根拠を予め知っておく方が合理的であると判断致しました」
ほんの僅かでも誇示や自慢が入ると終わる。
そう確信していたゾラ爺と、
その警告を意識した私はひたすら謙虚に立ち振る舞い続けた。
よくある厨二病患者として精神病院に収監されならないように謙遜あるのみだ。
児童精神科医は数秒間、沈黙した。
私が幻聴を聞こえているという証拠を掴み、精神疾患のレッテルを貼って施設へ隔離する算段だったのだろう。
しかし、提示されたのは、ネグレクト環境で独学したという客観的事実だ。
街中の監視カメラのデータと図書館司書達の証言も直ぐに集まるに違いない。
「……なるほど。重度の過剰適応、あるいは知的なサヴァン傾向か」
児童精神科医は小さく呟くと、精神疾患の診断欄ではなく、観察記録のメモにペンを走らせ始めた。
「理解したよ。では、速やかに手続きを終わらせようか。君に今日行う手続きだが───」
ひとまず、勝利、か。
ゾラ爺が脳内で五月蝿い。
精神病院への直行便は私を横を通り過ぎたようだ。