迷宮を目指した俺は、世界を間違えた 作:アルマトラン
俺は、二十一歳で死んだ。
死因は肺がんだった。
こう言うと、さぞかし悲惨な人生だったように聞こえるかもしれない。だが、俺自身はそこまで自分の人生を不幸だと思ったことはない。むしろ、振り返ってみれば結構楽しかったと思う。大学三年生まで生きた。友達もいたし、彼女がいたこともある。酒も飲んだし、煙草も吸った。旅行にも行ったし、夜遅くまで友達とくだらない話をして笑ったこともある。やりたいことを全部やったとは到底言えないが、「何もなかった人生」ではなかった。
俺が育った場所は、見渡す限り山と畑が広がるような田舎だった。学校もそんな場所にあって、電車は一時間に一本来ればいい方、放課後に遊びに行く場所といえば駅前のコンビニか、少し離れたところにあるファミレスくらいだった。そんな田舎で育った俺は、自分のことを明るいヤツだと思っていた。人前で話すことも得意だったし、クラスの中で孤立するようなタイプでもなかった。
まあ、人前に立つと心臓は不整脈かと思うくらいバクバク鳴っていたが、それを顔に出さなければ問題ない。
人間、見栄を張れば何とかなる。
大学に進学して地元を離れると、俺はそこで何人かの友人と出会った。そいつらは別に悪い奴らではなかった。むしろ気が合った。ノリも合うし、会話のテンポも合う。漫画やアニメも、それなりに有名な作品なら普通に知っている連中だった。NARUTOの話をすれば盛り上がるし、ドラゴンボールの話もできる。ONEPIECEなんかも読んでいた。
ただ、俺とは明るさのレベルが一段階違った。
俺が「今日の講義だるかったな」と言えば、「じゃあ飲みに行くか!」と返ってくる。俺が「明日一限あるんだけど」と言えば、「知らん! 明日の俺が何とかする!」と言う。そして、本当に飲みに行く。
そんな連中だった。
俺も最初は付き合いで飲んでいただけだった。それが大学一年、二年と過ぎるにつれて、いつの間にか居酒屋を何軒も回るようになった。煙草も吸うようになった。父親が煙草を吸っていたこともあって、特に抵抗はなかったし、何ならクローズなんかを見て、煙草を吸う男ってちょっと格好いいよなと思っていたのはここだけの話だ。
若かったのである。
本当に。
今思えば、相当に馬鹿だったと思う。
──どうせ親父の副流煙で俺の肺なんて真っ黒だわ。
そんなことを言って友達と笑ったこともある。
まさか、本当に肺を壊すことになるとは思わなかった。
大学生活そのものは楽しかった。講義に出て、友達と飯を食って、飲みに行って、煙草を吸って、彼女がいた頃は彼女と遊んだ。将来のことを考えれば不安がないわけではなかった。大学三年生ともなれば就職活動という言葉が現実味を帯びてくるし、卒業後に何をするのかも考えなければならない。
けれど俺は、そういうことを考えるのがあまり好きではなかった。
面倒だったのだ。
俺は昔から極度の面倒くさがりだった。やらなければならないことほど後回しにする。レポートは提出期限が迫ってから書くし、部屋の掃除も汚くなってから始める。朝は「あと五分だけ」と二度寝して、その五分が三十分になる。将来のことだって同じだった。
──まあ、まだ時間あるし、そのうち考えればいいか。
そうやって、俺は先送りを続けていた。
そんな俺にも、周囲にはあまり話していなかった趣味がある。
アニメと漫画だ。
別にオタクであることを隠していたわけではない。ただ、自分からわざわざ言うほどでもないと思っていた。大学では普通に友達と馬鹿な話をして、一人になればアニメを見る。そんな生活だった。
NARUTOも好きだった。ドラゴンボールも好きだった。ONEPIECEも好きだった。他にも色々と見たし、読んだ。
だが、その中でも特に好きだった作品がある。
『マギ』だ。
アラジンも好きだったし、モルジアナも好きだった。世界観も好きだった。何より、迷宮という存在に妙に惹かれていた。
そして、一番好きなキャラクターはアリババだった。
最初から何でもできる主人公ではない。怖がるし、迷うし、失敗もする。格好悪いところもある。それでも、自分なりに前へ進もうとする。
俺は、そういう人間が好きだった。
──アリババって格好いいよな、俺もこんなふうになれたらいいのに。
もちろん、現実の俺はアリババとは程遠い。
面倒なことから逃げるし、嫌なことは後回しにする。友達と遊ぶのは好きだが、努力することは嫌いだった。
それでも、漫画やアニメを見るのは好きだった。
二次小説も好きだった。
中学二年生の頃だったと思う。ネットを適当に徘徊していた俺は、ハー〇ルンというサイトを見つけた。
衝撃だった。
自分が漫画やアニメを見ながら考えていた「もしも」が、そこには大量に転がっていた。好きなキャラクターが別の世界へ行く。原作では死んでしまったキャラクターが生き残る。主人公が別の能力を持っていたらどうなるのか。もし自分が、その世界にいたらどうするのか。
まるで、自分の頭の中にあった妄想を誰かが代わりに文章にしてくれているようだった。
一話だけ読もう。
そう思った。
気がつけば三時間経っていた。
──明日学校なんだけどな……まあ、あと一話だけ。
そして翌朝、眠い目を擦りながら学校へ行く。
何度繰り返したか分からない。
そんな俺が、二十一歳になった。
そして、肺がんになった。
最初は大したことだと思っていなかった。
心臓の近くが痛くなることがあった。チクッとした痛みで、数秒もすれば消える。だから気にしなかった。
──まあ、煙草吸ってるしな。
その程度だった。
ところが、次第に痛みが増えていった。それでも病院には行かなかった。面倒だったからだ。
そんなある日、大学の健康診断で引っかかった。
「精密検査を受けてください」
そう言われた。
俺は、
──はいはい、分かりました。
くらいにしか思っていなかった。
近くの大学病院へ行き、レントゲンを撮った。CTも撮った。血液検査もした。いくつかの検査を終え、結果を聞くために診察室へ入った。
医師はモニターを見ながら、しばらく黙っていた。
嫌な沈黙だった。
やがて医師が俺を見る。
「検査の結果ですが」
一拍置いて、
「肺に腫瘍が見つかりました」
「……腫瘍?」
「はい。詳しい検査が必要ですが、肺がんである可能性が高いです」
肺がん。
その言葉だけが、頭の中に残った。
肺がん。
何度頭の中で繰り返しても、現実感がなかった。
──……俺が?
まだ二十一歳だぞ。
確かに煙草は吸っていた。酒も飲んでいた。健康的な生活とは言えない。それでも、自分が癌になるなんて考えたこともなかった。
医師は何かを説明していた。治療のこと、検査のこと、これからのこと。俺は頷きながら聞いていたが、頭の中では別のことを考えていた。
──大学、どうしよう。
──親には何て言えばいいんだ。
──煙草、やめなきゃな。
──……彼女にも言わないとな。
そして、最後に。
──俺、死ぬのかな。
怖かった。
当然だ。
まだ二十一歳なのだから。
大学だって卒業していない。友達ともっと遊びたい。まだ食べていないものもある。行っていない場所もある。読んでいない漫画もある。
何より、もっと生きたかった。
それでも、治療を続けるうちに、俺の身体は少しずつ弱っていった。体重は落ちた。七十キロ近くあった身体が、五十五キロまで落ちた。大学へ行くこともできなくなり、ベッドに横になっている時間が増えていった。
友達から連絡が来ても、返信することすら面倒になった。
それでも、たまに漫画を読んだ。アニメを見た。二次小説も読んだ。
死ぬ直前まで、俺は俺だった。
そして最後の日。
病室の天井を眺めていた。
白い天井だった。
何の面白みもない、真っ白な天井。
知らない天井だ。なんて言葉は出てこなかった
──……もうちょっと、生きたかったな。
それが最後に浮かんだ言葉だった。
☆☆☆
次に目を開けたとき、俺は誰かに抱き上げられていた。
──……誰だ、この女の人、綺麗な人だな、西洋系の美人さんだ……っていうか、俺は今この人に抱えられてるのか?
おかしい。
俺の体重は七十キロくらいあったはずだ。床に伏せてからは五十五キロまで落ちたが、それでも成人男性を赤ん坊のように抱き上げられるわけがない。
そこで、俺はようやく違和感に気づいた。
視界の端に見える自分の手が、小さい。
指が短い。
腕も細い。
足も小さい。
──……いや、待て、これ小さいとかいうレベルじゃなくないか?
俺は慌てて身体を動かそうとした。だが、思ったように動かない。腕を上げようとしても、ぷるぷると震えるだけ。足を動かしても、まともに蹴ることすらできない。
──……俺、どうなってる?
周囲には何人かの人間がいた。
見たことのない服。
見たことのない部屋。
窓の外には広い緑が広がっている。
少なくとも、日本ではない。
だが、それだけだった。
まだ魔法も見ていない。魔物も見ていない。剣士も見ていない。
──……まあ、異世界っぽいけど、こういうのって意外と現代のどっかだったりするしな。
俺はそんなことを考えていた。
その直後だった。
俺の身体を抱いていた女性が、何かに気づいたように声を上げた。
周囲の人間が慌ただしく動き始める。
俺には何が起きているのか分からなかった。
ただ、腹の辺りが妙に熱かった。
──……何だこれ、腹が痛いんだけど。
どうやら、生まれた直後に切断された臍帯の断端から、通常より多くの血が出ていたらしい。
俺自身には、それを見ることができない。
だからこそ、余計に怖かった。
一人の従者がすぐに駆け寄ってくる。
「失礼いたします」
男は俺の腹部を確認すると、手をかざした。
そして、聞いたことのない言葉を口にした。
「神なる力は芳醇なる糧、力を失いしかの者に再び立ち上がる力を与えん『ヒーリング』」
──……何だ、この人、祈ってるのか?
そう思った。
次の瞬間。
男の手のひらに、淡い光が集まった。
──……え?
光が、俺の腹を包み込む。
温かかった。
先ほどまで感じていた痛みが、少しずつ引いていく。
淡い光が強くなった。
出血が止まる。
傷口が塞がる。
俺は目を見開いた。
もちろん、赤ん坊の身体では驚いて飛び上がることなどできない。ただ、目だけを見開いて、その光景を眺めることしかできなかった。
──……魔法?
それ以外に説明のしようがない。
人間の手から光が出て、その光によって傷が治った。
──……いや、魔法だろ、これ。
やがて周囲の騒ぎが収まり、俺を抱いていた女性が安心したように息を吐いた。
そして俺の顔を覗き込む。
「ルーク……」
──……ルーク?
女性は俺の頬を優しく撫でた。
「あなたの名前よ」
──……俺の名前?
そこでようやく、俺は自分が二度目の人生を始めたのだと実感した。
前世の俺は死んだ。
だが、俺は今ここにいる。
新しい身体で。
新しい名前で。
そして──魔法のある世界で。
俺は、頭の中に浮かんだ一つの作品を思い出していた。
『マギ』。
アラジン。
アリババ。
モルジアナ。
魔法。
──……まさか、ここって『マギ』の世界だったりする?
もちろん、確信はなかった。
魔法が存在する異世界なんて、他にもいくらでもある。
それでも、俺の知っている世界の中で、この状況に一番近いものを挙げろと言われれば、やはり『マギ』だった。
魔法がある。
俺はその物語を知っている。
だからこそ、胸の奥が少しだけ騒いだ。
──……迷宮、行ってみたいな。
前世では漫画の中でしか見ることのできなかったものを、自分の目で見ることができる。
そう考えると、妙に胸が高鳴った。
俺は死んだ。
人生が終わった。
そう思っていた。
それなのに、今はもう一度生きている。
しかも、前とはまったく違う人生を始められる。
──……人生二回目か、だったら今度はちょっと頑張ってみるか。
前世では、面倒なことを後回しにして、将来のことからも無意識に逃げていた。
今度は違う人生を生きてみよう。
そんなことを、まだ何もできない赤ん坊の身体で考えていた。
もちろん、このときの俺はまだ知らない。
ここが『マギ』の世界ではないことも。
俺が知っている物語とはまったく違う歴史を歩んできた世界であることも。
そして、この身体に与えられた名前──ルーク・ノトス・グレイラットが、これから始まる俺の二度目の人生を大きく変えていくことも。
このときの俺は、何も知らなかった。
ルーク転生モノです。よろしくお願いします。