迷宮を目指した俺は、世界を間違えた 作:アルマトラン
クソ鈍感野郎の一言につきます。まぁ、書いてるの私なんですけど。
ラノア魔法大学の巨大な門の奥へと消えていくシルフィとアリエル王女たちの後ろ姿を見送ってから、一分年半ほどが経ち、俺は十三歳の半ばを迎えた。
あの日、別れ際に「強い剣士になって戻ってくる」とシルフィに誓った約束は、俺の胸の奥で一日たりとも色褪せることはなかった。俺とシャンドルさんは、北方大地の各地を巡りながら、かつて王竜王国で過ごしていた頃と同じように、泥臭く冒険者として活動を続けていた。
俺たちのスタンスは、基本的に依頼の規模や内容を選ばない。ある日は広場の泥や雪の掃き掃除をやり、ある日は害獣としての魔物を駆除し、またある日は商商隊や要人の護衛に就く。どんな些細な雑用から、命懸けの実戦まで、幅広く淡々と依頼をこなしていく俺たちの歩みは、ただの「放浪」ではなく、それ自体がシャンドルさんの言う「合理の外側にある強さ」を掴むための、生きた教練そのものだった。
そんな奇妙な二人組の足跡は、わずか一年の間に北方大地の冒険者たちの間で急激に知れ渡ることとなり、俺たちは破竹の勢いでA級冒険者へと名を馳せることになった。
今やギルドの酒場に俺たちが足を踏み入れれば、荒くれ者たちが一斉に道を空ける。そんな俺たちに付けられた名は──『竜殺し』ルーク・グレイラットと、『金剛棍』シャンドル・フォン・グランドール。
俺の『竜殺し』という異名は、あのはぐれ黒竜の討伐に始まり、シルフィと共に挑んだ上顎の赤竜、さらにその後、北方大地の雪原で遭遇した別の『はぐれ赤竜』を、単独でさらに二体も縦真っ二つにして討伐してきた経緯から、完全に周囲に定着してしまったものだった。
対するシャンドルさんは、普段の魔物討伐や前線での戦闘依頼では、基本的には「若者の修行ですからねえ」と言って動かない。手柄のすべてを俺に任せて、自分は木の上や岩陰でスープを啜っている。
だが、いざ『護衛』の依頼に突入した瞬間、その一騎当千の如き恐ろしい本物の化け物へと豹変するのだ。
押し寄せる野盗の群れや魔物の奇襲に対し、予測されるアクシデントをその圧倒的な空間把握能力で事前にすべて潰し、馬車や依頼主の身体に、それこそ掠り傷一つ、泥一滴すらも付けさせずに完璧に護衛任務を完遂してみせる。それほどまでの絶技を見せながらも、彼は腰に下げた新しい剣を決して抜くことはせず、ドナーティ領で新調したあの黄金色の棒だけを振るって敵を叩きのめす。その圧倒的な鉄壁の棍術から、いつしか奴は『金剛棍』という、上品ながらも恐ろしい異名で呼ばれるようになっていた。
俺たちのこの一年の足跡を語るうえで、ギルドの連中を完全に絶句させた、ある依頼の話をしておこう。
それは、北方の厳しい冬の山から降りてきた、あの巨大な『ラスターグリズリーの群れ』の討伐依頼がギルドの掲示板に貼り出されたときのことだった。
「おいおい、冗談だろ? 剣士二人だけのパーティが、あの群れに突っ込むなんて、ただ自殺しに行くようなもんだぜ」
「いくら『竜殺し』と『金剛棍』だからって、前衛だけであの爪の嵐を捌ききれるわけがねえ。大人しく魔術師を雇うんだな」
依頼を受付カウンターへ持っていった俺の後ろから、酒場のベテラン冒険者たちが、これ見よがしにそんな嘲笑や忠告を投げつけてきた。前世の日本のネット社会でもよく見た、挑戦もしないくせに他人の限界を勝手に決めつける、そんな生ぬるい言葉の数々。
だが、俺も師匠も、そんな雑音に一言も言い返すことはしなかった。
そういう奴らを黙らせる方法は、前世の格闘漫画でも、この世界の泥臭い実戦でも、ただ一つしか存在しない。『結果』で完璧に叩き潰すことだ。
翌日、俺たちは周囲の静止を無視して雪山へと籠もり、群れを成して襲いかかってくるラスターグリズリーの巨躯と真っ正面から切り結んだ。
シャンドルさんの金の棒がアリエル王女たちの馬車を守るかのように完璧な防衛ラインを敷き、俺は薄く全身に纏わせた闘気の膜で爪の衝撃を最小限にいなしながら、流閃剣の刃先へ極限まで闘気を凝縮した。
──『四不斬』、そして『陽炎』!
型通りに受けるのではなく、相手の放つ僅かな『敵意の線』の先にある四肢の点を感覚だけで捉え、最小最速の軌道で一気に切り飛ばす。
その日の夕暮れ時、俺たちは剥ぎ取ったばかりのラスターグリズリーの極上の毛皮や魔石を、巨大な麻袋がはち切れんばかりにパンパンに詰め込んで、冒険者ギルドの扉を蹴り開けた。
カウンターの床にドサリと重々しい大袋が下ろされた瞬間、昨日までニヤニヤと笑っていた冒険者たちは、全員が信じられないものを見るかのように顎を外し、唖然としてこちらを見つめることしかできなかった。誰も、一言の文句すら口にできない。圧倒的な実力による静寂が、ギルドの中を支配していた。その後に出現したはぐれ赤竜二体の討伐では、他の複数のパーティと討伐隊を組んで参加したが、その戦場の中心で赤竜の首を平然と切り落とす俺の流閃剣の冴えに、北方大地の猛者たちは誰もが戦慄していた。
シルフィたちと別れてから、俺たちはこうして冒険者として最前線に立ち続けながら、夜の野営では焚き火を囲んで、さらに過酷な教練を重ねていた。
シャンドルさんの持つ新しい剣と金の棒を相手に、俺は自分の編み出した『水鏡の盾』の魔力伝達効率を極限まで高め、陽炎の圧縮度をさらに鋭く研ぎ澄ませていく。実戦で受けた様々な魔物の立ち回りや、他人の放つ本物の殺意をすべて自分の肥やしに変えていく日々。
流閃剣の刃先が、極限の集中状態によってメラメラと空間を歪ませるたび、俺の肉体には、かつてオルステッドに首を撥ねられたあの日の無力な子供の面影は、もうどこにも残っていなかった。
「いやあ、ルーク君。この一年で、君の不治瑕北神流は、私の想像を遥かに超える速度で完成に近づいていますねえ」
焚き火の光のなかで、シャンドルさんが新しい金の棒を愛おしそうに撫でながら、心底から嬉しそうに細い目を細めた。
「まだまだですよ、師匠。……俺はもっと、圧倒的に強くならなきゃいけないんだ」
俺は拳を強く、強く握り締め、自分のなかに眠る前世の執念と、今世で出会った大切な人たちとの約束を胸に秘めて、白銀の北方大地の暗闇を、流閃剣の陽炎の揺らぎと共に真っ直ぐに見据えるのだった。
☆☆☆
俺は十四歳になった。
背格好は一七〇cm程まで大きくなり、全体的に引き締まった剣士としての筋肉を宿していた。毎日毎日、師匠との修行を行い、剣を振り、基礎体力の向上のトレーニングも欠かさない。もちろん筋トレも。そうこうしていたら、こうなった。
もう、誰も俺をガキだなんだのと馬鹿にする輩はいなくなった。
もちろん、この外見のせいで近寄ってくる奴は一人としていなかったが。周りから見れば異質だったのだろう。黒竜のコートに身を包み、緑色の髪を隠す事もなく、顔に目立つ傷を負っている俺が。あと、師匠の存在も中々に異質だから、それもあったのだと思う。
けれど、全く寂しくはなかった。
シルフィとの約束もあったし、家族を探すという役目もあった。何より、師匠がいてくれた。
俺と出会って、もう四年が経とうとしている。
師匠からは、もう君は北帝を名乗っても良いと言われている。北帝は北神の一つ下であり、北神流全体で見てもその数は片手で数えられる程度らしい。
立派な一人前ではあるのだが、師匠は俺の傍から離れなかった。
しっかりしている部分と、少し子供っぽい部分が混在していて、世話焼きで世のため人のためと動くこの師匠の事が、俺は好きだった。
最初は修行になると人が変わり、「なんて恐ろしい人なんだ」と思っていた時期もある。けれど今思えば、不甲斐ない俺を強くするために必要な事だったのだと、今ならよく分かる。
どうやら不治瑕北神流の北帝は俺しかいないらしく、それ以外は師匠と、師匠の息子であるアレクサンダーという男が「北神」であるらしい。北神流は剣神流や水神流とは違い、複数の人間が同時に北神と名乗っても問題は無いとのこと。流派のルールも中々に個性的だ。
いつものように修行も終わり、日が落ちた頃。いつものように野営の準備をし、食事を終える。そして、いつものように師匠と話す。今日の俺は師匠の事が知りたくなり、色々な昔話を聞かせてくれと強請った。
師匠は「そこまで言うのなら仕方ありませんね!」と言い、昔話を始めてくれた。
ベガリット大陸でベヒーモスを倒した時のこと。王竜王を討伐した時のこととか、色々。
王竜王を倒した際に妻と出会い、結婚して子供を授かったのだとか。人族だったからもう亡くなってしまっているが、師匠曰く、優しく美しい女性達だったらしい。
──ん? 女性『達』?
俺は思わず聞き返すと、師匠は悪びれもせず笑い、「はい」と言った。なんでも王竜王を倒した日から旅に着いてきてくれた二人だそうだ。
一人はシャイナ・マリーアン。北神流を扱う騎士だったらしく、呼び名は『死神騎士』。中々厨ニ心をくすぐるネーミングだ。
もう一人はチキ。この世界では姓が無いのは珍しいことではない。凄腕の暗殺者で、王竜王討伐に乗じてある人物を暗殺する為に王竜王国に現れたらしい。
二人の話をする師匠は、俺に向ける厳しい目線とは別の、深い慈愛を秘めた目と表情で、実に愛おしそうに話をしてくれた。
息子はシャイナとの間に出来た一人だけらしい。チキとの間には子は出来なかったと。この世界は意外と前時代的な所があるので、「子供が産めない女はいらない!」みたいな不条理な風潮が少なからずあったりする。けれど、師匠は平等に二人を愛していたようだ。言葉の端々からそれが痛いほど伝わってくる。
師匠の息子は、アレクサンダー・カールマン・ライバックというらしく、師匠譲りの黒髪と、師匠が倒した王竜王の素材から作り出された名剣『王竜剣カジャクト』を持つ、現・北神カールマン三世。七代列強七位。背格好は俺より少し高い程度とのこと。
「もう何十年も会っていないから、もしかしたら成長しているかもしれませんね」
「師匠のご子息に、俺も会ってみたいです」
俺がそう伝えると、師匠は苦笑して、
「君がこのまま強くなり、その名が世界中に轟けば、彼の方から姿を見せてくれるかもしれませんよ」
そう返した。
息子の事を話す師匠の表情からは、どこか息子を心配しているように感じた。親心と言った所だろうか。
師匠は俺を見てこう言った。
「もし君がアレク君と会う事があれば、仲良くしてあげて欲しいんです。彼は同世代で一緒に高め合えるライバルのような存在がいなかったから。剣の才は君と同等といったところでしょうか。二人共、感覚で技術を学ぶ所があるので、仲良くなれると思うのですが……」
俺は迷わず、「もちろんです」と答えた。
恩人であり師匠であるこの人の頼みを、どうして無下にすることができようか。師匠は俺の顔を見てフッと笑い、「楽しみですね」と言ってくれた。俺も嬉しくなり、笑い返した。
その後も師匠との話は続いた。野営の焚き火を囲みながら。
気分が良いのか、俺の目の前で初めて酒を飲んでいた。ぶどうのような香りが漂ってくる。見た目は赤ワインそっくりだ。
俺の目線に気がついたのか、師匠はニヤリと笑い、もう一つ瓶を取り出した。
「君ももう少ししたら十五歳。成人です。お酒に慣れておくのは悪い事だとは私は思いません。飲んでみますか?」
俺はそこでも迷わず頷いた。師匠からグラスを受け取り、お酒を注いでもらう。少し躊躇ったあと、俺は意を決して口へ運んだ。
──美味い。
俺はグラスの三分の一程飲むと、ふぅと一息ついた。本当に久しぶりのお酒だ。
前世では種類も分からず、ただ現実から逃げるようにお酒を浴びるように飲んでいた時期もあった。一応それなりに飲んだことはあるから、味の良し悪しは何となくわかる。安酒かそうでないか、くらいの貧しい舌ではあるが。
でも、これは非常に美味しかった。広がるように鼻の中で香り、アルコールの中に感じる甘いぶどうの後味。これはバカバカ呑んでしまいそうだ。
師匠は俺の反応を見て楽しんでいた。俺がぐびぐびとグラスを空にしてしまうと、師匠は嬉しそうに次々と継ぎ足してくれた。おつまみが無いのは寂しいが、酒を飲む時に必要な一番のおつまみは「会話」だと個人的に思う。
師匠は俺がいける口だったのが嬉しいのか、更にお酒を飲み出した。
曰く、これはぶどう酒と呼ばれるもので、「いつか君と呑みたいと思っていた」と言われた。俺は胸が熱くなり、嬉しくなった。気分が良くなり、俺もグラスを空ける速度が早くなった。
前世の俺はお酒が強いか弱いかで言うと、並程度だった。しかし、鍛え上げられた今世の肉体は違うらしい。呑んでも気持ちの良い酔いが続くだけで、頭がグワングワンするとか、そういった泥酔一歩手前のようなものになる気配もなかった。
まぁ、自分より遥かに酔っている人が目の前にいると、自然とあまり酔わなくなるということもあるのだが。
師匠は酷く酔っ払っていた。
「君は本当に自慢の弟子だ。不治瑕北神流がアレク君だけに受け継がれなくて良かった。父さんの北神流を大切にして欲しい」
だとか。めちゃくちゃ泥酔していた。ここまで崩れている師匠を見たのは初めてだった。
俺がルーデウスやシルフィのように、魔術で水をすぐ出せるなら良かったのだが、生憎そんな芸当はできない。俺は何十回と繰り返される同じ話を「ウンウン」と聞きながら、チビチビとぶどう酒を飲んでいた。
しばらく聞きに徹していると、師匠は妻達との話をし始めた。
「チキは片言の人間語が可愛くてね。背丈は会った当時の君くらいかな。懐かしいなぁ。シャイナは私より背が高くてね。給仕服を着て私の世話を焼こうとしてくれるのですが、どこか不器用な所があってね。そこも良い所だけどね」
とか。
ラノア魔法大学を創設した人物も、師匠の知り合いだと聞いた時は驚いた。
酔っているのか、師匠は「運命とはあるものですね」と口にした。
「君の大切な人はラノア魔法大学に入学し、いつしか君もそこに赴く。偶然とは、私は思えないのですよ」
グラスを傾ける手は止まらない。
「そういえば、君はシルフィ殿をいつか迎えに行くと、そう言っていましたね」
改めて自分が発した言葉を突きつけられると、どこかプロポーズのようにも聞こえてしまい、顔に熱が溜まっていくのを感じた。
「……はい」と俺は答えた。そういうつもりでは無いし、シルフィにもその気は無いだろうと思っていたし、ただの約束だと自分に言い聞かせていた。
師匠はグラスを見つめながら続けた。
「自分の事を想ってくれる女性は、大切にしなければなりませんよ、ルーク君」
はて。誰が、誰のことを想っているというのだろうか。
俺が本気で首を傾げて師匠を見ると、師匠は怪訝な顔をして言葉を続けた。
「なんですかその顔は。君ともあろうものが、まさかシルフィ殿の好意に気がついていない、なんてことはないでしょう」
──は?
俺は師匠の言っている事の意味が分からず、心の中でそう呟く。だが、自然と言葉に出てしまっていたのだろう。
師匠は目を見開き、グラスを地面に置いて俺へと向き直る。
「まさか本当に気がついていないのですか!?」
俺は火傷跡のある額に手を置き、うんうんと首を振るしかなかった。師匠は、修行の時ですらされたことの無いような、深いため息を吐いた。
「……ルーク君。私は君を少し誤解していたようですね。私は少ししかシルフィ殿と過ごしていませんが、溢れ出る好意は私の目からも丸わかりですよ」
俺は必死に思考を巡らせる。急に酔いが回ってきたのだろうか。さっきまで平気だったのに、頭がグワングワンとする。先程まで気持ちの良い酔いだったというのに、冷や汗が流れる。
──そういえば、ブエナ村に居た頃からだいぶ距離が近かったか? あれはシルフィなりの、友達との距離感だと思っていた。……けど、ルーデウスにはあんな距離の詰め方はしていなかったし。
考えれば考える程、シルフィが俺を好いているという師匠の言葉が、生々しい現実味を帯びて脳裏に押し寄せてくる。
──いや、いやいや。そんな都合の良い事がある訳ない。シルフィは綺麗で可愛い子だ。そんな子が、こんな俺を好いてくれる訳が……。
「ルーク君」
師匠の言葉で俺は我に返る。
「何か思い当たる節は無いのですか? 一応私は妻子持ちの先輩です。話してみてはくれませんか」
こういう場面では師匠はニヤニヤすると勝手に思っていたのだが、その表情は真剣そのものだ。
「……今思い返すと、シルフィは俺との距離感が、少しおかしかったかもしれません」
「具体的には?」
師匠が聞き返してくる。
「……いつも俺たちはブエナ村の丘の木で、特訓と称して魔術と剣術で遊んでいたのですが、いつも休憩の時、シルフィは俺の肩に頭を置いてました。俺が不思議に思ってシルフィの顔を見ようとすると、シルフィは絶対に俺の顔を見てくれなくて」
師匠は俺の言葉を聞くと、更に溜息をひとつ。
「それは、シルフィ殿がルーク君の顔を直視できぬほど恥ずかしかったからでは?」
そう言われると、腑に落ちる部分は多くある。シルフィは照れると、長い耳まで真っ赤になり、ピコピコと動き出す癖がある。それを微笑ましく見ていたが、俺の肩に頭を置いている時も、俺がシルフィの顔を見ようとした時も、全く同様に耳が真っ赤に跳ねていた。
師匠が俺に問いかける。
「君とシルフィ殿がどのようにして出会い、転移災害に至るまでどのようにして過ごしていたのか、私に教えてください」
隠す必要もないので、俺は全てを話した。
昔はシルフィが俺と同じ緑色の髪を持っていたことで虐められており、そのいじめっ子を俺が追い払ったこと。ルーデウスと三人でよく遊んでいたこと。シルフィの名前を一年ほど「シルフ」と間違えて呼んでいて怒られた事。ルーデウスがボレアス家に家庭教師として迎えられ、ブエナ村から離れてからも、俺とシルフィはほぼ毎日二人きりで会っていたこと。
シルフィの火魔術の暴発で死にかけ、それで大泣きされたこと。村に風狼が出現し、それを俺とシルフィで背中を預け合って討伐したこと。
お互いが十歳の頃にはシルフィは俺に手作りの首飾りを、俺はシルフィに風狼の素材を使った杖を贈ったこと。
そして──転移の際にシルフィを先に逃がすため、繋いだ手を離してしまったこと。
全てを話した。
師匠は黙ってそれを聞いていた。しばらく腕を組んで考え込むと、口を開いた。
「聞けば聞くほど、私はシルフィ殿がルーク君に好意を持っているとしか思えないのですがね」
「……そうだと決めつけるのは違うのではないですか」
と俺は答えた。
師匠はあからさまに顔を顰めた。
「赤竜の上顎で再会してからも、シルフィ殿は君にベッタリだったではないですか。それはどう説明するのです?」
「それは、久しぶりに同郷の友達に会えて、嬉しかったんでしょう」
「ただ同郷の友人に会えただけではああはなりませんよ。それに、いつかの宿でアリエル様がルーク君を揶揄った時の、シルフィ殿の反応はどう説明するのです? あれは、愛する人を取られたくないという、明確な女心が見て取れましたが」
確かに、あの時のシルフィの変貌ぶりは、身震いするほど怖かった。見たことの無い、氷のように冷徹な顔をしていた。背景に雪化粧が感じられるほどの冷気が、部屋を支配していた。
「…………」
俺は何も言えなくなってしまった。
シルフィは、本当に俺の事が好きなのだろうか。思い返すほど、そうとしか思えなくなってくる。けれど、そんな都合の良い話が本当にあるのだろうか。
師匠はそんな俺を見かねてか、穏やかにこう言った。
「質問を変えましょう。ルーク君、シルフィ殿とラノア魔法大学で再開した時、見知らぬ男が隣に立っていて、『ボクの恋人です』と紹介されたら、どう思いますか?」
それを聞いた瞬間、俺の頭は真っ白になった。
そんな事、想像もしなかった。想像すらしたくなかったからだ。
「答えられませんか?」
師匠が俺に向かって言う。
「……嫌……です」
気づけば俺は、掠れた声でそう答えていた。
師匠はそんな俺を見て、ようやく満足したように、柔らかな笑顔を浮かべてくれた。
「そうですか」
その一言だけだった。
俺は無意識のうちに、シルフィは自然と俺の隣にいるものだと思い込んでいた。俺が強くなって、あいつを守るんだと。そればかりを考えていた。
どうして考えなかったのだろう。俺がシルフィをどう想っているのかを。
頭ではなく心で。生々しく浮かんできた二文字の言葉。──嫌。
嫌だった。俺以外の男にあの笑顔を見せて欲しくない。シルフィには、俺だけを見ていて欲しい。
──女々しいな。気持ち悪い。最悪だ、俺は。
気がつくと、俺は縋るように口を開いていた。
「師匠、俺はどうすればいいですか。なんで、もっと前に気が付かなかったんだろう……!」
俺が強くなりたいと願った一番のきっかけは、あの転移の夜、目の前にいたシルフィを守れなかったからだ。あの時には既に、無意識の内に特別に想っていたのではないのか。大切な女の子を守れなかったから、今度こそは、と。
師匠は俺の言葉を促すようにして、口を開く。
「そうですね」
俺は言う。
「もしシルフィにこの気持ちを受け入れられなかったら……。無理だと言われたら、俺は……」
師匠は俺の横に来て、俺の緑色の頭髪を無造作に撫でて、こう言ってくれた。
「無理かどうかは、女の子が教えてくれますよ」
俺は思わず師匠の顔を見た。師匠は柔らかに笑い、俺に語りかける。
「大切な存在を守るため、君は強くなりたいと誓った。そうですね?」
俺は「はい」と答えるように、首を縦に振る。
「心配は無いと思いますが、もし君が気づいたその想いが報われなかったとしても、君のその力は守るためにある。君が大切な女の子に振られたからと言って、その子を守らない理由にはならない。君はそんなに器の小さい男ではないはずです。違いますか?」
俺は何度も首を縦に振る。そうだ、振られたからって、守るのをやめるような男にだけはなりたくない。俺の剣は、そのためにある。
「大丈夫ですよ。シルフィ殿はルーク君、君の事を想ってくれています。私や君が想像するより、何倍もね。でなければ、君を守れるくらい強くなりたいと願い魔術の鍛錬を重ねたり、再会した時に君に抱きついたりはしませんよ」
「……ありがとうございます、師匠」
視界が少し潤むのを、俺は手荒に拭った。
師匠は俺の頭の上に置いた手を無造作に動かし、最後に少し真面目なトーンで付け加えた。
「言うのなら、男からですよ。女に言わせてはいけない」
結構前時代的な言葉だけれど、今の俺の胸には、それこそが最高に男らしい教えとして深く頷けた。
師匠はぶどう酒を注ぐと、そのグラスを俺に向かって掲げてきた。俺もそれに倣ってグラスにぶどう酒を注ぎ、師匠に向かい掲げる。
「君のその想いが報われるように」
そう言って俺達は乾杯をした。
その後は今まで通り、師匠の破天荒な昔話や、剣の技術のことについて熱く話した。胸の霧が晴れたせいか、酒はさらに美味く感じられた。
──そして、後日。
俺と師匠は、猛烈な頭痛と共に宿のベッドで這いつくばっていた。
二人共、酷い二日酔いでまともに剣を振る事も、ギルドの依頼を受けることもできず、命からがら街の宿まで戻ってきたのだ。
あの夜の男の誓いも熱い語り合いも、すべては最悪の体調不良の前に一時停止していた。
その間、俺たちの間に一言も会話をすることはなかった。今喋れば、不治瑕北神流の技術ではない「何か」が口から飛び出してしまうことを、二人とも本能で察していたからだ。
青い顔で天井を見つめる師匠を横目に、俺は宿のベットで、窓の外を見つめる。
──しばらくお酒はいい。
心の底からそう思えた。
恋愛アンバサダーシャンドル。皆さんもぜひ、相談してみてはいかがでしょうか。ちなみにシャイナとチキはWeb版の六面世界の話の一つである王竜王討伐から取ってます。さすがにあの二人のどちらかの息子だよな??アレク。
私はそう願ってますよ。
夜勤終わりのテンションで書きました。おやすみなさい。