迷宮を目指した俺は、世界を間違えた 作:アルマトラン
──なんだ、これ
叫び回りながら、ひたすらに下へと落ちていく感覚。
しかし、俺の視界に映し出されたのは、あまりにも現実離れした、宇宙にすら似た神秘的な光景だった。
──嘘だろ。これ、宇宙か? 俺のいた世界は、別の惑星ってことか!? いや、それにしては息ができるのはおかしい……。落ち着け。とにかく、落ち着くんだ。
身体が奈落の底へ向かって真っ逆さまに落ちていく感覚は、一向になくならない。けれど、俺は極めて冷静になるよう自分に言い聞かせ、必死に努めた。
はじめは頭も足もわからないまま錐揉みになりながら落ちていたけれど、手足を大きく広げて風を捉え、やっと体勢が安定してくる。
俺は息を呑みながら辺りを見渡し、そして遥か下の方を見下ろした。
そこに広がっていたのは、確かに惑星のような巨大な球体だった。
その球体からは、数え切れないほど何本もの光の柱が天に向かって伸びており、気がつけば俺自身も、その巨大な光の柱の一部となって落下している。
──嘘だろ、まさかコレ。
光の柱の奔流と、その奥に佇む球体のヴィジョン。
この光景を目にした瞬間、記憶の底に眠っていた「かつて憧れた映像」が、一気に、鮮烈に蘇った。
これは迷宮だ。だが、確実にこの世界の迷宮ではない。確信を持ってそう言い切れる。なぜなら、この景色を俺は知っているからだ。
──これ、『マギ』の迷宮じゃねぇか……!
かつて前世で読んだ物語──アリババとアラジンが初めて迷宮に入った時の、あの圧倒的な光景が脳裏にフラッシュバックした。
そうだ。あの不自然な石造りの入口も、白磁のような階段も、神秘的な外観も。すべてに奇妙な既視感があったのは、そういうことだったのか。
──いや、でもこの世界は『マギ』じゃないだろ!? 俺もこれまで何度も、それとなく確認してきた。けれど『ルフ』という言葉や『マギ』という言葉を出しても、誰もその名前にピンときていなかったはずだ! 更には、この世界の魔法形態までもが『マギ』の世界とは根本的に異なっている。ありえない。ありえないけど……なら、目の前に広がるこの光景は一体なんなんだ!?
脳内を埋め尽くす無数の疑問と混乱を抱えたまま、俺は引力に逆らえず、ただただ下へ、下へと落ちていった。
やがて、急速に遠のいていく意識の中で、俺の思考は完全に暗転した。
──……なんだ、ここは。
何も見えない。何も感じない。音が消え、五感がすべて遮断されている。
……!? 息が──苦しい……っ、空気!!
次に意識が覚醒した瞬間、俺の視界を埋め尽くしていたのは、容赦なく押し寄せる「水」だった。
本能的な恐怖に駆られ、空気を求めてもがく手。必死に四肢を動かしていると、頭上にきらきらと輝く一条の光があることに気が付いた。俺は死に物狂いで、その光の方向へと浮上した。
「ぷはっっ!! はあっ!! ……ごふっ、げほっ!」
激しく水面を割り、肺の中に溜まっていた冷たい水が勢いよく口から吐き出される。
涙目になりながらも、喉をかきむしるようにしてすべての水を吐き切り、俺は近くにあった岩場に必死に手を伸ばして、這い上がった。
「ゲホッ、ゲホッ! ……ケホッ、うぅ……」
酷くむせ返りながら、荒い呼吸を整える。
さっきまで溺れかけていたはずなのに、今、俺の手が触れているのは紛れもない「地面」だった。
服から滴る水滴がピチャピチャと冷たく肌を刺す。どうなっているんだ……。俺は確かに、深い水の中にいたはずなのに。
「どうなってんだ……。俺は、水の中にいたはずじゃ……」
釈然としないまま、濡れた手をついた床の奥に視線を落とす。
そこには、なにやら複雑な幾何学模様が、古びた石床に深く刻み込まれていた。それは、水から這い上がってきた俺の身体をぐるりと一周するようにして描かれている。
「……八芒星?」
その、見覚えのある歪な星の紋様を凝視していると、暗がりの奥から、この場にはあまりにも不釣り合いなほど聞き慣れた、お調子者の声が響いてきた。
「おーい!」
声を追って顔を上げると、暗闇から松明の光を揺らしながら、ひょっこりと師匠が姿を現した。
「やっと来ましたか、ルーク君」
「やっと……って、師匠?」
俺は濡れた髪をかき上げながら、戸惑いの声を漏らす。「やっと」とはどういう意味だ。
「私は随分と先に来たのですよ。君が鏡に引きずり込まれた後、私もすぐに後を追って飛び込んだのですが……目が覚めて驚きましたよ。そこに君の姿がいないのですから。まあ、動かずにしばらく待っていて正解でしたね」
俺の頭の中に、いくつものハテナマークが浮かび上がる。
──?? なんで俺より後に入った師匠が、俺より先にここに辿り着いてるんだ?
時間の流れがおかしい。やはり、あの空間は通常の物理法則が通じない場所だったのだ。
「それにしても、物凄い光景でしたね。あの黒い空と、底が見えないほど大きな球体……一瞬でしたが、完全に目に焼き付いて離れませんよ」
感嘆の息を漏らす師匠の服装を見る限り、俺とは違って一滴の水にも濡れていない。衣服はとっくに乾いているのだろう。この場所に到着してから、それなりの時間が経過している証拠だった。
「……師匠も、見たんですか? あれを」
「ええ。一体なんだったのでしょうね、あれは。神の領域か、あるいは……」
そこまで言って、師匠は俺の全身がびしょ濡れで、寒さに肩を震わせていることに気が付いたらしい。
その瞬間、それまで浮かべていた飄々とした笑みが消え、師匠の表情に露骨なほどの「安堵」が広がった。さっきまで一人きりでこの未知の空間に取り残され、最愛の弟子がどこか別の場所へ完全に転移して、二度と会えなくなったのではないかと、本気で不安に駆られていたのだろう。その強い親心が、師匠の揺れる瞳から痛いほど伝わってきた。
「……君があまりにも来ないから、またどこか遠くへ転移でもされたのかと本気で不安になりましたよ。無事で、本当によかった」
師匠はそう言って、俺に向かって大きな掌を差し出してきた。
「……すんません、心配かけて」
俺はその手を取り、師匠の強い力によってぐいっと地面から引っ張り上げてもらう。
「しかし、この地面の模様は……一体何なのでしょうね。不気味な魔術陣のようにも見えますが」
師匠が、俺がさっきまで見ていた床の紋様を松明で照らす。
「……八芒星のように見えますけど」
つい、前世の知識のままにその言葉を口にしてしまった。
「八芒星? 聞いたことがありませんね。なんですか、それは。何かの古い言葉ですか?」
──しまった。この世界には、八芒星とかっていう概念や言葉の定義がないのか……!
自分の失言に冷や汗をかきながら、俺はすぐさま即興の嘘を並べ立てた。
「……あ、いや、昔、実家の書庫にあった何かの歴史書で読んだことがあるんです。俺にも詳しくは分かりませんが、大昔の何かの紋章で間違いないと思います」
「なるほど。相変わらず君は物知りですねぇ」
師匠は特に疑う様子もなく感心すると、松明を掲げて前方を指し示した。
俺達は、石造りの静かな一本道を真っ直ぐに進んでいく。冷たい水の感覚がまだ残る足を進めていくと、その通路の先が、不自然なほど青白く光り輝いているのが見えてきた。
「……師匠。あの先って、一体」
「あっ、そうですよルーク君! 奥はもっと凄いことになっていますよ! ほら、早く早く!」
それまでの警戒心が嘘のように、師匠は子供のように目を輝かせると、俺の手を掴んでぐいぐいと引っ張るようにして歩調を速めた。
通路を抜けた瞬間、俺達の視界は圧倒的な光によって塗り替えられた。
「うわ……っ」
思わず声を漏らし、足を止める。
そこは、気が遠くなるほど広大な、ドーム状に開けた大空間だった。
最大の特徴は、壁一面、いや、空間のすべてを埋め尽くすようにして広がっている、不思議な岩肌と植物の群生だ。
こびりつくように生い茂る見たこともない巨木やシダ植物の葉の表面から、淡く、しかし力強い青緑色の光が絶え間なく溢れ出している。その幻想的な燐光を、水晶を多く含んだ特殊な岩肌が鏡のように幾重にも反射し、まるで何千本ものランタンを灯したかのように、空間全体が隅々まで眩しく照らし出されていた。
「…………」
俺は言葉を失い、その光景を呆然と見つめた。
「私も最初にこれを発見した時は、本気で興奮しましたよ! 光り輝く正体は、この自生している不思議な植物だったんです。恐らく、この植物の光を周りの岩肌が効率よく反射して、これ程明るくなっているんでしょうね!」
師匠が嬉々として語る解説が、どこか遠くのノイズのように聞こえる。
見れば見るほど、間違いない。
俺が知っている、前世のあの記憶に刻まれた光景と、完全に一致している。
ここは迷宮だ。それも、この世界の魔力の結晶が作った歪なダンジョンなどではない。──『マギ』の世界の、本物の迷宮だ。
──マジかよ……。こんな事、本当に、あるのか……!?
「ワクワクしますね! 私は旅の中で世界中の様々な迷宮を見てきましたが、こんなものはただの一度も見た事がない! 一体、この奥には何が眠っているのでしょうか! は、どんな恐ろしい魔物なんでしょうか! 考えただけで楽しみですよ! ルーク君もそうでしょう!?」
師匠が興奮を隠しきれない様子で、俺の肩をバシバシと叩く。
「……ええ。俺も、久しぶりに……心の底からワクワクしてます」
それは、取り繕ったものではない、俺の心の一番深いところから漏れ出た本音だった。
最初、この世界に「ルーク・ノトス・グレイラット」として転生してきた時、俺は自分の髪色や使える防壁魔法の性質から、ここを『マギ』の世界だと思い込んでいた。けれど、実際は違った。パウロがいて、ルーデウスがいて、剣神流や水神流がある、全く別の世界だった。
不思議に思っていたんだ。ずっと、ずっと。
なぜ俺はルフもいないこの世界で、あの『防壁魔法』が使えるのか。一人で剣を振りながら、その理由をずっと考えていた。けれど、どれだけ考えても答えなんてものは分からなかった。
──いや、この際、もう理由なんてものはどうでもいい。
今、目の前に、俺がかつて憧れてやまなかった「本物の迷宮」がある。ウーゴ君たちが、未来へ希望を繋げるために世界中へと封印した、あの巨大な力の一端が。
──もし、ここが本当にあの迷宮なら……俺も、『金属器』を、ジンを宿すことができるかもしれない。
そう思った瞬間、体中の血が沸き立つような、心の奥底から凄まじい熱量が湧き上がってくるのを感じた。
そうだ。俺は間違いなく、この世界に生まれて生きてきて、初めてと言っていいほど、身体が震えるほどの高揚感に包まれていたのだ。
手元にある愛剣の柄を、無意識のうちに強く、強く握りしめる。
「行きましょう、師匠。この先に何があるのか、確かめに」
俺の言葉に、師匠は不敵に、そして最高に嬉しそうにニヤリと笑ってみせた。
俺と師匠はこの迷宮に着いた喜びを共有し終え、周囲の観察を始めた。
明確な道は無さそうだった。しかし、入り口のような穴はいくつか壁に開いている。
「明確な道は無さそうですね。しかし、入口のような穴はあるようです」
「そうですね。問題は、その穴が多すぎるって事なんですけど」
俺たちは並んで腕を組み、うーん、とうんうんと頭を悩ませた。
「……ま、迷っていても仕方がありません。しらみ潰しに回りましょうか」
そう言って師匠は、目の前にある一つの穴に向かって大雑把に歩き出していく。
──いや、待てよ。この無数の穴がある迷宮って……確か。
俺は前世の記憶を頼りに、とある目印を探した。ここが俺の記憶にある迷宮なら、あの迷宮なら。俺は攻略法を知っているじゃないか。確か、穴の壁ら辺に、あの目印があるはずだ。
──やっぱり。思った通りだ。
穴の壁に、古い傷のような印が刻まれていた。×印のマーク。間違いない、ここは。
──『アモン』の迷宮だ。
「師匠、ちょっと待ってください」
「ん? どうしました、ルーク君」
「これ見てくださいよ。ここに×印があります」
「……本当ですね」
「隣の穴には〇印があります」
「ということは、こっちが正解の道ということですか?」
いや、俺は知っている。この×印と〇印は全て罠なのだ。これは数ある冒険者が自分が入った場所を覚えておくための、ただの目印に過ぎない。
「いえ、恐らくは違います」
俺はあくまで、この世界で初めて迷宮を見る初見であるフリをして、師匠にそう言った。
「……と言うと?」
「見てください。その隣の穴にも〇印が、その隣には×印があります。正解が一つであるなら、〇印も一つなはずです。正解が複数ある、という可能性も考えられますけど、複数である必要がないと思うんです」
筋が通っているようで通っていない理論を話しつつ、俺は急速に頭を回転させた。喋っている内に、次に師匠を正解へ誘導する方法を考えるためだ。
師匠は黙って俺の言葉を聞いている。
「印がある穴は誰かが入ったことのある場所。攻略に乗り出した冒険者達が付けたものでしょう。師匠、印が無い穴を探してください」
「なるほど、分かりました」
そうして俺と師匠は、二手に分かれて印の無い穴を探し始めた。
同意してくれた師匠の反応は少し気になった。もしかしたら何か勘づいたかもしれないが、そうでは無いことを祈りたい。
しばらく暗がりを探していると、師匠が何かを発見したのか、俺を呼ぶ声が響いた。
「ルーク君! 見つけましたよ」
俺はその言葉を聞いて、すぐに師匠の元へと向かう。
師匠が掲げた松明の先、その指先が示していたのは、周囲の壁に何の傷も、〇も×も一切記されていない、印の無い穴の壁であった。
俺と師匠はその穴を進み始めた。これが正解の道であるという確信が俺にはあった。
案の定、一本道が途切れることはなく、光り輝く岩肌と植物が、暗い道の先を優しく照らしてくれている。
「かなり進みましたね。今のところ罠のようなものも見受けられませんし。この道が正解だったんですかね」
「……多分ですけどね。最悪、違えば引き返すだけです」
「……お、見てくださいルーク君。何やら奥に光が見えますよ」
師匠に促され、俺は通路の先を見る。怪しげな光が漏れ出ている穴が見えた。記憶にある光景だ。良かった、とりあえずは正解のルートだ。ということは、この先にいる魔物は──。
穴の先にあったのは、天井から無数にぶら下がる、虹色に光る球体だった。それぞれが独自に妖しく光り輝いており、この広い洞窟全体を照らし出している。
「なんですかこれは!? こんなもの見たことがありませんよ!! 宝石か何かですかね?」
──ごめん師匠。それ、魔物の卵です。
俺は心に浮かんだツッコミを口にすること無く、師匠に向けて口を開いた。
「でも、天井に管のようなもので繋がれてますよ」
「……本当ですね。なんでしょうか、これは」
師匠は興味深そうに、虹色に光る球体にそっと触れた。すると、表面がパリッと軽い音を立てて割れ、中から何かが這い出てくる。体長1メートルほどもある、大きなアリのような魔物だ。
──これも当たり。信ぴょう性が増してきたな。
「師匠!」
「せいっ!!」
俺が反応すると同時に、師匠は既に動いていた。右手に持っていた金色の棒を電光石火の速さで振り下ろし、魔物の頭を容赦なく叩き割った。
「変な感触ですね。腐った果実のような脆さです」
師匠がそう言うと、叩き割った魔物がドロドロとした液状に変化し、のたうち回りながら元の形に戻った。
「なるほど、そういうカラクリですか」
「……不死身ってことですか?」
俺はできるだけ自然に、初見の驚きを装って師匠に疑問を投げかけた。一貫して、迷宮の攻略法を知っていることを悟られないようにするためだ。
「都合が良いではありませんか。我らは不治瑕北神流。不死魔族を屠るために作られた我が流派の敵ではありませんよ」
師匠はそう言って、俺の方を見てニヤリと不敵に笑った。絶好の修行相手だと、そう言っているようにも聞こえた。
周囲の卵が一斉に割れ始め、次々とアリどもが這い出してくる。師匠と俺は武器を構え、襲いかかる魔物を叩き割り、斬り刻み始めた。
「師匠、俺に考えがあります。魔物を完全に消滅させようとせず、再生できる程度に細かく斬り刻み、一箇所に集中させましょう」
「……ほう。なぜです?」
「俺の考えが正しければ、敵を一網打尽に出来ます。やってみる価値はあると思います」
「分かりました。君の判断に従いましょう」
師匠は俺の言葉を信頼し、即座に方針を変えてくれた。俺たちは産まれてくる魔物達を、再生できる程度の傷で次々と液状化させて追い込んでいく。
──確かコイツらは、一箇所に集まって大きな魔物になることが出来るはずだ。それに、学習能力もある。俺達の高度な剣術をそう簡単にコピー出来るとは思えないけど、念には念をだ。一箇所に纏めて叩く!
俺の計画通り、魔物達は俺たちの剣技に恐れをなして遠ざかった後、まるで引き寄せられるように一箇所に集まり始めた。
様子としては、スライムが現れた。スライムが現れた。スライムが現れた。スライム達は集合を始めた。みるみるうちに大きく合体していき、キングなスライムになった。といったところだろうか。
目の前で、家一軒ほどもある巨大な流動体の塊が完成し、咆哮のような地鳴りを轟かせる。
「師匠! 俺が『盾』で師匠が『矛』で行きましょう!」
「了解です!」
『盾』と『矛』。これは俺達にとっての、旅の中で培った作戦のようなものだ。多くの敵を一振で終わらせる時、俺達は好んでよくこれを使っていた。
──『水鏡の盾』
キングなスライムは、俺達を目掛けて刃のように変化させた腕を力任せに振るってくる。しかし、力の方向が見え見えなそんな刃は、今の俺には絶対に届かない。
俺は全魔力を練り上げ、眼前に強固な防壁魔法を展開し、その攻撃を綺麗に逸らした。防壁魔法の中には師匠も収まっており、彼は既に口上を始めていた。
師匠は黒竜の剣の柄を、ゆっくりと大上段へと構えた。その瞬間、キングなスライムが一斉に本能的な恐怖を察知したようにサワサワと音を立てて震え始めた。
師匠の全身から、世界を真っ二つに叩き割るかのような、文字通り次元の違う濃密な闘気の奔流が吹き荒れる。
「右手に剣を」
師匠の右手に持った剣がさらに高く持ち上がり、その切っ先が天を真っ直ぐに向く。
「左手に剣を」
そして、師匠の左手が、大剣の柄をしっかりと握りしめた。
両手持ち。今までどんな敵が相手でも軽々と片手で扱っていたあの重い大剣を、彼は両手で持った。それこそが、彼の本当の戦闘スタイル。
「両の腕で齎さん、有りと有る命を失わせ、一意の死を齎さん」
静かに、しかし絶対的な死の宣告のような口上が、迷宮の空間へと重々しく響き渡る。
「我が名は不治瑕北神流アレックス・カールマン・ライバック」
大上段に構えられた剣が、真っ直ぐに振り下ろされた。
「──奥義、『破断』!!!」
激しい爆音と閃光が炸裂したかのような衝撃波が一直線に走り、俺たちの正面にあった直径数メートルはあるキングなスライムが、そしてその背後に広がる空間ごと、文字通り一撃のもとに真っ二つに叩き割られ、消し炭のように霧散していった。
圧倒的な、純粋なる一撃粉砕の矛。
「やりましたね。師匠」
「ええ。では、先に進みましょうか」
「はい」
俺達はそのまま真っ直ぐに進み始めた。あれほどの一撃を見せつけられた後だからか、進んでいる間、魔物は一切出てこなかった。
しばらくこれまでの旅のことなどを談笑しながら進んでいると、急に景色が切り替わった。
洞窟のようなゴツゴツした岩肌が終わり、視線の先から綺麗に切り出された石造りの壁になっていた。壁には等間隔に燭台も灯されており、下はレンガのような道になっている。洞窟というより、完全に建物という印象が強くなった。
「おや、随分と雰囲気が変わりましたね」
「迷宮らしくなっていいじゃないですか。いかにも『宝物庫』へ続いてるって感じで。ワクワクしますね」
「そうですね。特に中央にあるあの竜の石像はカッコイイ!」
師匠が指差した先、竜の石像の真下には、記憶通り一つの石碑があった。文字は全くわからない。恐らくあちらの世界の言語の一つである『トラン語』だろう。
「……なんですかね、この文字。見た事がありませんよ。アスラの古代文字とも違いますね」
「……」
──どうするべきか。翻訳は何となく覚えているけど、流石にこれをすらすら読んだら怪しまれるよな。……いや、もういいか。師匠ならきっと、変な目は向けてこない。さっきからちょくちょく怪しかっただろうし、俺。
腹をくくり、俺は石碑の文字を指でなぞった。
「『竜の牙の中に真実は存在する。すべては竜の尾に辿り着く前に』」
「……驚きましたね。君、この文字が読めるのですか?」
「読めるってわけではないですよ。ただ、昔読んだ本に似たようなものがあって、見覚えがあるってだけです」
師匠は俺を不思議そうに見ていたが、それ以上の詮索はして来なかった。ありがたい。俺は師匠のこういう大人の余裕がある所が結構好きだ。
「……どういう意味なのでしょうか」
「見る限り、ここも一本道で繋がってるので、とりあえず進んでみましょう」
俺と師匠は竜の石像の下を通過し、歩き始めた。
すると、それはすぐに現れた。天井には数え切れないほどの尖った鉄の槍。床には不自然な無数の穴。左右の壁にも同様の仕掛けが施されていた。一歩でも踏み込めば四方八方から槍や剣が襲いかかってくる、分かりやすいほどの罠のエリアだ。
「……分かりやすいほどの罠ですね」
「師匠。俺の
そう言うと、師匠は俺の半歩後ろに着いた。
俺は意識を集中させ、自分の身体と師匠を包み込むように
生身のアリババだから必死に避けるしかなかった罠だが、俺には闘気があるし、何より
「ルーク君。あの石碑に書いてあった言葉の意味ですが、君はどう考えていますか?」
「多分ですけど、石碑に書いてあった竜の牙っていうのが、ここの罠の事なんだと思います。竜の尾ってのが、ここを進んだ奥、ですかね」
「なるほど。上下左右から繰り出される剣と槍の嵐を、竜の牙と表現しているというわけですか。中々良いセンスをしていますね、ここの設計者は」
俺と師匠はそんな竜の牙など意に介さずに、堂々と真ん中を並んで歩いていく。しばらく歩くと、カチリと駆動音が止まり、罠の仕掛けは無くなった。
「さて、ここからですね」
「……」
──多分、この下にあるのが最後の罠だな。
俺の足元には、見覚えのある床があった。一見ただの石畳の道に見えるけれど、よく見ると微妙に四角くくり抜かれている跡がある。アリババも最後は偶然という形でここに落ちて、最深部に辿り着いたはずなのだ。
「ルーク君? 進まないのですか?」
「……師匠。一応、俺の傍から絶対に離れないでください」
──
身構えた瞬間、ガコンと大きな音がして、俺たちの足元の床が唐突にパカっと開いた。
「ルーク君!」
「分かってます!」
俺は師匠に言われるより前に、全魔力を込めて
ドサリ、と激しい衝撃音が響く。
「ふぅ。少しヒヤッとしましたね」
「最悪、師匠一人で落ちても、闘気を纏えばこの程度は問題ないでしょ」
「それはそうですが、何故私が一人で落ちる前提なのでしょうか」
「だって、師匠意外とおっちょこちょいな所ありますもん」
「……ありませんよ」
「自分でも分かってる間じゃないですか。ほら、行きますよ」
ぐぬぬ、と否定できない声を上げている師匠を無視して、俺は光が出ている方角へ歩いていく。
「行くってどこに?」
「石碑の言葉の中に『竜の牙の中に真存在する。すべては竜の尾に辿り着く前に』とありましたよね。俺は最初、あの上下左右の罠のことを竜の牙だと思っていましたけ。けど、もしかしたら、ここが本当の竜の牙の中なんじゃないかと途中で思ったんです」
師匠は考え込むように顎に手を当てて黙り込む。
「なるほど。では、竜の尾というのはどこに当たるのでしょうか」
「恐らく、あの上下左右の罠を突破した後、ここに落ちずに真っ直ぐ進んだ先の事を言うのでしょうね」
「……では」
「ええ。こっちが正解のルートです」
──これだけ確信めいたこと言って違ったらどうしよう。めちゃくちゃ似ている別の迷宮でした、ってオチだったらどうしよ。……まいっか。その時はその時だ!
俺の言葉に納得したのかしていないのかは分からないが、とりあえず師匠は俺の後ろをしっかりと着いてきてくれた。
光の先を進むと、通路は唐突に終わりを告げ、そこには言葉を失うほど広大な、神殿のような大広場が広がっていた。
そして、その最奥。そこには、優に100メートルは超えるほどの大きな金色の扉があった。
──これは、凄いな。本物だ……!
隣にいる師匠も、あまりの圧倒的な衝撃に声が出ていない。人の手で造られたとは思えないこの神秘さと重厚感。空間全体が、神聖な空気に満ちていた。
扉の中央には、あの光り輝く『八芒星』の紋章が刻まれている。
「八芒星もある。本物だ」
俺は扉の前まで歩いていき、その冷たい金属の表面にそっと触れた。
──ここであの言葉を言えば。いや、原作の知識だとあれじゃなくても強い意志があれば良いらしいけど、でも、せっかくならあの言葉で!)
俺は深く息を吸い込み、声を張った。
「『ひらけ〜〜っ……ゴマっ!!』」
その瞬間、ズズズ……と地響きのような鈍重な音が鳴り響いた。人の手では決して開けられそうにないこの巨大な扉が、勢いよく左右へと開き始めたのだ。
「……勝手に、開いていく……」
師匠が驚愕の声を漏らす。
扉の向こう側から、まばゆい黄金の光が、俺たちの全身を包み込むように溢れ出してきた。
──待ってろよ、『アモン』。
俺は師匠を待たず、光り輝く扉の向こうに向かって、全力で走り出した。
☆☆☆
扉の向こうは、真っ白な煙が辺りを猛烈に渦巻いていた。
視界は完全に遮られ、数メートル先すらおぼつかない。ただ、肌を刺す空気の震え方から、そこが途方もなく「広い空間」であることだけが何となく分かった。
それでも、俺は走り出す足を止めることができなかった。前世からずっと憧れ続けた世界の真実が、すぐそこにある。胸を突き動かす猛烈な衝動に突き動かされるまま、俺は白煙の中をがむしゃらに突き進んだ。
──だが、興奮しすぎていた。
「うおっ──!?」
突如として、踏み出した右足が虚空を掴んだ。
煙の向こう、地面が唐突に途切れ、底の見えない崖が口を開けていたのだ。
一瞬、身体が浮き上がる。あの落下の恐怖が脳裏をよぎり、俺は冷や汗を流しながら、半ばパニックになりながらも、本能的に前へと手を伸ばした。
ガシッ、と指先が崖の縁の岩肌を捉える。
「ぶねぇっ……!!」
危うく真っ逆さまに落ちる寸前、凄まじい筋力で何とか自重を支え、ずるずると這い上がった。生きた心地がしなかった。
岩場の上に這いつくばり、泥だらけになりながら「はぁ、はぁ」と激しい呼吸を繰り返す。
何とか生還し、一息ついてから、俺はゆっくりと視線を上げた。
その瞬間、頭上の白煙が嘘のようにさっと晴れ渡り、眼下の全貌が明らかになった。
「…………嘘、だろ……」
絶句した。呼吸をすることすら忘れて、俺はその光景に文字通り魂を奪われた。
そこに広がっていたのは、ただの宝物庫などではなかった。地の底に眠る、圧倒的な規模の『都市』だった。
整然と立ち並ぶ石造りの巨大な建造物群。アスラ王国の王都すら小さく思えるほどの広大な敷地に、幾何学的な美しさを持つ古代の遺跡──いや、かつて別の世界で栄華を極めたであろう「古代都市」そのものが、何ひとつ崩れることなく完璧な姿で佇んでいた。どこか幻想的で、どこか寂しげで、見る者すべてを平伏させるような絶対的な神秘性が、その街並みには宿っている。
「……はぁ〜〜……すごい……これは迷宮どころじゃない。未知の古代都市、そのものが眠っていただなんて……」
いつの間にか、足音もなく俺の後ろに追いついていた師匠が、絞り出すような感嘆の声を漏らした。世界最高峰の剣士として、あらゆる大陸の絶景や驚異を見てきたはずのあの人が、子どものように目を丸くして震えている。
「……えぇ。想像以上です」
俺の声も、自然と震えていた。頭の知識として知っていることと、こうして本物の光景をこの二つの目で見るのとでは、次元が違いすぎた。
「……ルーク君。あの、中央にある塔のようなものは何でしょうか」
師匠が指差した先。都市の真ん中には、天をも衝くような、見たこともないほど巨大な巨塔が聳え立っていた。天井の岩盤を貫くようにしてそびえ立つその姿は、まるでこの地下空間、ひいてはこの古代都市そのものを一本で支えている柱のようだった。
「……とりあえず、一番目立つあそこに向かいましょう」
「……そうですね。あそこに何かがあるのは、間違いなさそうです」
俺と師匠は崖を迂回し、都市の入り口へと繋がる階段を下りて、そこへ向かって歩き始めた。
一歩、街へと踏み入ると、周囲の巨大な建造物の威圧感にさらに圧倒された。
レンガ一つ、柱の一本に至るまで、この世界のどの建築様式とも異なる、あまりにも高度で不自然な文明の跡。二人とも、完全に言葉を失い、周囲の建物に呆気にとられながら歩みを進めていく。見上げるたびに、胸の鼓動が早くなるのを感じた。
静寂が支配する古代の街並みを、俺たちの足音だけが規則正しく響き渡る。
その時だった。
「……君はこの迷宮を、最初から知っていたのですか?」
唐突に、背後から師匠の静かな声が降ってきた。
俺の心臓が、ドクンと嫌な跳ね方をする。
やっぱり、気づかれていたのだ。
入り口での『〇と×の印』の解説、迷宮の魔物の生態、そして石碑の未知の言語の翻訳。どれだけ初見のフリを取り繕おうとしても、俺の立ち回りや態度には、この迷宮を知っている者特有の「迷いの無さ」が滲み出てしまっていたのだ。
歩みを止めず、前を向いたまま、俺は小さく息を吸い込んだ。
「……この迷宮から出た後、俺の全てを話します」
少しの間を置いて、師匠が問いを重ねる。
「ここではダメなのですか?」
「この後に起きる事まで、俺の目で、最後まで確認したいんです。それに……」
俺はほんの少しだけ歩調を緩めた。
「いざ俺の事を話したとして、師匠に今までのように接してもらえるか、分かりませんから。……この話は、俺の本当の家族にも、シルフィにも、誰にも一度もしたことがないんです」
全てを打ち明けること自体に、抵抗が無いわけではなかった。
けれど、ずっと後ろめたさを持ってみんなと接していたのは事実だ。
俺はルーク・ノトス・グレイラットというこの世界の人間であって、その中身は、全く異なる世界からやってきた異物の記憶を持つ人間。それを知られた時、この優しくてお節介な師匠ですら、俺を気味悪がって離れていってしまうのではないか。そんな恐怖が、胸の奥で燻っていた。
「……約束です。この迷宮から出たら、君の事を教えてください」
振り返らなくても分かった。
師匠は俺の言葉を聞いて、ひどく寂しそうな、少し悲しそうな顔をしてそう言ったのだ。
その声のトーンだけで、あの人の表情が痛いほど想像できてしまった。
そこからは、刺すような嫌な沈黙が続いていった。
気まずい。そして、何よりも申し訳ないという感情が、ぐるぐると俺の胸を焦がしていく。
師匠はきっと、「まだルーク君に信頼されていないのではないか」とか、「自分は師匠として頼りなかったのだろうか」とか、そんな風に思って傷ついているはずだ。内心で俺は、師匠のそんな繊細な気持ちを痛いほど察していた。
あんなに慕っている恩人に、あんな悲しい声をさせてしまった。
自分が前世の秘密を抱え込んでいるせいで、目の前の大切な人を傷つけている。その事実が、二日酔いの時なんかよりもずっと重く、俺の胸にのしかかっていた。
お互いに一言も喋らぬまま、ただ、都市の中央に聳え立つ巨塔の影が、じわじわと俺たちを飲み込むように近づいてくる。
申し訳なさと焦燥感を抱えたまま、俺は重い足取りで、真実の待つ塔へと向かって歩き続けた。
気まずい沈黙を引きずったまま、俺と師匠は古代都市の中央にそびえ立つ巨塔の入り口へと辿り着いた。
塔の内部は、外の神殿とも都市とも違う、恐ろしいほどの熱気が渦巻いていた。冷や汗が乾く暇もなく、全身から汗が噴き出してくる。
レンガ造りの螺旋階段を上り詰め、最上階の広大な円形の間へと、俺たちは並んで足を踏み入れた。
その瞬間だった。
ズ、ズ、ズ、ズ、ズンッッ!!!!
突如として、俺たちの足元の床に刻まれていた八芒星の紋様が、おぞましい赤黒い光を放って明滅した。
反射的に剣の柄に手をかけたが、遅い。俺と師匠のちょうど中間の床から、強固な半透明の「光の障壁」が、もの凄い速度で天井に向かってせり上がってきたのだ。
「なっ……!? ルーク君!」
障壁の向こう側に取り残された師匠が、目を見開いて叫び、黒竜の剣を抜いて光の壁へと叩きつける。
世界最高峰の剣士の一撃。それを受けてなお、光の壁は不気味な脈動を繰り返すだけで、傷一つ付かない。完全に空間そのものが隔離されてしまった。侵入者の戦力を分断するための、迷宮の冷徹な防衛システムだ。
「ルーク君!! 下がりなさい!! その壁を私が今すぐブチ破る!!」
背後から、師匠が必死に叫びながら剣を何度も振るう音が聞こえる。
けれど、それを許さないとばかりに、この隔離空間の最奥から、地を震わせて圧倒的な巨体を誇る一頭の赤竜が這い出してきた。
──グ、オ、オ、オ、オ、オ、オ、オオオオオオオオオオオオッッ!!!!
通常の赤竜の優に二倍はある体格。折り畳まれているその巨大な翼は、もし完全に広げれば三倍以上の大きさになるだろう。全身の鱗は不気味な粘液で辛うじて繋ぎ止められており、ところどころ肉が腐落ちて骨が露出している。紛れもない、ゾンビ──不死の怪物。
巨竜は激しく頭を振り、その腐った眼球でまっすぐに、俺の、俺の髪を見つめた。
その瞬間、巨竜の残った意識が、俺の頭の中に直接響いてきた。
『オオ……オオオオ、ラプラス……!! ラプラスなのか……!?』
──ラプラス? なんだ、なんの事だ……!?
突如頭に響いた知らない名前に、俺の思考は困惑で一瞬停止した。
だが、巨竜はすぐに悲痛な絶叫を上げた。
『違う……! お前は、ラプラスではない……! 髪も違うが……魂が、違う……!』
あいつの咆哮に、迷宮の意志が混ざり合う。防衛システムが赤竜の巨体を無理矢理に突き動かした。
巨竜の目が赤く染まり、その周囲の空間が不自然に歪み始める。
巨竜の巨体が低く構えられると同時に、俺の身体が突如として数倍の重力に押し潰されるように重くなった。『魔術』だ。さらに、あいつの背後に、十数発もの巨大な追尾火弾が浮かび上がり、一斉に俺へと収束してくる。
「師匠!! そこにいてください!!」
俺は叫び、愛剣を真っ直ぐに引き抜いた。
重力に抗いながら、全ての魔力を練り上げる。襲いかかる火弾の嵐に対し、俺は眼前に『水鏡の盾』を最大出力で展開した。
直後、猛烈な爆炎が視界を赤く染め、凄まじい熱波が防壁を叩く。激しい衝撃に足が後ろへと滑るが、俺は歯を食いしばり、魔術の負荷すら気合で撥ね退けて踏みとどまった。
だが、ただの赤竜なんかじゃない。魔術を撃つだけでは終わらない。
火炎の煙を突き破り、家一軒ほどもある巨大な尻尾が、鞭のようにしなって俺の防壁へと叩きつけられた。
凄まじい質量攻撃。並の強度ではなかった防壁が、一撃でガラスのように粉々に砕け散る。
俺は闘気を限界まで跳ね上げて衝撃に備えたが、凄まじい衝撃波に突き動かされ、床を数十メートルも横滑りしながら吹き飛ばされた。口の中に鉄の味が広がる。
『我が身体、囚われ、主への忠義を汚される……! 頼む、緑髪の戦士よ……我が魂を、解き放ってくれ……!!』
脳裏に響く、巨竜の悲痛な懇願。あいつは操られながら、涙を流すように俺に殺してくれと叫んでいる。
巨躯が、床を割りながら俺に向かって突進してくる。通常の赤竜とは比較にならない速度。さらに足元からは、俺の動きを制限するように無数の岩の槍がせり上がってくる。
──まともに受けてたらジリ貧だ……。アイツを救うには、師匠の『破断』を叩き込むしかない。成功させたことの無い技をここで完成させるしかない。だけど、あの技は全身の闘気を限界まで練り上げる『タメの時間』が必要だ。どうやって、あの化け物の動きを完全に止める……!?
迫り来る巨大な前足。踏み潰されればひとたび、一溜まりもない。
俺は突進の直前、自らの気配を完全に遮断した。──『影纏い』。
巨竜の爪が床を激しく粉砕する。だが、そこにはもう俺の姿はない。気配の錯覚によって間合いを狂わされた巨竜の爪は、俺がいた場所のわずか数センチ横の空間を空振っていた。
今だ。俺は空振った巨竜の太い前足の直下へと、あえて潜り込んだ。
気配を捉え直した巨竜が、狂暴に首を払い、その巨大な顎で俺を噛み砕こうと食らいついてくる。
「こっちだ、デカブツ……ッ!!」
俺は前世の知識、そして師匠との地獄のような修行で培った、後手必勝の感覚のすべてを研ぎ澄ました。
噛みつきの軌道、噛みしめる力の方向。そのすべてを見極め、俺はあえて、サレヤクトの鼻先に向けて極小の、しかし超高密度の防壁魔法をピンポイントで展開した。
ただ防ぐんじゃない。噛みつく力のベクトルを、完全に「真上」へと逸らす角度で。凄まじい金属音が響き渡る。
巨竜の強烈な噛みつきの力は、俺の防壁の傾斜によって、自らの頭を上空へと跳ね上げる力へと完全に変換された。自分の凄まじい筋力のせいで、巨躯が、無防備に上空へと大きくのけ反る。
さらに俺は、跳ね上がった巨竜の顎の下に向けて、残った全魔力で
のけ反った巨竜の頭部と前足が、俺の作った魔力の楔に挟み込まれるようにして、完全に宙で固定される。
ゾンビの凄まじい怪力をもってしても、自らの体重の慣性と、幾重にも重なる強固な防壁の物理的な固定を即座に引き剥がすことはできない。
時間にして、わずか数秒。だが、アイツの動きを完全に止めた。タメを作るには、これ以上ない、完璧な『隙』だ。
「師匠……!! ここで完成させます!」
俺は叫び、愛剣を大上段へと構えた。
脳裏に浮かぶのは、先程の、師匠の圧倒的な後ろ姿。多くの敵を一振で終わらせる、純粋なる一撃粉砕の矛のイメージ。
「右手に剣を」
俺は愛剣の柄を、右手で強く握りしめた。
床に張り付く魔術の術式がパキパキと音を立てて弾け飛ぶ。全身の細胞から、これまでに練り上げたことのないほどの、濃密な黄金の闘気が噴き出し、暴風となって周囲の熱気を吹き飛ばしていく。
「左手に剣を」
そして、俺の左手が、愛剣の柄へと添えられた。
両手持ち。いつもは片手で、軽さと捌きやすさを重視していた俺が、初めて、その剣を両手で深く握り込んだ。闘気の輝きが、愛剣の刃を包み込み、巨大な光の刃へと膨れ上がっていく。
「両の腕で齎さん、有りと有る命を失わせ、一意の死を齎さん」
師匠の口上が、俺の魂と同調するように脳内で木霊する。
防壁の楔を強引に噛み砕き、ようやく自由を得た巨竜が、俺の構えを見て、最期に穏やかに目を細めたように見えた。その眼窩の奥の紅い光が、静かに揺れる。
『感謝する……。ラプラスに似た戦士よ……』
不甲斐ない自分を強くするために、師匠がすべてを授けてくれたこの肉体。この筋肉。この技術。そのすべてを、今、この一撃に捧げる。
「我が名は不治瑕北神流──ルーク・ノトス・グレイラット」
大上段に構えられた剣が、真っ直ぐに、重く振り下ろされた。
感覚で技術を学ぶ俺の身体が、世界最高峰の『矛』の軌跡を、完全にその肉体に再現していた。
「──奥義、『破断』!!!」
激しい閃光と爆音。
魔術を操る赤竜の、通常の二倍はある巨体が、そして翼を広げれば三倍にもなるその強靭な肉体が──俺がその身に刻み込んだ、不死を断つ絶対の矛によって、その核ごと一撃のもとに真っ二つへと両断された。
粘液の呪縛が解け、赤竜の身体が光の粒子となって崩壊していく。
サラサラと消えていく光の塵の中で、赤竜の魂が、ようやく自由を得て天へと昇っていくようだった。
「……はぁ、はぁ、……やり、遂げたぞ……」
全身の力が抜け、俺はその場に膝をつき、剣を杖代わりにしながら大きく息を吐いた。
その瞬間、俺たちの間を阻んでいた半透明の光の壁が、ガラスが割れるような音を立てて木っ端微塵に砕け散った。
「……ルーク君!!」
足音を荒げて、師匠がこちらに駆け寄ってくる。
俺は少し緊張しながら、膝をついたまま、ゆっくりと師匠を見上げた。師匠は俺の前にしゃがみ込むと、その大きな手で、俺の緑色の頭髪をこれまで以上に無造作に、ぐしゃぐしゃと温かく撫で回した。
「……見事です、ルーク君。まさか、『破断』を土壇場で自分のものにするだなんて。君は本当に……自慢の弟子だ」
「……すんません、師匠。無茶をしました」
「いいのです。父さんの北神流を、君がそれほど大切に、完璧に受け継いでくれた。これほど嬉しいことはありませんよ」
師匠は優しく微笑み、俺に手を差し伸べる。
俺はその手を握り、力強く立ち上がった。命を預け合い、そして俺が自らの力で境界を越えたことで、俺たちの絆は、言葉を交わすよりも深く、強固に結ばれたのだ。
赤竜の巨体が消え去った部屋の最奥。
そこには、これまで隠されていた、もう一つの小さな扉が姿を現していた。
その扉の隙間からは、先程の魔術の熱とは違う、どこか厳かで、しかし圧倒的に熱い──なにかの気配が、静かに漏れ出していた。
「さあ、行きましょう, 師匠。この先に、俺の、すべての答えがあります」
「ええ、行きましょう。君の真実を、見届けに」
俺は、今度こそ迷いのない足取りで、最深部の扉へと歩みを進めた。
☆☆☆
目の前に広がっていたのは、前世の記憶にあった山のような金銀財宝が眩く輝く宝物庫とは、あまりにもかけ離れた光景だった。
一言で言うなら、それは古びた「物置」だった。
広い空間のあちこちに、ごちゃごちゃとした雑多な品々が乱雑に転がっている。けれど、それらはすべて、生気のない灰色をした石のような素材で出来ていた。長い年月放置されていたのか、青黒い苔がびっしりと生い茂り、どれもこれもがみすぼらしくボロボロに朽ち果てている。
「……あの壮大な
肩を落とし、あからさまに落胆した声を漏らす師匠。確かに、命懸けの激闘の果てにたどり着いた場所がこの寒村の倉庫のような有様では、悲しくなるのも無理はない。
だが、俺の目は、それらのガラクタには一切向いていなかった。
「……あった」
周囲のボロ布や石の山には目もくれず、俺は部屋の中央にぽつんと置かれている、ひとつの壺の元へと迷わず歩いた。
「なんですかこれは?」
師匠が怪訝そうに覗き込んでくる。その壺の真ん中には、間違いなく、あの『八芒星』の紋章が深く刻み込まれていた。
間違いない。この中に、奴がいる。
「……」
俺は息を呑み、静かに右手を伸ばして、壺の八芒星へと触れた。
──瞬間、世界が黄金に染まった。
地を震わせるような重低音と共に、みすぼらしかった壺が、爆発的な金色の一閃を放って輝き出す。
凄まじい熱量を持った、陽炎のような黄金のオーラが壺から噴き上がり、それと同時に、周囲に転がっていた石の剣や装飾品までもが、まるで命を吹き込まれたかのように一斉に金色の輝きを放ち始めた。
壺から放たれたオーラの奔流は、激しい大渦となって巨塔の天井を、そして巨塔そのものを一瞬で突き破り、天へと向かって垂直にまっすぐ伸びていく。その圧倒的な余波によって、石造りだった部屋の壁も、天井も、床も、世界のすべてがまたたく間に眩い純金へと作り変えられていった。
そして、その黄金の光の柱の中から、遂に「そいつ」が姿を現した。
その巨躯は、この広大な古代都市の天井へと届くほどに巨大だった。
山がそのまま立ち上がったかのような、人知を超えた圧倒的な存在感を前に、俺は危うく腰を抜かしそうになった。強烈なプレッシャーに息が詰まり、隣にいる師匠の様子を気にする余裕すら持てない。おそらく、世界最強の一角であるあの人も、俺と全く同じように、この神の如き威容にただ圧倒されているはずだった。
『……誰だ? 我が力を引き出し、王になるのは……?』
地の底から響く地鳴りのような、厳つく、そして途方もない威厳を孕んだ老人の声。厳格さをそのまま形にしたような、固く重々しい声音が空間を満たす。
『お主か?』
あまりに巨大すぎて視線がどちらを向いているのか判別しづらいが、おそらく、アモンはまず師匠のほうを見下ろしてそう言った。
『……ほう。凄まじい強い生命力を感じる』
ふむ、と一呼吸置いた巨躯の魔神は、今度はゆっくりと俺のほうへその顔を向けた。
『……なるほど。先ほどから妙な、異界の気配がしておると思うていたが……お主か』
アモンは確かにそう言った。言ったはずなのだが──あまりにも巨体が遠すぎて、声が反響し、何を言っているのか細部がほとんど聞き取れない。
「……すいません! ちょっとよく聞こえないです!!」
黄金に輝く空間に、俺の場違いな大声が響く。
『……む、そうか。これは不調法を働いたな』
俺の言葉を聞いた壺の魔神は、苦笑を漏らすようにその巨体を急速に縮小させていった。眩い光が収縮し、やがてこの純金の部屋の中にちょうど収まる程度──一般的な人間より一回り大きい程度の大男のサイズへと姿を変えた。
額には、漫画の記憶通りに「第三の目」が静かに開いている。その姿は、礼節と厳格から作られしジン、本物の『アモン』そのものだった。
「……」
『……』
縮んだアモンは腕を組み、ただ黙って俺をじっと見つめている。あまりの沈黙の長さに、俺はたまらず口を開いた。
「……いや、何か言ってくださいよ」
『……お主が、あの赤竜王サレヤクトを討ち果たしたのか』
「……? あの、部屋の前にいた、魔術を使う赤竜のことですか?」
『そうだ。あやつは、遥か昔に突如としてこの迷宮に入り込んできた。ワシの力で追い出そうと思ったのだが、あやつの肉体に妙な、強固な力が入り込んでいるのか、どうしても出来なんだ。あやつ自身も、本当はこの迷宮から出たがっておったのだがな』
その赤竜王サレヤクトを語るアモンの口調は、不思議なほど穏やかだった。まるで、長年連れ添った風変わりな旧友の話をするかのように。
『……ワシも長い間、この地下で暇でな。扉の外にいるあやつと言葉を交わすくらいしか、やることがなかったのだ。と言っても、お互いの若かりし頃の昔話を、何度も何度も繰り返していただけだがな』
「……赤竜王サレヤクト。……なるほど。あのゾンビは、かつて世界を震撼させた五大竜王の一角、赤竜王の遺体だったのですね」
師匠はこれまでの旅の知識と結びついたのか、得心がいったように拳で手のひらをポンと叩き、深く納得の言葉を漏らした。
『我が名はアモン。礼節と厳格から作られしジン。お前たち二名の、迷宮完全攻略を認める』
アモンは厳格そうな表情を引き締め、俺たちを真っ直ぐに見据えた。
『……お前たち二人には、どちらも我が王となる資格、素質がある。選べ、どちらが我を従える王となるのだ?』
アモンの鋭い三つの目が、俺と師匠を交互に見つめる。どうやら、俺だけでなく、師匠にも『金属器』を持つ素質が十分にあるらしい。だが、師匠は俺の顔を一度じっと見つめると、すぐにアモンの前へと歩み出た。
「……ルーク君。彼は何を言っておられるのですか?」
「……簡単に言うと、彼が持つ特殊な力を、俺たちどちらかに与える、ということです。どちらがそれを受け取るか、選べと」
「なるほど」
師匠は短く応じると、迷いのない足取りでアモンの正面へと立ち、その澄んだ瞳で魔神を見上げた。その背中には、一切の私欲など存在しなかった。
「王になるのは私ではありません。彼です」
「……師匠」
驚いて声を漏らした俺を振り返り、師匠は優しく微笑んだ。
『ほう。では、王になるのはお前か』
アモンの射抜くような厳しい視線が、今度は俺の全身を貫く。俺は怯むことなく、その三つの目を真っ直ぐに見返し、己の内に秘めた強い意志を込めて、はっきりと答えた。
「はい」
『……お主の魂の根底からは、あの不吉な闇の気配は感じられん。だが、聞いておこう。我が王となるからには、相応の覚悟が必要だ。お前は、何のためにその強大な力を望む?』
その質問に対する答えは、とうの昔に決まりきっていた。
前世の記憶にある、あの世界の金属器使いの王たちも、それぞれの揺るぎない意思を持って金属器を手にしていた。俺の中に宿る、絶対に曲がることのない確固たる意思。それは、ブエナ村のあの日から、一歩一歩泥を啜りながら剣を振ってきたあの日から、何一つ変わっていない。
「──俺の、大切な人を守るために」
言葉に力を込めて、俺は言い切った。家族を、そしてシルフィを、俺のこの腕で二度と離さず、守り抜くために。
『……そうか。よし、分かった。お前を我が主として認めよう』
アモンは深く満足したように一度だけ頷くと、それだけを言い残し、何故かその場で宙に向かって指先で複雑な魔法陣を描き始めた。
「……あの、アモン殿。一体何をされているんですか?」
『お前達の帰りの魔法陣を書いてやっているところだ。世界の境界を越える術式ゆえ、少々時間がかかる。もう少し待っておれ』
アモンがブツブツと呟きながら指先を動かし続ける中、俺と師匠は、純金へと姿を変えた宝物庫の片隅で、手持ち無沙汰のまま少しの間待つことになった。
しかし、五分が経ち、十分が経ち──徐々に俺たちは飽き始めていた。
「ルーク君、せっかくですから、持って帰れる程度の財宝を少し回収しておきませんか?」
「そうですね。これだけあるんですし」
俺たちは気まずい沈黙を紛らわせるように、黄金の部屋に転がっている財宝をいくつか拾い集め始めた。その中に、ひときわ美しく輝く、深い緑色のエメラルドが嵌められた一対のイヤリングを見つけた。
──……これ、似合うかな。
無意識のうちに、あの長い耳をピコピコと赤く染める少女の姿を思い浮かべ、俺はそっとそれを懐へと仕舞い込んだ。隣を見ると、師匠がすべてを察したような顔で、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべてこちらを見ている。
「な、なんですか師匠」
「いえいえ、誰のお土産かな、と思いまして。可愛いですねぇ、ルーク君も」
「うるさいです。ほら、そっちの金貨でも集めてください」
そんな軽口を叩き合っていると、術式を完成させたアモンが、重々しい声で俺たちを呼び寄せた。
『よし、出来たぞ。お主ら、この魔方陣の中に入れ』
回収を終えて、戻る準備を整えた俺たちは、アモンに言われるがまま地面に描かれた光る魔法陣の上に立つ。ふと頭上を見上げると、そこには、ここへ引きずり込まれた時と同じ、あの不気味に揺らめく「水の膜」がエレベーターのように俺たちの足元から近づいてきていた。
「……まさか、またあの膜を通るのか」
『うむ。この世界の理を超える超空間だ。ここを通らなければ、一生この迷宮からは帰れんぞ』
「あの、意識を強引に引っ張られるような最悪な感覚は、もう二度と味わいたくないと思っていたのですが……」
俺と師匠は揃って苦言を呈しながらも、観念して魔法陣の上で身構えた。
『おお、そうだ。大事なことを忘れておった。契約を結んだ以上、ワシも共に行かねばなるまいの』
アモンがそう呟いた瞬間、彼の肉体がさらに極小の光の球へと収縮し、一直線に俺の手元へと飛んできた。そして、俺が握りしめていた愛剣──『流閃剣』の刀身の中へと、吸い込まれるようにしてそのまま消えていった。
直後、流閃剣に、アモンの象徴である鮮やかな黄金の『八芒星』の刻印が、じわりと焼き付くように浮かび上がった。
「ええっ!? アモン殿が、ルーク君の剣の中に吸い込まれていきましたよ!?」
目の前で起きたあまりの超常現象に、師匠がひっくり返りそうな声を上げて驚愕する。
「……まあ、色々あるんですよ、本当に」
「……これは、街に戻ったら隅から隅まで教えてくださいよ? 君の秘密も、この迷宮の正体も、すべてをね」
「分かってますよ。約束ですから」
俺は黄金の刻印が刻まれた流閃剣を、愛おしさを込めてカチリと鞘へと収めた。
直後、足元の魔法陣が爆発的な光を放ち、頭上の水の膜が俺たちの身体を完全に飲み込んだ。
再び訪れる、あの意識が遠のいていく奇妙な浮遊感。けれど、不思議と恐怖はなかった。
手の中にある剣の重み、そして懐にあるエメラルドの確かな感触が、俺の心を強く、真っ直ぐに支えていた。
十四歳の剣士は、異世界の魔神の力をその身に宿し、待つ人のいる、本当の未来へと帰還するのだった。
タグにクロスオーバーを追加しました。あっちのキャラを出す気はありません。要素のみを出していくつもりです。
あと、感想欄で土曜日か日曜日に出すと言ったのですが、間に合いませんでした。すいません。