迷宮を目指した俺は、世界を間違えた 作:アルマトラン
真っ黒な世界に、ただ一人でぷかぷかと浮いているような感覚。
何も見えない。何も感じない。ただ、暗闇のどこか遠くから、ゴウン、ゴウンと重々しい駆動音だけが規則正しく響いていた。
それは本当に、どこか前世の記憶にあるエレベーターに乗っているみたいだった。不気味なほど振動が一ミリもないからこそ、余計に得体の知れない恐怖がじわじわと込み上げてくる。
落ちていく感覚は、もう無かった。
「……どこだ……? 暗くて何も見えないなぁ……」
俺は無意識のうちに、重い瞼の裏を手の甲で擦った。どうやら、知らない間に眠っていたのだろうか。身体の芯に、少し気だるい倦怠感が残っている。いつの間にか、俺は冷たい虚空の上にぺたんと腰を下ろしていた。
──真っ暗な空。ってことは……やっぱり、元の世界へ帰る途中なのか。
ふと目線を下に落とすと、遥か遠くに大きな球体が見えた。あそこに先程までいたのかと思うと、未だに現実の実感がまったく湧かない。
俺は手元に手繰り寄せた、己の愛剣──流閃剣に目をやった。その鞘の部分には、黄金に微かに煌めく八芒星の紋章が刻み込まれている。
──ここに『アモン』の紋章があるってことは、あの迷宮も、魔神の出現も、やっぱり全部現実だったんだろうけど。
古典的だが、確かに効果のある行為を試してみる。俺は自分の左頬を指先で強く抓ってみた。
──痛い。
確かな痛覚がある。ということは、俺は今、夢を見ているわけではなく、確実に起きているということだ。
カチリ、と音を立てて剣を鞘から引き抜く。青白い光を反射する刀身の根元にも、しっかりと八芒星の紋章が焼き付いていた。
間違いない。俺は、この世界で初めての『金属器』使いになったのだ。
「……けど、いざなってみると、あんまりピンと来ないなぁ」
ひとりごちて、俺はため息をついた。
行きも一人だったから、帰りもやっぱり一人なのか。でも、確か同じ魔法陣に師匠と一緒に乗ったはずなんだけどな。
俺は真っ暗な虚空の外の景色を眺めながら、答えの出ない疑問を胸に、しばらくボーッと考え込んでいた。
その時、ふと、胸元の懐にある違和感に気が付いた。
服の内側に手を滑り込ませると、指先にコツンと何やら硬い手応えが触れる。
取り出してみると、それは先ほど金の物置から拾い上げてきた、深い緑色のエメラルドが嵌められた一対のイヤリングだった。
──シルフィに渡そうと思ってた、ヤツだな。
手のひらに乗った宝石を見つめていると、自然と脳裏に、シルフィの姿が浮かび上がってくる。
長耳族特有の、あのすらりと尖った綺麗な耳。シルフィが照れたり怒ったり、感情の起伏を起こすたびに、ピコピコと落ち着きなく愛らしく動く、あの耳。
──きっと、めちゃくちゃ似合うだろうな。……それにしても、好きな女の子にプレゼントを渡すのなんて、一体いつぶりだろう。
前世のろくでもない記憶まで混ざり合い、俺の頭の中はシルフィへの贈り物への妄想でパンパンに膨らんでいた。あいつが喜んでくれる顔を想像するだけで、にやけ面が止まらない。
「フフフ……」
すると突然、俺のすぐ後ろから、我慢しきれないといった風の小さく楽しげな笑い声が聞こえてきた。
「っ!?」
心臓が飛び出るかと思うほど驚き、勢いよく振り返る。
そこには、いつの間にか暗闇に紛れて背後に立っていた師匠が、口元を片手で押さえながら、悪戯っぽく肩を震わせていた。
一気に、顔面へ血が集まっていくのが分かった。今の独り言も、にやけ面も、全部見られていたのだ。
俺は恥ずかしさのあまりに耳まで赤くしながら、あからさまに拗ねたフリをして、ぷいっとそっぽを向いた。
「……いるんなら早く声掛けてください。人が悪いですよ、師匠」
「あまりにも微笑ましい光景だったので、声をかけるのは野暮かと」
師匠は悪びれる様子も無く、ニコニコと温かい笑みを崩さぬまま俺にそう言った。本当に、この人はたまに大人の特権を使って俺をからかってくる。
「帰りは一人ではなく、一緒の空間で良かったですね、ルーク君」
「……まあ、そうですね。そこだけは安心しました」
「おや、まだ拗ねているのですか?」
「冗談ですよ、拗ねたフリです。俺が何歳だと思ってるんです? あと少しで成人ですよ、俺も」
俺はわざとらしく尖らせていた口元を緩め、拗ねる演技を解いて師匠に苦笑いを返した。
師匠はそんな俺の顔を、どこか遠い目をして、愛おしそうに見つめた。
「……出会った頃は私の腰の高さほどしかなくて、小さくて不甲斐ないガキだったのに。本当に、どんどん大きくなりましたねぇ」
「そりゃあ、四年も経てば成長期ですからね。背だって伸びますよ」
「人族は成長期が来るのが早いですからね。エルフや魔族と違って、一瞬で大人の階段を駆け上がってしまう。少し寂しいくらいですよ」
暗黒のエレベーターがゴウンと音を立てる中、俺たちはどちらからともなく、これまでの四年間の何気ない思い出話をぽつりぽつりと語り合い始めた。
「そういえば師匠、ビヘイリル王国での依頼、覚えてますか? 師匠が『私に任せなさい!』って豪語して突っ込んだのに、ただの狼の群れの中に泥穴があって、そこに思いっきり足を取られてひっくり返ったやつ」
「お、おや、そんなこともありましたかね!? 私は北神ですよ、そんなおっちょこちょいな真似をするはずが……」
「ありましたよ。あの後、俺が防壁魔法で狼の噛みつきを防ぎながら、泥まみれの師匠を必死に引っ張り上げたんですから。あの時の師匠、大人の威厳がゼロでしたよ」
「ぐぬぬ……。君はそういう細かい不名誉な記憶だけは、本当に本当によく覚えていますね」
師匠が悔しそうに顔を顰めるのを見て、俺は愉快になって笑った。
「じゃあ、パシェラント公国での一件はどうです? 師匠が『この果物は美味いんですよ』って言って俺に食べさせようとしたやつ。不審に思った俺が先に防壁で包んで観察してたら、中から紫色の毒液がブシュッと吹き出て、周りの岩がドロドロに溶けた件」
「……あれは、その、種類の見分けをほんの少しだけ誤っただけでして……」
「弟子を毒殺しかけておいて『ほんの少し』はないでしょ! 」
そんな他愛のない、けれど俺たちにとってはかけがえのない面白おかしいエピソードが、暗闇の中に次々と溢れ出していく。
語り合っているうちに、気がつけば古代都市で感じていたあの嫌な沈黙や、後ろめたさによる気まずさは、すっかり消え去っていた。
どんなにドジを踏んでも、どんなに不格好でも、この人はいつも俺の隣にいて、俺を一人前の剣士へと育ててくれたのだ。
他愛のない思い出話をしながらも、俺の頭の片隅では、あの前世の記憶が警鐘を鳴らし続けていた。
原作の『マギ』において、最初の迷宮を攻略したアリババとアラジンは、脱出の際、同じ場所ではなく全く別々の土地へと強制的に飛ばされていたはずだ。
──俺と師匠が同じ場所に戻れるという保証なんて、どこにもないじゃないか。
もし、光の膜を抜けた先で、俺たちが何千キロも離れた場所にバラバラに引き裂かれたら。
この秘密を打ち明ける機会は、二度と訪れないかもしれない。
──なら、今、ここで話しておこう。
俺はふっと笑うのをやめ、真剣な目を師匠へと向けた。
「師匠」
「ん? どうしました?」
俺の急なトーンの変化を察したのか、師匠の顔から笑みが消える。
「俺の過去のこと、街に戻ったら話すって言いましたよね」
「ええ。ですが……それは街へ戻って、落ち着いてからでは?」
「もしかしたら、俺と師匠は同じ場所に飛ばされないかもしれません。もの凄く遠くに飛ばされる可能性だって、十分にあり得ます。だから……ここで話しておこうと思って」
「……なるほど。それをあらかじめ知っているというのも、君の過去に関係しているのですね」
師匠の身体が、かすかに強張るのが見えた。
暗闇のエレベーターの中に、それまでの和やかな空気とは一変した、ピリピリとした重苦しい緊張感が走り始める。
世界最高峰の剣士であるあの人が、これから俺の口から語られるであろう「未知の真実」に対して、明確に身構えているのが肌で伝わってきた。
──……師匠、めちゃくちゃ肩に力が入ってるな。固くなりすぎだろ。
そのあまりの生真面目な様子に、俺のほうが少し気圧されそうになる。
「師匠がそんなに固くなる必要ないですよ」
「……分かってはいるんですがね。君のその様子を見ていると、どうしても少し緊張してしまいまして」
師匠は苦笑いを浮かべようとしたが、その表情はどこかぎこちない。
俺は深く息を吸い込み、意を決して、ずっと胸の奥に閉じ込めていた最大の秘密を口にした。
「まず──俺には、前世の記憶があります」
「……ん? ぜん、せ……?」
師匠が、マヌケな声を漏らして首を傾げた。何を言われたのか、一瞬理解できなかったような顔だ。俺は構わずに言葉を続ける。
「俺の前世の世界は、こんな剣や魔法がある世界なんかじゃありませんでした。もっと建物や乗り物が発達した、全く別の世界です。俺はその世界で、二十一歳の時に死にました。病気でね」
「…………」
師匠は完全に凝固した。松明の光に照らされたその顔は、文字通り、開いた口が塞がらないといった有様だ。
「……で、死んで、次に目が覚めたら、この世界に赤ん坊として転生していました。そこからルーク・ノトス・グレイラットとして必死に生きてきて、今に至るって感じです」
「…………」
「それで、俺がなんであの迷宮の構造や仕掛けを知っていたのかって言うのは……──って、師匠? 聞いてます?」
あまりにも応答がないので顔を覗き込むと、師匠の顔はこれまでに見たことがないほど引き攣り、パニックを起こしていた。
突然叩きつけられた規格外の情報量の前に、脳の処理機能が完全に停止してしまっている。そんな感じだった。
「……ち、ちょっと待ってください。ルーク君、少し待って、頭を整理させてください……」
師匠は額に手を当て、おろおろと視線を彷徨わせている。世界を真っ二つに叩き割る奥義を放ったあの威厳は、今や見る影もない。
「前世? 病死? ……ということは君は、あれですか。古代の禁忌とされる『転生魔術』か何か、特別な転生法によって、魂をこの世に生まれ変わらせたということですか……!? しかし、そのような大魔術、一体誰が君に……!?」
「いや、俺だってよく分かりませんよ。神様みたいな奴に会った記憶もないし、本当に気が付いたら普通の赤ん坊だったので」
「そ、そうですよね……。すみません、あまりの突拍子もないお話に、少し動脳してしまって……」
師匠は「ううむ」と唸りながら、本気で頭を抱えて動揺していた。
話すと決意していたからこそ、俺の口からは驚くほどスラスラと言葉が出てしまったけれど。
そりゃそうだよな、と心の中で苦笑する。自分が手塩にかけて、四年間も「可愛い愛弟子」として育ててきた十四歳の少年が、急に『中身は別の世界で二十一歳まで生きていた男です』なんて言い出したら、誰だってこうなるに決まっている。
激しく動揺し、何から突っ込めばいいのか分からずに混乱している師匠を目の前にして、俺は少しの申し訳なさを感じつつも、このまま一気に「迷宮の真実」についても話し切ってしまおうと、再び口を開いた。
「俺の前世の世界では、あの迷宮は物語の中に出てきたんです。あの迷宮自体も、俺に宿った『アモン』も」
暗闇をゴウン、ゴウンと進むエレベーターの中で、俺はそう切り出した。
「……だから君は知っていた、ということですか? 迷宮の仕組みも、あの石碑の文字の翻訳も」
「はい。迷宮に入る前から、どこかで見覚えがあるような既視感は感じていましたけど……中に入って進んでいくうちに確信しました。これは『アモン』の迷宮だと」
「……その、『アモン』とは何者なのですか?」
師匠はうんうんと唸りながら、心底困惑した様子で問いかけてくる。自分たちが今まさに攻略した壮大な迷宮が、愛弟子のいた異世界では架空の物語だった。その事実が、世界最高峰の剣士の常識を激しく揺るがしているのだろう。
「……なんと言えばいいか分かりませんけど、礼節と厳格から作られしジンで、炎を操ることが出来る魔神、ですかね」
「魔神!?」
俺の言葉に、師匠が弾かれたように声を尖らせた。その瞳に、一瞬で鋭い警戒の光が宿る。
「あの魔神ラプラスと繋がりがあるのですか!?」
──魔神ラプラス? いや、なんだそれ。聞いた事無いぞ……?
「魔神ラプラス? いや、聞いた事無いですね。アモンとラプラスは無関係だと思いますよ」
「……それなら良いのですが。かつてラプラス戦役を巻き起こした張本人ですよ。魔族を統一し、人族へと戦争をけしかけた本人です。私の父親である北神カールマン一世を含めた『魔神殺しの三英雄』がラプラスを封印し、戦役は終わりました」
「……魔神殺しの三英雄、ですか」
「ええ。今現在生きているのは、甲竜王ペルギウスのみですがね」
──いなかったよな、そんな名前の『ジン』は。いやまぁ、そもそも『マギ』に出てくるジンの数はあまり多くないから、俺がただ知らないだけの可能性もあるけれど……。いや、やっぱり別物だろ。
「魔神ラプラスは魔族からは英雄視されていますが、人族の間では物凄く恐れられています」
師匠は静かに、どこか複雑な声音で言葉を続けた。
「かつてラプラスも、そのラプラスに仕えていたスペルド族も、みんな緑色の髪だったとされています」
その言葉を聞いた瞬間、俺は改めて、今までの自分の待遇にストンと納得がいった。
なぜ周囲の人間があれほどまでに、俺に対して恐怖や嫌悪、腫れ物に触るかのような忌避の視線を向け続けていたのか。なるほどな。スペルド族だけでなく、かつて世界を滅ぼしかけた魔神ラプラスまでが俺と同じ緑色の髪だったのなら、あの過剰なまでの拒絶の目線にも完璧に説明がつく。
「……なるほど。今まで俺はスペルド族と髪が同じだからだと思っていたのですが、ラプラスとも一緒だったのですね。それならあの視線も、今更ながら納得がいきます」
「……ただ、父さんの話によれば、腑に落ちない点はあるのですがね」
「?」
「スペルド族のルイジェルドという戦士は、最後にラプラスとの戦いに参入し、結果として封印に至ったそうです」
「……つまり、ルイジェルドは仕えていた魔神ラプラスに反旗を翻したという事ですか?」
「そうなんです。ラプラスの護衛隊隊長であった人物が、最後には裏切り、人族側についた。私は、それが昔から不思議でしょうがなかったんです。なぜ、最後の最後でルイジェルドはラプラスを裏切ったのでしょうか」
「……」
──へぇ、スペルド族も悪い奴らだけじゃないんだな。
「……おっと、失礼しました。こんな事を君に聞いても、知っているわけがありませんよね」
「いえ。……でも、師匠も中々に複雑な立場ですね。母親は魔神ラプラスに仕えていた側で、父親は魔神ラプラスを封印した側だなんて」
「ハハハ。私は父さんを支持してますけどね。母さんはちょっと、人の話を聞かないところがあるので」
ハッキリと、どこか苦笑交じりにそう言い切る師匠を見て、俺は少し意外な気持ちになった。いつも飄々としているこの人にも、そういう生々しい家族の形があるのだ。
「とりあえず、魔神ラプラスとアモンは別物ですね。俺が知っている『ジン』は、悪い奴らは一人もいないので」
「君のその……物語? に出てくるジンとは、どのような人物達なのですか?」
興味を惹かれたように、師匠が身を乗り出してくる。
余すことなく物語全部を話してもいいけれど、それだとどれだけ時間があっても足りない。俺は記憶を整理し、できるだけ簡潔にまとめることにした。
「えっと、元は人間……というか、一人一人が生命として、俺達みたいに生きていたんですよ。種族はバラバラでしたけど、共存して生きてました。しかし、世界が滅びる程の大きな戦争が起きて、それを止めるためにソロモン王という王様に眷属として仕えていた異種族の長達と、ソロモン王の仲間達が協力して敵と戦ったんです。苦悩の末に勝利を収めたのですが、結果としてその世界は滅んでしまうんです。生き残った人達は荒廃した地上から逃れ、異種族の各自治区の地中に作られた『地下都市』へと移り住みました。──迷宮の最深部に残されていた、あの都市がそれです。暫くはそこで暮らしていたのですが、地下では資源にも限りがあり、飢えに苦しみました」
「…………」
突如として始まった壮大すぎる異世界の歴史に、師匠は「ううむ」と唸りながらも、必死に理解しようと真剣に耳を傾けている。
「そこで、ソロモン王の仲間の一人であるウーゴという魔法使いが、新しい世界を創り出し、その惑星へと生きている人達全員を送り込む大魔法を開発したんです」
「惑星?」
「迷宮に入る際に見た、あの大きな球体がそれです。俺達から見れば、宇宙に浮かぶ星ですね」
「……なるほど」
「ウーゴは異種族の長達を除いて、すべての人々をそこへと送り込みました。異種族の姿も、一部を除いてすべて人族のような形へと統一してね。そして、生き残った異種族の長達は『ジン』という、生命を超越した寿命の存在しない精霊のような姿になったんです。ウーゴは彼らに地下都市そのものを迷宮に作り替え、それらを守り、王と認めた器にのみ力を与えるという役目を与えたんです」
「……ほう」
「その内の一つであるアモンの迷宮が、何故かこの世界に具現化していて、俺を王として選んだ。というわけです」
「……ふむ」
確かこんな内容だったと思うんだが、ちゃんと伝わっているだろうか。俺は少しでもイメージしやすいように、この世界の要素に例えて話し始めた。
「異種族っていうのは、言うならば魔族です。ほら、確か魔族も種類が沢山あるんですよね? それが手を取り合っていたイメージです」
「おお、そう考えると非常に分かりやすいですね」
「ソロモン王は……力で言うなら、この世界の『七大列強一位』くらいですかね。尽きることのない魔力と、唯一無二の力魔法を駆使する無敵の魔法使いです」
──七大列強一位が実質どれくらい強いかは知らないけど、多分それくらいだろ。いや、そうであってくれ。
「どうです? 何となく分かりました?」
「……ええ。本当に何となくですけど、分かりましたよ。にわかには信じがたい、お伽話のような内容ですけれど……君のその詳細で、熱意を感じる説明を聞いて、嘘は無いのだろうと分かりました」
師匠のその言葉を聞いて、俺は胸の奥の支えが取れたように、ホッと安堵の表情を浮かべた。伝わってくれて、本当によかった。
「……そうですか。君には前世というものが、あったのですね……」
師匠は感慨深そうに、しみじみと呟いた。俺を見つめる目が、どこか大人の優しさに満ちている。
「と言っても、俺は向こうでは二十一歳で死にましたけどね。大した人生じゃありませんよ」
「……未練は、無いのですか? 元の世界に」
そう言われて、俺は少し考えるように視線を落とした。
未練。前世の日本の生活。スマートフォンが恋しくなる時や、コンビニの飯が食べたくなる時は、最初の頃は確かにあった。けれど、それはもう、とうに昔の話だ。
思い出せる顔も、向こうの世界にはもうほとんど残っていない。今の世界の方が、毎日必死に剣を振って、強くなって、大切な人を守ろうとして……何倍も「生きている」って感じがする。気がかりなのは、あっちの家族ぐらいか。元気にしてるといいなぁ。
「特には無いですね。今の方が、ずっと生きてる実感がありますから」
「……なら、良いのですが」
師匠は少し寂しそうな、あるいは気まずそうな表情を浮かべた。中身が年上だったと知って、どう接していいか少し戸惑っているのかもしれない。そんな空気を察知して、俺は意図的に明るいトーンで話を変えようとした。
「そんなしんみりしないでくださいよ、師匠。俺は、この世界で色々な人達……何より師匠に出会えたことを、心から幸せだと思ってるんですから。俺、師匠にしかこの事は話してないんです。その意味が分からない人じゃないでしょ、貴方は」
「……ルーク君」
師匠の目が、素直な嬉しさで丸くなった。
俺も自分で言っていて「柄でもないことを言ったな」と気恥ずかしくなり、赤くなった顔をごまかすように声を張る。
「ほらほら! 今の内に聞いておきたいことないんですか? 今だけですよ、俺が前世の話をタダでベラベラ喋るのは」
「おや、そうですね! なら、君の前世の世界はどのようなものだったのか、ぜひ教えてくださいよ!」
「良いですよ」
俺は小さく笑い、前世の「日本」について話し始めた。
剣も魔法も、魔物すらも存在しない世界。けれど、空を飛ぶ鉄の塊(飛行機)があり、人々は四角い光る板(スマホ)で世界の裏側の人間と会話ができる。
異世界の住人である師匠にとって、それは未知の塊だったらしく、
「魔法も無しに空を飛ぶのですか!?」「そんなに簡単に美味い飯が手に入る国があるとは……」と、目を輝かせては、子どもが絵本を読むときのように食い入るように聞いてくれた。
ひとしきり語り合っているうちに、不気味だったエレベーターの駆動音が、一段と大きく響いた。
☆☆☆
しばらく前世の話をして、俺達は子どものように盛り上がった。
この世界にはない技術や文化を語る俺の言葉を、師匠は時に目を丸くし、時に深く感心しながら、楽しそうに聞いてくれた。語り合っているうちに、いつの間にか話題はまた、こちらの世界のことへと戻ってきていた。
「しかし、いつの間にか『破断』を使えるようになっていたのですね? あれには本当に驚かされましたよ」
しみじみとした口調で、師匠がそう切り出す。
「いつか師匠の前で成功させて驚かせてやろうと思って、こっそり裏で修行してたんですよ。終ぞ旅の途中では出来ませんでしたけど……さっきの土壇場で、なんとか形に出来て良かったです」
そう言って笑う俺を、師匠はただ静かに見つめていた。
その顔は、本当に、心の底から誇らしさに満ちていた。普段の修行や、俺が魔物を倒した時にも、こんな風に褒めてくれることはたまにあった。けれど、今の師匠の表情は、それとはどこか決定的に違う気がしていた。奥底にある、何か大きな決意のようなものが、その穏やかな笑みの裏に透けて見えるような──。
「……師匠?」
胸をざわつかせる妙な違和感に、俺は思わず声をかけた。
すると師匠は、その優しい笑みを浮かべたまま、俺に向かってきちんと、かしこまって座り直した。それはいつものお調子者のシャンドルではなく、一人の偉大な剣士としての、厳かな佇まいだった。
その空気に気圧されるようにして、俺もつられて自然と座り直していた。
「君と出会って、四年と少しですか。時が経つのは本当に早いですね」
「……そうですね。もう、そんなに経ちますか」
「出会った場所、覚えていますか?」
「忘れませんよ。密林地帯でしょう。あの時は、本当にびっくりしたんですから」
「それはこちらのセリフですよ。私はただ、川辺で魚を焼いていただけなのに、茂みから急にとてつもない殺気を向けられたのですからね」
「……あの時は俺も、転移災害の直後で、生き延びるためにいっぱいいっぱいだったんですよ」
唐突に始まった思い出話を少し不思議に思いながらも、懐かしさが胸に込み上げてきて、言葉が次々と紡がれる。
「そしてあの龍神オルステッドに遭遇して首を斬られて……本気で死んだと思ったら、いつの間にか生き返っていて」
「……本当に、壮絶な人生ですね、君は」
「全くですよ。二度と経験したくないです」
あの絶望的な敗北と、そこから師匠の手によって拾い上げられた日々の記憶が、鮮明にフラッシュバックする。
「そこからしばらくは、私から一本取るためだけの、ひたすら地獄のような修行でしたね」
「あれが一番キツかったですよ。毎日毎日、容赦なくひたすらボコボコにされて。毎日身体中が痛くてしょうがなかった」
「……ですが、結果的に君は私から見事に一本取れたわけですから、良かったじゃないですか」
「やりすぎたって自負してるじゃないですか、その顔」
ハハハ、と俺たちは顔を見合わせて笑い合った。あの泥塗れで、けれど泥臭く強くなろうともがいていた日々が、今では酷く愛おしい。
「一本取って、やっと次の技を習えるかと思えば、最初に教えてもらった『破断』はいつまで経っても習得できないし……」
「ええ。ですが、それにめげることなく、君は自分の特性を活かした新たな技を、次々と自力で作り出していった。『陽炎』、『影縫い』……そして、あの赤竜王をも封じ込めた『水鏡の盾』。君の持つ剣の才と発想力には、私も常々、驚かされっぱなしだったのですよ」
「……まあ、それは、どうも。師匠の教え方が良かったからですよ」
真っ直ぐに、飾らない言葉で能力を称賛され、俺は少し気恥ずかしくなって視線を逸らした。首筋をポリポリとかく俺を見て、師匠は嬉しそうにまた笑った。
「はぐれ黒竜を単独で討伐し、今度はあの赤竜王サレヤクトの魂をも救った。……そういえば、ギルドの連中に付けられた君の異名は、なんでしたっけ?」
「……忘れました。思い出したくもないです」
「ハハハッ! 恥ずかしがらなくても良いのですよ、それだけ君の強さが世に認められたという、立派な勲章なのですから」
「……前世の感覚が残っているせいか、どうにもああいう大層な二つ名は、慣れないものは慣れないんですよ」
不貞腐れたように言う俺を、師匠はどこまでも温かい、父親のような眼差しで見つめていた。
「シルフィ殿にも再会できて、自分の本当の気持ちにも気付けた。ルーク君。君は出会ったあの時よりも、剣士としてだけではなく、一人の人間として、本当に大きく、立派に成長できていると思いますよ」
「……そうですね」
師匠の言葉が、じんわりと胸の奥深くに染み渡っていく。
──本当に、その通りだ。
今の俺があるのは、シルフィへの想いに気づけたのは、この人が、この師匠がずっと俺の傍にいてくれたからだ。言葉にできないほどの、深い、深い感謝が胸の内で熱く渦巻く。
「……君は、もう立派な大人で、一人前の剣士です」
「師匠……」
「よく頑張りましたね、ルーク君」
その言葉を聞いた瞬間、俺は、なぜ師匠が唐突にこれまでの思い出話を始めたのか、その本当の意味を理解した。理解してしまい、胸の奥がキュッと締め付けられる。
師匠は、居住まいを正し、北神としての、凛とした絶対的な威厳をその声に宿して、俺に告げた。
「北神カールマン二世として、ここに言い渡します。──ルーク・グレイラット。不治瑕北神流、免許皆伝です」
「…………師匠」
喉の奥が詰まって、それ以上の言葉が出ない。
免許皆伝。それは、もう君に教えることは何もないという、師匠からの最高の賛辞であり、同時に──この修行の旅の終わりを意味していた。
「いつか伝えなければと、ずっと考えていました。君がはぐれ黒竜を単独で討伐出来るようになってから、ずっとです。……そして今日、奥義である『破断』をもその身に習得した今、君に教えることも、導くことも、もう私にはありません。君という男は、後五年もしたら、直ぐに私を追い抜いて遥か先へ行ってしまうでしょうからね」
「…………そんなこと」
「君と修行の旅をした四年間、私は一生、忘れませんよ」
師匠の言葉と共に、これまでの記憶が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
密林での出会い、はぐれ黒竜を倒した時の師匠の顔、ビヘイリル王国での泥まみれの狼退治、野営の焚き火を囲んで呑んだ、ぶどう酒のあの美味さと、泥酔した師匠の情けない笑顔、シルフィと俺を見てニヤニヤする師匠、いつも、後ろから俺を見ていてくれた師匠──。
どれひとつとして、色褪せることのない、俺の今世の、人生のすべて。
どんな言葉を言えば、この胸にある師匠へのすべての想いが、感謝が伝わるだろうか。
いや、もうそんな考えすら野暮だ。四年間、誰よりも近くで俺の剣を、俺の魂を見ていてくれたこの人には、ただ、この一言を告げるだけでいい。それだけで、すべてが伝わるはずだ。
「……ありがとうございました。師匠」
声が震えないよう、ありったけの魂を込めて、俺は深く頭を下げた。
「……はい。こちらこそ、ありがとうございました。ルーク君」
長い言葉はいらなかった。交わした短い言葉の中に、俺たちの四年間という歳月のすべてが、絆のすべてが詰まっていた。
頭を上げると、師匠は涙を堪えるように、けれどこれ以上ないくらいに、最高に晴れやかな笑顔を浮かべていた。
直後、前触れもなく、視界が急激にグラリと歪んだ。
底知れない、抗うことのできないほどの強烈な眠気が、津波のように俺の意識を押し包んでいく。迷宮を攻略し、世界の境界を越えて元の世界へと転移する際の、防衛システムの最後の「反動」なのだろうか。
鉛のように重くなった身体が、ゆっくりと床へ向かって倒れていく。
遠のいていく意識の境界線の中で、最後に視界に映ったのは──。
俺を優しく見守るように、どこまでも温かい笑顔を浮かべている、俺の大好きな師匠の顔だった。
「……ありがとう……ございました……」
最後にそう小さく呟いたのを最後に、俺の意識は、深い、深い光の闇の中へと沈んでいった。
最近本当に寝不足過ぎて書けませんでした。申し訳ないです。
感想書いてくれる方みんなシャンドル好きで嬉しいです。
魅力的ですよね、シャンドル。