迷宮を目指した俺は、世界を間違えた 作:アルマトラン
一人称になったり三人称になったり読みにくいかもしれません。
ロキシーのおかげで、俺は家の外に出られるようになった。
それだけで、世界が変わったような気がした。
今まで俺が知っていた世界は、家の中と、その窓から見える景色だけだった。庭にどんな草が生えているのかも、村のどこにどんな建物があるのかも知らない。ましてや、この世界にどんな植物が存在して、どんな生き物が暮らしているのかなんて、想像することすらできなかった。
だから俺は、植物辞典を片手にブエナ村を歩いていた。
ページを捲りながら、道端に生えている草を眺める。
「おお……これも見たことないな」
本の挿絵と実物を見比べる。
名前は──知らない。
少なくとも、前世の日本で見た記憶はない。
少し歩けば、また別の植物が目に入る。葉の形も、茎の色も、花の咲き方も、俺が前世で知っていた植物とは微妙に違っている。
それだけでも面白かった。
そして何より、目を引いたのは木だ。
「……でか」
道の向こうにそびえ立つ木を見上げる。
俺の何倍あるんだ、これ。
幹は太く、枝は大きく広がっている。見上げても頂点がどこにあるのか分からないほどで、その向こう側には青い空が広がっていた。
さらにその先には、丘がある。
小高い丘を登った先に一本の木が立っている。
その周囲には、真っ赤な花が咲き乱れていた。
風が吹くたびに花が揺れ、まるで丘そのものが赤く染まっているように見える。
「……綺麗だな」
思わず足を止めた。
本の中に書かれている植物も面白い。
けれど、こうして実際に自分の目で見てみると、その何倍も心が躍る。
俺はしばらく丘の方を眺めていた。
そのまま周囲を見渡していると──ふと、妙なものが目に入った。
丘の近くに、子供が二人いる。
片方はフードを深く被っている。
もう片方は──
「……緑色?」
思わず呟いた。
緑色の髪。
その色を見た瞬間、俺の頭にロキシーの言葉が蘇った。
『いいですかルディ。エメラルドグリーンの髪を持っていて、額に赤い宝石のようなものがついた種族には、絶対に近づかないでください』
スペルド族。
魔族の中でも特に恐れられている種族。
俺はもう一度、遠くの二人を見る。
……まさか。
あの子は、スペルド族に襲われているんじゃないだろうな?
そう考えた瞬間、身体が勝手に動いていた。
俺は植物辞典を抱えたまま、二人のいる場所へ足を向けた。
近づくにつれて、二人の姿がはっきりと見えてくる。
緑髪の少年は木剣を肩に乗せていた。
そして、もう一人の子供は──泥だらけだった。
「ん、なんだ?」
緑髪の少年がこちらを振り向く。
俺は反射的に、その額を見る。
……赤い宝石はない。
額には何もついていない。
「……よかった」
思わず小さく息を吐いた。
どうやら、スペルド族ではないらしい。
俺は胸を撫で下ろし、それから少し慌てて声をかけた。
「い、いや。何やってるのかなーと思いまして」
すると、緑髪の少年は肩に乗せていた木剣をそのままに答えた。
「さっきまでこの子がイジメられててな。ちょっと懲らしめてやったんだ」
「そうですか。それは良い事をしましたね」
自然とそんな言葉が出た。
それにしても──。
どことなくパウロと似ている気がする。
いや、気のせいか。
他人の空似ということもある。
それにしても、子供ながらにこの美形はちょっとないんじゃないか。
人生ってのは不平等だな。
……いや、待て。
俺だって前世の頃と比べれば、決して不細工というわけではない。なんなら美形の部類に入ると思う。ゼニスの面影が強い顔立ちだし、少なくとも前世の自分とは比べ物にならない。
しかし、こいつは……。
「しかし、どうするかな」
緑髪の少年が顎に手を当てる。
その仕草すら様になっている。
……なんだこいつ。
「なにがです?」
「この子だよ。泥塗れで可哀想だ」
「あぁ。確かに」
俺は緑髪の少年──いや、まだ名前も知らない少年の視線を追った。
そこにいたのは、小さな子供だった。
こちらを怯えた目で見つめている。
まるで小動物のようだ。
……が、今はそれもこびりついた泥のせいで台無しだ。
服は泥だらけ。
顔の半分に泥が付着していて、頭にいたっては泥一色。
それでも、腕に抱えているバスケットだけは無事だった。
よく守ったものだ。
「しょうがないな」
俺は植物辞典を地面に置いた。
そして、少年に声をかける。
「ちょっと、そこに荷物置いて、そっちの用水路の前でひざまずいて」
「え……? え……?」
少年は目を白黒させている。
それでも、なぜか俺の言う通りにしてくれた。
あまり人の言うことに逆らわない子らしい。
まあ、逆らう子なら、さっきのイジメにも反撃しているか。
「おい、何する気だ?」
緑髪の少年が尋ねてくる。
「心配しないでください。魔術でこの子を──」
俺は用水路から水を汲み上げ、火の魔術で温度を調整する。
熱すぎず、冷たすぎず。
四十度ほど。
前世でいうところの、ちょうどいい湯加減だ。
「これくらいかな」
そして、そのお湯を少年の頭からぶっかけた。
「わぁっ!」
突然のことに少年が慌てて逃げようとする。
俺はその首根っこを掴んだ。
「ちょっと待ってください」
「わ、わぁっ!」
暴れる少年を押さえながら、泥を洗い落としていく。
最初は随分と抵抗していたが、お湯の温度に慣れてくると、次第に大人しくなった。
髪にこびりついていた泥が流れていく。
顔についた泥も少しずつ落ちていく。
服のほうは……さすがに今ここで全部洗うわけにもいかない。
「よし、こんなもんかな」
泥が落ちたところで、今度は風を起こす。
火の魔術で温度を調整しながら、ドライヤーのように温風を送りつつ、ハンカチで少年の顔を丁寧に拭っていく。
そして──。
「あ」
泥の下から現れたものを見て、俺は思わず声を漏らした。
エルフのように尖った耳。
そして、日光を受けて輝く、綺麗なエメラルドグリーンの髪。
「……」
少年が何かを言っている。
「……あ、ありがとう」
けれど、その声は俺の耳に入ってこなかった。
その髪色を見た瞬間、頭の中にロキシーの言葉が蘇っていた。
『エメラルドグリーンの髪をもつ種族には、絶対に近寄ってはいけません』
俺は思わず、二人の髪を交互に見る。
緑色。
どちらも、緑色だ。
木剣を肩に乗せている少年が、不満を隠さずこちらを睨みつけてきた。
「なんだよ。悪かったな、こんな髪の色で」
「──っ」
まずい。
少し露骨だっただろうか。
「あ、すいません。珍しいなぁと思って」
俺は何とか上手い言い訳を探した。
すると──。
「……ははっ」
目の前の少年が突然笑い出した。
「え?」
何がおかしいんだ?
「顔に出すぎだ、お前。大丈夫だよ。慣れてるからな」
そう言って、少年は笑った。
……随分と違う。
さっきまでいじめられていた子とは、まるで正反対だ。
同じ緑色の髪なのに、この少年はそれをまるで気にしていない。
何処吹く風、とでもいうのだろうか。
「それより、お前。なんでやり返さないんだよ。あんな奴ら、放っておくと調子に乗るだけだ」
木剣の少年が、泥だらけだった子に言う。
「む……無理だよ……。勝てないもん……」
「……」
確かに、この少年の言う通りだ。
いいことを言うじゃないか。
ここは俺も便乗しておこう。
「勝てる勝てないじゃなく、抵抗する意思が大事なんだよ」
我ながらいいことを言ったな。
うん。
「だって、いつもはもっと大きな子がいるんだもん……。痛いのは嫌だよ」
「……なんだよ、お前。痛めつけられてたのか?」
「…………」
少年は俯いた。
なるほど。
抵抗すると仲間を呼んで、徹底的に痛めつけるわけか。
こういうのは、どこの世界も一緒だな。
ロキシーが頑張ったから、大人の方は魔族を受け入れるようになったみたいだけど、子供の方はそうはいかないか。
子供ってやつは残酷だ。
ちょっと違うだけで、簡単に爪弾きにしやがる。
俺は少年を見る。
「お前も大変だな。ちょっと髪の色がスペルド族って奴らに似てるだけなんだがな」
すると、木剣を持った少年が俺を見る。
「お前もって……。それを言うなら……きみもでしょ?」
「俺は慣れてるからな。こんなもん、気にしたってしょうがねぇよ」
……こいつは随分と飄々としているんだな。
同じ緑色の髪を持っているのに、片方は自分の髪を理由に怯え、もう片方はまるで気にしていない。
不思議な組み合わせだ。
「というか、お前は平気なんだな」
どうやら、今度は少年の興味が俺に移ったらしい。
「先生が魔族だったからね」
「へー。その先生は何色なんだ?」
「綺麗な青色でしたよ。まるでこの広い空を現しているかのようで、先生の心の美しさや広さをも表現しているようで──」
「そ……そうか」
……おや?
引かせてしまっただろうか。
ただロキシーの素晴らしさを伝えようと思っただけなのだが。
俺は少しだけ咳払いをした。
「それより、君はなんていう種族なの?」
「俺か? 俺は……多分、人族だ。父親も母親も人族だったと思う」
「人族……?」
村の中にこんな子供がいたとは思わなかった。
それにしても、随分と大人びた喋り方をする。
まるで子供らしくない。
「君は?」
少年が隣にいる子へ尋ねる。
「……わかんない」
「……わかんない?」
俺は思わず聞き返した。
この歳なら、そういうものなのかな?
いや、あの子が特別しっかりしているだけなのかもしれない。
「お父さんの種族は?」
「……半分だけ長耳族。もう半分は人間だって」
「お母さんは?」
「人間だけど、ちょっとだけ獣人族が混じってるって……」
半長耳族のハーフエルフと、クォーターの獣人?
それで、こんな髪になるのか……?
そんなことを考えていると、少年の両目に涙が浮かんでいた。
「……だから、魔族じゃないって……お父さん、いうけど……」
声が震える。
「…………髪の色、お父さんとも、お母さんとも、違う……」
とうとう、めそめそと泣き出してしまった。
俺と木剣を持った少年は、二人揃って困った顔でその子を見た。
しかし、髪の色が違うとは大問題だな。
お母さんが浮気していた可能性が出てくる。
……いや。
今それを考えるのはやめよう。
「違うのは髪の色だけ?」
「……耳も、お父さんより長い……」
「そっか……」
耳が長くて、髪が緑の魔族。
どこかにはいそうだな。
うーん。
他人の家庭の事情にまで、あまり踏み入りたくはない。
けど──。
俺も、かつてはいじめられっ子だった。
どうにかしてやりたい。
ちょっと髪の色が緑色ってだけで、いじめられるのは可哀想だ。
俺の遭っていたイジメは、身から出た錆の部分もある。
時間が巻き戻って、あの瞬間に戻れば、次はもっとうまくやれる自信がある。
けど、この少年は違うだろう。
生まれを変えるのは、自分の努力では不可能だ。
「お父さんは優しくしてくれてる?」
「……うん。怒ると怖いけど、ちゃんとしてれば怒られない」
「そっか。お母さんは?」
「優しい」
ふむ。
声音から察するに、父親も母親もきちんと愛情を注いでいるようだ。
浮気ではなく、本当の子供のように──。
いや、実際に見てみなければわからないか。
「……俺も両親と髪の色が違う。ある種、突然変異みたいなものかもな」
「……とつぜんへんい?」
「言葉のまんまだ」
「……?」
少年は首を傾げた。
まあ、分からないよな。
俺だって、この世界に来てから覚えた言葉の中には、いまだに意味を掴みきれていないものがある。ましてや、こんな小さな子供に突然「突然変異」なんて言っても、理解できるはずがない。
それでも、少しだけ安心した。
少なくとも、この子の両親はこの子をちゃんと自分たちの子供として扱っているらしい。
髪の色が違うからといって、魔族だと決めつけているわけでもない。
……まあ、だったらなんでこの子はこんなに怯えてるんだ、という話なんだけど。
俺は改めて二人を見る。
そういえば、まだ名前を聞いていない。
「そういえば、君。名前は?」
俺が尋ねると、緑色の髪の子は少しだけ身体を縮こまらせた。
そして、消え入りそうな声で答える。
「……シルフィエット」
「……シルフか。いい名前だな」
「……あ……違──」
何か言いかけた。
けれど、声が小さすぎて最後まで聞き取れない。
シルフ。
まあ、いい名前だ。
そう思った。
すると今度は、隣にいた木剣の少年が俺を見る。
「君はなんて言うんです?」
「ああ、俺か?」
少年は少しだけ考えてから答えた。
「俺はルークだ」
「ルーク……」
その名前を口の中で転がす。
やっぱり、聞き慣れない名前だ。
いや、この世界の名前なんて、まだそれほど多く知っているわけじゃない。
「……助けてくれてありがとう……ルークさん」
「さん付けじゃなくていいぞ。俺もお前のこと、シルフって呼ぶから」
「……え?」
少女──シルフが目を丸くする。
「……違うんだけど」
「ん?」
「……なんでもない」
小さく呟いて、シルフは俯いた。
……なんだ?
何か変なことを言っただろうか。
俺は首を傾げた。
まあ、いいか。
それよりも──。
俺は改めてルークを見る。
同じ緑色の髪。
それなのに、こいつは俺が見てもほとんど気にしていない。
堂々としているし、他人の目を気にする様子もない。
それだけじゃない。なにか只者では無い予感がする。
「……いい名前だな。風の精霊みたいだ」
そう言うと、シルフは顔を赤くして「うん」と答えた。
本当に、何者なんだ? あっさり口説き文句みたいな事言ってるし。
俺がそんなことを考えていると、ルークが口を開いた。
「ところで、お前は?」
「え?」
「名前」
「ああ……」
そういえば、俺も名乗っていなかった。
俺は抱えていた植物辞典を持ち直した。
そして、少年を見る。
「僕はルーデウス・グレイラットです。よろしく」
その瞬間。
ほんの少しだけ、胸の奥がざわついた。
目の前にいるこの少年が、俺の知っている誰かに似ている気がした。
けれど、それが誰なのかは分からない。
ただ──。
この出会いが、俺の人生にとって思いもよらない意味を持つことになる。
そんなことを、この時の俺は知る由もなかった。
思い出したようにシルフィが、地面に置いてあったバスケットを拾い上げた。
「これ……」
「それ、何?」
俺が尋ねると、シルフィは両手でバスケットを抱え直した。
「お父さんに、お弁当を届けるの」
「お父さん?」
「うん。森の近くにいるの」
なるほど。
そういえば、この村には森がある。まだこの村の地理を詳しく知らないけれど、シルフィが一人で森の近くまで行くというのなら、少し心配だった。
さっきまでいじめられていたこともある。もしまたあの子たちに絡まれたら、今度はシルフィ一人ではどうにもならないかもしれない。
「じゃあ、僕も一緒に行こうか?」
「え?」
シルフィが顔を上げる。
「お父さんのところまで送っていくよ」
「……いいの?」
「うん。僕もまだ村を見て回っている途中だし」
そう答えてから、僕はルークを見る。
彼は少し離れたところで木剣を腰に下げ、こちらを眺めていた。緑色の髪を風に揺らしながら、特に何をするでもなく立っている。
「ルークも行く?」
「俺?」
「うん。シルフィ一人だと心配だし、三人で行った方がいいでしょ」
ルークは一瞬だけシルフィを見た。
それから、あっさりと頷いた。
「まあ、いいけど」
「じゃあ決まりだね」
シルフィはバスケットを胸の前で抱え直した。
俺たちは三人で歩き始めた。
村の中を歩いていると、さっきまでとは少し違う景色が見えてくる。畑や家が並ぶ道を抜けると、次第に建物の数が減り、代わりに木々の姿が増えていった。シルフィは道に迷う様子もなく先を歩いているので、俺とルークはその後ろをついていく。
「シルフィのお父さんって、何してる人なの?」
「狩り……してる」
「へえ」
狩人か。
この世界では珍しくもない職業なのだろう。魔物が存在する以上、森の近くで暮らす人たちには必要な仕事なのかもしれない。
「ルークは?」
「何が?」
「お父さんの仕事」
「ああ……」
ルークは少し考えるように黙った。
「詳しくは知らん」
「えぇ?」
「父親のやっている仕事がわかんない子供なんて、沢山いるだろ。俺はまだ5歳だ」
「……まぁね」
俺は改めて彼を見る。
緑色の髪という珍しい特徴を持っていて、剣も使える。しかも変なとこらで大人びていると思えば、今みたいに突拍子もなく子供っぽくなる。見れば見るほど、同年代の子供とは少し違っている。
もっとも、俺も人のことは言えない。
俺自身、前世の記憶を持ったままこの世界に生まれ変わっているのだから。
そんなことを考えながら歩いていると、前方に森が見えてきた。
「もうすぐ」
シルフィが振り返って言った。
その腕には、まだ大切そうにバスケットが抱えられている。
僕たちはそのまま、シルフィのお父さんが待っているという櫓へ向かって歩いていった。
☆☆☆
シルフィの父親、ロールズは美形だった。尖った耳に輝くような金髪、線の細い体つきではあるものの、森で狩りをする者らしいしなやかな筋肉が備わっている。ハーフエルフというシルフィの言葉を聞いたばかりだったルークにとって、その容姿はなるほどと納得できるものだった。
そんなロールズは、森の脇に設けられた櫓の上で弓を片手に周囲を見張っていた。どうやらこの村では、森から魔物が出てこないように村の男たちが交代で見張りをしているらしい。シルフィが父親を見つけると、先ほどまで縮こまっていた身体を少しだけ伸ばし、嬉しそうに声を上げた。
「お父さん!」
ロールズが振り返る。
「お、いつもすまないなルフィ。今日はイジメられなかったかい?」
「大丈夫。助けてもらった」
シルフィがそう言って、隣に立っていたルークを見る。紹介されたのだと気づいたルークは、軽く頭を下げた。その横では、ルーデウスも同じように礼儀正しく会釈をしている。
「初めまして。ルーデウス・グレイラットです」
「グレイラット……もしかして、パウロさんの所の?」
「はい。パウロは父です」
「おお、話には聞いていたが、礼儀正しい子だ。おっと、申し遅れた。ロールズです。普段は森で狩りをしています」
ロールズが名乗ると、ルークも改めて頭を下げた。
「ルークです。さっきシルフィを助けたのは俺です」
「君が?」
「はい」
ロールズは少し驚いたようにルークを見る。
その視線が自分の髪に向けられていることに、ルークはすぐ気づいた。まあ、いつものことだ。緑色の髪を見れば、大抵の人間は一度くらいは反応するし、ルーク自身はもういちいち気にするほどでもなかった。
「……君も、珍しい髪をしているな」
「よく言われます」
ルークはあっさり答えた。
「シルフィと同じように、先祖返り……なのか?」
「さあ。俺も詳しいことは知らないです」
実際、ルーク自身にも分からない。両親と自分の髪色が違う理由など考えたところで答えが出るわけでもなく、地下室にいた頃から散々見られてきたせいで、今では説明することすら面倒になっていた。
ロールズはしばらくルークの顔を見ていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……ウチの子はこんな見た目だが、ちょっと先祖返りをしてしまっただけなんだ。仲良くしてやってほしい」
その言葉を聞いた瞬間、シルフィの肩がわずかに縮んだ。
ルークはその変化を見逃さなかった。さっきまで自分が受けていた視線と同じものを、シルフィもずっと受けてきたのだろう。髪の色が違うだけで、何か特別なものを見るような目を向けられる──それがどんなものなのか、ルークには嫌というほど分かっていた。
「もちろんです」
答えたのはルーデウスだった。
「仮にシルフィがスペルド族だったとしても、僕は態度を変えたりはしませんよ。父様の名誉に掛けてもね」
その言葉に、ロールズが感嘆したように目を見開く。
「その歳で名誉かぁ……優秀な子でパウロさんがうらやましいなぁ」
「小さい頃に優秀だった子供が、大人になっても優秀とは限りませんよ」
ルークが口を挟んだ。
「羨ましく思うのは、シルフィが大人になってからでも遅くないんじゃないですか」
「……ルーク?」
ルーデウスが少し驚いた顔をする。
「なんだよ」
「いや、別に」
ルークは肩をすくめた。
シルフィのことを庇ったつもりはなかった。ただ、ロールズが娘のことで余計な心配をしているように見えたので、少しだけ口を挟んだだけだ。それに、こんなところで「自分も似たようなものです」などと長々説明する気にもなれなかった。
「なるほど……パウロさんの言っていた通りだ」
ロールズが苦笑する。
「……父はなんと?」
ルーデウスが尋ねると、ロールズは少し困ったように笑った。
「君と話していると、親として自信を失うらしい」
「そうですか」
ルーデウスは真面目な顔で頷いた。
「では、これからはもう少し悪さをして、説教をさせてあげることにしますかね」
ロールズが吹き出し、ルークも思わず笑った。
「お前、そんなこと考えてたのかよ」
「冗談だよ」
「顔が真面目すぎるんだよ」
三人の間に、先ほどまでとは違う空気が流れた。
そんなやり取りをしていると、ルークの服の裾が小さく引かれた。振り返ると、シルフィが俯いたまま、その裾を両手でつまんでいる。どうやら難しい話が続いていることに退屈していたらしい。
「……どうした?」
「……遊びたい」
小さな声だった。
ルークは少しだけ目を丸くし、それからロールズを見る。
「ロールズさん。俺たち、ちょっと三人で遊んできてもいいですか?」
「もちろんだとも。ただし、森の方には近づかないように」
「分かりました」
ルーデウスが答える。
ルークも頷いたが、そのまま少し考え込んだ。森には魔物がいる。それは当然として、ここは見知らぬ土地で、しかも自分たちはまだ子供だ。危険を全部避けられるとは思っていないが、何かあった時に誰にも伝わらないのは困る。
「ここに来る途中に、大きな木がある丘がありましたよね。あの辺りで遊んでいます」
ルークが言った。
「暗くなる前には、ちゃんとシルフィを家まで送ります。もし帰ってきた時に家にいなかったら、その丘を見てもらえますか?」
「……あ、ああ」
続いてルーデウスが言った。ロールズが少し戸惑ったように頷く。
ルークはそれでいいと判断した。この世界には携帯電話もなければ、当然ながらメッセージを送る手段もない。何かあった時にすぐ連絡できないのなら、せめて「どこにいるのか」だけでも共有しておくべきだと、前世の感覚が自然と働いていた。
「じゃあ、行こう」
三人は櫓を離れ、先ほどの丘へ向かって歩き出した。
☆☆☆
丘の上まで戻ると、先ほど見た大樹が三人を迎えた。
その周囲には赤い花が咲き、風が吹くたびに花弁が揺れている。ルークは木の根元まで歩いていくと、その幹に背を預けて空を見上げた。こんな場所で誰かと遊ぶなんて、地下室にいた頃の自分からすれば考えられないことだった。
「さて、何して遊ぶ?」
ルーデウスが尋ねる。
シルフィは困ったように手を合わせ、しばらく考えてから首を横に振った。
「わかんない……」
「分からない?」
「友達と、遊んだことないから……」
その言葉に、ルークは少し黙った。
さっきまでいじめられていたことを考えれば、友達がいなかったというのも不思議ではない。けれど、本人から直接そう言われると、思っていた以上に重く感じる。
「じゃあ、適当に遊べばいいだろ」
ルークが言った。
「適当?」
「子供の遊びなんて、そんなもんじゃないか? 俺も最近まで一人だったし、何して遊ぶかなんて知らん」
「ルークも?」
「まあな」
ルークは苦笑する。
地下室で過ごしていた時間を思い出す。木剣を振ったり、本を読んだり、魔術について調べたり。それが遊びと言えるのかは微妙なところだが、少なくとも誰かと一緒に遊んだ経験はほとんどない。
「……あ、そうだ」
シルフィがルーデウスを見る。
「さっきの、あれ……教えて」
「さっきの?」
「手から、あったかいお水がざばーって出るのと、暖かい風がぶわーって出るの」
「ああ、魔術のこと?」
「うん!」
シルフィの顔が一気に明るくなった。
ルーデウスは少し嬉しそうに笑うと、先ほどと同じように水を生み出してみせた。続いて風を起こすと、シルフィの緑色の髪がふわりと揺れる。ルークは少し離れた場所からその様子を眺めながら、魔術というものがやはり便利なものだと改めて思った。
「ボクにも、できる?」
「難しいけど、練習すれば誰にでもできると思うよ」
ルーデウスはそう言って、シルフィに簡単な魔力操作から教え始めた。
シルフィは真剣な顔でそれを真似している。その横で見ていたルークも、なんとなく自分の手を見た。そういえば、自分も魔術を使えるはずなのだ。地下室で何冊もの魔術書を読み、実際に何度も試した──ただし、成功したことは一度もない。
「……俺もやってみるか」
「ルークも魔術を使えるの?」
ルーデウスが尋ねる。
「一応な」
ルークは立ち上がり、二人から少し離れた場所で手を前に出した。
まず火を思い浮かべる。魔力を動かし、手のひらへ集めるよう意識するが、何も起きない。水を想像しても、風を想像しても、土を想像しても結果は同じで、何度試しても魔力は形になることなく霧散してしまった。
「……駄目だな」
ルークは手を下ろした。
「使えないの?」
「普通の魔術はな」
ルーデウスが首を傾げる。
「普通の魔術?」
「ああ。火も水も風も土も、俺は使えない」
そこでルークは一度言葉を切った。
「でも、一個だけ使える」
「一個だけ?」
「そう」
ルークはそう答えたものの、その魔術をどうやって使えばいいのか分からなかった。
そもそも、今まで自分の意思で使えたことがない。初めて発現したのは、ノトス家の地下室で襲われたあの夜だった。男が部屋へ侵入し、殺されると思った瞬間に、気づけば目の前に防壁が現れていたのだ。
「……待てよ」
ルークは眉を寄せた。
あの時、自分はどうやって魔術を使った?
思い出そうとすればするほど、地下室の光景が鮮明になっていく。開いた扉、こちらへ近づいてくる男、握りしめた剣、そして──自分の身体を襲った、明確な恐怖。
「危ない時……だったな」
「何が?」
ルーデウスが聞く。
「この魔術を使った時のこと。俺が自分から使おうとしたんじゃない。襲われた瞬間に、勝手に出たんだ」
ルークは周囲を見回した。
もしかすると、危険を感じることが条件なのかもしれない。そう考えてみても、自分から危険な目に遭うのは馬鹿らしいし、だからといって適当な相手に攻撃してもらうわけにもいかない。
すると、地面に落ちていた木の実が目に入った。
「……これなら」
ルークは木の実を一つ拾い上げ、シルフィに差し出した。
「シルフィ、悪い。これ、俺に投げてみてくれないか?」
「え?」
「ちょっと試したいんだ。危ないものじゃないし」
シルフィは木の実とルークの顔を交互に見た。
「……やだ」
「即答かよ」
「ルークに物を投げたくない」
「まあ……そうだよな」
ルークは素直に納得した。
すると、横からルーデウスが口を挟む。
「じゃあ、僕が投げようか?」
「お前が?」
「うん。ルークが危険を感じた時に発動するなら、試してみれば分かるかもしれない」
ルークは少し考えた。
「……頼む」
ルーデウスが木の実を拾い上げる。
「本当に投げるよ?」
「おう。ただし、顔はやめてくれ」
「分かった」
ルーデウスが少し距離を取る。
ルークも身構えた。
木の実程度で本当に発動するのかは分からない。それでも、あの時と同じように「何かが自分へ飛んでくる」という状況を作れば、何か起こるかもしれない。
「いくよ」
ルーデウスの手から木の実が放たれた。
反射的に、ルークの身体が動いた。
次の瞬間──。
ボンッ。
ルークの目の前に、薄く透明な防壁が現れた。
木の実が防壁へ衝突し、ベチャっと音を立ててルークの前に落ちた。
「…………」
ルークは目の前に浮かんだ防壁を見つめた。
やっぱり、これだ。
あの夜、自分を守ったものと同じだった。
「……出た」
ルーデウスは驚いたように目を見開いている。
「今の……何?」
「
「
「ああ。俺が使える唯一の魔法だ」
ルークは透明な壁を眺めながら答えた。
ルーデウスは知らない名前を聞いたように、その言葉を繰り返した。
ルークはそんなルーデウスを見て、少しだけ首を傾げる。けれど、それ以上は気にしなかった。自分自身、この魔術が何なのか詳しく分かっているわけではないのだ。
「どうして使えるの?」
「知らん」
「……知らないの?」
「俺も知りたいくらいだよ」
ルークは苦笑した。
火も、水も、風も、土も使えない。なのに、危険が迫った時だけ、この防壁だけが現れる。それがなぜなのか、今のルークには知る術がなかった。
ただ、ルークの目の前に浮かぶ透明な壁を見つめながら、ルーデウスだけはしばらく黙っていた。
そしてシルフィは、そんな二人のことなど気にせず、目を輝かせて防壁を見つめている。
「すごい……」
その小さな声を聞いて、ルークは思わず笑った。
自分でもよく分からない魔術だが──どうやら、悪いものではないらしい。
結局、その日は日が暮れるまで三人で丘の上を走り回っていた。
最初は何をして遊べばいいのか分からなかったシルフィも、時間が経つにつれて少しずつ笑うようになった。ルーデウスが魔術を見せれば目を輝かせ、ルークが木剣を使った簡単な遊びを教えれば、それを真似しようとして転び、三人で笑った。ルーデウスにとっても、誰かとこんなふうに遊んだのは久しぶりのことだった。
帰る頃には、シルフィもすっかり二人に慣れていた。シルフィを家まで送り届ると、ロールズは二人にお礼を言った。
そして帰り道、ルーデウスはルークから、この村へ来た経緯を聞いた。
「……一人で来たの?」
「ああ」
「家族は?」
「いる」
「じゃあ、どうして?」
「ちょっと色々あってな」
ルークは、それ以上詳しく話そうとはしなかった。
けれど、五歳の子供が一人で村まで来たという事実だけは分かった。それを聞いてしまうと、さすがに放っておく気にはなれない。
「だったら、今日は僕の家に来れば?」
「いいのか?」
「うん。父さんと母さんに頼めば、たぶん大丈夫だと思う」
ルークは少し考えたあと、肩をすくめた。
「じゃあ、お言葉に甘えるかな」
そうして二人は、シルフィと別れたあとグレイラット家へ向かった。
家の前まで戻る頃には、空はすっかり夕焼けに染まっていた。
ルーデウスは扉を開ける。
「ただいま帰りました」
「おかえり、ルディ!」
「おかえり。楽しかったか?」
母のゼニスと父のパウロの声が返ってくる。
「はい。今日は──」
そこまで言って、ルーデウスはふと後ろを振り返った。
開いた玄関扉の向こう。
夕暮れの光を背負うようにして、そこに一人の少年が立っていた。
緑色の髪。
見覚えのある、あの色。
「……」
ルーデウスが黙り込む。
パウロとゼニスも、ルーデウスの視線を追うようにして扉へ目を向けた。
そこには、見慣れない緑髪の少年が立っていた。
──この家に、こんな子供はいない。