草花の生えた地を踏み締め、当てもなく、さ迷う少女が二人。
春とはいえ、まだ肌寒い風が枝葉を、草を揺らめかせ、人の手が加えられていない単純ながらも美しい風景を見せる場所ではあるが、そこでは魔物が行き交う危険な場所である。
少女は屈強な戦士にも見えないためか、魔物の生息する場所にいるのには些か場違いにも見えた。
現に少女達は数回ほど、魔物に襲われた。
幻想郷ではすでに珍しくない豚面の獣人オーク、巨大な樹が蠢く樹人などに襲われるも、ヴァナ・ディールに来てから再びスペルカードの類は使えなくなったとはいえ、地力の力が残っているのは幸いだった。
リアルではモンクタイプと化した巫女服の少女がオークを文字通り、フルボッコする姿は圧巻である。
神々が愛する幻想郷では無敵を誇る巫女服の少女と、同じくそれに準ずる黒白の少女。
博麗霊夢と霧雨魔理沙は幻想郷ではない世界、異世界ヴァナ・ディールの地で途方に暮れていた。
「まっずいな…マジでここが何処だかわからねぇ…」
頭を抱えながら魔理沙は唸っていた。
半年ほど前、霊夢と他四人と共にヴァナ・ディールを冒険したことのあるのだが、今いる場所はまったく見知らぬ場所なのだ。
魔理沙とて、ヴァナ・ディールが安全な場所ではないことは一番理解している事だ。
人の住む街を除いて、危険な魔物がうようよといるヴァナ・ディールで、道と今の場所がわからないというのは致命的に危険な事である。
「潮が近いから海もすぐなんだろうけど…せめて飛べればね」
ナックルを指にかけながら、ぶらぶらとさせている霊夢はヴァナ・ディールでは飛べない事に不満を持っていた。
いや、飛べる事には飛べるのだが、ほんの少ししか浮かばず、速さもまるで出ないのだ。それなら歩いたほうが早いというあるさまである。
「飛べても危ないぜ。遠くからだけど…空飛ぶ蜥蜴みたいなのがいたしな」
「だったら逆に叩き落としてやるわよ」
魔理沙と霊夢が再会した丘の上、霊夢が来るまでに魔理沙はそこから広大な風景を見ていると、自由に空を飛ぶ竜のような姿が見えた。
大きさで言えば、魔理沙の体格を軽く越えるぐらい。そんなものが空にいるのだから、例えヴァナ・ディールでは飛べても危険である事に変わりない。
しかし霊夢は、そんな事を知るかと豪語する。仮に幻想郷と同じように飛べれば、どんな相手でも叩き落とした博麗の巫女だけあってか、根拠がないはずなのに、みょんな説得力があった。
ぶらぶらと当てもなく歩き続けて、数時間は経っている。
目的のないままに動き続けるというのも、最も人間のやる気を削いでくれる。そのためか、二人の少女の顔はだんだんとどんよりしていった。
「誰か通らないねぇかな…」
「獣人なら腐るほど通るわよ」
「【せっかくだけど遠慮します。】あーもう、ブロントさん早くきてー;;早くきてー;;舎弟のピンチなんだぜー」
下らない会話でもしていないと更に落ち込みそうになりそうで、それも時間が経つに連れて会話も短くなってしまう。
どうしようもない状況に魔理沙の慕う謙虚な助けを空に向かって叫んでいた。
気が滅入ると腹も減る。
朝に油ものであるタラの芽の天ぷらを食べたとはいえ、そろそろ時刻で言えば昼を過ぎたばかりだろう。
魔理沙の腹からくぅ~と可愛らしい音が鳴り響いた。
「腹も減ったぜ…」
いざとなったら獣を狩って、それを食うべきなのだろう。
しかし、今の霊夢と魔理沙には、冒険者で活動していた頃は当然のように持っていたクリスタルが無かった。
世界を構成する元素の塊。それを解放すれば調理器具も無しに料理が作れるのだが、今は一つも持っていないし、ナイフの一つもないため獣を狩っても捌く事も出来ないのが痛かった。
「湯豆腐ならあるわよ」
「いや、なぜ湯豆腐があるのかが私には理解不能状態なんだが」
何処から取り出したのか、湯豆腐を取り出す霊夢。
小さなパックに詰まれたのは確かに、白い四角形の物体、湯豆腐であった。
この巫女、金がないからといって、湯豆腐すら持ち歩くようになったのか。
「保存用湯豆腐、味付け湯豆腐、湯豆腐ステーキに、湯豆腐コロッケ…よりどりみどり」
「うわぁ……」
正に湯豆腐のオンパレードである。
とりあえず怖いもの食べたさと、一番腹の膨れそうな湯豆腐コロッケを手に取り、サクリを口に運ぶ。
「うん…湯豆腐だ。湯豆腐でしかない」
衣はサクサクとしていたが、中身が見事に湯豆腐であった。
コロッケのサクサク具合と豆腐の味が両方そなわり、奇妙な味しか舌に伝わらない。
歩き食いをしながら道を進んでいくと、橋が見えた。
繋がれた木の板を大きな縄で支えられた橋。下は崖だ。迂闊に落ちれば命がないだろう。
だが、橋があると言う事は、この近くに人がいるかもしれないという可能性もある。
「ふふん、さすが私の勘はA+と言った所かしら」
得意気に胸を張る霊夢。
当てずっぽうで歩いていたのにも関わらず、それでも彼女の進む先に道が辿りつくのは、その根拠のない、それでも的中率が異常に高い勘にあるだろう。
(それで金を稼ごうとしないのが霊夢らしいけどな)
心の中で思う。
それほどまでに高い勘があれば、適当に占い屋なり、物探しをするなりして金を稼ぐ事も不可能ではないだろう。
それをしないのは、単純に霊夢が物臭巫女であるからだ。
何せ異変が起きても、積極的に動かない。幻想郷では本当に秩序の調停者かと言わんばかりのグータラぶりを発揮するのだから。
橋は古そうに見えたが、実際に渡ると頑丈である事がわかった。
ギシギシと太い縄が橋全体を支えている。これなら途中で壊れて、地面に真っ逆さま…という最悪な事態もないだろう。
幻想郷の頃ならともかく、ヴァナ・ディールでは空に飛ぶ事ができないのだ。
橋を渡り終え、少しばかり一息を吐くと、先に進んだ。
自分達以外にも人はいるのか。いないのか。
そしてここは何処なのか。幻想郷に帰れるのか。
そんな考えをしながら少女達が行き着いたのは洞窟であった。
しかも注意深く観察すれば、天然の洞窟ではない。
人の手が加えられている道があった。
「霊夢!この先に人がいそうだぜ!」
まだ確証は持てないが、何かが住んでいるのは間違いないはず。
逸る気を抑えながら、洞窟の奥を進んでいくと、道の端にはたいまつによって明かりが灯されていた。
火の明かりがあるという事は、人がいる可能性が高まってくる。
上り下りのある道を歩きながら、魔理沙の目には人影らしき者が立っていた。
この世界で、初めてお目にかかる人間であった。
「む…冒険者か?」
青い鎖帷子を着る男は、霊夢と魔理沙を視界に入れると、じっと見つめ始める。
ヴァナ・ディールではとくに珍しくもない、強さと装備を確認するための行動だろう。
「随分と奇妙な格好をしているな…」
思わず、むっとしかける霊夢であるが、ヴァナ・ディールでは巫女の服は馴染みがない。
ひんがしの国であるならまた別であろうが、それ以外の国では「巫女服?」「何それ?」「腋出し?」「歌?」と言った感じなのだ。
そもそも、霊夢と魔理沙が冒険者である事を仮定しても、その格好は冒険者とは程遠いのだから、この男の反応も当然と言える。
片や腋の出した巫女、片やエプロンドレスに箒を持った少女。見た目も相まって、ヴァナ・ディールからの常識からすれば変な格好をしたただの少女にしか見えないのだ。
「ここから通りたければ冒険者の証を出せ」
しかし男は、この少女達が貧弱一般人とはかけ離れた実力者である事を見抜いた。
ここまで鍛えたのなら、冒険者なのだろう。そう結論付けての事。
「冒険者の証…これのことかしら」
「シグネットか。持っててよかったな。無かったら追い出されていたぜ」
首にかけた細い銀の鎖。それに吊るされたのは橙色をした小さな宝石。
世界中を渡り歩く冒険者の身分証明書と代わりとなる石、《シグネット》であった。
ヴァナ・ディールで冒険をする際には、必需品とも言える代物であり、国の中に入るのにフリーパス代わりにもなる。
幻想郷では冒険者と一言と言っても、その実力は千差万別であり、中には獣との戦いで苦戦する者もいる。
そのため、人里の集落で村長を務めるマートが、《シグネット》を持つ冒険者に支援を受けられる制度を作り上げた。
訓練をこなし、それによって魔法加工された葉を受け取り、その数に比例して魔法のサポートや食事、金を貰えるシステム。
フィールド・オブ・ヴァラーの設置により、貧弱一般冒険者の生存率の増加と力量の上がり方が効率的になるようになったのだ。
《シグネット》をかけて、訓練を受けてさえいれば何かと支援を受けられるために霊夢と魔理沙も、外に出かける時は《シグネット》をかけるようにしてある。
魔理沙は、一般的な魔法使いに比べて少ない"魔力"回復の支援を、霊夢は定期的に得られる金と非常食に泣いて喜んだ。
「あれ…?何か色が鈍いな」
魔理沙は《シグネット》を見てみると、いつもに比べて、輝きが鈍く感じているのが分かった。
水晶のように輝いていた輝石だったのが、今ではただの石か何かに見える。
「このシグネット…壊れているのか?」
男は少女の《シグネット》を見て呟いた。
シグネットの輝きを失うのは、三つある。
一つ目は持ち主の命が失う時である。これにより、国家はどんな冒険者が死んでしまったのかが分かる。
二つ目は輝石に含まれる"魔力"が失ってしまう事。輝石に含まれる"魔力"は無限ではないため、定期的に更新する必要がある。それでも《シグネット》に記録される冒険者の活躍が記載されないだけであり、《シグネット》そのものが壊れる事ではない。そのため、ほんの僅かだが、輝石としての輝きは残っている。
そして三つ目は輝石が何らかの理由で、異常を来たしてしまう事。これにより、普通に直す事ができないので取り変える必要が出てしまう。
(虚ろに飲みこまれた時に壊れたのかしら?)
別に死んでもいなければ、含まれる"魔力"を失ってると仮定しても、壊れる事でもない。
この世界に来る原因となった『虚ろ』が《シグネット》を狂わせたのか…霊夢はそう思いながら、男と向き合った。
「それで通っていいのかしら?」
「待て、シグネットが壊れていては、いざと言う時に身元の確認ができん」
《シグネット》さえあれば、他国であっても、自由に行き来する冒険者とはいえ、壊れた《シグネット》で他国に入れる事はない。
もしかしたら、別の冒険者の《シグネット》を奪い、身元を詐称している可能性もあるのだ。
過去にもそのような事件が起きており、一級廃人相当の装備が盗まれることが以前にもあったためでもある。
「あン?ありゃぁ…」
藤色の長い髪をした少女がこちらを見ていた。
黒を基調とされた服であり、短いズボンを履いている。黒のガウンには赤いリボンで押さえられており、青い宝石のブリーチを付けていた。
長い耳と褐色の肌からヴァナ・ディールの五大種族の一つ、エルヴァーンである事が分かる。
可憐という言葉の似合う少女であるが、霊夢と魔理沙は知っていた。この少女が誰であるかということを。
「レイムに…マリサじゃねぇか。こんなとこで何してんだ?」
「まさか…プリッシュか!?」
魔理沙が叫ぶ。
異世界で出会った少女。
少女の身でありながらその実力は如何なる相手でも引かぬ生粋のリアルではモンクタイプ。
それは、見知らぬ土地、異世界の地で再会を果たしたのだった。
東方幻想鉄~プロマシアの幻影~
第二章「虚ろ行く先は何処へ向かうのか」
黒白のエプロンドレス姿である魔法使い、魔理沙が魔法を唱える。
ヴァナ・ディールでは、黒魔道士と分類される彼女は、魔法の扱いはお茶の子歳々だ。
唱えるべき魔法を頭に思い浮かべ、森羅万象に介入するための術式を描き、"魔力"を流すために言霊を詠唱する。
「闇に生まれし精霊の吐息、凍てつく風の刃に散れ!」
氷の元素が集う。精霊魔法と言われる黒魔道士の技は、世界を構成する元素を強く働きかける事ができる。
それは魔の術となって、目の前の敵に放った。
「ブリザド!!」
大気が瞬間的に低下し、空気中の水分が集まり、凍っていく。
それは、巨大な二本の大きな牙を持つトカゲ…いや、イノシシのようにも見えるブガードの肉体の一部を凍らせた。
蜥蜴を丸々と太らせ、巨大な牙を生やしたような外形だ。
大きさは魔理沙の優に三倍近くはあるだろうか。
だが、それにしては不釣り合いなぐらいに頭が大きい。その大きな頭の両側に、太い曲がった牙が付いてるのだ。
後ろ足だけで歩いているのだが、巨大な頭が重いのか、やや前かがみになっている。
こんなおかしな外形をした魔物は幻想郷でも、そしてヴァナ・ディールでも冒険した時も見た事がない。
だが、気遅れしてはいけない。魔物との戦いは気の持ちようだ。自分が弱気にあれば魔物達も容赦が無くなる。
肉体の一部が凍らせられているというのに、太い足をドスンドスンと踏み鳴らしながら魔理沙に近付いてくる。
体勢を低くしていることから、大きな牙で引っ掛けるつもりなのだろう。
幸い、凍っているのが効いているのか、動きが鈍く感じる。急いでその場から離れようとし、ブガードの眼が合ってしまった。
「や、べぇ…!」
事前に聞かれていたはずなのに、眼を合わせてしまった自分に怒りたくなる。
両膝から力が抜けて、倒れそうになる。
時々、魔物には魔法の力が宿った魔眼を持つのがいるが、ブガードにも相手の力を抜けさせる眼を持っている。
ブガードの動きは早くないとはいえ、このままでは追いつかれてしまう。
急いで立ち上がろうとするが、足に力が入ってくれない。
「ぬぅぅぅぅぅぅ!!貴様の相手はこの私だぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
耳に響く甲高い声。
プレートメイル型の鎧に剣と盾、騎士の格好をした男が魔理沙に近付こうとするブガードを盾で殴りかかったのだ。
不意打ち染みた攻撃に、さすがにひるむブガード。
皺と髭の出た老騎士であるというのに、頑健なエルヴァーンだけあってか、相当な力が込められているようだ。
魔理沙の足にもようやく力が戻り始めた。
「あぶねぇ、礼を言うぜ、おっちゃん」
「うむ!騎士たる者、幼子や女子おなごを守るのは当然の事!誉れ高きタブナジア騎士団!進めぇい!!我らの勝利のために!!」
危機を救った騎士に礼を言う魔理沙であるが、この目の前の老騎士が少し苦手であった。
ケルビュイアは常に煩く、暑苦しい。それでいて騎士である事の誇りを一日中聞かされる事だってあった。
脳裏に浮かぶのは同じようにナイトである事を自慢するブロントだが、ケルビュイアと比較するとこれほどではない。
騎士の事を聞かれれば、ケルビュイアはそれこそ三日三晩語り通すだろう。
周りを見渡せばケルビュイア以外にも騎士や戦士の風貌をした男達がブガードの群れと戦っている。
あれらはタブナジア騎士団の団員らしいが、そのタブナジアはとっくの昔に滅んでいる。
そう、魔理沙のいる場所は、かつてヴァナ・ディールで栄光を極めたはずの都市国家があった大陸にいるのだ。
「よし、あとは…!」
ブガードの数は残り少ない。
冒険者と違って実践で鍛えたものではない、訓練によって培われた技術が目に映るタブナジア騎士団であるが、その実力は中々のものだ。
さすがに一級廃人どころか、三級廃人にも届かないとはいえ、ブガードに後れを取るほどでもない。
「どらぁぁぁぁぁ!!」
その中で、騎士とは違う風貌の少女が一人。
可憐という言葉の似合う美少女でありながら、その口から出たのは男勝りとも言える気合いの声。
少女がブガードの眉間に拳を叩きこむと、目を白くして巨大な魔物が地に落ちる。
ブガードと比べると小さな少女に関わらず、その拳は一撃必殺と言っていい。
倒れたブガードに一瞥をくれると、目についた魔理沙に近付いてきた。
「よう、疲れてないか?」
「へっ、まだまだ行けるぜ」
"魔力"も気力も充分にある。
ブガード相手に己の拳だけで戦う少女プリッシュはニヤリとした。
「そいつは重畳。まだまだ数がいるからきばれよ!」
ルフェーゼ野では数多くのブガードが生息しており、基本的に群れを作って生息している。
魔理沙とプリッシュ、そしてタブナジア騎士団はその群れを襲撃している真っ最中なのだ。
「こいつの牙は結構高値で売れるからな。それに最近数が増えすぎたし、狩っておかないと遠出の移動がしづらいんだよ」
ブガードから取れる牙は、主に装備の素材に使われ、黒魔道士の能力を引き上げるイギラ装束や、獣人の顔を象った帽子などに使われる。
後者はさほどでもないが、前者の装備はその性能と見た目から求める魔道士は多く、ブガードの牙は需要があるのだ。
「つっても、一年前にはこの辺のブガードは全部狩られて、牙も皮も余り気味だった時もあったんだがな。その時は牙も暴落してて、タブナジア産地の素材の一つが駄目になるところだったぜ」
「金策目的に冒険者が狩ってたのか?」
「ああ。たしか、ヴァルサンだったか、バリレアだったか…騎士の格好をしてた奴らしい」
一年ほど昔、タブナジアにいる全てのブガードを狩り尽くす騎士がいた。
ブガードがいれば大陸の端から端まで移動し、容赦無く狩っていくブガードハンター。
騎士がこの大陸にいた頃は、まずブガードの姿を見る事が無くなり、一時期、店ではブガードの素材が溢れかえっていた。
その結果、タブナジアでしか取れないブガードの値段が一気に暴落してしまったのだ。
ここ最近、その騎士が見る事がなくなり、ブガードの数が戻ってきた事と、価値が戻りつつあるのがタブナジアにとって幸いだった。
「ブガードのkingがいたぞぉぉぉ!!」
騎士の一人が声をあげる。
声の先に目を向ければ、一際大きいブガードがいた。
ただでさえ天へと反り返ったような大きな角が、更にねじ曲がっているように見え、太さも魔理沙の頭よりも大きい。
あれがブガードの群れのkingなのだ。
「メガロブガード!悪名高い魔物か!!」
魔物の世界では時折、同じ種族でありながら桁はずれに強い存在が生まれる。
そうした魔物は悪名高い魔物と言われ、恐れられると共に、冒険者にとっては腕を試す、もしくはその魔物が落とす素材を目的に狩る者もいる。
プリッシュの言うメガロブガードはタブナジアのブガードではもっとも強き存在だ。
自然の歪みが生み出した脅威はそんじゃそこらの貧弱一般人では敵いもしない。
「お前らは下がってろ!あいつは俺がやる!マリサ、行けるな?」
「おう!いつでもいいぜ!」
メガロブガードの強さを知るプリッシュは騎士達に撤退させるように言うと、魔理沙と共に立ち向かう。
でかい。
こうして向かい合うとメガロブガードは壁のような大きさだ。
さすがに巨大羊である雄羊に劣るかもしれないが、それでも少女の大きさと比較するとどうしても相手のほうが大きく見える。
「ついに出たな、国民を脅かす魔物の王よ!!このケルビュイアが相手だぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
先に攻撃をしたのはプリッシュでも魔理沙でもなく、ケルビュイアであった。
歳老いても膂力の優れたエルヴァーンの剛剣によってメガロブガードの皮は剣によって裂かれ、血飛沫が吹き出す。
そのまま追撃の攻撃を加えようとするが、プリッシュが叫んだ。
「逃げろ、爺さん!」
「何!?ぬわぁぁ!!?」
メガロブガードの振り向き様に、巨大な牙が引っ掛かってそのままケルビュイアが吹き飛ばされてしまったのだ。
そのまま地面にたたきつけられるが、遠目だが受け身を取ったようだ。大事には至ってないだろう。
「な、もう治ってやがる…」
魔理沙の目にはケルビュイアによって斬られた傷がすでに完治しているのが見えた。
ブガードは自然治癒能力が優れているが、メガロブガードはその中でも特に強力だ。生半可な傷を与えてもすぐに治ってしまう。
「マリサは弱体を中心に行ってくれ!あれの牙は出来るだけ傷つけないで手に入れたいからな!!」
拳を固め、メガロブガードへと走る。
悪名高い魔物から得られる素材はそのほとんどが高値で取引される。
無傷に近い状態であればなおさらだ。現れにくい悪名高い魔物の素材を得られるチャンスをふいにするわけにはいかないのだ。
「ならこいつを食らっておきな!ポイズン!」
魔理沙が即座に詠唱を唱えて発動させる魔法は毒魔法。
水の元素が瞬間的に集まり、それは体内の元素の調和を狂わせ、正常な水の流れに毒が混じるようになっていく。
しかし如何に"ポイズン"と言えども、効果は微々たるもの。
強力な自然治癒相手には効果が薄い。
「再生を邪魔できれば充分だ!」
相手の懐に飛び込んだプリッシュの拳がメガロブガードの顔面を狙い撃った。
ゴン、でもドガンという音でもない。
グシャリと潰れたような音が響く。それは派手な音がするまでもなく相手を壊したという明確な響きであった。
しかしメガロブガードはまだ目に力を宿している。
唸り声と共に頭を滅茶苦茶に振り回し、反撃を開始した。
「うわ、とととと!」
長い牙に引っ掛かればそれだけでもリアルではモンクタイプであるプリッシュには致命的な致命傷だ。
特に先端に突き刺されば薄い服を軽く突き破って肉を引き裂くに違いない。
「おのれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!このケルビュイア!!この程度ではまだ負けぬ!!引かぬ!!!顧みぬ!!!!」
メガロブガードの攻撃を回避しているとケルビュイアが起き上がり、相変わらず煩い声で戻ってきた。
傷一つない事から、メガロブガードの攻撃を完全に受け流していたようである。
「爺さん!レタスいけるか!?」
起き上がったケルビュイアに叫ぶように叫ぶ。
プリッシュの言うレタスとは片手剣の武技である"レッドロータス"のことだ。
冒険者の間では技や魔法を省略して言う事が多い。
騎士と呼ばれるぐらいまでに剣の扱いに慣れていれば比較的簡単に繰り出す事は可能でケルビュイアは答えた。
「うむ!任せぇ!連携だな!?」
プリッシュたちのやろうとしているのは、ヴァナ・ディールの戦闘術である"連携"だ。
異なる武技をタイミングよく合わせ、高められた気で追撃のダメージが更に加速する事が出来る。
メガロブガード程度ならプリッシュ一人でも倒せるが、できるなら牙などの素材を無傷で手に入れたい。連携をすることにより、メガロブガードの肉体を必要以上に傷付けずに倒す気なのだ。
「ぬぅぅぅぅぅ!!燃え上がれ我が魂!!食らうがいい!騎士団勝利に繋がる我が秘剣!!!」
ケルビュイアの肉体から沸き出るのは生きている者なら誰もが持つ生命の力。
淡い光は余す事なく剣に注がれていく。
物体には引き出しやすい力があり、片手剣から引き出されるのは火と光。
気が剣に注がれ、それは燃え上がる炎の剣となって変化を遂げる。
「チェストォォォォォ!!!!」
炎の剣がメガロブガードを切り裂いた。
ゴツゴツとした皮が剣によってスパリと開き、追撃の火によって傷口が焼かれていく。
メガロブガードも"レッドロータス"の一撃で顔をしかめるが、それだけだ。
並外れた自然治癒力が傷を回復しているからである。焼かれたはずの傷口がもう治り掛けている。
「本命はこいつだあぁぁぁ!!」
鉄拳のごときプリッシュの"乱撃"がメガロブガードの肉体を撃っていく。
分厚い皮に覆われながらも、拳に感じるのは骨を砕き、相手を壊したと確かに認識する手応え。
これだけでも致命的な致命傷。現にメガロブガードはプリッシュの攻撃に自然治癒が追い付いていない。
ケルビュイアとプリッシュの武技の気がメガロブガードの内部で互いに混じり、それは弾けるようにメガロブガードの内部から爆発した!
"連携"の一つである核熱の効果によって、メガロブガードがゆっくりと倒れそうになる。
だが、メガロブガードの目が一瞬だけ取り戻し、足に力を入れて目の前にいるプリッシュへと突撃した。
並みの魔物とは格が違う悪名高い魔物。
ブガードのkingはせめて一人でも道連れにするために最後の攻撃を加えようとしたのだ。
「スタン!」
だが、その最後の一撃は届かなかった。
魔理沙の唱えたスタンは一瞬だけ動きを止める魔法。そしてモンクタイプの彼女に一瞬という時間は命取りでしかない。
「これで終わりだ!ひっらめけぇ!」
ガニ股になりながら右拳を腰から上へと顎を撃ち抜く豪快なアッパーカット。
プリッシュに比べて遥かに大きなメガロブガードは顎の一撃で空中に舞い上がり、そのまま綺麗に一回転。
宙に浮かび、そのままズゥゥン…と地面に叩きつけられるように落ちていく。
ブガードのkingを倒され、まだ生き残っていたブガードは逃走を開始する。
無理をして追いかける必要はないだろう。再びメガロブガードが現れる日まで、ブガードが大きな群れを作って脅威になるまではさほど危険がないからだ。
そも目的であるブガードの牙などは十分な数を手に入れてるのだから尚更である。
「しゃあ!さすが俺!あまりの強さに恐れたか!」
ブガードのkingが倒され、プリッシュが勝利の宣言をすると共に騎士団も歓声をあげる。特にケルビュイアが煩いぐらいに騒いでいた。
「帰るぜ!地下壕にな!」
牙と皮を纏め上げ、プリッシュの声に一同は傾く。
風が舞い、頬を撫でる。
危険な魔物が行き交うルフェーゼ野に訪れる春の風。穏やかなその風は草をゆらしていき、少女と騎士団の疲れを癒すようだった。
タブナジア地下壕は地下施設を開拓し、人の住めるように作られている。
長い時間をかけて作られた地下壕は人が住むだけなら何も問題がないぐらいにしっかりとしていた。
タブナジア侯国が滅び、その生き残りが築き上げた地下壕には数多くの生き残りが暮らしている。
日々を生きるために食料を作る者、獣人と戦う者などがいるが、地下壕に流れ着いたとある冒険者によってタブナジア地下壕が世界に知れ渡り、タブナジアの生き残りがいると聞いて国家は手早く、タブナジアへと派遣を出そうとした。
しかし元同盟国であるサンドリア、恩を売りたかったウィンダスとバストゥークよりも早くタブナジアへと辿り着いたのは世界の中心であるジュノを拠点とするブラックマーケット。天晶堂が先にたどり着いたのだ。
なぜ国家よりも早く、たかが商業組織がタブナジアへと先に辿り着けたのか。
その理由はタブナジアの陸地が大半失い、タブナジア周辺の潮の流れが変わってしまった事にある。
タブナジアへと続く今まで航海手段、潮の流れが読める船乗りが大陸には存在しなかったのだ。
だが、天晶堂は違った。
彼らにはタブナジアへと続く道を知る者が加わっていたのだ。
交換条件としてその者をタブナジアへと届ける事があったが、それでも裏取引を主にする天晶堂は先に交易する事に成功した。
取引を行う上で一番最初に取りつけるのはとても有利になれる。同盟国であったサンドリアはともかく、恩を売りたかった他の二国は痛手にもなっているだろう。
後々からやってきても、すでにタブナジアと天晶堂の取引は始まっているのだから、その横槍を入れる者はいないからだ。
何はともわれ、タブナジア地下壕と天晶堂=ジュノとの交流が始まり、続けて他の三国からの関係が始まった。
今まで食うのに精いっぱいであったタブナジア地下壕であるが、豊富な水資源とタブナジア半島で取れる素材の需要はとても高かったために、取引に置いても高値で売る事ができたのだ。
その結果、だんだんと生活が楽になっており、タブナジア地下壕では巨大取引施設である競売所も取り付けられていた。
確実に復興しつつあるタブナジア。
かつての栄光は取り戻せないにしても、それでも今を生きるのには何も問題はない。
唯一脅かされる存在、獣人も騎士団の錬度が上がってきており、貧弱一般人が無防備に外に出なければ安心と言えた。
「ブガードの牙が二十一本に、皮は十三枚だな。あとメガロブガードの牙か。こいつは高く売れるぞ」
ブガード討伐を終え、その素材を地下壕へと持って帰るとまず仕分けに入った。
傷ついて素材として使えない牙や皮は売りに出さずに住民の道具へと加工する。頑丈な牙は日用品に変える事も可能だ。
主に外交の役割をする住民の男は、ブガードの素材を細かくチェックしながらプリッシュと魔理沙に振り向いた。
「これでジュノとの取引は上手く行きそうだよ。ありがとう」
「おう、気にすんな」
「こんなもんが外交で役に立つんだな」
牙と皮は傷などがつかないように巨大な袋に入られていく。
そこから更に荷として包まれ、他国へと運ばれていくのだ。
素材を届け終えた少女二人は地下壕の道をぶらぶらと歩いていく。
まだ太陽が上にある時間とはいえ、太陽の光が中央の穴からしか届かないので暗く感じるが、すでに三日ほど生活していれば嫌でも慣れてくる。
住めば都という言葉があるが、この地下壕の生活も中々楽しいと思える魔理沙がいた。
「腹減ったな…」
すでに時刻は昼を過ぎている。
プリッシュは顔を上に向きながら腕を伸ばし、そのままぐるんと回しながら言った。
「飯、食いに行くか!」
「賛成だぜ!」
少女は走る。
狭い道を走ると誰かに迷惑がかかりそうな気もするが、幸い今の時間帯に少女の走る道に人はいなかった。
素材を置いたのは海が近い地下、そして食堂は中層の部分にあった。
「腹減ったー!飯ーーー!!」
「飯ーー!」
食堂に入ってまずこの言葉。
似たような言葉を出す二人、容姿が違いながらもその光景からまるで姉妹のようにも見えた。
「最初の言葉がそれか。相変わらずねぇ…あんたら」
「そりゃ、沢山働いたからその分エネルギーも消費してるんだぜ、霊夢」
「あ、そう。じゃあ、今日の新メニューに湯豆腐のスライスを…」
「まただよ(笑)レイムがここに来てから湯豆腐の料理が増えているんだが…」
調理場で慣れた手つきで調理器具を扱い、料理を作るのは白いエプロンを身に付けた巫女服の少女。
幻想郷とヴァナ・ディール、二つの世界の違いはあれど、調理をする道具に関しては特に変わりはないと言えた。
魚の麟を包丁で取っていき、腸を取り出し、中身を水で洗うと両面に切り開いて火が通ってある金網に乗せた。
そのまま塩を振りかける。塩焼き魚を作ろうとしているのだ。
「お、フリントキャビアか。中々うまいんだよな、これ」
山盛りした深い緑色の海草の上に色鮮やかな赤や緑の野菜、更に魚の切り身が添えられたサラダ。
タブナジア風という瑞々しい海鮮と野菜がふんだんに盛られた豪華なものだ。
その皿の中央にあるのが黒い黒胡麻のようなものが散らばっている。
魔理沙がここに来てからよく食べている卵であるが、これに勝る酒に合う食べ物は中々ないものだと思う。
酒好きの鬼がいれば酒のつまみに必ず添えられてもおかしくないほどなのだ。
「このへんじゃ煌魚はよく採れるからな。漁師の腕も高くなくちゃいけないけど、タブナジアじゃ唯一、味を楽しめる食材の一つさ」
ぺろりと舌を出しながらプリッシュは言う。
幻の淡水魚とも言われ、釣りあげるのが困難とされる煌魚は卵になると更に貴重となる。
天井にある角灯の明かりを返して、てらてらとまるで黒曜石のように光っている。
燧石のフリントキャビアという名はここから来ているのだろう。それは宝石のように綺麗なのだ。
「はい、ご飯と魚の塩焼き、あとはいつも通りのサラダね。あんたらの事だから大盛りにしておいたわ」
「サンキュー!話が早いぜ!」
「よし、食うぜ!」
ほっかほかのタルタルライス入りの茶碗、塩焼きにされた魚にサラダ。あと湯豆腐。
地下壕ではオードソックスな料理だ。湯豆腐は霊夢制作だが。
他国との交流が始まり、米であるタルタルライス、様々な野菜などが手軽に入ったお陰で、このような調理が気軽に食べれるようになったのだ。
「ハフッ!ハフハフッ!ハフッ!!」
フォークでサラダを突き、腹を満たしていく。
噛めばしゃりしゃりとした瑞々しい食感がし、黒い卵であるフリントキャビアは塩漬けにされてるのか、ぷちゅんと弾けると塩と魚の卵独特の味が口の中で広がっていく。
酒が欲しくなるが、この食堂では酒があまり置いてないのが残念であった。
「レイムとマリサがここに来てからそろそろ四日ぐらいか…」
ガツガツと茶碗を持ちながらライスを食べているプリッシュがふと思い出したように口を開く。
「もう四日かー。早いもんだよな」
「働かざる者食うべからず、だっけ。そのせいで私達ってここで毎日奴隷の如く働かされてるのよね」
「奴隷とは心外な。だいたい働くならってここに決めたのはレイムだぜ」
霊夢と魔理沙が幻想郷から姿を消し、ヴァナ・ディールに降り立ってからすでに四日の日が過ぎようとしていた。
現在、彼女達がいるのはヴァナ・ディールの大陸の一つ、クォン大陸の西側に位置する大海、ザフムルグ海にあるタブナジア半島。
二十年前、世界全土を巻き込んだ大戦争によって一度は滅び、地形すら変わってしまったのだが、生き残りは確かにいたのだ。
今でもタブナジア侯国と呼ばれた国の残骸には獣人の残党兵がいるために、地下壕ではその生き残りが築き上げた地下壕で霊夢と魔理沙は過ごしている。
冒険者の証である《シグネット》の破損によって、地下壕に入れないない所を地下壕の住民であったプリッシュに助けられたのだ。
毎日の生活のために地下壕では働かざる者食うべからず。
霊夢は食堂で、魔理沙は魔物退治でそれぞれ仕事をしていたのだ。
物臭な霊夢であるが、家事に関しては趣味と言えるぐらいなため、サボらずにやり続けていた。
「しかし帰るための情報がないってのも辛いよな…」
魚の骨を吐き出し、難しい顔をする魔理沙。
『虚ろ』に飲み込まれ、幻想郷に帰る手段が分からないため、割と不安もあった。
一度ヴァナ・ディールに来た時は妖怪の賢者の能力で帰れた。
だが、今はわからない。
妖怪の賢者が探し出してくれるのが先か、それとも再び『虚ろ』に飲まれるか…。
情報が少なすぎるのだ。
「しかし虚ろねぇ…まためんどくさい事が起きそうだぜ」
ぼそりと一言。周りに聞こえないぐらいの声でプリッシュがぼやく。
霊夢と魔理沙から一通り話を聞いている。
さすがに幻想郷の事までは話していないが、虚ろに飲まれ、この地に来た事を話すとプリッシュは眉間に皺を寄せていた。
「難しい事を考えても仕方ないぜ!霊夢、おかわり!」
「俺もだ!」
「残念ながらおかわりはもうできないわよ。次の品が来るまでね」
「なん…だと…?」
「これが…世界の答え…!これが…!」
食堂のタルタルライスは切れかけていた。
大食漢の二人は食いに食いまくった結果とも言える。
次の交易が来るまで、おかわりはお預けになるだろう。
「プリッシュ、ここにいたのね」
食堂の扉が開かれ、一人の女性が入ってくる。
褐色の肌と長い耳、すらりとした長身からエルヴァーンだとすぐに分かる。
肩まで伸びた鮮やかな橙色の長髪。同色の眉の下には、黒真珠のように、美麗な光明を湛えた双眸がある。
地味ながらも仕立てのよい服を着ており、魔道士の着る胴衣に近いが、古めかしさが感じられる。
エルヴァーンだけあって、端正な顔立ちをしているが、この女性はその中では一際目立つように感じた。
地下壕の住民の一人であり、プリッシュの友人。
タブナジア聖歌隊の元メンバーであり、最も美しく歌えると評されたウルミアであった。
「ウルミアさんじゃない。どうかしたんですか?」
食器を水に流しながら片付ける霊夢だが、エルヴァーンの女性に気づいたようだ。
年長者(ただし妖怪と一部は除く)には礼儀が正しい霊夢なので、ウルミアには敬語である。
「いえ、大した事ではないのですが…プリッシュ、下の交易の人が呼んでいたわ」
「俺にか?なんかあったのかな」
特に呼ばれるような事はしてないつもりだが、ブガードの牙に何らかの異常でもあったのか。
新鮮な水の入ったコップを飲み干し、立ちあがる。
「んじゃ、行ってくるわ」
「気を付けてね、プリッシュ」
扉を開けて下の交易部屋に向かおうとするプリッシュを見送るウルミア。
「おいおい、すぐそこに行くだけだぜ?何に気を付けろと」
「そそっかしい所があるからじゃないの?」
「それは心外だぜ」
「私はここでのんびりしてるわ。霊夢、酒くれ酒」
「はいはい」
プリッシュが食堂から出ていくと魔理沙は霊夢に酒を要求し、それに応える。
そこまで度の高くない程度であるが、それでも酒は酒だ。
酒が生命の水とも言えべき幻想郷の住民には酒は必要不可欠なのである。
「数は少ないけどお茶もあるのが幸いだったわねー。感謝感謝と」
魔理沙に酒を配ると、霊夢も一息つくためにウィンダスティーを入れ始める。
魔法都市ウィンダス産の緑茶は、ヴァナ・ディールはそう数の多くない東方風のお茶だ。
紅茶と違った苦味のある独特な味は、霊夢のお気に入りである。元のいた幻想郷でよく飲んでいたお茶に似た味だからだろう。
「ウルミアさんも飲む?」
「はい、頂きますね。…プリッシュ、大丈夫かしら」
「心配性ですね。ウルミアさんは」
ウルミア曰く、子供の頃からプリッシュの友達をしてきたウルミアにとって、プリッシュは唯一無二の親友なのだ。
過保護タイプのウルミアは、トラブルメーカーのプリッシュにする行為によく心配をしていた。
コップに入れられた緑色の茶葉を入れられたお茶を飲む。
味は苦味があるが、すっきりとしている後味の良さがある。食事の後などに飲むのに最適と言えるだろう。
心を落ち着かせる効果があるのか、プリッシュが帰るまで三人はほっこりとしながら食堂で待っていた。
「あん?足りないだぁ?」
「ああ。サンドリアの取引に使うのに少しばかり足りない」
プリッシュが呼ばれて再び下へと戻ると、男は取引に使う品が足りない事を言う。
「牙と皮ならいくらでも取っただろ?」
「牙と皮はな。だけど、次の取引は別のが要求されてるんだ」
いくら元同盟国であり、縁のあるサンドリアとはいえ、それでも取引に関しては妥協はなかった。
男はサンドリアから提示されたものを言う。
「タブナジア大聖堂に使われていたオルガンの素材…スプルース材が提示された」
「はぁ!?ちょっと待て、そりゃ地下水路の奥を通って、タブナジアの廃墟に行きでもしないと今じゃ取れないぜ!?」
「彼らも無理を承知…だろうな。オルガンに使われるスプルース材は今じゃ採れん。神に届ける音叉を作るのに今のスプルース材では質が悪すぎるのだ」
「かぁー…贅沢な奴だなぁ、おい。大方、教会の奴らか何かか?」
「察しがいいな。その通りだ」
頭を抱えたくなるプリッシュ。
タブナジアがまだ国として存在していた頃、大規模な聖堂が存在していた。
それはサンドリアに教会に匹敵するほどであり、特に有名なのが神に音を届けようと作り上げたオルガンが存在していた。
それに使われる一つ一つの素材は超高級品であり、中にはもう手に入れる事が困難なものまでもある。
サンドリア…正確には教会はそのオルガンの素材を欲した。
女神を深く信仰する教会にとって、神に響かせようとするオルガンの素材は喉が出るほど欲しいのだ。
「で、ここに俺を呼んだのはそれを取ってこいってか?」
「ああ。だが無理とは言わん。タブナジアに獣人の残党が少なくなってるとはいえ、それでも地下道を進んでいくのには変わりはない。
どちかと言えばタブナジアの獣人より、地下水路のアレが危険だからな…」
「まぁな…」
タブナジア侯国と言われた国には、今でも獣人の残党が残ってるとはいえ、それはプリッシュにとってさして脅威ではない。
むしろ地下壕から侯国に繋がる地下道にいる魔物が難関と言えた。
どれだけ強力な冒険者がいてもそれ一匹がいるだけで、住民が恐怖し、恐れ慄くのだ。
特に悪魔のような外形をしたタウルスがやっかいと言える。
あれはプリッシュでも一人では戦いたくない代物だ。
「だいたいそれにしたって他にもやっかいなのがうようよいるんだ。プリッシュ。お前、まだ地下水路の魔力に逆らえないだろう?」
「悔しいけど、その通りだなぁ…まだミルド…枢機卿様の結界に勝てねぇ…もっと強くなりてぇなぁ…」
地下道にいる魔物が強力であっても、プリッシュの敵ではない。
だが、そのプリッシュでも一人では地下道を進む事の出来ないのには大きな理由がある。
かつては水の都とも言われた侯都タブナジアならではの巨大上水路フォミュナ水道には特殊な結界は張られており、それは人間、魔物問わずに力を強制的に低下させるものである。
例え一級廃人の実力を持っていても、この結界内に入れば三級廃人以下、下手すれば外にいるブガードにすら苦戦するほどに力が落ちてしまう。
この結界のお陰で水路にいる強力な魔物を封じ込めると共に、地下壕から魔物が入ってくるのを防いでいるのである。
プリッシュの実力は並みの一級廃人を凌駕した強さを持つが、タブナジア大聖堂の枢機卿が手掛けた大結界の"魔力"に打ち勝つにはまだまだ実力が足りていない。
世界を渡り歩き、己の実力を再確認したプリッシュであるが、自分の強さに伸び悩んでいる事もあった。今以上に強くなるためにも思考錯誤の状態である。
「それに…一年前にミノタウルスが倒されてそれっきりだ。奥に進む過程で新たに生まれた悪名高い魔物と鉢合わせる可能性も高い」
「めんどくせぇなぁ…」
水道の悪名高い魔物。
普通のタウルスに比べて遥かに巨大な肉体を持つ上位種だ。
ただでさえ戦いたくないタウルスが更に強力になってくるのだから始末に負えない。
一年前、初めてタブナジアへと冒険者がやってきてから、プリッシュと騎士団が討伐するはずであったミノタウルスはその冒険者の手によって倒された。
悪名高い魔物は現れるのはそうないとはいえ、さすがに一年も放置していればミノタウルスの一匹や二匹は生まれてもおかしくない。
「もう一度言うが、これは無理にしなくてもいい事だ。本来なら冒険者に頼むことだからな」
「………」
別にやらなくてもやっても特に支障がないと言える事だ。
サンドリアもタブナジアがスプルース材を採れなくても文句は言わないだろう。
だが、それで終わるのは何かと負けず嫌いのプリッシュには押さえられない。どうせならどーんと、スプルース材を用意して驚かせたい。
そんな考えをしながらピカーンと電球が光った。
「いや…いるぜ。立派な適任がな」
確かにプリッシュ一人だときつい。
なら、数を増やせばいけるはず。
脳裏に浮かぶのは食堂にいるであろう少女二人。ついでに友人も巻き込もうと、プリッシュは勝手に決めていたのだった。
★
「プリッシュ…大丈夫なの?お爺様やジャスティニアスに連絡もなしに…」
「へーきへーき。俺の決定はみんなの決定、誰も文句はいわねぇよ」
青白い石畳が延々と続く道を歩いていく。
くねくねと通路が折れ曲がっているが、風景そのものに変わりはない。
端には水が流れる石作りの水路になっており、上下左右、どちらを見ても似たような景色が続いていた。
「なんで私も行かなくちゃいけないのよ…」
「最近動いてないから丁度いいんじゃないか?」
プリッシュとウルミア以外にも、霊夢と魔理沙がいた。
冒険者の服装ではない、幻想郷にいた頃の姿であるがそれでも戦う事には支障はない。
モンクタイプである霊夢は己の肉体が武器であるし、魔法使いの魔理沙は"魔力"が続く限りであれば魔法による攻撃が可能だ。
「安心しなさい。四日間の異世界料理で湯豆腐に更に磨きがかかったわ」
「そっちじゃねーよ!」
食堂で働き、ヴァナ・ディールの料理に本格的に触れた彼女の家事スキルは地味に上昇していた。
見知らぬ他人に食べさせる料理というのは中々難しい事である。その結果、料理スキルの上昇と共に、霊夢は湯豆腐の腕前を更にあげたのだ。
「冗談よ。精々、腕が鈍らない程度はやってるから安心しなさいな」
「本当かよ…」
魔理沙は知っている事だが、霊夢は常識外れの天賦の才を持ちながらも、努力嫌い…いや、する必要のない実力者であった。
する必要がないので努力は必要とせず、己の才能のみで幻想郷では調停者として頂点にあり続けた。
博麗の巫女は人間と妖怪の調停者。故に幻想郷に置いては無敵であり、不敗であり、最強で有り続けなければいけない。
人間の身でありながら、その圧倒的すぎるまでの才能の塊である霊夢には魔理沙は嫉妬と尊敬しないはずがない。
今でこそ友人と言える仲であり、共に異変解決に身を乗り出すが、勝負に置いては勝った試しなど一度もないのだ。
それでも必要であれば修業をするのも霊夢の長所と言えるだろう。
必要でなければやらない、必要であればやる。霊夢という少女はそれがはっきりと別れている人間なのだ。
だから、彼女が腕を鈍らない程度に体を動かしているのは嘘ではないのだろう。
今このときでも霊夢は冒険者としての動きを忘れていない。
何時魔物が襲い掛かってくるか分からない。そのような場所に彼女達はいるのだから。
「ここから先に魔物がいるが…手を出さなければやってこないぜ」
ある程度道を進むとプリッシュが言う。
曲がり角を曲がれば確かに魔物がいた。人型の姿をしており、それはヴァナ・ディールの種族に酷似していた。
闇のように暗い黒い肌、爛々と輝く二つの眼。
長身のエルヴァーン、猫耳を生やしたミスラ、小さなタルタルなどと種族が違うが、皆等しくそれらに生きている感情らしきものが見当たらない。
それらは辺りを見回すと、そのまま何処かで歩いて辺りを見回して、また歩いていく。
「シャドウ…なのか?あれは」
魔理沙は闇の人間らしきものを見て声を出していた。
アンデッドモンスターの一つであり、アルタナ種族のなれの果てとも言われるシャドウ。
過去にフェ・インという氷河に眠る古代都市で戦った覚えがある。
「あれはシャドウじゃなくてフォモルだ。似てるようで別物だぜ」
訂正をしたのはプリッシュである。
言葉を続けた。
「フォモルは俺達タブナジアの民を攫って数を増やした死者の群れ……この辺はシャドウと対して変わりはしないが、一番の違いはフォモルを倒していなければ襲いかかってこないって事だ」
「なんでだぜ?」
「さてなー。仮に同族を倒しても、オークだとかの獣人を倒せば襲いかかってこなくなるからな。案外、あいつらは元が俺達と同じ民だって事が分かってるんじゃないか?」
地下水路に彷徨い続けるフォモル。
シャドウと似て非なる者なのだが、それらはタブナジアの民のなれの果てであり、なぜかアルタナの民に襲い掛からない性質を持っている。
仮に同族であるフォモルを倒して敵として認識されても、タブナジアにいる残党のオークを倒せば襲われなくなる。
恐らく獣人に対する怨みを持って動くフォモルは、オークが倒された事で憎しみを減らしているのだろう、と誰かが一つの説として考えていた。
「進むぜ。やっかいなのはもっと奥にいるからよ」
フォモル達の脇を通り過ぎて少女達は地下水路の奥へと向かって行く。
途中でフォモルの肩にぶつかって、嫌な汗が出てしまう魔理沙であるが、フォモルは魔理沙の姿を確認するとそのまま何処かへと彷徨ってしまった。
本当に襲い掛かってくる事はないらしい。
だが、それで良かったのだろう。
今フォモルのいる部屋は七人のフォモルがいる。種族が違うが、それぞれは短剣や両手剣などの武器を持っている事から、生前は戦士か何かだったのだろう。
さすがに七人のフォモルを一斉に相手にするのは分が悪い。
せめてこの地下水路から感じる圧迫感が消えてくれれば何とかなるかもしれないのだが。
「体が重いぜ…」
無理矢理、力を押さえられてるかのような感触。
これではいつも通りに戦う事など出来ないだろう。
ヴァナ・ディールでの魔理沙の実力は伝説の武具であるアーティファクトを何とか着こなせる程度まで上がっているが、この地下水路に入った瞬間にガクンと力が落ちてしまったのだ。
古代魔法と現代に語り継がれる燃費最悪、威力極大の精霊魔法は使えない。
今使えるのは移送の魔法である"デジョンⅡ"が限界であり、それ以上の魔法は使えなくなっている。
「私はそこまで感じないけど、そんなもんなの?」
プリッシュですら例外無く強制的に力を抑える結界であるが、霊夢だけは効いていなかった。
妖怪の賢者 八雲紫曰く「世界の法則の違いがあっても能力は残り続ける」という。
紫自身も隙間の能力を使って幻想郷とヴァナ・ディールを行き来できるのだからそうなのだろう。
そして霊夢の能力は「空を飛ぶ程度の能力」は言葉通りの能力ではなく、「何事にも縛られない程度の能力」と言い変えたほうが正しい。
どれだけ強力な結界が抑えようとも、彼女の前には意味がない。
この地下水路探索の面子で最も強いのは結界に左右されない霊夢だろう。
地下水路でありながらも、フォミュナ水道は角灯を必要としない明るさがある。
壁全体がうっすらと青白く輝いてるので、見通しがいいのだ。だが、隠れながら進むのには些か不便と言えるだろう。
結界を作り上げた枢機卿の"魔力"がそのまま残っているからである。
先に歩けば石作りの地面がカツンカツンと聞こえてくる。
静かすぎる水路では音の響きが明確に聞き取れる。
だから、霊夢達にも聞き取れた。
人の歩く音ではない、もっと別の足音が。
「何の音だ?」
何かがこちらに近づいてくる。そう魔理沙は分かるが、何なのかまでは分からない。
警戒を強め、通路の先から姿を現すそれに背筋が凍り、鳥肌が立った。
そいつは、脚の化け物であった。
蜘蛛の脚をもったタコを想像すると一番近い。ただし、体は平たい円盤だ。
円盤の周りに八つの脚が付いている所を考えてもいい。
八本の太い脚が、円盤のような身体を支えている。
目はない。見つからない。口もない。見つからない。
異形の怪物と言わずに何と言うのか。
ひとつひとつの脚はでたらめに動いてるようで、全体としてゆっくりと動いていた。
「ダニだな」
「ダニって…あれがか!?」
「地下水路じゃあまり珍しくない魔物だぜ。普通のダニはこれぐらいしかないいだろうけど」
プリッシュが驚く魔理沙に指と指に空間を作るが、それにほとんど隙間などない。
だが、目の前のこの怪物は。
隙間すらない空間からいったい何百何千倍大きくなればここまででかくなれる?
魔理沙は心の中で絶叫をしてしまうほどだ。
「迷宮なんてのは人の想像できるものならなんだっているもんさ。あんなもん虫だ虫」
「だからといってアレは精神衛生上宜しくないぜ…」
怪物との距離はそう遠くない。
カツ…カツ…。
不規則に脚を上下しながら恐るべきダニは近付いてくる。
「どうする?戦うの?」
「戦ってもいいんだが、めんどくさいからなぁ。ウルミア」
地下水路のダイアマイトはそこまで強くはない。
この四人が戦えば勝てない事はないだろうが、それでも地味にやっかいな技を使ってくる。
まだ先は長いので消耗は出来るだけしたくはない。なので、プリッシュはここに来る前にウルミアに頼んでいたのを使う事にした。
「はい、サイレントオイル」
「サンキュー。これがあればダニも気付かないからな」
小さな瓶に詰められたそれは油である。
それも極限まで摩擦を無くす潤滑油。錬金術によって作られるサイレントオイルは、音を出さなくなる白魔法の"スニーク"と同じ効果をもたらしてくれる。
これを使えば、音に反応するダイアマイトも襲ってこないだろう。
ウルミアに渡されたサイレントオイルをさっそく使い始める。
靴に油を垂らすと、あれだけ歩く衝撃で明確に響いた音がしなくなった。恐るべき消音効果である。
通路一杯に脚を広げるダイアマイトであるが、なんとか脇を潜りぬけて先に進んでいく。
サイレントオイルのお陰で音が出なくなり、ダイアマイトは最後まで霊夢達に気づくことはなかった。
「あんなもんがうようよいるのか…」
「あんなもんはまだまだ序の口。楽しくなるのはここからだぜ!」
異世界である以上、見知らぬ土地で見た事のない魔物を見るのは当たり前の事だ。
だが、ここに来てからそれのオンパレードであるため、次はどんな魔物が出てくるのか…魔理沙は半分の不安と半分の好奇心に支配されながらも水路の奥へと進んでいった。
★
「プリッシュは地下水路へと向かった…という事だな?」
「ええ。ジャスティニアス様。プリッシュと…彼女の連れてきた冒険者と一緒にね」
地下壕の一角、そこには男二人が話し合っていた。
一人はプリッシュに取引に使うためにと大聖堂のオルガンに使われたスプルース材を採ってくるように依頼したタブナジアの交易を担当とする男。
もう片方は、ヒュームの男だ。ヒュームには珍しい褐色じみた肌の色。オールバックにして、首の辺りで結髪にした毛髪は、僅かに茶味を帯びた黒色のドレッドヘアーである。
甲冑を纏い、巨大な斧を背に持つことから、手練れの戦士である事が窺える。
仏頂面で表情を読み取りづらく、双眸の下と、額から眉間にかけて、血と似た赤い色彩をしたペイントを施していた。
彼はタブナジア自警団の団長であり、リーダーであったプリッシュを除いて自警団の実質的に一番偉い人物であるジャスティニアスであった。
「勝手に地下水路を行くだけに留まらず…ウルミアまで巻き込むとはな。なぜ止めない」
「頼んだのはこちらですし、一応無理強いはしないようにしましたよ?ですが彼女の性格を考えると…ま、忠言は出来ても止める事はできませんよ」
「………確かにな」
自警団の団長として長く務めるジャスティニアスはプリッシュの破天荒具合はよく知っている。
今はいないが、タルタル三兄妹と合わせて随分と苦労をさせられたものだ。
「ウルミア嬢がオイルを持っていきましたから、ダニや蝙蝠ぐらいは襲われんと思いますが…アレはそれを見破りますから…少し不安がありますね」
「タウルスか」
ジャスティニアスの言うタウルス。
地下水路では最悪クラスの魔物であり、冒険者でも単独で戦う事は避けられるほどの魔物である。
その大きな理由はタウルスの持つ魔眼にある。
魔物の眼には数多の魔法の効果が掛けられる事が出来、中でもタウルスは生きてるモノに対して天敵だ。
"死の宣告"。
タウルスの眼を合わせられる時、死へのカウントダウンが始まる。
宣告を受けた者には魔文字が浮かびあがり、その数字が0になると問答無用で死んでしまう。
それが恐れられるために、タウルスに挑む者は少ない。
そしてタウルスは隠蔽魔法を見破る力を持ち、相手の視界に入らない…でもなければ、簡単に見つかってしまうのもやっかいなところである。
「ジャスティニアス」
「これは…デスパシエール老…」
部屋の一角に入るのは歳老いた老人であった。
耳が長いことからエルヴァーンである事が分かる。
二十年前の戦争から地下壕の纏め役をしているデスパシエールだ。
ウルミアの祖父にも当たる人物でもある。
古いながらも仕立ての良さが伺える服装をしており、首からかけている赤色のブローチが特徴的だった。
「ウルミアは…プリッシュと共に地下水路に行ったのですね?」
「そうなります。彼女らの実力なら問題はないでしょうが…」
「一番の問題はミノタウルスだな。いるとは限らんが、いないとも言えん」
ジャスティニアスの言葉にデスパシエールは顔を青くしてしまう。
彼にとって、孫娘であるウルミアが全てなのだ。
愛する妻を失い、ウルミアの両親が戦争で死に、彼にとって宝と言えるのはウルミアしかないのだ。
そのウルミアと共に居続けるプリッシュを苦々しく思いながらも、彼はそれが嫉妬である事には気付いていなかった。
「ジャスティニアス、今すぐプリッシュの後を追いなさい。手遅れになる前に」
「しかし、それでは警護が…」
「自警団と騎士団の錬度が上がっているのは知っているでしょう?今はウルミアが大事です」
デスパシエールの言う通り、自警団と騎士団の実力は冒険者が来る前に比べて上がっている。
そもそもこの地下壕に魔物がやってくる事自体が稀なのだ。仮に自警団リーダーのジャスティニアスが少しばかりいなくなっても問題はない。
「パウダーとオイルはこちらが用意しましょう。元を正せば私が原因みたいですから」
「すまん、恩に着るぞ」
「ウルミア…無事でいてください」
ジャスティニアスが地下水路に向かうための準備を始め、男は水路を安定して行けるように隠蔽の道具を用意し始める。
獣人軍にまで知れ渡るほどの斧の使い手であるジャスティニアスであっても、地下水路の結界には負けてしまう。
魔物に襲われないように隠蔽の道具は必要不可欠なのだ。他国との交流で幸い、数だけはある。
デスパシエールとウルミア。血の繋がりのある祖父と孫である二人は、何処か似たような部分がある。それはとことんまでに過保護な所だろう。
★
場面が変わって地下水路。
廃墟と化した侯国を目指してどんどん先に進んでいく。
迷路のような入り組んだ通路を進んでいき、途中で閉められた鉄格子の扉はスケルトンキーという盗賊の使う骨の万能鍵を使って開いていく。
本来はシーフや盗賊の使うピッキングツールなのだが、扉を開くぐらいなら魔理沙にでも出来る。
幻想郷では手癖も悪いので、適正があったのだろう。黒魔道士でありながらあっさりと扉が開いた。プリッシュが開けるつもりで用意したスケルトンキーは完全に魔理沙のものとなっている。
「まだ遠いのか…」
「水路だからなぁ。まだかかるぜ」
ハシゴを使って上下を下りながらまだ道を進んでいく。
プリッシュとウルミアという案内役がいるから迷いこそはないが、もし霊夢と魔理沙の二人だけだったらどれだけ時間がかかっていたことか。
道中で敵に襲われる事はほとんどなかった。
水道にいる魔物のほとんどが音によって感知するタイプのため、サイレントオイルによって足音がまったく出ないので声さえ出さなければ魔物の目の前を通り過ぎても見向きもせずに先に進められた。
「おっと、あれだけは要注意ってな…」
ハシゴを上ると大きな広場に出る。
四つの三角形型の地面で構成されている。
その広場には大きな怪物がいた。ダイアマイト、蝙蝠、フォモル。どの魔物にも属さない外形をしている。
人に近い外形をしながらも、明らかに人ではない。服は着ておらず、全身が灰色の皮膚で覆われていた。
頭の横には二本のくねる巨大な角が。左右の腕の先にはたった二つしかない尖った爪だけがついている。
背中には長く大きな尻尾と、申し訳程度の小さな翼のみ。あんな翼であの巨体は浮かせないだろう。
牛を悪魔のように変質させたそれはタウルス。
地下壕の住民を恐怖に陥れる存在であり、この地下水路では最もやっかいと言える魔物であった。
タウルスは魔法の力で隠蔽されてもそれを見抜き、錬金術で作った隠蔽道具も同じように見抜く力を持つ。
そのため、隠蔽をかけてても下手に目の前を横切れば簡単に見つかってしまい、襲われてしまう。
「チャンスだ、こっちを見てないうちに進むぜ。音は立てるなよ」
タウルスは完全に霊夢達とは別方向の先を見ている。
サイレントオイルによって走っても音はしない。それでも口から漏れだす音は出てしまうので、極力呼吸の音を出さないように素早く静かにタウルスの後ろを横切っていく。
近くで見れば大きい。体格の小さい霊夢と魔理沙では二倍ぐらいの大きさを感じる。
プリッシュから事前に聞いている、この先にいるであろう悪名高い魔物はそれ以上に大きいはずだ。
今の実力が下がっている状態でどれだけ強力な魔物相手に戦えるか分からないため、人知れずに魔理沙は気を引き締めていた。
魔物を避け続け、地下水路の奥へと着実に進んでいく。
途中でタウルスに見つかりそうになるが、視界が狭いのかこちらに気づかず何処かへと行ってしまった。
「まるでスニーキングミッションだな…胃が痛いぜ…」
「そう?結構楽しいと思うけど」
隠蔽を見破る魔物がいるなかで見つからずに先に進み続けるのは中々の体力消耗を感じる。
魔理沙は慣れない事にきついと思いながらも、霊夢はあまりやらない事に楽しさを見いだしている。
「そろそろ近いぜ…」
プリッシュは廃墟と化した侯国が近い事が分かった。
今のところは何も襲われずに済んでいる。
体力、"魔力"、気力。共に消費はしていない。
"気"を溜め始め、戦闘に備え始めている。霊夢もだ。
二人には分かっているのだ。この先に何がいるのかを。
水が流れる水路に足を入れ、先に進んでいく。
サイレントオイルとは不思議なもので、水音すらも出さないようだ。
足に水の冷たさが伝わりながらも、曲がり角を曲がり、四人は見た。
「プリッシュ!」
「ああ!」
ウルミアの声にプリッシュは戦闘の準備を整える。
「あいつも分かってたみたいね」
「へっ!準備がよろしいことで!」
霊夢は腰に身に付けた黒塗りのナックルを、魔理沙は地下壕でプリッシュに貰った両手杖を構える。
四人の目の前には灰色の皮膚がした半人半魔の姿がある。
二度、反り返った巨大な角が頭の両脇に生え、天井近くまである巨大な体格、濁った瞳が霊夢達を睥睨していた。
──ヲオォォォォォォォォォォォォ!!!
タウルス…いや、地下水路にその名を響かせる悪名高い魔物。
ミノタウルスの声が水路全体に響き渡る。暗い、何処までも暗い鳴き声。
それが戦いの始まりの合図であった。
「レイム!」
「ええ!」
先に駆けだすのは霊夢とプリッシュ。
身軽なモンクタイプである彼女らは即座にミノタウルスの懐まで走り抜ける。
「こいつを食らっとけ!」
「遠慮はいらないわよ!」
事前に溜めておいた"気"を解放し、先手必勝と言わんばかりに武技を解放する。
「ひっらめけぇ!!」
「しっ!」
体格の違いでボディブローになってしまうが、足のバネを利用して拳を突き上げるプリッシュと、くるりと一回転をしながら裏拳を足に叩きこむ霊夢。
手応えは充分、気持ちのいいほどの感触が拳に伝わるが、ミノタウルスはギロリと眼を向ける。
「プリッシュ!レイムさん!タウルスの眼は!」
「見るな、だろ!?」
「そのぐらいは聞いてますよ、とっくに!」
悪名高い魔物だけあってか、かなりの頑丈さを持つミノタウルス。
二人のリアルではモンクタイプの攻撃を食らいながらも、致命的な致命傷に程遠かったのだ。
特にプリッシュは水路の結界で実力が落ちているのが原因と言えた。
―─グアアアアアアアアアアアアア!!
巨大な鉤爪の付いた腕を振り回す。
他の魔物と同じように結界で実力が等しく落ちているはずなのに、その強さが水路内で別格だ。
悪名高い魔物の名は伊達ではない。
もしも結界のない外に出れば、一級廃人を軽く凌駕する強さを発揮するだろう。
「効かないぜ!」
「当たりもしないわよ!」
一発でも食らえば致命的な致命傷。
それでも二人は的確に相手の攻撃を見切り、回避し、"カウンター"を加えていく。
例え力が押さえられても一級廃人である事には変わりはないのだ。
相手の動きを見切って前線で戦い続けるのはモンクであるなら必須の能力である。
拳を叩きこむたびに鉄を殴るかのような感触がする。
タウルスのkingだけあってか、想像以上に硬い。
だが、負ける気もしない。なぜなら相手の攻撃が止まって見えるのだ。
霊夢の持つ黒塗りのナックルが"カウンター"を決めやすいように身体が本能的に突き動かされ、振るわれる鉤爪に拳を叩きこんで迎撃した。
このような感覚になるのは後方で歌を歌うウルミアの呪歌の効果である。
吟遊詩人の歌に込められる魔法の力は、対象者に眠っている力を引き出す事が可能となる。
ウルミアが歌うのは"闘羊士のマンボ"。
その効果は仲間の動きを早くし、相手の攻撃を見切りやすくする。
閉ざされた水路の中で、聖歌隊一と謳われたウルミアの美声が響く。
―─あなたが響くは陽気な風、陽気な心。踊れ踊れや世界の終りのその日まで。
―─あなたが感じるは楽しき日々、楽しき感情。歌え歌えや世界の終りのその日まで。
歌が響く限り、プリッシュと霊夢の動きは素早いままであり、ミノタウルスの攻撃が当たっていない。
尻尾を振り回しても、逆に霊夢の"カウンター"で撃退されるだけである。
「虚空の風よ、真空の刃となって敵を切り刻め!エアロⅡ!」
魔理沙の唱える魔法が風の刃となってミノタウルスの皮膚を切り裂いていく。
だが、本調子とは程遠いのか、皮膚を少し切り裂く程度で、わずかな傷しか与えられない。
「負けない事はないけど、硬すぎるぜ!」
「決め手が…欠けていますね」
"魔力"とて無限ではない。
考え無しに魔法を撃つのではなく、敵対心が完全にプリッシュか霊夢に向いたら魔法を撃っているが、決め手になってくれない。
ウルミアもマンボだけを歌うのではなく、魔理沙の"魔力"が回復するように大気中の元素を吸収して"魔力"に変換させる"魔道士のバラード"に切り替える。
普通の魔道士に比べて魔力保有量の少ない魔理沙にとって、ウルミアの歌は天の助けである。
消費の激しい魔法をぽこじゃかと唱えなければガス欠になる事はないだろう。
「ちっ、せめて盾がいればウルミアも攻撃に専念できるんだがな」
攻撃を捌きながらもプリッシュのぼやきが聞こえる。
ウルミア自身が攻撃に加わる発言ではなく、吟遊詩人には力を高める歌を歌える。
それを聴ければミノタウルスの頑丈な皮膚を貫けるだろうが、マンボも無しにミノタウルスの攻撃を一発も食らわずに避け切れるかが問題であった。
軽く受け流しているようだが、ミノタウルスの攻撃はかなり素早い。止まって見えるのはそれほどまでに歌の効果が高い証明なのだ。
適当な理由の一つや二つをでっちあげて盾役を連れてくるべきだったか。
プリッシュはそう考えながらも、腕を振るった反動でやってくる巨大な尻尾攻撃を回避した。
「これじゃ切りがない!プリッシュ!アレで決めるわよ!」
「あー、もう少し待ってくれ。もう少ししたら来るかもしれないから」
どれだけ攻撃を加えてもミノタウルスの馬鹿げたまでの体力の前には致命的な致命傷にならない。
モンクの奥の手を使おうとする霊夢であるが、プリッシュは止める。
何十年も共に地下壕に過ごしているのだ。その同じ住民の考えが手に取るように分かるプリッシュにとって、そろそろこちらを追ってくる者が来てもおかしくない。
「来る?誰が?」
「万年ブッチョウヅラしたおっさん」
「仏頂面で悪かったな」
何も見えないはずの空間から一閃。
その一撃はミノタウルスの爪の一本を切り飛ばし、姿が浮き出る男がそのまま手に持つ両手の斧を力一杯に叩きこんだ。
―─ギィアアアアアア!!
斧の一撃を腹に食らい、皮膚が裂けると同時に血が噴き出す。
先程の一撃が重なり、ミノタウルスは苦悶の声をあげている。
「よう、ジャスティニアス。随分早いじゃないか」
「お前達がここを通るのはわかっていたからな。タウルスに見つからないように隠蔽の道具をかけて走ってきたんだ」
厳然とした雰囲気を有しながらも、地下壕から急いで駆けだしてきた戦士、ジャスティニアスが斧を構える。
「色々言う事があるが、まずはあれを排除してからだ」
「おう!精々、俺らの盾になれよ!」
「お前は一言多い」
斧で壁を鳴らし、ジャスティアスはミノタウルスを"挑発"をする。
戦士の技能であるそれは敵対心を急速に高める効果がある。
盾をする上ではこの上ない技だろう。
ミノタウルスの殺気の混じった瞳がジャスティニアを強く睨む。
ジャスティニアスも、ミノタウルスに向かうが決して眼を合わせない。タウルスである彼と眼を合わせれば死のカウントダウンが始まるからだ。
「ウルミア、力を上げる、とびっきりな歌を歌ってくれ!」
「ええ!」
「いまいち状況が理解不能状態なんだけど…」
霊夢はジャスティニアスとこうして出会ったのは初めてなので、誰であるかは分からない。
だが、プリッシュが一応、盾役に任す以上はそれなりに信頼できるのだろう。
ミノタウルスの太い腕がジャスティニアスを狙い、それを強大な斧で受け止める。
一瞬の力比べとなるが、ミノタウルスが押し切った。例え斧の名手であっても力の差が魔物のほうが大きい。
しかしそれがジャスティニアスの狙いである。押し切られると同時に相手の攻撃を受け流し、そのまま斧を下から切り上げ、斧の刃はミノタウルスの左目を一閃する。
「はあああああああ!!」
それだけでは終わらない。
ヒュームであるジャスティニアスを優に超える巨大斧を匠に操り、ミノタウルスに攻撃を加えているのだ。
獣人に名を知られるほどの腕前は伊達ではない。結界によって実力が下がっていながら、彼は真っ向からミノタウルス相手に戦っていた。
「プリッシュ、いくら俺でもミノタウルス相手では長くは持たん。手早く頼むぞ」
「分かってるさ。決めるぜ、レイム!マリサ!」
「さっさと終わらすわよ!」
「しゃあ、任せろ!」
ウルミアの歌が響く。
マンボでもパラードでもないその歌は猛る思いを解き放つ歌だ。
人の奥底に眠るそれを呼び起こし、力が無限に沸き上がってくる。
―─信じる思いこそが強さが証、戦士よ戦え、騎士よ栄誉のために先に進め。
―─我らが進むべきは太陽の道、戦士よ戦え、騎士よ名誉のために先に進め。
"猛者のメヌエット"によって、プリッシュと霊夢の力が膨れ上がってくる。
足を踏み込み、ミノタウルスの肉体を殴った。
今まで以上の手応えを感じ、ミノタウルスは苦痛の声を上げる。ウルミアの歌が、ミノタウルスにダメージを与えられるほどに少女達の力を引き上げているのだ。
「そらそらそらそらそら!!」
「ぶっ倒れなさいよぉ!」
モンクの奥の手であるそれは己の肉体を限界以上に酷使する文字通りの必殺技。
一つの拳を叩きこめばそこから連鎖的に更なる拳を叩きこみ、殴り続ける拳は見えないほどまでに速度が上がっていく!
"百烈拳"!
"百烈拳"!
その圧倒的な攻撃速度+ウルミアの歌によって強化された少女の拳に、ミノタウルスも放っておける代物ではなくなってしまう。
攻撃に集中し続ける少女を狙うために巨大な鉤爪を構えるが、盾役として動く男が見逃すはずがない。
「させん!」
斬るのではなく、動きを止めるために鈍器のようにして斧を叩きつけた。
この一撃でミノタウルスの動きが一瞬だけ止まり、更に振り落とす斬撃が腕を切り落とした。
「はっぜろぉ!」
「終わりィ!」
モンクの二人は"百烈拳"の効果が切れると同時に、高まる"気"を足に集中させ、同時に跳び蹴りを放った。
プリッシュの蹴りは巨大な角を砕き、霊夢の蹴りは胴体に足の跡を付けるほどの威力にミノタウルスが後ずさる。
跳び蹴りを放った二人は、即座にミノタウルスから下がる。水のない、段差の上に登っていた。ジャスティニアスとウルミアも同じだ。
その頃には魔理沙の魔法は完成していた。
「サ・ン・ダ・ガ!」
抵抗すらさせないように"精霊の印"を付加された雷撃がミノタウルスを狙い撃つ。
雷撃の雨がミノタウルスの皮膚を焼き焦がし、それどころか水のある水路に感電してダメージは更に加速した。
ただでさえ三人の前衛に傷付けられたミノタウルスの肉体は、悲鳴を上げている。そのため、この"サンダガ"を食らって逃げようにも逃げられないのだ。
雷撃の雨が止むと、ミノタウルスの全身が焼け焦げ、静かに倒れて行く。
辺りにバチバチと電気の音を響かせながらも、水路最強の怪物は静かに幕を閉じたのだった。
★
「つーことは何か?俺達を連れて帰るためにやってきたのか?」
「そうだ。プリッシュはともかく、ウルミアがいなくなった事にデスパシエール老が酷く心配されている」
ミノタウルスを倒し終え、魔物のいない小部屋へと移動をしてから状況確認をしていた。
駆け付けたジャスティニアスは、プリッシュ達を連れて帰るためにやってきたのだ。
本来であればこのまま地下壕に帰るのだろうが、プリッシュという少女は「はい、そうですか」と従うような聞き分けの良い人間ではなかった。
「後少しで聖堂に着くんだ。見逃してくれよ」
「駄目だ。俺がいなければ危ないところだったのに何を言っている。だいたい、聖堂にもオークの残党がいないと言えんだろうが」
頑固者であるジャスティニアスを説き伏せるのは骨のいる事だ。
プリッシュはどうしたものかと後ろにいる三人を見る。
ウルミア、心配げな顔をしている
霊夢、特に興味なさげ。
魔理沙…眼と眼を合わし、魔理沙の眼がキランと光った。
(本当にいいんだな?)
(やれ!遠慮はいらねぇ!俺が許す!)
(よし、きた!)
一瞬のアイコンタクトをこなすと、魔理沙は詠唱を始める。
それは登録していた拠点に飛ばす移送の魔法。
最初は魔法を突然唱え始めた魔理沙に疑問を抱き、その魔法が何であるかが分かってしまう。
「貴様!待て、それ以上!」
「悪いが、手遅れだぜ!デジョンⅡ!」
魔理沙の"魔力"がごっそりと減るが、移送の魔法特有の煌びやかな光がジャスティニアスを包み、移送の闇へと囚われていく。
ジャスティニアスが気付く頃にはすでに地下壕だろう。
「よし、これで口煩いのも消えたし、先に進めるぜ!」
「こ、これでいいのかしら…」
せっかく助けに入ってくれた地下壕の住民を容赦なくお帰り願うプリッシュ。
それを手助けした魔理沙も魔理沙であるが、世界を旅をしても変わりのない友人に、ウルミアは苦笑しかでなかった。
ミノタウルスの死骸を通り抜けて聖堂に向けて再出発する一同。
魔物の数が少なく、音を出さないサイレントオイルさえ使っていれば襲い掛かる魔物はほとんどいなかった。
「このハシゴの先に、タブナジア大聖堂がある」
プリッシュを先頭にハシゴを上っていく。
少し長めのハシゴを上っていき、天井にある扉のようなものを開いた。
そこから一人、二人と外に出ていく。
新鮮な空気が肺に満ちて行く。水路内でずっと籠りっぱなしだったからか、余計にそう感じる。
しかし、外に出たのはいいのだが、薄暗く感じた。
今いるのは廃墟と化した"タブナジア侯国"にある大聖堂なのだが、その大聖堂は光が届かないぐらいに倒壊しているのだ。
魔理沙は鞄にある角灯に火を付ける。
辺りが照らさせる、その光景に魔理沙は息を飲んだ。
聖堂内は荘厳にして、神秘が垣間見える内装が施されていた。
タブナジアという国が滅んで二十年、地下道を封じて十年数以上。
そこまでの時間が経ちながらも、聖堂は何者にも侵されずにただそこに存在し続けていた。
「すっげぇ…」
角灯であたりを明るくしながら見回す魔理沙であるが、長い間、人の手入れをされてないはずなのに聖堂の中身に圧倒されそうになる。
聖堂で言うなら、冒険者が集う国であるジュノでも見たことあるし、そこで結婚式に参加したこともあるが、それに比べたらここの聖堂の作りは一味も二味も違うように見えた。
「どうだ?これがタブナジアが誇る大聖堂!腕のある職人と魔導士が長い時間をかけた代物だ!」
プリッシュがまるで自分の物を自慢するように、聖堂を指を指していた。
神を信仰する、ただそれだけの事で当時のタブナジアは持てる財力を掛けて、最も質のいい素材を、最も腕の優れた職人を、更に腐食などしないように魔法で保護するという大規模の聖堂を作り上げたのだ。
女神アルタナを信仰する国で言えば、騎士の国であるサンドリア王国にある女神大聖堂とタブナジアに敵うものはないだろう。
「ちょと予想以上だわ…ここまで凄いのは…」
自分自身が巫女でありながら、博麗神社の神を知らない霊夢とはいえ、それでも奉られるものを信仰する聖堂に関してはそれなりに知識はある。
だからこそ、タブナジア大聖堂の凄さに思わず驚いてしまった。いったいどれほどの信仰力があればここまで見事な聖堂が作られるのか…あまり褒めるという事をしない霊夢も感嘆に値するほどである。
「で、目的の品はどこにあるんだ?」
「確かこっちだ」
ここまで来たのは、サンドリアとの取引にタブナジア大聖堂の誇るオルガン、それに使われる木材を手にするためだ。
プリッシュに案内されながら、大聖堂を歩いていく。よく見ればさすがに掃除がされてないためか、椅子や地面に埃が詰まっているようだが、傷の類がまるで見られない。これも劣化しないための魔法の加護なのだろうが、それでも椅子の一つ一つに掛けている辺りが、職人の本気具合が見て取れた。
奥の壁には大きな彫像が掲げられている。翼のある女性像であり、これがタブナジア大聖堂のみならず、アルタナの民であれば誰もが信仰する神。女神アルタナだ。
目当てのオルガンは、その彫像の近くにあった。
白塗りにされた、巨大な鍵盤楽器である。
楽器に詳しくない霊夢と魔理沙ですら分かるその匠の出来具合。
その音色が神へと届くように、と作られたオルガンが静かに存在していた。不思議なことに、そのピアノだけに埃が被っていない。
「これ…壊すのか?もったいないな…」
物を捨てられない魔理沙であるが、これは本当に壊していいのだろうか。
それを躊躇ってしまうほどの作りである。
「いいぜ。どうせ、持ち運べないし、これ以外の奴はとっくに壊されてるからな。今更だよ」
「だったら、尚更じゃない?せっかく残ってるのに壊すだなんて…」
プリッシュはとっくに割り切ってるようだが、霊夢は、少しもったいない気もしていた。
さすがの霊夢といえども、壊れていない、それどころか美しさすら感じさせるものを問答無用に破壊するほど、心は荒れていない。
木材にして売るより、そのまま売った方が値が付くのではないか。霊夢はそう思っていた。
「そういや、ウルミア。元聖歌隊の一人だったよな。オルガンを弾けたっけ?」
「え?出来ない事はないけど…」
「だったら、最後に弾かせてやろうぜ。それならこのオルガンも満足するだろ」
プリッシュは、ウルミアがタブナジア大聖堂でヴァナ・ディールの歴史とクリスタルの歌を語り継ぐ聖歌隊の一人である事を思い出し、オルガンを弾けるかどうかを尋ねた。
歴代の聖歌隊の中で、最も美声とも言われたウルミアであるが、彼女は職業で言うと吟遊詩人であるためか、一通りの楽器の類は扱える。
オルガンを壊す前に、女神にその音色を届かせようと作られたオルガンを最後に弾くためにウルミアは、オルガンにある椅子へと座った。
「音、鳴るかしら」
細い、しなやかで美しい指で幾つか鍵盤を押して、音を確かめる。
オルガンから流れるいくつもの音。
それは、ただ確かめるだけに過ぎないはずだと言うのに、心の奥底まで響くように感じてしまった。
「鳴るみたいね…何を弾きましょうか」
「そうだな…昔、ロンフォールを題材にした歌が流行ったよな。それで行こうぜ」
タブナジアの同盟国であるサンドリア王国、王国を囲むような広大な森林、ロンフォールが存在する。
その美しい木々は荒れた人々の心を癒し、サンドリアの民も、防衛上の不利を捨ててまでも木々を大切に保全してきた。
歌を語り継ぐとある吟遊詩人が、その森を題材にした歌を作り上げ、ロンフォールを表現するかのような美しくともどこか郷愁を感じされる歌と曲が一時期流行っていた。
まだ聖歌隊が存在してい頃、その歌がタブナジアでも歌われていた事をウルミアを思い出し、久しぶりに弾く事となるオルガンを弾き始めた。
ゆっくりと奏でられる旋律。
暗い、明かりが角灯しかない静寂の聖堂の中で鳴り響いたオルガンの音は、霊夢と魔理沙の心を一瞬にして鷲掴みにした。
音が鳴る、オルガンの音が一つまた一つ。
ウルミアの指の動きと連動し、清廉な音が聖堂の全てを包み込む。
そこからかつて、タブナジア大聖堂の誇る聖歌隊の中で一番の美声と言われたウルミアの歌がオルガンの音と共に合わせって行く。
―─Eruafnor star mia stei rama
その曲は特別難しいことではない。難解なフレーズではない。
だけど、なぜだろう。なぜ、こんなにも胸が締め付けられるのだろう。
―─Kia meyri sia raleri sorama
神にその音色を届ける。その言葉に偽りない美しい旋律を背景に、誰も言葉を発することはできない。
―─Eruafnor star mia ratzili
音、綺麗な音。
一体これはどんな冗談だろうか。あまりにも…音が美しすぎた。
(あ…)
魔理沙の頬に涙が流れる。
美しいものを見た時、感動のあまりに涙を流すという表現は聞いたことがあるが、まさか自分自身がそうなるとは思いもしなかった。
―─Killi thanxo reziavi o larxti
素朴な旋律でしかないはずだった。それは一介の吟遊詩人が作った歌に過ぎなかった。
しかし、それはまるでありのままの過去を思い浮かべる事のできる歌。
(やっべぇ…なんだ、よ…これ)
こんな歌は、こんな音は聞いた事がない。
聞けば涙を流すほどの美しさを持つ音など未体験なのだから。
―─Eruafnor tzer seri ramasa
ウルミアの指の動きが更に早く、より正確に鍵盤を叩き、オルガンから響く音を鳴らして行く。
今ではもはや採る事が難しい最高級のスプルース材、更に腕のある職人の作り上げた伝説級のオルガン。
その音色は高らかに失われた国にも響いていく。
(何なのかしら…)
霊夢にとって、歌や曲は、さほど気にするほどでもないものだった。
精々、宴会を盛り上げる。その程度でしかない。そのはずだった。
―─Kia meyri sia raleri sorama
でも、悪い気はしない。
一定の興味を持ち出さない博麗の巫女である少女は、確かにそう感じていた。
それほどまでに、オルガンから流れる音色は素晴らしかったのだ。
―─Eruafnor mie kiemiria
流れる音色は更に重ねられ、和音となって大気を震わせる。
それを聞けば神であっても感動するであろう。
当然だ。神に聞かせ、届かせるのがこのオルガンなのだから。
―─Killi thanxo reziavi o eruafnor
幻想的な光景すら見させるような音色も更に美しさを増していく。
有り得ない音色が、大気に広がり、その場にいる者全ての心を打っていた。
―─Eruafnor shas samilizia
歌は自ら伝えたい言葉である。
曲はそれを現す具現である。
―─Kia ralestua sameyli sorama
友人は何を思って、この歌を歌うのだろうか。
何を思って、弾くのだろう。オルガンと一つになろうとしているウルミアの歌と曲にプリッシュはただ黙って聞くのみ。
―─Eruafnor kukara sarlasto
歌と曲はすでにクライマックス。
時間にして四分にも満たないであろうそれは何時間も感じられるほどの濃密感があった。
きっと、この光景は忘れる事はない。この感動は、この場でしか得られないものだから。
―─Killi thoxi vioclasso larxti………
そして歌と曲は終わり、鍵盤を弾き終わったウルミアは小さく息を吐いた。
久しぶりに弾いたオルガンであったが、上手く行った事を感じながら、静かに椅子から立ち上がる。
「どう、かしら?」
「ああ、相変わらずいい曲だったぜ…オルガンを壊すのがもったいないぐらいにな」
ウルミアの演奏を黙っていたプリッシュは、小さくウルミアの肩を叩きながら言った。
ここまで感動のできるのは、オルガンの出来もさるながら、ウルミア自身の腕も大きいだろう。
「ちょっと、いい加減泣きやみなさいよ」
「ぐす、だ、だっでよぉ」
魔理沙は感動のあまりに涙の止まらず、霊夢はそれを諌めてるが、暫く泣きやみそうになかった。
「あ、足に…」
ウルミアの声に、皆がオルガンに目を向けた。
傷一つない、埃すらもなかった白いオルガンを支える足に罅が入り始めた。
腐る事もないオルガンに罅が入る事に驚くプリッシュ。
「こいつも最後だって事がわかったのかな…」
最後の演奏という役目を終えたオルガンが自分から壊れた。
聞けば滑稽としか映らないだろうが、それでもプリッシュにはそう感じた。
「お前の思いは受け取ったぜ!じゃ、壊すとするか…」
目的はオルガンの中に組み込まれたスプルース材だ。
腕を振り回し、自慢の拳でオルガンを壊そうとするプリッシュ。
だが、その瞬間に異変が起きた。
「…プリッシュ!前!」
「な!」
先に気づいたのは霊夢。拳を突き出そうとしたその瞬間に、闇が広がっていた。
全てを飲み込もとするまるで虚ろのような闇。
何もない、先が終わってるとかしか思えないそれは、この場にいる少女達ならよく知ってるものだった。
「虚ろ…!なんでここに!」
涙を拭った魔理沙が叫ぶ。
まさか神に音色を届けたつもりが、虚ろを呼び寄せてしまったのか。
冗談にしては笑えない状況に、緊張が走った。
闇から風が巻き上がり、全てを飲みこもうとしていた闇からの風を受けて、プリッシュが弾き飛ばされてしまった。
「プリッシュ!」
「ぐ!すまねぇ、ウルミア」
弾き飛ばされたプリッシュを受け止めたのはウルミア。
女性とはいえ、屈強なエルヴァーンであるために、少女一人を受け止めるぐらいの力がある。
風を吹き出してプリッシュを飛ばした闇が膨れに膨れて行き、そのあとは急速に縮んで小さくなってしまった。
いったいなぜ虚ろがここに現れたのか。
理解不能状態となっている状況で、更に異変が続く。
「今度は何よ!」
立て続けに起きるおかしな現象に霊夢も叫んでしまう。
今度はオルガンを中心に、巨大な魔法陣が現れ始めた。
複雑な模様によって構成され、その光は目が眩むほどの激しさがあった。
浮かび上がるのは何千、何万という数の魔術文字。
魔法使いである魔理沙ですら解析し切れない複雑な術式は構成されていく。
そしてプリッシュにはそれがなんであるかは見覚えがあった。世界を渡り歩き、その過程でこの魔法陣を描き出す魔道士がいる事を知っている。
「まさか…これは召喚術か!?」
「偉大なる存在」と言われる、世界を守護せし神々がヴァナ・ディールには存在する。
絶対者でもある彼らの力を借り、共に戦う魔道士の名を召喚士と言い、その魔法陣はそれに酷似していた。
「何が、召喚されるんだ…」
突然の虚ろ、その後に現れる召喚の魔法陣。
鬼が出るか蛇が出るか。
気を引き締める一同に、魔法陣は更に光を強めた。
「くっ!?」
「きゃ!」
「ぐ!」
「う!」
腕と瞼でとっさに遮り、閃光から眼を守る。
光が収まり、眼をゆっくりと開けて行く。
魔法陣は消えていた。オルガンも足が罅割れている以外は無事だ。
だが、一つだけ違った部分もあった。
「…リス?」
霊夢はオルガンの上に乗っている生物を見た。
それは一目で見るとリスのようであった。
大きさはこの中で一番小さい魔理沙が抱き抱えられる程度、その半分ほどもある翼のようにも見えるふわふわとした尻尾、兎のようにピンとした耳。
「カーバンクル…?なのか?」
プリッシュが見た事のある召喚獣であるが、プリッシュの知るそれとは少しばかり違っていた。
まず召喚士の扱うカーバンクルとは、輝くような蒼い毛並みを持っている事が特徴的である。
だが、オルガンの上に眠る小動物の毛並みは、美しいまでの整えられた紫色の毛並みであった。
額に煌めく宝石も、真っ赤な紅玉ではない。これも、毛並みと同じ紫色をしていた。
「寝てるわね。うりうり」
「お、おい。大丈夫なのかよ」
霊夢は瞼を閉じ、眠っているカーバンクルの頬を指で突いている。
もしも危険な何かであったらどうするのか。魔理沙がおっかなびっくりで小動物を見つめている。魔理沙は召喚士と組んだ事がなく、こうして召喚獣を間近で見るのが初めてであるからだろう。
「大丈夫、寝てるだけみたい」
「でも、どうしてこんな所にカーバンクルが…?」
ウルミアの疑問。
紫色の謎のカーバンクルがなぜ滅んだ国に現れたのか。
まさか、神に届けるオルガンの音色が本当にカーバンクルの元へと届いたと言うのか。
「偉大なる存在」とはまた別とは言え、霊獣であるカーバンクルも人間からしてみれば立派な神に属する存在なのだ。
「しかし虚ろか…こりゃ、大変な事になりそうだぜ…」
プリッシュに浮かぶのは終わったはずの戦い。
とある神の計画した壮大な自殺計画、一万年前から諦めずに神の住まう真世界に行こうとした愚か者、そしてその計画を止めるべく、全ての人間を滅ぼそうとした真龍。
また、あの戦いが始まってしまうのか。
プリッシュは、そう感じられずにいられなかった。
★
オルガンの素材であるスプルーズ材を手に入れ、長居は無用と魔理沙の"エスケプ"によって地下壕を帰還した四人は、まず真っ先にジャスティニアスに叱られた。
だがウルミアを除いて何処吹く風かと言わんばかりに受け流し、プリッシュに至っては鼻くそほじりながら「へーそいですかいー」と聞いてすらいなかった。
その態度にジャスティニアスはついに堪忍袋の尾が切れるが、その瞬間に彼の胃は悲鳴を上げた。
ジャスティニアスの胃は犠牲になったのだ…トラブルメーカーという名の犠牲にな。
ウルミアはジャスティニアスと医療室へ、霊夢と魔理沙は紫色の小動物を連れてプリッシュと別れた。
螺旋型の道をぶらぶらと歩いていると、目の前から老人が歩いてる。
「プリッシュ」
「デスパシエール老か。何か用かよ?」
この二人の仲はあまり良くない。
デスパシエールが一方的にプリッシュを嫌っているのもあるが、相性というのもあるのだろう。
「女神様に…あの音は響いたか?」
「あ?」
ウルミアを連れ出した事に嫌味を言われるかと思ったが、デスパシエールの言っていたのは違った。
彼も聞いているのだろう。オルガンが壊される事を。
そして、それなりに付き合いの長い二人である。デスパシエールには分かっているのだ。プリッシュが最後にオルガンを弾かせてやろうとしたのを。
「ま…あれで届かなかったら詐欺だろ」
「そうか…」
実際に女神に届いたなんて言える者は誰もいない。なぜならそのような証拠なんて誰も持っていないからだ。
それこそ、女神様本人に問い出すしか方法はないだろう。
だけど、プリッシュは思う。あのオルガンの音は、ウルミアの歌は、素晴らしいものである事を。
きっと慈悲深い女神様の事だ。オルガンの音は神々のいる場所に響いているに違いない。
その結果が虚ろと召喚陣というのもアレだが。
デスパシエールはそのまま何も言わずに去っていく。
彼にとって、全てを失って宝と言えるのはウルミア、そして支えとなるのは女神の信仰だけであった。
デスパシエールも大聖堂に使われるオルガンが神に音を届かせるものである事を知っているため、最後の最後で神に音を届けたという仕事をして壊される…それだけでも彼にとって、救いだったのかもしれない。
プリッシュは頭を掻くと、空を見上げる。
太陽は沈み、蒼い空は真っ赤に染まっていた。もうじき夜も近いだろう。
何を考えるにしても、腹が減っては仕方が無い。そう考えてプリッシュは食堂へと向かって行った。
「疲れたー!ベッドが恋しいぜー!ふかふかだー!」
「このリスはこの辺に置いとけばいいかしら」
霊夢と魔理沙、幻想郷からの来訪者である彼女らにあてられた小さな部屋。
冒険者用の宿として増設された部屋であり、小さい部屋ながらも充分に人の住める出来になっている。
ふかふかと言うが、割と硬めのベッドである。それでも疲れのある魔理沙にはふかふかに感じる。
霊夢はというと、丸いテーブルに獣を置き、両腕を力一杯伸ばした。
特に腕の疲労が半端ではない。"百烈拳"の反動がここに来てやってきたのだ。
「何なのかしらね、このリスもどき」
「カーバンクルって言ってたけど、これでも神様らしいぜ」
ベッドから起き上がり、ふかふかの毛並みを撫でる魔理沙。
撫でる度に手のひらから感触の良さが伝わってくる。
そのまま撫でていると、瞼がむずむずしている。どうやら目覚めるようだ。
「お、眼が醒めたぜ」
「こうして見るとリスにしか見えないわね」
紫色の獣が眼を醒まし、霊夢と魔理沙をじっと見つめている。
獣が口を開き、言葉を発した。
「霊夢…に魔理沙、かしら?ここは……?」
二人はぎょっとした。
獣が声を出したのも驚くが、それ以上にその声には聞き覚えがありすぎた。
「ぐ…体がみょんに重いですわ…なぜか視点も違うような…」
獣が美声で貴婦人のようなしゃべり方をするのに違和感を覚えながらも、霊夢は震える自分の声に気づかず尋ねた。
「あ、あんた…紫…なの?」
「?何を当たり前なことを言っているのかしら?どう見てもピチピチな美少女大妖怪八雲紫じゃない」
確定だ。
こんな馬鹿な事を言う妖怪の賢者など一人しかいない。
魔理沙はどこからか持ってきた手鏡を霊夢に渡し、それを獣に向けた。
「え」
鏡に映るのは毛並が良さそうな獣自身。
だが、獣はこのような姿になった覚えはない。
「え」
これはどういう事だ?
あの強くて、威厳もあって、女性らしさをかき集めた美の結晶が何処にもない。鏡に映るのは紛れもなく紫の毛並みを持つリスのような獣なのだから。
「な、な、な、な…………」
思考が追い付かない。
賢者と評されるのに相応しいその自慢の頭脳も、何処かに置き忘れたかのように感じる。
「なんなのよ、これはぁぁぁぁぁぁぁ!!?」
滅び、忘れ去れた国。国土の大半が海に沈んだタブナジア侯国。
その生き残りが築き上げたタブナジア地下壕の一角で、幻想郷の管理者、妖怪の賢者と言われた八雲紫の悲痛な叫び声がむなしく響いたのだった。
……To Be Continued?