…これが、反転?
あの後、現場には要請を受けたヴァルキューレ警察学校のパトカーがけたたましいサイレンを鳴らして大挙し、ラクーンファミリーの狸親父を筆頭に、転がっていた組員や雇われのスケバン、不良共は一人残らず手錠をかけられて護送車へと詰め込まれていった。
「……はぁ。またお前達か」
正実とヴァルキューレが慌ただしく動く現場で、俺たちのもとへ歩み寄ってきたのは、ヴァルキューレ警察学校、公安局の一年生――尾刃カンナだった。
警察犬を思わせる獣耳に、ビシッと着こなした制服。そして何より、同級生はおろか上級生やチンピラ共すら震え上がらせる、射貫くような鋭い目つきの強面。
「よぉカンナ、来るのが早いな。今回も大漁だぞ。きっちり頭数と賞金の計算、頼むな」
「言われずとも職務は全うしている。……ヴァルキューレとしても狙っていた裏社会の大物を丸ごと一網打尽とは。いくら賞金稼ぎを兼ねているとはいえ、アビドスは我々の仕事を奪うのが趣味なのか?」
呆れたようにため息を吐くカンナだが、その声音に刺々しさはない。
俺たちとは、普段からアビドス自治区周辺、いやキヴォトスの主流となっている学園で暴れる賞金首を捕まえてはヴァルキューレへ突き出している関係で、すでに顔馴染み――というか、半ば腐れ縁のような間柄だった。
カンナはその鋭すぎる目つきと威圧感のせいで、学校内外から「狂犬」だの何だのと恐れられがちで、本人もその強面に少なからずコンプレックスを抱いているらしい。
だが、毎朝鏡で自分の凶悪な目つきを見慣れている俺からすれば、普通にキリッとした美人じゃねえか、としか思えないし、ホシノに至っては俺の顔面で耐性がつきすぎているため、カンナの鋭い睨みなどそよ風程度にしか感じていない。おまけにユメ先輩に至っては、
『カンナちゃ〜ん!今日もかっこいいね〜!はい、お裾分けのお団子!』
『あ、ありがとうございます。ありがたく皆で分けさせていただきます』
ヴァルキューレへ顔を出すたびにと満面の笑顔でお菓子を押し付ける始末だ。
自分を恐れず、ごく自然体で対等に接してくれるアビドスの空気感に、カンナ自身もどこか居心地の良さを感じているようだった。同じ強面枠として、俺に対しても妙なシンパシーを抱いている節があり、扱いに慣れきった俺が愚痴を聞く日もあったりする。
「ま、今回は正義実現委員会の手伝いみたいなもんだ。正規の賞金、しっかり頼むぜ」
「ああ、規定通り振り込ませて貰うさ。……怪我がないようで何よりだ、円、小鳥遊」
カンナは小さく口元を緩めると、書類をまとめて護送車の列へと戻っていった。
こうして、百人規模の武装集団による大規模な抗争計画は、完全に未然に防がれ、トリニティ自治区の平穏は、正義実現委員会と俺たちの手によって無事に守られたわけだ。
もちろん、タダ働きで終わるはずもない。
ヴァルキューレからはカンナが言っていた通り、重要指名手配犯の身柄引き渡しに対する正規の賞金がたんまりと支払われた。口座に振り込まれたまとまった額のクレジットの桁を見て、俺とホシノの口元は思わず緩みっぱなしだった。これだけあれば、アビドスの借金の利息を払った上で、復興資材や新しい備品だって余裕で……いや、それ以上の”もの”だって買い戻せる。
さらに面白かったのは、事態の顛末を聞きつけたティーパーティーの連中だ。
最初に生徒会長のユメ先輩が電話を入れた時は「野蛮な荒事は管轄外ですわ」と一方的にガチャ切りしやがったくせに、正義実現委員会(の一年生コンビ)が大捕物を成し遂げ、トリニティの名声を大々的に高めたと知るや否や、見事なまでの手のひら返しを披露してきたのだ。
『我がトリニティの威信と正義を内外に示してくださった、貴校の協力に深く感謝いたしますわ』
などという慇懃無礼極まりない言葉だけの感謝状と共に、なんと正規の賞金とは別にたっぷりと「臨時ボーナス」のクレジットまで上乗せして振り込んできた。
現金すぎる変わり身の早さには呆れ返るしかなかったが、まあ、くれるという金を断る理由などどこにもない。大人しく懐へ納めさせてもらった。
その夜は、さすがにアビドスへ戻る列車もなくなっていたため、正義実現委員会が手配してくれた自治区内のホテルへ宿泊することになった。
トリニティの息がかかった宿泊施設だけあって、アビドスの校舎の宿直室とは比べ物にならないほどふかふかのベッドと上品な調度品が揃っており、久しぶりに泥のように深く眠ることができた。
そして――爽やかな朝の光が、窓のレースカーテンを白く透かす翌朝を迎えたのだった。
チェックアウトを済ませ、正義実現委員会の本部へ向けてトリニティの街並みを歩く。
「ん〜〜っ、よく寝ました……! ベッドのマットレスが信じられないくらい柔らかくて、まるで雲の上に浮いてるみたいでしたね」
隣を歩くホシノは、昨夜の脛を小突いてきた不機嫌さが嘘のように、両手を上にぐーっと伸ばして伸びをしていた。口座に振り込まれた大金の残高と、一流ホテルの至れり尽くせりな設備を堪能したおかげで、すっかりご機嫌を取り戻したらしい。
「ああ、いい宿だったな。朝のバイキングも品数が多くて驚いたよ。焼きたてのクロワッサンに、目の前でシェフが焼いてくれるフワフワのオムレツだろ?流石はお嬢様学校の自治区って感じの豪華さだったな」
「ですね〜。あのオムレツ、ユメ先輩にも食べさせてあげたかったです。……あ、でも、朝の素朴な味噌汁やご飯も、あれはあれで落ち着いて美味しいんですけどね」
「違いない。臨時収入も入って余裕が出来たし、帰ったらみんなで美味いもんでも食うか」
「賛成!…うへ〜、何を食べましょうかね。ここはやっぱり柴関ラーメン…」
そんな風にアビドスへのお土産やユメ先輩のことを話しながら、正義実現委員会の建物へと近づいていく。
敷地が近づくにつれて、黒い制服に身を包んだ委員会の隊員たちの姿が目立ち始めた。
だが――門をくぐり、広場へと足を踏み入れた瞬間、周囲の空気がさざ波のようにざわめき出した。
「あっ……あのアビドスの生徒たち……」
「昨夜の事件の……」
行き交う生徒たちが、俺とホシノの姿を認めるなり足を止め、遠巻きにヒソヒソと囁き合っている。昨夜のビル急襲の噂は、すでに組織内へ完全に知れ渡っているようだった。
ホシノに向けられているのは、純粋な驚嘆と好奇の視線だ。
「あっちの小柄な子です。一人で敵陣のど真ん中に突っ込んで、銃撃戦の中で八人もの重武装集団を一瞬で無力化したっていう……」
「あの動き、並の突撃隊員どころか、上級生の幹部クラスすら凌駕してるって二年生の先輩たちが話してたらしいよ……」
「すごい腕前の突撃狂……いえ、歴戦の猛者ね……」
憧れや尊敬が混ざった眼差しを一心に浴びせられ、ホシノはショットガンを抱え直しながら、「あはは……うへへ……」と視線を泳がせていた。普段は気怠げに構えているくせに、面と向かって褒め称えられると途端に弱くなり、居心地が悪そうに耳を赤くして面映ゆい表情を浮かべている。実に分かりやすい後輩だ。
――だが。問題は、俺の方に向けられている視線だった。
「……ちょ、ちょっと、見てみて。あっちの男子生徒……」
「頭のヘイローがピコピコ光ってる……あれが噂の『頭のおかしいアビドスゲーミング野郎』…」
「聞いた話では、屋上から釣り竿で敵のボスを釣り上げたんだって?……何で釣り何だろう…?」
「銃から花を咲かせたり、銃に持ち主をボコボコに殴らせたって……どんな呪いを使えばそんなことができるの……!?」
ここまでは、まあいい。昨日実際にやらかした事実だし、奇異の目で見られるのは最初から覚悟していた。
だが、その次に聞こえてきた上級生らしき隊員のヒソヒソ声が、俺の耳を激しく疑わせた。
「それだけじゃないの……。あの、委員会の超新星で……私たち上級生ですら恐ろしくて近寄れない、あの剣先ツルギさんが……」
「えっ、剣先さんがどうかしたの?」
「昨日、あの男子生徒に何かをされたらしくて……『ギエェェェッ!』って悲鳴を上げながら、顔を真っ赤にして脱兎の如く逃げ出したんですって……!」
「嘘でしょ!? あの狂犬というのも生易しい剣先さんが悲鳴を上げて逃げ出すなんて……!?」
「あの人ですら裸足で逃げ出すなんて……一体どんな恐ろしい事を仕掛けたのかな……」
「ひぃっ、恐ろしい……! 目を合わせたら……ガクガク」
サッ、と蜘蛛の子を散らすように一斉に三歩ほど後ずさる隊員たち。
その瞳に宿っているのは、尊敬などではなく、得体の知れない怪物を見るような畏怖の視線だった。
「…………」
俺は引きつった顔のまま、天を仰いだ。
いや、違うだろ。なんでそうなるんだよ。俺は手榴弾から庇ったあと、怪我でもしてないか純粋に心配して手を伸ばしただけだぞ?
ツルギがいきなり奇声を上げて逃げ出した理由だって、こっちは未だにさっぱり分かってないのに、なんで俺がやった事になってるんだ?
完全に心外すぎる濡れ衣に、俺がなんとも言えない複雑極まりない表情で立ち尽くしていると――
「……っ、ふ……っ、くす……くすくすくす……!」
真横でホシノがとうとう堪えきれなくなったように、口元を手で押さえて肩を激しく震わせ始めた。
「……おい、ホシノ。笑うな」
「あ、あははははっ!い、いえ……っ、すいません……!あはは、ショウのあの顔……!あんなに必死に庇って心配してあげてたのに『ツルギさんすら震え上がらせて逃げ出させる怪物』扱いされてるの、面白すぎて……!」
腹を抱えてケラケラと笑い転げるホシノ。
さっきまでの照れ隠しはどこへやら、俺の冤罪を心底楽しそうに笑ってくる姿に、俺は盛大なため息を吐き出すしかなかった。
正義実現委員会の本部へ立ち寄ったのは、トリニティを離れる前の最後の挨拶と、ホシノに貸し出されていた通信機の返却のためだった。
応接室で出迎えてくれたハスミは、昨夜の疲労を感じさせない凛とした佇まいだったが――その背後には、異様な気配がへばりついていた。
「昨夜はお疲れ様でした、ショウさん、ホシノさん。お二人のご協力のおかげで、自治区の治安を揺るがす大事件を未然に防ぐことができました。正義実現委員会を代表して、心より感謝申し上げます」
「おう、こっちもいい稼ぎになったから、お互い様だ。……で、ハスミの後ろにいるのは」
「………ひ、ひひひ……」
ハスミの豊満な身体と大きな翼の完全な死角から、黒髪の頭頂部と、真っ赤に染まった耳の先だけがピョコピョコと覗いていた。
ツルギ。
ハスミの制服の裾を両手でぎゅっと握りしめたまま、俺から完全に視界を遮るようにして小さく縮こまっている。あの敵を恐怖のどん底に叩き落とした切り込み隊長の面影など微塵もない。
「……ツルギ。いつまで私の後ろに隠れているつもりですか。助けていただいた相手に、失礼でしょう」
「ひゃぅぅぅぅ………だ、だって……わ、わたし……あ、あんな……あんなっ」
「はぁ……。すみません、ショウさん。昨夜からずっとこの調子でして……」
ハスミがこめかみに手を当てて深々とため息を吐く。
その背後で、ツルギは両手で顔を覆って指の隙間からこちらをチラチラと盗み見ては、俺と目が合いそうになるたびに「ぴっ」と息を呑んで首をすくめていた。全身から蒸気が出そうなほどあわあわしている。
「あのさ、ツルギ。せっかくだし、今後何かあった時のためにモモトークの連絡先くらい交換しておかないか?」
俺が端末を取り出して画面を向けると、ツルギはビクッと肩を跳ねさせた。
ハスミに背中をトンと押され、おっかなびっくりといった足取りで、カニ歩きのように横へジリジリと出てくる。
「うえ……あ、う……ぅ……」
ツルギは震える手で自分の端末を差し出し、拙い動きで連絡の送信を完了させると、即座にハスミの背後へシュバッと音を立てて逆戻りした。
そして、画面に登録された俺のアカウント名を凝視しながら、耳まで真っ赤にして口元を両手で押さえ、悶えるように足をバタバタさせている。
(……これ以上近づいたら、昨夜みたいに奇声を上げて窓から飛び降りかねないな)
何が彼女をそこまで追い詰めているのかはさっぱり分からないが、これ以上刺激するのは危険だと野生の勘が告げていた。
「じゃあな、ハスミ。ツルギも。また何か厄介ごとがあったら呼んでくれ。安く請け負うぜ」
「ええ、またお会いしましょう。道中、お気をつけて」
「……ぅ……あ、ありがとう……ござぃま……したぁ……ま、また…」
「ああ、また来る」
蚊の鳴くような、消え入りそうなツルギの絞り出すような挨拶に見送られ、俺たちは正義実現委員会の本部を後にした。
トリニティから列車に揺られ、乾いた砂風が吹きつけるアビドス自治区へと戻ってきた頃には、太陽はすっかり天高く昇り、正午を回ろうとしていた。
見慣れた砂漠の景色と、人気のない静まり返った廃墟群。
トリニティの白亜の街並みから戻ってくると、改めてこの自治区の過酷な現実を痛感させられるが、それでも胸の奥に広がるのは不思議な落ち着きだった。
本校舎へ足を踏み入れ、掃除が間に合わなのか、砂所々積もっている廊下を抜けて生徒会室のドアに手をかける。
戻る連絡は事前に入れておいたからユメ先輩が居るはずだと考えながら引き戸を開けた、まさにその瞬間だった。
「ふったりっともぉぉぉっっ!!おーかえりなっ……さぁぁぁぁいっっ!!」
「ぶはっ!?」
教室の中に飛び込んできたのは、弾丸のような速度のユメ先輩だった。
開口一番、太陽のように明るい大声を張り上げながら、俺とホシノの二人まとめて正面から力任せに抱きついてきたのだ。
「うわっ、ちょっ、ユメ先輩!?危ないですよ、いきなり飛びついてこないでください!」
ホシノは照れ隠しで顔を真っ赤にしながら、ジタバタとユメ先輩の抱擁から逃れようと手足をジタバタさせている。
俺もユメ先輩の柔らかい突撃を受け止めながら、苦笑してその頭を軽くポンポン叩く。
「ただいま戻りましたよ、ユメ先輩。大げさっすよ、たった一晩留守にしただけでしょうに」
「大げさじゃないよ〜! 心配したんだからね!? 連絡で『正実の人と一緒にマフィアのビルに突入する』なんて物騒なこと書いてあるし、怪我してないかずっとドキドキだったんだから!」
ユメ先輩は俺たちの肩や腕をペタペタと触り、怪我がないことをしつこいほど入念に確認すると、ようやく満足したように「えへへ」と胸を撫で下ろした。
普段からアビドスの復興のために駆け回っている人だが、こうして仲間を迎える時の無邪気な温かさは、何物にも代えがたい安心感がある。
ようやく落ち着いたユメ先輩にお茶を淹れてもらい、俺たちはパイプ椅子を囲んで今回の遠征の顛末を報告した。
「――それでですね、ユメ先輩。ショウがヘイローで釣り竿を作って、建物の天井越しにマフィアのボスを一本釣りしたんですよ」
「えぇぇぇっ!? つ、釣り竿で人間を一本釣り!? ショウくん、ヘイローでそんなことまでできるの!?」
「できるからやったんですけどね。そのあとホシノが突入して、室内でショットガンと体術を駆使して敵を片っ端からなぎ倒してくれたんですよ」
「わぁぁ……!ホシノちゃん、かっこいい〜!映画の主人公みたいだね!」
「べ、別に大したことじゃありませんよ……相手の隙が大きかっただけです……」
褒められてそっぽを向くホシノを横目に、俺は手榴弾の不発弾のくだりや、ヴァルキューレのカンナがやってきて賞金を回収したこと、そして口座に振り込まれた臨時ボーナスの金額を端末で見せた。
「……えっ。ええええぇぇぇっ!? こ、こんなにたくさん!?正規の賞金一千五百万に、ボーナスが一千万……合計で二千五百万!?」
端末の口座残高を見たユメ先輩が、目を丸くして椅子から転がり落ちそうになっていた。
アビドスの月々の利息は約七百八十八万。つまり、今回の遠征だけで向こう三ヶ月分の利息を余裕で一括前納した上で、手元に百数十万のお釣りが残る計算になる。
「利息どころか、向こう三ヶ月分の支払いがまるまる浮いちゃうよ!? 夢じゃないよね……!?」
歓喜のあまり両手で頬を押さえてプルプル震えるユメ先輩。
だが、その横で端末の数字をじっと見つめていたホシノが、ふと何かを思い出したように瞳を瞬かせ、指を折りながら小さく呟き始めた。
「……待ってください。三ヶ月浮いたってことは……ええと」
普段のアンニュイな気だるげな表情がすっと消え、計算が進むにつれてホシノの目がみるみるうちに輝きを帯びていく。
「ショウがたまにヘイローを毟って、あの例の『黒服』とかいう怪しい男に売り払ってくる代金……あれ、向こうの実験の進み具合で変動しますけど、最低でも一千万くらいになりますよね」
「まあな。黒服の野郎、それでも俺のヘイローの欠片をえらく買い叩いてるつもりらしいが、俺からすればただで生えてくる頭の輪っかだしな。むしろ、そこまで高額になるのがびっくりなくらいだ」
「それに、私が自治区周辺で片っ端から狩ってる賞金首の額が、調子のいい月なら五、六百万……さらにショウが解体屋や土木現場でやってる日雇いバイト……あれ、確か日給五十万でしたよね」
そう、あの土木バイトだ。
巨大なビル解体の現場で、鉄骨を複数担いで運んだり、岩盤を拳で砕いたり、重機が入らない狭い基礎コンクリートを素手で叩き割ってトラックに放り投げていたら、現場監督のロボットの親方が「重機リース代とオペレーター人件費が数百万浮いた!頼むから他所に行かないでくれ!」と半泣きになり、日給五十万に跳ね上がったのだ。
おまけに休憩時間になるたび、高級うな重だの特上焼肉弁当だのを両手に抱えて「兄ちゃん、これも食ってくれ!明日もうちにも来てくれるよな!な!?」と涙目で必死に囲い込もうとしてくる。
美味い飯が食えて金も貰える、俺にとっては最高の現場だった。
「……たまに美味しい弁当を持ち帰ってくるショウのバイト、月に数日行くだけで数百万円……」
ボソボソと皮算用を口にしていたホシノが、ハッと顔を上げ、ぐっと拳を握りしめて前のめりになった。その声には、滅多に見せない年相応の興奮が滲み出ている。
「これ……全部合わせたら、向こう三ヶ月の利息、いや半年の利息を払っても、手元にお金が数百万単位で残るんじゃないですか……!?毎月のカツカツな自転車操業から抜け出せるどころか、砂漏りしてる校舎の修理も、不足してる復興資材の買い込みも、ミレニアムの防衛ドローンだって買えちゃいますよ!ううん、それだけじゃない……本気を出せば、少しずつですけど、あの途方もない『元金の返済』にだって手が届き始めます……!」
「ほ、ホシノちゃん、本当……!? 本当に、そんなに……!?」
ユメ先輩が感極まったように瞳を潤ませ、パァッと満開の花が咲いたような笑顔を弾けさせた。
ずっと一人で背負い込み、先の見えない暗闇の中で必死に笑顔を取り繕いながら続けてきたアビドスの再建。その果てしない借金の山に、確実な風穴が空いたのだ。喜びを隠しきれない二人は、手を取り合って
「やったぁ〜!」
「やりましたね、ユメ先輩!」
と飛び跳ねて抱き合っている。二人の眩しい笑顔を見つめていると、俺の胸の奥にもじんわりと温かい誇らしさが込み上げてきた。
「へへっ、言っただろ?俺たち三人なら、どうとでもなるってよ」
借金完済まではまだまだ長い道のりだし、これからも厄介ごとは山ほど降ってくるだろう。
だが、この二人がこうして心から嬉しそうに笑ってくれるなら、いくらでもヘイローを毟ってやるし、いくらでも現場の全部を叩き割って稼いできてやる。
ぴょんぴょんと跳ねるユメ先輩とホシノの姿を、まるで自分のことのように誇らしく、嬉しく思いながら、俺は満面の笑みで二人の歓喜を見守っていた。
だが、金額以上に彼女の目を輝かせたのは、その後に俺がモモトークの画面を見せた時だった。
「それと、トリニティの正義実現委員会のハスミとツルギと連絡先を交換したんすよ。向こうの将来有望な幹部候補だし、今後何かあった時に情報くらいは貰えると思います」
その言葉を聞いた瞬間、ユメ先輩はパッと顔を明るくし、自分のこと以上に嬉しそうに目を細めて両手を胸の前で合わせた。
「……他校のお友達ができたんだね」
「まあ、友達っていうか……そんな風に見えます?」
「うん!立派なお友達だよ!アビドスの外に、二人のことを認めてくれる仲間ができたんだね……!よかったぁ……本当に、よかったぁ……!」
今にも泣き出しそうな満面の笑顔で、ユメ先輩は心底から嬉しそうに微笑んだ。
時には手榴弾の話にハラハラと胸を押さえ、時にはホシノが話す俺の非常識扱いの活躍に目を丸くし、そして最後には仲間たちの無事と新しい縁を全身全霊で喜ぶ。
どこまでも真っ直ぐで、お人好しで、温かい。
そんなユメ先輩のリアクションを見つめながら、俺とホシノは顔を見合わせ、苦笑しながらも胸の奥にじんわりと広がる誇らしさを噛み締めていた。
「そういえばユメ先輩にも、お土産があるんですよ」
ホシノが思い出したように言って、ホテルの近くの売店で買ってきた紙袋をテーブルの上に置いた。トリニティの有名な洋菓子店で買った、上品な缶入りの焼き菓子のアソートだ。
「わぁっ!これ、トリニティのクッキーだよね!?いいの!?わたしにまで買ってきてくれたの!?」
「ええ。ショウと二人で選びました。紅茶にすごく合うそうですよ」
「えへへ〜、ありがとうホシノちゃん、ショウくん!大事に食べるね!」
ユメ先輩が缶を抱きしめて喜んでいるのを見て、俺も自分の分の紙袋を持ち上げ、駅で買ったトリニティ特産のジャムの小瓶を取り出そうとした。
――その時だった。
紙袋の底が少し傾き、中に突っ込んでいた丸っこい物体が、床の上へと転がり落ちた。
「おや、何か落ちましたよ」
ホシノが身をかがめてそれを拾い上げた。
だが――手元に乗ったその物体をまじまじと見つめた瞬間、ホシノの眉が「へ」の字にぐにゃりと曲がった。
「…………なんですか?このぬいぐるみ」
訝しげな視線を向けてくるホシノに、俺はいたって普通に頷いて答えた。
「ああ、それか。駅の売店で売ってたんだよ。『モモフレンズ』?とかいう、あっちで今流行ってるマスコットシリーズらしい。棚に並んでるのを見てたら妙に気に入ったから、自分用に一つ買ってきたんだ」
俺の「気に入った」という一言を聞いたホシノは、信じられないものを見るような顔で、そのぬいぐるみをビシッと指差した。
「この、何ていうか……キモい、鳥?をですか……?」
ホシノの手の中に収まっていたのは、いわゆる『ペロロ』と呼ばれるキャラクターのぬいぐるみだった。フォルム自体は、白くて丸っこくデフォルメされた、黄色いくちばしと黄色と黒のトサカを持つ鳥の姿をしている。
だが――その顔面のパーツ配置が、あまりにも個性的すぎた。
まず両目の焦点が完全に合っておらず、左右別々の方向を虚空に向けて開かれている。そして何より、だらしなく半開きになったくちばしからは、ピンク色の長くて太い舌がベロンとだらしなく外へ垂れ下がっていた。
どう好意的に解釈しても、正気のないアホ面、あるいは知性を完全に放棄した怪生物のツラ構えである。
だが、俺は腕を組んで至極真面目に反論した。
「おいおい、人聞きの悪いことを言うなよ。いいじゃないか、普通に可愛くて。特にそのだらしなく垂れた舌が、程よく気の抜けた隙を感じさせて、愛らしさに拍車をかけてるだろ?この何とも言えない脱力感が癒やされるんだよ」
俺としては至って論理的にそのチャームポイントを熱弁したつもりだった。
しかし――。
「…………」
ホシノは完全に言葉を失い、「こいつ、本気で何を言ってるんだ……?」とでも言いたげな、底知れない狂気を見るような目を真っ直ぐに俺へ向けていた。
「……何を考えているんですか?」
言いやがった、こいつ。
心底から理解できないものを見るような、ハイライトの無い、氷点下のジト目である。
「そんなにキモいか……?」
ホシノからペロロのぬいぐるみを受け取り、目の前で改めてまじまじと見つめてみる。
正面から視線がバッチリ合ってしまうと圧が強すぎるが、こうして焦点がズレている方が、角度によって流し目や上目遣いっぽくなって写真映えするじゃないか。それに、この舌がなかったらただの白い鳥のキャラクターで終わってしまう。だらしなく舌をペロッと出しているからこそ、強烈な個性とインパクトが際立つんだ。名前だって『ペロロ』なんだから、設定とビジュアルが完璧に合致している。
いや、別に他のモモフレンズのキャラが悪いってわけじゃない。くねくねした猫だか何だか、他にも小綺麗で可愛いのはいっぱい棚に並んでいた。だが、なんとなく俺の琴線にビビッと触れたのが、この気の抜けたペロロだったというだけの話だ。
……まあ、昔からマスコット選びのセンスが独特だの趣味が悪いだの、散々言われてきた自覚はあるけれど。
「ほら、触り心地だって最高だぞ」
俺は両手でペロロの胴体をもっちもちと揉みしだきながら、ふと思いついた。
(……待てよ。このペロロのぬいぐるみ、もし自分で動いたらもっと可愛いんじゃねえか?)
思い立ったが吉日。善は急げだ。俺は迷うことなく頭上に右手を伸ばすと――
「これくらいでいいか」
スナック菓子でも割るような軽い音を響かせて、七色に輝く自前のヘイローの一部をひょいと毟り取った。
「わぁ〜、やっぱりホシノちゃんが選んでくれたクッキーは美味しいね〜!」
「ですね〜、紅茶によく合いま……って、ショウ?何をしようとしてるんですか?」
お茶請けの缶を囲んでほのぼのと歓談していたホシノが、俺の不穏な挙動に気づいて怪訝そうに眉をひそめた。
「まあ見てろって」
俺は七色に明滅するヘイローの欠片をつまむと、だらしなく半開きになったペロロのくちばしの中へ、まるで餌を食べさせるようにぐいっと突っ込んだ。
「「…………」」
ホシノとユメ先輩が、揃ってぽかんと口を開けて固まる。
そりゃそうだ。綿と布切れでできた市販のぬいぐるみに、人間が七色に輝く輪っかの一部を無理やり食わせている光景なんて、シュールを通り越してただの怪異である。
だが、布製の口内にあるはずのない喉の奥へと、光るヘイローの欠片がズブズブと吸い込まれていく。
まるで本当に咀嚼して飲み込んでいるかのように、ペロロの丸っこい喉元が『ゴクリ』と不自然に上下し、そのまま完全に腹の中へと消え去った。
沈黙。誰も息すらしない静寂が、アビドスの教室を支配する。
そして――。
机の上に置かれたペロロの短い羽が、痙攣するように小さく跳ねた。
「……え?」
ホシノが息を呑んだ、その瞬間。
「……」トテトテ
命など宿るはずのなかった綿の塊が、短い両足を器用にばたつかせ、焦点の合わないアホ面のまま、机の上をトコトコと元気いっぱいに歩き始めた。
「おおっ、動いた動いた!大成功じゃねえか!」
机の上をてけてけと行進する綿の塊を見下ろし、俺は満面の笑みで拳を握りしめた。やっぱり自律歩行できた方が断然愛嬌がある。俺の直感に狂いはなかった。
だが、大喜びする俺の横で、周囲の時間は完全に凍りついていた。
「…………」
「…………」
ポロリ、と乾いた音が二つ。指先から滑り落ちたトリニティの高級クッキーが、机の上に虚しく転がっていた。
ユメ先輩は両手でお茶のカップを持ったポーズのまま白目を剥きかけて固まり、ホシノに至っては半開きの口から魂が半分抜け出しかけたような顔で、てけてけ歩く怪異を凝視している。二人揃って完全な絶句だった。
そんな二人の硬直を気にする風もなく、ヘイローの神秘が全身の綿に行き渡って馴染んできたのか、ペロロは短い翼をパタパタと不器用に羽ばたかせた。
「ぺろ……ぺろ〜?」
焦点の合わないアホ面のまま、だらしなく垂れ下がった舌の隙間から、なんとも気の抜けた鳴き声を漏らしてこちらを見上げてくる。
「よし、可愛いぞ」
俺が満足げに頷き、両手でそのもっちりした胴体をヒョイと持ち上げた――まさに、その瞬間だった。
「何をしやがっているのですかぁぁぁっ!!!!」
怒号とともに、空気を切り裂く轟音が炸裂した。
振り抜かれたホシノの渾身のフルスイング・チョップが、俺の脳天へと寸分の狂いもなくクリーンヒットする。
もちろん、俺の身体は余裕で耐えうるデタラメな耐久力なので、痛みなど微塵も感じない。頭皮に乾いた振動が走った程度だ。
だが、ホシノが本気で叩き込んだツッコミの物理的質量と風圧はあまりにも凄まじく、余波の衝撃波が教室中に吹き荒れた。
「ひぃん!?」
古いサッシの窓ガラスが一瞬激しくガタガタと悲鳴を上げて軋み、机の上の書類がフワリと宙を舞う。
普通の生徒なら首の骨が折れてもおかしくない一撃を頭上に受け止めたまま、俺は目を白黒させて、髪を逆立てて肩で息をしているホシノを見つめ返すしかなかった。
「ショウ!あなた自分が何をやらかしたのか本当に分かっているんですか!?」
ホシノは肩を怒らせ、仁王立ちのまま俺の鼻先にビシッと指を突きつけてきた。その目は本気中の本気だ。
「ヘイローは何ていうか…その……命の根源そのものなんですよ!?それを千切って売り払うだけでも大概意味不明で頭がおかしいのに、ぬいぐるみの口に突っ込んで生命を宿らせるなんて……!冒涜!冒涜にも程があります!キヴォトスの常識で考えたら禁忌中の禁忌ですよ!!」
怒濤の勢いで繰り出される常識のレクチャー。
だが、何をそんなに怒っているのか、俺にはさっぱりピンとこなかった。
「いや、そんな大げさなこと言われてもな……。孤児院にいた頃、退屈してた子どもたちの前でぬいぐるみを動かしてやったら、『すげぇ兄ちゃん!魔法使いだ!』ってめちゃくちゃ喜ばれたぞ?」
「……は?」
ホシノの口から、掠れた声が漏れた。
横でお茶のカップを持ったまま固まっていたユメ先輩も、引きつった笑みを浮かべ、プルプルと震える声で恐る恐る口を挟んできた。
「え、あ、あのね……ショウくん?それって……昔からやってたの……?」
「はい、そうですけど。昔から当たり前にできましたよ」
俺があまりにもあっけらかんと頷くと、二人は示し合わせたかのように、錆びた機械の様な動きで顔を見合わせた。
「…………」
「…………」
視線が交錯すること数秒。二人の顔から、あらゆる感情が抜け落ちていくのが分かった。
そして――
「「はぁぁぁぁぁぁぁ…………」」
肺の空気をすべて吐き出し尽くすような、重苦しい特大のため息が教室にシンクロした。
次の瞬間、二人は糸の切れた操り人形のように、同時に机の上へ突っ伏してしまった。ガタン、とパイプ椅子が情けない音を立てる。
「……ダメです、ユメ先輩。根本から頭のネジが何本もすっ飛んでます……」
「う、うん……今回は流石に怒る気力すら吸い取られちゃったよ……。昔からって、一体どんな育ち方をしたらヘイローをオモチャにして遊ぶ子に育つんだろう……」
机に顔を埋めたまま、呻くようにぼやく二人。
しばらくそうして死んだ魚のような目で天井を仰いでいたユメ先輩だったが、よろよろと幽霊のような足取りで立ち上がると、珍しくこめかみを両手で押さえながら解散宣言を出した。
「……き、今日はもう、一旦解散にしようか……。うん、なんだか急に頭がズキズキ痛んできたよ……。ショウくん、後日また大事な用事があるから、アビドス高校に来てくれた時に……その、いろいろ説明するね……」
「お、おう……大丈夫ですか、ユメ先輩」
「大丈夫じゃないです……はぁ、私も帰って寝ます……」
ホシノも力なく愛銃を背負い直すと、重い足取りでユメ先輩の背中を追って教室を出て行ってしまった。ガラガラと閉まる引き戸の音が、やけに寂しく響く。
夕暮れ差し掛かった教室に残されたのは、俺一人。……いや、一人と一匹か。
「ぺろ……ぺろ〜?」
机の上では、命を宿した綿の塊が、焦点の合わないアホ面でペタペタと歩き回り、だらしなく垂れた舌を揺らしながら不器用に短い羽をバタつかせていた。
「…………」
俺は腕を組み、愛嬌を振りまくペロロを見下ろしながら、何が起こったのかさっぱり分からず、ただ一人で首を傾げるしかなかった。
誤字報告と感想をしてくれている皆様に感謝の気持ちで一杯です。
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