今日も澄み切った青空が広がる、乾いたアビドスの朝。
自治区の広大さに対して生徒数どころかか住民そのものが圧倒的に足りていないこの自治区では、自由登校日が比較的多い。砂風の音だけが校舎の外壁を撫でていく静まり返った空気の中、俺はいつもの場所――生徒会室のパイプ椅子に浅く腰を下ろしていた。
「ぺろ、ぺろ〜?」
膝の上では、白い丸っこい綿の塊がご機嫌そうにポヨポヨと跳ねている。
焦点の合っていない両目と、だらしなく垂れた舌。昨日、俺のヘイローの欠片を飲み込んでからというもの、このペロロのぬいぐるみは完全に生きたマスコットと化していた。手のひらで頭のトサカを優しく撫でてやると、もっちりとした弾力を返しながら嬉しそうに目を細める。やっぱり可愛いじゃないか。ホシノの奴は見る目がない。
のんびりとペロロを愛でながら、俺はユメ先輩とホシノの到着を待っていた。
昨日の解散後、晩飯を食って一息ついていた夜のモモトークで、ユメ先輩からメッセージが届いたのだ。
『明日はアビドスの砂漠にちょっと大事な用事があるから、しっかり準備をして集まってほしいな!』
珍しく少し意味深で、けれど文面から楽しそうな雰囲気がダダ漏れしている招集通知だった。
気合いを入れて準備を整えた結果、集合時間よりかなり早く着いてしまった。
時間にはまだ余裕がある。俺はペロロを膝から机の上へと移動させ、ポケットからイチゴ味の飴玉を一つ取り出した。包み紙を剥いて半開きのくちばしへ突っ込んでやると、布の口元が『モニュモニュ』と咀嚼するような動きを見せ、そのまま喉元をゴクリと通って消えていく。綿の腹の中で一体どうやって消化されているのかは謎だが、本人が美味そうに「ぺろ〜」と鳴いているので良しとしよう。
愛嬌を振りまくペロロを横目に、俺は愛用のハンドガンを取り出して手入れを始めた。
マガジンを抜き、スライドを引いてバレルを覗き、オイルを染み込ませた布で丁寧に金属の肌を拭き上げる。
ふと、あのようやく白黒から治った取引相手――『黒服』の言葉が脳裏をよぎった。
あいつが言うには、キヴォトスの神秘という力は、生徒の銃器の威力を跳ね上げたり、俺が無意識に使っているような超能力めいた現象を引き起こすための源泉らしい。
(……なら、このハンドガンの威力も神秘で意図的に底上げできるのか?)
昨日の戦闘では、弾丸にヘイローの性質を混ぜて「銃を花に変える」「殴らせる」といった変質を起こしたが、あれをもっと純粋に戦闘寄りに研ぎ澄ませたらどうなる?
物理的な鉛の弾丸に頼るのではなく――もし、もしもだが。
俺自身の神秘そのものを練り上げて『弾丸』として薬室に装填し、撃ち出すことができるなら。
残弾数を気にする必要のない無限の射撃。あるいは、戦車の複合装甲すらバターのように切り裂く光弾。
もしそれが可能になれば、俺たちの戦術の幅は一気に広がるはずだ。
「……やってみる価値はあるな」
銃口を窓の外へ向け、頭上のヘイローの波長を指先へと流し込むイメージを組み立てようとした。
――その時だった。
「……ん?」
遠くから、重厚な排気音と砂利を巻き上げるけたたましい走行音が響いてきた。
思考を中断し、眉をひそめる。アビドスに車なんて代物は存在しないはずだ。ユメ先輩もホシノも自家用車なんて持っていないし、そもそもこれまでの火の車だった財政状況では、車両の購入費はおろかガソリン代や整備費を維持することすら不可能だった。
となると、またローンの取り立てか? あるいはアビドスの縄張りを狙うヘルメット団の残党か?
俺はハンドガンに素早くマガジンを叩き込み、警戒しながら音のする窓辺へと歩み寄り、硝子窓から校庭を見下ろす。
もうもうと立ち込める砂埃を割って、砂漠の荒野から校舎の正面玄関前へと滑り込んできたのは――
「……は?」
思わず素っ頓狂な声が口から漏れてしまった。
そこにいたのは、敵の戦闘車両などでは断じてなかった。
砂漠の悪路を走破するために誂えられた、大径の極太オフロードタイヤを四輪に履かせた、無骨で頑丈そうなジープだった。
車体は少し目立つキズはあるものの手入れが行き届いており、フロントには巨大なカンガルーバーが鎮座している。
そして、キキィッと派手にブレーキを鳴らして止まったそのジープの運転席には――
「ふたりとも〜! 迎えに来たよ〜〜っ!」
車窓から大きく身を乗り出し、満面の笑みで大きく手を振っているユメ先輩の姿があった。
さらにその隣、助手席には砂除けのゴーグルを頭に引っ掛け、揺れに疲れたのか死んだ魚のような目でシートにちょこんと収まっているホシノが座っていた。
ペロロを抱え直し、ハンドガンを腰のホルスターに収めて階段を駆け下りる。正面玄関を出ると、砂埃の中に堂々と鎮座するジープの横で、ユメ先輩が誇らしげに胸を張って立っていた。
「どうどう?かっこいいでしょ〜!」
「……ユメ先輩、これ、一体どうしたんすか?アビドスにこんな車、残ってなかったはずですけど」
俺が目を丸くして尋ねると、ユメ先輩は悪戯が見つかった子どものように「えへへ」と笑い、人差し指を立ててみせた。
「実はね、わたしが密かに貯めてた『へそくり』で買ったんだ〜!ショウくんとホシノちゃんが頑張って稼いできてくれて、向こう三ヶ月の利息に余裕ができたでしょ?だから、砂漠をパトロールしたり遠出したりするための移動手段が欲しくてね!」
なんでも、アビドス自治区の隅っこで細々と営業を続けている車屋の中古車らしく、ユメ先輩曰く「長年の信用割引で、目玉が飛び出るくらい格安にしてくれた」のだという。
「自治区の外には買い手がつかないくらい古い車だから、処分に困ってたんだって。『ユメちゃんならタダ同然でいいよ!』って言ってくれてさ〜! すっごくお買い得だったんだよ〜!」
満面の笑みで無邪気に自慢してくるユメ先輩。
……だが、俺はその説明に強烈な違和感を覚えていた。
(古い車……? 売り手がつかない……?)
俺はジープの周りをぐるりと一周して観察した。
車体にはキズはあれど錆ひとつなく、泥跳ねすら丁寧に磨き上げられて鏡のように青空を反射している。ボンネットの隙間から響くアイドリング音は、まるで精密機械のように規則正しく、一切の乱れがない。足回りも新品同様。幌のない運転席を覗き込んでも、砂漠のど真ん中だというのに埃ひとつ落ちていなかった。
どう見ても、昨日今日まで熟練の整備士が丹精込めて組み上げ、最高の状態で保管していた極上車だ。
俺が腕を組んで首を傾げていると、助手席のドアを開けてホシノが降りてきた。
砂除けのゴーグルを首にかけ直し、呆れたような、けれどどこか温かい目をしながら、俺の隣へツカツカと歩み寄ってくる。
「……ショウ、ちょっと耳を貸してください」
ホシノはユメ先輩に聞こえないよう、手招きして俺の耳元へ顔を近づけてきた。
「こんないい車がユメ先輩の手持ちで買えるのかと思わなくて。気になってスマホで型番を検索したんですけど……これ、去年のモデルですよ」
「……やっぱりか」
「しかも、あの車屋のオヤジさんのことなんですが、数年前、アビドスの土地を無理やり巻き上げようとした悪質な地上げ屋から、ユメ先輩が当時の上級生たちと一緒に体を張って守り抜いた店だそうです」
そこまで聞けば、どんな鈍感な人間でもすべてを察する。
「古い車だから処分に困っていた」のも、「タダ同然で譲ってくれた」のも、全部その車屋のオヤジがついた優しい嘘だ。
廃墟と砂漠に呑まれゆくアビドスで、たった一人になっても学校を守り続けるユメ先輩の姿を、町の大人たちはずっと見ていたのだ。少しでも安全に、少しでも楽に砂漠を走れるようにと、店で一番状態のいい極上の車を、採算度外視の恩返しとしてプレゼントしてくれたに違いない。
「……なるほどな」
「ですね。本当、あの人は……」
俺とホシノは自然と視線を交わし、思わず小さく吹き出してしまった。当の本人がまったく恩着せがましくないからこそ、周囲の大人が放っておけずに手を差し伸べてしまう。実にユメ先輩らしい、あまりにも愛おしいからくりだった。
そんな二人の内緒話に気づく様子もなく、ユメ先輩は運転席のドアをバァンと叩いて、楽しそうに手招きした。
「ほらほら、ふたりとも!何をコソコソ笑ってるの〜?早く乗って乗って!一緒にアビドスの風を感じに行こう〜!」
後部座席に乗り込み、膝の上にペロロを乗せてジープのドアを閉める。
俺たちが乗り込んだのを確認するや否や、ユメ先輩は「それじゃあ、しゅっぱーつ!」と元気いっぱいにアクセルを踏み込んだ。
大径タイヤがけたたましく砂利を巻き上げ、車体がガタガタと派手に揺れる。
助手席のホシノを見ると、さっきの疲れ切った表情の理由がよく分かった。砂漠の悪路をものともせず、鼻歌交じりに豪快なハンドル捌きを披露するユメ先輩の横で、ホシノはアシストグリップを両手でミシミシと軋むほど握りしめ、背筋をピンと伸ばして全身をガチガチにこわばらせていたのだ。
このポヤポヤした天然な先輩が本当にまともに車を運転できるのか分からず、道中ずっと命の危険を感じて恐怖に怯えていたらしい。
ジープは乾いた砂風を切り裂き、見渡す限りの砂漠の奥地へとぐんぐん進んでいく。
吹き抜ける熱風の中、運転席のユメ先輩が声を張り上げて今回の『用事』の目的を教えてくれた。
「昔ね、アビドスがまだ豊かで大繁盛してた頃、砂まつりとは別に、特別な花火を打ち上げるお祭りがあったんだって!その花火にはね、すごく希少な鉱石がふんだんに使われてたらしいの。なんと、たったの百キロで百万円以上もするみたい!」
「百キロで百万円……!?」
「うん!でもね、噂によると、祭りの準備中に使おうとしたら上手く動かなかったらしいの。結局大量の花火をアビドスの大オアシスに沈めちゃったんだって。その花火が今も底深くに眠ってるかもしれないんだよ〜」
「へぇ……まるでお宝探しですね」
俺が言うと、ユメ先輩はバックミラー越しに満面の笑みを覗かせた。
「そう、お宝探し!…悲しいことにオアシスの水はもう干上がっちゃったけど、逆に言えば、底に眠ってたお宝を掘り出せる絶好のチャンスってことだよね!」
普段のパトロールとは違う、胸躍るような冒険譚。
どうやら助手席のホシノも、この手のお宝話は意外と大好物だったらしい。さっきまでの運転への恐怖はどこへやら、オッドアイをキラキラと爛々と輝かせ始めた。
「……百キロで百万円。当時の相場がそれなら、今オークションにでも流したら、希少価値で何倍……いえ、十倍以上には跳ね上がるんじゃないですかねぇ?うへへ……大金ですよ、大金……」
口元を緩ませて邪悪な笑みを浮かべ、指を擦り合わせながら捕らぬ狸の皮算用に花を咲かせる後輩。普段のクールな感じは完全に消え去り、金目の物を前にしたハイエナのような目をしている。
すると、ホシノはハッと何かを閃いたように勢いよく振り返り、後部座席の俺をまっすぐに見つめてきた。
「そうだ、ショウ!あなたのそのデタラメな力で、ダウジングとか金属探知機みたいにその鉱石を探し当てることってできませんか!?」
「ん?ああ、それくらい朝飯前だぞ。いくらでも探してやるよ」
「さすがショウ、話が早くて助かります!」
俺が至極あっさりと請け合うと、運転席のユメ先輩が嬉しさのあまりハンドルをポンポンと叩いた。
「わぁ〜!すごいすごい!こんなに優秀で頼りになる後輩を持てて、おじさん幸せだよぅ〜!」
「……ぶっ。な、何なんですかその言い方は?ユメ先輩はおじさんじゃなくてピチピチの女子高生ですよ!」
珍妙なおちゃらけフレーズに、ホシノがすかさずツッコミを入れる。
だが、いつものような切れ味はなく、その顔はどこまでもにこやかで、こぼれ落ちそうな笑顔を隠そうともしていなかった。
車輪が砂を蹴立てる音の中、前の二人は「見つかったらまず何を買おうか」「ミレニアム製の新型を配備しましょう」「美味しいお肉も食べたいな〜!」と、早くも大金を手に入れた気になって大盛り上がりを始めている。
「…………」
完全に二人の世界に入り込み、後ろの俺を置き去りにして調子に乗っている先輩と同級生。
俺の横でシートベルトをしたペロロが、焦点の合わないアホ面のまま「ぺろ〜?」と首を傾げて短い羽をパタつかせる。
俺はそのだらしなく垂れた舌をつつきながら、砂漠の風に揺れる二人の楽しげな背中を、隣のペットと一緒に生暖かい目で見守るのだった。
車のスピードもあって、ジープは思いのほか早く目的地へと滑り込んだ。
「着いた〜!ここが大オアシスの跡地だよ!」
ユメ先輩がサイドブレーキを引いてエンジンを止める。
車から降り立ち、目の前に広がる光景を見渡した瞬間、俺は思わず息を呑んだ。
「……すげぇな。ここ、全部水があったのかよ」
高台から見渡す限り、すり鉢状に窪んだ巨大な砂の盆地が広がっていた。
砂嵐によって何年ものあいだ砂が堆積し続けているはずなのに、かつて水辺だったことを証明するように、削られた滑らかな岩肌や、干上がった巨大な湖底の輪郭が今もはっきりと残っている。かつてのアビドスがいかに広大な水資源に恵まれ、繁栄を極めていたかが嫌でも伝わってくる規模だった。これほどのオアシスが枯れ果てて砂漠に呑まれるとは、自然の過酷さにも程がある。
「よし、感傷に浸るのは後回しだな。早速探し出すか」
俺は両手を頭上に伸ばすと、光り輝くヘイローから二本の光のラインを軽快な音を立てて引き抜いた。
掌の中で金属のようにしならせ、持ち手ができるように直角に折り曲げる。あっという間に、二本の即席ヘイロー製『L字ダウジングロッド』の完成だ。これで地中の物体を捉えられる。
「準備できたぞ。じゃあ行きます――」
ダウジングロッドを構えながら、何気なく後ろを振り返った、その瞬間だった。
「……ふぅ、暑い暑い。やっぱり砂漠は暑くて大変だよね〜」
「っっ!?!?!?」
俺は音を超える勢いで、首がへし折れそうな角度で顔を背けた。
おい。
おいおいおいおい、待て待て待て!!
視界の端を掠めたのは、大胆に制服の上着を脱ぎ捨て、白い肌を惜しげもなく砂漠の陽光に晒しているユメ先輩の姿だった。しかも、その下に着込んでいたのは下着などではない。濃紺の生地に白い衣装を施された、紛れもない――学校指定のスクール水着だった。
な、何をしているんだこの人は!? ここは砂漠のど真ん中だぞ!?
「あ、あの……ユメ先輩!?ちょっと何やってるんですか!?服を着てください服を!!」
視線を直角に真横に向け、青空の彼方の一点を見つめたまま、俺は上擦った声で叫んだ。
すると、背後から布地をペチペチと払う暢気な音と共に、あまりにもふわふわした回答が返ってきた。
「え〜?だってショウくん、ここオアシスだったんだよ?砂漠を深く掘り進めたら、底からお水が『どーん!』って勢いよく湧き出てくるかもしれないでしょ?お洋服が濡れちゃうともったいないし、水着なら安心だもん!」
どんなトンデモ理論だ。
砂漠でスコップを入れた瞬間に石油でも掘り当てた油田みたいに水が吹き出すわけがあるか。あまりに楽観的すぎる先輩の天然っぷりに目眩がしてきた。
だ、だが落ち着け。ユメ先輩は昔からこの調子のお人好し天然お姉さん。
ここは常識人筆頭のホシノにびしっと注意してもらわなきゃ困――
「……流石に、ホシノはそんな格好してないよな?」
恐る恐る、ユメ先輩の死角になる方向へと視線を滑らせた。
そこには――
細い両腕を組み、ゴーグルを首にかけ、当たり前のような顔で濃紺のスクール水着を身にまとったホシノが仁王立ちしていた。
「お前もかい!!!!」
俺は持っていたダウジングロッドを地面叩きつけそうになりながら、本日二度目の絶叫ツッコミをかました。自分でも滅多に出さないような裏返った声だった。
「仕方ないじゃないですか」
ホシノは呆れたように肩をすくめ、至極もっともらしい口調で宣った。
「ユメ先輩の言う通り、奇跡的に水が湧き出す可能性もゼロじゃありません。……それに何より、水が出なかったとしても、ショウのことですから、どうせまた地面を吹き飛ばしたり、地下水脈を引っこ抜いたりして、何かしらやらかすに決まってます。泥水を被って制服をダメにするくらいなら、最初から水着を着ておくのが合理的ですよ」
言い訳を並べ立てながら、ホシノは口元をニヤリと歪めた。
普段の気だるげな表情はどこへやら、オッドアイを細めて、珍獣を見るような意地の悪い視線を俺に突き刺してくる。
「それに……へぇ、ショウでもそんな顔するんですね。いつも私たちを振り回してるくせに、ずいぶんと初心な反応じゃないですか」
「ぐ……っ」
「どうですか?二人揃っての美少女の水着姿ですよ? ありがたく拝んで目に焼き付けておきなさいって話です。うへへ、日頃のお礼ですよ、お・れ・い」
楽しそうに指をツンツンと立てて、小悪魔のように煽り倒してくるホシノ。
(こいつ……! 普段俺に散々振り回されているのを、きっちり根に持っていやがる……!)
弱みを握ったとばかりにニヤニヤが止まらない後輩と、「えへへ〜、ホシノちゃん水着似合ってるよ〜」「ユメ先輩こそ〜」と無防備に戯れ始める先輩。
この炎天下の砂漠で、俺は顔に昇った熱をごまかすようにダウジングロッドを強く握り締め、盛大なため息を吐き出すしかなかった。
二人は水着だが、俺は当然ながら水着なんて持ってきていなかったので制服のままだ。
もっとも、俺の場合は自身の神秘の恩恵なのか何なのか、砂埃の中に転がろうが泥を被ろうが、服も肌も基本的にまったく汚れないという謎の特性がある。だから砂漠の穴掘り作業だろうと、わざわざ着替える必要がそもそもなかった。
かくして、ゴーグルとスクール水着の上に大きなリュックを背負ったユメ先輩とホシノ、そして制服に身を包んだ俺という、灼熱の砂漠にはおよそ似つかわしくない珍妙極まりない三人組が結成された。
「よし、準備完了! 大オアシス発掘隊、いざ出発〜!」
「うへ〜、一攫千金ですよ〜!」
ついてきたペロロを肩の上にちょこんと乗せ、ヘイロー製のダウジングロッドを両手に構えた俺が先頭に立つ。その後ろを、スコップを担いだ水着姿の先輩と後輩が楽しげについてくる。
湖底だった盆地へ足を踏み入れると、ダウジングロッドの先端がピクピクと小刻みに震え始めた。
俺が微弱な反応を辿って歩みを進めると、ある地点でカチリと音を立てて二本の棒が外側へと勢いよく開いた。
「ここだな。反応があるぞ」
「よーし、掘ってみよう!」
「エッサ、ホイサ、と」
三人で手分けしてスコップを砂に突き立て、ザクザクと掘り進めていく。
だが――掘り出されたのは、お目当ての鉱石とは似ても似つかない、何とも言えない代物ばかりだった。
「ここだな……青い石?」
砂の中から現れたのは、親指大の深い青色をした透明な鉱石だった。
「綺麗ですけど、宝石とかではないですね」
「でも綺麗だよ?それにすごく精巧な彫り物があって……んん?何だろう、この模様。手から鳥の羽が生えた人みたいなマークが刻まれてるね」
光にかざすと何やら不思議な紋章がより目立つその石を、ユメ先輩は「とりあえず記念に!」とリュックの中へ放り込んだ。
気を取り直して、次へ向かう。
再びロッドが開き、砂を払いのけた先で俺たちは顔を見合わせた。
「ここからだな。……ええと、電話ボックスか?」
砂の中に半分埋もれていたのは、どう見てもレトロな公衆電話ボックスだった。
「なんか、赤と黄色でおもちゃみたいなデザインだねぇ」
「扉の上にあるデザインも変わっていますね。まるで分度器のようで……」
受話器を取ってもプーとも鳴らないし、こんな巨大な鉄の塊を持って帰れるはずもない。価値もよく分からなかったので、砂漠のオブジェとしてそのまま埋め戻して放置することにした。
さらに次。
手応えを感じて浅く掘ったところで、銀色に光る小さな陶器のようなものが転がり出てきた。
「ちょっと掘ったけど、これは? ……オカリナ?」
「割と綺麗なままですが、これは流石に売れないでしょう。私たちで持っておきますか?」
「そうだねぇ。……せっかくだし、生徒会室で練習して吹いてみよっかな!」
ユメ先輩が嬉しそうにリュックへしまい、これはアビドスで保管することに決定した。しかし三角が複数組み合わさったマークが付いていたけど、見たこともないマークだ。
その後も、ダウジングロッドは砂漠のあちこちで過剰なまでに反応を示した。
だが、掘れば掘るほど出てくるのは、キヴォトスのどこを縦に振っても見たことのない得体の知れないものばかりだった。
上が紫色、したが白色の表面に『M』の文字が刻まれた、真ん中で二つに開きそうな金属ボール。
拾い上げたホシノが鞘から抜いて「これ、峰と刃が逆になってますよ? どうやって斬るんですかこれ」と首を傾げた日本刀。
青と金の見事な装飾が施されているのに、中身がない頑丈な西洋剣の鞘。
手のひらで握りしめると、内側から緑色の光と共に『G』の文字が浮かび上がる不思議な石。
真ん中の赤と黄色の丸いパーツがスポッと外れる、妙にメカニカルな折りたたみ式の携帯電話。
そして、配線も電源もないのに、それ単体で部屋全体を照らせるほど青白く発光し続けている立方体の四角い石――。
「……ユメ先輩。これ、絶対お目当ての鉱石じゃないですよね」
「あはは……なんだかアビドスの歴史っていうより、世界の不思議展覧会みたいになってきちゃったね〜」
「ぺろ〜?」
ホシノが呆れたように砂を払い、ユメ先輩がスコップを杖にしてカラカラと笑う。肩の上のペロロも、足元に積み上がった謎のガラクタの山を見下ろして間の抜けた鳴き声を上げていた。
結局のところ、ユメ先輩が言っていた「百キロで百万円」という幻の花火の鉱石は見つからなかった。大金を手に入れて借金を一気に減らすという捕らぬ狸の皮算用は、見事に空振りだったわけだ。
けれど。
「ショウくん、見て見て! この石、振るともっと光るよ!」
「ユメ先輩、あんまり変なもの振らないでください。爆破とかしたらどうするんですか。……あ、でもこの鞘、横に広いから盾の代わりに使えそうですね」
「おいおい、勝手にアビドスの防具に組み込むなよ」
照りつける太陽の下、汗を拭いながらガラクタを囲んで笑い合う二人を見ていると、成果ゼロの徒労感など微塵も湧いてこなかった。
こうしてくだらないものを掘り出しては笑い、三人で他愛のない冒険に興じる。その時間そのものが、どんな高価な鉱石よりもずっと価値のあるものに思えて、俺は顔に浮かぶ笑みを隠すこともせず、砂の上に腰を下ろして二人の他愛のないおしゃべりに耳を傾けていた。
何回かスコップを振るったところで、律儀に手作業で掘り進めるのが心底面倒くさくなった。
「よし、文明の利器を投入するぞ」
俺は頭上のヘイローをむんずと掴み、手のひらの上でグルグルと円錐状にねじり上げて巨大な螺旋ドリルへと再構成した。先端を砂地へ突き立て、独楽のように勢いよくスピンをかける。
七色に発光するヘイロードリルは、猛烈な回転数でギャリギャリギャリッと砂煙を撒き散らしながら、勝手に地中深くへザクザクと潜航を始めた。自動掘削モードである。
穴掘りをドリルに丸投げした俺たちは、少し離れた岩陰にレジャーシートを敷いて腰を下ろした。
取り出したのは、ジープでここに来る前に買ったクーラーバッグへ仕込んでおいたアイスだ。保冷剤代わりにヘイローの欠片を放り込んでおいたおかげで、この砂漠の熱気の中でも霜がついたままカチカチに冷えている。
三人前と一匹分の涼やかなデザートタイムだった。
「……んー、冷たくて美味しいです。けど……やっぱりただの噂だったんじゃないですかねぇ……」
ホシノはソーダ味の青いアイスバーをシャリシャリとかじりながら、砂漠の暑さに完全にやられた様子でシートの上へだらしなくうなだれていた。水着の肩口を少し引っぱってパタパタと風を送り、すっかり気力を失っている。
「失敗だったかな〜……。せっかく車も出したのに、みんなに無駄骨折らせちゃったねぇ」
ユメ先輩も丸い紙カップのバニラアイスを木のスプーンですくいながら、眉を下げてしょんぼりとした諦めムードを漂わせていた。
そんな二人の横で、俺はスプーンの先に少しだけアイスを乗せ、膝の上のペロロのくちばしへ差し出してやる。ペロロはだらしなく垂れた舌先でペチャペチャと器用にアイスを舐め取り満足げに身震いしていた。
「まあ、楽しかったからいいですよ。宝探しなんて、そう簡単に本物が掘り当てられたら苦労しませんって」
俺が言うと、ユメ先輩がスプーンをくわえたままパチクリと目を瞬かせた。
孤児院にいた頃、世話ばっかりしていた俺は、こうして誰かと車に乗って出かけ、くだらないガラクタを掘り出しては笑い合い、炎天下で冷たいアイスを分け合うなんて経験、一度だってしたことがなかったのだ。手に入ったのが変な刀や謎の青い石ころだけだったとしても、この時間を一緒に楽しめただけで、俺にとっては十分すぎるほどのお釣りだった。
「ショウくん……」
「そうですよユメ先輩。ほら、こいつだってアイス食って喜んでるんだから、大成功ってことでいいじゃないですか」
「ぺろ〜」
「……うへ〜、ショウが珍しくいい事言ってますよ。………普段からそうだったらいいのに」
最後に小声で何かを言っていたホシノがアイスの棒をくわえたままジト目で軽口を叩き、ユメ先輩の顔にもいつもの柔らかな笑顔が戻りかけた。
――まさに、その時だった。砂を掘り進めていた遥か前方のすり鉢の底から、けたたましい金属の激突音が砂漠の空気を震わせた。
地中を快調に潜っていたヘイロードリルの回転がピタリと止まり、砂埃の向こうから、明らかに普通の岩盤とは違う、分厚い何かにぶち当たった鈍い反動が地面を伝って足元を揺らした。
アイスの棒をくわえたまま立ち上がり、俺たちは砂煙の上がるすり鉢の底へと向かった。
穴の深さはすでに十数メートルに達しており、底を覗き込むと、回転を止めたヘイロードリルが斜めに突き刺さっていた。
俺はドリルを元の光の粒子へと還すと、削り取られた砂の底に露出していたものの正体が露わになる。
それは、地中深くに横たわる、青黒く鈍い光沢を放つ巨大な一枚岩――分厚い岩盤だった。
「……岩盤ですか」
穴の縁に腰を落とし、底を覗き込んだホシノが深く肩を落とした。
「ショウのヘイローで作ったドリルすら弾き返すような岩盤じゃ、これ以上は掘り進められませんね。……ユメ先輩、ここにはお目当ての鉱石は無さそうです」
「そうだねえ〜……残念だけど、流石にここでお開きかな。車を出してもらって、こんなに深く掘ったのに……ごめんね、二人とも」
ユメ先輩もしょんぼりと眉を下げて苦笑いを浮かべた。
二人とも、宝探しが終わってしまったことに素直な寂しさを感じているようだった。
だが――俺の頭の中には、全く別の可能性が閃いていた。
(……待てよ。この岩盤、ただの硬い障害物なのか?)
アビドスが砂漠化し、オアシスが枯れ果てたのは、激しい砂嵐と地表の干上がりが原因だ。
だが、もしこれほど頑丈で緻密な岩盤が地下を覆っているのだとしたら――その下はどうなっている?
外の過酷な熱気も、吹き荒れる砂嵐も、この分厚い岩盤の内側には届かない。何十年、何百年ものあいだ地表から守られ続けた、枯れていない地下水脈が、今もこの直下を脈々と流れているんじゃないのか?
地中深くに眠る、アビドスの命の源。手つかずの豊かな水源。
もしそれを掘り当てることができたら――。
俺の胸の奥で、何かのスイッチが入った。
「ユメ先輩、ホシノ。ちょっと試したいことがあるんだけど、いいか?」
「……へ? 試したいこと?」
穴の底を見つめたまま呟いた俺に、ホシノが怪訝そうにオッドアイを細めた。
「何をする気なんですか? ドリルでも歯が立たなかったんですよ」
「勿論、決まってるだろ」
俺は肩の上で首を傾げるペロロをそっと抱き上げ、ユメ先輩に手渡した。そして、制服の袖をゆっくりと肘まで捲り上げながら、至極あっさりと告げた。
「あの岩盤を叩き割る」
「「…………は?」」
静寂の砂漠に、二人の呆然とした声が重なった。
「ちょ、ちょっと待ってくださいショウ!? 正気ですか!?」
ホシノが血相を変えて立ち上がり、穴の底と俺の顔を交互に指差した。
「さっきの音を聞いたでしょう!? あれはちょっとやそっとの地層じゃありません、何十メートルもの厚みがあるかもしれない天然の岩盤ですよ!いくら馬鹿力だからって、叩き割れるような代物じゃありません!発破用の爆薬でも持ってこないと無理です!」
「そうだよショウくん!花火が見つからなかったのは残念だけど、無茶をしてショウくんに何かあったら元も子もないよ!もう十分楽しかったから、無理しなくていいんだよ!?」
ユメ先輩もペロロを抱きしめたまま、必死に手を振って俺を止めようとしてくる。
二人の言う通りだ。
常識的に考えれば、ただの休日の宝探しで、岩盤を粉砕しようとする奴なんてどこにもいない。見つからなかったねと笑い合って、冷たい麦茶でも飲んで帰れば、それで誰も傷つかないし、何の波風も立たない。
そんな無茶をする必要なんて、どこにもないのだ。
――けれど。俺は、見たいのだ。
かつて緑が溢れ、大オアシスと呼ばれて多くの人々で賑わっていたという、この場所を。
砂に呑まれ、借金に苦しみ、いつ崩壊してもおかしくないと言われながらも、この過酷な大地を愛し、守り続けようとしているアビドス高校。
この干上がった砂の盆地に、もう一度清らかな水が満ち溢れ、自治区中から、そしてキヴォトス中から人が集まって笑い合う姿を。
そして何より。
誰よりもアビドスの再建を願い、ボロボロの校舎で懸命に前を向き続けるユメ先輩の、心からの歓喜の笑顔を。
強がって肩肘を張りながらも、アビドスを守るために必死に戦っているホシノの、年相応に屈託なく笑う顔を。
この町で歯を食いしばって生きている、優しい車屋の親方たちのような、みんなの喜ぶ顔を。
俺が、どうしてもこの目で見てみたいのだ。
「大丈夫。ここに来て意外とパワーがあるとわかった俺の拳を舐めてもらっちゃあ困る」
俺は振り返り、二人にニッと笑ってみせた。
全身の筋肉に、そして魂の奥底に眠る神秘に意識を研ぎ澄ませる。
心臓が力強く脈打ち、頭上のヘイローが目も眩むような鮮烈な輝きを放ち始めた。
俺は躊躇うことなく、底知れぬ岩盤の待つ深い竪穴の底へと、軽やかに飛び降り、鈍い音を立てて穴の底に着地した。
足の裏を通して、靴底越しにもはっきりと伝わってくる岩盤の冷たさと、地球そのものと一体化しているような圧倒的な硬度。
俺はしゃがみ込み、その青黒い表面を撫でた。冷たく、滑らかで、まるで数万年もの堆積と圧力に耐え抜いてきたかのような絶対的な頑丈さだ。普通なら、何十トンもの重機で削るか、大量のダイナマイトを仕掛けてようやくヒビが入るかどうかの代物だろう。
岩盤の冷たさを指先に感じながら、俺はここへ来る前、生徒会室でハンドガンを手入れしていた時の思考を思い出していた。
――ようやく元?の色に戻った黒服の奴がかつて言っていたこと。
キヴォトスの生徒たちが持つ『神秘』という力。それは銃弾の威力を跳ね上げ、常識外れの現象を引き起こす源泉だという話。
神秘を込めた銃弾が、ただの鉛玉を遥かに凌駕する破壊力を叩き出すのなら。
あいつが言っていた、俺の中に渦巻いているという『膨大な神秘』を、そのままこの拳に乗せることができたなら――一体どれほどの破壊力が生まれる?
(……思い出せ)
頭の中で、いつだったかの模擬戦を振り返る。
あの時、俺を仰向けに組み倒したホシノが、馬乗りになって俺の土手っ腹にフルスイングの右ストレートを叩き込んできたことがあった。
結果としては俺の異常な頑丈さのせいでホシノの方が涙目で手を痛めていたが――よくよく思い返してみれば、おかしな話だ。あんな華奢で小柄な体格の女子高生が放った拳一つで、俺の背中の下の地面がズズンと地鳴りを立てて揺れ、周囲の砂埃が台風の様に一気に吹き飛んだのだ。
普通の人間があんなパンチを打てるはずがない。あれこそが、ホシノが無意識に拳へ乗せていた『神秘』の重みだったんじゃないのか。
小柄なホシノがあれだけの一撃を放てるなら。
俺のこの馬鹿げた腕力も。どんな銃火器の直撃にも傷一つ負わない、並外れた頑丈さも。
ヘイローを毟って形を変え、ぬいぐるみに命すら宿らせてしまうデタラメな奇跡も。
すべて、俺という存在から溢れ出している『神秘』そのものの発露だというのなら。
(できるはずだ)
ただがむしゃらに力任せで殴るんじゃない。
自分の中に流れるそのエネルギーを、一点に、この右拳に集中させて解き放つ。
息を深く吸い込む。心臓の鼓動が、トクン、トクンと深く重く鳴り響く。
それに呼応するように、頭上のゲーミングヘイローがジジッと激しい火花を散らし、これまでにないほど眩い極彩色の光を放ち始めた。
右拳を、軋むほど力任せに握りしめた。
皮膚の下から溢れ出した眩い光が指の隙間を埋め尽くし、拳全体を包み込んでいく。赤、青、緑、紫――まるで俺の頭上で回っているヘイローそのままの、鮮やかなゲーミングカラーの極彩色が、バチバチと激しい火花を散らしながら右腕全体を覆っていた。
「おりゃ!」
どこか気の抜けた掛け声とともに、その輝く拳を無造作に真下へ振り下ろす。
派手な激突音が轟いたのは一瞬だった。
次の瞬間、重機も弾き返したはずの青黒い岩盤は、まるで薄氷か乾燥したウエハースのように、呆気なく粉々に砕け散った。
「…………」
手応えが軽すぎる。豆腐を突っついたんじゃないかと思うほどのあっけなさに、殴った張本人の俺ですら思わずドン引きしてしまった。
何メートルあるかも分からない天然の岩盤が、拳一発でサラサラの砂利に還元されている。
……よし、この拳は二度と生身の人間相手には使わないようにしよう。万が一ホシノやツルギ相手だとしても、これを出したらヘイローごと消滅しかねない。
そんな現実逃避じみた誓いを立てていた、その時だった。
「……!」
拳を打ち込んだ中心点から、蜘蛛の巣状の巨大な亀裂が、猛烈な速度で岩盤全体へと走り抜けていく。
砕けた隙間から、ゴボッ、ゴボゴボッと、冷たい水が勢いよく吹き上がり始めた。
(……おいおい、嘘だろ!?もうか!?)
直後、足の裏からドンッと突き上げるような重い振動が走った。
足元一帯の地層が、地底から押し寄せる途方もない水圧によって、風船のようにググッと不自然に盛り上がってくる。
何百年もの間、分厚い岩盤に閉じ込められていた地下水脈の栓が、今完全に外れてしまったのだ。
「ヤバいヤバい!」
俺は考えるよりも先に意識を集中させ、重力を無視して足元を蹴った。
ふわっと身体を浮かび上がらせ、一気に穴の底から垂直上昇して地上へと脱出する。
穴の上では、スコップを握ったまま心配そうに覗き込んでいた水着姿のユメ先輩とホシノが、穴から飛び出してきた俺を見て目を丸くしていた。
「えっ!?しょ、ショウくん!?なんで飛んで――」
「ショウ、穴の中で一体何をやらかし――」
「あーもう、説明は後だ!!」
そんな暢気に驚いている場合じゃない。
俺は地上に着地するなり、右腕でユメ先輩の細い腰を、左腕でホシノの身体をひょいとまとめて担ぎ上げた。ついでにユメ先輩の腕から滑り落ちかけたペロロの襟首を口にくわえる。
「きゃああっ!?」
「わっ!? ちょっ、ショウ!? 何す――」
「
二人の抗議を塞がった口で無理やり作った怒鳴り声で遮り、俺は地面を爆薬のように蹴り飛ばした。
持ち前の怪力で砂漠を疾走し、大オアシスの底から、ジープの停めてある遥か高台の安全圏へ向けて、文字通りの脱兎の勢いで急退避を開始した。
背後で、天変地異のような地鳴りと爆鳴気が炸裂した。
「み、水がぁぁぁぁぁっ!?」
俺の左腕に小脇に抱えられたホシノが、目を剥いて絶叫した。
振り返るまでもない。何百年ものあいだ地底深くに押し込められていた地下水脈が、分厚い蓋を吹き飛ばされて天高く噴き上がったのだ。白濁した巨大な水柱が青空を突き刺し、砕け散った濁流が津波のような勢いで、すり鉢状の湖底を怒涛のスピードで飲み込みながら追いかけてくる。
砂漠の砂を蹴立てて猛ダッシュする俺のすぐ真後ろまで、ゴオオオッという重低音とともに白波が迫っていた。速い。いくら俺が人間離れした脚力で走っているとはいえ、盆地を一気に満たそうとする水圧の広がり方は尋常じゃなかった。
「きゃあ〜〜〜っ!すごいすごい、ショウくん本当にどーんってお水が出たよ〜〜〜っ!!」
右腕に抱えられたユメ先輩は、髪をバタバタと風になびかせながらキャーキャーと黄色い声を上げている。パニックで焦っているのか、それとも本当に水が出て大はしゃぎしているのか、表情が百面相すぎて判別がつかない。
「笑ってる場合ですかユメ先輩!!ショウ、速く走ってください!もっと速く!!足に追いつかれます、飲み込まれますよっ!!」
「ぺろろろろ〜〜!!」
ホシノは半泣きになりながら、俺の背中や肩を両手でベシベシベシベシと猛烈な連打で叩き立てて急かしてくる。口にくわえたペロロも、強烈な向かい風にあおられて舌をたなびかせながら情けない悲鳴を上げていた。
「
俺は斜面を一気に駆け上がり、ジープが停めてある遥か高台の岩場へ向けて最後の大跳躍を放った。
砂埃を派手に巻き上げながら、水の手が絶対に届かない安全な高台の岩肌へと滑り込むように着地する。
背後では、俺たちが数秒前まで立っていた足場が、青白く泡立つ濁流に一瞬で呑み込まれていった。間一髪のセーフだ。
「ふぅ……あっぶねぇ……」
俺は両脇からユメ先輩とホシノを砂の上に下ろし、口からペロロを離して大きく息を吐き出した。
そして、額の汗を拭いながら、ふと頭上のヘイローを見上げて素朴な疑問に思い至った。
(……あれ?よく考えたら、俺さっき普通に飛んで脱出したんだから、二人を抱えたままそのまま空を飛んで逃げれば良かったんじゃねえか……?)
わざわざ水着の二人を担いで、地上を必死にダッシュする必要なんてこれっぽっちもなかったのだ。
「……あのさ、二人とも、今更なんだけど――」
あまりにもマヌケな反省を口にしようとした、その瞬間だった。
「…………あ…………」
ユメ先輩の、掠れたような、息を呑む小さな声が砂漠の風に溶けた。覗き見たその横顔は、すっかり言葉を失っていた。
ホシノも、俺の背中を叩いていた手を止めたまま、ぽかんと口を開けて微動だにしない。
二人の視線の先を追って、俺もゆっくりと振り返った。
「…………すげぇな」
そこに広がっていたのは、まさに奇跡と呼ぶにふさわしい光景だった。
何もない、ただの干上がった白い砂のすり鉢だった盆地が――いま、目も眩むような青で満たされようとしていた。
砕かれた岩盤の底から溢れ出た地下水は、留まることを知らない勢いで滾々と湧き上がり続け、乾ききった大地をどこまでも、どこまでも潤していく。水しぶきが砂漠の陽光を浴びて無数のプリズムとなり、水面の上に巨大な七色の虹を幾重にも架けていた。
砂だらけの世界のど真ん中に、突如として現れたサファイア色の海。
かつてのアビドスが誇り、砂嵐によって失われてしまったという『大オアシス』が、まるで時間を巻き戻したかのように、巨大な湖となって目の前で息を吹き返していた。
何分が経っただろうか。俺たち三人と、胸に抱かれたペロロは、誰一人として身動きすら取れず、ただただ圧倒されてその景色に釘付けになっていた。
やがて――地底からの激しい咆哮が徐々に落ち着きを取り戻していった。
天を突くようだった水柱は穏やかな湧水へと変わり、吹き荒れていた飛沫が収まると、盆地を満たした広大な水面には、砂漠の風に揺れる軽やかなさざ波だけがキラキラと光の粒を散らしていた。
静寂が、再びアビドスを包み込む。
聞こえるのは、穏やかに岸辺を洗う水の音だけだった。
「…………」
ユメ先輩が、まるで夢遊病者のように、ふらふらとおずおずと足を踏み出した。足を砂に沈ませながら、ゆっくりと、一段ずつ高台を下りていく。
ホシノも俺も、その背中に声をかけることはできなかった。
湖のみぎわに辿り着いたユメ先輩は、そこに膝をついた。そして、震える指先をそっと伸ばす。
あまりにも信じられなくて。
今見ているこの美しい青が、砂漠の旅人が最後に見る残酷な蜃気楼ではないかと確かめるように。
ユメ先輩の指先が、波紋の広がる冷たい水面に、そっと触れた。
掘り起こされた物がわかるかな?一応、元ネタがあります。