「あたしの負けだ!降参するからそのふざけた呪いを今すぐ解きやがれッ!!」
足から鳴り響く『ピヨピヨ』の大合唱に耐えかねたネルは、真っ赤な顔で涙目になりながら両手を挙げた。
もちろん、呪いを解いて足音が消えた瞬間、羞恥心の限界からスネを思いっきり蹴っ飛ばされたが……まあ、これでチャラになったと思えば安いものだ。
ひとしきり暴れて汗を流した俺たちは、再び最上階のセミナー執務室へと戻っていた。冷房の効いた快適な部屋で、それぞれがソファやデスクの周りに自然と散らばり、思い思いに会話の花を咲かせている。
部屋の一角では、ソファの背もたれに腰掛けたネルと、その正面に立ったホシノが何やら真剣な表情で言葉を交わしていた。
「こう、精神、ですかね。ヘイローがあるあたりを意識しつつ、奥の方から明確な行動の意思を引き出す感じですね」
ホシノが自分の頭上に視線を向けながら、以前俺が教えた感覚を身振り手振りを交えて伝えている。
「ああ、なるほどな。あたしらは普段からヘイローがあって当たり前だから、あんまりそこら辺を意識することってなかったわ。で、引き出したらそれをどうすんだ?」
ネルが興味津々に身を乗り出す。
「自他の空間の広がりを感覚で捉えられた時に、頭から足先まで水を流すイメージだそうですよ。まずは体に馴染ませるのから始めた方がいいですね」
「それだったら、授業中でもできそうだな!」
「……勉強ぐらいは普通にしてくださいよ」
ホシノの至極真っ当なジト目のツッコミに、ネルが口籠る。すっかり打ち解けた二人の様子は、まるで同い年の悪友のようだ。
一方、中央のローテーブルを囲むソファ席では、ユメ先輩を挟んでリオとヒマリが向き合っていた。
「ユメさん。貴女はアビドス生徒会長として、過酷な中、三年間自治区を守ってきて、ここだけは絶対に妥協できなかったという軸は何でしたか?」
リオが手元のメモ端末を膝に置き、真摯な眼差しでユメ先輩を見つめて問いかける。
「んんー。そうだねぇ……やっぱり『諦めないこと』かな。あ、すがりつくとか意地を張るっていう意味じゃなくてね。こう……立ち上がるのをやめない、って感じかな?」
ユメ先輩は湯呑みを両手で包み、穏やかな笑みを浮かべながら言葉を紡ぐ。
「途中で立ち止まるのは全然いいんだよ。立ち止まれば後ろを振り返って反省できるし、周囲をゆっくり見回すこともできるからね。でも……座り込んだり、俯いたりしちゃったら、自分が誰かに助けを求めたい時も、誰かから助けを求められた時も、きっとその手や声に気づくことすらできなくなっちゃうから」
「なるほど……。立ち止まることは許容しつつ、視野を閉ざさない。まずは自身の立ち位置を明確に確立するのが重要なのね」
リオが深く納得したように頷く。だが、その横から車椅子をスッと寄せたヒマリが、呆れたように小さく肩を竦めた。
「リオ。貴女はどっちかというと、もっと周囲の目を気にした方がいいですよ」
「?……私はいつだって周囲の状況を的確に観察している方だと思うのだけれど」
不思議そうに首を傾げるリオに、ヒマリはわざとらしくやれやれと首を振ってみせる。
「そうではなくて。もっと周囲から『助けられる才能』を持ったユメさんを見習ってください、と言っているのですよ。まったく……貴女は自分一人で何でも解決できるからといって、勝手に裏で泥を被って助けるだけ助けて、お礼を言われる前にすぐ立ち去っていくのですから。もっと他者からの感謝を素直に受け取りなさいな」
「そ、それは…その…私にとって当たり前の事をしているだけだから…」
「そういう所ですよ」
図星を突かれたリオが、気まずそうに視線を泳がせる。
「ふふっ、仲がいいんだねぇ、二人とも」
そんな二人のやり取りを、ユメ先輩は目を細めて嬉しそうに見守っていた。
リオやヒマリから見れば、ユメ先輩の語る組織論や人身掌握術は驚くほど実践的で深みがあるように映っているらしい。……まあ、ユメ先輩がここまで経営や対人折衝に詳しくなった最大の理由は、ここ数ヶ月で新しく入ってきた『規格外のデタラメな後輩』が巻き起こす天変地異の後始末を、毎日必死にこなしているうちに嫌でも身についた賜物なのだが。
(……はて? いったいどこの誰のせいなんだろうな?)
(……さあ? 私にはまったく心当たりがありませんねぇ……)
俺とホシノは一瞬だけ目を合わせ、互いにすっと口笛を吹くような顔で視線を逸らした。
そして俺はといえば、デスクの脇でアスナからミレニアムの自治区名物について熱心なレクチャーを受けていた。
「それでねそれでね! 駅前の最新モールにあるカフェの『超電導パフェ』がすっごく美味しいの!静電気を混ぜたアイスクリームにスプーンを入れるとパチパチって青い光が弾けて、お口の中で雲みたいにフワッフワに溶けちゃうんだよー!」
「へえ、すごいなそれ。電気が流れてるのに感電しないのか?」
「ぜーんぜん! すっごく甘くて美味しいよ! あ、あとね、アビドスのお話ももっと聞かせて! ショウくんが砂嵐の中で列車をまるごと押し戻したって本当なの!?」
大型犬のように人懐っこく、尻尾をブンブン振るような勢いで身を乗り出してくるアスナ。
こちらの拙いアビドスの苦労話や砂漠での珍事件を話すたびに、「すごーい!」「面白ーい!」と鈴を転がすような声で無邪気に大笑いしてくれるものだから、俺もついつい気分が良くなって話のノリが上がってしまう。
そんな風に、各々が思い思いの話題で和やかに談笑していた、その時だった。
「……あ、そういえばね」
お茶を一口飲み終えたユメ先輩が、ふと思い出したように、困ったような苦笑いを浮かべて切り出した。
「実はね……さっきのドローンの件もそうなんだけど、今アビドス、本当に観光客と不良のラッシュですっごく参っちゃっててねぇ……世界樹ができてから、毎日何万人って観光客や見物人が砂漠に押し寄せてて……」
ユメ先輩は湯呑みを置いて、深々とため息をついた。
「ショウくんが何十人にも分身してパトロールや交通整理を手伝ってくれてるんだけど、それでも全然手が回らなくて……」
「……分身?」
リオとヒマリとネルの三人が、示し合わせたように同時に首を傾げた。
さすがに聞き捨てならなかったらしい。何気なく放たれた単語の破壊力に、理解する頭脳がエラーを起こしかけている。
「えー!ショウくんって分身までできるの!? すごーい、一人分けてほしいなー!」
アスナだけは目をキラキラさせて無邪気に受け入れていたが、残りの三人の眼差しは完全に困惑で満ちていた。
俺は居心地が悪そうに頬を掻いて誤魔化す。
「まあ、分身の話は置いといて……。とにかく、砂漠の過酷な環境で遭難者が続出するわ、どさくさに紛れて物資を狙う不良やヘルメット団が暴れるわで、今の三人の人手じゃ物理的に限界を迎えてな」
「そうなの。こればっかりは、いくらわたしたちが頑張ってもどうしたらいいか分からなくて……」
ユメ先輩が肩を落とし、情けなさそうに眉を八の字に曲げて嘆息した。
その様子をじっと見つめていたリオは、ふと視線を落とし、手元のタブレットに細い指先を走らせ始めた。
のぞき込んだ画面に無数の計算式やグラフが高速で流れていく。やがて、リオは顔を上げ、真剣な瞳をユメ先輩へと真っ直ぐに向けた。
「……それなら、機械によるオートメーションで解決できる可能性があるわ」
「え……?」
ユメ先輩が顔を上げる。リオは淡々と、だが淀みなく解決案を提示し始めた。
「まず、自治区の玄関口に設置する自動受付および観光手続き端末の提供よ。ミレニアムで運用している最新の計算プログラムを組み込んだ無人キオスクを配置すれば、観光客の身元確認、通行許可証の発行、危険地帯のガイダンス、さらには売店の会計まで完全に自動化できるわ。これだけで事務処理の負担は八割以上削減できるはずよ」
「じ、自動で全部……!?」
「ええ。次に、最大の問題である遭難救助と物資輸送について。これにはミレニアム製の自律型重輸送ドローンを投入するのが合理的ね。アビドスの過酷な砂嵐と熱波に耐えられるよう、特殊な防塵密閉シールドと耐熱コーティングを施した特別仕様機を配備すれば、上空からの遭難者捜索、水や食料の投下、怪我人の搬送までを無人で完結させられるわ」
立て板に水のように繰り出される具体的な解決策に、アビドス一同は呆気にとられて息を呑んだ。
だが、リオの提案はそれだけに留まらなかった。
「そして――これを単なる一時的な支援で終わらせるのではなく、ミレニアムとアビドスによる『包括的経済・技術提携』として正式に締結することを提案したいの」
「提携……ですか?」
ホシノが訝しげに目を細める。アビドスは借金塗れの過疎校だ。ミレニアムのような巨大学園と対等に提携を結べるような対価など、あるはずがない。
そんな疑問を察したように、リオは静かに頷いた。
「アビドスがこれから得るであろう観光収益の規模は計り知れないわ。そして何より、アビドス側からこちらへ提供できる明確な資源が存在する。……第一に、アビドスの広大な『砂』よ」
「……砂が、資源?」
俺が思わず聞き返すと、リオは当然のように頷いて見せた。
「アビドスの砂漠の砂は、極めて高純度な珪砂……良質なシリカの塊よ。ミレニアムが推進する次世代半導体や光学レンズ、太陽光発電パネルの製造には、膨大な量の高純度ケイ素が不可欠なの。その安定した採掘および供給権をミレニアムに認めてもらえるなら、我が校にとっても計り知れない利益になるわ」
「そうなのか?」
「ええ。ミレニアムの資料アーカイブに記録も一応されているわ。砂漠の砂だというのに珍しく丸みを帯びていない事を論文にした生徒が過去にいたみたいなの」
さらに、リオは画面をスワイプしてアビドスの地図を展開した。
「第二に、カイザーローンに買い取られていないアビドスの私有地……あの世界樹と大オアシス周辺の未開発エリアよ。あそこをミレニアムとの共同研究特区として、実験施設や観測拠点の設置を認めてほしいの。未曾有の特異点を間近で観測できる権利は、我が校の研究者たちにとって喉から手が出るほど欲しいものよ」
そこまで一気に説明し終えると、リオはスッと背筋を伸ばし、どこか照れ隠しをするように顎をツンと上へ向けた。
「……勘違いしないでちょうだい。これはあくまで、ミレニアムの利益を最大化し、双方の資産を有効活用するための極めて合理的なビジネスプランに過ぎないわ。アビドスを哀れんで施しを与えようという意図は、毛頭ないのよ」
口調こそ事務的で冷徹そのものだった。だが、その提案の隅々には――過労で倒れかけていたアビドスの窮地を救い、相手の自尊心を傷つけないよう対等な取引の形を整えようとする、不器用なまでの優しさと誠意がこれでもかと滲み出ていた。
それを、誰よりも人の心に敏感なユメ先輩が気づかないはずがなかった。
「…………リオちゃんっ!!」
「え……?」
次の瞬間。大粒の涙をポロポロと目元に浮かべ、感極まったユメ先輩が、ソファから弾丸のような勢いでリオの胸元へと飛び込んだ。
「きゃああっ!?」
ドサリとリオの華奢な身体がソファへと押し倒され、ユメ先輩の豊かな胸元と両腕が、リオの首元をぎゅうぎゅうと抱きしめる。
「ありがとう、ありがとうリオちゃん……!なんていい子なのぉぉぉっ!!」
「ちょ、ちょっと、ユメさん……!?い、息が……!は、離れてください……!」
真っ赤になって湯気を吹き出しながら、リオは両手をバタバタと宙で慌ただしく振り回していた。
さっきまでの理路整然とした仮面は完全に吹き飛び、まるで大きな犬に飛びつかれてパニックを起こした子どものように、じたばたと身悶えしている。
その光景を眺めながら、俺とホシノ、そしてネルたちは、思わず吹き出すのを堪えきれずに笑い声を漏らすのだった。
「ふ、ふふ……それじゃあ、具体的な提携内容や運用データについては、後日改めてアビドス側と詰めることにしましょう」
ユメ先輩の熱烈な抱擁からようやく解放されたリオは、乱れた制服の襟元を手早く整えながら、まだ少し赤みの残る顔でそう告げた。
「ええ、ぜひそうしてください。我がヴェリタスも、通信インフラの構築やドローンの自律誘導ソフトの提供で全面的に協力させていただきますよ」
ヒマリも車椅子の上で誇らしげに胸を張り、快く頷いた。
お互いの連絡先――端末のモモトークのIDを交換し合い、今日のところはこれで一旦お開き、ということになった。
リオは生徒会の公務へ、ヒマリも自室の研究開発へと戻っていき、俺たちアビドス一行はネルの先導でミレニアムタワーのメインエントランスまで送ってもらうことになった。
「――まったく、どいつもこいつも手のかかる連中ばっかりだっだな」
エントランスへ続く自動ドアの前で、ネルは深いため息をつきながら、背後でふらふらしていた金髪メイドの首根っこをガシッと片手でひっ捕まえた。
「きゃー、連行されちゃうー!」
「うるせえ!サボってた分の片付けに戻るぞ!」
ジタバタするアスナの襟首を掴んでずるずると引きずりながら、ネルはこちらを振り返った。
その焼け付くような輝く瞳には、先ほどの模擬戦の熱狂を思い出したようなギラリとした光が宿っている。
「ショウ!次会った時は、あのふざけた足音の落とし前、きっちりつけさせてもらうからな! 絶対にリベンジしてやっから覚悟しとけ!」
「おう、いつでも相手になってやるよ」
「それと、小鳥遊!お前とも次は一発やってみてえな!実力、存分に見せてもらおうじゃねえか!」
「はぁ、私はのんびりお昼寝していたいんですけどねぇ……まあ、気が向いたら相手してあげますよ。それと次からはホシノで構いませんよ」
ホシノがやれやれと肩をすくめると、ネルは破顔して満足そうに笑った。
「へっ、言ったな!忘れんなよ?……ま、何か困ったことや厄介事があったら連絡しな。少なくともミレニアムの中なら、あたしがすぐに駆けつけてブッ飛ばしてやるよ!」
からからと豪快に笑いながら、ネルは背を向けた。襟首を掴まれて引きずられていくアスナも、痛がる様子もなく満面の笑みでぶんぶんと両手を振っていた。
「アビドスのみんなー!またねー!パフェ食べに行ってきてねー!」
騒がしくも頼もしい背中が人混みの向こうへと消えていくのを見届け、俺たちはふう、と息を吐き出した。外へ出ると、見上げる空は澄み渡り、吹き抜ける風が心地よかった。
腕時計に目を落とす。
「……あれだけ色々あって、暴れて、濃密すぎる時間を過ごしたのにな」
空を見上げても、まだ夕焼けの気配すら微塵もない。時計の針は、まだ昼下がりを少し回ったあたりを指していた。
「本当だねぇ。なんだか丸一日分くらいの冒険をした気分だったけど、まだこんな時間なんだね〜」
ユメ先輩がのびのびと両腕を伸ばし、ふわりと胸を張った。
「まあ、書類仕事の山から逃げ出してきた身としては、時間がゆっくり進んでくれるのは大歓迎ですけどね」
ホシノも満足そうに目を細めて伸びをしている。
「……予約したホテルのチェックインまで、まだまだたっぷり時間があるな。どうする?せっかくだし、アスナに教えてもらった駅前のモールでも冷やかしながら、ミレニアム観光でもしていくか?」
俺が提案すると、二人の表情がパッと明るく輝いた。
「賛成〜!話に出てた超電導パフェ、実は気になってたんだよね!」
「うへへ、大賛成です。せっかくミレニアムに来たんですから、美味しいものいっぱい食べて、贅沢にお登りさんを満喫しちゃいましょう!」
抗議から始まった突発旅行は、最高のバカンスへと姿を変えた。俺たちは並んで歩き出し、最先端の摩天楼が連なる街並みへと繰り出した。
夜の帳が下りたミレニアムの摩天楼は、昼間とは打って変わって無数の光が瞬く近未来の星空のようだった。
予約していたホテルの一室。自虐になるが、アビドスの校舎とは比べ物にならないほど清潔で、ふかふかの絨毯と広々としたベッドが並ぶ極上の空間。
明日のお楽しみである大型スパリゾートは朝からたっぷり満喫することにして、今日はホテルに隣接する巨大商業施設と水族館に先に足を伸ばしたのだが――これが実に良かった。
ミレニアムの最新技術を結集したというその水族館は、展示のスケールからして桁違いだった。
特殊な光学屈折ガラスと水流制御システムを組み合わせた超巨大水槽では、回遊する魚たちの群れがまるで目の前に飛び出してくるかのような、立体的でダイナミックな演出が施されていた。
頭上を悠然と泳ぐ巨大なエイの影、青く澄んだ光のカーテンの中を煌めきながら横切る色とりどりの熱帯魚や珍しい深海生物たち。
その光景を前にした時のホシノは、文字通りずっと目を輝かせていたな。
普段の「めんどくさいですね……」と言いたげな気だるげなクールな様子はどこへやら、ガラスに張り付かんばかりの勢いでオッドアイをキラキラと輝かせ、次から次へと水槽を指差しては夢中になって見入っていたっけ。
……まあ、最新鋭の水族館だけあって館内は混雑しており、迷子にならないようにとユメ先輩とホシノの二人に両手をぎゅっと繋がれた時は、手のひらの柔らかさと、すれ違う人たちの視線が集まるようでさすがにちょっと恥ずかしかっけど。
そんな楽しい思い出に余韻に浸りつつ、俺はホテルのリビングスペースの床に腰を下ろし、頭上のヘイローへ手を伸ばした。
「ほら、ホシノ。買ったやつ、出すぞ」
ヘイローの中心の空洞。空間の収納に腕を突っ込み、中に押し込まれていた荷物を次から次へと引っ張り出していく。
「……なぁ、ホシノ。荷物が入るからって、いくらなんでも買いすぎだろこれ」
床の上に積み上がっていくのは、クジラの特大ぬいぐるみ、深海魚の図鑑、光るクリスタルスタンド、缶入りのお菓子数十箱、大量のストラップやマスコットの山……。
どう控えめに見積もっても、大型キャリーバッグ三つ分は軽く買い込んでいるんじゃないか?
「いいじゃないですか。最近は実入りが良くなっていて、お財布には余裕がありますからね。たまの贅沢ですよ、贅沢」
ホシノはベッドの上にそのままダイブし、ふかふかのシーツに顔を埋めながら上機嫌に足をパタパタと揺らしていた。
「たくさん歩いて疲れましたし、もう一歩も動きたくないですね……。ショウの頭のそれ、重さもかさばりも無視して何でも入るから本当に便利ですよ。今度買い物に付き合ってください」
「俺のヘイローをトランクケース扱いすんなよ。出し入れするたびに頭の上がモゾモゾする気分がするんだよ……」
俺が呆れて肩をすくめると、ソファでお茶を淹れていたユメ先輩がクスクスと楽しそうに笑い声を立てていた。
「ふふっ、でもホシノちゃんがこんなにお買い物を楽しんでくれて、わたしすっごく嬉しいなぁ。ショウくんのおかげで、重たい荷物を持たずに身軽に見て回れたしね〜」
そう言って、ユメ先輩は自分のポシェットから、大切そうに一つの小さな包みを取り出した。水族館の出口にあったお土産コーナーで買った、記念の品。
ホシノがすごく出来がいい!と熱烈にお勧めしてきた、真鍮とステンドグラス細工で作られたクジラのキーホルダーだ。
「……これ、本当に綺麗だよねぇ」
手のひらの上で揺れるクジラは、部屋の明かりにかざすと透明な蒼い光を放ち、まるで小さな海を閉じ込めたように輝いていた。
「ですね。ヒレの角度や尾びれの曲線まで、すごくこだわって作られていますよ」
ホシノもベッドからひょこっと顔を出し、自分のポケットから色違いのキーホルダーを取り出して見せた。
ホシノのは、夕暮れの海のような淡いピンクと紫のグラデーション。
ユメ先輩のは、浅瀬の海のような明るいエメラルドグリーン。
そして俺の手元にあるのは、深い夜の海を思わせるインディゴブルー。
三人それぞれ、色違いのクジラ。
「三人でお揃い、か」
俺がポツリと呟くと、ユメ先輩は嬉しそうに目を細め、ホシノは少しだけ照れくさそうに視線を逸らしながらも、口元を小さく綻ばせた。
「うん! アビドス生徒会、初めてのお揃い記念品だね〜」
「……うへ。ユメ生徒会長?あんまり振り回して落としたりしないでくださいね?」
「もう、ホシノちゃんたら〜。身につけて、肌身離さず大事にするに決まってるよ!」
窓の外に広がるミレニアムの煌びやかな夜景を背に、三人で持ち寄ったクジラたちが、カチリと澄んだ音を立てて小さく触れ合った。
寄せ合ったクジラたちが、まるで俺達みたいにに仲良く触れ合っている様に見えた。
昨晩は久しぶりに普通の学生らしく、買い込んだお菓子をつまみながら三人で夜更かしをし、ふかふかのベッドで泥のように眠ってしまった。
カーテンの隙間から差し込む朝日の光で目を覚ました俺は、かつてないほど爽やかな朝を迎えていた。
隣の部屋にはホシノとユメ先輩が泊まっているが、この部屋は実質的に俺一人。
言い方は悪いが、アビドスのボロい宿直室とは違う、清潔で広々とした高級ホテルの個室を一人で貸し切っているという特別感だけで、朝から自然とテンションが上がっていくのを感じる。
「……ふぁあ。よし、顔でも洗ってスパリゾートの準備すっか――」
ベッドから起き上がり、伸びをした時。部屋のドアを叩き壊すんじゃないかという勢いの、激しいノックが響き渡った。
「はいはい、なんですかー。今開けますよ」
苦笑いしながら鍵を開けてドアを引くと、そこに立っていたのは息を荒げたユメ先輩だった。
薄ピンク色のフリルがついた可愛らしいパジャマ姿で、胸元を上下させながら肩で息をしている。まだ寝起きで頭がまともに回転していなかった俺は、目に入った光景のままに素直な感想を口にしてしまった。
「……先輩、そのパジャマ、すっごく似合ってて可愛いですね」
「ふぇっ!? あ、えっ……ほ、本当……?じゃなくてっ!!」
一瞬で顔を真っ赤にして両手でパジャマの胸元を押さえたユメ先輩だったが、すぐにぶんぶんと首を振って照れを吹き飛ばした。
そして、血相を変えて手元のスマホを俺の目の前へと突き出してきた。
「それどころじゃないのショウくん、これを見て!!」
「えっと……?」
差し出された画面を覗き込むと、そこにはキヴォトス全域に配信されている大手ニュースサイトのトップ記事が表示されていた。
表示されているサムネイル画像を視界に捉えた瞬間、俺の頭に残っていた眠気が音を立てて消し飛んだ。
「……は? なんだこれ……?」
記事のトップをデカデカと飾っているのは、一枚のカラー写真だった。
中央に写っているのは、連邦生徒会の制服を身に纏った見知らぬ女の子。長く淡い水色の髪に鮮やかなピンクのインナーカラーが混じった、小柄で可愛らしい少女が、満面の笑みでカメラに向かって両手でダブルピースを決めている。撮影者は不知火カヤという生徒らしい。
それだけなら、ただの新入生の記念写真で終わるところ。だが、その背後に写り込んでいる状況と場所が、あまりにも狂気に満ちていた。
背景は見慣れたアビドス自治区。それも柴関ラーメンの店舗前。
そして、その少女の背後には――スクラップ寸前まで叩き潰され、ゴミのように山積みにされた重武装のロボット兵の残骸の山。
さらにその横では、砂漠には自生するはずのない太い木々が、まるで意思を持った触手のように何本もの根っこをうねうねと地面から這い回らせ、逃げ遅れたロボット兵を器用に宙へと持ち上げて締め上げている。
極めつけに、写真の端っこには――翼を広げ、ボロボロの黒髪を振り乱しながら、天に向かって嬉々として咆哮を上げている見覚えがありすぎる
……情報量が多すぎて、どこからツッコめばいいんだコレ……!?
俺が呆然と固まる中、画像の上に躍る特大の見出しに目を落とした。
『大手柄!連邦生徒会稀代のすーぱー新人、アビドスで不当に暴れるカイザーコーポレーションの闇を暴く!!』
思わず声に出してタイトルを読み上げそうになり、慌てて記事の本文を目で追っていく。
そこに書かれていた経緯は、あまりにも怒涛の展開だった。
昨日、俺たちがSNSの世論を味方につけ、半ば無理やりアビドスの留守番として押し付けた救援要請。
それを受けて現地へ派遣されてきたのが、写真に写る連邦生徒会の新人役員だったらしい。
ところが、世界樹と大オアシスの出現によってアビドスに莫大な観光客と経済効果が押し寄せている現状に目をつけたカイザーコーポレーションが、裏で卑劣な策謀を巡らせていた。
カイザーは「この土地を実質的に管理しているのは自分たちだ」と主張し、集まる観光客や屋台に対して法外な地上げや値上げ交渉――要するにヤクザ紛いのショバ代を要求し始めたのだ。
それだけに留まらず、アビドス生徒会の主力が留守にしている隙を突き、カイザーの私兵部隊がアビドス高校校舎、ならびに大オアシスへの不法潜入と占拠を試みたという。
だが、その潜入計画の全てを、現地にいたこの連邦生徒会の新人が完璧に見抜き、未然にブロックしてしまった。
面目を潰され、悪事が白日の下に晒されるのを恐れたカイザーの現場責任者は、証拠隠滅のために私兵のロボット部隊を総動員して武力行使に踏み切ったらしい。連邦生徒会の役員ごと力ずくで揉み消そうとしたのだ。
しかし、そこからの展開が完全にカオスだった。
交戦が始まった瞬間、なぜか地面からうねうねと根っこを蠢かせた複数の樹木――間違いなく俺が神秘で生やした世界樹から株分けされたような謎の木々が、自律防衛システムのように突如として参戦。ロボット兵を次々と絡め取って無力化し始めた。
さらにカイザーにとって最悪なことに、なぜかアビドスにいたツルギとハスミがその場に居合わせてしまったのだ。
悪徳企業の私兵が白昼堂々と暴れている現場を見たツルギが、嬉々として暴走機関車の如く突撃。
ハスミの精密狙撃とツルギの破壊的暴力、そして触手のように根っこを暴れさせる怪奇植物。そして現地協力者の助けもあって、カイザーの一個大隊はあっという間に完全鎮圧された。
そして連邦生徒会の新人は、スクラップになったロボット兵の通信ログと司令部をあっさりハッキングし、黒幕がカイザーコーポレーションである決定的な証拠を押収。
カイザーがアビドスで長年行ってきた不当な嫌がらせや地上げの数々が、白日の下に晒されることになった――という顛末だった。
「…………」
記事を読み終えた俺は、スマホを握ったまま完全に言葉を失った。
留守番を押し付けた連邦生徒会と、心配して駆けつけてくれたトリニティの面々、そして俺のデタラメな神秘の副産物が合体事故を起こした結果、アビドスを長年苦しめてきた癌細胞の一つが、俺たちの預かり知らぬところで勝手に自爆して粉砕されていたのだ。
「……ショウくん、これ……どういうことなのかなぁ……?」
隣でオロオロと眉を下げ、涙目で画面を見つめるユメ先輩の問いかけに、俺はただ乾いた笑いを漏らすことしかできなかった。
「……ええと、ユメ先輩。ホシノは?」
「まだぐっすり寝てるの。わたしも今、目が覚めてスマホを見たらこのニュースが飛び込んできて……!」
「……了解です。とにかく、スパどころじゃなくなりましたね。急いでアビドスに戻りましょう。先輩、ホシノを起こして荷物をまとめてもらえますか? 俺もすぐ支度します」
「う、うん! すぐ起こしてくるね!」
パタパタと廊下を走って部屋へ戻っていくユメ先輩の背中を見送り、俺は一人、静まり返った部屋に残された。
窓の外を見れば、朝日に照らされて煌めくミレニアム。
そして、その向こうにあるはずだった、極上の温水プールと最新鋭のサウナを備えた大型スパリゾート施設――。
「……さよなら、俺のスパリゾート……!」
頬をツーッと一筋の熱い水滴が伝い落ちた気がしたが、きっと気のせいだ。ただの朝の乾燥による生理現象である。断じて悔し涙なんかではない。
無念を振り切るように大急ぎで服を着替え、部屋を出ると、隣の部屋からも寝耳に水の衝撃ニュースで叩き起こされたホシノとユメ先輩が出てきた。
「……ショウ、これ本当なんですか……? カイザーの連中、留守の間にそんなことやらかして……」
まだ半分寝ぼけた目をこすりながらも、ホシノの手にはしっかりと愛用のショットガンが握られていた。
「ああ、残念ながら事実らしい。荷物は全部俺のヘイローに放り込んでくれ」
三人の大荷物――ホシノが買い込んだ大量のお土産も含めて、頭上の亜空間へと一瞬で丸ごと収納する。
フロントで手早くチェックアウトを済ませた俺たちは、ホテルの裏手にある人通りのない路地裏へと滑り込んだ。
「電車なんて待ってられないからな。俺のテレポートで一発で戻るぞ」
「テレポートって……ショウくん、アビドスまで直通で飛べるの!?」
「柴大将のところに預けてあるペロロには俺のヘイローが宿っていますから。あいつの位置をビーコンにすれば、空間ごと跳べます」
俺はユメ先輩とホシノの肩に手を置き、意識を砂漠の彼方のペロロへとフォーカスした。
次の瞬間、視界を埋め尽くしていた近代的なビル群が掻き消え、懐かしいアビドスの乾いた空気と、香ばしい豚骨スープの匂いが鼻腔を突いた。
ユメ先輩とホシノも無事転移できている。
だが、跳んだ先――目の前に広がる光景に、俺は思わず目を疑った。
「……ぺろ!……ぺろろろ〜!」
湯気がモウモウと立ち込める巨大な寸胴鍋の中から、全身を黄金色のスープに浸からせたペロロが、極楽風呂にでも浸かっているかのように恍惚とした表情でこちらを見上げていた。
「……なんでお前は寸胴鍋の中で煮込まれてるんだ……?」
「ぺろ?…ぺろーっ!」
ツッコミを入れると、俺の姿に気づいたペロロは嬉しそうな鳴き声を上げ、スープを派手に撒き散らしそうになりがら鍋からダイブして俺の胸元へと飛び込んできた。
「ぶふっ!?熱っ!お前、今地味に熱いんだよ!」
煮込みたての熱気と油を我慢しながら、俺はビショ濡れのペロロを抱き止めて周囲を見渡した。
「ここは柴関ラーメンの厨房ですね。少し薄暗いところを見ると……まだ開店はしていないみたいです」
ホシノは即座に状況を把握し、低い姿勢でショットガンを構えて入り口の様子を警戒している。ユメ先輩も愛用の盾を展開し、いつでも動けるよう身構えていた。
「おーい、どうした鳥すけ?お前さんが勝手に入った時は驚いたが、温度は大丈夫だっ……おおっ!?ユメちゃん達じゃねえか!」
厨房の奥の暖簾をくぐって現れたのは、お玉を手にした柴大将だった。
「大将!無事だったんだな!」
胸元でスープまみれのペロロを抱えたまま、俺は思わず声を張り上げた。
「おう、無事も無事、ピンピンしてるぜ!……っておいショウ、そいつを抱きしめたら服が汁まみれになっちまうぞ!ほら、こっち来い鳥すけ」
大将がペロロの首根っこを掴んでひょいと持ち上げ、手元の布巾で手際よく拭き取ってくれた。
再会を喜び合いたいところだったが、今はそんな暢気なことを言っている場合じゃない。
「大将、挨拶は後で。今、アビドスはどうなってるんだ?カイザーの連中が暴れたってネットで見たんだが……」
俺が切り出すと、ホシノとユメ先輩も真剣な面持ちで身を乗り出した。柴大将は険しい表情で額のタオルを締め直すと、短く息を吐き出した。
「……ここで話すような内容じゃねえな。奥のテーブルに座んな。順を追って話してやるよ」
大将に促され、俺たちは薄暗い店内のテーブル席へと腰を下ろした。いつもならスープの匂いと活気に満ちているはずの店内は、異様なほど静まり返っている。
「事の始まりはな、告知通りにお前さんたち三人がミレニアムへ出かけてから数時間たった後のことでな」
大将は湯呑みにお茶を注ぎながら、苦々しい口調で語り始めた。
「噂のおかげで、昨日も昼時から観光客やら見物人で店は大繁盛だった。俺も腕によりをかけてラーメンを作ってたんだが……そこへ突然、武装したカイザーPMCのロボット兵どもを引き連れた、黒スーツの社員どもが乗り込んできやがったんだ」
「カイザーの社員が……?」
ホシノ眉をひそめ、低く呟く。
「しかも、普段の態度とはまるで違って、妙に顔色が悪くてな。何かに酷く焦ってる様子だった。そいつらが客を全員銃で追い払った挙句、俺に突きつけてきたのが……『今すぐこの店を畳み、土地を明け渡して即刻退去しろ』っていう一方的な通告だった」
「退去……!?そんな、どうして急に……!」
ユメ先輩が悲痛な声を上げて驚いたが、確かに、アビドスの土地の大部分は、過去の莫大な借金の担保としてカイザーコーポレーションに買い取られている。書類上の権利関係を盾に取られれば、法的にはアビドス生徒会でも強く出られないグレーゾーンが多いのは事実だ。
だが、それにしてもあまりに不当で、強引すぎるやり口。さらに、俺たちを打ちのめしたのは、大将の口から続いた言葉だった。
「……まあ、あいつらからの立ち退き要求自体は、今に始まったことじゃねえんだがな。前々からチマチマと圧力をかけられてたのさ。客が増えたとはいえ、うちの先行きを考えりゃ……正直、俺もそろそろ潮時かねえ、店を畳むしかねえのかな、と腹を括りかけてたところだったんだよ」
「大将……そんなの、聞いてないよ……!」
ショックを受けたユメ先輩の瞳から、大粒の涙がポロポロと零れ落ちた。俺やホシノ以上に、アビドスを愛し、この店と大将のラーメンに幾度となく救われてきたユメ先輩だ。自分たちの知らないところで大将が一人で苦しみ、店を諦めようとしていたという現実は、何よりも胸に突き刺さったに違いない。
「すまねえな、ユメちゃん。余計な心配をかけたくなかったんだ。……だが、昨日の奴らのやり口は完全に常軌を逸してた。俺の店だけじゃねえ。数の暴力にモノを言わせて、周囲のインフラや自治区の要所を力づくで一気に封鎖し、アビドス全体をまるごと占拠しにかかりやがったんだ」
完全な軍事侵略。留守を狙われたアビドスは、まさに風前の灯火だったのだ。
ここ最近のカイザーが余りにも静かだったせいとはいえ……少し考えりゃ分かる事だったと後悔するが、今は大将の話を聞かないと。
「――その時だったよ」
大将が視線を上げ、表の通りへと目を向けた。
「お前さんたちがニュースで見たっていう、あの連邦生徒会の娘が、ひょっこり姿を現したのはな」
実は登場させる程予定がなかったキャラです。どうしてこうなった
1〜3話を目安に書きます
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ゲヘナ雷帝編(雷帝ナシ)
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アヤメ誘拐編
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どっちも書いて♡
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別にいらないな、回想でいい