27話
ゲヘナでの激動の一夜が幕を閉じ、俺の日常は再び穏やかなアビドスへと戻っていた。
平日は学校で学業に勤しみ、放課後は生徒会として自治区の住民たちの困りごとを解決して回る。そして休日は、たまにくるヴァルキューレ警察学校のカンナからの要請――というか、最近は俺自身のすっかり良い気分転換の趣味の一つになりつつある『賞金首狩り』をこなす日々だ。
もっとも、最近は俺の目つきと七色のヘイローが知れ渡りすぎたせいか、アジトに踏み込んだ瞬間に不良どもから
「で、出たぁぁっ! アビドスのやべー奴ら一号だぁぁっ!」
「あいつのヘイローと一緒の色にされる前に逃げろぉぉっ!」
と、妖怪か何かを見たように泣き叫んで逃げ惑われることが多くなったのだけれど。
ある意味平和なルーティーンを繰り返していたある日のこと。
砂漠の空から珍しく白い雪がちらつく中、俺は普段ユメ先輩やホシノと一緒に過ごしている『分校』ではなく、長年の砂嵐で廃墟同然となった『アビドスの本校舎』へと足を運んでいた。
最もこの事実は入学してそれなりに経った後に知って結構驚いたが。外の世界の学校は分校ぐらいが普通のサイズ。それを遥かに超える大きさの本校を見て、いかに昔もアビドスがすごかったかが分かる。
わざわざ赴いた理由だが、何でも「最近、廃校舎のあたりで謎の人影や物音がするから調査してほしい」と生徒会へ依頼が舞い込んだのだ。一応、別の理由もあるのだが。
「……ここが、本当のアビドス高校。でかいけど、結構砂に埋もれちまってるな」
俺は白い息を吐きながら、一階の大半が砂に呑み込まれたまま放置されている巨大な校舎の敷地を歩いていく。
せっかくこれだけ立派な学び舎があるのだ。できれば近いうちにこの辺りの砂も綺麗に撤去して整備したいところだな。……もうすぐ春になれば、ユメ先輩が卒業を迎える。できれば先輩の門出は、この本来のアビドス本校舎で盛大に祝ってあげたいし。
そんなことを考えながら校舎の裏手へと回った時だった。
雪混じりの冷たい風の中に、ふと誰かの微かな気配が混じっていることに気づいた。場所は、俺が入ってきた正門とは反対側にある、錆びついた屋根の『自転車置き場』の奥だ。
俺が足音を潜めて自転車置き場の角を曲がると――そこにいた小さな影と、ばったり目が合った。
「……だれ?」
かすれた、今にも消え入りそうな小さな声。
冷たいコンクリートの隅にうずくまるように座り込んでいたのは、ボロボロに擦り切れてどこの学園のものかも分からない制服を纏った、ひどく小柄な女の子だった。
頭にはピンと立った犬、あるいは狼のような獣耳が生えており、本来は綺麗な銀髪なのであろう髪は、砂と汚れのせいでくすんだ灰色に見えている。前髪のあたりには十字架のような形をした青いヘアピンがついているが、それすらも斜めにずれたままになっていた。
(こんな雪の日に一人で……?)
俺が声をかけようと半歩踏み出した、その瞬間だった。
少女の獣耳がピクリと逆立ち、まるで追い詰められた野生の小動物のように、地面を蹴って無言で俺へと襲いかかってきたのだ。
「おっと」
俺の鋭い目つきを見て危険な敵だと感じたのだろうか。とりあえず傷つけないよう、穏便に抑えることにしよう。
俺は少女が繰り出した小さな拳を半身になってスッと避け、両手を挙げて敵意がないことを示しながら説得を試みた。
「ごめん、驚かせるつもりはなかったんだ。俺はアビドス生徒会の者で、ちょっと話を――っとぉ!」
だが、俺の言葉などまるで耳に入っていないらしい。
着地した少女はそのまま流れるような身のこなしで再び跳躍し、俺の鳩尾めがけて鋭い飛び蹴りを放ってきた。俺はその小さな足首を手のひらで軽くいなして受け流したが、バックステップで距離を取った少女は、低い姿勢のまま「フーッ……!」と威嚇するように未だ強い敵意を剥き出しにしている。
(参ったな。完全に警戒されてて言葉が通じないぞ。どうしたもんか……)
俺が頬を掻きながら悩んでいた、まさにその時だった。
静まり返った冬の自転車置き場に、なんとも可愛らしいお腹の虫の音が盛大に鳴り響いた。
「…………」
威嚇のポーズを取ったまま、ピシリと固まる少女。獣耳が気まずそうにペタンと横に倒れる。
……なるほど。どうやらこの小さな訪問者は、限界まで腹を空かせているらしい。
それが分かった俺は、ふっと口元を緩めて警戒を解き、頭上のヘイローを手元まで持っていき、空洞になっている中心へと手を突っ込んだ。そして、今日の昼飯用に自分で作って入れておいた『特製弁当(保温機能付きでほかほか)』の箱を取り出す。
「……っ!?」
触れない筈のヘイローが手元まで動き、何もない場所から突然お弁当箱を取り出した俺の奇行に、少女がビクッと驚いて後ろへ跳ねたが、俺はあえてそれを無視してその場の地面にどっかりとあぐらをかいて座り込んだ。
パカッと蓋を開けると、湯気と一緒に卵焼きや唐揚げ、炊きたての白米の美味しそうな匂いが冷たい空気の中にふわっと広がる。俺はそのお弁当箱を、少女の方へ向けて地面にそっと差し出した。
「ほら、食えよ。腹が減ってるんだろ?」
少女はゴクリと喉を鳴らしたものの、まだ俺を警戒しているのか、その場から一歩も動こうとしない。
俺は「やれやれ」と小さく笑うと、安心してもらうため、立ち上がって数メートル離れた場所まで下がり、完全に『後ろ向き』になってしゃがみ込んだ。
俺が背を向けて何もしないことを確認した少女は、おずおずと数歩近づいてくると――次の瞬間、獲物に飛びかかるようにしてお弁当箱を両手でひっ掴み、箸すら使わずに手づかみで、夢中になってご飯とおかずを口の中へと詰め込み始めた。
「はは、そんなに慌てて食うと喉に詰まらせるぞ」
背中で聞こえる凄まじい勢いの咀嚼音に苦笑いしつつ、俺は再びヘイローから温かい緑茶が入った水筒を取り出し、備え付けのコップにトクトクと湯気の立つお茶を注いで準備した。
すると、その直後。
「……っ!? んぐっ……っっ!!」
案の定、唐揚げと白米を一気に頬張りすぎて喉に詰まらせたらしく、少女が目を白黒させて胸を叩き始めた。
俺はすぐに振り返って歩み寄り、注いでおいた温かいお茶のコップを少女の口元へと差し出した。少女は警戒する余裕もなく俺の手からコップを奪い取るように受け取り、ゴクゴクッと勢いよくお茶を飲み干す。
「……ぷはぁっ……、はぁ、はぁ……」
無事に流れたようで何よりだ。
そこから数分後。少女は俺が作ってきた大盛りの弁当を、米粒一つ残さず綺麗さっぱり平らげた。
「ごちそうさま。美味しかったか?」
俺が空になった弁当箱とコップを回収してヘイローの中へ片付けると、お腹がいっぱいになって落ち着いたのか、すぐそばに座り込んでいる少女からは先ほどまでのトゲトゲしい殺気が完全に消え去っていた。
俺が危害を加えない人間だと確信してくれたのだろう。こんなに近い距離にいるというのに、少女はすっかりリラックスした様子でペタンと地面に座り込み、どこか虚ろで色のない大きな瞳で、じっと俺の顔を不思議そうに見上げてきたのだった。
「お腹いっぱいになったか?」
俺が目の前でちょこんと座り込んでいる少女に優しく問いかけると、彼女の頭の上にある獣耳がピコンと跳ねた。
「ん…!」
短くも力強い返事とともに、少女はコクコクと一生懸命に首を上下に振る。口元にご飯粒が一つ付いていたので親指でそっと拭ってやると、くすぐったそうに目を細めた。
落ち着いて話が通じるようになったところで、俺は彼女の名前や、どうしてこんな雪の降る廃校舎に一人でいたのかを尋ねてみた。
彼女がぽつりぽつりと教えてくれたところによると、自分の名前は『砂狼シロコ』というらしい。……だが、自分の名前以外の情報は驚くほど何一つ持っておらず、どこから来たのかも、これまでどう暮らしていたのかも、すっぽりと記憶が抜け落ちているようだった。
(記憶喪失、か……でも、こんな寒い場所にこのまま一人で置いていくわけにはいかないよな)
俺が顎に手を当てて今後の処遇について物思いにふけっていると、目の前のシロコからの真っ直ぐな視線が、さっきからずっと俺の顔に突き刺さっていることに気づいた。まるで、初めて見た親鳥を見つめる雛鳥のような、離れるのを不安がるような眼差しだ。
俺はふっと息を吐いて笑うと、立ち上がってシロコに手を差し伸べた。
「なあ、シロコ。行く当てがないなら、うちに来るか?」
「ん」
迷いのない即答だった。
よし、細かい手続きや身元の調査は、とりあえず暖かいアビドスの分校に連れて帰ってから考えるとするか!
「――で、今に至るってわけだ」
「ん!」
アビドス分校の生徒会室。
俺の肩の上で堂々と『肩車』された状態のシロコが、自分のことのように得意げに小さな胸を張って頷いた。なお、帰り道に歩いていたら、俺の頭上で光る七色のヘイローがどうしても気になったらしく、よじ登ってきてそのまま特等席に収まったのだ。
そんな俺たちの姿を、暖房の効いた生徒会室の中で向かい入れたホシノが、なんだか面倒くさそうものを見る目で見ながら俺達に言い放った。
「……元いた場所に返してきてよ。ショウ、また変なの拾ってきちゃってさ。おじさん、びっくりだよ」
「ん!?」
ホシノのどこか気の抜けた、それでいてにべもない一言に、肩の上のシロコが「ガーン!」と効果音がつきそうなほどのショックを受け、そのまま後ろへずり落ちそうになる。
「おっと、危ない危ない。ホシノ、拾ってきた子犬を捨てるようになんて、お母さんみたいなこと言うなよ」
俺は慌ててシロコの小さな足首を支えてバランスをとりつつ、目の前でふぁ〜あと欠伸をしているホシノの姿を見て、内心で小さく苦笑いを浮かべた。
ここ最近、ホシノは随分とイメチェンを図っている。
以前までは肩口あたりで切り揃えられていたピンク色の髪を伸ばし始め、今ではすっかり腰まで届くほどの長髪になり、それを後ろで高いポニーテールにまとめている。一番の変わった所は、かつてのピリピリした鋭い口調が嘘のように、喋り方までどこかふにゃふにゃと緩くなっているのだ。
なぜ急にそんな変化が起きたのかというと――もうすぐ春になり、太陽みたいに明るいユメ先輩が卒業してしまうことがきっかけだった。事情を知っているルキたちはともかく、これから新しく入ってくる一般の新入生たちを迎えるとなった時、生徒会にいるのが
「頭上で七色のヘイローがギラギラ光る顔が怖い男」
「いつも目を吊り上げてツンツンした態度の武闘派」
この仏頂面コンビの二人きりでは、新入生が完全にビビって威圧されてしまうのではないか。
そう真面目に悩んだホシノがユメ先輩に相談したところ、先輩から『じゃあじゃあ、ホシノちゃんも親しみやすいようにキャラを変えてみようよ〜♪』と軽いノリで提案されたらしい。
その結果、不器用なホシノが「親しみやすい先輩」の手本としてよりにもよって真似し始めたのが、他ならぬユメ先輩のあのゆるふわな態度だったというわけだ。ちなみに、急に使い始めた『おじさん』という独特すぎる一人称は、昔ユメ先輩が一度だけ冗談で自分のことをそう呼んだ時のものを気に入ってそのまま拝借したのだとか。
最初にその経緯を聞いた時は、普段は抜けてるくせに、こういう時だけ後輩の心に刺さる謎のワードセンスを発揮するんだな、ユメ先輩は……と、呆れるやら感心するやらで言葉が出なかったものだ。
そんな『ゆるふわおじさんモード(練習中)』のホシノのすぐ後ろで、見知らぬ女生徒が困ったように眉を下げて「あはは……」と苦笑いを浮かべていた。
(……ん? そういや、この子は誰だ?)
俺はホシノの後ろにいる少女へ視線を向けた。柔らかいクリーム色の長い髪を揺らす、清楚で温和な雰囲気の女の子だ。
「なあホシノ。その後ろの子は誰だ? この辺じゃ見ない顔だけど」
俺が尋ねると、その少女は「あっ」と小さく声を上げ、慌てて一歩前へと進み出た。
「ああっ、ごめんなさい!つい目の前の肩車のインパクトに負けて、ご挨拶がうっかり遅れてしまいました。私、十六夜ノノミと申します。今は私立ネフティス中学校に所属しています」
スカートの裾を軽く摘まんでペコリとお辞儀をする仕草が、驚くほど上品で様になっている。
(しかし、この大人びた雰囲気で中学生かよ……。しかも、ホシノよりも遥かに発育が――おっと、ヤバい)
隣のホシノから、絶対零度の殺気と銃の安全装置が外れる幻聴が飛んできたのを肌で感じ取り、俺は自分の命を守るため音速で話題を逸らした。
「ネ、ネフティス……? どこかで聞いたことがある名前だな……ああ!確か前に、ユメ先輩が電話口で話してたのがネフティスだったっけ。でも、あれってキヴォトスでも有数の大企業グループの名前だよな?」
そういえば、先日の『アビドス砂まつり』が大成功に終わった後のことだ。アビドス周辺の砂嵐が俺たちの活動で劇的に減ったことで、長らく凍結されていた路線を新造し、ハイランダー鉄道学園と共同で新たな鉄道計画を進めるだとか、そんな景気のいい電話をユメ先輩が受けていた記憶がある。
「そうそう。ノノミちゃんの実家がその『セイント・ネフティス』らしくって、通ってる中学校もその系列校みたいだよ」
ホシノが肩をすくめて補足してくれた。
「はー……つまり、正真正銘のお嬢様なわけだ。でも、そんな大企業のお嬢様が、どうしてわざわざ俺たちのアビドスに?」
俺が素直な疑問を口にすると、ノノミの緑色の瞳がパァッと明るく輝き、一歩身を乗り出した。
「それはですね!!」
興奮したように両手を握りしめてノノミが語り出したところによると、彼女も先日の『アビドス砂まつり』にお客さんとして参加していたらしい。そして、かつての栄華を思い出させるような活気を取り戻したアビドスの姿と、その中心で走り回っていた俺たち生徒会の活躍に強く憧れを抱いたのだという。
今日は来春の高校進学に向けた『下見』として一人で分校を訪れ、外からこっそり校舎を覗いていたところをホシノに見つかり、生徒会室へ招き入れられて事情を話していたところだったそうだ。
彼女の実家である『セイント・ネフティス社』といえば、キヴォトス全土でも指折りの巨大な勢力を誇る超有名企業だ。
かつてのアビドス自治区が他校を圧倒するほど豊かで栄華を誇っていたのもこの企業の働きが大きく、文字通りアビドスと共に発展し、全盛期には自治区内の経済のほとんどを担うほどだったという。
しかし、環境の変化によってアビドスが不毛の砂漠へと変わり始めてからは、自治区共々、衰退に歯止めがかからなくなった。そして十数年以上前、起死回生を狙って社運を賭けた『大規模な鉄道開発事業』に着手したものの、結果はあえなく大爆死。
傘下であった多くのアビドス内企業や経済を道連れにする形で会社は傾き、本社は倒産から逃れるべく、アビドスを見捨てて外へ撤退せざるを得なくなった――という苦い歴史がある。
今では、当時のアビドスが抱えていた借金程度なら余裕で一括返済できるほどの経済力へと見事に持ち直したようだが、内外ともに「ネフティスの無謀な開発失敗こそが、アビドス衰退の一因であり決定打を担ってしまった」と見なす声も多く、現在のアビドス自治区内でもあまり良い目では見られていないのが実情だった。
「私、物心ついた頃からずっと、昔のアビドスに対して負い目を感じていまして……。それで、今の私に何かできることはないかとずっと考えていた時に、ユメ先輩や皆様の大活躍を知ったんです!」
ノノミは胸に手を当て、熱のこもった眼差しで言葉を続けた。
「本当でしたら、私は実家の勧めで『ハイランダー鉄道学園』に入学させられるところだったんです。ですけど、砂まつりで生まれ変わった今のアビドスを見て、あのお父様も『これなら無理にハイランダーへ行かせなくても、アビドスで学ぶのもいいのではないか?』と意見を変えるくらいには、アビドスはかつての栄華を取り戻したとみんな思っているんですよ!」
本来なら約束されたエリートコースであるハイランダーへの進学を蹴ってまで、ノノミがこのアビドス高校へ進学しようと決めた理由。
それは、一族が抱える過去の歴史への負い目がきっかけではあったものの、それ以上に「俺たちの活躍によって奇跡の復活を遂げたアビドスに、自分も一人の生徒として通ってみたい」という純粋な憧れの心が大きかったかららしい。
「それにですね!私の学校の間では、アビドス生徒会の御三方には熱狂的な『ファンクラブ』までできているんですよ〜♪」
「「……は? ファンクラブぅ!?」」
ノノミがニコニコと嬉しそうに放った爆弾発言に、俺とホシノの声が綺麗にハモって裏返った。
どうやら、砂漠と借金で滅びかけていた弱小校が、たった3人の生徒会メンバーで巨大企業やヘルメット団を蹴散らし、お祭りを大成功させて街を復興させたという一連の行動が、外の世界からはまるで映画のような『分かりやすい逆転サクセスストーリー』に見えたらしい。それが一部の生徒たちの心に強烈に刺さり、勝手にファンクラブまで結成されているのだとか。
「えーっ、ファンクラブって……そんなキラキラしたアイドルみたいなキャラじゃないんだけどなぁ……」
「いや、俺なんてもっと違うだろ。世間じゃ『なまはげ』扱いされてんだぞ……」
俺とホシノが顔を見合わせて困惑していると、俺の肩の上で話を聞いていたシロコが、俺の頭をペシペシと軽く叩きながら「ん。ショウ、すごい」と誇らしげに頷いていた。
ノノミの進学理由と、まさかの俺たちのファンクラブが存在するという衝撃の話題がひと段落したところで、自然と室内の視線は俺の肩の上にいる小さな少女へと集まった。
「さてと、ずっと肩の上じゃ疲れるだろ。よいしょっと」
俺はシロコの両脇を抱えて肩車からひょいっと下ろし、生徒会室のパイプ椅子へと座らせてやった。
そしてホシノとノノミに向き直り、先ほど本校舎の自転車置き場で腹を空かせてうずくまっていた彼女を見つけ、弁当を食べさせて連れてきたという事の経緯を一通り説明した。
すると、話を聞き終えたホシノが、気の抜けた息を吐きながら肩をすくめた。
「な〜んだ、そういうことなら早く言ってよ。いきなり肩車して連れてくるから、おじさんてっきり、ショウがその学校から女の子を誘拐してきたんじゃないかと疑っちゃったよ〜」
「あのなあ、人を人攫いみたいに言うんじゃないよ。誰が誘拐なんかするかっての」
あんまりな言われように俺が呆れて文句を返そうとした、まさにその時だった。
「……くしゅんっ!」
パイプ椅子にちょこんと座っていたシロコが、小さな体をビクッと震わせて可愛らしいくしゃみを一つ漏らした。
見れば、彼女が着ているのはどこの学園とも知れない、擦り切れた薄手のシャツとスカート一枚だけだ。こんな薄着で、雪のちらつく冬の屋外にずっとうずくまっていたのである。俺の温かい弁当でお腹は満たされたとはいえ、芯まで冷え切った体ではいつ風邪をひいてもおかしくない。
「おっと、冷えるよな。今俺が――」
だが、俺が頭上のヘイローへ意識を伸ばそうとするよりも、ホシノが動く方がずっと早かった。
「ほら、じっとしててね〜」
ホシノは自分のスクールバッグの中から、鮮やかな水色と白のマフラーを取り出すと、シロコの前に歩み寄り、その小さな首元へとぐるぐると手際よく巻いてやったのだ。
「……ん?」
突然首元を包まれた温もりに、シロコが大きな瞳をパチクリとさせて見上げる。
ホシノはマフラーの形をぽんぽんと軽く整えてやると、少し照れくさそうに鼻の下をこすりながら言った。
「うん、ちょっとはマシになったでしょ?駅前のワゴンで買ったセール品だけどさ、これなら少しは温かいよね?」
ホシノのぶっきらぼうながらも優しい言葉に、シロコはしばらく不思議な顔をしてホシノを見つめていたが、やがてコクンと小さく頷いた。そして、自分の顎の下に巻かれたマフラーへそっと両手を添え、そのふわふわとした柔らかい手触りを確認するように、何度も愛おしそうに撫で始めた。
「ありがとうな、ホシノ。……でも、そのボロボロの服も着替えさせてやった方がいいな。なあ、学校に予備の制服かなんかあったか?」
俺が尋ねると、ホシノは「うーん」と顎に指を当てて少し考えたあと、ぽんと手を打った。
「あー、今のデザインの前に使われてた『アビドスの旧制服』なら、サイズ違いがいくつか備品室のロッカーに眠ってたはずだよ〜。ちょっと探して持ってくるから、ここで待っててね〜」
そう言って、ホシノがパタパタと足音を立てて生徒会室を出ていく。
俺はその背中を見送ると、椅子の上でマフラーを撫でているシロコの髪や肌についた砂埃へと視線を向けた。
「よし。着替えが来る前に、体についた汚れや砂もスッキリ落としておくか」
俺は頭上のヘイローから『水色の光』をシャワーヘッドのような形に成形し、シロコの頭上からふわりと光の粒子を照射した。服や肌を一切濡らさずに汚れと雑菌だけを分解・消滅させる『クリーニング光線』である。
「なっ、なんですかその綺麗な光っ!?えっ、お風呂にも入っていないのに、髪やほっぺたの汚れが一瞬で消えてサラサラのピカピカになっていきますよぉ!?」
「……ん!? 体が、かるい……すごい……っ」
後ろで見ていたノノミが目を丸くして驚きの声を上げ、シロコ自身も自分のサラサラになった銀髪を触って目を白黒させている。
……まあ、ものすごく驚かれたが、見違えるほど綺麗になったからヨシとしよう!
それから十数分後。
ホシノが備品室から持ってきた一番小さいサイズのアビドス旧制服へと着替え、その上から先ほどの水色のマフラーをしっかりと巻いたシロコは、すっかり見違えるほど綺麗で可愛らしい美少女になっていた。
「ん……! ふんっ、ふんっ……!」
生まれて初めて袖を通すパリッとした清潔な制服と、首元の温かいマフラーがよほど気に入ったのだろう。
シロコは鏡の前でくるりと回ったあと、小さな胸をピンと張り、得意げに「ふんふん!」と鼻息を荒くして俺たちの前を行ったり来たりしている。先ほどまでの野生動物のような警戒心はどこへやら、すっかりこの部屋に馴染んだ様子だ。
「わぁ〜♪ とってもよく似合っていますよ、シロコちゃん!すごく可愛いです〜!」
「へへ〜、備品室から引っ張り出してきた甲斐があったねぇ。サイズもギリギリいけそうだし、よかったよかった」
ノノミがパチパチと拍手して褒め称え、ホシノも満足そうに頷いていた――まさにその時だった。
ガララッ! と勢いよく生徒会室の引き戸が開き、聞き慣れた明るく間延びした声が飛び込んできた。
「ただいまぁ〜! 町内会への回覧板、配ってきたよぉ〜……って、あれれ? お客さんが二人もいるぅ!?」
両手に書類の束を抱えて帰ってきたユメ先輩が、部屋の中にいる見慣れない二人の美少女――清楚なお嬢様のノノミと、旧制服にマフラーを巻いて鼻息を荒くしているちびっ子のシロコを見て、大きな瞳をまん丸にして立ち尽くした。
「あ、おかえりなさいユメ先輩。実はですね――」
俺とホシノが手短に「来春アビドスへの入学を考えているノノミ」と、「本校舎で保護した記憶喪失のシロコ」について説明する。
普通の生徒会長なら、いきなり素性の知れない記憶喪失の子どもを連れ込まれた時点で頭を抱えるところだろう。
――だが、そこはさすが、その豊満な体と同じくらい懐が無限に大きい我らがユメ先輩だった。
「わぁ〜っ、そうなんだねぇ!アビドスに新しいお友達がいっぱい増えたんだぁ! ようこそアビドスへ、二人とも大歓迎だよぉ〜!」
ユメ先輩は細かいことなど一切気にせず、パァッとひまわりのような満面の笑顔を咲かせて二人を丸ごと受け入れた。
そのまままずはノノミの手を両手でギュッと握りしめる
「生徒会長の梔子ユメだよぉ!ノノミちゃん、アビドスに来てくれるなんてとっても嬉しいなぁ〜!」
「はいっ、ユメ先輩! お会いできて光栄です〜♪」
同じゆるふわで温かい波長を持つ者同士、ものの十秒で意気投合してキャッキャと盛り上がり始める。
そして次の瞬間、ユメ先輩のキラキラしたロックオンの視線が、隣で「ん?」と首をかしげていた小さなシロコへと向けられた。
「そしてこっちのちっちゃくて可愛い子が、シロコちゃんだねぇ〜!うわぁん、お耳がピコピコしててぬいぐるみさんみたい!お姉さん、ギューッてしちゃお〜っと!!」
「……え? んっ!? ちょ、――ん!?」
ユメ先輩が両手を広げてダイブするや否や、シロコの小さな体はユメ先輩の圧倒的な包容力(と柔らかすぎる胸の渓谷)の中へとすっぽりと抱きすくめられた。
「うりゃうりゃ〜♪シロコちゃん、あったかくていい匂いがするねぇ〜!ほっぺたもモチモチだよぉ、すりすり〜♪」
「んーっ! んんーーっ!!くるし、はな、はなして……っ!」
突然の過剰なスキンシップに、シロコは顔を真っ赤にして手足をジタバタと暴れさせ、必死に脱出しようともがく。
しかし、見た目によらず怪力を誇るユメ先輩の愛のホールドと、すりすりと容赦なく押し付けられる頬ずりの猛攻には、野生児のシロコといえど全く歯が立たない。
一分後。
「……ん…………」
あらゆる抵抗が無意味であることを悟ったシロコは、魂が抜けたような虚無の顔で完全に脱力し、ユメ先輩の腕の中で人形のようにされるがままになって撫で回されていた。
「あはは……ユメ先輩のスキンシップは、野生のオオカミちゃんでも一発で飼い慣らしちゃうから恐ろしいよねぇ……」
「全くだな。……まあ、これでシロコも今日からアビドスの一員ってわけだ」
ホシノと俺が顔を見合わせて苦笑いする中、冬の生徒会室には、ノノミの朗らかな笑い声と、ユメ先輩にモフモフされるシロコの諦めきったため息がいつまでも温かく響いていた。
ユメ先輩にモフモフされて魂が抜けているシロコと、それを見て楽しそうに笑うノノミ。
そんな微笑ましい三人のやり取りを横目に、俺とホシノは部屋の隅へ少しだけ移動し、ユメ先輩に聞こえないよう声を潜めて『ある極秘のサプライズプラン』について話し合っていた。
「……なあ、ホシノ。さっきシロコを見つけた時に、本校舎の方を一通り見て回ってきたんだけどさ」
「ん?どうだった?やっぱり砂だらけでボロボロだったでしょ〜」
「まあ、1階はかなり砂に埋もれてたけどな。でも、建物の骨組み自体はしっかりしてるし、俺のと重機を使って大掃除と修繕をすれば、講堂も校舎もまだまだ普通に使える状態だ」
俺が下見の結論を伝えると、ホシノの瞳がパッと真剣な光を帯びた。
俺たちが今、こうしてこっそり本校舎の話をしているのには理由がある。――もうすぐ春に控えたユメ先輩の『卒業式』を、この手狭な分校ではなく、本来の学び舎であるあの広大なアビドス本校舎で開催しようと計画しているのだ。
わざわざ廃墟同然の本校舎を復旧させてまで使う理由は、単なる見栄えだけじゃない。当日やってくるであろう『見学者』の数が、とんでもない規模になることを予見していたからだ。
自分で言うのもなんだが、今の俺たちアビドス生徒会は、この自治区内ではちょっとした有名人だ。商店街のおっちゃんや住民たちが俺たち三人のことを『アビドス三英雄』なんて大層な二つ名で呼んでいるのを知った時は、さすがに背中がムズ痒くて恥ずかしさで悶絶しそうになったほどである。
そんな街の象徴であり、誰からも愛されている生徒会長のユメ先輩が卒業するとなれば、当日は俺たちや新しく入ってくるルキたちだけでなく、先輩の晴れ姿を一目見ようと自治区中の住民たちが大挙して押し寄せてくるに違いない。そうなれば、この小さな分校の敷地では到底収まりきらないのだ。
そして何より――これまで誰もいなくなった広い学校で、たった一人でアビドスの看板を背負って明るく頑張り続けてきたユメ先輩に、俺たち後輩から『最高で一番の贈り物』をして送り出してあげたい、という俺とホシノの心意気でもあった。
「そっかぁ……本校舎、ちゃんと使えそうなんだね。よかったぁ……」
俺の報告を聞いて、ホシノは胸を撫で下ろしてホッとしたように柔らかい笑顔を浮かべた。
「ユメ先輩、きっとびっくりして泣いちゃうかもね〜。……うん、本番までに絶対間に合うように、二人でこっそり頑張ろうね、ショウ」
「ああ、任せとけ。最高の卒業式にしてやろうぜ」
俺とホシノが小さく拳をコツンと合わせ、改めて意気込みを入れた――まさにその時だった。
「あっ! そうだ、いけないいけない! すっかり忘れるところでした〜!」
向こうでユメ先輩たちと騒いでいたノノミが、急に何かを思い出したようにポンと手を打ち、自分のスクールバッグをごそごそと漁り始めた。
そして中から取り出したのは、何枚かの真っ白な『サイン色紙』とマジックペンだった。
「あのですね、ユメ先輩、ホシノ先輩、ショウ先輩! もしよろしければ、この色紙に皆様のサインをいただけないでしょうか〜!?」
「えっ、サイン!?わ、私なんかのサインでいいのぉ!?」
「実は今日、私がアビドスへ下見に行くことを中学校のお友達にも話していたんです。そうしたら、先ほどお話しした『アビドス生徒会ファンクラブ』に入っているお友達から、『もし御三方にお会いできるチャンスがあったら、絶対にサインをもらってきて!』って熱烈にお願いされてしまいまして……♪」
「えへへ〜、サインなんてアイドルみたいでなんだか照れちゃうなぁ〜♪」
キラキラした目で色紙を差し出すノノミに、ユメ先輩は頬を赤くしてモジモジし始める。
「えぇ〜っ、おじさんのサイン!?い、いやぁ、サインなんて人生で一度も書いたことないから、どう書けばいいか分かんないなあ……うへへ」
隣のホシノに至っては、ゆるふわな口調を保ちつつも耳まで真っ赤にして、戸惑いながらも満更でもなさそうに照れくさそうにしている。
「へえ、友達に頼まれたのか。お安い御用だ、俺に貸してみな」
俺は快く請け負うと、ノノミの手から自分の分の色紙をひょいっと受け取った。
そして、ペンを取って書く――といった普通の工程をすべてすっ飛ばし、頭上のヘイローをピコンと一瞬だけ発光させた。
パッと俺の手元から色紙が消滅する。
「……あれ?あの、ショウ先輩?今お渡ししたはずの色紙が、手元から消えてしまったみたいなのですが……?」
目をパチクリとさせて俺の空っぽの両手を見るノノミに、俺は親指を立てて爽やかに説明した。
「ああ、もう俺のサインをバッチリ印字した上で、その頼んできたお前の友達の部屋の『机の上』に直接送っておいたぞ。今頃、机の上に突然現れたサイン色紙を見て喜んでるんじゃないか?」
「「「………………え?」」」
一瞬の静寂のあと。
ノノミとユメ先輩が目を丸くして固まる横で、それまでゆるふわな『おじさんモード』だったはずのホシノの顔がみるみるうちに引きつり――次の瞬間、久しぶりに聞くツンツンした素の敬語で、生徒会室の窓ガラスがビリビリと震えるほどの激しいツッコミが炸裂した。
「――って、ちょっとショウ!! 頼んだ子の部屋にいきなり色紙をワープさせるなんて、相手からしたら完全にホラーじゃないですか!! 勝手に新手の怪異を作り出さないでくださいっ!!」
「おっと、素に戻ってるぞ、おじさん」
「誰のせいだと思ってるんですかっ!?」
顔を真っ赤にして怒り狂うホシノの怒号と、ユメ先輩とノノミの朗らかな笑い声、そして俺の足元で「ん。ショウ、やっぱりおかしい」と感心するシロコの呟きが重なり合い、雪の降るアビドスの放課後は、今日も今日とて賑やかに更けていくのだった。