本校舎でシロコを保護してから、数日が経った。ホシノから貰った水色のマフラーとアビドスの旧制服をすっかり気に入ったシロコは、持ち前の順応性の高さもあってか、あっという間に俺たちアビドスの空気に馴染んでいった。
――だが、彼女を受け入れるにあたって一つ大きな問題があった。
記憶喪失のシロコには、キヴォトスでの戸籍もなければ、住む家も、身の回りの持ち物も何一つなかったのだ。
そこで頼りになったのが、普段はふわふわしている生徒会長のユメ先輩だった。
先輩は自治区の行政窓口や連邦生徒会へ提出する書類を驚くべき手際の良さで作成し、シロコの仮戸籍の発行からアビドスへの住民登録、さらには来春からのアビドス高校への編入予約手続きまで、あっという間に済ませてくれたのだ。いくら生徒数が減って衰退しているとはいえ、俺たちアビドス生徒会も一区の自治を担う正式な行政機関なのだから、これくらいの権限はしっかりと持っているというわけだ。
そして、一番の懸案事項だった「シロコがどこで寝泊まりするか」という住居の問題なのだが――。
結論から言おう。
現在、シロコは俺と同じ屋根の下――つまり、俺の住んでいる部屋で一緒に暮らしている。
もちろん、最初はユメ先輩やホシノの家に預けるか、あるいは学校の近くにある空き部屋を一つ用意してやるのが筋だろうという話になった。
だが、外見からして中学生くらいにしか見えないシロコ。しかも記憶喪失で、料理や洗濯といった最低限の日常生活にどこまで適応できるかも分からない状態である。そんな子をいきなり空き部屋に放り込んで一人暮らしをさせるという選択肢は、真っ先に除外された。じゃあ、ユメ先輩の家で一緒に暮らすのはどうか?
これもダメだった。初日にユメ先輩から受けた、あの窒息寸前の抱擁と頬ずりの猛攻がよほどトラウマになってしまったらしい。
「シロコちゃ〜ん、うちにお泊まりにおいでよぉ〜♪」
「ん。おっぱいおばけとは嫌」
「ええ〜!?」
ユメ先輩が両手を広げて近づくたびに、シロコは獣耳をペタンと倒し、野生の俊敏さで窓や俺の後ろへと一目散に逃亡してしまうのだ。これでは共同生活どころではない。
ならば、残る女子メンバーであるホシノの家は――というと、実はここでちょっとした事件が起きた。
「ん。私は、自分に勝った強い奴の言うことしか聞かない」
アビドスに慣れて少し気が大きくなったのか突然、シロコが野生のオオカミみたいなことを言い始めたのだ。
「特に、おっぱいおばけと違って、そこの色々とちっちゃい人はあんまり強くなさそう」
「……ふーん」
「あ、馬鹿!」
しかもあろうことか、隣で欠伸をしていたホシノの小さな身長と胸元をじーっと見下ろし完全に舐めきった態度を取ってしまったのである。
その瞬間、ホシノの顔から『ゆるふわおじさんモード』の笑顔がスッと消え去った。
「シロコちゃ〜ん。おじさんとちょっと模擬戦しよっか〜」
「おいホシノ。あんまりやりすぎんなよ?」
「大丈夫大丈夫。痕は残さないからさ」
直後、校庭で行われた二人による「ちょっとした模擬戦」の結果は――文字通り、ホシノによる一方的な蹂躙劇だった。
ホシノは愛用のショットガン『Eye of Horus』をまるで手足のように振り回し、飛びかかってきたシロコの顎を撃ち、軽々と空中へカチ上げると、地面に落ちてくるまでの間に容赦のない打撃を交えた『空中コンボ』を叩き込んで、ものの十秒で砂の上に沈めてみせたのだ。
「ハイ勝ち〜。これからは先輩にそんな口の利き方はやめたほうがいいよ〜?……特にユメ先輩には、ね」
「きゅう……」
(……やっぱり、ホシノの前で体型をいじるのだけは絶対に踏んじゃいけない地雷なんだな。あんまりしないでおこ)
まるで格闘ゲームのように空中で見事にコンボを食らい続けていたシロコの姿を見た時、久しぶりに心の底から震え上がったものである。
その一件以来、シロコはホシノに対して若干の怯えを抱くようになり、最初は呼び捨てにしていた呼称も、今ではすっかり背筋を伸ばして『ホシノ先輩』と礼儀正しく先輩づけで呼ぶようになっている。当然、怖くて同じ部屋では眠れないと言い出した。
――そして、最後に残った俺に対してなのだが。
「ん。私は、ショウと一緒に暮らす」
なんとシロコの方から、俺の袖をギュッと掴み、直々に逆指名してきたのだ。
どうして俺なんだ? と理由を聞いてみたところ、シロコは無表情ながらも真剣な瞳でこう答えた。
「最初に食べた、ショウのお弁当がすごく美味しかった。……あと、あの時、私が本気で飛びかかったのに片手で軽く受け流した。ショウは、すごく強い」
どうやら、胃袋を掴まれたことと、初対面で飛び蹴りをいなされたことで、彼女の中の『強いボス(しかも美味しいご飯をくれる)』という基準を完璧にクリアしてしまったらしい。
もちろん、それを聞いたユメ先輩とホシノからは猛反対された。
「ええ〜っ、いくらなんでも男の子のお部屋で…い、一緒に暮らすなんてダメだよぉ!」
「そうだよショウ、おじさんそういうのは感心しないなぁ〜!」
二人して顔を真っ赤にして食い下がってきたのだ。
だが、俺としては、昔いた孤児院で年下のチビどもの世話をしていた頃からの性分として、生活能力があるかどうかも分からない年下の子を一人で放っておくことなんて到底できない。
だいたい、ユメ先輩やホシノは一体何をそんなに警戒しているんだか。今のシロコなんて、ちょっと風が吹けば飛ばされそうなくらい小柄で細っこい、言っちゃなんだが子ども同然のチンチクリンだぞ? 俺がそんな小さな女の子に何か変な気を起こすわけがないだろうに。
「大丈夫だって、ただ保護して飯を食わせるだけだよ。昔も同じようなもんだったし、任せとけって」
俺がそう言って二人の反対を押し切り、責任を持って預かることに決めた結果。
こうして俺の部屋では――俺とペロロと、新たに仲間入りした小さな狼耳の少女・シロコという、なんとも奇妙で賑やかな『二人と一羽』の同居生活が幕を開けたのだった。
ジュウジュウと小気味よい音を立てるフライパンの上で、厚切りのベーコンが香ばしい脂を弾けさせていた。
朝、いつも通りの時間に目を覚ました俺は、エプロンを着けてキッチンに立ち、今日の朝ごはんを作るためにフライパンを振っていた。
メニューはかなり多めに焼いたカリカリのベーコンに、ふわふわのスクランブルエッグ。そこへバターをたっぷりと塗って焼き上げたトーストと、寝起きの胃袋に優しいほどよい温度のコンソメスープだ。
「ぺろ〜♪」
キッチンの足元では、ペロロが、短い手足をパタパタと動かしながら「ぼくにもちょうだい」とばかりにおねだりしてきている。
「ほらよ、火傷すんなよ」
俺がフライパンから一切れのベーコンを皿に取り分け、少し冷ましてから差し出すと、ペロロは嬉しそうに飛びついてモグモグと器用に食べ始めた。
そんな風に戯れていると、廊下の奥にある寝室のドアがギイッと開き、大きめのパジャマに身を包んだシロコが、眠そうに小さな手で目をこすりながらトコトコと歩いて出てきた。灰色の狼耳もまだ半分寝ぼけているみたいに、ふにゃりと垂れ下がっている。
「おはよう、シロコ。ご飯はもうテーブルの上に置いてあるから、冷めないうちに先に食いな」
「……ん……。おはよ、ショウ……」
俺が声をかけると、シロコは小さく欠伸を噛み殺しながら眠そうな返事をして、ダイニングテーブルの椅子へとよじ登るように座った。そして、目の前に並べられたトーストとベーコンエッグを見るなり、ピコンと獣耳を立たせて「いただきます」と手を合わせ、もぐもぐと朝ご飯を食べ始める。
俺も自分の分の皿とコーヒーを持ってテーブルの真向かいに座り、美味しそうにトーストを頬張るシロコの姿を眺めながら、ここ最近の彼女との同居生活を振り返った。
最初は記憶喪失でどこまで日常生活が送れるか心配していたのだが、いざ一緒に暮らしてみると、ある程度の一般常識や生活知識は体に染み付いているようだった。服の着替え方やシャワーの使い方、歯磨きや食器の使い方といった基本的な生活は、いちいち教えなくても一人で普通にこなすことができたのだ。
――ただ、一つだけ子どもらしいというか、放っておけない部分があった。
ずっとひとりぼっちで過ごしていた反動なのだろう。夜になって部屋の電気を消すと、どうしても一人で布団に入って寝ることができず、夜中に枕を抱えて俺の布団の中へとモゾモゾと潜り込んでくることが何度もあったのだ。
まあ、そういうのは孤児院のチビどもの世話をしていた頃から嫌というほど慣れている。
こういった不安からくる行動の時に、「一人で寝なさい」と無理に拒絶して突き放すのは絶対に良くないのだ。だから俺は、潜り込んできたシロコを追い出したりせず、逆に体温の高い彼女を湯たんぽ代わりにして暖をとりながら、頭を撫でて一緒に寝ることにしている。
ただ、自分より下だと判断した相手――たとえば足元をうろつくペロロなんかに対しては、たまに顎で使ったりとぞんざいに扱うクセがあるけれど、俺の言うことはなんだかんだで素直によく聞いてくれる。根は素直で、決して悪い奴じゃないのだ。
「……ん。ごちそうさま」
最後の一口まで綺麗に平らげ、コンソメスープを飲み干したシロコが、満足そうに息を吐いてから俺の顔を見上げた。
「ねえ、ショウ。今日のお弁当は何?」
「ん? 今日は昼過ぎには終わるから、お弁当はないぞ。ほら、昨日言っただろ? 今日の式が終わったら、みんなで美味しいものを食べに行くって」
「……あ。……ん、そうだった」
俺が指摘すると、シロコはパチクリと目を瞬かせ、ようやく思い出したようにコクコクと頷いた。
俺は自分の膝の上によじ登ってきた満腹のペロロの腹をポテポテと撫でながら、ダイニングの窓から見える外の景色へと視線を向けた。
先日の雪が嘘のように晴れ渡り、雲ひとつない青空から柔らかな春の陽射しが砂漠の街へと降り注いでいる。これ以上ないほど穏やかで、門出にふさわしい快晴だ。
――そう。今日は、俺たちがこれまでこっそり準備を進めてきた、ユメ先輩の『卒業式』の日なのだから。
「よし、そろそろ出るぞ。シロコ、忘れ物はないか?」
「ん、大丈夫」
玄関先で靴を履き終えたシロコが、アビドスの旧制服姿でこくりと頷く。
だが、その首元を見た俺は「おっと」と足を止め、彼女の前にしゃがみ込んだ。
「ちょっと待て、マフラーの巻き方が甘いぞ。風が吹いたら解けちまう。整えるからじっとしてろ」
先日ホシノから貰ったあの水色と白のマフラーがよほどお気に入りになったのか、シロコは家を出る時は常日頃、肌身離さず身につけるようになっていた。
俺が一度マフラーを解き、首元に隙間ができないよう綺麗に巻き直して形を整えてやると、シロコは自分の顎の下を触りながら俺を見上げた。
「よし、これでいいな」
「ん。完ぺき……ねえ、ショウ。似合ってる?」
少しだけ小首をかしげ、灰色の獣耳をピコンと揺らして尋ねてくるシロコ。
俺が口元を緩めてその頭を撫でてやると、俺の足元で待機していたペロロも短い羽をパタパタと振った。
「ああ、とても良く似合ってるぞ」
「ぺろ!」
「ん!!」
俺とペロロからの太鼓判に、シロコはパァッと頬を綻ばせ、小さな胸を張って満足げに鼻息を鳴らした。
そうして家を出た俺たちは、いつもの校舎ではなく、この度ユメ先輩の卒業式会場として使われることになった『アビドス本校舎』へ向かうべく、俺がシロコとペロロを背中にひょいっとおんぶして、春の青空へと飛び立った。
木や増えた人員による処理で砂がめっきりなくなり、流れる綺麗な街の景色の先、眼下に近づいてくる本校舎はつい先日まで1階が砂に埋もれていた廃墟同然の姿とは似ても似つかない、見違えるような輝きを放っている。
この日までに本校舎を使える状態にするため、俺はまず動く街路樹たちを総動員して、敷地内の膨大な砂や瓦礫を一気に除去させた。長年の放置でこびりついた落ちない汚れは、ヘイローを固めて作った特大の『消しゴム』でこすって、新築同然に綺麗さっぱり消滅させた。
そして、老朽化してひび割れた壁や崩れた屋根などの本格的な修繕部分は、以前アビドスの借金を返すために一時期バイトをしていた『建設会社』のコネを利用して建て直してもらった。
当時、重機十台分の作業を俺一人でほとんどこなしていたおかげで、浮いた人件費や工期の短縮分で莫大な利益が会社の手元に残ったらしく、今ではすっかり業績が伸びて会社が大きく成長したとのことだ。
社長さんからは「あんたのおかげでウチは大企業になったし、何よりアビドスをあの悪徳なカイザーグループから解放してくれて、最高に働きやすい街にしてくれたからな!」と、そのお礼も兼ねてほぼタダ同然の破格で突貫工事を請け負ってくれたのである。
おかげで今のアビドス本校舎は、トリニティやミレニアムといった他のマンモス学園にも一切引けを取らない、白亜の立派な学び舎の姿を取り戻していた。
すっかり綺麗になった本校舎の正門前へとふわりと着地し、シロコを背中から下ろして昇降口の玄関へと足を踏み入れると――そこには、すでに来ていたホシノと、春から入学が決まっているルキをはじめとする元グルグルヘルメット団……いや、俺たちの『未来の後輩たち』の姿があった。
「おはようございます、ショウ」
「兄貴!おはようございますッ!!」
「「「おはようございまーすッ!!」」」
俺の姿を見るなり、珍しくちょっと前までの素の敬語に戻っているホシノと、腹の底から響くような大声で元気よく挨拶してくるルキたち。
……いや、元気なのはいいんだが、昇降口の両脇にズラリと綺麗に二列で並んで、胸の前で手刀をスッと下げながら頭を下げる『仁義切りスタイル』で出迎えるのはやめてくれないか。俺のこの凶悪な目つきと相まって、どう見ても学園の卒業式じゃなくて極道の組事務所の朝礼にしか見えないんだが。
「ぷっ、極道みたいで似合ってますよ」
隣でホシノも堪えきれずに笑ってるし。
「ああ、おはよう。今日も朝から元気だなお前たち。……それとホシノ、昔の口調に戻ってるぞ? さては今日、緊張してんのか?」
俺がニヤリとしながらツッコむと、ホシノは目を瞬かせ、慌てて「あー、ううんっ!」とわざとらしく咳払いをした。
「い、いやぁ〜、今日は大事なユメ先輩の卒業式だからさぁ、おじさん緊張ですっかり腰から背中までピーンってなっちゃってさ〜。あいたたた……」
全身の力をだらんと抜き、わざとらしく自分の腰をトントンと叩いてみせるホシノ。
そんな俺たちの横から、シロコがトコトコと前へ出て挨拶をした。
「ん。おはよう、ホシノ先輩。……あと、ルキ」
「おー、おはようシロコ!……って、こーらぁ。 いい加減、あたしのこともちゃんと『ルキ先輩』って呼ぶべきじゃないんすかー?んー?」
「ん……っ!む、頭を押さえないで……っ!」
呼び捨てにされたルキがニヤニヤしながら歩み寄り、シロコの頭を脇に抱えて拳でグリグリと撫で回し始めた。
実はここ数日の間に、シロコはもちろんルキたちとも顔合わせを済ませている。その際、案の定というか野生児の血が騒いだシロコはルキたちにも突っかかって勝負を挑んだのだが、さすがに実戦の経験値が違ったのかルキたちにもあっさりと負け越しており、以来、会うたびにこうして捕まっては可愛がられているのだ。
――にもかかわらず、なぜシロコがホシノには『先輩』をつけるのにルキにはつけないのかというと。
『ん。私は春から新入生としてアビドスに通う。ルキたちも去年は休学してて、春から私と同じ1年生になるって聞いた。……つまり留年して同じ学年なんだから、先輩は使わない』
なんとも独特で容赦のない謎理論を振りかざしているからだった。
もっとも、姉御肌で面倒見がいいルキたちも、そんな生意気なシロコのことを可愛い妹分としてすっかり気に入っているようで、呼び捨てにされてもあまり気にしていない様子だ。まあ、本人たちが仲良くやっているならそれでいいんじゃないか?
「すいませーんっ!遅れちゃいましたぁーっ!」
その時、開け放たれた昇降口の向こうから、パタパタと慌ただしい足音を立ててノノミが駆け込んできた。
玄関先でピタリと止まり、両膝に手をついて大きく息を切らしている姿からして、かなり急いで走ってきたようだ。
「おはよう、ノノミ。別に式まではまだ時間があるんだから、そんなに急いで走ってこなくてもよかったのに」
「いいえ、そういうわけにはいきません!だって今日は、憧れのユメ先輩の大切な卒業式じゃないですか!しかも、まだ正式に入学していない私たちに準備のお手伝いをさせてくださるどころか、式典の保護者・在校生席にまで座らせていただけるんですから、遅刻なんて絶対にできませんよ〜!」
顔を上げてキラキラと瞳を輝かせるノノミ。
そう、まだ入学式を迎える前のルキたちやノノミがこうして朝から本校舎に集まっているのは、他ならぬユメ先輩自身が満面の笑みで招待したからだった。
『ノノミちゃんもルキちゃんたちも、もう立派なアビドスの生徒みたいなものだから、よかったらみんなも一緒に卒業式に参加しようよぉ〜♪』
まあ、せっかく綺麗に直したこのだだっ広い本校舎の講堂に、在校生用のパイプ椅子がたった二つ――俺とホシノの席しかなくて、ポツンとユメ先輩の答辞を聞くだけなんていうのは、いくらなんでも寂しすぎるからな。
いつも笑顔で「3人だけでも楽しいねぇ」と言っていたユメ先輩だけど、口に出して言わなかっただけで、心のどこかではずっと、こうして大勢の後輩たちに囲まれて賑やかに送り出される日を夢見て、少しだけ寂しさを抱えていたのかもしれない。
(……よし。先輩が驚く顔を見るためにも、最後の仕上げといきますか!)
俺たちが昇降口で賑やかに話していると、正門の方からトコトコと歩いてくる見慣れた人影が見えた。
「おーい、ホシノちゃーん、ショウくーん!お待たせぇ〜……って、あれれぇ!?」
胸元で大きなリボンを揺らしながら手を振っていたユメ先輩が、正門のアーチをくぐったところで足を止め、大きな瞳をまん丸に見開いて固まった。
それも無理はない。俺とホシノは今日まで先輩に改修作業がバレないよう、『卒業式の前に、思い出作りの記念写真を本校舎の前で撮ろう』とだけ伝えてここに呼び出していたのだ。
ユメ先輩の記憶の中にある本校舎は、1階が砂に埋もれ、窓ガラスは割れ、外壁も砂嵐で茶色くくすんだ廃墟の姿だったはずである。
しかし今、先輩の目の前にそびえ立っているのは、朝日を浴びて塗り直された壁が眩しく輝き、割れた窓もひび割れもすべて新築同然に修復され、敷地内の砂が塵一つなく綺麗に掃き清められた『全盛期のアビドス本校舎』そのものだったからだ。
「……あれぇ?ここ、アビドスの本校舎……だよねぇ?私、寝ぼけてトリニティかミレニアムに迷い込んじゃったのかなぁ……?」
本気で目をこすりながら首をかしげるユメ先輩の元へ、俺たちは笑いながら歩み寄った。
ホシノが腰に手を当て、少し照れくさそうに、でも誇らしげに胸を張って言う。
「驚きました?ユメ先輩。今日のユメ先輩の卒業式をここでやるために、こっそりと直しておいたんですよ」
「えっ……!?こ、これ、ホシノちゃんとショウくんが……!?私の卒業式のために……!?」
「ええ。いつも過ごしてきたあの校舎も悪くないっすけど、やっぱりユメ先輩の門出くらいは、この立派な本校舎じゃなきゃ締まらないっすよ」
俺がニッと笑って頷くと、ノノミやルキたちも口々に祝福の声を上げた。
「ユメ先輩、ご卒業おめでとうございます〜!」
「兄貴たちに混ぜてもらって、あたしたちも飾り付け手伝ったんすよ!」
「ん。おめでと、ユメ先輩」
シロコも俺の隣でペコリと頭を下げ、足元のペロロも拍手するように短い羽をパタパタと動かしている。
ユメ先輩は、綺麗に蘇った校舎の時計台から俺たちの顔へと順番に視線を巡らせると、両手で自分の口元を覆った。
その大きな瞳に、みるみるうちに透明な雫が浮かんでいく。
「……っ、うそぉ……。私、1年生の時からみんながどんどん転校しちゃって……もう二度と、綺麗な校舎を見ることはできないんだって、思ってたのに……っ」
震える声でそう呟く先輩の姿に、隣に立つホシノの瞳もじんわりと潤み始める。
俺はそんな二人の空気を優しく包み込むように、校舎の奥にある講堂の方へと手を差し伸べた。
「ユメ先輩、ここで泣いちゃうとせっかく綺麗に整えた化粧が落ちちゃいますよ。……それに、今日のサプライズはこの校舎だけじゃないんすから。さ、会場の中へ行きましょう」
「えっ……? まだ何かあるのぉ……?」
ぱちくりと涙を瞬かせるユメ先輩を先導し、俺たちは渡り廊下を抜けて、大講堂の重厚な両開き扉の前へと辿り着いた。
俺とホシノが扉の両側に立ち、せーのでその扉を左右へと大きく開け放つ。
――瞬間。
『ユメちゃーん!!待ってたよー!!』
『卒業おめでとー!!
講堂の内部から、建物全体がビリビリと震えるほどの割れんばかりの大歓声と、万雷の拍手が怒涛のように押し寄せてきたのだ。
「――ひゃあっ!? な、な、なぁにこれぇーーっ!?」
ユメ先輩が驚きのあまり、その場でぴょんと飛び上がった。
紅白の幕が張られた広大な大講堂の中には、なんと数百脚ものパイプ椅子が隙間なく並べられており――そのすべての席が、今日この日のために駆けつけた『アビドス自治区の住民たち』で埋め尽くされていたのである。
最前列には、無理やり窮屈そうなスーツを着込んだ柴関ラーメンの柴大将が、鉢巻の代わりにネクタイを締めてワンワンと泣きながら拍手している。その隣には商店街の魚屋や八百屋のおっちゃん、おばちゃんたち。雇われているうちにアビドスにすっかり住み着いてしまったスケバンやヘルメット団。さらにその後ろには、この校舎をタダ同然で直してくれた建設会社の社長さんや作業員のお兄さんたちまでがズラリと顔を揃え、頭上には『祝・卒業! 我らの太陽、梔子ユメ生徒会長!!』と書かれた巨大な横断幕まで掲げられていた。
『いつも笑顔で商店街を手伝ってくれてありがとなぁーっ!』
『アビドスを守ってくれた英雄の門出だ、街を挙げて祝わせてもらうぞーっ!!』
あちこちから飛び交う、温かくて熱い祝福の声、声、声。
砂まつりの大成功で街に活気が戻ったとはいえ、平日の午前中にこれだけの大群衆が集まったのは、他でもない。俺がこの街へやってくるずっと前から、どれほど街が寂れても決して笑顔を絶やさず、たった一人でアビドスの看板を守り、住民たちに寄り添い続けてきたユメ先輩の人徳そのものだった。
「み、みんなぁ……っ!大将さんまで……どうしてぇ……っ!?」
「言ったはずですよね、ユメ先輩。先輩はこの街のみんなにとって、自慢の生徒会長なんですよ。……ほら、主役なんだから、胸を張って前へ歩いください」
「うん……っ、うんっ……!」
ホシノに背中をそっと押され、ユメ先輩はぽろぽろと頬を伝う嬉し涙を袖で拭いながら、何度も頷いた。
ルキの部下たちが鳴らす少し不揃いだけど心のこもったブラスバンドの入場曲が響く中、ユメ先輩は真っ赤な絨毯の上を一歩、また一歩と進んでいく。
左右の席から惜しみない拍手と花びらが舞い散り、先輩はいつもの太陽みたいな満面の笑顔を咲かせて、みんなに大きく手を振り返しながら壇上へと向かっていった。
やがてユメ先輩が壇上の卒業生席に着席し、俺とホシノ、そして特別参加のシロコ、ノノミ、ルキたちが在校生席へと並んだところで、進行役を務めるホシノがマイクの前に進み出た。
「――えー、本日はお忙しい中、こんなにもたくさんの方にお集まりいただき、ありがとうございます。これより、アビドス高等学校、第――回、卒業証書授与式を執り行います!」
春の柔らかな陽射しが窓から差し込む中。
たった一人の卒業生と、彼女を愛する街中の人々に囲まれた、世界一温かくて賑やかな卒業式が幕を開けた。
紅白の幕と色とりどりの花で彩られた大講堂に、厳かながらもどこか温かい静寂が降りてくる。
本来なら校長先生や教員が式を取り仕切るのだろうが、キヴォトスの学園――とりわけ俺たちアビドスには大人の教師がいないため、式の進行から証書の授与に至るまですべて俺たち生徒会の手で行うことになっていた。
まずは、卒業証書の授与。俺が壇上の演台へと立ち、金の縁取りが施された筒から一枚の卒業証書を取り出して広げた。
「卒業証書授与。――卒業生、梔子ユメ」
「はいっ!!」
俺の呼びかけに、壇上の椅子からピンと背筋を伸ばして立ち上がったユメ先輩が、講堂の隅々まで響き渡る元気いっぱいの声で返事をした。
演台の前まで歩み寄ってきた先輩と向き合い、俺は証書の文面をゆっくりと読み上げてから、それを両手で恭しく差し出した。
「……ご卒業、おめでとうございます、ユメ先輩」
「えへへ……ありがとう、ショウくんっ」
小声で言葉を交わし、ユメ先輩が震える両手でしっかりと卒業証書を受け取ると、会場を埋め尽くした住民たちから再び大きな拍手が巻き起こり、最前列の柴大将などは早くもポケットから取り出したタオルで目頭を拭っていた。
そして式次第は進み、在校生代表による送辞の順番となった。
普通なら在校生の中から代表者が一人だけ出て読むものだが、今日までのアビドス生徒会の在校生は俺とホシノの二人きりだ。だから今回は特別に、俺とホシノの二人で壇上に並び、順番にユメ先輩へ言葉を贈ることに決めていた。
まずは俺がマイクの前に一歩進み出て、目の前で少し緊張したように背筋を伸ばしているユメ先輩を見つめた。
俺は手に持っていた形式通りの原稿をそっとポケットにしまい、自分の言葉でそのまま語りかけることにした。
「――ユメ先輩。俺がこの砂漠の街にふらっとやってきて、アビドス高校の門をくぐった日のことを、今でもはっきり覚えています」
静まり返った講堂に、俺の声がマイクを通して響く。
「俺はご覧の通り目つきも悪けりゃ、頭の上にはこんなド派手な七色のヘイローが浮かんでる風変わりな人間です。外じゃ怯えられることも多かった俺を、先輩は最初からちっとも怖がらずに、ひまわりみたいに笑って大歓迎してくれましたよね」
「うん……!」
俺がふっと口元を緩めると、ユメ先輩が懐かしそうに目を細めて小さく頷いた。
「あの夜、先輩が寂しそうに語ってくれた『アビドス砂まつり』の夢。俺が絶対に開催してみせると約束した時、先輩が涙を流して喜んでくれたから、俺は今日まで全力で突っ走ることができました」
「ショウくん……」
「借金を返すために各地の賞金首を狩りまくったり、急に大オアシスや世界樹が生えてきて、二足歩行で歩く木が街中を走り回る大混乱になった時も、先輩はいつだって笑って受け入れてくれました。カイザーコーポレーションの基地へ乗り込んだ時も、ビナーとぶつかり合った時も、先輩が隣で大きな盾を構えて俺たちの背中を守ってくれたから、どんな無茶な戦いも乗り越えられたんすよ」
俺は胸の奥から湧き上がる感謝を込めて、目の前の生徒会長を真っ直ぐに見つめた。
「先輩のその温かい笑顔があったから、俺はこのアビドスを自分の居場所にしようと思えました。俺をアビドスの生徒にしてくれて、本当にありがとうございました、ユメ先輩」
俺が深く一礼して一歩下がると、今度は隣に立っていたホシノが、折りたたまれた紙を両手で握りしめてマイクの前へと進み出た。
「……在校生代表、小鳥遊ホシノから、卒業するユメ先輩へ贈る言葉を言わせてもらいます」
ホシノは凛とした良く通る声で切り出したが、目の前で優しく微笑んでいるユメ先輩と目が合った瞬間、その小さな肩がピクリと震え、紙を持つ指先にギュッと力がこもった。
「思えば、中学の頃にリヤカーを引いていたユメ先輩と出会ってから今日まで、私は毎日、先輩にツッコミを入れてばかりだった気がします。先輩は生徒会長なのにテストはいつも赤点ギリギリで、物を投げれば味方の後頭部にぶつけるノーコンで、放っておくとすぐ何もないところで転ぶし……最初は、どうしてこんなにドタバタで危なっかしい人なんだろうって、いつもハラハラしていました」
「えへへ……面目ないねぇ……」
ユメ先輩が照れくさそうに頬を掻く。ホシノはそんな先輩の姿を見て、ふっと愛おしそうに目元を和らげた。
「もっと生徒会長らしくしっかりしてくださいって、何度も口うるさく言いました。……だけど、ショウがアビドスに来て、三人でいろんな場所へ行って、いろんな無茶を経験するうちに、私は気づいたんです」
ホシノのオッドアイの瞳が、万感の思いを湛えて潤んでいく。
「どんなに苦しい状況でも決して諦めず、誰に対しても太陽みたいに温かく笑いかけるその底抜けの明るさと優しさこそが、他の誰にも真似できない、ユメ先輩の最大の魅力なんだって。先輩がいつも先頭で笑っていてくれたから、私たちの毎日はこんなにも賑やかで、お腹が痛くなるくらい楽しかったんです」
ポロリ、とホシノの瞳から堪えきれなくなった大粒の涙が零れ落ち、紙の上へと染みを作った。
「先輩があの時、たった一人でもこの学校を守り抜いてくれたから、今日こうして、こんなにたくさんの人と一緒にこの本校舎で先輩を送り出すことができました……っ。ユメ先輩と過ごしたこれまでの日々は、私にとって一生の宝物です!いつも口うるさい後輩でごめんなさい。そして……っ、私たちをここまで導いてくれて、本当に、ありがとうございましたぁ……っ!」
最後は涙声になりながらも、精一杯の声を張り上げて深々と頭を下げたホシノ。
「うぅっ、ホシノ先輩……っ、なんて素敵な送辞なんですかぁ……っ」
「うおおおんっ!姉御とホシノさんとアニキの絆、良い話すぎるっすよぉぉっ!!」
「……うん。すごく、いい先輩と後輩」
在校生席では、ノノミがハンカチで顔を押さえてすすり泣き、その後ろではルキたち元ヘルメット団の面々までがヤンキー映画さながらに号泣している。シロコもマフラーに顎を埋めながら、瞬きもせずにじっと壇上の俺たちを見つめていた。
万雷の拍手に包まれながら俺とホシノが席へと戻ると、いよいよ卒業生による答辞――ユメ先輩の番がやってきた。
ユメ先輩はゆっくりと演台の前へと歩み出ると、ステージの上から、綺麗に生まれ変わった講堂の天井と、自分を祝福してくれる満員の住民たち、そして最前列に並ぶ俺たちの顔を、愛おしそうにぐるりと見渡した。
「……えへへ。実は私、いつもの小さな教室で、ホシノちゃんとショウくんの二人だけに読むつもりで答辞を書いてきたから……こんなにたくさんの人の前で話す原稿、用意してなかったんだぁ」
ユメ先輩は涙で濡れた目尻を人差し指でちょんと拭うと、原稿を閉じて演台の上に置き、太陽そのもののような眩しい笑顔を咲かせてマイクを握った。
「私ね、中学の時に不良さんの喧嘩をカッコよく止めたアビドス生徒会の先輩たちに憧れて、胸いっぱいの希望を持ってこのアビドス高校に入学したんです。でも……砂嵐は年々ひどくなるし、借金があってどんどん膨らんでいくしで、学校は少しずつ、じわりじわりと苦しめられていきました」
先輩の静かな語り口に、講堂の全員が息を呑んで耳を傾ける。
「大好きだった先輩たちが転校や卒業して、同級生やせっかく入ってきた後輩も、一人、また一人って転校していく背中を見送るたびに……本当はね、胸が張り裂けそうなくらい寂しくて、毎朝一人でホウキを持って教室の砂を掃きながら、このままアビドスがなくなっちゃったらどうしようって、何度も泣きそうになってたの」
「ユメ先輩……」
ホシノが自分の膝の上で、ギュッと拳を握りしめて先輩を見つめる。
「でもね、諦めずに活動を続けてたら、奇跡が起きたの!可愛いホシノちゃんが入学を約束してくれて、そのすぐ後に、頭の上をピカピカさせたショウくんがやってきてくれたんです!」
「いや、ピカピカさせたって言い方はどうなんすか、先輩」
「まあ、事実じゃないですか、ショウ」
俺が思わず小声でツッコミを入れ、隣のホシノが鼻をすすりながら笑う。壇上のユメ先輩は、そんな俺たちのやり取りを見て、本当に嬉しそうに目を細めた。
「そこからの毎日は、まるでキラキラした宝石箱をひっくり返したみたいに楽しくて、私はお二人に心の底から救われました!ショウくんが不思議な力でみんなを笑顔にしてくれて、ホシノちゃんが頼もしく隣で支えてくれて……カイザーから大切な街の土地を全部取り戻して、ずっと夢だった『第178回アビドス砂まつり』まで、あんなに盛大に開催することができたんだよ!」
「おうよ、ユメの嬢ちゃん!最高の祭りだったぜ!!」
最前列から柴大将が涙声で野次を飛ばし、会場の住民たちからも温かい笑いと拍手が沸き起こる。
「柴大将さんや商店街のみんな、他校の素敵なお友達、それに新しく私たちの後輩になってくれたルキちゃんたちに、シロコちゃん、ノノミちゃん!みんながいてくれるこのアビドスが、私は世界で一番大好きです!これまで頼りない生徒会長だった私を支えてくれて、本当に、本当にありがとうございましたーっ!!」
ユメ先輩が深々と頭を下げると、講堂が割れんばかりの大喝采に包まれた。
これで感動の答辞が終わり、無事に閉式の辞へ移る――はずだったのだが。
「――あ!そうだ、最後に一つだけ、生徒会長として大事な引き継ぎが残ってました!」
「……え?」
「引き継ぎって、なんですかユメ先輩?事前の打ち合わせにはありませんでしたけど……」
俺とホシノが顔を見合わせて首を傾げる中、ユメ先輩は自分の胸ポケットをごそごそと探り、金色の刺繍が入った『アビドス生徒会長の腕章』を取り出して誇らしげに掲げた。
「ほら、私が卒業しちゃうから、新しいアビドス生徒会長を任命しなきゃいけないでしょ?だからね、ショウくんとホシノちゃん、ちょっと二人ともこのステージの上に上がってきて〜!」
「「……………………は?」」
突然ぶっ込まれた完全アドリブのサプライズ指名に、俺とホシノは揃って目を点にしながら、慌てて壇上のユメ先輩のもとへと駆け上がった。
「えへへ、二人のうちどっちにしようか昨日の夜までずーっと悩んだんだけど、二人とも頼もしくて大好きだから決められなくって!だから、この生徒会長の証は、お二人の好きな方が着けてくださ〜い!」
「なんですかそれ!ユメ先輩、今までそんな物つけていなかったじゃないですか!?」
「えへへ、今まで一人だったから必要ないかなって、付けないままずっと奥にしまってたの!」
「悲しい事を笑顔で言わないでほしいんですけど!?」
俺達の驚愕をよそに、ニコニコと満面の笑みで腕章を差し出してくるユメ先輩。
その瞬間、俺とホシノの間に、今日一番の張り詰めた沈黙が落ちた。
「……おい、ホシノ。お前がやれよ。俺は料理と荒事と軽い書類仕事くらいならやるが、生徒会長なんて面倒くさい肩書きは柄じゃないんだ」
「何を言ってるんですかショウ!私だってそんな堅苦しい仕事が増える役職、絶対に御免です!そもそも普段から連邦生徒会の人たちや他校のトップと対等に渡り合ってる貴方がやるのが一番自然ですよね!」
「いやいや、俺が会長になったらアビドスの校則が毎日こっくりさんで決まることになるぞ?いいのか?」
「それは絶対にダメですけど、だからって私に押し付けないでください!!」
感動の涙はどこへやら、壇上のマイクの前で真っ向から生徒会長の座をなすりつけ合う俺とホシノ。
「あわわ、二人とも譲り合うなんて仲良しだねぇ〜!」
「いやユメの姉御、あれはどう見ても譲り合いじゃなくて押し付け合いっすよ……」
ルキが客席で呆れたように呟く中俺は腕を組んで、これまで作り上げた筈の、ゆるい喋り方が消えたホシノに向き直った。
「……よし、そこまで言うならホシノ。古来より伝わる、最も公平で神聖な決闘方法で白黒つけようじゃねえか」
「……決闘方法?いいでしょう、早撃ちですか?それとも砂漠一周マラソンですか?」
「アビドスではそれが古来からあるのか?じゃなくて、ここはひとつ。――『じゃんけん』だ。一回勝負で負けた方が、問答無用で次期生徒会長をやる。どうだ、文句はねえだろ?」
「……っ、上等ですよ!じゃんけんなら貴方のそのふざけた頑丈さも関係ありませんからね!一発で勝って、貴方にその腕章を縫い付けてやります!!」
「お、おい、あいつら卒業式のステージの上で、生徒会長の座を賭けてガチのじゃんけんを始める気だぞ……?そんなんでいいのかアビドス生徒会!?」
「……ん。すごい緊張感。これがアビドスの伝統……」
会場中がざわつき、シロコが何かを激しく誤解したような呟きを漏らすのを完全に無視して、俺とホシノは演台の前で仁王立ちのまま右拳を構えた。
「いくぞホシノ……!最初はグー、じゃんけん――」
「――ぽんっ!!」
ホシノが渾身の気合と共に『パー』を突き出そうとした、まさにそのコンマ一秒前のことだ。
俺は頭上のヘイローを一瞬だけ発光させ、見えない念力の糸を飛ばして、ホシノの開こうとした五本の指を強引に『グー』の形へと外側からガッチリ固定してやった。
「――って、あれっ!?ゆ、指が開かない!?な、なんで私の手が勝手にグーのまま固まってるんですか!?」
見事に固定されたホシノの『グー』に対し、俺が悠然と突き出したのは、完璧な『パー』だった。
俺はそのまま、両手の拳を顎の下あたりでグッと握りしめて突き出す、渾身のドヤ顔コロンビアポーズを決めながらホシノに向かって高らかに宣言した。
「――ホシノの負け。何で負けたか、明日までに考えておいてください。そうすれば何かが見え…」
「貴方が私の指を固めたせいでしょうがぁっ!!このイカサマゲーミング野郎、こんな時までやらかすなんて、いい加減本気でぶっ飛ばしますよ!!」
次の瞬間、顔を真っ赤にしてブチ切れた新生徒会長・小鳥遊ホシノが、背負っていた愛用のショットガンを引っ張り出し、その銃床で俺の頭を思いっきり引っぱたいた。
「痛っ…くはないけど、おいやめろホシノ!卒業式で暴れるのはやめろって!!わかった、書類仕事は半分手伝うから撃つなっての!!」
「うるさい!そこに直りなさい次期副会長!!生徒会長権限です!!今すぐここで正座して私に撃たれろっ!!」
「あははははっ!ち、ちょっと二人とも、ステージの上で追いかけっこしたらお花が倒れちゃうよ〜!あはははっ!」
壇上から客席の通路へと飛び降りて全力で逃げ回る俺と、ショットガンを振り回して猛追するホシノ。
そのあまりにもあんまりな光景に、演台の横に立っていたユメ先輩が堪えきれずに吹き出し、お腹を抱えてコロコロと笑い転げた。
「ハハハハッ!なんだこりゃ、最後まであいつららしくて最高じゃねえか!!」
「うふふっ、ホシノせんぱ〜い!頑張ってくださ〜い!」
「アニキ、逃げるっすよー!ホシノさんの目がマジっすー!!」
ユメ先輩の笑い声が伝染したかのように、柴大将も、ノノミやシロコやルキたちも、そして会場を埋め尽くしたアビドスの住民たち全員が、涙を引っ込めてお腹を抱えて大爆笑し始めた。
しめやかな涙ではなく、講堂の天井を突き破らんばかりの賑やかな笑い声と銃声(?)に包まれながら――俺たちの大好きなユメ先輩を送り出す、前代未聞の卒業式は最高の大団円を迎えたのだった。