七 色 ヘ イ ロ ー   作:内海空洞

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6話

あの路地裏の喫茶店で、白服(元・黒服)と奇妙な契約を交わしてから、あっという間に一ヶ月の月日が流れていた。

 

約束の誠実さという点においてだけは、奴は本物のビジネスマンだったらしい。

契約の翌朝、端末で自分の銀行口座を確認した俺は、そこに印字された七桁の数字――数百万円単位の預金残高を見て、思わず二度見した。

 

「……本気で振り込んできやがった」

 

頭のヘイローをちょっと爪先でパキッと折って渡しただけで、この大金である。

 

物心ついた頃から雑に扱ってきた俺のヘイローの欠片が、奴にとってはそれほどまでに喉から手が出るほど欲しい、価値ある「神秘」だったということなのだろう。

 

ちなみに数日後、白服から端末に届いた経過報告のメッセージには

 

『再現性のない完全な未知とは、これほどまでに知的好奇心を刺激するものなのですね。既存の物理法則がことごとく例外処理を吐き出しておりますよ。ちなみに現在は水に漬けて経過を観察しておりますが、なぜか青リンゴのような鮮やかな緑色に発光し始めましてね。実に美しい』

 

などと長文の怪文書が嬉々として綴られていた。

……なにそれしらん。水に漬けたら光るのか、俺のヘイローは。

 

まあ、そんな怪人の趣味はさておき。

 

問題は、その大金をアビドスの借金の足しにしてもらおうと、ユメ先輩に手渡した時に起きた。

放課後の生徒会室で、俺が封筒に入った札束を机の上にドサッと置いた瞬間――

 

ユメ先輩とホシノの思考回路は、なぜか光の速さで最悪の方向へと急旋回したのだ。

 

「ショウくん!?ど、どうしたのこのお金ぇ!?」

 

ユメ先輩が椅子から転げ落ちそうになりながら、目を丸くして封筒と俺の顔を交互に見つめた。

 

「ええと、ちょっとした臨時収入というか……」

 

「だめですよショウ!!」

 

横から割り込んできたホシノが、強く机を叩いて血相を変えた。

 

「私達は確かに困窮していますが、他所から奪ったお金を使って借金を返すほど落ちぶれてはいません!!」

 

「おい、何で奪ったことになった!?」

 

「ひぃん……!ショウくん……!ごめんねぇ……私達が不甲斐ないばっかりに、ショウくんにそんな危ない橋を渡らせちゃってぇぇぇ……!」

 

「違います!」

 

「くっ……!外の世界から来たばかりのショウが、ここまでアビドスのことを思って、一人で闇の組織の輸送車を襲撃したり銀行強盗に手を染めるなんて……!」

 

「いや、これは黒服から――」

 

「大丈夫だよショウくん!今からヴァルキューレに行って、しっかり心から謝ればきっと相手も分かってくれるから……!情状酌量の余地はあるよぅ……!」

 

「そうですよショウ!貴方ももう、私達アビドスの大切な仲間なんです!自首するなら一人では行かせませんよ! 三人で仲良く手錠をかけられに行きましょう!!」

 

「ええ加減にしなさい!!」

 

俺は頭上の七色ヘイローをもぎ取ると、手首のスナップを利かせて瞬時に『光のハリセン』へと変形させ、暴走列車と化した二人の頭を小気味よい音で一発ずつ引っ叩いた。

 

「い、痛ったぁぁぁ……!?」

 

「ひぃんっ!?」

 

二人が涙目で頭を押さえてようやく静止したところで、俺は深いため息をつき、事の顛末をありのままに説明した。

 

あの路地裏の喫茶店で黒ずくめの怪人(今も真っ白)と会い、危害を加えない約束を取り付けた上で、頭上のヘイローの欠片を研究資材として売却して得た正当な対価である、と。

 

だが――それを聞いた二人は、銀行強盗の疑惑が晴れた安堵よりも先に、さらに激しい剣幕で俺に詰め寄ってきた。

 

「そっちの方が大ごとですバカ!おバカ!!ホントバカ!!!」

 

「ヘイローを切り売りする生徒がこの世のどこにいるんですか貴方は!体は大丈夫なんですか!? 頭がパカッと割れたりしてないんですか!?」

 

「ショウくんダメだよぅ〜〜!自分の身体を削ってお金を作るなんて、そんな悲しいこと絶対にしちゃダメだよ〜〜っ!」

 

二人に寄ってたかって頭をペタペタと触られ、ヘイローを引っ張られたり揺すられたりして、俺は強盗犯扱いされた時よりも散々に怒られる羽目になったのだった。

 

……だが、俺が持ち帰ったのは、怪しい大金だけではなかった。

 

「……なあ、二人とも。悪いんだけど、怒るのをやめて、ちょっと真面目な話を聞いてくれ」

 

俺がトーンを落として切り出すと、ホシノとユメ先輩はただならぬ気配を察したのか、居住まいを正して俺の正面に座り直した。

 

俺は、あの喫茶店で黒服の契約書から暴き出した『真実』――

 

アビドスが背負わされている巨額の借金の真の債権者が『カイザーコーポレーション』という企業であること、そして奴らがアビドスの土地と、その地下に眠る何かを目当てに、過去の生徒会から土地を順次買収して奪い取っていった構図を、包み隠さず二人に伝えた。

 

「……え?」

 

話し終えた瞬間、ユメ先輩の顔からスッと血の気が引いた。

 

「アビドスの土地が……カイザーに、買収……?そんな……昔の先輩たちが、学校の土地を売っちゃってた、ってこと……?」

 

アビドスを守るため、生徒会長として健気に笑顔を振りまき続けてきたユメ先輩にとって、それはあまりにも残酷な事実。

 

尊敬し、後を継いだはずの過去の生徒会執行部が、借金返済の場当たり的な延命のために、自分たちの足元である自治区の土地を切り売りして手放していた。その事実を知った先輩の瞳は激しく揺れ、今にも泣き出しそうなほどショックを受けていた。

 

一方、隣にいたホシノの反応は対照的だった。

 

「…………っ」

 

ホシノは何も言わず、ただ拳を白くなるほど強く握りしめていた。

 

その灰色の瞳の奥に、かつてないほど激しい、底知れぬ怒りの炎がメラメラと燃え盛っている。

弱り目に祟り目とばかりにアビドスに食らいつき、生徒たちを借金で縛り上げ、自治区の土地を強奪していったカイザーの悪辣なやり口に対して、彼女の全身から殺気すら漂っていた。

 

「……先輩。生徒会室の奥にある、過去の記録台帳を調べましょう」

 

ホシノの低く、鋭い声に、ユメ先輩はハッと我に返ったように頷いた。

 

「う、うん……! 探してみる……!」

 

三人で生徒会室の押し入れをひっくり返し、埃をかぶり、砂に埋もれかけていた過去の重要書類や帳簿の束を引っ張り出した。

 

咳き込みながら何十冊もの記録台帳をめくり、過去の財務記録と契約書の控えを照らし合わせていく。

 

そして――俺たちは見つけてしまった。

 

「……あったよ」

 

ユメ先輩の震える指先が、一冊の古い契約書を指し示した。

そこには確かに、過去のアビドス生徒会執行部と、カイザーコーポレーションの間で交わされた『土地売買契約』の記録が、何通も何通も綴られていた。

 

かつて広大を誇ったアビドスの自治区全土が、借金返済のために一枚、また一枚とカイザーの手に渡っていった生々しい歴史が、そこにはっきりと刻まれていたのだ。

 

だが、それだけでは終わらなかった。

書類の数字を並べて電卓を叩いていたホシノが、ある異様なページを開いたまま、ピタリと動きを止めたのだ。

 

「……おい、ホシノ? どうした」

 

俺が覗き込むと、ホシノは歯をギリッと鳴らし、憎悪に満ちた声で書類を指差した。

 

「……ふざけてます。最初から、返す気なんてさらさら無かったんですよ、あのハイエナ共は」

 

書類に記されていたのは、アビドスが背負わされている負債の『金利』の推移だった。

当初に結ばれた契約の利率から、年を追うごとに、ありとあらゆる理不尽な名目をこじつけて金利が吊り上げられていた。

 

度重なる砂漠化被害への「信用リスク」、自治区縮小に伴う「担保価値の下落」、果ては一方的な「規約改定」。

 

カイザーコーポレーションは、最初からアビドスに借金を完済させる気など毛頭なかったのだ。

元金をいくら返済しようが、それを遥かに上回る暴利を貪り続け、金利を意図的に跳ね上げることで、永遠にアビドスを借金漬けにして土地を絞り尽くす――そんな底なしの泥沼のカラクリが、帳簿の数字として残酷に浮き彫りになっていた。

 

「……ひどいよ」

 

ユメ先輩の目から、ぽろぽろと大粒の涙が零れ落ち、古い契約書の上にシミを作った。

 

「こんなの……最初から、アビドスを潰すつもりだったんじゃない……!」

 

夕暮れの生徒会室に、先輩の悲痛な絞り出すような声が重く響いていた。

 

先輩たちから受け継いだはずの希望が、最初から仕組まれた搾取の罠だったという残酷な現実。

たった一人でこの砂漠の廃校を守り続け、どれだけ笑われても、どれだけ「ひぃん」と弱音を吐きそうになっても、前を向いて笑顔を作ってきたユメ先輩の小さな肩が、堪えきれない嗚咽で細かく震えていた。

 

俺は机の横へと歩み寄り、その震える肩へ、そっと静かに右手を置いた。

 

「……ユメ先輩」

 

低く、けれど迷いのない声で呼びかけると、先輩はおずおずと濡れた瞳を上げて俺を見つめた。

 

「確かに、アビドスはカイザーの汚いやり口でとんでもない危機に陥ってる。……でもな、先輩。それは全部、過去の話だ」

 

「ショウくん……」

 

「今までは霧の中で殴られてるようなもんだったが、今は違う。誰が、どんな目的で、どうやってアビドスをハメたのか、原因は全部ハッキリ分かったんだ。それに、金だってさっき見せた通り、俺が黒服の野郎からいくらでも毟り取ってこれる。何とでもできるさ」

 

俺は肩に置いた手に少しだけ力を込め、まっすぐに先輩の瞳を見据えた。

 

「何より、今の先輩の隣には、俺とホシノがいる」

 

俺たち二人がいる。

 

一人で砂漠の風に立ち向かう必要なんて、もうどこにもない。

 

「ここまでアビドスを愛して、俺たちの居場所を守り続けてくれた、世界一優しい生徒会長の道を――俺とホシノで、必ず切り開いてみせる。俺たちの手で、カイザーの連中をきっちり片付けて、アビドスを取り戻すって約束するよ」

 

俺の言葉に、隣に立っていたホシノも力強く頷いた。

そのオッドアイの瞳には、先ほどの怒りだけでなく、先輩を心から慈しむような深い温もりが宿っていた。

 

「……ええ。ショウの言う通りです、先輩」

 

ホシノは一歩前へ進み出て、ユメ先輩の顔を覗き込むようにして小さく微笑んだ。

 

「こんな理不尽な借金や悪巧みのせいで、先輩が涙を流す必要なんてありません。私は……ユメ先輩には何の心残りもなく、笑顔でこのアビドスを卒業してほしいんです。だから、もう一人で抱え込まないでください。一緒に頑張りましょう、先輩」

 

ホシノのまっすぐな言葉と、俺の約束。

 

二人の想いが届いた瞬間、ユメ先輩の瞳から大粒の涙がぼろぼろと溢れ出し、その表情がくしゃりと崩れた。

 

「ひぃん……! う、うあぁぁぁ……っ、ショウくん……ホシノちゃん……っ!!」

 

感情の堤防が決壊したように、ユメ先輩は両手を広げると、俺とホシノの胸元めがけて勢いよく飛び込んできた。ユメ先輩は俺たちの制服をぎゅっと強く掴み、顔を埋めて、子供のように声を上げて泣きじゃくった。どれだけの重圧を、どれだけの孤独を、この華奢な体一つで背負い続けてきたのだろうか。

 

「……よしよし、もう大丈夫ですから」

 

「よく頑張りました、ユメ先輩」

 

俺はそっとユメ先輩の頭に手を乗せ、柔らかな髪を優しく撫でた。

 

隣ではホシノが照れくさそうにしながらも、先輩の華奢な背中をとんとんと穏やかなリズムで叩いている。

 

西日の差し込む埃っぽい生徒会室で、俺たちは泣きじゃくる生徒会長を真ん中に挟みながら、ただ静かに、その温もりを分かち合っていた。

 

 

 

 

 

それからというもの、俺たちは完全に自重するのをやめた。

 

カイザーコーポレーションという巨大な悪意の正体が見え、ユメ先輩の涙を見たあの日から、俺たちの行動指針は極めてシンプルかつアグレッシブなものへと舵を切った。

 

相手が大企業だろうが何だろうが知ったことか。借金の利息を帳消しにし、奪われた土地を力尽くで買い戻すための元手を、ありとあらゆる手段で稼ぎまくるのみだ。

 

まずは、手っ取り早く大金が転がり込んでくる賞金首狩り。

 

放課後になると、俺とホシノは他校の自治区やブラックマーケットの境界線へと遠征し、指名手配されている凶悪な暴徒や武装密輸組織を片っ端からシメて回った。

 

裏社会のチンピラどもからすれば、まさに突然現れた災害そのものだっただろう。

 

『なんだあいつらは!! チビの方はやべー強いし! もう一人の目つきの悪いやつ……なんだあれ? ホントなんだあれ!?』

 

『なんちゃってサンダーブレーク!!』

 

『ぎゃああ!』

 

『うわあ!あいつの指先から雷が!?ホントに人間か!?』

 

『うわあ、本当に電気を出しましたよ……』

 

俺としては、ホシノの提案通り電撃で気絶させようと指先で電気を起こしたつもりだったのだが、漏れ出た神秘が変な変換を起こし、指先から青白いプラズマの雷が迸って敵を黒焦げにしてしまった。

 

『ピンク髪のチビのせいでこっちは全滅した! クソ!』

 

『誰がチビですか!!ショウ、やってしまいなさい!!』

 

『オッケー!!』

 

『うわ!……あたしの銃がチョコレートになったんですけど!?』

 

『おいしそうです〜』

 

『……あ、コラ!そこの金髪のガキ!あたしの銃を食おうとするんじゃない!!』

 

俺が放ったハンドガンの弾丸が、敵のライフルに当たった瞬間、銃身がまるごとチョコ(ミルク)に変質。通りすがりの角の生えた金髪の少女が齧りつきにきて、現場は怒号と阿鼻叫喚の坩堝と化した。

 

ホシノがショットガンと体術で前線を粉砕し、俺が理不尽なやり方で敵の戦意を根こそぎ奪い去る。

 

気がつけば、自治区の警察やヴァルキューレ警察学校の掲示板に載っていた高額賞金首のリストは、わずか数週間で真っ赤な「済」のスタンプで埋め尽くされていた。

 

だが、荒事だけで稼ぐのは限界がある。

 

そこで俺たちは、空いた時間を使って合法的なアルバイトにも全力で精を出した。俺の規格外の体質とスペックをフル活用すれば、どんな労働も高効率でこなせてしまうのだ。

 

バイトその1:爆速フードデリバリー

 

アビドス近郊にある料理屋で、出前の配達員を雇っていると聞いて応募した時のこと。

注文が入った瞬間、俺は岡持ちを片手に抱え、大地を蹴った。

 

『出前お願いしまーす。……いつくるかな?………』

 

相手の電話を切る寸前の独り言を聞きながら、客の家のインターホンを鳴らす。

 

『はーい、ってもう来たの!?』

 

注文完了のボタンを押してわずか十秒後。

玄関のドアを開けた客の目の前には、息一つ乱さずに立っている俺の姿があった。

 

『お待たせしました。トンカツ弁当一人前です』

 

『えっ!? う、嘘でしょ!?トンカツが揚げたてでグツグツいってるんだけど!? ていうかお店からここまで車で三十分はかかる距離だよ!?』

 

『急ぎましたので。冷めないうちにどうぞ』

 

時速数百キロで砂漠を疾走しながらも、手首の角度を完全に水平に保ち続けたため、スープの一滴すらこぼれていない。

 

「頼んだ瞬間に届く伝説の出前迅速マン」としてネットで大バズりし、店主から通常の時給に加えて莫大な特別ボーナスを叩き出された。

 

バイトその2:重機不要のビル解体作業

 

次に目をつけたのは、自治区の外れにある再開発地区のビル解体現場だった。

 

日雇いの現場監督に「力仕事なら任せてください」と頼み込み、ヘルメットを渡されて現場に入ったのだが――

 

『おい新人! あの三階建ての崩れかけた雑居ビル、大型の油圧ショベルが到着するまで手をつけるなよ! 危ねえからな!』

 

『大丈夫です。もう片付けますから』

 

『は?』

 

監督が振り返った瞬間、俺は建物の太い鉄骨の柱に手を添え――軽く力を込めて引き抜いた。

 

『よっ』

 

支柱を失ったビルが、見事なまでに垂直に崩落。

さらに俺は、落ちてきた数トンの巨大コンクリートの瓦礫を両手でキャッチすると、軽々と肩に担ぎ上げ、廃材置き場へとフットワーク軽くダッシュして放り投げた。

 

『お、おい……嘘だろ……?』

 

『あと監督、ついでにあっちの重機、キャタピラが砂にハマって動かなくなってたんで運んどきました』

 

『ショベルカーを抱っこして歩いてんじゃねえよ!!』

 

大型重機を赤子のように両腕で抱えて運んできた俺を見て、現場の作業員たちは全員腰を抜かした。

 

工期が一ヶ月かかるはずだった解体工事は、俺が一人で半日走り回っただけで、跡形もなく綺麗な更地になって終了した。

 

青ざめた監督から「頼むからこれを受け取って早く帰ってくれ!」と、封筒がはち切れるほどの危険手当込みの日当を手渡されたのだった。

 

 

 

 

 

そうして俺たちは、放課後や休日のたびにゲヘナ、トリニティ、ミレニアム、山海経に百鬼夜行。といった名門校の自治区へ遠征を繰り返した。

 

指名手配犯や暴徒の群れを片っ端からぶちのめし、賞金を根こそぎかっさらっていった結果――キヴォトスの裏社会であるブラックマーケットや掲示板で、俺たちアビドス生徒会についた総称が、

 

 

 

『アビドスのやべー奴ら』

 

 

 

という、情緒もへったくれもないド直球な二つ名だった。

 

しかもタチの悪いことに、三人それぞれにまで個別のあだ名がしっかりと定着してしまっていた。

 

砂が舞う夕暮れのアビドスの目抜き通りを、俺とユメ先輩、そしてホシノの三人で並んで歩いていた。

 

穏やかな夕風が吹き抜ける中、隣を歩くホシノは先ほどから頬をリスのようにプクッと膨らませ、見るからにプリプリとご立腹の様子だった。

 

「……納得がいきません」

 

地面の小石をカツンと蹴っ飛ばしながら、ホシノが恨めしそうに唸る。

 

「なんですか『アビドスのやべー奴ら』って!誰がやべー奴らですか!しかも私についたあだ名が『アビドスのツッコミピンク』って……雑すぎやしませんか!?」

 

「いや、由来を聞けば納得だけどな」

 

俺が横から口を挟むと、ホシノはギロリと灰色の瞳を尖らせて睨みつけてきた。

 

「どこがですか!只私が単身で敵陣のど真ん中に突っ込んでいってショットガンをぶっ放したことと、ショウやユメ先輩の奇行にツッコミを入れまくってるのを、ただ語呂合わせで合体させただけじゃないですか!ツッコミのダブルミーニングなんて誰が上手いこと言えと言いましたか!!」

 

「まあまあ、ホシノちゃん、可愛いあだ名じゃない〜」

 

両手に夕飯の買い出し袋を提げたユメ先輩が、ふんわりとした笑顔で宥めるように首を傾げた。だが、ホシノの矛先は間髪を容れずにユメ先輩へと飛ぶ。

 

「先輩!先輩こそ一番怒るべきですよ!先輩のあだ名、なんて呼ばれてるか知ってるんですか!?『アビドスデカチチミドリゴリラ』ですよ!?すっごいバカにした上に、セクハラですよ!セクハラ!」

 

「えへへ〜。でも、ゴリラさんって力持ちで優しいんだよ〜」

 

「デカチチの部分も気にしろって、言ってんでしょうが!!」

 

ホシノの絶叫ツッコミが夕暮れの砂漠に木霊した。そういう事をしているからじゃないのか?

 

もっとも、ユメ先輩のあだ名に関しては完全に自業自得という他ない。先日のトリニティ遠征の際、スケバンの連中が持ち出してきた戦車砲の直撃を巨大シールドで簡単に真正面から弾き返し、怯んだ敵の目の前で路肩に乗り捨ててあったワンボックスカーを「よいしょ〜」と素手で持ち上げ、敵陣へ砲丸投げの要領でブン投げたのだ。

 

緑髪の美少女がデカい胸を揺らしながらニコニコと、車を投擲する姿を見せつけられれば、裏社会の連中が恐怖のあまりそう呼びたくなる気持ちも分からなくはない。

 

「……で、ショウ!元を正せば一番の原因は貴方ですよ!」

 

ホシノがバッと振り返り、俺の胸元をビシッと指差した。

 

「敵の銃をチョコに変えたり、指先から雷落としたり、時速数百キロでラーメン届けたり、素手でビル解体したり!壁をすり抜けたり、おまけに頭のヘイローをピカピカさせてるせいで、ネットの掲示板でなんて呼ばれてるか知ってますか!?」

 

「さあ?」

 

「『頭のおかしいアビドスゲーミング野郎』ですよ!!」

 

これまた情緒のカケラもないド直球なネーミングだった。

 

頭上に浮かぶ七色のオーディオスペクトラムヘイローが、まるで光るゲーミングPCのパーツみたいだからという、身も蓋もない理由である。

 

「まったく……どいつもこいつもネタみたいな呼び名ばっかりつけて……!これじゃ自治区復興どころか、アビドスが他校から『砂漠の珍獣博覧会』扱いされちゃいますよ!」

 

プリプリと頭から湯気を立てて怒鳴り散らすホシノ。

 

だが、その怒りの矛先があだ名のネーミングセンスに全振りされているあたり、この一ヶ月で俺たちの無茶苦茶な荒稼ぎと日常にすっかり順応してしまっている証拠でもあった。

 

「えへへ、でもね〜」

 

ユメ先輩がお鍋用のネギが飛び出た買い物袋を揺らしながら、楽しそうに目を細めた。

 

「三人で一緒にいると、毎日すっごく賑やかで、私、今が一番楽しいよ〜」

 

「せ、先輩……もう、先輩はお人好しすぎます……」

 

先輩の眩しい笑顔を向けられると、ホシノもそれ以上は毒気を抜かれてしまうらしい。

真っ赤になった顔をそっぽに向け、「ふん」と可愛らしく鼻を鳴らして歩調を緩めた。

 

「……まあ、借金の返済ペースが跳ね上がったことだけは、認めてあげますけどね」

 

夕日に照らされた廃墟の通りに、ホシノの素直じゃない呟きと、ユメ先輩の穏やかな笑い声が重なる。

 

『アビドスのやべー奴ら』――なんて世間が俺たちをどう呼ぼうと、三人で並んで歩く帰り道は、どこまでも心地よかった。

 

「それに……他校に友達もできたしな」

 

俺が何気なく呟くと、ホシノは「友達、ですか」と目を丸くし、それから「ああ、あの子ですね」と小さく笑みをこぼした。

 

世間からは謎に恐れられ、指名手配犯たちを震え上がらせている俺たちだったが、遠征の先々で奇妙な縁が結ばれることもあったのだ。

 

たとえば――あの混沌と硝煙の街、ゲヘナ学園での一幕がそうだった。

 

それは、ユメ先輩に留守番を頼み、俺とホシノの二人でゲヘナ自治区へと遠征した時のことだ。

目的は、ゲヘナ自治区の裏路地を根城にし、周辺からみかじめ料を巻き上げていたスケバン集団のリーダー。かなりの高額賞金が懸けられていたため、俺たちは事前に電話口でゲヘナの風紀委員会へと連絡を入れ、「こちらで捕獲して引き渡す」という筋を通した上で乗り込んでいた。

 

だが、初めて足を踏み入れたゲヘナの街並みは、控えめに言って世紀末だった。

 

「ヒャッハァーッ!風紀委員なんぞ怖くねえぞォッ!」

 

「そこを動くな、風紀違反者!直ちに武装を解除しろっ!」

 

「うるせぇぇぇっ! ロケラン撃ち込めェッ!!」

 

通りを歩いているだけで、右の路地から火炎瓶が飛んできて、左のビルからはサブマシンガンの乱射音が響き渡る。

 

人通りがほとんどなく、風が吹けば砂が舞うだけの静まり返ったアビドスとは、あまりにも対照的な光景だった。

 

「……なぁ、ホシノ」

 

「何でしょう、ショウ」

 

「人がたくさんいる活気のある街ってのはいいと思ってたが……こんな四六時中そこら中でドンパチやられるのは、ちょっと勘弁だな。これなら、まだ人が少なくて静かなアビドスの方が百倍マシだ」

 

「……珍しく同意見ですね。いくらなんでも治安が悪すぎます。こんなところで暮らしていたら、神経がいくつあっても足りませんよ」

 

耳を劈く銃声の嵐に辟易しながら、俺たちは足早にその場を離れた。

 

それでもこの物騒な自治区から即座に撤退しなかったのは、風紀委員会側から「現場の詳しい情報とスケバンのアジトの場所を教えるため、広場で待機していてほしい」と頼まれていたからだ。

 

連絡をくれたのは、風紀委員会の『空崎ヒナ』という生徒だった。

 

指定された噴水広場のベンチに腰掛け、砂埃を払いながら待つこと数分。

 

「――あの、ごめんなさい」

 

人混みを縫うようにして、一人の小柄な少女がこちらへと歩み寄ってきた。

 

白くふわふわとした豊かな長い髪を風に靡かせ、頭部にはゲヘナの生徒らしい立派な漆黒の角を携えている。背丈はホシノよりもさらに頭一つ分ほど小さく、華奢で折れそうなほど頼りなげな体躯だった。

 

少女は少しおずおずとした様子で、けれど背筋をピンと伸ばし、丁寧な敬語で声をかけてきた。

 

「ごめんなさい。お待たせしてしまったかしら」

 

「貴女が、情報を?」

 

ホシノがベンチから立ち上がり、値踏みするように視線を向ける。

少女は小さく頷くと、腕に巻かれた風紀委員の腕章をそっと指先で整えた。

 

「ええ。電話でお話しした通りよ。……ゲヘナ学園一年生、風紀委員会情報部の、空崎ヒナ。貴方達がアビドス高等学校の方々ね」

 

まだ一年生ということもあってか、その立ち振る舞いにはどこか初々しさと緊張が滲んでいた。こんな華奢な少女が、あの無法地帯の風紀を取り締まる情報部に所属しているというのだから、キヴォトスの生徒というのは本当に侮れない。

 

「ああ、連絡どうもな。俺はアビドス一年、円ショウだ」

 

俺もベンチから立ち上がり、名乗りながら彼女の正面へと向き直った。

 

だが――俺と目が合った瞬間。

 

「…………っ!?」

 

ヒナの紫色の瞳が、驚愕で見開かれた。

 

まるで路地裏で巨大な肉食獣と鉢合わせしてしまった小動物のように、小柄な体をビクリと震わせ、反射的に半歩後ずさりしたのだ。

 

そして、俺の極悪極まりない目つきに圧倒された直後、彼女の視線は俺の頭上――ピコピコと七色に音量ゲージめいた明滅を繰り返すヘイローへと吸い寄せられた。

 

(あ、またか)

 

俺の目つきの悪さにビビり、頭上のゲーミング電飾ヘイローに目を奪われてフリーズする。

 

アビドスに来てからというもの、初対面の相手からは百発百中で食らっているリアクションだった。俺は特に気にする風でもなく、「まあ、いつものことだな」と慣れた調子でスルーした。

 

一方、その一連の硬直を真横で見ていたホシノはといえば――

 

「……ぷっ、あっはははは!あーはははは!!」

 

堪えきれずに吹き出し、お腹を押さえてゲラゲラと笑い始めた。

 

「ほら見なさい、ショウ!他校の風紀委員さんまでドン引きしてるじゃないですか! 初対面の女の子をその目つきで怯えさせるとか、本当にいいご身分ですねぇ!」

 

「あ、ご、ごめんなさい……っ!」

 

ホシノの笑い声で我に返ったヒナが、顔を真っ赤にして慌てて両手を振った。

 

「不快にさせてしまったかしら……! その、他意はなくて……ただ、あまりにも迫力のある顔立ちだったのと、頭上のヘイローが…その……何故か見えているから…」

 

真面目で律儀な性格なのだろう。失礼な態度を取ってしまったと本気で申し訳なさそうに、ペコペコと頭を下げるヒナ。

 

そんな彼女に対し、ホシノはケラケラと笑いながらひらひらと手を振った。

 

「あー、気にしないでいいですよ、空崎さん。ショウ目つきが凶悪なのも、頭のヘイローが奇妙なのもいつものことですから。外見はほとんど指名手配犯ですけど、中身はただの世話焼きお母さんみたいな奴なので」

 

「おいおい、誰が指名手配犯でお母さんだ。サラッと失礼な紹介をするんじゃない」

 

俺が呆れ顔でホシノの頭に軽く小突きを入れると、ホシノは「うへ、事実を言ったまでですよー」と頬を膨らませて言い返してくる。

 

「…………」

 

漫才のような調子でテンポよく言葉を交わす俺たちを、ヒナは目を丸くしてぽかんと見つめていた。

 

そして――ふっと肩の力を抜くと、小さく口元を綻ばせた。

 

「……ふふっ」

 

鈴を転がすような、柔らかな笑い声。

先ほどまで彼女の全身を覆っていた風紀委員としての強張りと警戒心は、俺たちのやり取りの前に綺麗さっぱり毒気を抜かれてしまったようだった。

 

「……仲が良いのね、お二人とも。少し、羨ましいかもしれないわ」

 

そう言って優しく微笑んだヒナの表情は、荒れ狂うゲヘナの街中路にあって、砂漠に咲く小さな花のように穏やかだった。

 

広場から場所を変え、俺たちは近くの喫茶店へと入った。

 

ゲヘナの街中にあるだけあって、外壁には無数の弾痕が刻まれ、ガラス窓にはクモの巣状のヒビを透明テープで補修した跡が痛々しく残っていたが、それでも店主のロボットは平然と営業を続けていた。この街ではこれくらいが日常茶飯事なのだろう。

 

テーブル席に着くと、ヒナは鞄から手際よくバインダーを取り出し、今回の標的であるスケバン集団の資料を広げてくれた。

構成員の数、潜伏している廃倉庫の見取り図、重火器の配備状況に至るまで、一年生の情報部員とは思えないほど緻密で完璧な情報だった。

 

「……標的の規模は、およそ三十人。全員が違法改造されたアサルトライフルとロケットランチャーで武装しているわ。いくら腕が立つと言っても……本当に二人だけで大丈夫なの?」

 

ヒナは紫色の瞳に本気で心配の色を浮かべ、小さな眉をひそめて尋ねてきた。

そんな彼女に対し、俺は運ばれてきたアイスコーヒーのストローを回しながら、あっけらかんと手を振った。

 

「大丈夫大丈夫。何とかなるさ。いざとなったら、うん……まあ、適当にな」

 

いざとなったら、また頭のヘイローでも毟って投げるかすれば何とでもなるだろうという俺の投げやりな神秘頼みの内心を察したのか――

 

向かいの席のホシノが、ジトッとした生気のない目で俺を睨みつけてきた。

 

「……何ですかその『うん』って。絶対にろくでもないこと考えてますよね、貴方」

 

「人聞きの悪い。平和的解決の手段を模索してるだけだ」

 

「貴方の平和的解決って、大抵物理法則が死に絶えるじゃないですか」

 

俺たちのやり取りを見ていたヒナは、少し逡巡するように指先を弄んだあと、意を決したように身を乗り出してきた。

 

「……私も、現場へ同行して手伝う? 情報部の管轄外ではあるけれど、相手は重火器を持った集団よ。アビドスの方たちだけに危険を背負わせるわけには――」

 

「いや、いい」

 

俺は即座に、だが柔らかく言葉を遮った。

ホシノもまた、小さく首を横に振る。

 

初対面の時から気づいていた。

白いふわふわの髪に隠れがちだが、彼女の涼やかな目元には、うっすらと濃い疲労のクマが張り付いていた。

 

華奢な肩には、一年生の少女が背負うにはあまりにも不釣り合いな重圧と疲労がのしかかっている。これ以上、彼女に余計な現場仕事まで押し付けるわけにはいかなかった。

 

「せっかくここまで完璧な情報を揃えてもらったんだ。これ以上、仕事を超えて付き合わせたら俺たちのメンツが立たないよ。空崎さんはここでゆっくりお茶でも飲んで、休んでてくれ」

 

「そうですよ。おじさん達に任せて、若い子は大人しく待っててくださいな」

 

「おじさん……?」

 

場を和ませるためのホシノが発した謎の自称にヒナが小首を傾げている隙に、俺たちは伝票をサッと取って席を立った。

 

それから数十分後。

 

指定された廃倉庫での戦闘は、控えめに言って「呆気ない」の一言で幕を閉じた。

 

ホシノがショットガン片手に正面ゲートを蹴破って先陣を切り、瞬く間に十数人のスケバンを壁に叩き伏せる。

続いて奥からロケランを構えて飛び出してきた残りの連中に対し、俺が「危ないから大人しくしてくれないかな」と手をかざして念じた瞬間――またしても俺の理不尽な神秘が変な誤作動を起こした。

 

『ぎゃああああっ!? な、何これぇぇぇぇっ!?』

 

『髪の毛が! あたしの自慢のツインテールが勝手に伸びてぇぇっ!!』

 

敵のスケバンたちの髪の毛が突如として数メートル単位で爆発的に伸長。

 

まるで意志を持った触手のように自身の体へとグルグル巻きに巻きつき、三十人近い不良少女たち全員が自分自身の髪の毛で完璧に簀巻きにされた生春巻きのような姿になって床にごろごろと転がったのだ。

 

「あ、どうも。捕縛済みなんでそのまま連れてってくれ」

 

「あ、ああ」

 

「おい、なんで髪の毛でグルグル巻なんだ?」

 

「知るかよ!」

 

駆けつけたゲヘナ風紀委員会の部隊へ、床に転がる人型ミノムシの群れを引き渡すと、対応した委員たち全員がドン引きしていたが、約束通り高額な賞金がぎっしり詰まったジュラルミンケースが無事に手渡された。

 

「――円さん、小鳥遊さん!」

 

自治区の境界線へ向かう帰り道、息を切らせたヒナが小走りで駆け寄ってきた。

 

「二人とも、怪我はないかしら……! 風紀委員の部隊から報告を聞いたわ。あの厄介だったスケバン集団を、本当に二人だけで無力化してしまうなんて……」

 

ヒナはホッとしたように胸を撫で下ろし、深々と頭を下げてきた。

 

「本当にありがとう。あの集団には現場の部隊もずっと手を焼いていて、治安維持の負担になっていたの。これで……少しは、現場の負担も楽になると思うわ」

 

その安堵の言葉を聞いた瞬間、ホシノがふと足を止め、探るようにヒナの顔を見つめた。

 

「……空崎さん。もしかしてですけど、貴女がほとんど一人でこの自治区の不良たちを片付けてるんですか?」

 

ホシノの鋭い問いかけに、ヒナはわずかに言葉を詰まらせた。

 

一年生で、肩書きは情報部。本来なら現場に出て矢面に立つような立場ではないはずだ。それなのに、彼女の口ぶりや全身から滲み出る疲労感は、まるで自治区全体の治安を一人で背負い込んでいるかのようだった。

 

ヒナは視線を少しだけ足元へと落とし、寂しげな、切ない光を帯びた瞳でぽつりと零した。

 

「……めんどくさいのは、嫌いよ。できることなら、部屋で静かに本でも読んでいたい。でも……みんなが頼ってくるし、私しか動けない時もあるから。それに……私が自分でやったほうが、ずっと早くて確実だから」

 

その横顔を見て、俺は彼女の痛々しい本質を悟った。

 

責任感が人一倍強く、そしてなまじ誰よりも圧倒的な実力と才能を持ってしまっているがゆえに――「自分ができるのだから、自分がやらなければならない」という、いびつで孤独な『ノブリス・オブリージュ(強者の義務)』に囚われているのだ。

 

周囲の期待と無能さに押し潰されそうになりながら、それでも投げ出すことができずに、華奢な体で全てを抱え込んでいる。

 

放っておけば、いつかポッキリと心が折れてしまいそうだった。

 

「……空崎さん」

 

「え?」

 

顔を上げたヒナの頭上へ、俺はそっと視線を落とし、穏やかに言った。

 

「あんまり、無理すんなよ。一人で全部背負い込んでたら、いつか壊れちまうぞ」

 

俺のまっすぐな言葉に、ヒナは驚いたように紫の瞳を丸くした。

 

普段、頼られることはあっても、実力故に心配して気遣われることなどほとんどないのだろう。胸を突かれたように固まるヒナを見て、俺は「そうだ」とばかりにポンと手を叩いた。

 

「よし、いいこと思いついた」

 

その瞬間、隣にいたホシノの全身の毛が逆立った。

 

「……え、ちょっとショウ? 何ですかその『いいこと思いついた』って顔は。嫌な予感しかしないんですけど」

 

ホシノの制止も聞かず、俺はすっと右手を頭上へと伸ばした。

 

そして、七色に明滅するオーディオスペクトラムヘイローの端っこを親指と人差し指でつまむとーーー

 

「これくらいでいいかな」

 

小気味よい音を立てて、ヘイローの一部を躊躇なくへし折った。

 

「――っっひゃぁぁぁっ!?」

 

目の前で起きた猟奇的(?)な光景に、ヒナはまるで尻尾を踏まれた子猫のように「ビクゥッ!」と体を跳ね上げ、短い悲鳴を上げて飛び退いたのだった。

 

「ぎゃああああああっっ!?」

 

「な、何を折ったの!? 頭から何か毟り取ったわよあの人!?」

 

「ひぃぃっ! ヘイローを……ヘイローをもぎ取ったぁぁぁっ!?」

 

遠巻きに興味津々でこちらを眺めていたゲヘナ風紀委員の部隊だけでなく、髪の毛でミノムシ状態にされて連行されかけていたスケバンたちまでもが、白目を剥いてパニックの悲鳴を上げた。

 

無理もない。キヴォトスの常識において、ヘイローとは不可視で触れることなど到底叶わない神秘の概念であり、生徒たちにとっては自身の命や魂の象徴そのものなのだ。それを目の前で駄菓子でも折るかのように素手で毟り取るなど、彼女たちからすれば人体のパーツを引きちぎるスプラッターホラー以上の超常現象であり、非常識の極みだった。

 

だが、そんな周囲の阿鼻叫喚をよそに、俺は手元に残ったパーツを指先で整えた。

 

手のひらに載せたのは、ほんのりと淡く青い光を放つ、指ほどの太さの綺麗な円柱状のヘイローの破片だ。まるで小型のネオン管か、アロマキャンドルめいた優しい輝きを放っている。

 

俺はそれを、両手を胸元でぎゅっと握りしめて硬直しているヒナの前へと、すっと差し出した。

 

「ほら、やるよ」

 

「え……あ、あの……これ、は……?」

 

「前に外の世界で試して分かったんだがな。この青い光のやつ、枕元に置いておくとめちゃくちゃ寝つきが良くなって、翌朝の疲労がごっそり取れるんだ。孤児院で夜泣きしてぐずってたチビどもに握らせたら、一発で朝まで爆睡したから効果は保証する。クマも酷いし、ちゃんと寝て疲れを取れよ」

 

押し付けられたヒナは、恐怖と困惑と良識の板挟みになり、頬を引きつらせたぎこちない笑顔のまま、震える両手でおずおずと青い円柱を受け取った。

 

手元の淡い青い光を見つめ、それから俺の頭上を見上げ、欠けた部分が何事もなかったかのようにニュッと再生したヘイローを見て、また手元に視線を落とし――彼女の紫色の瞳は、完全に許容量を超えてグルグルと行ったり来たりを繰り返していた。

 

そして――。

奇妙な沈黙が落ちて、わずか数秒後。

 

「――おわっ!?」

 

乾いた鈍い轟音と共に、俺の背中に凄まじい衝撃がめり込んだ。

 

振り返ると、そこにはショットガンの銃床を両手でフルスイングし、鬼のような形相で肩で息をしているホシノが仁王立ちしていた。

 

「ショウ!!貴方はッ!どこまで他校の生徒にトラウマを植え付ければ気が済むんですか!!」

 

ゲヘナの黄昏に響き渡る、ツッコミピンクの渾身の一撃と怒号。

 

あまりの勢いに、手元の青いヘイローを抱きしめたヒナは「ふぇ……?」と間抜けな声を漏らし、ただただ呆然とその光景を見つめるしかなかった。

 

 

 

 

 

そのゲヘナ遠征から数日後のことだ。

 

昼休みの生徒会室で、俺の手元の端末が控えめな電子音を鳴らした。

 

画面を開くと、あの日連絡先を交換したモモトークに、空崎ヒナからのメッセージが届いていた。

 

『……複雑な気分だったけれど、驚くほどぐっすり眠れたわ。あの青い光を枕元に置いたら、嘘みたいに一度も目を覚まさずに朝を迎えられたの。何ヶ月ぶりかに、体がすごく軽い』

 

画面越しにも、彼女の真面目さと、困惑しながらも心から安堵している様子が伝わってくるようだった。

 

だが、メッセージはそれで終わっていなかった。

 

『でも、次はもう絶対に自分のヘイローをもぎ取ったりしないで。本当に心臓に悪いから』

 

文末に添えられた小さく怒ったようなスタンプを見て、俺は思わず口元を緩めながら「効いてよかったな」と短く返信を打った。

 

そして――睡眠不足と蓄積疲労から完全に解放され、フルスペックの体調を取り戻してしまったゲヘナの天才少女がどうなったかというと。

 

『号外! 風紀委員会情報部の空崎ヒナ、単身でゲヘナ北部の暴徒連合を瞬く間に鎮圧!』

 

『「体が軽いから」と現場へ急行した彼女の圧倒的掃討戦により、自治区内の不法デモおよび銃撃戦が過去最低件数を記録!』

 

『ゲヘナに突如として訪れた前代未聞の「奇跡の平穏」――その裏に何が!?』

 

後日、他校のニュースネットワークでそんな見出しが躍り出たのを、ホシノが死んだ目で眺めていた。

 

「……ショウ。貴方、とんでもない怪物を万全の状態で世に解き放ちましたね?」

 

「人助けをしただけだろ。治安が良くなったなら万々歳じゃないか」

 

「良くなりすぎてゲヘナの連中が全員大人しく部屋に引きこもっちゃったせいで、ゲヘナ方面の賞金首の依頼が全滅したんですけど!?これでは稼げないじゃないですか!」

 

「えへへ〜、ヒナちゃんが元気になったなら何よりだよ〜」

 

ホシノの嘆きと、ユメ先輩ののんびりした笑顔が、今日も生徒会室に響き渡る。

 

黒服から毟り取った資金と、日々のバイトや賞金稼ぎによって、アビドスを縛り付けていた絶望的な借金は確実に、そしてかつてない猛スピードで減り始めていた。

 

巨大企業カイザーコーポレーションが仕掛けてきた悪意の泥沼から抜け出し、自治区の土地を取り戻すための道筋は、もうはっきりと見えている。

 

 

 

『アビドスのやべー奴ら』の快進撃は、まだ始まったばかりだった。

 

 

 

 

 




しばらくの間、超元気ツヤツヤシロモップがゲヘナをお掃除したとか。
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