七 色 ヘ イ ロ ー   作:内海空洞

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誤字報告ありがとうございます。時々ランキングに載って一喜一憂しています。


8話

ガタゴトと規則正しい重低音を響かせ、列車は砂漠の境界線を越えて緑豊かなトリニティ自治区へと線路を走っていた。

 

車窓を流れる景色が砂漠から荒野へ、そして町並みに変わった後、手入れの行き届いた白亜の街並みへと移り変わっていく。

 

今回の遠征は、トリニティの近くのブラックマーケット周辺で武器の横流しを行っている武装密輸グループの捕縛――要するに、いつもの高額賞金首狩りだ。

 

向かい合わせのボックス席には、俺とホシノの二人だけ。ショットガンを足元に置いたホシノは、膝の上で揃えた指先を弄びながら、静かに外を眺めていた。

 

ふと昨晩、帰り道でユメ先輩から聞いた話を思い出し、ホシノに聞いてみた。

 

「なあ、ホシノ」

 

「……何ですか、ショウ」

 

窓の外から視線を戻したホシノが、オッドアイの瞳を瞬かせる。

 

「ユメ先輩から聞いたんだが……『アビドス砂まつり』って知ってるか?」

 

その単語が出た瞬間、ホシノの肩がわずかに強張った。

知っているどころではない。その表情には、露骨なバツの悪さと気まずさが浮かんでいた。

 

「……ええ。知っていますよ。過去に何回も行われていた、アビドスの伝統行事ですよね。ユメ先輩が、いつかもう一度やりたいと夢見ていることも」

 

そこまで言って、ホシノはすっと視線を落とし、唇を微かに噛み締めた。

いつもの軽口も、垣根のない態度でもない。ただひたすらに重く、後ろめたい沈黙が二人の間に落ちる。

 

「……何かあったのか?」

 

探るように尋ねると、ホシノは小さく息を吐き出し、ぽつりぽつりと重い口を開いた。

 

「……私は、……ユメ先輩のお祭りの話を、くだらないって思っていたんです」

 

自嘲気味に呟かれたその言葉は、どこか痛々しかった。

 

「叶うはずのない、まさに夢物語だと。借金は天文学的で、自治区は砂に呑まれて、生徒は新しく入学した私達二人しかいない。今日を生き延びるのすらギリギリなのに、お祭りだなんて呑気なことを言っている場合じゃないでしょう、って」

 

膝の上で握りしめられたホシノの拳に、ぎゅっと力が込められる。

 

「そんなお花畑みたいな夢を見て現実逃避する暇があるなら、もっと現実を見て、真剣にアビドスの借金や復興に向き合ってほしい……ずっと、そう思っていました。先輩のあのふわふわした態度に、心のどこかでずっと苛立っていたんです」

 

吐露された本音を、静かに受け止めていた。

複雑な感情が胸の奥を巡る。

どちらの言い分も、痛いほど分かってしまったからだ。

 

絶望的な現実の中で、胸の奥の灯火を消さないために『祭りの思い出』という美しい希望に縋らざるを得なかったユメの弱さと優しさ。

 

そして、今にも沈みそうな泥舟の上で必死にオールを漕ぎ続け、現実的な危機感から先輩の呑気さに焦燥感を募らせていたホシノの正論。

 

どちらが間違っているわけでもない。アビドスを愛し、追い詰められていたからこそ生じた、あまりにも切ないすれ違いだった。

 

だが――ホシノはふっと拳の力を抜くと、顔を上げた。

 

「……だけど。それも、ショウが来てから変わりました」

 

「俺?」

 

「ええ」

 

ホシノは少し気恥ずかしそうに視線を泳がせながらも、まっすぐに言葉を紡ぐ。

 

「貴方がふらりと現れて、デタラメな力で大金を稼いできて、カイザーの悪巧みを暴いて……今まで霧の中にいた私達の前に、明確な解決の目標を引っ張り出してくれた」

 

俺はただ、手元のヘイローを爪切り感覚で折ったり、バイトで普通に働いたり、ホシノ達とやりたいように暴れていただけのつもりだった。だが、先が見えずに息を詰まらせていたホシノにとって、俺の行動は、暗闇を切り裂く光のように見えていたのか。

 

「借金も返せるかもしれない。カイザーから土地を取り戻せるかもしれない。……現実が少しずつ動き始めたからこそ、私も……あの夢物語を、ただの逃避じゃないって思えるようになったんです」

 

ホシノは耳の先をほんのりと赤く染め、照れ隠しのようにそっぽを向きながら、けれど消え入りそうなほど柔らかな声で言った。

 

「ユメ先輩の言うお祭りの可能性に……私も、もうちょっとだけ、かけてみたくなったんです。……ありがとうございます、ショウ。貴方がアビドスに来てくれて、本当によかった」

 

普段の生意気で口うるさいツッコミ役からは想像もつかない、素直で、不器用な感謝の言葉。

列車の心地よい揺れの中、照れくさそうに窓の外を睨みつける後輩の横顔を見て、俺は小さく息を漏らし、口元を緩めたのだった。

 

「……頑張ろうな、ホシノ」

 

照れ隠しに窓の外を睨みつけていたホシノの頭に、ポンと軽く手を乗せ、口元を綻ばせた。

 

「っ……な、急に頭に触らないでください!子ども扱いしないでって言ってるでしょう!」

 

ホシノはバッと頭を引いて抗議の声を上げたが、その耳たぶは先ほどよりもさらに赤みを増していた。プイとそっぽを向いたものの、それ以上はいつものような手酷いツッコミが飛んでこないあたり、彼女なりの照れ隠しなのだろう。

 

やがて列車は減速し、白亜のアーチが連なる豪奢なプラットホームへと滑り込んだ。ドアが開き、トリニティ自治区の駅へと降り立つ。

手入れの行き届いた大理石の床、高く澄んだステンドグラスの天井、そしてクラシック音楽の流れる清澄な空気。砂埃にまみれたアビドスとはまるで別世界の、上品で洗練された空間が広がっていた。

 

だが――そこに一歩足を踏み入れた瞬間、場の空気は一変した。

 

すれ違うトリニティの生徒たちが足を止め、口元を隠しながら、上品ぶった皮肉交じりの陰口をヒソヒソと囁き交わし始めたのだ。

 

「……あら、奇妙ですわね。あの方、キヴォトスでは滅多に見かけない『男子生徒』ではなくて?」

 

「ええ、しかもあの頭上のヘイローをご覧になって? 誰の目にもハッキリ見えてしまうなんてはしたないですし、まるで安物の電飾看板のように七色で下品にチカチカと……悪趣味極まりますわ」

 

「胸元の校章は……アビドス?ふふ、砂漠の廃校には、あのような異様な珍客がお似合いということかしら」

 

ウィットを気取った慇懃無礼な嘲笑。

キヴォトスでは極めて珍しい男であること、目に見える上にピコピコと発光する異様なヘイロー、そして落ちぶれたアビドスの生徒であること――俺のすべてを上から目線で値踏みし、小馬鹿にする視線が雨あられのように突き刺さる。

 

その瞬間、隣を歩いていたホシノの空気がガラリと変わった。

 

「…………ちっ」

 

ホシノの足がピタリと止まり、そのオッドアイの瞳の奥に冷え切った殺気が宿る。

手元のショットガンを握る指先がギリッと軋み、今にも銃身を引き抜いてお嬢様たちの顔面に突きつけんばかりの勢いでキレかけていた。

 

「……相変わらずですね、トリニティは。表向きはお淑やかな淑女を気取りながら、裏では他校の生徒――それもショウのことを、あることないこと品定めしてバカにするんですか。紅茶の匂いに混ざったヘドロの臭いで吐き気がしますよ。……ちょっと一発、分からせてやりましょうか」

 

「おいおい、やめろやめろ。気にすんなって」

 

慌ててホシノの肩を掴んで押しとどめ、苦笑交じりに首を横に振った。

外の世界にいた頃から、目つきのせいで道行く人に避けられたり、あらぬ疑いをかけられたりするのは日常茶飯事だったのだ。上っ面だけで判断するトリニティの連中に何を言われようと、別に慣れっこで痛くも痒くもなかった。

 

だが、自分以上に怒りを露わにして敵意を剥き出しにするホシノの姿に、内心で「こいつ、やっぱり仲間想いなんだなぁ」と少しばかり温かいものを感じていた。

 

取り敢えず俺達が目指すのは、トリニティの治安維持を一手に担う武力組織――『正義実現委員会』の本部だった。

 

本来なら、他校の自治区で賞金首を狩るにあたって、事前にトップの組織へ筋を通しておくのが筋だ。

 

出発前、生徒会室でユメ先輩がトリニティの最高機関『ティーパーティー』へ電話をかけた時の光景は、今思い出しても酷いものだった。

 

 

 

 

 

黒電話の受話器を両手で大事そうに握りしめ、ユメ先輩は緊張で背筋をピンと伸ばしながらダイヤルを回していた。

 

『――はい、こちらトリニティ総合学園生徒会、ティーパーティー事務局でございます』

 

「あ、あの!私、アビドス高等学校生徒会長の、梔子ユメと申します〜!実はですね、近々そちらの自治区にお邪魔させていただく件で、事前に筋を通しておこうと思いまして……」

 

『アビドス……?ああ、あの砂漠の……。それで、どのようなご用件ですの?』

 

「はいっ、ブラックマーケット周辺に出没している武装密輸グループの件でして! アビドスの生徒がそちらの管轄内で賞金首の捕縛を行う許可というか、情報の共有を――」

 

ユメ先輩が一生懸命に説明している最中、受話器の向こうから「はぁ……」と、これ見よがしに深いため息が聞こえた。

 

『あら、そのような泥臭い野蛮な治安問題、我がティーパーティーの預かり知るところではございませんわ』

 

「えっ……?」

 

『現場の荒事はすべて正義実現委員会に一任しておりますので、そちらへ直接お話しなさいな。それでは、お茶が冷めますので失礼いたします。ごきげんよう』

 

「あ、あれぇ……?もしもし?……ひぃん……切られちゃった……」

 

通話が一方的に切断され、ユメ先輩は受話器を耳に当てたまま、目をパチクリとさせて引きつった笑顔で固まっていた。

 

完全に門前払いである。

 

その直後――受話器の真横で聞き耳を立てていたホシノから、何かをガチャガチャと触る音と共に、ゴオッと黒いオーラが立ち上った。

 

「……おいホシノ、今なんの音させた?何のレバー引いた?」

 

「ショットガンの安全装置を解除した音ですよ、ショウ」

 

ホシノは完全にハイライトの消えた瞳で、冷気すら漂うような極悪な笑みを浮かべていた。

 

「あのお茶会気取りの特権階級ども……。礼儀を尽くして事前に連絡を入れたユメ先輩に対して、泥臭いだの野蛮だのと言い放った挙句、ガチャ切りですか。完全にアビドスを舐めてますね」

 

「落ち着け!銃身を磨き直すな、目が本気だぞ!?」

 

「ショウ、予定変更です。密輸グループを狩る前に、まずはあのお上品なティーパーティーの本部にカチコミをかけましょう。砂糖に支配されたあいつらの紅茶頭に火薬をぶちまけて、本当の『野蛮』が何たるかをその身に教えてやる必要があります」

 

「やめろって!全面戦争を起こしにいくんじゃないんだから!」

 

本気でトリニティの首脳陣を血祭りにあげようとするホシノの襟首を、俺は慌てて引っ張って制止した。こいつ、ユメ先輩が好きすぎるから、こういう時だけ暴走するんだよ!

 

その横で、ユメ先輩はショックを隠しきれない様子で、へにゃりと眉を下げていた。

 

「ひ、ひぃん……。門前払いされちゃったよぅ……。やっぱり、今のアビドスなんかの生徒会長じゃ、相手にもしてもらえないのかなぁ……」

 

「先輩、落ち込む必要なんてこれっぽっちもないっすよ。相手の対応がクソすぎただけですから」

 

俺はユメ先輩から受話器を受け取り、フックに戻しながら心底呆れ果てて肩をすくめた。

 

「俺、昔とある用件で電話対応のバイト先に電話をかけたことがあるんすけどね。あっちの窓口のオペレーターの方がまだ百倍まともに取り合ってくれましたよ。『担当の部署へお繋ぎします』の一言も言えないでガチャ切りとか、外の世界なら初日でクビが飛ぶレベルの無礼ですからね」

 

「そうですよユメ先輩!ショウの言う通りです!あいつらに礼儀を弁える知性がないだけです!やっぱり一発ドカンと――」

 

「だからお前は銃をしまえっての!」

 

そんなドタバタ劇の末、結局ユメ先輩が「正義実現委員会さんの方に直接行ってみようね」とホシノを宥めすかし、俺たちはトリニティへと向かうことになったのだった。

 

 

 

 

 

生徒会室でのあの凄まじいガチャ切り騒動を思い出し、俺は小さく頭を振って脳裏の雑念を追い払った。

 

思い出せば思い出すほど、あのお茶会連中の慇懃無礼な態度には腹が立つが、今はアビドスの土地と資金のために、賞金首の件を片付けるのが先決だ。

 

「おい、ホシノ。見えてきたぞ。あれじゃねえか?」

 

「……ええ。あれが正義実現委員会の本部ですね」

 

ホシノが顎で示した先には、トリニティらしい白を基調としながらも、他の学舎より一段と堅牢で威圧感を放つゴシック様式の建物がそびえ立っていた。

周囲を見張る委員たちも、先ほどすれ違った一般の生徒たちとはまるで違い、黒がメインの制服を身に纏い、腰の銃に手を添えて鋭い視線を巡らせている。良くも悪くも、ここがトリニティの『刃』を担う場所なのだと肌で伝わってきた。

 

俺たちが玄関口の階段へ近づいていった、その時だった。

 

重厚なエントランスの扉が開き、建物の中から二人の女生徒が並んで歩み出てきた。

 

片方は、俺よりかは少し低いものの、平均的な女子生徒からすれば頭一つ分ほど背が高く、豊満という言葉すら生ぬるいほどグラマラスな体型の生徒だ。大きな羽を伴い、艶やかな黒髪を長く伸ばし、涼しげな美貌を漂わせている。

 

もう一人は、少し猫背気味で異様な鋭い眼光を放っているが、所々制服が擦り切れており、その出で立ちには歴戦の雰囲気が見え、隣の生徒に引けを取らないプロポーションを誇る生徒。

 

二人とも、黒いロングスカートを基調とした正義実現委員会の制服を身に纏い、腰と背中には銃火器を携えている。一目で幹部クラス、あるいはそれに準ずる手練れだと分かる圧があった。

 

だが――そんな物々しい雰囲気に反して、二人の口から漏れ出た会話は、あまりにも気の抜けるものだった。

 

「ハスミ。お前の言い分は分かるが、見回りの時は控えたほうがいい。先輩からも声が上がっている」

 

「わ、分かっていますよそれくらいは! ……でも、しょうがないじゃないですかツルギ、あんないい香りをしたクレープの店が、丁度見回りのルートにあるのがいけないと思うのですよ! ええ!」

 

「……はぁー……」

 

猫背の少女――ツルギと呼ばれた方が、心底疲れたように深い、深いため息を吐き出していた。

どうやら、背の高いハスミという方のパトロール中の買い食いを、ツルギと呼ばれた方が指摘し、完全に図星を突かれて必死に見苦しい言い訳を並べ立てているらしい。

 

(……ゲヘナの風紀委員会も過労死寸前で大変そうだったが、こっちはこっちで別の意味で苦労してそうだな)

 

張り詰めていた空気が一気に脱力系へと傾くのを感じつつ、俺とホシノは顔を見合わせた。

 

何はともあれ、制服からして正義実現委員会のメンバーであることは間違いない。あのお上品なティーパーティーにたらい回しにされた以上、現場の責任者らしきこの二人に直接話を通すのが一番手っ取り早いだろう。

 

俺はいつもの癖でスッと前に出ると、言い争い(?)の最中だった二人へ向けて、気安く声をかけたのだった。

 

「すみません、ちょっといいですか」

 

俺が声をかけると、二人はピタリと言い争いを止め、同時にこちらへと視線を向けた。

 

「ん……? 何者だ……?」

 

「あら、見慣れない制服ですね。それに……」

 

二人の視線が、まず俺の顔面、次いで頭上で七色に明滅するヘイロー、そして全体の体躯へと注がれる。

 

ホシノの姿にも一瞬視線が留まったが、やはりインパクトが強烈すぎるのは俺の方だったらしい。キヴォトスでは極めて珍しい男子生徒であること。ホシノ曰く、指名手配犯も裸足で逃げ出すような極悪な目つき、そして物理的に発光する謎のヘイロー。すれ違う生徒なら悲鳴を上げて逃げ出す三連撃だ。

 

だが、ハスミの方は俺の強面を見ても眉一つ動かさず、至って冷静だった。後に聞いた話だが、普段から奇声を上げて暴れ回る隣の相棒を見慣れている彼女からすれば、俺の人相など物の数ではなかったらしい。

 

むしろ――おかしなことになっていたのは、その隣だった。

 

「……ふぇ……? あ…………ぅ……?」

 

俺と目が合った瞬間、猫背だったツルギがビクゥッと肩を跳ね上げて直立不動になったのだ。

鋭かった眼光は激しく泳ぎ、顔面はみるみるうちに沸騰したヤカンのように真っ赤に染まっていく。喉からヒューヒューと変な音を漏らし、両手をどう動かせばいいのか分からなくなったロボットのようにカチコチに固まっていた。

 

(……なんだ? 新手の威嚇か……?)

 

同年代の男子から声をかけられ、乙女のキャパシティが完全にオーバーヒートを起こしただけなのだが、当時の俺にそんな事情が察せるはずもない。

 

そんなツルギの盛大なバグりっぷりを、ハスミは手慣れた様子で綺麗にスルーし、俺たちへと向き直った。

 

「……失礼。私は正義実現委員会一年、羽川ハスミです。そちらは同じく一年の剣先ツルギ。トリニティ生徒では無いようですが、委員会に何かご用でしょうか」

 

「どうも。アビドス高校学校一年、円ショウです。こっちは同じく一年の小鳥遊ホシノ」

 

俺が名乗ると、ホシノも「こんにちは」と軽く会釈した。

 

そして俺は、ここへ至るまでの経緯――ブラックマーケット周辺の武装密輸グループを捕縛しにきたこと、事前にティーパーティーへ筋を通そうとしたら「野蛮な荒事は正義実現委員会に丸投げ」と言われてガチャ切りされたことなどを、包み隠さずありのままに説明した。

 

話を聞き終えたハスミは、額に手を当てて「はぁ……」と深く、頭痛に耐えるようなため息を漏らした。

 

「……またティーパーティーの方々は、現場に丸投げを……。ご足労をおかけして申し訳ありませんでしたね。わざわざ他校から正規の手続きを踏もうと訪ねてくださったのですから、無下にはできません。どうぞ、中へお入りください」

 

門前払いを食らわせたお茶会連中とは大違いの、話の分かる対応だった。

 

ツルギが「あ、う、あ……」とぎくしゃくした動きでハスミの後ろをついていくのを見ながら、俺とホシノは促されるままに建物の応接室へと案内された。

 

通された部屋のソファに腰掛けると、ハスミが手際よく紅茶を淹れて運んでくれた。

上品な香りが漂う中、俺は「あ、そうだ」と足元に置いていた手提げ袋をテーブルの上へと持ち上げた。

 

「羽川さん、これ。大したもんじゃないですけど、アビドスからの手土産です」

 

「あら、お気遣い痛み入ります。それとハスミで結構です。同い年ですし、敬語もしなくてもいいんですよ」

 

取り出したのは二つの菓子折りだ。

 

「じゃあ、俺もショウと呼んでください。一つは、うちの伝統的な名物の『砂金煎餅』。素朴な塩味で茶請けにはぴったりっすよ。で、もう一つは……これからのアビドスの復興に向けて、俺が新しく試作した『砂団子』です。よかったらこっちも」

 

「……砂団子、ですか?」

 

ハスミが興味深そうに小首を傾げる。

 

「ええ。砂漠の砂に見立てて、深煎りした香ばしい特製のきな粉をこれでもかってくらい山盛りにまぶしたお団子です。中はモチモチの白玉で、きな粉の香りと優しい甘さが広がる自信作っす」

 

俺が箱の蓋をパカリと開けた瞬間――。

 

「――っ!」

 

ハスミの瞳が、カッと見開かれた。

立ち上る炒り大豆の香ばしい匂いと、箱いっぱいに敷き詰められた黄金色のきな粉。

先ほどまでの理知的で落ち着いた委員の仮面が一瞬で剥がれ落ち、彼女の口元がフルフルと歓喜に震えだす。

 

「ま……まあ……!なんて芳醇で香ばしい香り……!きな粉の粒子も細かく均一で、お団子も艶やかで……す、素晴らしいですショウさん!大変ありがたく頂戴いたしますね……!」

 

ハスミは両手を胸の前で合わせ、まるで聖遺物を拝むような満面の笑みで砂団子の箱を受け取った。

さっきまで「見回りの買い食いは控えて」と注意されていた人間とは思えない、完全なスイーツ至上主義者の顔だった。

 

すると――。

 

隣のソファに座っていたツルギが、カチコチの緊張状態からハッと我に返った。

そして、嬉々として団子の箱を抱え込むハスミの横顔を――

 

「………………」

 

ジトーーーーーーーーーーッ。

 

完全に光の消えた半眼で、どうしようもない奴を見るかのように無言で睨みつけ始めたのだ。

 

『さっき……クレープを……見回り中に控えるべきだと……言ったのは……どこのどなただ……?』

 

言葉には出さないものの、全身から立ち上る怨念のような無言の圧がそう雄弁に物語っていた。

 

「ツ、ツルギ……?な、何でしょうその目は……。これは他校からの正式なご挨拶の品を、礼儀として受け取っただけでして……決して私が今すぐ一人で食べ尽くそうなどと画策しているわけでは……!」

 

必死に目を泳がせながら言い訳を重ねるハスミと、無言のまま怨霊のようにジト目を向け続けるツルギ。

 

俺とホシノは、淹れたての紅茶を啜りながら、そのシュールな光景をただただ生暖かい目で見守る。

 

ツルギからの無言のジト目に耐えかねたのか、ハスミはわざとらしく咳払いをし、名残惜しそうに砂団子の箱をサイドボードの棚へと仕舞った。

 

鍵までかける徹底ぶりを見るに、後で一人でじっくり味わう気満々である。

 

「……失礼いたしました。お気遣い感謝します、ショウさん。では、本題に入りましょうか」

 

ハスミが表情を引き締め、ピンと背筋を伸ばす。

俺もふざけた空気から切り替え、手元の紅茶を一口飲み干してから口を開いた。

 

「事の発端は、アビドスで別の賞金首を捕まえた時。そいつの持ち物や通信履歴を洗ったら、ある武装グループ……いや、裏社会のマフィアの連中が、ブラックマーケットから大量の重火器を横流ししている事実が浮き彫りになりまして」

 

「ブラックマーケットから……それをどこへ?」

 

「トリニティの自治区を経由して、自治区外のヘルメット団やスケバンといった不良共へ流していた形跡があった。どうやらそのマフィア共、最近裏社会で急速に幅を利かせ始めている別の対立組織を潰すため、鉄砲玉として不良たちを雇い、大規模な抗争を仕掛ける準備をしていたらしい」

 

そこまで話すと、隣のホシノが静かに補足を挟んだ。

 

「ですが、その武器の受け取り役だったヘルメット団の部隊を、私達が偶然にも壊滅させてしまいました。結果として、奴らの計画の歯車が大きく狂ったわけです」

 

「そういうことで」

 

俺は頷き、話を続けた。

 

「前線へ流すはずの弾薬や人員のルート一部が急に潰されたとなれば、密輸グループ側もこちらの動きに感づくはず。もし、抗争に向けた準備が失敗と判断してしまい、各学園の包囲網を警戒して拠点を畳んで別の自治区やブラックマーケットへ逃げられたら、完全に足取りを失っちまう。だから、奴らが動く前にこっちから頭を押さえにきたってわけです」

 

話を聞き終えたハスミは、端正な顔立ちを怒りで青ざめさせていた。

手元のソーサーがカタカタと微かに鳴るほど、拳を強く握りしめている。

 

「……神聖なるトリニティの地を、よりにもよって兵器の密輸ルートに利用したばかりか、暴力の温床にしていたなどと……!言語道断です。我が正義実現委員会に対する明確な侮辱と背信行為、決して見過ごすわけにはいきません……!」

 

ハスミの瞳に宿る烈火のような憤怒。

だが――その怒りに同調して暴れ出すかと思われた、隣のツルギは違っていた。

 

「…………」

 

ツルギはいつの間にか、猫背のまま深く腰を沈めていた。

さっきまで男子である俺にドギマギし、顔を真っ赤にして挙動不審を極めていたウブな姿は跡形もなく消え失せている。

前髪の隙間から覗く双眸は、底なしの暗闇のように冷徹で、静まり返っていた。

 

彼女が本当に優秀な現場の長であり、修羅場を幾度もくぐり抜けてきた『実力者』なのだと、その鋭利な気配だけで嫌というほど理解できた。

 

「……それで」

 

掠れた、けれど芯の通った低い声が、ツルギの喉から零れ落ちる。

 

「その連中の潜伏場所は、割れているのか……?奴らは、どこに巣食っている……」

 

ハスミの感情的な怒りとは対照的な、極めて実戦的で冷静な問いかけ。

俺は小さく口元を吊り上げ、ポケットから端末を取り出してテーブルの中央へと滑らせた。

 

「賞金首の首根っこを締め上げてしっかり吐かせたよ。奴らが潜んでいるのは、トリニティ西側の雑居ビル街――買い手がついていない放置ビルの一棟を、丸ごと一括で貸し切ってアジトにしてる」

 

画面に表示された見取り図と航空写真を指先でトントンと叩く。

 

「奴らの計画では、そこに残りの戦力と予備の火器をすべて集結させ、準備が整い次第、今夜一気に相手の本拠地へカチコミをかける手筈だ」

 

「……今夜、ですか」

 

ハスミが息を呑む。

俺は頷き、ツルギの射貫くような視線を真っ向から受け止めた。

 

「そうです。つまり、奴らが全員一箇所に揃っていて、外へ打って出る直前のタイミング――叩くなら、間違いなく『今日』の夜しかないってことになる」

 

 

 

 

 

夜の帳が下り、トリニティ西側の雑居ビル街は冷たい静けさに包まれていた。

街灯の届かない路地裏、買い手のつかない放置ビルの周辺には、正義実現委員会の部隊が息を潜めて展開していた。黒いロングスカートを翻した隊員たちが、ビルの出入口や非常階段、狙撃ポイントとなりそうな高所を完全に包囲している。

だが――包囲網を敷いたものの、現場には突入の合図は下りていなかった。

 

(……足止め、か)

 

俺は路地の物陰からビルの輪郭を見上げながら、小さく息を吐いた。

正義実現委員会の現トップである三年生の委員長から、「敵の火器と人員の規模が掴みきれない以上、無謀な正面突撃は控え、外縁を固めて慎重に待機せよ」との命令が下達されていたからだ。組織としての判断は手堅く、至極もっともなものだった。

 

しかし、その命令のせいで、周囲を取り囲む隊員たちの空気は痛いほど張り詰めていた。

 

いつビルの中から一斉射撃が飛んでくるか分からない。敵は重火器で武装したマフィアと不良の連合部隊だ。銃を構える隊員たちの指先は白くなり、冷や汗が頬を伝っているのが遠目にも分かった。

 

――だが。

 

そんな一触即発の息苦しい前線において、完全に異質な空間を作り出している一角があった。

 

「……ショウさん。先ほどのお話の続きなのですが」

 

愛用のスナイパーライフルにバイポッドを取り付け、銃身を入念に点検していたハスミが、ふと真剣な面持ちで俺に話しかけてきた。

作戦の最終確認かと思いきや、その瞳には隠しきれない熱意が宿っている。

 

「砂団子の他にも、お菓子を作られたりするのですか……?」

 

「ん?ああ、まあ一通りは作れる。パウンドケーキとかマドレーヌみたいな焼き菓子から、みたらし団子、羊羹、どら焼きあたりまでなら材料さえ揃えば大抵はいけますね。昔、孤児院のチビどもにオヤツをねだられてよく作ってたんで」

 

「ま、マドレーヌにどら焼きまで……!?あんこまでご自分で炊かれるのですか……!?」

 

ハスミはごくりと喉を鳴らし、スコープを覗く手つきを止めて目を輝かせた。

完全にスナイパーの目ではなく、獲物を狙うスイーツハンターの目である。

 

「圧力鍋があれば小豆から簡単に炊けるからな。甘さ控えめで塩をちょいと効かせると美味いんよ」

 

「素晴らしい……!あ、あの、もし今回の件が無事に片付きましたら……いつか…その、我が正義実現委員会への視察という名目で、一度アビドスのお菓子をご馳走になることは叶いませんでしょうか……!?」

 

「いいよ。材料費さえ出してくれれば、いくらでも焼いてくるけど」

 

「本当ですか……!ありがとうございます、ショウさん……!」

 

張り詰めた銃撃戦の直前とは思えない、あまりにも平和で和やかなお茶会トーク。

そして、その数歩先では――さらに凄まじい光景が繰り広げられていた。

 

「ギヒ……ギヒヒヒッ……! カチコミ……肉塊……ミンチ……キエエェェッ!!」

 

戦場が間近に迫り、充満する硝煙の予感に血が滾っているのか、ツルギが猫背を極限まで深め、顔面を凶悪に歪めて奇怪な唸り声を上げていた。常人なら腰を抜かして逃げ出すレベルの異様なバーサーカーモードである。

 

だが、その真横に立つホシノはといえば――。

 

「あー、やっぱり接近戦ならスラッグ弾よりバックショットの方が制圧力が高いですよね。一人で敵陣のど真ん中に突っ込んで撹乱するなら、面で散弾をバラ撒いて吹き飛ばすのが一番手っ取り早いですし」

 

眉一つ動かさず、至って平然とした顔でショットガンを肩に担ぎ、ツルギと会話を交わしていた。

 

「ギヒッ……! そう……肉薄してゼロ距離でブッ放す……!お前、いい目をしているな……小鳥遊ホシノ……。その身のこなし……一人で敵の群れを血祭りにあげてきた匂いがする……!」

 

「ツルギさんもいい突撃槍になりそうですね。ドアを蹴破って先陣を切るなら、お互い息が合いそうです」

 

「キヒッ、キヒヒヒッ……!気に入った!一緒に相手をミンチにしてやろう……!」

 

時折発狂めいた奇声と凄まじい表情を炸裂させるツルギに対し、ホシノは完全に動じることなく、同じショットガン使いとして実践的な単身突入の立ち回りや散弾の選び方について淡々と意見を交わしていた。

 

そんな四人の姿を、周囲を取り囲んでいた正義実現委員会の隊員たちが、呆然とした表情で見つめていた。

そこには同級生だけでなく、待機を命じられている上級生の先輩たちの姿もある。

 

「……な、何なのあの人たち……?」

 

「剣先さんは、一年生にしてすでに正義実現委員会でも頭角を現している問題児……いえ、実力者だけど……」

 

「突入前のこの緊迫した状況で、スナイパーライフル構えながら手作りお菓子の話をしてる羽川さんも大概よ……」

 

「それにあの剣先さんの奇声と殺気を至近距離で浴びて、表情を崩さずに突撃談義してるアビドスの小鳥遊ホシノって子、何者……!?噂じゃショットガン一丁で敵陣に単身突っ込んで、文字通り敵をぶちのめし回る『アビドスのツッコミピンク』って呼ばれる突撃狂らしいわ」

 

「……知ってるわ。それにあっちの男子生徒……『頭のおかしいアビドスゲーミング野郎』って噂の円ショウ……!」

 

「ゲヘナの風紀委員ですら手を焼いてたスケバン軍団を、ミノムシにして全滅させたって……」

 

「ブラックマーケットの闇銀行の輸送部隊を一人で更地にしたとか、指先から青い雷竜を呼ぶって掲示板で見たわ……!」

 

死線を前にして欠片も緊張を見せない、あまりにも異次元な精神力。

 

一年生にして正義実現委員会で抜きん出た戦闘力を見せ始めているツルギとハスミ、そして裏社会のネットや各校の噂話で一人歩きしているアビドス二人の数々の武勇伝(と理不尽)

 

それらが相まって、ガチガチに緊張していたトリニティの隊員たちの視線は、恐怖を通り越して

 

「この一年生たち、全員歴戦の怪物なんじゃ……」

 

という純粋な畏敬と尊敬の眼差しへと変わっていた。

そんな隊員たちのヒソヒソ話などどこ吹く風で、俺は相変わらず勝手に輝く頭上のヘイローを明滅させながら、ビルの三階――カーテンの隙間から漏れるわずかな灯りを見据えた。

 

「……なあ、ハスミ」

 

「……はい」

 

お菓子の話で緩んでいたハスミの声が、一瞬で鋭利な狙撃手のものへと切り替わる。

 

「三年生の委員長さんには悪いが……奴ら、そろそろ動き出すぞ。慌ただしく影が動いているし、奥のフロアで重火器の装填音がしてる」

 

「(聞こえたんですか!?)……ええ。ツルギ、ホシノさんも」

 

ハスミが合図を送ると、ツルギがギチリとショットガンを構え直し、ホシノがショットガンのポンプをガシャリと引いた。

 

「準備はいいですか、ショウ」

 

「いつでもいける」

 

アビドスの資金と土地奪還のため、そして何より平和なお祭りを迎えるための賞金稼ぎ。

俺たちの夜の仕事が、静かに幕を開けようとしていた。

 

「……突入の前に、まずは敵の正確な配置を確認しておくか」

 

俺がそう呟き、すっと頭上へ右手を伸ばした瞬間。

 

隣にいたホシノの全身の毛が、まるで猫のように逆立った。

 

「……ショウ。貴方、何をする気ですか」

 

「ん? ちょっと索敵の準備だ」

 

嫌な予感に顔を引きつらせるホシノ。

 

何が始まるのか分からず、不思議そうに瞬きをするハスミと、奇声を止めて首を傾げるツルギ。

固唾を呑んで見守る正義実現委員会の隊員たちの前で――俺は七色に明滅するヘイローの光の柱を二、三本まとめて掴むと。

 

「よっと」

 

躊躇なく根元から引っこ抜いた。

 

「「「…………」」」

 

その場にいた全員の呼吸が、完全に止まった。

トリニティの夜の冷気すら生ぬるく感じるほど、絶対零度の静寂が路地裏を支配する。

 

遠巻きに見張っていた上級生たちの顔からも血の気がサーッと引き、ある者は口を押さえ、ある者は白目を剥きかけた。またしてもキヴォトスの常識と生命の尊厳が、目の前で粉々にへし折られた瞬間である。

 

だが、俺はそんな周囲の凍結などどこ吹く風で、毟り取ったヘイローを両手でギュッギュッとこね始めた。

 

光るアクリル樹脂か何かのように手の中で柔らかく変形させていくと、ものの数秒で、淡いネオンブルーに発光するゴーグルのようなサングラスが四つ完成した。

 

「よし、できたぞっ!?」

 

まずは一つ、隣のホシノへ手渡そうと差し出す。

 

「何をしているんですか貴方は!」

 

が、乾いた破裂音と共に、鈍器の様に振るわれたホシノのショットガンが俺の後頭部に先にクリティカルヒットした。目の奥で火花が散った様な……気のせいかな。

 

ホシノは顔を真っ赤にして、ショットガンを構えたまま怒鳴りつけてきた。

 

「ゲヘナであれだけ他校の生徒にトラウマを植え付けておいて、今度はトリニティの真ん中で自分のヘイローを毟ってこねるってどういう神経してるんですか!?ちぎるな!こねるな!整えるな!少しは自分のヘイロー大事にしなさい!!」

 

「いや、何を怒ってんだよ。これをかけたら壁の向こうまで色々見えて便利かなって思っただけだろ」

 

「そういう問題じゃないでしょう!!」

 

怒り狂うホシノの抗議を適当に受け流しながら、俺は無理やりその細い指先へサングラスを押し付けた。

そして、完全に脳の処理が追いつかずに彫像のようにフリーズしていたハスミとツルギの前へ歩み寄る。

 

「はい、二人の分」

 

「きひ……ひ……ぃ……?」

 

「ショウ、さん……貴方、頭から……ヘイローを……引っこ抜いて……工作を……?」

 

二人は幽霊でも見るような目で震える手を伸ばし、引きつった指先でおずおずとサングラスを受け取った。ツルギに至っては、俺が渡す為に手に触れた事への緊張と猟奇的な光景のショックが二重に直撃し、顔を青くしたり赤くしたりと忙しい。

 

「まあ、能書きはいいからかけてみろって。これをかけるとな――」

 

俺がサングラスを装着したのを見て、ホシノも半信半疑のジト目を向けながら、渋々とサングラスを目元にかけた。

 

そして、目の前の雑居ビルを見上げた瞬間。

 

「…………っ!?」

 

ホシノの喉から、息を呑む音が漏れた。

ハスミとツルギも慌ててサングラスを装着し、ビルへと視線を向ける。

 

「な……何ですか、これ……!?」

 

「ビルの中が……透けている……!?」

 

三人が見たのは、驚愕の光景だった。

コンクリートの分厚い壁がまるで透明なガラスのように透け、ビルの骨組みや配管が丸見えになっていたのだ。

 

それだけではない。

 

各階のフロアに潜むマフィアや不良たちの姿が、鮮やかなネオンカラーの輪郭でくっきりと浮かび上がり、誰がどこでどんな銃を構え、何人配置されているのかが一目瞭然になっていた。

 

「すごい……!遮蔽物を完全に透過して、内部の人員の配置から武装の形状まで、手にとるように分かります……!これなら奇襲も待ち伏せも完全に無力化できますよ!」

 

ハスミが興奮で声を上ずらせ、スナイパーとしての直感からその凄まじい有用性に目を見張る。

三人の驚愕っぷりに気を良くした俺は、フッと鼻を鳴らし、サングラスのフレームを押し上げながら得意げに胸を張った。

 

「へへ、驚くのはまだ早いぞ。それだけじゃないんだ」

 

「……まだ何かあるんですか」

 

「ああ。実はそのサングラス、見たい対象の数字を強くイメージして焦点を合わせると、その部分が浮かんで見えるんだ。残弾数とか、装甲の厚みとか!」

 

俺が自信満々に裏技を明かした、その瞬間だった。

 

「ふむ……」

 

ツルギが不意に、獲物を狙う獣のような鋭い眼光をギラリと光らせた。

 

敵の残弾数を見るのか、あるいはボスの戦闘力を見るのか――正義実現委員会の切り込み隊長が、真っ先に視線を向けたのは。

 

敵の潜むビルではなく。

 

すぐ隣で、胸を撫で下ろしていたハスミだった。

 

「…………」

 

ツルギは無言のまま、ハスミの腰回りから太もも、そして胸元へとサングラス越しに視線をスキャンするように這わせた。

そして、カチリと何かの数値を捉えた瞬間――ツルギの口角が、凶悪な三日月のように吊り上がった。

 

「……ハスミ」

 

掠れた、けれど路地裏の全員の耳に届くほど明瞭な声が、ツルギの口からボソリと零れ落ちた。

 

「お前。先週より二キロ、増えているな……」

 

「――ッッ!?」

 

凍りつく現場。思わず集まる視線。

 

興奮で赤らめたハスミの美しい顔面から、一瞬ですべての血の気が引いた。

 

「さっきの砂団子も、全部食うつもりだったな……?クレープどころじゃないぞ、この肥満鳥」

 

「つ、ツルギィィィィィィィッッッッ!!!!」

 

路地裏に木霊する、鼓膜が破れんばかりの絶叫。

ハスミは顔を茹で上がったタコのように真っ赤に沸騰させ、構えていたスナイパーライフルをへし折りそうなほどの怪力で握りしめた。その背後から立ち上る黒煙めいたオーラに、周囲の隊員たちが悲鳴を押し殺して後ずさりする。

 

「な、何を根拠のない妄言を口にしているのですか貴女はッ!これは…そう、筋肉です!日頃の厳しい訓練と装備の重みによる筋肉量の増加であり、決して!断じて!脂肪などではありません!!そもそも二キロなど測定器の誤差の範囲内です!成長期なのですから多少の増減があって当然でしょう!!」

 

息を継ぐ間もなくマシンガンの如く繰り出される、必死極まる自己弁護。

 

だが、ツルギは相変わらず首を傾げたまま、サングラスの奥の瞳で「現実を見ろ」とばかりに無慈悲な半眼を向け続けている。

 

その冷たい視線に、ハスミの理性の糸が完全にブチ切れた。

 

「そもそも人の身体測定を勝手にするなど言語道断!ならばツルギ、貴女はどうなのですかッ!!貴女だって間食の一つや二つはしているでしょう!!」

 

激昂したハスミはカッと目を見開き、サングラス越しにツルギの全身を睨みつけた。

 

『今に見なさい、貴女の増量っぷりを白日の下に晒してやります!』というドス黒い執念を全身から放ちながら、視線をツルギの体躯へとロックオンする。

 

ハスミの脳裏に、ツルギの現在の体重を示す数値がパッと浮かび上がった。

そして――。

 

「…………え?」

 

ハスミの怒声が、ピタリと止まった。続いて足先から頭までカチコチに凍りつくハスミ。

その瞳が、サングラスの奥で信じられないものを見るように大きく見開かれ、何度も、何度も瞬きを繰り返す。

 

「……な、何で……? い、一ヶ月前の健康診断の記録と……一グラムも……変わって、ない……?」

 

戦慄の呟きが、乾いた喉から漏れ出た。

 

そんなハスミの狼狽を見下ろし、ツルギはギチ……と口角を吊り上げ、喉の奥を鳴らして笑った。

 

「ギヒッ……当たり前だ……」

 

掠れた、だが妙に勝ち誇った声が、ツルギの口から滑り出る。

 

「私は毎日前線で暴れ回って、走り回ってカロリーなんぞ、全部燃やし尽くしている……。お前の付き合いで食わされたクレープ程度、運動エネルギーで一瞬で消し飛ぶ。少なくとも、休日に一人でこっそり『自治区パフェ食べ歩きツアー』なんて暴挙に出ているハスミよりはな……!」

 

「な、な、何故それを……ッッ!?」

 

隠密行動だったはずの甘味巡礼計画まで完璧に握られていたらしい。

ハスミは顔面を蒼白に染め上げ、言葉を失ってガタガタと震えだした。

 

「う、嘘……嘘でしょう……?毎日あんなに訓練で走り込みをして、激務をこなし、間食だって(たまにしか)していないのに、私だけが増えて……どうして貴女は……変わらないのですか……?」

 

先ほどまでの猛々しい怒りは見る影もなく霧散していた。

ハスミはフラフラと力なく後ずさると、膝からガクンと崩れ落ち、路地裏のコンクリート壁に両手をついて深く頭を垂れた。

 

「うぅ……二キロ……。減量……またサラダ生活……。お団子……私の砂団子が……遠のいていく……」

 

どよ〜んと青白い怨念を漂わせ、勝手に世界が終わったかのように絶望の底へと沈んでいくハスミ。

その背中には、哀愁と敗北感しか漂っていなかった。

 

「……ギヒッ、勝った……」

 

ツルギが満足そうにボソリと呟き、片手を天高く上げたポーズで勝利の笑みを浮かべる。

 

「……あの、ショウ?」

 

隣でその一連の地獄絵図を無表情で見届けていたホシノが、生気のない目を俺に向けてきた。

 

「何だ、ホシノ」

 

「敵のビルに突入する前に、味方の狙撃手が精神崩壊を起こして戦闘不能になりかけてるんですけど、どう責任取ってくれるんですか」

 

「俺のせいにするなよ。数値を悪用して味方に精神攻撃を仕掛けたツルギと、日頃から管理を怠ってただけのハスミのせいだろ?……というか、こんな時に体重測るほうがおかしいだろ……」

 

俺は額を押さえて深いため息を吐き出した。

潜入前の緊張感など、跡形もなく粉々に消え去っていた。

 




まだ一年生なので、幼い所があるツルギとハスミ。ちなみにショウのヘイローはある手順を取るとやせ薬になります。
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