バグ魂(ソウル)の不確かすぎる多世界周回 作:カミト6622
原作開始前
「……あ」
新世界のとある穏やかな名もなき島。
見聞色の覇気すら通さない、絶対の防圏『黒曜螺旋城』の結界に守られた漆黒のガレオン船『レヴァナント号』の特等席で、クロウはスプーンを持ったまま完全に硬直していた。
彼の視線の先にあるのは、今日の朝刊。ニュース・クーが運んできた世界経済新聞の1面だ。
そこには、あまりにも見覚えのある少女の顔写真と、衝撃的な大見出しが躍っていた。
『音楽の島エレジア、一晩にして完全崩壊! 生存者はごく僅か、魔王の目覚めか!?』
「……。……。……」
「ねーねークロウ? どうしたの? そんなマヌケな顔してたら、シロが苦労して手に入れた『新世界産・霜降りウミウシの冷製ジュレ』が溶けちゃうよぉ!」
相棒のシロ(のちに懸賞金5500万ベリー/“硝子の怪異”)が、体をぴょこぴょこと揺らしながら、子供っぽさの残る甘えた声で覗き込んでくる。
だが、クロウの耳にシロの声は入っていなかった。彼の意識は、頭の中に直接響いてきた「声」に向いていたからだ。
《クロウ、顔色が悪いですよ。何か魂を揺るがすような呪詛でも受けましたか?》
左手の【白銀の指輪】から、持霊・マタムネの冷静な念話が脳内に直接響く。周囲の人間には一切聞こえない、魂の同調者だけの密やかな会話だ。
(いや……呪詛じゃないんだ、マタムネ。ただ……ちょっと、本当に『救うの忘れてた』)
クロウは声に出さず、青ざめた顔のまま思考の念をマタムネへと返した。
前世の知識(累積バグ)を持つクロウは、当然知っている。エレジアが滅んだ本当の理由が、ウタという少女が歌の魔王『トットムジカ』を呼び出してしまったこと。そしてロジャーの船で一緒だったシャンクスが、娘を守るためにすべての罪を背負って逃亡したことを。
けして薄情なわけではない。むしろかつてロジャーの船で共に過ごしたシャンクスや、その娘であるウタのことは、彼なりに気にかけていたのだ。
《クロウ様、おいたわしや。ですが、あの島には我らの調律ですら割り込めぬ禍々しい調べの残滓を感じます。忘れていたのは、天の采配かもしれませんよ》
背後にそっと気配を現した光弓の女武者――持霊・サクヤも、クロウの脳内に直接優しく囁きかけてくる。
(いや、そうじゃないんだサクヤ。シャンクスの野郎、ウタをあの島に残す前に僕に一言相談してくれれば……。黒曜螺旋城の結界でトットムジカの精神汚染ごと隔離して、誰も傷つかないように平和に解決できたはずなんだ。そしてエレジアの美味い伝統料理のレシピも全部回収できたのに……っ!)
かつて赤ん坊の頃、エド・ウォー沖の海戦でうっかり陰陽術の出力をミスして大暴走を引き起こして以来、クロウは「不自由な赤ん坊の体で無闇に歴史に介入するのは危険だ。まずは傍観者に徹し、己の力を完璧に制御できるようになろう」と心に誓っていた。
その修行と力(ヤクヤクの実)の制御、そして己の航海に集中しすぎていたがゆえに、エレジア崩壊の正確な「時期」をうっかり失念していた。それが彼にとって、激しい後悔となって押し寄せていた。
(……だが、新聞を見る限りウタの命は助かっている。今から僕が無理に介入して歴史を歪めるより、数年後、あのルフィのガキが彼女を本当の意味で救い出す未来に賭けるべきか……。すまない、ウタ、シャンクス……)
クロウは心の中で親友たちに詫び、無理やり自分を納得させると、現実の肉体で大きくため息をつき、ようやくスプーンを動かした。
「よし、シロ。せっかく作ってくれたんだ、ウミウシのジュレをいただこう。……ウタたちの未来を信じて、今は僕にできる旅を続けるさ」
「うんっ! いっぱい食べてね! 食い物の恨みは恐ろしいんだからー!」
《やれやれ、不器用な優しさは相変わらずですね》
呆れつつも温かいマタムネの念話を脳の片隅で受け流しながら、クロウはジュレを口に運び、その切なくも至高の美味に、静かに目を細めるのだった。