バグ魂(ソウル)の不確かすぎる多世界周回 作:カミト6622
第74話:『東の海のすれ違いと、錆びついた正義の原石』
小悪党どもを小手調べの刃で蹴散らしてから数週間。
俺は東の海の心地よい風に乗りながら、ただ気の向くままに小舟を走らせていた。
手首のロザリオから伝わるヤクヤクの波动を、銀の指輪と呪いの短刀へ均等に逃がす。
この二つの依代(よりしろ)があるおかげで、かつてのように子供の肉体に『厄』が溜まって自滅する心配はもうない。
他人を寄せ付けない一匹狼の旅だが、魂のパスを通じていつでも会話できるサクヤとマタムネがいる。この静かで自由な時間は、前世のふんばりヶ丘やロジャーの船の見習い時代とはまた違う、格別の居心地の良さがあった。
そんな俺の小舟が、補給のために立ち寄ったのは、海軍の支部が置かれているとある大きな港町だった。
うらぶれた酒場や海賊の横行に怯える開拓地とは違い、ここは石畳の街並みが綺麗に整備され、至る所に『正義』の文字を背負った海軍の制服が溢れている。
「ま、俺みたいな厄病神の能力者にとっては、正義の味方が多すぎる場所は長居するべきじゃねェな。サクヤ、必要な物資だけ買ったらすぐに出るぞ」
《はい、クロウ様。ですが……あちらの広場の方から、ひどく頑固で、それでいて驚くほど純粋な“意志”を宿した魂の気配を感じます》
薬指の弓の指輪から、サクヤの少し興味深そうな念話が届く。
その視線の先――海軍支部の巨大な敷地の裏手にある訓練広場へと、俺は荷物を抱えたまま何気なく目を向けた。
そこでは、白いシャツを汗でドロドロに汚した、俺とそう歳の変わらない一人の少年兵が、狂ったように木刀を振り下ろしていた。
白髪に近い、短く刈り込まれた髪。
まだ幼さの残る顔つきだが、その目元には、周囲の生緩い訓練兵どもを寄せ付けない、ギラついた野犬のような凶暴さと不遜さが宿っている。
(……あれは、スモーカーか)
現代日本の原作知識を持つ俺の脳裏に、のちに『白猟』の異名で麦わらの一味を執筆することになる、あの海軍本部の問題児の顔が浮かんだ。
今の彼はまだ本部にすら行っていない、東の海のしがない一介の見習い・訓練兵の段階だ。
周囲の兵士たちが「おいおい、スモーカーの奴また居残りでシゴいてるぞ」「あいつ、上官の言うことも聞かねェし、いつかクビになるんじゃねェか?」とコソコソと陰口を叩いている。
そんな雑音を一切耳に入れず、少年スモーカーはただ真っ直ぐに、己のなかの正義を形にするように木刀を振り続けていた。
《おやおや、実に骨のある少年ですね。荒削りですが、その魂には一切の濁りがない。……まるで、己の信じる理のためだけに刃を研ぎ続ける、ワノ国の侍のような気骨を感じます》
短刀の奥底から、マタムネが感心したように煙のような気配を揺らす。
(ああ。あいつはのちに、海軍の腐った上層部にも平気で噛みつく本物の『正義の味方』になる男だ。……ただ、今はちょっと、運が悪い時期みたいだけどな)
俺の魂の感覚(ヤクヤクの実の能力)が、少年スモーカーの頭上に、じわじわと立ち込める不自然な『不運の泥』を捉えていた。
よく見れば、あいつが激しく振り下ろしている木刀の根元には、目に見えないレベルの小さな亀裂が入っている。このまま全力で振り続ければ、数回もしないうちに木刀がへし折れ、その破片が自分の顔を直撃する――そんな、本当に些細でくだらない『不運(厄)』の未来が見えた。
普段の一匹狼の俺なら、他人の不運なんて「モブの境界線」から放っておくところだ。悪魔の実のせいで仲間も作れないし、余計な関わり合いは旅の邪魔になる。
だが、あのローグタウンの雨の中で、ロジャー船長の最期を同じ広場で、別の場所から見つめていたであろうこの男の『原石』の姿に、俺はほんの少しだけ、気まぐれを起こした。
「……ま、小手調べの、さらに小手調べだ。陰陽調律」
俺はすれ違いざまに、手首のロザリオを軽く弾いた。
誰にも気づかれないほど微弱な、だが正確な調律の波动が広場を駆け抜ける。
少年スモーカーの頭上に溜まっていた『不運の厄』を、俺の波動が瞬時に吸い上げ、短刀の鞘へと綺麗に回収した。へし折れるはずだった木刀の亀裂は、俺のヤクの反転によって、逆に強固な繊維の噛み合いへと変質する。
「――ぬんッ!」
スモーカーが最後の一撃を力強く振り下ろす。木刀は折れることなく、鋭い風切り音を立てて完璧に静止した。
「……あ?」
少年スモーカーは、何か奇妙な違和感を感じたのか、ピタリと動きを止めて自分の木刀を凝視した。
それから、ふと何かに導かれるように、広場の外の路地を歩いていた俺の方へと猛然と視線を向けてくる。
さすがのちに本部にのし上がる男だ。見習いの段階であっても、俺の放った微かな『念(巫力)』の残滓に、本能的な野生で気づきやがった。
だが、俺はフードを深く被り直すと、あいつと目が合う前に、雑踏の中へと静かに背を向けて消えた。
最後まで、ただの一言も言葉を交わすことはない。
(じゃあな、未来の白猟。お前がお前の正義を完成させて、グランドラインで俺の前に立ちはだかる日を、楽しみにしてるぜ)
《フフ、相変わらず不器用な優しさですね、クロウ様》
サクヤのくすくすという小気味いい笑い声を聞きながら、俺は港へと戻り、買い込んだ物資を小舟へと積み込んだ。
仲間はいらない。ただ、この世界の主役たち、そして脇役たちの輝きを特等席ですれ違いながら、自分だけの航路を行く。
呪いを調律する一匹狼の自由な航海は、今日も東の海の青い水平線の向こうへと、気楽に続いていく。