バグ魂(ソウル)の不確かすぎる多世界周回 作:カミト6622
第76話:『双子岬の再会と、偉大なる航路への門出』
東の海をすべて巡り終えた俺の小舟は、ついに世界の中心を貫く巨大な赤い壁――『赤い土の大陸(レッドライン)』の麓へと到達していた。
見上げるほどの絶壁に穿たれた一本の水路。そこを、世界中の海から集まった激流が、まるで天へと逆流するように猛烈な勢いで駆け上っている。
グランドラインの入り口――『リヴァース・マウンテン』だ。
普通なら大型の海賊船でも命がけで舵を取る難所だが、俺の乗っているのは一人乗りの小さな小舟。
激流の波に飲まれれば、一瞬で木っ端微塵になるのは目に見えていた。
「サクヤ、マタムネ。ここが一番の踏ん張りどころだ。少し荒っぽくいくぞ」
《はい、クロウ様。いつでもお任せください》
《ふふ、天を駆ける小舟の航海ですか。実に風流で、命がけですねぇ》
指輪と短刀から二人の頼もしい相棒の声が響く。
俺は手首のロザリオに触れ、ヤクヤクの力を解放した。
「――陰陽調律」
小舟の底へ向けて、俺自身の巫力とヤクヤクの反転波動を一気に流し込む。
リヴァース・マウンテンの狂った激流が船体に与える『衝撃の厄』を、俺の調律の波が瞬時に吸い上げ、逆に小舟を水流と完全に調和させる『推進力』へと反転させた。
――ゴォォォォォッ!!!
凄まじい風圧と水しぶきを上げ、俺の小舟はまるで重力を無視したかのように、リヴァース・マウンテンの急斜面を滑るように駆け上っていく。
運を天に任せる必要すらない。己の力と呪いの調律だけで、俺は世界の壁を越えてみせた。
頂点へと達し、一瞬だけ視界に広がった世界中の海の交差点を通り抜け、今度は一気にグランドライン側へと向かって真っ逆さまに駆け下りる。
霧を突き抜け、目の前が開けた瞬間――。
「――ブオォォォォォォォン……!!!」
鼓膜を震わせるような、地響きに似た巨大な咆哮が響き渡った。
霧の向こうから姿を現したのは、山と見紛うほどの巨大な島……いや、オーロ・ジャクソン号の旅でも何度も目にした、あの島クジラの『ラブーン』だった。
激流の勢いのまま、小舟はリヴァース・マウンテンを滑り下り、運河の出口である『双子岬』の穏やかな海面へと着水した。
「プハッ……! 相変わらず派手な入り口だな、おい」
水しぶきを拭いながら小舟を落ち着かせると、岬に建つ灯台の麓、一本のパラソルの下に腰掛けた、見慣れた老人の姿が目に入った。
花のような奇抜な髪型に、眼鏡をかけたその男は、新聞を片手にこちらをじっと見つめている。
「……ん? なんだ、その小さな泥舟は」
ロジャー海賊団の元船医――クロッカスさんだった。
あいつは椅子から立ち上がり、小舟に乗っているのがラフテル前で大目玉を食らった元見習いの俺だと気づいた瞬間、眼鏡をクイと押し上げて、呆れたようにため息をついた。
「クロウ……お前、そんな玩具みたいな舟でリヴァース・マウンテンを越えてきたのか。相変わらず命が惜しくないガキだな。……体調はどうだ」
開口一番の、ぶっきらぼうだが隠しきれない心配の混ざった言葉。
俺は小舟の上で苦笑しながら、手首のロザリオを軽く叩いてみせた。
「おかげさまで、すっかり元気ですよ、クロッカスさん。あれからヤクの使い方も見直して、依代(媒介)も新しく揃えましたから」
俺が左手の銀の指輪と、腰の呪われた短刀を指し示すと、クロッカスさんは「フン」と鼻を鳴らした。
そんなクロッカスさんを見つめながら、俺は胸の奥にずっと仕舞い込んでいた、1年前の『あの日に見た景色』を言葉にして伝えた。
「……クロッカスさん。俺、ローグタウンに行って、ロジャー船長の最後をこの目で見てきました」
「!!」
その言葉に、クロッカスさんの身体が一瞬だけ、硬直した。
新聞を握る指先がわずかに震え、眼鏡の奥の瞳が、静かに揺れる。
「……そうか。お前、あいつの処刑台の前にいたのか」
「はい。船長、死ぬ間際までニカッと笑ってました。あのラフテルでみんなで腹抱えて笑った時みたいに、本当に底抜けの笑顔で……。それで、世界をひっくり返すような一言を遺して、ドンと逝きました」
俺が静かにそう告げると、クロッカスさんは一度だけ深く目を閉じ、天を仰ぐようにして大きく息を吐き出した。
その顔には、悲しみだけではない、あいつの生き様を誰よりも知る元船医としての、どこか誇らしげな、そしてすべてを受け入れたようなフッとした笑みが浮かんでいた。
「ハッ……。そうかよ。あの大馬鹿野郎らしいな……。最後までお医者様の言うことも聞かねェで、自分の命を最高の特等席で使い切りやがった」
クロッカスさんはそう呟くと、再びいつも通りのぶっきらぼうな表情に戻り、新しいログポースの針路を指し示した。
「自分の限界を弁えるようになったのなら、船医として言うことはもうねェ。だが、油断するなよ。この先は『偉大なる航路』だ。お前のような一匹狼が、簡単に生き残れるほど甘い海じゃない。ここに長居されると、お前のその『厄病神』の性質のせいで、ラブーンが急に腹でも下したら堪らんからな」
「分かってます。……おいラブーン! お前も元気そうで良かった!」
俺が海面に向かって手を振ると、ラブーンは嬉しそうに再び大きな咆哮を上げ、尾ひれで海を叩いて歓迎してくれた。
まだルフィに頭の傷を落書きされる前の、綺麗な青い皮膚のラブーンだ。
「じゃあな、クロッカスさん。またいつか、シャボンディ諸島あたりでレイリーさんと呑む時にでも、俺の噂を肴にしてくれよ」
「へっ、お前のような大莫迦野郎の噂など、聞きたくもない。……死ぬなよ、クロウ」
背後から聞こえたその静かな激励を背中で受け止めながら、俺は小舟の帆を再び張った。
ログポースの針が示す、最初の島へと向けて。
仲間は作れない。ただ、呪いを力に変える一匹狼の、本当の『自由の航海』。
新時代の強者どもがひしめき合う『偉大なる航路(グランドライン)』の旅が、今ここから、本格的に幕を開けた。