バグ魂(ソウル)の不確かすぎる多世界周回 作:カミト6622
第84話:『新世界への白波と、モビー・ディック号の威容』
あれから――激動の大海賊時代が始まって、およそ1年の月日が流れた。
グランドラインの前半の海を、俺は陰陽術の「幻形(偽装)」と「隠形(おんぎょう)」を駆使して、完全に海軍の包囲網から隠れながら駆け抜けていた。
世界政府の目を盗み、各地の曰く付きの遺物を調律しては、その土地ならではの美味いものを食べ歩く隠密の美食旅。一匹狼の航海としては、これ以上ないほどに贅沢で気楽な時間だった。
だが、新世界へ向かうその前に、俺にはどうしても立ち寄らなければならない場所があった。
赤い土の大陸(レッドライン)の直下に位置する、無数のヤルキマン・マングローブがそびえ立つシャボン玉の舞う島――『シャボンディ諸島』だ。
レヴナント号を商船へと偽装し、さらに俺自身は隠形(おんぎょう)の術を発動させて姿と気配を世界から消し去る。
海軍本部の目と鼻の先であるこの諸島を悠々と歩き、俺が向かったのは、13番グローブの片隅にひっそりと佇む『ぼったくりBAR』だった。
ガララ、と姿を隠したまま扉を開け、カウンターの奥へ視線を向ける。
そこには、白髪の混じり始めた髪を揺らし、眼鏡の奥の鋭い瞳で手元の手配書を眺めている、かつてのロジャー海賊団副船長――シルバーズ・レイリーさんの姿があった。
「おや……。姿は見えないが、この妙に懐かしくて、おかしな『厄』の巡りは……。見習いを名乗るのをやめて、ずいぶんと悪名を轟かせているようじゃないか、クロウ」
“冥王”と恐れられるこの男の底知れない見聞色の覇気は、俺の隠形(おんぎょう)の術すらもかすかに感じ取っていた。
俺はフッと苦笑し、術を解いてカウンターの席へと腰掛けた。
「お久しぶりです、レイリーさん。……相変わらず、何でもお見通しですね」
「ハハ、お前が裏でウチの船を支えてくれていた時から、その風変わりな気配は知っていたからな。初手で3800万ベリー、異名は“百鬼夜行”か。……死者の軍勢と幽霊船を従えて一匹狼の旅とは、お前らしい『自由の形』だ」
レイリーさんはそう言って、俺の前に極上の酒が注がれた盃を一つ、滑らせるようにして差し出してきた。
手配書を見ながら、あいつはどこか誇らしげに、そして懐かしむように目を細める。
「ロジャーもお前のその『厄』の調律に、何度も救われていたと言っていたよ。……あいつがローグタウンで遺したあの新時代の産声、お前もあの広場で聴いていたんだろう?」
「はい。姿を消して、船長のすぐ隣で最後の言葉を交わしました。……俺が前世の記憶を持つ転生者だってことも、全部ぶち明けてやりましたよ」
俺がそう告げると、レイリーさんは驚いたように一瞬だけ目を丸くし、それから「ハハハハ! そうか、別世界の転生者か!」と腹を抱えて愉快そうに笑い転げた。
「世界の真実よりもトんだ笑い話だ! ロジャーの奴、さぞかし大喜びしただろうな。……よし、お前のその途方もない『秘密』と新時代に免じて、今夜はとことん付き合え。お前が各地で集めてきた美味いものの話も、じっくり聞かせてもらうぞ」
その夜は、かつての副船長と時間を忘れて言葉を交わし、世界政府の目を盗んで極上の酒と美食を酌み交わす、最高に風流な夜となった。
――そして、シャボンディ諸島でレイリーさんとの再会を果たし、魚人島を経て新世界へと突入した現在。
コーティングを剥ぎ取ったレヴナント号が突き進むこの『新世界』は、前半の海とはまるで格が違っていた。
天候は数秒おきに荒れ狂い、海そのものが意思を持った化け物のように牙を剥いてくる地獄の海。だが、俺たちの黒いガレオン船にとっては、この狂った環境(厄)すらも、ヤクヤクの実の反転調律の絶好のエネルギー源に過ぎない。
1年の月日を経て、俺の子供の肉体も少しばかり成長し、魂の巫力(ふりょく)の許容量は飛躍的に増大している。左手のサクヤ(銀の指輪)、そして腰の黒き妖刀『黒死一文字』(マタムネ)という二大媒介との魂の結合も、今や完璧に完成されていた。
《クロウ様、前方の狂った嵐の向こうから、信じられないほどに巨大で、圧倒的な“誇り”を纏った魂の気配を感じます。……これは、かつて私たちが知っている……》
指輪から響くサクヤの念話が、興奮に震えている。
「ああ。隠形を解け。レヴナント号、偽装を解除しろ」
俺の号令一発で、船体を覆っていた商船の幻影が剥ぎ取られ、禍々しくも圧倒的な威容を持つ漆黒のガレオン船が、新世界の荒波の上にその姿を現した。
赤黒い嵐の雲を割って、俺たちの目の前にそびえ立ったのは――巨大な白鯨を模した、あの世界最強の海男が率いる外輪船『モビー・ディック号』だった。
「グララララ! おいマルコ、言ったろう。霧の向こうから、妙に懐かしくて、おかしな『厄』を振りまく黒い泥舟が近づいてきてるってなァ!」
モビー・ディック号の船首、無数の点滴の管を繋いだ巨体を揺らし、豪快に笑いながら俺たちを見下ろしているのは、白ひげ――エドワード・ニューゲートその人だった。
その隣には、一番隊隊長のマルコや、ジョズ、ビスタといった隊長たちが、油断のない、しかしどこか懐かしむような目でこちらの甲板を睨みつけている。
レヴナント号の甲板には、藍色の眼光を宿した怨霊の将兵たちと、白骨の船員たちが一糸乱れぬ隊列を組んで控えていた。
海軍が『百鬼夜行の主』として恐れるに足る軍勢が、そこにはあった。
俺はレヴナント号の船首へと進み出て、フードを軽く払い、かつての宴の島以来となる世界最強の男を真っ直ぐに見上げた。
「……お久しぶりです、ニューゲートのオヤジさん」
「グララララ! 1年ぶりだな、クロウ! ロジャーの船の無口な見習いが、生きた人間を一人も乗せねェで、死人の大艦隊を率いて新世界へ殴り込みか! 面白いオカルトじゃねェか!」
白ひげの放つ圧倒的な『覇王色の覇気』が、海を割るような圧力となって俺たちの船へと押し寄せてくる。
だが、俺は黒死一文字の鞘をパチンと鳴らし、ヤクヤクの反転調律の波動を周囲へ巡らせることで、その規格外の威圧(厄)をただの心地よい潮風へと変えて霧散させた。
《おやおや、相変わらず世界一元気な大男ですねぇ。ですがクロウ様、あのオヤジさんの魂の澱み(病の厄)は、1年前よりも確実に深くなっているようですよう》
短刀の奥から、マタムネがキセルを燻らせるような静かな口調で、俺にだけ聞こえる念話で呟いた。
(ああ、分かっている。……だけど、今日の俺の目的は、世界最強の男との小競り合いじゃない)
俺は懐から、この1年の美食旅の途中で手に入れていた、とっておきの『最高級のワノ国の酒樽』を、巫力でふわりと浮かせてモビー・ディック号の甲板へと送り届けた。
「オヤジさん、これ、旅の途中で手に入れた極上のワノ国の酒です。……ロジャーの船で育ててもらった見習いとしての、ちょっとした挨拶代わりですよ」
酒樽を受け取った白ひげは、目を丸くした後、再び新世界の空を割るような大笑い声を響かせた。
「グララララ! ワノ国の酒だとォ!? 気が利くじゃねェか、お前への手配書の警戒を全て笑い話にしてやるレベルの極上品だ! 野郎ども、泥船の船長を歓迎しろ! 久しぶりの宴の準備だァ!!」
白ひげのその一言で、モビー・ディック号の船員たちがドッと歓声を上げる。
悪魔の実の性質のせいで生きた仲間は作れない一匹狼の俺だが、こうしてかつての強者たちと特等席ですれ違い、極上の美味いものを酌み交わす旅なら、何の問題もない。
誰にも明かしていない前世の記憶と、海賊王との最後の約束を胸に。
新世界という最悪で最高の海において、呪いと死者を従えた俺の『自由の美食航海』が、世界最強の海賊団を相手に、今、新たな伝説の1ページを開こうとしていた。