バグ魂(ソウル)の不確かすぎる多世界周回 作:カミト6622
第89話:『空間のねじれと、即時転移の閃き』
深海の白身魚の鍋をすっかり平らげ、心地よい満腹感に包まれながら、俺は船長室の大きな机の上に新世界の海図を広げていた。
「陰陽調律・水神の底隠し」による海底の航行はすこぶる快適だ。海水も水圧も一切通さない。
だが、海図に描かれた新世界のあまりにも広大で、かつ複雑怪奇な島々の配置(ログ)を眺めていたその時、俺の頭の中に、まるで落雷が落ちたかのような凄まじい閃きが突き抜けた。
(……待てよ。俺は今、前世の巫力とヤクヤクの実の反転調律を使って、船全体の周囲の空間を歪めて潜水移動を可能にしてるよな?)
手首のロザリオを弄び指先が、ピタリと止まる。
俺たちの拠点である『黒曜螺旋城』を築いた時、俺は陰陽術の空間拡張を使って、外見の数倍以上の広さを持つ螺旋の迷宮を錬成してみせた。
船の周囲の水圧を遮断し、拠点の空間をねじ曲げることが出来るのなら――。
「……空間そのものを繋げて、一瞬で別の場所へ『移動』することも可能なんじゃねェか?」
俺がポツリと溢したその一言に、部屋の中にいた二人の持霊が、ハッとしたように霊体を揺らした。
《空間移動……! なるほど、クロウ様。前世のシャーマンキングの世界における陰陽術の極致には、確かに距離の概念を無視して霊道を繋ぐ秘術が存在しました。……あるいは、今のあなたには、空間の限界負荷(厄)をすべて吸い取って強引に歪みを固定できる『ヤクヤクの実』の調律の力がある!》
薬指の銀の指輪から、サクヤが目を見開いて興奮気味に念話で叫ぶ。
《ふふ、これはまたトんだ大博打の閃きですねぇ。本来なら空間を無理にねじ曲げれば、その歪みが『空間の破壊(厄)』となって船ごと虚空に消え去るのがオチですが……。それをすべてあなたの肉体と刃で吸い尽くして調律してしまえば、世界のどこへでも一瞬で風を読めるというわけですか》
短刀の奥からマタムネがキセルを一度引き抜き、驚嘆と感心の混ざった穏やかな口調で微笑んだ。
現代日本の原作知識を持つ俺からすれば、この『空間移動(ワープ)』の能力がどれほど狂っているかは身に染みて分かる。
この海において、島と島を移動するにはログポースの固定を待ち、命がけで荒海を走るのが絶対のルールだ。それを完全に無視して、一度訪れたことのある場所や、明確な座標(念)が分かる場所へ一瞬で船ごと転移できるようになれば――海軍の包囲網も、新世界の四皇どもの監視網も、完全にただの飾りと化す。
「クロウ、どうしたの? 難しい顔して……」
隣で不思議そうに首を傾げるシロに、俺はニカッと不敵な笑みを浮かべてみせた。
「ははは、いや何でもねェよ、シロ。ちょっとこれから、この船に『世界一の最高速』を付け足してやろうと思ってな」
俺は立ち上がり、レヴナント号の舵を握る怨霊と将兵たちの前へと進み出た。
黒死一文字の柄に右手を添え、魂の奥底から規格外の巫力を一気に解放する。
「野郎ども、実験だ。行き先は――俺たちの故郷『黒曜螺旋城』の入江。……陰陽調律・螺旋門(らせんもん)!!」
手首のロザリオから、かつてないほどに濃厚な、藍色の反転調律の波動が爆発的に溢れ出し、レヴナント号の船首の空間を包み込んだ。
深海の青黒い闇の空間が、巻き貝のようにぐにゃりとねじ曲がり、そこへ俺自身の巫力で『黒曜螺旋城』の座標の念を力強く叩き込む。
空間が引き裂かれようとする凄まじい反動(厄)が俺の肉体を襲うが、その限界負荷はすべて、腰の黒き妖刀と俺のヤクの波動が瞬時に吸い尽くして調律していった。
船首の目の前に、天へとねじれ昇るあの我が魔城の入江の景色が、鏡のように揺らめいて出現する。
「――全速前進、突っ込め!!!」
俺の号令一発、黒い巨大ガレオン船が、ねじ曲がった空間の裂け目へと一気に飛び込んだ。
視界が歪んだのは、ほんの一瞬。
次の瞬間、ザザーーッ……! と、穏やかな波の音と共に、レヴナント号を包み込んだのは、深海の闇ではなく、幻霧の結界に守られた『黒曜螺旋城』のあの懐かしい天然の入江の景色だった。
「……嘘、いま、海の底にいたはずなのに……あの黒いお城の前にいる……」
シロが窓の外を見つめたまま、小さく息を呑んで呟いた。その大きな瞳には、言葉にならない驚きと困惑が静かに浮かんでいる。
甲板の白骨の船員たちも、自分たちが一瞬で拠点の入江に浮かんでいることに気付き、カタカタと骨の音を鳴らして戸惑うように周囲を見渡していた。
(ははは、大成功だ。前世の陰陽術と、この世界の悪魔の実の調律……。これらを掛け合わせたら、空間のルールすら完全に無視できるな)
誰にも明かしていない前世の記憶と、海賊王との最後の約束を胸に。
悪魔の実のせいで他人は乗せられない。だが、呪いを相殺し合う最高の相棒・シロがいて、サクヤがいて、マタムネがいる。
そして、世界中のどこへでも一瞬で現れ、一瞬で消え去る『空間移動(螺旋門)』を手に入れた。
「よし、シロ。これでこれからの旅は、東の海のみかんでも、砂漠の国の串焼き肉でも、新世界の美味いもんでも、いつでも一瞬で食いに行けるようになったぞ」
「……うん。美味しいもの、いろんな場所でたくさん食べてみたい」
シロが静かに、しかし嬉しそうに微笑む。
海軍本部の追撃も、四皇どもの覇気も、これからは俺たちの尻尾すら掴めやしない。
百鬼夜行の牙城・黒曜螺旋城を背に、呪いと死者を従えた俺たちの『自由の美食航海』は、空間すらも手玉に取る絶対の高みの傍観者として、この大海賊時代をどこまでも気楽に、そして不敵に加速していく。