バグ魂(ソウル)の不確かすぎる多世界周回 作:カミト6622
第90話:『世界の美味を巡る螺旋門と、新時代の特等席』
『陰陽調律・螺旋門』――それは、前世の陰陽術による空間歪曲と、ヤクヤクの実の反転調律が生み出した、世界の物理法則(ルール)すら完全に無視する絶対の即時転移だった。
一度訪れて座標を記憶した場所、あるいは明確な念の道標がある場所であれば、グランドラインの過酷な荒海も、海軍の厳重な検問網も、すべてを飛び越えて一瞬で船ごと転移できる。
黒曜螺旋城の入江で数日間の調整を終えた俺は、その絶大な力の初陣として、さっそくシロを連れて世界規模の美食旅へと繰り出していた。
「――螺旋門、開門(かいもん)」
俺が手首のロザリオに触れて呟いた瞬間、レヴナント号の船首の空間が巻き貝のようにぐにゃりとねじ曲がり、目の前に眩い光の裂け目が現れる。漆黒のガレオン船がそこへ滑り込むと、視界が歪んだのはほんの一瞬だった。
次の瞬間、激しい潮風と共にレヴナント号を包み込んだのは、新世界の荒れた空ではなく、どこか牧歌的で穏やかな、オレンジ色の香りが漂う東の海(イーストブルー)――コノミ諸島の近海だった。
「……すごい、本当に一瞬で別の海に来ちゃった……。空気の匂いが、さっきまでと全然違う……」
船長室の窓から穏やかな海原を見つめ、シロが小さく息を呑んで呟く。
「ははは、だろ? ここは東の海のココヤシ村の近くさ。世界一美味いみかんが獲れる島でね。シロ、ちょっと待ってろ、今最高のやつを買い込んできてやる」
俺は船を沖合に待機させると、かつてのように「幻形の偽装」と「隠形(おんぎょう)」を重ねて発動し、自身の姿と気配を世界から消し去った。
姿を隠したままココヤシ村のみかん畑へと忍び込み、ベルメールさんの露店から、もぎたての瑞々しいみかんの山を大急ぎで回収する。もちろん、ナミから貰った引換券の代わりに、相応のベリー(軍資金)を木箱の奥へときっちり残しておくのは一匹狼の美食家の礼儀だ。
必要な物資と山盛りのみかんを抱えてレヴナント号へと戻り、隠形を解く。
「ほら、シロ。これが東の海が誇る最高のみかんだ。食べてみな」
「うん……、ありがとう、クロウ」
シロが小さな手でみかんを丁寧に剥き、一房を口へと運ぶ。その瞬間、彼女の白髪交じりの細い髪がふわりと揺れ、大きな瞳が驚きに丸くなった。
「……っ、すっごく甘い……! 瑞々しくて、口の中で果汁がじゅわって広がる……。こんなに美味しい果物、私、今まで食べたことない……」
本当に幸せそうに頬を緩ませるシロの姿を、俺は特等席から静かに眺めていた。
生きた人間を乗せれば俺の呪いで自滅するはずの航海だったが、こうしてシロという最高の相棒を得たことで、俺の『自由の美食航海』は完成された。
《フフ、東の海のみかんを新世界の拠点で味わう贅沢……。螺旋門の力は、クロウ様の美食旅を文字通り世界規模へと押し広げましたね》
薬指の銀の指輪から、サクヤが楽しげにくすくすと笑う念話が響く。
《ふふ、世界を股に掛けた隠密の食べ歩きですか。海軍の少将どもが血眼になってグランドラインを探している間に、まさか東の海でみかんを買い占めているとは、ロジャーの船の奴らでも思いもよらない笑い話でございますねぇ》
短刀の奥から、マタムネもキセルを燻らせるような穏やかな口調で、静かに俺たちの航路に頷いていた。
「これだけで驚くのはまだ早いぜ、シロ。次は砂漠の国のスパイシーな串焼き肉だ。その次は、前半の海の珍しい銘酒。俺たちの『螺旋門』があれば、世界中の美味いもんがすべて俺たちの厨房(まかない)になるからな」
「……うん。私、クロウと一緒なら、どこへでもいける」
シロが静かに、しかし確かな信頼を込めて微笑む。
現代日本の原作知識を持つ俺は知っている。
この海の表舞台では、これから王下七武海の暗躍、四皇の激突、そしていつか現れる『麦わらの少年』の一味が時代のうねりを爆発的に加速させていく。
だが、どれほど世界が激動しようとも、俺のスタンスは変わらない。基本は傍観スタイル。歴史の主役たちの舞台を荒らさず、ただ観測者として歴史の音を聴きながら、自分の自由な航路だけを突き進む。
海軍本部の包囲網も、世界政府の監視の目も、空間を支配した俺たちの百鬼夜行には二度と届かない。
「野郎ども、次の美味いもんを求めて、再び門を開くぞ! 全速前進だァ!!」
俺の号令一発、白骨の船員たちが一斉に動き出し、レヴナント号は再びねじ曲がる空間の裂け目(螺旋門)へとその巨体を滑り込ませていく。
呪いと死者を従え、最高の相棒を隣に乗せた俺の『自由の美食航海』は、絶対の高みの傍観者として、この大海賊時代の海の裏側を、どこまでも気楽に、そして不敵に加速していった。