バグ魂(ソウル)の不確かすぎる多世界周回 作:カミト6622
第90話:『新時代の足音と、東の海の懐かしい再会』
ロジャー船長が処刑台の上で世界のすべてを遺し、おでんさんが未来を信じて不退転の背中を見せてから、十数年の星霜が流れた。
俺たちの絶対の牙城、天へとねじれ昇る和風魔城『黒曜螺旋城』の天守閣から見下ろす海は、今日ものどかな幻霧に包まれている。
十数年という歳月は、俺の肉体を完全に一人前の男のそれへと成長させていた。魂の巫力(ふりょく)の許容量は全盛期に達し、ヤクヤクの実の反転調律も、今や空間の歪みすら容易に固定できるほどに洗練されている。
そして隣に立つシロもまた、歳月を経て凛とした美しい大人の女性へと成長していた。お互いの呪いの相殺はいまだ完璧で、俺たちの周囲だけは、世界で最も静寂なセーフティエリアのままだ。
「クロウ、ニュースクーが来たよ」
静かな声と共に、シロが手渡してきた新聞の1面を見た瞬間、俺は「ははは……」と不敵に口元を歪めた。
そこに躍っていたのは、とある東の海の小悪党「レディ・アルビダ」が、謎の麦わら帽子の少年に叩きのめされたという小さな、しかし時代の始まりを告げる重要な記事だった。
(始まったな。原作のタイムラインが、ついに本格的に動き出したわけだ)
現代日本の原作知識を持つ俺からすれば、待ちに待った瞬間だ。
海賊王ゴール・D・ロジャーが命を懸けて処刑台で産声を上げさせた『大海賊時代』。あの時ローグタウンの雨の中で、シャンクスやバギー、そして俺がそれぞれの航路へ散っていってから十数年。ついに、次の時代の真の主役である『麦わらのルフィ』が海へと漕ぎ出したのだ。
おでんさんが死の間際まで信じ続け、俺の『螺旋門』による逃亡や大同盟の提案すら蹴ってまで繋いだ、20年後の未来。その歯車が、今まさに音を立てて回り始めた。
《クロウ様、ついにあの少年が動き出しましたね。私たちがモブの特等席から見届けるべき、新時代の真の主役が……》
薬指の銀の指輪から、サクヤがどこか興奮を孕んだ澄んだ念話で語りかけてくる。
《ふふ、おでん様が命の炎を燃やして待っていた夜明けのガキですか。どれほど面白い笑い話を見せてくれるのか、実に見モノでございますねぇ》
腰に携えた最高峰の妖刀『黒死一文字』の奥から、マタムネもキセルを燻らせるような穏やかな口調で微笑んだ。
「ああ。基本は傍観スタイルだが……せっかくだ。新時代の主役の顔を、一番最初の始まりの場所で、少しだけ高みの見物といこうぜ。シロ、螺旋門を開くぞ」
「うん。……あのみかんの美味しい島、また行ける?」
シロが少しだけ声を弾ませる。どうやら彼女の目当ては、かつて転移したココヤシ村の、あのみかんの味らしい。
「いいぜ、ちょうどあの島もこれから一荒れする頃だしな。食糧調達がてら、始まりの海へ跳ぶか」
俺は手首のロザリオを強く握り締め、完成された空間歪曲の力を解放した。
「――陰陽調律・螺旋門」
船首の空間が巻き貝のようにぐにゃりとねじ曲がり、目の前に眩い光の裂け目が現れる。漆黒の巨大ガレオン船『レヴナント号』がそこへ滑り込むと、視界が歪んだのはほんの一瞬だった。
波の音が一変し、レヴナント号を包み込んだのは、コノミ諸島――ココヤシ村の遥か沖合の穏やかな海原だった。
船を幻形の偽装で普通の商船へと変え、俺とシロは「隠形(おんぎょう)」の術を纏って姿を消したまま、懐かしいココヤシ村の市場へと足を踏み入れた。
村の空気は、魚人海賊団アーロン一味の支配(厄)によってひどく重苦しく澱んでいる。だが、みかん畑のベルメールさんの家があった場所へと向かうと、そこには少し大人になり、凛とした美しさを纏った『泥棒猫』ナミの姿があった。
あいつは相変わらず、村を買い取るための1億ベリーを貯めるため、必死に海賊専門の泥棒を続けている最中だ。
(今回はスリの応酬はなしだ。あんたのその過酷な運命をひっくり返す男は、もうすぐこの島にやってくるからな)
姿を消したまま、俺はシロと一緒にナミが手入れをしているみかんの袋をいくつか、代金としてのベリーを机の隅にきっちり残して回収した。
ナミが「え? またいつの間にかみかんが売れて、お金が置いてある……?」と不思議そうに首を傾げているのを、俺はモブの特等席からフッと笑って見つめる。
シロはスッと差し出されたもぎたてのみかんを口に運び、「……やっぱり、世界で一番美味しい」と、静かに嬉そうに微笑んだ。
仲間はいらない。ただ、呪いを相殺し合う最高の相棒・シロを隣に乗せ、死なない軍勢と黒曜螺旋城を従えた俺たちの『自由の美食航海』。
ついに幕を開けた新時代のタイムラインを、俺たちは空間を支配した絶対の傍観者として、どこまでも気楽に、そして不敵に観測し始めていく。