逆行したのにチートができない 作:タイムトリッパー
「夏油さん、最近顔色悪くない?」
恵にそう言われて、硝子はやっぱりそう見えるか、と眉を寄せた。任務から帰ってくるたびに疲労の色が濃くなっていることには気づいていたし、食事の量も以前より減っている気がする。ただでさえ呪霊操術という術式は、呪霊を取り込むたびにあの不味い玉を飲み込まなければならないらしいのだから、身体だけでなく精神にも相当な負担があるはずだった。
「恵もそう思う? 私もちょっと心配だったんだ。でも任務で忙しそうでさ」
「でもあいつ、任務こなせばこなすほど強くなれるしなー」
悟があまり深刻そうでもなく言うと、恵は少し考えてから首を横に振った。
「多分、灰原さんが亡くなったことが堪えてるんだと思う。夏油さんは一般出だから……。むしろ七海さんより、夏油さんの方が弱ってるように見える」
「そっか……」
悟は腕を組んだ。
灰原が死んだ。
もちろん自分だって悲しかったし、もっと早くフォローへ入れていれば、などと考えなかったわけでもない。しかし呪術師が死ぬこと自体は、どうしても避けられないものだとも思っている。
けれど、傑は違うのかもしれない。
一般家庭から呪術界へ入ってきて、呪術師の死を当たり前として育ってきたわけでもない。しかも傑は元々、弱者を守るだの、呪術は非術師を守るためにあるだの、悟にはいまいち理解できない理屈を大真面目に信じていた男だ。
そういう奴に何と言えばいいのだろう。
「んー……。俺は強いから死なないよ、って……」
言いかけて、未来の自分が宿儺に真っ二つにされたことを思い出した。
「死ぬわ、俺」
「死ぬね」
「死にますね」
硝子と恵に即答された。
「そのうち慣れる……違うな。なんて慰めればいいんだろ」
悟はうーん、うーんと唸った。
分からない。
今まで傑は、勝手に大丈夫だった。
悟が何かに悩んだときには傑が話を聞いてくれたし、何かを間違えれば傑が小言を言ってきた。悟と対等に殴り合えて、背中を任せても何の心配もなくて、何があっても自分の隣に立っている。それが傑だった。
だから、傑が弱っているときに何をすればいいのか、悟は知らなかった。
こういうときは年の功だ。
悟は野薔薇へ電話をかけた。
『花火は慰霊に使われたりもするし、お休み取って温泉に花火なんてどう? 気分転換にもなるでしょ』
「いいな! みんなで休み合わせようぜ! さすがロリババア、頼りになるぜ!」
『次ロリババアって言ったら簪な』
「はい」
悟は素直に返事をした。
電話を切った後、さっそく全員の予定を確認したのだが、そこで三人は驚愕の事実を知ることになった。
「……五条、十五連勤」
「おー」
「夏油、二十連勤」
「おー……?」
悟が首を傾げる横で、硝子の眉間に深い皺が寄った。
「は? 寝る時間ないじゃん」
「あー。俺はショートスリーパーだし」
「体に悪すぎるわ。成長期舐めんな。それに夏油はショートスリーパーじゃないだろ」
「…………」
そう言われて、悟は改めて予定表を眺めた。
自分の予定も大概だったが、傑のものはさらに酷い。ただ件数が多いだけではなく、術師同士の揉め事が予想される案件や、非術師との調整が必要なもの、事前情報の曖昧な案件など、妙に面倒な仕事ばかりが並んでいる。
「……これ、傑、面倒な依頼ばっかり任されてない?」
「あ、確かに。揉めそうなのばっかりかも」
硝子も予定表を覗き込み、表情を変えた。
「マジかよ、嫌がらせじゃん。……あっ」
悟の顔から笑みが消えた。
「これ、削りか!」
「……ああ」
「攻撃されてるじゃん、俺ら!!」
直接殺しに来る必要などない。
任務を積み重ね、睡眠時間を削り、精神的に負荷の大きな案件ばかりを押しつけて、判断力も体力も落ちたところを狙えばいい。
未来から来た者達によれば、いずれ総監部の中枢には羂索の手が伸びる。今の時点で誰が敵なのか、そもそも既に敵がいるのかさえ分からないが、少なくとも「忙しいから仕方がない」で流していい状況ではなかった。
「そうだ、総監部に敵が混じってる可能性あるんだった。えっ、傑やばい? 狙われてる?」
さっきまでどう慰めればいいのかと悩んでいた悟の顔色が変わった。
「俺ら今日から休み!! すぐ傑を回収してくる!」
「私も連れて行ってください、ご当主様!」
「じゃあ七海と伊地知も連れてくるわ。万が一何かあったら人手がいる」
硝子も立ち上がった。
◇
そんなわけで、傑が派遣された村までやって来たのだが、到着して間もなく、悟は凄まじい呪力の揺らぎを感じ取った。
「傑!」
返事を待つより早く、悟の姿が消えた。
硝子達が後を追ったときには、既に悟は現場へ辿り着いていた。
「悟。どうしてここに」
「傑!」
説明するより先に、悟は傑を抱きしめた。
そこでようやく、何が起きているのかを見る。
傑は、二人の幼い少女を抱きしめて泣いていた。
少女達は酷く汚れていて、痩せていた。身体のあちこちに傷があり、まともな扱いを受けていなかったことなど一目で分かる。
そして、その周囲。
数え切れないほどの呪霊がいた。
傑がこれまで取り込んできた呪霊達が、主の感情に引きずられるように現れている。それだけの数が顕現すれば、本来ならば周囲は阿鼻叫喚になってもおかしくない。
けれど、どの呪霊も暴れてはいなかった。
泣いていた。
人間のように涙を流すものばかりではない。目すらないものもいる。口のないもの、声を出せないもの、そもそも人間の感情など持っているのか怪しい異形までが、声にならない声で何かを訴えるように身を震わせていた。
怒っているのではない。
憎んでいるのでもない。
ただ、悲しい。
痛い。
どうしていいのか分からない。
そんな傑の感情そのものが、呪霊操術を通して伝播しているようだった。
術師ではない村人達には呪霊そのものは見えない。それでも異常な空気だけは感じ取れるのだろう。遠巻きにこちらを窺い、何が起きているのか分からないまま怯えている。
「……見ないでくれ。恥ずかしいな」
悟の腕の中で、傑が小さく笑った。
泣きながら笑うその顔を見て、悟は何も言えなくなった。
「これは……」
遅れて硝子達も駆けつけ、七海は一瞬息を呑んだ。
「夏油さん!」
「夏油。よく手を出さなかった。その子達は私に任せろ」
「……頼むよ、硝子」
傑は腕の中の少女達を見下ろした。
「この子達は、術師だからと非術師に迫害されていて……それを見ていたら、なんだか涙が出てきてしまって。おかしいね」
「全然変じゃない」
硝子は迷わず答え、二人の少女を引き取った。
おかしいのだろうか。
傑自身にも、もうよく分からなかった。
この村の人間達が、理解できないものを恐れた気持ちが分かってしまう。
自分達には見えないものを見て、理解できない力を使う子供が身近にいたら、恐ろしいと思う人間だっているだろう。
だって私だって、呪霊が■■■だ。
呪霊も、術師も、■■■■いい。
その言葉はもう、心の中でさえ最後まで形にならない。
怖いと思うことも、厭うことも、消えてほしいと願ってしまうことも、本当は分かる。
だからといって、排斥される側になることが苦しくないはずがない。
怖がられる。
嫌われる。
自分が存在しているというだけで、いなくなればいいと思われる。
そんなものは、誰だって苦しい。
村人を憎めば楽だったのかもしれない。
この子達をこんな目に遭わせた奴らは最低だと怒り、全部相手のせいにしてしまえれば、行き場のない感情を叩きつける場所ができたのかもしれない。
けれど、傑にはもう恐れる側の気持ちまで分かってしまった。
だから誰にもぶつけられない。
ただ痛くて、痛くて、どうしようもなくて。
泣くことしかできなかった。
「傑! その……」
悟が口を開いた。
「情けないね、私」
「違う! 俺!!!」
あまりの勢いに、傑が目を瞬いた。
「俺、みんな、弱くて儚い花だと思ってて、傑は別で、傑だけ人で!!」
「ええ……」
空気が止まった。
硝子が露骨に顔を引きつらせ、七海は何とも言えない顔をし、伊地知は聞いてはいけないものを聞いたように視線を逸らした。
最低のカミングアウトだった。
「五条先輩、それはちょっと……」
恵にまで引かれた。
「いや違う! 最後まで聞けって!」
悟は必死だった。
上手く言えない。
どう言えばいいのか分からない。
それでも今は、傑に何かを言わなければならないと思った。
「俺さ、傑が強かったから好きになったんだよ。一緒にいても壊れないし、俺と殴り合えるし、背中任せても平気だし、こいつなら俺と同じところにいるって思ってたから」
傑は何も言わず、悟を見ていた。
「でも変なんだ。傑なら別に強さとかどうでもよくて、強くても胸がキューンとなるし、弱いとこ見ても胸がキューンとなるんだ! 泣いててもなんか、傑だなって思うし、守んなきゃっていうのとも違うし、なんか……キューンって!」
「ええ……」
無事、傑も引いた。
先ほどまで泣いていた顔に、純粋な困惑が浮かんでいる。
「困るよ、悟。私は君を友達としてしか見られないよ」
「独身なのってそういうことかよ、五条」
硝子がぼそりと言った。
「違うわ! まだ告白してねーし!」
「今のを告白以外の何だと思ってるんですか」
七海にまで突っ込まれた。
悟は一瞬黙った後、話題を変えることにした。
「傑、一緒に温泉行こう!」
「さっきの話の流れで行くと思う? 行かないよ」
「みんなも一緒だから! 七海と硝子と伊地知と恵もいるから! そこの幼女二人も連れてっていいし、二十連勤したなら十分だよ、休もうぜ!」
「……私、そんなに働いてたっけ?」
「働いてる。これ多分削りだから、仕事無視して休んだ方がいい。弱ったところで襲撃受けたら大変だし」
「そういうこと。五条のおごりだってよ」
「げー! ……まあいいよ。とにかく、ぱあっとしようぜ!」
「五条先輩! 駄目ですよ!」
突然、伊地知が声を上げた。
「手続き先にしないと、その子達連れて行ったら誘拐になっちゃいますよ!」
「……確かに」
「伊地知、頼りになるね」
「ありがとうございます!」
この日一番まともなことを言えた伊地知は、少し嬉しそうだった。
◇
必要な手続きを済ませ、二人の少女の保護を確定させ、任務についても半ば強引に休暇へ切り替えた末に、一同は温泉宿へとなだれ込んだ。
「俺、すぐると同じ部屋ー!」
「二人部屋は怖いから、みんな一緒の部屋にしようね」
「なんで!?」
「さっきの告白を忘れたのかい?」
「告白じゃねーって!」
「巻き込まないでください」
七海が疲れ切った顔で言った。
結局、大部屋を取った。
温泉に入り、まともな食事を腹いっぱい食べて、何もしなくていい時間を過ごした。
それだけのことなのに、傑は自分がどれほど疲れていたのかを初めて思い知らされた。
身体が重かった。
布団へ横になれば、そのまま何時間でも眠れそうだった。
けれど、その夜には一つだけ予定があった。
野薔薇が提案した、花火だった。
宿の外へ出て、皆で市販の花火に火をつける。
恵と保護された二人の少女達が手持ち花火にはしゃぎ、硝子が危ないから振り回すなと注意し、伊地知が水の入ったバケツを用意する。悟は調子に乗って両手に花火を持ち、七海に「子供の前で危険なことをしないでください」と怒られていた。
それを眺めているうちに、傑はふと、昔のことを思い出した。
「灰原と、こんな風に花火をしたね」
隣にいた七海が、僅かに目を伏せた。
「……覚えてます」
それだけだった。
灰原がどんなふうに笑っていたのか。
何を話していたのか。
細かなところまでは、もう曖昧になり始めている。
死んでから、まだそれほど経っていないのに。
それが少し怖かった。
人は死ぬ。
残された者は生きる。
そして生きている限り、少しずつ忘れていく。
「傑」
悟が隣へ来た。
「毎年、花火しよ」
「……毎年?」
「うん。来年も、再来年も、その後も、ずーっと。慰霊代わりにさ」
悟は、何でもないことのように言った。
来年。
再来年。
その後。
傑は未来を知ってしまった。
八十年以上先まで続く未来を。
呪霊がどうなるのか。
術師がどうなるのか。
悟がどう死ぬのか。
自分がどうなるのか。
そんな遠いところばかりを見ていた。
「……悟。灰原も見てるかな」
「きっと見てるよ。だから打ち上げ花火しようぜ!」
市販の小さな打ち上げ花火へ火をつける。
皆が少し離れたところまで下がった。
間もなく、乾いた音とともに光が夜空へ昇り、小さな花が開いた。
大きな花火大会とは比べものにならない。
ほんの一瞬。
けれど、皆で見上げた。
七海も。
硝子も。
恵も。
伊地知も。
保護した少女達も。
悟も。
そして私も。
悟が傑の腕へ、自分の腕をぎゅっと絡めた。
「傑」
「何だい?」
「お前、俺のために世界を敵に回すって言ったよな」
「……うん」
言った。
今でも、その気持ちは変わっていない。
「俺さ」
悟は花火を見上げたまま言った。
「お前がいないと、すげー寂しいし、お前が横にいるなら、俺も頑張れる」
「…………」
傑は返事ができなかった。
世界を敵にしてでも、悟を生かす。
ずっとそう思っていた。
悟が生きていていいと証明するためなら、自分が何を飲み込んでも構わないと思っていた。
呪霊玉でも。
痛みでも。
正しくない選択でも。
けれど。
悟が生きる未来の中に、自分も必要なのだと。
そんなことは、考えていなかった。
「……うん」
ようやく、それだけ答えた。
もう一つ、花火が上がった。
その光を見ながら、悟は傑の腕を離さなかった。
「また私を無視してイチャイチャしてる……」
少し離れたところから、硝子の声がした。
「野薔薇にチクろ」
「やめろ!」
「何を報告するんだい」
「『五条が夏油に告白して振られた後も腕にしがみついてます』」
「だから告白じゃねーって!」
夜の温泉宿に、久しぶりに傑の笑い声が響いた。
傷が治ったわけではない。
灰原が戻ってきたわけでもなく、呪霊が存在する世界と、悟が存在する世界をどう受け止めればいいのか、その答えが出たわけでもない。
それでも、来年また花火をしようと思った。
再来年も、その次も。
遠い未来の正しさではなく、まずは来年の夏まで生きて、また皆でここへ来ればいい。
今は、それくらいでよかった。
なお。
後日、この旅行についてどこからか聞きつけた歌姫から、
「なんで私を誘わなかったのよぉぉぉぉ!!」
と泣きながら抗議され、一同が揃って平謝りすることになるのだが。
それはまた、別の話である。
ちいかわの映画見ました。
村人達が仇を前にして、復讐するでもなく、ただ悲しみを訴えて泣く場面、胸が痛かったです。
攻撃するんじゃなくて、でも痛くて、悲しくて。
そんな場面をイメージしてます。