逆行したのにチートができない 作:タイムトリッパー
乙骨憂太には、難しいことはよく分からない。
未来では、とても悪い人が大変なことをするらしい。その人は脳みそを入れ替えて他人の身体を乗っ取り、長い間生き続けていて、いつか夏油さんの身体まで奪ってしまうのだという。
宿儺という昔のすごく悪い呪術師も復活する。強くて悪い人で、五条さんはその宿儺に殺される。
日本は大変なことになる。そして乙骨は将来それを防ぐ側に回る。
未来から来たという恵ちゃんや野薔薇ちゃんが話してくれたことを一つ一つ聞けば、怖い話なのだとは分かる。けれど、それを全部理解して、自分が何をしなければならないのかまで考えるのは、まだ八歳の憂太には難しかった。
それでも、自分を必要としてくれる人達がいることは分かる。
自分には、どうやらすごい力があるらしい。人の術式を真似することができる。一度見て、条件を満たせば、色々な術式を使えるようになる。呪力という不思議パワーも強いらしい。最強と言われる五条さんよりも凄いらしい。それは単純に楽しかった。
禪院家へ行くと、色々な術式を見せてもらえる。真似すると大人達が驚いたり、喜んだり、難しい顔をして何かを書き留めたりする。五条さん達からも、直毘人さん達からも期待されていて、自分の家の後を継いで欲しいと言われている。それは幸せな事だと知っている。当主の座は、殺し合いになる程望まれるものなのだという。
両親から引き離され、五条家に引き取られたときは悲しかった。寂しくて泣いたこともある。けれど、自分の力がとても大切なものらしいこともわかっている。五条さん達は、とても申し訳なさそうに、乙骨が必要なのだという。
何より、憂太を必要としてくれる人達は、いい人達だった。訓練の時は厳しいけれど、お菓子をくれて、一緒に遊んでくれて、話を聞いてくれて、いつも命懸けで人助けをしている。
五条さんはうるさいし、よくからかってくるけれど優しい。夏油さんは丁寧に色々なことを教えてくれるし、家入さんは怪我をすれば治してくれる。
それに他人だけではない。
恵ちゃんは、前世では自分の孫だったらしい。自分の孫! 今は同い年くらいなのに、会うたびに「おじいちゃん!」と嬉しそうに寄ってくるので、少し恥ずかしい。
野薔薇ちゃんは未来では憂太の後輩だったという。とっても頭が良くて強いのに、僕に敬意を払ってくれる。
美々子ちゃんと菜々子ちゃんも可愛い。憂太の事を慕ってくれる。
真希ちゃんと、その妹の真依ちゃんにも、もう会った。一緒に訓練とかもして、将来の予行演習ということで、おままごとだってする。真依ちゃんは、自分達の扱いが憂太のおかげで良くなったと感謝して何くれと世話を焼いてくれる。真希ちゃんは訓練に必死で、憂太にも勉強になる。
どうやら自分には、運命の相手が二人いるらしい。
祈本里香と禪院真希。
大人達が話していることはやっぱり難しくて、どうして二人いるのかもよく分からない。将来どちらかと結婚するのか、二人ともなのか、それとも未来が変わったから誰とも結婚しないのかも分からない。
憂太としては、今のところ結婚よりも遊ぶ方が楽しかった。
それに最近、少しだけ思うことがある。僕の周り、女の子ばっかりなのである。男の子の友達も欲しい。そういうと、周囲の男の人達は決まって贅沢ものとか、これだからハーレム王は、などと言った。
憂太はそれなりに楽しく毎日を過ごしていた。
未来を知るというのは、悪いことばかりでもなかった。
少なくとも、祈本里香という女の子についてはそうだ。
未来の自分にとって、とても大切な女の子。
幼い頃に結婚を約束して、けれど死んでしまって、自分によって呪われた女の子。呪いの女王とまで呼ばれるようになった女の子。彼女は僕をいつだってその深い愛で助けてくれたらしい。将来の僕の強さの大部分を占めていた女の子。
憂太は、もう以前の学校には通っていない。暮らす場所も変わった。
だから、里香ちゃんと会うことはないのだろう。
それは少しだけ残念だった。
どんな子だったのかな、と思うことはある。未来の自分と深く愛し合っていて頼りになる、素敵な女の子。興味を持つなというほうが無理だ。
でも、会わない方がいい。
僕に出会わなければ、里香ちゃんは呪いの女王にならない。
普通に大きくなって、普通に誰かを好きになって、普通に幸せになれるのかもしれない。それなら、その方がいい。
里香ちゃんがいない分、僕は頑張って鍛えなきゃ。周りの女の子達を守れるように。
そう思っていた。
◇
「きゃああああっ!」
悲鳴が聞こえた。鈴を鳴らすような、とても可愛い声の悲鳴。
憂太は反射的に駆け出した。
まだ子供だから単独任務などではない。近くには監督役の術師もいたけれど、悲鳴を聞いてしまえば、考えるより先に身体が動いた。
呪霊がいた。なんて事ない、三級呪霊。
けれど、戦う力を持たない人間にとっては、十分に脅威だ。
その呪霊に、一人の女の子が襲われていた。
「離れて!」
呪力を練る。
覚えた術式を使うまでもなかった。
憂太が呪力を叩きつけると、呪霊は一瞬で吹き飛んだ。
女の子が尻餅をついたまま、憂太を見上げた。
目が合った。
その瞬間。
憂太は、目を奪われた。
変な感じだった。
女の子の友達ならたくさんいる。恵ちゃんも、野薔薇ちゃんも、真希ちゃんも、真依ちゃんも、美々子ちゃんも菜々子ちゃんもいる。
なのに。この子は違う。特別だった。
何が違うのかは、憂太自身にも分からなかった。けれども、彼女は輝いて見えた。
「大丈夫?」
手を差し出す。
女の子はしばらく憂太の顔を見つめてから、その手を取った。
「……ありがとう」
「怪我してない?」
「うん」
「良かった。家まで送るよ」
立ち上がった女の子は、少しだけ俯いた。
それから、ぽつりと言った。
「私、居場所がないの。家に帰りたくない」
「……居場所?」
「うん」
詳しい事情は分からなかった。
それでも、その言葉がとても寂しいものだということくらいは、憂太にも分かった。
自分も、両親から離されて寂しかったから。
「じゃあ、力になるよ」
憂太は笑った。
「僕は乙骨憂太。君は?」
「里香」
女の子も、少しだけ笑った。
「祈本里香」
憂太は瞬きをした。
祈本 里香。
もう一度、目の前の女の子を見る。
学校は変わった。
住む場所も変わった。
未来も、既に色々なところが変わっている。
それでも出会った。
「……そっか」
「?」
里香が首を傾げるが、憂太は深く納得した。
なるほど。
これは運命だ。
◇
周囲の大人達は、意外なほど協力的だった。
祈本里香。
その名前は、五条達にとっても知らないものではない。
何より憂太は、これまで大人達が求めることに真面目に応えてきた。
訓練もする。任務もする。術式の検証にも付き合う。
禪院家へ行けば、頼まれた術式を真似してみせる。
未来の宿儺と戦うために強くなってほしいと言われれば、自分にできる範囲で頑張っている。
八歳の子供としては十分すぎるほど、実力と誠実さで信頼を積み重ねていた。
「運命の愛って、本当にあるのかもね」
夏油が感心したように言った。
「小学校も変わったのに、それでも出会うなんて本当に運命なんだね」
硝子も頷く。
「運命か〜。ロマンチック。さすがおじいちゃん!」
恵は何故か自分のことのように嬉しそうだった。
「モテモテだな。刺されんなよ」
悟だけは余計なことを言った。
三人と孫にうんうんと頷かれ、憂太は少し恥ずかしくなったが、今日ここへ来たのは里香のことで相談するためだ。
「それで、五条さん。僕は里香ちゃんの力になりたいです」
「ああ、いいよ」
悟はあっさり頷いた。
「知ってる孤児院紹介して、面会にちょくちょく行く感じでいい?」
「……やっぱり、引き取るのは無理ですか?」
「非術師はね……。五条家に入れるのは難しいと思う。却って辛い目にあう」
「そうですか……」
憂太はしょんぼりした。
その様子を見ていた傑が、少し考えてから口を開いた。
「そうだね……。君は悟を助けられるかもしれない人間だからね。私としても、君に協力する価値はある」
「傑、言い方」
「事実だろう?」
傑は笑って、それから憂太へ向き直った。
「私の両親に頼んでみるよ。事情を話せば、しばらく里香ちゃんの面倒を見てもらえるかもしれない。美々子と菜々子の時にもう頼んだんだ。2人も3人も一緒だよ」
憂太の顔が明るくなった。
「お願いします、夏油さん!」
「任せて」
憂太が協力的である限り、周囲の大人達も憂太に協力的だった。
こうして祈本里香は、夏油家の世話になることになった。
それからというもの、憂太は忙しくなった。
禪院家へ行って、真希と訓練する。
寮では恵と任務に行く。
夏油の実家へ行けば、里香がいる。
禪院真希。禪院恵。祈本里香。
齢八歳にして、女性の家を訪ねる予定でスケジュールが埋まっている。
やっぱり男の子の友達も欲しいな、と憂太は思った。
◇
そんなある日のことだった。夏油が実家に帰ると言って二日目。
「……傑、連絡つかなくない? 3時間も連絡つかないなんておかしい。あいつ昼寝したとしても2時間で起きるし」
悟が言った。
傑の様子がおかしいことには、少し前から気づいていた。
灰原が死んでから、一度かなり危うい状態になった。
皆で無理やり休ませて、温泉へ連れていき、花火をした。
少しは元気になったように見えた。けれど、傷が消えたわけではない。
悟は以前より、傑の様子を気にするようになっていた。
離れた時の絶え間ないメールと電話がそれである。そのせいで夏油の生態はだいたい把握されていた。だから、返事がないことが気になった。
「家入、憂太。行くぞ」
「私も?」「僕もいいんですか?」
「一応な。それに憂太。傑、実家だから、里香に会いたくない?」
「会いたいです」
予告はしなかった。
ただ、様子を見に行くつもりだった。
行って、何もなければそれでいい。
また悟が大袈裟に心配したと傑に笑われればいい。
そう思っていた。
悟の術式で夏油家へ飛んだところで、悟の表情が変わった。
「――傑」
次の瞬間には、姿が消えていた。
家入と憂太も走った。血の匂いが満ちていた。
「……夏油」
傑が倒れている。
全身が血に濡れ、息をしているのが不思議なほど傷ついていた。
その近くには、動かなくなった男女。
傑の両親。
そして。
「……里香ちゃん?」
小さな身体が、血の中に横たわっていた。
「すま……ない……」
傑が、かすれた声を出した。
「乙骨……」
「喋るな、夏油!」
硝子がすぐに傑の横へ膝をついた。
「まだ間に合う。五条、こっちは私がやる!」
反転術式が走る。
悟は返事をしなかった。
怒りが一瞬でギアを上げていくと同時、氷のような冷静さで呪詛師を把握していった。
傑がこんな目に遭った。
傑の両親が殺された。里香まで殺された。
絶対に許さない。
まずぶん殴る。誰も逃さない。
そう思って、一歩前へ出ようとして、悟は止まった。
思考が形作る前に、本能が足を一歩下げた。
「……憂太」
悟の声が、僅かに低くなる。
怒りが消えたわけではない。
けれど、今ここで、五条悟よりも怒っているものがいた。
憂太は、里香の傍へ歩いていった。
周囲にはまだ呪詛師達がいる。
何人もいる。
傑をここまで追い詰めた者達。
夏油家を襲い、その両親を殺し、里香を殺した者達。
けれど憂太は、一度もそちらを見なかった。
「里香ちゃん」
優しい声で呼ぶ。
里香の瞼が、僅かに動いた。
「……憂……太」
「うん。僕だよ」
憂太は里香の手を取った。
まだ温かい。
でも、分かった。
助からない。
祈本里香は死ぬ。これも運命なのだろうか。
ならば、今からすることも運命のはずだ。
死んだ祈本里香と、乙骨憂太は一緒にいる。
その方法まで、憂太は知っていた。
里香を呪う。死者をこの世へ縛りつける。
未来の自分は、知らずにそれをやったらしい。里香の死を拒絶して、大好きな女の子を手放せなくて、無意識に。
でも、今の憂太は知っている。不思議なほど頭がすっきりとしていた。
何をすればいいのか。何が起きるのか。全て憂太は知っていた。
「頑張ったね、里香ちゃん。待っててくれてありがとう」
首に掛けた指輪を外し、血に濡れた小さな手に指輪を握らせ両手で包む。
里香が宿る場所を迷わないように。
「結婚しよう」
里香が、憂太を見た。
ほんの僅かに。笑ったように見えた。
「……うん」
手から、力が抜けた。
それは縛り。それは魂の契約。
憂太はどうすればいいか、全てわかっていた。
だからそうした。
呪力が、迸った。
「――っ!」
悟が息を呑む。
硝子が傑を庇うように身を伏せた。
空気が軋み、建物が震えた。
12歳の子供から放たれたとは思えないほど膨大な呪力が、死んだ少女へとなだれ込んでいく。鍛えられた呪力操作で、丁寧に、優しく、少しも漏らさぬように。
里香は小さな体で、それを飲み込んでいく。
魂が縛られる。
死を拒絶し、別れを拒絶し、世界が決めた終わりを、乙骨憂太が拒絶する。
現代の最強を証人として、今、契りは結ばれた。
人の形を失いながら、巨大な何かが現れた。
禍々しい。おぞましい。その場にいた誰もが、本能的に理解するほど強大な呪い。
それでも憂太だけは、怖がらなかった。蕩けるように甘い瞳で、甘い声を掛ける。
「里香ちゃん」
巨大な異形が、憂太を見た。
そして。
『憂太』
嬉しそうに、名前を呼んだ。
憂太は笑った。
「うん」
それでよかった。
その場に残っていた呪詛師達が何かを叫んだ。
逃げようとした者もいた。
術式を使おうとした者もいた。
悟は動かなかった。
動く必要がなかった。
生まれたばかりの呪いが、憂太と自分を引き裂いた者達へ振り返る。
次の瞬間。
呪詛師達は、消し飛んだ。
あとには何も残らなかった。
静寂の中。
反転術式で辛うじて命を繋がれた傑が、薄く目を開けた。
自分の両親は死んでいる。
守ろうとした少女も死んだ。
そして、その少女は今。
巨大な呪いとなって、憂太へ寄り添っている。
『憂太ぁ』
「里香ちゃん」
憂太は、嬉しそうだった。傑は何も言えなかった。
呪霊が好きだ。呪霊玉が大好物だ。
任務も、戦いも、大好きだ。
私は術師として生きることを、全力で肯定する。
だから私は呪霊が、大好きだ。
何度も、何度も、自分へ言い聞かせてきた言葉が頭を巡った。
その目の前で。
12歳の少年は、自分が心から愛した少女を、自らの意思で呪いへ変えた。
それでも。
異形となった里香を見つめる憂太の目には、恐怖も嫌悪もなかった。
ただ、愛しい女の子を見る目だけがあった。
そして里香もまた、呪いになった身体で憂太へ寄り添っていた。
呪霊としてなら。強くても、バランスを整える為の呪霊強化は起きないだろうか?
そんな考えがふとよぎる。
「悟」
「傑」
「私が死んだら、呪ってくれるかな」
悟は口を開けて、閉じた。そしてまた開いた。
「お前が望むなら」
呪いの女王が、誕生した。呪いの女王は、ただその名を聞いて想像していたよりも遥かに強大で圧倒的な威圧感を持って君臨していた。
里香ちゃんが死んだ時の乙骨の年齢を修正しました。