逆行したのにチートができない 作:タイムトリッパー
「こちらの世界を、実験台にしたくはないか?」
「は?」
夏油は、思わず聞き返した。
任務に向かった先、話を聞こうと依頼者の家に入ったら、会議室だった。顔を連ねるのは総監部の錚々たるメンバー。この時点でろくでもない話だろうとは思っていた。しかし、予想していた方向とは少し違った。
「ここに夏油傑がいるというのに、行方不明の夏油傑を探すなど意味不明だ。必要なのは呪霊操術だろう。十二月七日までに天元様を操れるところまで持っていければ、それでいい」
「……私がそれに従うとでも?」
夏油は笑みを浮かべた。
目は笑っていなかった。
「予行演習をしたいだろう?」
「…………」
「お前達は、この世界で上手くいった方法があれば、自分達の世界へ持ち帰りたいと言っていた。ならば都合がいい。こちらはこちらで結果が欲しい。お前は実験結果を持ち帰れる。利害は一致している」
「悟が許すと思うかい?」
「お前の五条には、こちらの夏油傑がやったと言えばいい」
「…………」
夏油の笑みが深くなった。
笑わずに言われるものか。世界はこんなにも汚い。
術師も非術師も関係なかった。世界はクソだった。
五条悟だけが綺麗なものだった。
「真人は?」
「こちらで適宜、薪を与えて育てている」
「薪」
「適当な強さの術師を与えている。非術師も」
あまりにも外道な言葉に、夏油はとうとう笑ってしまった。
なるほど。笑うしかなかった。いっそ笑ってしまうほどに救いがなかった。
「お前に誰かを殺せとは言っていない」
老人は淡々と続けた。
「非術師を術師に変えるだけだ」
「そのために真人を育てている時点で、誰も犠牲にしていないとは言えないと思うけどね」
「それは我々がやっていることだ。お前ではない」
実に都合のいい理屈だった。
「お前は、こちらで用意した真人を取り込む。天元様を操る。術式を持ちながら脳の構造が非術師である者を覚醒させる。必要なら受肉体にも手を加える。未来情報にあった有能な術師はこちらで先に確保させてもらう。それだけだ」
「それだけ、ね」
夏油は目を細めた。
「成功すれば、お前達の世界でも使える」
その一言だけは、笑えなかった。
実験は必要だった。
未来の情報があるからといって、同じことをすれば同じ結果が出るとは限らない。まして自分達の世界では、羂索の計画を阻止するつもりでいる。
真人をどうする。
天元をどうする。
受肉体をどうする。
術師が生まれなくなる未来へ、どう繋げる。
正史で起きた現象のどこまでが再現可能なのか、何が必須で、何が不要なのか。
知りたいことはいくらでもあった。そして夏油は、五条のためなら何でもすると決めていた。
それこそ、世界を敵に回してでも。
夏油が総監部から熱烈な勧誘を受けている頃。
もう一人の夏油傑は、二人の五条悟と七海建人を前にしていた。
「君が二人……!?」
追い詰められた一周目夏油は大きく目を見開いた。
そして、すぐに笑う。
「――なんてね。聞いているよ。並行世界の君だろう?」
二周目五条が軽く手を上げた。
「どーも」
「随分と軽いね。未来から並行世界の私達が来たなんて話を聞かされた時には、さすがの私も疑ったんだけど。こうして見ると……なるほど。確かに悟だ」
「傑」
一周目五条の声が落ちた。
夏油はそちらを見る。
「話がある」
「驚いたな」
夏油は笑った。
「まさか、今更私を説得するつもりかい? 自分と同じ道を選んだ私の可能性を見て、私も戻れると思っちゃった?」
「違う」
五条は即座に否定した。
「そうなら良かった。でも、違うんだ」
「悟……?」
「俺はお前に、ひどいことをする」
五条の顔は、夏油が想像していたよりずっと酷かった。
「だから、傑は俺を殴っていい」
「……ひどい顔だよ、悟」
夏油は困ったように笑った。
「あの時から、秘匿死刑は覚悟していたさ。君が執行人なら、それはそれで悪くない。もちろん精一杯足掻いてみせるけどね」
「そんなんじゃないんだ」
五条は俯いた。
「先に謝っとく。ごめん、傑」
お通夜だった。
捕獲作戦開始前から、完全にお通夜だった。
状況によって東京壊滅してくれますか? なんてどんな顔して言えばいいのか。
させる気はないが、五条は社畜の鏡でもある。
未来の為に術師みんなでそう決めました!などと言われたら逆らいきれなかった。
「俺もさ」
そんな空気を読まず、二周目五条が一歩前へ出た。
「傑に、どうしても聞きたいことがあるんだ」
「どうして離反したのか、かい?」
くすくすと夏油は笑う。
「いや、違う。可能性が分岐したのって学生時代だろ? だから学生時代のあの時、傑がどう思ってたのか聞きたいことがあって」
「だから、それが離反の話じゃないのかい?」
「あんとき真面目に告白してたら成功率何パー――ゲホォッ!!」
一周目五条の拳が、二周目五条の腹に突き刺さった。
夏油が呆気に取られる。
「五条さん」
七海が頭を押さえた。
「なんでもないよ、傑!」
「なんでもなくはないだろう」
夏油が露骨に引いた。
「えっ。君、そうだったの? なんかショック……。私が友情だと思っていたものに、性欲が混じっていた可能性もあるってことかい?」
「違う! 違うから!」
一周目五条が必死になった。
「お前は俺の大事な親友だって! こいつじゃないんだし、邪な思いなんて抱いてない! 信じて! 信じて傑!!」
「五条さん、大事な話があるのでしょう」
七海は心底疲れた声で言った。
「あの色ぼけは忘れましょう」
「忘れるなんて無理だよ、七海」
夏油は面白そうに二周目五条を眺めた。
「そういえば、向こうでは十歳下の子と婚約しているんだって?」
「それは事情があんの!」
「来るもの拒まずのタイプだったの? じゃあ私も行ったわけ? それとも君が老若男女手当たり次第とか?」
「傑」
二周目五条が真顔になった。
「何だい?」
「だってお前、俺のこと好きじゃん!」
「違う、違う違う傑、違うんだって!」
一周目五条が割って入った。
「悟、ちょっと黙って」
夏油が、その唇へそっと人差し指を当てた。
「…………」
五条が黙る。
二周目五条がそれを見た。
七海も見た。
そういうところだぞ、と二人とも思った。
「私ではないね。残念ながら」
夏油は二周目五条へ向き直った。
「えー」
「えー、じゃないよ。そもそも、どうして私が君を好きだと思ったんだい?」
「だってさ」
二周目五条は指を折り始めた。
「俺が人類の平和のために寝る間もないほど仕事漬けにされて、何度かみじん切りにされて、真っ二つにされて、脳みそくり抜かれて、体縫合されて再利用されて、お前の命日に死んで、死んだ後に『五条が死んだら呪霊減って平和になったね』って言われるって知って、世界が敵に回っても傑だけは味方になってくれるって言ってたじゃん!」
「は?」
夏油の顔から笑みが消えた。
「君が……は? いや、それは友達がそうなれば誰だって庇わないかい?」
「悟!」
一周目五条が二周目の自分を睨んだ。
「何で今それ言うんだよ!」
「だって説明しないと話進まないじゃん」
「ちょっと待ってくれ」
夏油が遮った。
先ほどまでとは、声が違った。
「それが、本当に君の未来だと?」
「寝る間もないほど働かされてんのはまさに今もだけど、まあそう。かなり確度の高い未来かな。宿儺を倒すのが大変でさ」
「…………」
夏油は一周目五条を見た。
五条は何も言わなかった。
「それ聞いた傑がさ、俺がひとりぼっちにならないように、先に死んだら乙骨みたいに呪って呪霊にしてって言ってくれたし!」
「私は言ってないよ」
「脈あるって思うじゃん!」
「ないよ」
即答だった。
「その流れなら、一〇〇%ないよ。美しい友情じゃないか。恋愛感情はないよ」
「なんで!?」
「友情と恋愛感情は別だからだよ」
夏油はきっぱりと言い切った。
そして、崩れ落ちた一周目五条を見る。
「悟、君もショックを受けないでよ。大丈夫だよ。友達とは思ってるから」
「俺は別にショック受けてねぇよ!」
「しかし……君はそんな未来を……」
「だから! 傑!」
夏油がせっかく話をしようとしてくれたのに、二周目五条が食い下がった。
「いっつもベタベタしても許してくれるじゃん! なんで一線越えようとすると百メートルくらい離れるんだよ! ほっぺたカプってしてくるのに! あれは絶対誘ってるだろ、応えても俺無罪だろ!」
「ええ……」
一周目夏油が心底困った顔になった。
「私に言われても困るなぁ。本人に言いなよ」
「だって本人に言って、『じゃあ適切な距離取るね』って言われたら死んじゃうじゃん!」
「死なないよ。そんな簡単なことで死ぬなよ。ウサギかよ」
「じゃあ玉砕したら受けてくれんの!? どうなの!?」
「だから、ないって」
夏油は呆れた。
「っていうか、なんで私なんだい? 十歳下の婚約者までいるんだろう?」
「傑、強いし!」
「君にそう思ってもらっているなら光栄だよ。君の買い被りじゃないかとも思うけどね」
「それだけじゃない」
二周目五条の声が、不意に真面目になった。
「傑が一緒の任務で、俺が『山ごと消しちゃえ』って言った時」
夏油が瞬いた。
「傑だけが、本当は俺が納得してないって気づいてくれた」
「…………」
「みんな俺ならできるって言うし、実際できる。でも、傑だけは俺が嫌がってるって分かってくれた。強いだけじゃなくて、俺に手を差し伸べてくれた」
二周目五条は、まっすぐ夏油を見る。
「忘れられるわけねーよ」
「……その依頼は」
夏油の表情がわずかに和らいだ。
「私も覚えているよ」
「俺の未来を知って、傷ついてくれた。泣いてくれた」
五条は続けた。
「凜とした強さも、優しい弱さも、まっすぐな心も、誰にでもばら撒く優しさも、融通の効かないとこも、大器晩成形で可能性の塊の術式も、胡散臭さも、格闘技好きなとこも、鍛えてる筋肉も、蘊蓄好きなとこも、いいかい悟、って言ってくる声も、全部好き。こんなのどうやって嫌えっていうんだよ……」
「…………」
可愛いからとか自分より弱いからなんて言ってたら軽蔑していた。
違った。 自分を女扱いしたのではなかった。
上げていく全てに困った事に思い当たる節があって、何より好きな所で最初に強さを挙げられて、認められていたと知って、夏油は怒れなくなってしまった。意外と真面目に私のこと好きだね君?
後、勘違いさせてしまったのは純粋に申し訳なかった。
すまないね、私が慈悲深くて気遣いができて人間的に優れているばかりに。
「傑も、本気で向き合って想いを伝えれば、本気で向かい合ってくれるかなって思う。でも、その結果お断りされたり距離を置かれたりしたらって思うと怖くて」
拳を握る。
「だから頼む! どうすれば告白OKもらえるか教えて!」
だからって本人のいない所で並行世界の夏油に問うなど卑怯極まりなかった。
「すみません」
七海が割り込んだ。
「日本の未来が懸かっているので、ラブコメは後にしてもらっていいですか?」
「え、七海怒ってる?」
「あと殴っていいですか?」
「やっぱり怒ってる!!」
一周目夏油が吹き出した。
「ははっ! 悟、君、ずるいよこんなの。女扱いするなって怒れないじゃないか」
「俺を巻き込むなよ!」
「傑を女扱いとか考えたことねーよ、傑はどっからどう見ても立派な男じゃん」
「ハハッそうだね。君達は、幸せかな? 心から笑えてるかな?」
「うっ 俺は笑えてるけど、傑はどうやったら俺を守れるか悩んでてちゃんと笑えてない……」
「そうか……。それでも私は羨ましいよ。君達は対等なんだね」
「そ、それって……駄目だ、俺には俺の傑が!」
「何考えてるんだよ、恋愛感情はないって言ってるじゃないか。でも悟、意外だね。君は完璧だと思ってたよ。本人に告白もできず、並行世界の私に攻略法を聞いている辺り、弱くて小物な所もあるんだね」
「傑、それ俺じゃないからな!?」
「分かってるよ、悟」
「わかってねーよ!」
分かっている顔ではなかった。
完全に面白がっている。
一周目五条は頭を抱えた。
「だから俺はお前にそんな目で――」
「五条さん!」
遠くから声が飛んだ。
全員が振り返る。
息を切らせて駆けてきた伊地知の顔は、青ざめていた。
「どうしたの?」
「夏油さんが……!」
伊地知が、一周目夏油を見た。
言葉が止まる。
「…………」
「私はここだけど?」
夏油が笑った。
「い、いえ! そちらではなく!」
二周目五条の笑顔が消えた。
「……俺の傑?」
「姿を消しました!」
空気が変わった。
二周目五条が、反射的に呪力を探る。
いつもなら分かる。
十年以上、一緒にいた。それに夏油が狙われてると知って、瞬時に駆けつけられるよう訓練もしていた。
隣にいることが当たり前になりすぎて、意識して探すことすらなかった呪力。
いつでも飛んで駆けつけられていたはずだった。
その呪力がない。どこにも感じられない。
「……嘘だ」
二周目五条が呟いた。
「傑の呪力を追えない……?」
さっきまで恋愛相談をしていた男と、同じ人間には見えなかった。
「傑!」
三月十四日。
学校説明会兼未来会議まで、あと十二日。
夏油傑が、消えた。
会議を待たずして、未来へのレールを各々が引こうとしていた。