逆行したのにチートができない 作:タイムトリッパー
乙骨憂太は、本当にいた。
五条家から見ればかなり遠縁ではあるものの、間違いなく血縁者だった。年齢も、伏黒恵から聞いていたものと一致している。
そして何より大きかったのが、術式だった。
調べた時点ではまだ術式を発現していなかったため、最初は確証を得られなかった。しかし訓練を始めてしばらくすると、憂太は術式を覚醒させた。
模倣。
事前に伏黒恵から聞かされていたものと同じだった。
存在すら知らなかった遠縁の子供の術式を、発現前に言い当てる。
これだけでも、未来から来たという二人の話を信じる根拠としては十分だった。
問題は、これから憂太を五条家へ引き取るとなると相当に骨が折れそうなことだったが、未来では五条家の当主代理にまでなる人材である。それだけの価値はあるだろう。
いや。
本当に問題なのは、そこではない。
未来の情報だ。
いずれ襲来する宇宙人。
自分が死んだ後に弱くなっていく呪霊。
さらに遠い未来では、呪霊を消し、新しく術師が生まれなくなる方法まで実行される。
宿儺。
宿儺の復活を目論む者。
東京で起きる大事件。
情報は多い。
なのに、肝心なところは穴だらけだった。
恵にとっては、六十年以上前の歴史の話。
野薔薇にとっては、自分が一年生だった頃の出来事ではあるものの、重要な時期に意識不明の重体になっている。そのうえ本人曰く、当時は学生だったので上層部の事情など知るわけがないらしい。
それでも、分かったことがある。
傑が死ぬ。
そして、その死体を何者かに乗っ取られ、好き勝手に使われる。
それだけは、どうやら間違いない。
◇
冬休みが終わり、悟は学校へ戻った。
教室へ入ってから、傑と硝子が妙にこちらを見ているような気はした。
二人で何かを話しては、ちらり。
目が合いそうになると逸らす。
しばらくすると、またちらり。
普段なら真っ先に絡みに行っただろう。
だが今の悟には、そんなことを気にしている余裕がなかった。
未来について一人で考え続けても、同じところをぐるぐる回るばかりだ。
だから、悩みに悩んで。
親友に相談することにした。
「傑」
「うん! 何かな、悟!」
やけに大きな返事だった。
だが、悟は気づかなかった。
傑の顔を真っ直ぐ見ることができなかったからだ。
「傑は……呪霊がない世界の方がいいと思う?」
「……うん?」
何故か傑と硝子が顔を見合わせた。
「それはまあ、いない方がいいんじゃないかな?」
「そっか。そうだよな。……わかった」
そうだよな、傑。
呪霊の犠牲になるのは一般人だ。
呪術師だって、呪霊がいなければ戦う必要がない。
やっぱり俺は。
呪術師は。
いちゃいけない存在なんだ。
それでいいんだよな、傑。
「ちょっと待つんだ、悟」
立ち去ろうとした悟を、傑が慌てて止めた。
「何?」
「何かとても重大なことを決めたような顔をしているけど、相談するなら前提条件を言ってもらおうか。私も簡単に答えて悪かったよ」
「ああ」
悟は少し迷った。
「術師と呪霊って、相関関係になってるらしくてさ。簡単に言うと、俺が死ぬと強い呪霊が生まれなくなるらしいんだ。だから死んだ方がい――」
「その後出しはずるくないかい!?」
傑が叫んだ。
「聞いたかい、硝子! 悟は私を悪者にするつもりだよ!」
「ひどい。私を無視するのと同じくらいひどい」
「そこに並べる?」
「並ぶよ」
「いや、別に傑を悪者にするつもりなんか――」
「生まれてきちゃいけないなんてことは絶対にないよ!」
遮られた。
傑は悟の肩を掴んだ。
「悟がいることで強い呪霊が生まれるなら、私が全部従えてあげるよ。お正月に色々あったって聞いたけど、そういう色々があったなら私もカチコミを手伝うよ」
「物騒な話にするなよ」
「物騒なことを言っているのは五条でしょ。夏油の怯えた顔初めて見た」
硝子まで呆れたように言う。
悟は少し黙った。
ここまで話したなら、もう隠していても仕方がない。
「あのさ。未来で何かあって、逆行してきたって奴らがいんの」
「それってまさか、釘崎野薔薇と伏黒恵?」
「そー。……知ってんの?」
「君がペドハーレムを建設したって、すごい噂になってるよ」
「はぁ!?」
初耳だった。
「待て待て待て! なんでそうなってんの!?」
「正月早々、四歳くらいの女の子を二人も囲ったって」
「朝からずっと、どう聞くか相談してた」
硝子が言った。
「それでお前ら、さっきから俺のことチラチラ見てたの!?」
「そうだよ!」
「全然気づかなかった……」
「それだけ悩んでたってことだろう?」
傑の顔から、ふざけた色が消えた。
悟も笑うのをやめた。
「娶るのは俺じゃねーよ。俺の遠縁の親戚に、乙骨憂太って奴がいるんだ。そいつも幼児。未来で五条家を継ぐらしい」
「君は?」
「ん?」
「君が五条家当主だろう? 君だって将来結婚して子供も生まれるだろうし、どうしてその乙骨という子が継ぐんだい?」
「俺は十年後、宿儺って奴に殺される」
静かになった。
「で、俺が死んだ後、強い呪霊が生まれにくくなって、ちょっと平和になるらしい」
硝子が目を細めた。
「それ、もう誰かに話した?」
「五条家の一部には」
「口封じする?」
「物騒なこと言うなよ、硝子」
「物騒なことを言ってるのは君だよ」
それから、傑は大きく深呼吸した。
「よし。分かった」
「何が?」
「世界全部が敵に回っても、私は君の味方をするよ」
「……は?」
「そもそも私は呪霊ありきの術式だからね。呪霊がいなくなるなんて、とんでもない」
傑は力強く言った。
「考えてみれば、呪霊玉も好物だった気がしてきた」
「それは嘘だろ」
「好物だよ。とても美味しい。毎日三食でも構わない」
「嘘つけよ」
「そうだよ。だから悟はここにいていいんだよ。呪霊のいる未来、薔薇色だと思う」
「……ほんと?」
自分でも驚くほど弱い声が出た。
傑の呪霊玉が殺人的にまずいことなんて、とっくに知っている。
それでも。
そんなものを好物だと言ってまで、必死に自分の存在を肯定してくれる。
その気持ちが。
嬉しかった。
「私も、一人殺して平和になりました、なんて嫌だな」
硝子が言った。
「そんなの平和じゃないよ。それを認めたら、じゃあ術師を全員殺せばもっと平和になるのかって話にもなりかねない」
「でも、傑」
悟は俯いた。
「傑は、脳みそくり抜かれて死んだって」
「…………」
「俺のせいかもしれねーんだ。俺を狙う奴がやったのかもしれなくて」
「それは君が悪いんじゃなくて、悟を狙う奴が悪いんだろ?」
傑が悟を睨んだ。
「しっかりしてくれ、悟!」
そして、ぎゅっと抱きしめられた。
不意打ちだった。
何か言う前に、今度は硝子まで悟の胸へ飛び込んでくる。
「硝子?」
「一人だけ仲間外れは嫌だから」
「そこ?」
「そこ」
二人の体温が伝わってくる。
俺が必要だと。
一緒にいたいと。
言葉だけではなく、体温で示してくれた。
「最終的に平和になるんだとしても、そんな未来は受け入れられないな。一緒に未来を変えよう」
傑が言う。
「呪霊がどれだけ溢れても、私、頑張って従えるよ」
「私も怪我人バンバン癒してやる。大体、呪霊をゼロにするわけじゃないんだろ。戦える人がいなくなったら大変じゃん」
「……巻き込まれてくれる?」
二人は迷わず頷いた。
ノリで言っているわけではない。
一瞬で。
俺のために、覚悟を決めてくれた。
嬉しかった。
◇
ということで、俺と傑と硝子は京都まで出かけることとなった。
「資料は俺の部屋から出さねーようにしてるんだ。内容が内容だからな」
「それがいいね」
「悟の部屋なら、普通は勝手に入れないし」
そんな話をしながら戻ると、ぱたぱたと小さな足音が聞こえてきた。
「五条先生、おかえりなさい!」
「ご当主様、おかえりなさい!」
「五条さん、おかえりなさい!」
ちんまりした子供達が、わあっと駆けてくる。
野薔薇。
恵。
そして憂太。
傑と硝子が揃って俺を見た。
「違うからな」
「まだ何も言ってない」
「顔に書いてある!」
「悟。この子達が逆行した子達?」
「逆行したのは二人。こっちが乙骨憂太。未来の五条家当主代理。それから、逆行してきた釘崎野薔薇と伏黒恵。俺は未来じゃ先生で、三人とも俺の生徒になるらしい」
「へえ。君が先生か……」
傑はしげしげと悟を見る。
「なんだか想像がつかないね」
「すっごくいい先生だったわよ!」
野薔薇が元気よく手を挙げた。
「適当だったけど! あと、最強だった!」
「適当は余計だろ」
「家入さんも保健室の先生してた!」
「へえ」
硝子は少し面白そうに笑った。
「私は?」
傑が聞く。
「え?」
「未来の私は何をしてるんだい?」
野薔薇が首を傾げた。
「私が入学する前に、百鬼夜行っていって呪霊を暴れさせたって聞いた気がするわ」
「…………」
「その時には乗っ取られてたってことか?」
悟が聞くと、野薔薇は難しい顔をした。
「たぶん? 五条先生、学生時代に辛いことがあって先生を目指したって聞いたことがあるから、それかもしれないわね」
「そうか」
傑は少し考えた。
「じゃあ、私が殺されるのはもうすぐなんだね」
「絶対させねー!」
思わず声が出た。
傑が目を丸くして、それから少し笑った。
「敵はどんな人なんだい?」
「羂索っていって、脳みそを入れ替えて人を乗っ取る奴。その時乗っ取ってる人の術式はもちろん、過去に乗っ取った人の術式も使える、みたいなことを言ってた……ような……」
「ような?」
「何せ八十年前だから!」
野薔薇が開き直った。
「こっちは死んだり意識不明になったり大変だったのよ! 全部覚えてるわけないでしょ!」
「そうか……」
「あと、呪霊操術で天元様を操って、日本人を一つの呪霊にするとかいうやらかしをしようとしてたとも聞いたわ。面白そうだからって」
「えっ」
傑が固まった。
「それも酷いけど……私も爆弾なのかい? 天元様を操れちゃ駄目じゃないか」
「爆弾コンビだな。私もまぜろ」
「硝子、その括りで本当に混ざりたいのかい?」
「硝子は回復役しててくれ」
「地味」
「超重要だろ!」
少しだけ空気が軽くなる。
だが、まだ問題は山ほど残っていた。
「逆行してるはずの奴は、あと一人いるんだけど」
悟は資料を広げた。
「宿儺の器で、受肉するまでは非術師だから、下手に接触できないんだ。俺達が近づいたせいで危険な目に遭わせるかもしれないし」
「そいつが悟を殺したのかい? じゃあ危険な目に遭ってもいいんじゃないかい?」
「私です」
小さな手が挙がった。
恵だった。
「私が、宿儺に乗っ取られて……ご当主様を殺すんです。歴史の上では」
四歳の少女が、自分の身体で未来の悟が殺されたと告げる。
傑は何も言えなくなった。
「女になった今も宿儺が器として狙うかは微妙だけど、虎杖に宿儺を馴染ませて、最終的に恵へ移らせて、恵をボコる形で恵ごと宿儺を倒すのが一番確実かなって思ってる。頑張りなさいよ、恵」
「わ、私、頑張ります」
「問題は、恵の術式を宿儺に使われちゃうことね」
野薔薇が腕を組む。
「俺が宿儺に勝てればいいんだけど」
「俺が、じゃなくて俺達だろう、悟」
傑がすぐに訂正した。
悟は一瞬黙って。
笑った。
「そうだな。俺ら二人で最強、三人で黄金世代だし」
「そうだぞ。私だってできることはあるはず」
「家入さん、大活躍でしたよ」
野薔薇が言った。
「五条先生の身体を乙骨先輩が乗っ取るのを手伝ってましたし」
「は?」
傑の顔から笑顔が消えた。
「何だって?」
「羂索の術式を乙骨先輩が模倣したんです。宿儺を倒すために」
「待ってくれ」
傑の声が低くなる。
「悟は宿儺に殺されるんだね?」
「そうよ。世界斬で上下に真っ二つにされて。でも家入さんが繋げてくれたの」
「それで脳みそをくり抜かれて、生徒の脳を入れられて、死んだ後も戦わされるのかい?」
「まあ……」
「何だ、その未来は。悟をなんだと思ってるんだ」
傑は怒っていた。
本気で。
幼児を相手にするには大人気ないほど、はっきりと怒っていた。
それが、少し嬉しかった。
だから。
少しだけ、調子に乗った。
「あのさ」
「何だい」
「宇宙人にも呪術師がいてさ。そいつが八十年後くらいに呪霊を極端に減らしてくれるらしいんだ」
「……宇宙人?」
「そこは今度説明する。代わりに術師も生まれなくなるんだけど。そうすると御三家の存在意義もほとんどなくなる。呪霊がいなくなるのはいいこ――」
「私にとっては悪いことだから!」
遮られた。
「呪霊万歳!」
「お前、さっきと主張変わりすぎだろ!」
「変わってないよ! 事情を聞く前と聞いた後では話が違う!」
傑は悟をぎゅうっと抱きしめた。
「傑」
「何だい」
「俺さ」
言っていいのだろうか。
そんなことを怖いと思う自分は、間違っているんじゃないだろうか。
それでも。
さっき二人が受け止めてくれたから。
口にしてみた。
「呪霊、全部消えるの怖いって、俺、思って――」
「いいよ!」
また最後まで言わせてもらえなかった。
「全然いいよ! それくらい普通の感情だと思う!」
傑は迷わなかった。
呪霊がいなくなる。
人が呪いに殺されなくなる。
術師が命を懸けなくて済む。
それは絶対に良いことだ。
分かっている。
そんな未来を、五条家の都合で否定していいはずがない。
それでも怖い。
何百年も続いてきたものが終わる。
自分が生まれ持ったものが意味を失う。
六眼も、無下限も、五条家も。
自分達が当たり前だと思っていた世界そのものが、必要なくなる。
それを怖いと思ってしまう。
そんな俺を。
傑は真正面から肯定してくれた。
呪霊を残せと言ったわけではない。
未来を変えて、呪霊に人を殺させ続けたいわけでもない。
ただ。
怖いものは怖い。
それくらいは許される。
「……そっか」
「そうだよ」
「じゃあ、ちゃんと考える」
呪霊が残った場合。
消えた場合。
術師が残った場合。
生まれなくなった場合。
未来を変えた結果、何が起きても。
五条家が、呪術師達が、それに対応できるように。
今から考えればいい。
「どう転んでも困らないように、五条家の今後も考えとく」
「うん。それがいい」
「手伝うよ」
硝子も言った。
傑が俺の肩を抱いたまま、頷く。
「一緒に未来を変えよう、悟」
「おう」
それから俺達は、作戦会議を始めた。
とはいえ。
宿儺については分からない。
羂索についても分からない。
百鬼夜行がいつ起きるのかも分からない。
渋谷事変については、野薔薇が重体だったのでさらに分からない。
宇宙人に至っては八十年近く先である。
結局。
「……気をつけよう」
「そうだね」
「訓練頑張ろう」
「そうだね」
「傑は死ぬな」
「分かったよ」
「俺も死なない」
「そうしてくれ」
「硝子も死ぬな」
「はいはい」
「恵も宿儺に乗っ取られないように強くなろうな」
「はい!」
「野薔薇も」
「私は元から強いわよ!」
「憂太も」
「ぼ、僕もですか?」
「未来の当主代理だぞ。頑張れ」
「はい……!」
八十年先の未来まで変えるための作戦会議は。
ひとまず。
全員、死なないように頑張ろう。
という、非常に当たり前の結論に落ち着いた。