「パーティを抜けなくちゃいけなくなったんだ」
冒険者たちの拠点の一つでもある酒場。まだ静かな時間帯に円卓を囲んだ五人のうち、四人が同じ意図の言葉を口にした。残された一人は、常は気だるそうに垂らしたまなじりが伸びきるほどに目を見開き、声も出せない様子でいた。一瞬の静寂ののち、今度こそ全員の声が揃う。
「え!?みんな!?」
「分かった。分かったから一旦落ち着こう。まずはオレから、いや、オレ達から話す」
なにが分かったのかと問いつめたくなる状況の制御権を握り、最初に語りはじめたのは、ソルジャーの一人にして斧使いであるアルフォンソだった。オレ達と口にしながら隣に座っていたソーサラーのソラコの肩を抱いている。ソラコもまた、しおらしそうな表情で体を寄せていた。そして、予定調和の宣言がなされる。
「オレ達、子どもができたんだ」
「すっとばしたなぁオイ!」
パーティの誰もが結婚だと思っていた。そもそも二人が交際関係にあることに気づいていなかった者すらいる。パーティに一人取り残されることになろうとしている垂れ目の女、ジーナだ。大声をあげたヒーラーのテンユーが「医者にはちゃんとかかってるのか」だの「順番ってもんを知らんのか」だのと詰めているのを、ジーナは静かな眼差しで見つめていた。
「分かってる!分かってるって!ちゃんと考えがあってパーティも抜けることに決めたんだ。聞いてくれよ」
パーティのリーダーでもあるアルフォンソは、とりあえず一度「分かった!」と言ってから考える悪癖がある。メンバー一同その言葉で何度トラブルに巻き込まれたかしれない。しかし、こと今回に至っては、本当に考えた上での発言らしい。
「まず、身重である以上ソラコを冒険者として活動させるわけにはいかない。これは分かってくれるよな」
うなずく一同の中、どこか無機質な様子で頭を上下させるジーナを、パーティ二人目のソルジャー、剣士のフレデリックが心配そうな目でうかがっていた。
「そしてオレだ。ソルジャーは前に出る分危険も多い。子どもが産まれた時には死んでいた、なんて状況は避けたいんだ。しばらくは木こりでも荷運びでもやっていくつもりだよ」
「もちろん私も働くつもりだ。占いにまじない、テンユーから教わった薬草の技術も役立つだろう。つましい暮らしにはなると思うが、どうか今は、祝福してほしい」
愛しげに腹に手を当てるソラコに口を挟む者はいなかった。そもそも、子どもはもうそこにいるのだ。なにを言うことができようか。
「オレ達のワケはこれで終いだ。次は誰から話す?」
「俺がもらう」
そう手を挙げたのはテンユーだった。いつもきびきびとしてためらいのない、そういう男だった。
「つっても大したことじゃないんだよな。親父が腰やっちまってさ。しばらく立てないんだと。すぐ治るって言っちゃぁいるが、ここらで店継ぐ覚悟決めるのも一つの道かと思ってよ」
親を安心させ」たいっつーか、と眉間に皺を寄せながら、紐でくくった後ろ頭をかく。照れくさいようだ。
「店っていうと薬屋だったか?」
「どっちかってーと町医者だな。おふくろもヒーラーだし」
「いい話じゃないか。親孝行者め。だがさみしくはなるな。カノ山脈を越えた先だろう、君の故郷というのは」
「言うほど遠かないさ。今までみたいにまぬけな傷に薬草たたきつけてはやれなくなるけどな」
「それで」
談笑を割って、温度のない声が場に落ちる。
「それで、フレデリック。君は?」
とどめを請われているのだと思った。ジーナは感情の読めない顔でうすく笑い、フレデリックの答えを待っている。この状況を一刻でも早く終わらせるために。背に重くのしかかる役割に冷や汗をかきながら、フレデリックはトリの花道へ足を踏み出す。さみしがりやの彼女のために。
「僕は、僕もテンユーと似たようなものだよ。君ほど立派ではないけどね。実は実家から帰ってこいって、せっつかれていてね。とうとう断りきれないところまできてしまったんだ。古い家でしきたりも多い中、自由にさせてもらっていた方だと思うよ。みんなも、今まで本当にありがとう」
「大げさだなぁ。なにも今生の別れってわけでもあるまいし」
「そうだね。トリを務めるって思ったら張りきっちゃったよ。でも、大きな節目だ。僕達全員の人生にとって。もうこのパーティで旅をすることもなくなる。本当に、本当にさみしいよ」
ガタンッとイスを蹴立てる音が響いた。急に立ち上がったジーナがうつむいたまま立っている。両の手がぎちぎちと音が聞こえそうなほどに握られていた。なにかを言おうとくちびるを震わせ、ただ弱々しい息を漏らしたかと思うと、荷物を手に酒場の外へと駆け出していった。机には律儀に一人分の勘定が置かれている。なだめる声も、制止の手もジーナには届かず、円卓の席がぽっかりと一つ空いた。残された四人と、聞き耳を立てていたわずかな客達の心は、今ここに一つだったことだろう。
曰く、「やっちまったなぁ……」
酩酊、酩酊。おぼつかない手つきであおる酒が腹を温め、頭から余計な思考力を奪っていく。
「だからさぁ、んー、えっと」
「さぁ、どっちかしら。好きに呼んでくれて構わないわよ」
客もまばらな場末の酒場。そこに飛び込んだジーナは、カウンターで店主相手にくだを巻いていた。黒のドレスにゆるく巻き上げたシニョン。施された化粧は夜を彩るのにふさわしい。されどその口から発せられるのは穏やかなバリトンボイス。首元を覆うレース生地も、のど仏を完全に隠すには至らない。ジーナは、うまく回らない頭でゆっくり目を瞬かせたのち、
「じゃあマダムで」
と発すると、またろれつの怪しい口調で何事かを語り出しはじめる。
「まあ、マダムですって。なんて素敵なこと。今度からはそう呼んでもらいましょう」
「マダム、ねえ聞いてるの?」
「ええ、ええ。聞いていますとも、素敵なお嬢さん」
「それでさー、えっと」
口を湿らそうとしたグラスに氷すら入っていないことに気がついたジーナは、にゅっとカウンターにグラスを掲げる。
「おかわり」
「はいはい。ウメザケのロックでよかったかしら?」
うん、とうなずく頃には、用意のすんだ替えのグラスがカウンターに置かれている。甘さの割に度数の高い液体を舐め、ウメザケなる酒の存在を己に教えた友人の、ソラコのことを思い出す。一人思い出せばもう一人、また一人。最後の一人まで浮かんだその面影を流し去りたくて、ジーナはグラスを傾ける。
「誰にも相談されてなかったんだ」
吐き出した声は重く、結局のところどれだけ杯を重ねようが、彼女の苦悩が消えないことを示していた。
「みんな、きっと悩んで悩んで、パーティを抜けるって決めたんだ。そういう奴らだもん。なのに、あたしは仲間が悩んでることにも気づかなかった。ずっとこのままの日々が続くんだろうって能天気にしてた。その上、みんなの覚悟を突きつけられて逃げた。もうおしまいって現実を突きつけられて逃げだしたんだよ。フレディなら、あいつなら丸く収めてくれるんじゃないかって甘えたうえで、だ。本当に、どうしようもない……」
半ば以上液体をたたえたままのグラスを置物にして、ジーナはカウンターにつっぷす。冷えた木材の感触も、酔いよりも深い彼女の憂いをさますには至らなかった。
「これは勝手な想像なのだけどね、」
伏すジーナの頭上から柔らかな声が降る。
「みんな同じだったんじゃないかしら」
「みんな?」
訝しげな目線だけを上げたジーナの前に、お冷やの入ったグラスがことりと置かれる。
「みんな、自分の悩み一生懸命で、他の人のことに気づけなかった。自分がパーティを抜けることで、他の人がどう思うかまで考えられなかった。みんなして驚いていたんでしょう?きっとそうよ。時期が重なってしまったのは不幸な偶然。誰もあなたに内緒にしていたわけでも、あなたをひとりぼっちにしようとしたわけでもないわ。それは分かっていて?」
ジーナはぬっと起き上がると、少し迷ってからお冷やの方に手をつけた。渇いていた場所に水が染み込んでいくのを感じた気がした。
「分かってる。いや、気づけたっていう方が正しいのかな」
酔いが少し醒め、そこには道に迷った子どものような顔をした女が残った。
ちびちびとお冷やを飲む彼女に、店主、マダムは語りかける。
「逃げることもね、悪いばかりではないのよ。逃げださなくては自分自身が壊れてしまうときだってあるもの。けれど、あなたは向き合わなくてはいけないわ。もう一度、パーティの仲間ときちんとお話しするの。さよならもありがとうも言えずにお別れなんて、いやでしょう?」
ジーナがゆっくりとうなずく。それを見たマダムは嬉しそうにほほえみ、
「と・こ・ろ・で」
と口調を弾ませる。
「次の働き口を探す気はなぁい?もちろん気持ちが落ち着いてからでいいのよ。実は、ウチにモンスターやらの素材を卸してくれたり、厨房を手伝ってくれたりしてくれてた子が、いいパーティを見つけたみたいで、そっちに専念したいそうなの。私も応援してあげたくって。でも人手は足りなくなっちゃって困っているの」
ジーナはグラスを握ったまま、きょとんと首を傾げる。
「あ、もちろん、無理に。というわけではないのよ。でも、この先、次のことを考えてみるのも大事なんじゃないかしらと思って、」
わたわたと話すマダムの言葉を遮るように店の扉が開かれる。
「迎えにきたよ。ジーナ」
扉の外には、夜気に吹かれてソラコが立っていた。ジーナは慌てて立ち上がり、未だ残る酔いにふらつきながらソラコのそばに向かう。
「ソラコ!なんでこんなところに!?アル達はなにして……!?」
「もちろん宿で待つよう言われたとも。だから、こっそり抜け出してきたんだ」
一緒に怒られてくれとソラコはほほえむ。
「それに」
と開かれたソラコの左手からは街の大まかな地図と四つの点が青の濃淡で浮かび上がっていた。
「ジーナが走っていったときに、咄嗟につけておいたんだ。言い出す前に男連中も飛び出していってしまってね」
ジーナが体を捻ると、腰のあたりに紺色のマーキングがなされていた。追尾魔術だ。旅の最中でも幾度となく世話になったそれがジーナにもかけられていた。
「本当はもっと早くに追いかけたかったんだが、なに分この体だ。君が一つところに落ち着くのを待つまでは動けなかった。初めて今の体を不便に思ったよ」
「ソラコ、一旦座ろう。体に障る」
「いや、帰るんだジーナ。みんなもそろそろ戻るはずだ。もっとちゃんと話しをしよう」
ソラコはジーナの袖を引き、上目遣いに急かす。そこでやっと、ソラコの瞳に不安と焦燥が揺れ動いているのが見てとれた。店の扉は未だ開かれたままだった。先ほどまでの自分も同じ目をしていたのだろうかとジーナはソラコの手に己の手を重ねる。
「分かった。その前にお勘定だけさせて。あと扉も閉めよう。体が冷えちゃうよ」
扉を閉め、袖を掴んだままのソラコを引き連れてジーナはカウンターへと戻る。
「お勘定お願いします。それから、いろいろとありがとうございました、マダム。ちゃんとみんなと向き合って今後のことも考えてみます」
「いいのよぉ。場末の酒場の店主なんて、こういうことのためにいるようなものだもの。あなたのお手伝いができたなら、私も嬉しいわ」
そうして支払われた金額を見てソラコは、
「うわ君、めちゃくちゃ飲んだんだな」
とヒいていたが、ジーナは無視してマダムにもう一度頭を下げ、店から出ていった。
それから一週間が経った。宿に戻った二人は案の定大目玉を食らい、ソラコはテンユーの簡単な検診を受けた。そして、誰が、何度か、なんて数えるのも馬鹿らしくなるほどお互いに謝りあい、今度こそ、全員が冷静な状態で、笑いあいながらパーティは解散した。初めて共に依頼をこなした時から、五年の歳月が経っていた。それから始めに、フレデリックが、早朝にやってきた仰々しい馬車に嫌そうな顔をしながら連れていかれ、次に山脈を越える乗り合い馬車に乗ってテンユーが故郷へと旅立っていった。アルフォンソとソラコは、隣町に古い一軒家を買ったということで、その片づけや引っ越しをジーナも手伝った。そして今、ジーナはとある場所の前にいる。あてどなくさまよってたどり着いた先だったため、見つけるのに苦労したが、近くを歩いていた冒険者に特徴を伝えてようやく見つけた。何度も握られてきたであろう鈍い輝きを放つ取手を押して扉を開く。
「はあい、いらっしゃい、あら」
「お久しぶり、マダム。自分なりに次ってやつを考えてみたんだけど、手伝いの口はまだ空いてる?」
ジーナ二十五歳、三年前のことだった。