いつのまにか、聖女?どうしてこうなった? 作:マイナーチョコ
王都ホバンスを出立した聖騎士団の小隊は、アベリオン丘陵の境界線に沿うようにして、乾いた街道を土煙を上げて駆けていた。
先頭を走るのは、純白の全身鎧を纏った聖騎士団長レメディオス・カストディオ。
辺境の民を無償で救い続ける『善人』の噂を聞きつけ、彼女の心は一刻も早くその英雄たちに会いたいという純粋な熱意に駆られていた。出立直後は馬の腹を蹴り、飛ぶような速度で進軍していた彼女だったが、目的の村の輪郭が遠くに見え始めると、ふと手綱を引いて速度を落とした。
「団長、いかがなされましたか?」
副官の問いに、レメディオスは真剣な面持ちで首を振る。
「彼らは見返りも求めず、ひっそりと民を救ってくれている高潔な方々だ。我々が土煙を上げて押し入るように村へ入れば、彼らを、そして村の者たちを無用に驚かせてしまう。ここからは馬を落ち着かせ、礼を尽くして進むぞ」
「はっ!」
武装した一団の速度が緩み、蹄の音も穏やかなものへと変わる。
最後尾で大量の荷物を背負わされた馬の手綱を引いていた従者見習いのネイア・バラハは、前をゆくレメディオスの背中を見つめながら(団長が、あそこまで他者に気を遣うなんて……)と、目つきの悪い三白眼を丸くしていた。
それほどまでに、噂に聞く『赤いドレスの戦乙女』という存在が、レメディオスにとって理想的な正義の体現者として映っているのだろう。
やがて一行は、長閑な昼下がりの村へと到着した。
畑仕事をしていた村人たちが、白銀の鎧を纏った正規軍の来訪に驚き、道を開ける。
レメディオスが馬を下り、村の長らしき老人に丁重に尋ねると、老人は恐縮しながら広場の端にある小さな宿屋を指差した。
「英雄様方なら、まだあそこの二階でお休みになられておりますだ」
「そうか、感謝する。皆はここで待機。私だけで挨拶に向かおう」
レメディオスはマントを翻し、宿屋へと歩みを進める。ネイアも慌ててその数歩後ろを追いかけた。
◇ ◇ ◇
外の長閑な空気とは裏腹に。
宿屋の二階の一室には、噎せ返るような甘い熱が充満していた。
昼下がりだというのに、分厚いカーテンが引かれた薄暗い部屋。
軋むベッドの上で、二つの影が深く、激しく絡み合っていた。
「ぁ……っ、ん、マヤ……っ」
クレマンティーヌの甘い嬌声が、男の広い肩口に吸い込まれる。
昨夜、初めて完全に結ばれてからというもの、二人の間にある熱は冷めるどころか、触れ合うたびに際限なく燃え上がっていた。
マヤの大きな手が彼女の汗ばんだ背中を撫で上げ、指先からあの不思議な、芯までとろけるような温もりが流れ込んでくる。その極上の熱に脳を焼かれ、クレマンティーヌは自らマヤの首に腕を絡ませ、貪るように唇を求めていた。
その時である。
ガシャン、ガシャン、と。
窓の外から、複数人の重い金属鎧が擦れ合う音が、はっきりと彼女の耳に届いた。
村の自警団や農具の音ではない。明らかに訓練された、武装した集団の足音だ。
「……っ!? ま、待て、マヤ!」
クレマンティーヌはビクッと肩を跳ねさせ、マヤの分厚い胸板を両手で押し返した。
すっかり蕩けきっていた彼女の目に、戦士としての理性が一瞬だけ戻る。
「外……誰か来た! 大勢だ!」
「んー? いいじゃん、ほっとけよ。今は俺たちの時間だろ?」
マヤは全く意に介する様子もなく、不満げに彼女の白い首筋に唇を落とそうとする。
「ば、バカ! 足音がこの宿屋に向かってきてるんだよ! いいから退けって!」
クレマンティーヌは顔を真っ赤にしてマヤを蹴り飛ばすようにベッドから這い出すと、床に散乱していた真紅のチャイナドレスを慌てて拾い上げ、頭から被った。
帯を締める手ももどかしく、乱れた金糸の髪を手櫛で必死に整える。
「あーあ。せっかくいいところだったのによ。誰だよ、空気読めねぇな」
「文句言ってないで、お前も早く服を……っ」
クレマンティーヌが振り返った時、マヤはすでにベッドから降りていた。
だが、彼は漆黒のコートもシャツも羽織らず、ただズボンを穿いただけの状態で、のんびりと部屋の扉へと向かっていたのだ。
「ちょっと! なんで上半身裸なんだよ! 早く着ろ!」
「え? 面倒くせぇ。ちょっと顔出してくるだけだろ」
「おま、ふざけ――っ!」
クレマンティーヌの制止も虚しく、マヤは無造作に部屋の扉を開け、そのまま一階へと続く階段を降りていってしまった。
◇ ◇ ◇
宿屋の一階。
人の気配がない薄暗い土間に足を踏み入れたレメディオスは、居住まいを正し、二階へ続く階段に向かって口を開きかけた。
「突然の来訪、無礼を――」
ギシッ、と階段が鳴る。
そこから姿を現した人物を見て、レメディオスは言葉を失い、完全に硬直した。その後ろから中を覗き込んだネイアも、目を丸くして息を呑む。
「よう。どうしました?」
気怠げに首を鳴らしながら降りてきたのは、赤髪の男だった。
何より二人の目を釘付けにしたのは、その上半身である。
シャツすら羽織らない、剥き出しの肉体。
無駄な脂肪が一切なく、極限まで鋼のように鍛え上げられた大胸筋と腹筋。まるで名工がノミで削り出したかのような、圧倒的で完璧な肉体美。一切の瑕疵がない、純粋な『武』と『雄』の結晶のような男がそこにあった。
「あ……」
「えっ……と……」
歴戦の聖騎士団長であるはずのレメディオスの顔が、カッと林檎のように赤く染まる。
正義と悪の戦いばかりをしてきた彼女にとって、これほどまでに完成された異性の肉体を真正面から浴びる経験など、これまで一度もなかったのだ。
「な、なんだ、あんたたちは? ピカピカの鎧なんか着込んで」
マヤが不思議そうに小首を傾げた、その時。
「お前ふざけんなよ!!」
階段の上から、怒声と共に真紅のドレスを着た女が駆け降りてきた。
クレマンティーヌは、マヤの広い背中にボカッと拳を叩き込む。
「私こんなだし、なんで上半身裸でお前はいつもうろちょろと! 目のやり場に困るんだよ!」
彼女の顔は耳まで真っ赤に染まり、息は荒く、金糸の髪は微かに乱れている。
そして何より、彼女の全身から、先ほどまで濃厚な雌雄の交わりをしていたことを雄弁に物語る、むせ返るような甘い匂いが立ち込めていた。
「いや、服着るの面倒だったし。それにティーヌ、俺の身体見るの大好きだろ?」
「誰が好き好んで言うかこのバカ! 早く何か羽織れ!!」
完全に夫婦の痴話喧嘩である。
孤高の英雄と対面するつもりで、緊張と敬意を持って訪ねてきたレメディオスは、予想外すぎる極上の色事の余韻を真正面から食らい、完全に思考がショートしていた。
(あ、あの……今、ものすごいお取り込み中だったのでは……!?)
後ろのネイアも、顔から火が出るほど赤面し、視線をどこへ向けていいか分からず足元を見つめている。
「……あ?」
マヤの背中をポカポカと叩いていたクレマンティーヌが、そこでようやく土間に立ち尽くす来訪者たちの存在に気づき、動きを止めた。
研ぎ澄まされた戦士の目が、一瞬で状況を把握する。
純白の鎧、洗練された隊列、そして盾に刻まれた紋章。
(スレイン法国の追手じゃない。この周辺を治める、聖王国の正規兵か……。チッ、こんな姿で……)
相手が自分を追ってきた敵ではないと瞬時に見抜いた彼女は、一瞬だけ鋭くした目をすぐに緩め、恥ずかしさから逃れるようにマヤの広い背中の後ろへとスッと身を隠した。
真っ赤な顔の半分だけをマヤの肩越しに覗かせるその仕草は、ただ照れくさそうに男の背に隠れる可憐な女性そのものだった。
マヤは、背中に隠れたクレマンティーヌの様子から相手に敵意がないことを悟ると、庇うように一歩前に出て、ポリポリと頬を掻きながら笑った。
「悪いな、取り込み中でよ。で、その立派な鎧のお客さんたちは、俺たちに何の用だ?」
その底知れない余裕と、彼を盾にするように後ろに隠れる美しい女戦士の姿。
あまりにも完成された『男と女』の形に圧倒されながらも、レメディオスはハッと我に返り、慌てて背筋を伸ばした。
「い、いきなり押し入るような真似をして、誠に申し訳ない……っ!」
少し照れくさそうに視線を泳がせながら、聖騎士団長は深く頭を下げる。
「私はローブル聖王国、聖騎士団長レメディオス・カストディオ。辺境の村々を救ってくれた貴方たちに、少し……お話がありまして、参上いたしました」
深々と頭を下げる聖騎士団長を前に、マヤは「ちょっと待っててくれ」とだけ言い残し、背後に隠れていたクレマンティーヌから黒いシャツとレザーコートを受け取って、無造作に袖を通した。
ようやく服を着た男の姿に、レメディオスや後ろに控えていたネイアも、微かに安堵の息を漏らす。
「で? あんたらみたいな立派な騎士様が、辺境の村になんの用だ? 討伐の依頼なら他を当たってくれよ。俺たちはただの旅人だ」
「いえ、依頼などではありません」
レメディオスは姿勢を正し、真っ直ぐな、一点の曇りもない瞳でマヤとクレマンティーヌを見つめた。
「あなた方がここ数ヶ月、アベリオン丘陵沿いの村々を無償で救ってくださっているという噂は、すでに王都にまで届いております。我が国の民を救っていただいたこと、聖騎士団を代表して心より感謝申し上げます」
「……」
「そして、我が国の頂点であられる聖王女カルカ様が、あなた方に直接お礼を申し上げたいと仰っておいでなのです。どうか我々と共に、王都ホバンスまでご同行願えないでしょうか」
国のトップからの直々の招待。
普通であれば平伏して受けるか、あるいは警戒して逃げるかの二択を迫られる場面だ。
クレマンティーヌの身体が微かに強張り、視線だけを動かして周囲の騎士たちの配置を探ろうとする。
だが、マヤは呆気にとられたようにパチクリと瞬きをした後、腹を抱えて笑い出した。
「はははっ! なんだよ、捕まるのかと思ったらお礼かよ。あー、びっくりした」
「つ、捕まる?」
レメディオスが不思議そうに眉を寄せる。
マヤはポリポリと赤髪を掻きながら、ありのままの事実を言葉にした。
「いやな、騎士様。俺たち、そんな立派な英雄様じゃねぇんだわ。ちょっと色々と元の場所のしがらみが面倒になってな。二人で全部捨てて、駆け落ちしてきた身でよ」
「駆け落ち……」
その言葉に、後ろで聞いていたネイアの肩がピクリと跳ねた。
「だから、この国に入ったのも勝手に入国しただけで、許可証も何にもねぇんだわ。悪いと思ったんだけどよ……」
マヤはそこで言葉を区切り、横に立つクレマンティーヌの肩に、ぽんと優しく大きな手を置いた。
「こいつがさ、亜人に襲われてる村を放っておけねぇって言うからよ。俺は危ねぇからやめとけって止めたんだけど、こいつ、昔からお人好しでさ。結局、俺が折れて手伝うハメになったってわけ」
「なっ……! マヤ、おま……っ」
クレマンティーヌが抗議しようと顔を上げるが、マヤの大きな手が彼女の肩をグッと引き寄せた。
マヤに嘘など微塵もなかった。
ここ数ヶ月、面倒だと言いながらも結局は村のために剣を抜いていた彼女の行動こそが、彼にとっての真実だった。クレマンティーヌ自身にとっても、自分の意志で振るったその刃の軌跡は、紛れもない事実だった。
「だからよ。勝手に入国したのが罪なら、俺だけ裁いてくれ。でも、こいつはここで何も悪いことはしてない。村を救ったこいつだけは、見逃してやってくれないか」
静かな、だが一切の揺るぎもない覚悟を持った男の声。
それは、愛する女を守るためならば、自らが全ての罪を被ることも厭わないという、真っ直ぐな誠実さに満ちていた。
その言葉を聞いたレメディオスの顔に、雷に打たれたような衝撃が走る。
(愛のためにすべてを捨てて国を飛び出し、それでもなお、目の前の弱きを見過ごせずに剣を振るう……! なんと、なんと気高く、美しい魂なのだ!)
彼女にとって「善」とは、自己犠牲と弱者救済である。
マヤの語った飾らない事実の物語は、レメディオスの信じる正義の形に見事に合致していた。
「お顔を上げてくださいっ!!」
レメディオスは、感極まったように声を張り上げた。
「入国許可など些細なこと! 愛を貫き、なおかつ我が国の民を救ってくれた貴方たちを罪に問うなど、絶対にあり得ません! カルカ様も、必ずや貴方たちの気高き行いを称賛してくださるはずです!」
「お、そっか。よかったな、ティーヌ」
マヤはニカッと歯を見せて笑い、クレマンティーヌの頭をポンポンと撫でた。
クレマンティーヌは、彼が自分を守るために頭を下げてくれた事実を前に、何も言えずに真っ赤になって俯くしかなかった。
そのやり取りを最後尾から見ていたネイアの三白眼に、微かな熱が滲んでいた。
(すごい……)
自分が責任を負うと盾になり、笑って女を守る男。
圧倒的な強さを持ちながら、その男の隣でだけは、可憐な女性として寄り添う赤いドレスの戦乙女。
(これが、お互いを信じ合っている人たちの姿……)
両親の不和や、自分の容姿へのコンプレックスに悩んできたネイアにとって、二人の間に流れる空気は、直視できないほど眩しく、理想的な「騎士と姫」の姿そのものに見えた。彼女の胸の奥深くに、マヤという器の大きさが、静かに刻み込まれた瞬間だった。
「では、準備が整い次第、王都へ向けて出発しましょう。道中は我が聖騎士団が、全力で護衛いたします!」
レメディオスの力強い宣言とともに、村人たちの温かい歓声と拍手が広場を包み込む。
数十分後。
村人たちから沢山の保存食を持たされ、用意された馬に跨った二人は、白銀の甲冑に囲まれながら村を後にした。
「ははは、馬なんて久しぶりだな。なぁ、クレマンティーヌ。競争しようぜ」
「バカ言え。聖騎士様たちの歩調に合わせろ」
先ほどの宿屋では『ティーヌ』と愛称で呼んでいた男が、騎士団の前では隠し立てすることなく、堂々と彼女の本名を呼ぶ。
厳格な聖騎士たちの隊列の中央で、馬の首筋を撫でながら大きな欠伸をする男と、呆れたようにため息をつく真紅のドレスの女。その自然体な姿には、やましい秘密など微塵も感じられない。
隊列の最後尾から、ネイアはその二人の背中をじっと見つめていた。
ピンと張り詰めた聖騎士たちの空気の中で、彼らの周囲だけが別の世界のように穏やかだ。
抜けるような青空の下、王都へと続く平原の街道を、規則正しい蹄の音と二人の他愛のない笑い声だけが、ただ淡々と鳴り続けていた。