いつのまにか、聖女?どうしてこうなった?   作:マイナーチョコ

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第14話 :戦乙女の舞

 

 

王都ホバンスへと続く街道は、見渡す限りの枯れ草色に染まった平原の中を緩やかにうねりながら伸びていた。

抜けるような秋の青空の下、白銀の甲冑を纏った聖騎士たちの隊列が、規則正しい蹄の音を響かせて進んでいく。乾いた風が吹き抜けるたび、マヤの漆黒のコートと、クレマンティーヌの真紅のドレスが鮮やかに翻った。

 

その穏やかな進軍が破られたのは、太陽が西の稜線に傾き始めた頃だった。

 

街道の右手に広がる切り立った岩場と疎林の影から、鼓膜を震わせるような獣の咆哮が轟いた。

「敵襲! 右舷の森より、亜人の群れ!」

斥候の鋭い声と同時に、木々をなぎ倒しながら十数体の影が街道へと躍り出てきた。

 

先陣を切って飛び出してきたのは、山羊の頭部と強靭な二足歩行の肉体を持つバフォルクが十体。その後方から、地響きを立てて姿を現したのは、身の丈三メートルを超える醜悪な巨体――トロールが五体だった。

アベリオン丘陵の境界線から漏れ出たにしては、いささか規模が大きすぎる。知能のあるバフォルクがトロールをけしかけ、隊列の側面を完全に奇襲する形をとっていた。

 

「総員、戦闘態勢! 民を脅かす亜人を一匹たりとも逃すな!」

 

レメディオス・カストディオが瞬時に聖剣を引き抜き、愛馬の腹を強く蹴った。

英雄領域の力を持つ彼女であれば、トロール五体を含めた十五体の亜人など、決して遅れをとる相手ではない。だが、被害を最小限に抑えるためには、敵が陣形を整える前に先陣に突え入り、陣形を崩す必要があった。

馬が嘶き、強靭な後脚が地面を蹴り上げようとした、まさにその刹那。

 

「まあ、見ててみろって」

 

真横を並走していたマヤが、片手をスッと伸ばした。

彼の手がレメディオスの馬の轡を、ごく軽く、まるで羽に触れるような動作で掴む。

それだけで、前方に跳ね起きようとしていた巨大な軍馬の運動エネルギーが、完全に、そして不自然なほど静かに殺された。馬はピタリと動きを止め、レメディオスは前のめりになりかけた姿勢を慌てて立て直す。

 

「なっ……!? 何をする、マヤ殿! 敵は目前だぞ!」

「だから、見ててみろって。うちのがやるからよ」

 

マヤは馬の轡から手を離し、顎で前方を示した。

レメディオスが視線を向けた先では、真紅のチャイナドレスを着たクレマンティーヌが、すでに馬からふわりと飛び降りていた。

 

「クレマンティーヌ! 無茶だ、あれだけの数を一人で――」

 

レメディオスの制止の言葉は、最後まで紡がれることはなかった。

 

『能力向上』

『流水加速』

 

クレマンティーヌの桜色の唇から、ひどく静かな、だが確かな魔力を帯びた言葉が零れ落ちる。

次の瞬間、彼女の姿がレメディオスの視界から「消失」した。

 

「――っ!?」

 

目で追うことすら不可能な初速。

土煙すら上がらない。ただ、真紅の閃光が一直線にバフォルクの群れの中央へと突き刺さった。

 

シャァン! と、澄んだ鋼の音が秋の空気に響き渡る。

クレマンティーヌの両手に握られた直剣とナイフが、陽光を反射して銀色の弧を描いた。

かつての彼女であれば、ここで獲物を痛めつける快楽に歪んだ笑みを浮かべ、狂気的な奇声を上げていただろう。だが今の彼女の横顔には、氷のような静謐さと、舞踏会でステップを踏むような優雅さしかなかった。

 

一体目のバフォルクが武器を振り上げるより早く、その首筋を直剣が撫でるように通り過ぎる。

噴き出す鮮血。だが彼女はすでにそこにいない。

血の雨の隙間を縫うように、滑らかなステップで二体目、三体目の死角へと滑り込む。

 

「ギィェエエエエ!」

 

仲間が倒されたことに激昂したバフォルクたちが、四方から一斉に槍を突き出してくる。

絶対の死角からの同時攻撃。だがクレマンティーヌは視線すら向けない。

 

『不落要塞』

 

迫り来る無数の槍の穂先を、直剣の腹とナイフの峰で弾き、受け流し、軌道を僅かに逸らす。彼女の身体に触れるはずだった致命の刃は、すべて彼女の肌の数ミリ手前を虚しく空過していく。

その流麗な防御から、淀みない反撃への転換。

手首のスナップだけでナイフを返し、すれ違いざまに三体のバフォルクの喉笛を正確に切り裂いた。

 

開戦からわずか数秒。

十体いたバフォルクは、誰一人として悲鳴を上げる間もなく、自らの血の海に沈んでいた。

 

「グガァアアアア!!」

 

前衛を失ったトロールたちが、怒り狂って丸太のような棍棒を振り下ろしてくる。

空気を叩き潰すような圧倒的な質量攻撃。まともに受ければ、全身の骨が粉砕される一撃だ。

 

だが、クレマンティーヌは避けない。

トロールの巨体へと真っ直ぐに踏み込み、極限まで姿勢を低くして棍棒の軌道の下に潜り込む。

 

『縮地』

『閃烈』

 

足元の土が爆ぜた。

瞬きする間にトロールの懐に飛び込んだ彼女は、再生能力の要である頸椎の隙間へ、真下から直剣を突き上げた。

硬い肉と骨を貫き、脳幹を完全に破壊する一撃。トロールの巨体がビクンと跳ね、再生する間もなく白目を剥いて崩れ落ちる。

 

残る四体のトロールが、恐怖すら感じさせる真紅の死神に向けて、四方向から同時に飛びかかってきた。

巨体に囲まれ、完全に退路が断たれた空間。

聖騎士たちが思わず息を呑んだその瞬間、クレマンティーヌはコマのように身体を捻った。

 

『疾風旋刃』

 

赤いドレスの裾が、大輪の薔薇のようにふわりと広がる。

それは戦いというより、極限まで洗練された芸術的な剣の舞だった。

遠心力を乗せた直剣とナイフの双牙が、四体のトロールの膝の腱を同時に切断する。バランスを崩して巨体が膝をついた瞬間、彼女はまるで重力がないかのように跳躍した。

 

空中で身体を反転させながら、二体の首を刎ね飛ばす。

着地と同時に滑り込み、残る二体の心臓と頸椎を正確に貫く。

 

ズズンッ、と重い地響きを立てて、最後のトロールが地に伏した。

 

沈黙。

風の音だけが響く平原に、十五体の亜人の骸が転がっている。

その中心に立つクレマンティーヌは、刃にこびりついた血をシュッと一振りで払い落とし、静かに剣を鞘へと収めた。

真紅のチャイナドレスには、血の一滴すら跳ねていない。息一つ乱さず、ただ愛する男の元へ帰るための仕事を終えただけの、涼やかな横顔がそこにあった。

 

「……なんという……」

 

レメディオスは、手にした聖剣を下ろすことすら忘れ、ただ呆然と呟いた。

彼女自身、聖王国最強の騎士としての自負はある。だが、今のクレマンティーヌの戦いは、腕力や魔力に頼った強さではない。無駄な動きを極限まで削ぎ落とし、技術と経験を極限まで磨き上げた『純粋な武』の結晶だった。

後方に控えていた聖騎士たちも、ただ言葉を失ってその優雅な戦乙女の姿を見つめることしかできなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

日が落ち、街道から少し外れた開けた場所に野営の陣が敷かれた。

燃え盛る焚き火の炎が、パチパチと心地よい音を立てて爆ぜている。

 

「いやはや、素晴らしい! 本当に素晴らしい剣技だった!」

 

焚き火を囲む丸太の椅子に座り、レメディオスは興奮冷めやらぬ様子で身を乗り出していた。

昼間の強烈な剣の舞を見せつけられ、彼女の中の「正義の英雄」という評価は、もはや絶対的なものとして不動の地位を築いていた。

 

「あのトロールの棍棒を躱した際の『縮地』の冴え! そして何より、一切の迷いがない太刀筋! クレマンティーヌ殿、貴女の武は間違いなく英雄領域に達している!」

「……どうも」

 

クレマンティーヌは温かいスープの入った木製カップを両手で包み込みながら、少し居心地が悪そうに視線を逸らした。

かつては他者からの称賛や恐怖を貪るように求めていた彼女だったが、マヤという絶対的な強者を知り、彼からの肯定だけで満たされている今の彼女にとって、他者からの過剰な評価はただ照れくさいだけのものだった。

 

「どうだろう、クレマンティーヌ殿! 我が聖騎士団に入隊する気はないか!? 貴女のその剣があれば、どれほど多くの民を救えるか……!」

 

目を輝かせて猛烈な勧誘を始めるレメディオス。

その熱烈なアプローチにクレマンティーヌが困惑して口ごもっていると、横からスッと、太くたくましい腕が彼女の細い腰に回された。

 

「おいおい、騎士団長さんよぉ」

 

マヤが、クレマンティーヌの身体を自分の方へグッと引き寄せる。

 

「いくらアンタが立派な騎士様でも、勝手にスカウトしないでくれよ。こいつは俺の愛する女だぞ? 俺のそばから離す気はねぇからな」

「あっ……!」

 

皆の面前で堂々と「愛する女」と宣言され、クレマンティーヌの顔がボンッと音を立てるように真っ赤に染まった。

抗議しようとマヤの胸板を軽く叩くが、彼の腕の力は決して彼女を逃そうとはしない。仕方なく、彼女は真っ赤な顔をマヤの広い肩口に埋め、小さくなってしまった。

 

「おお……! そ、そうであったな! 愛のために国を捨てた貴方たちを引き離すなど、野暮の極みであった! すまない!」

 

一人で納得してウンウンと頷くレメディオスを前に、マヤは「分かればいいんだよ」とニカッと笑った。

周囲の聖騎士たちからも、からかうような温かい笑い声が漏れる。野営地は、凄惨な戦闘があったことなど忘れてしまうほど、和気あいあいとした空気に包まれていた。

 

「おっ、いい匂いがすんな」

 

マヤはおもむろに腰に回していた腕を解き、立ち上がった。

彼が向かった先は、焚き火の裏側。そこで他の騎士たちのために、せっせと鍋の火の番をしている従者の少女――ネイア・バラハの前だった。

 

「お、おう……熱くねぇか? 随分と働き者だな」

「ひゃっ!? あ、い、いえ! 私は従者見習いですから、これくらい当然のことで……っ!」

 

いきなり話かけられ、圧倒的な存在感を放つ男に覗き込まれ、ネイアはビクッと肩を震わせて顔を上げた。

彼女の最大の特徴である、睨みつけているように見える三白眼。この目のせいで、彼女はいつも初対面の相手に警戒され、レメディオスからは「犯罪者のような目」と蔑まれてきた。

 

(また、目つきが悪いって……怒られる……)

 

ネイアが思わず目を伏せようとした、その瞬間だった。

マヤは彼女の目の前でドカッと胡座をかき、顔を近づけて、その深紅の瞳でネイアの顔を真っ直ぐに見つめた。

 

「……お前、いい目してんな」

「……え?」

 

ネイアは、自分の耳を疑った。

今、この人は何と言ったのだろうか。

 

なんかこう、根っこにすげぇ大事なもんを持ってる感じがするぜ。芯が通ってるっていうかさ」

「私、の……目が……?」

「ああ。俺は好きだぜ、そういう真っ直ぐな目」

 

マヤの屈託のない、心からの称賛。

それは、容姿へのコンプレックスと、誰にも認められない焦燥感に押し潰されそうになっていたネイアの心に、暖かく、そして強烈な光となって突き刺さった。

 

(私の目を、いい目だって……言ってくれた……!)

 

ネイアの胸の奥で、何かが熱くこみ上げてくる。

そんな彼女の様子に満足げに頷くと、マヤはひょいと首を巡らせ、焚き火の向こうに座るレメディオスへと声をかけた。

 

「なぁ、団長さんよ。あんた、すげぇいい部下持ってるじゃねぇか」

「え?」

「こいつ、ちゃんと鍛えりゃ相当なモノになるぞ。こういう原石をそばに置いてるなんて、さすが団長さん、見る目があるな」

 

ニカッと笑いかけられ、レメディオスは目を丸くした。

正直なところ、レメディオスはネイアのことを「剣の才能もない、目つきの悪い使えない従者」としか思っていなかった。しかし、あの英雄領域の戦乙女が付き従う、底知れない男がそこまで高く評価しているのだ。

 

(ただの使えない者だと思っていたが……真の強者の目には、私には見えない素質が映っているというのか……?)

 

純粋であるがゆえに、強者の言葉を真っ直ぐに受け取るレメディオスは、咳払いを一つして、腕を組んだ。

 

「ふむ……そうか。貴方がそう言うのならば……これからは、私自ら少し目をかけてみるとしよう」

「っ……団長……!」

 

ネイアの三白眼が、今度こそ限界まで見開かれた。

ずっと認められたかった憧れの団長からの、初めての肯定的な言葉。

自分を呪い続けていた世界が、目の前の男のたった一言で、鮮やかに反転していく。

 

彼女が感動のあまり言葉を失い、マヤの整った顔立ちを潤んだ目で見つめ返した、まさにその時である。

 

「お前ふざけんなよ!!!」

 

背後から、怒りに満ちた女性の叫び声が響き渡った。

ドゴォン!!!

 

凄まじい破砕音。

 

マヤの大きな背中の下、無防備な臀部に、真紅のドレスから伸びたクレマンティーヌの前蹴りがクリーンヒットしていた。

若い娘に顔を近づけて口説いているように見えたことへの嫉妬と、先ほど散々皆の前で惚気られた恥ずかしさが限界突破し、彼女は完全に無意識のうちに、戦士としての全体重を乗せた全力の一撃を放ってしまったのだ。

 

「いってぇな! 何すんだよティーヌ!」

「こっちのセリフだバカヤロウ! こんな時までよ! 少しは状況と立場を考えろ!」

 

顔を真っ赤にして怒鳴り散らすクレマンティーヌと、お尻を擦りながら「なんだよ、減るもんじゃねぇだろ」と呑気に笑うマヤ。

あまりにも見事な夫婦漫才に、周囲の聖騎士たちからはドッと大きな笑いが巻き起こった。

 

だが、焚き火の向こう側でその光景を見ていたレメディオスだけは、一人だけ冷や汗を流し、完全に硬直していた。

 

(……な、なんだ、今の蹴りは……!?)

 

昼間、トロールの巨体を容易く切り伏せた彼女の脚力。たとえ素手であろうと、あの尋常ではない踏み込みから放たれた全力の蹴りである。岩すら粉砕するほどの威力が込められていたはずだ。

それが、完全に無防備な状態の男の背後から直撃したというのに。

 

(この男……一歩も、一ミリも動かなかっただと……!?)

 

マヤの身体は、蹴りを受けた瞬間に重心すらブレることはなく、ただ「痛い」と文句を言っただけだった。

昼間、突進する軍馬を片手で軽々と止めた光景がフラッシュバックする。

この男の肉体は、一体どうなっているのか。英雄領域に達した女戦士を、文字通り「子供扱い」できるほどの圧倒的な質量の壁。

 

(まさか……この男も?……)

 

レメディオスが底知れない戦慄を覚えていることなど露知らず。

星空の下の野営地では、痴話喧嘩を続ける二人の騒がしくも温かい声が、いつまでも夜の平原に響き渡っていた。

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