いつのまにか、聖女?どうしてこうなった? 作:マイナーチョコ
ローブル聖王国の王都ホバンス。
高くそびえ立つ堅牢な城門が重々しい地響きと共に開かれると、白銀の甲冑を鳴らす聖騎士団の隊列が、王都のメインストリートへと足を踏み入れた。
先触れの早馬が王都へ駆け込み、「辺境の村々を救った気高き英雄」そして「民から熱狂的に支持される新たな聖女」の報せをもたらしてから、すでに数週間の猶予があった。
その間、王都はただ静かに待っていたわけではない。
神官長ケラルト・カストディオは、この数週間という時間を最大限に利用し、緻密で完璧な『歓迎の舞台』を作り上げていた。
吟遊詩人や行商人を通じ、辺境で人食いの亜人から領民を救い続けた美しき戦乙女の噂を、王都の隅々にまで意図的に流布させたのだ。
『見返りを求めず、弱きを助ける聖女様が来訪される。我ら聖王国は、国を挙げて彼女の気高き行いに盛大に報い、迎え入れようではないか』と。
結果として、王都のメインストリートは建国祭すら凌駕するほどの凄まじい大観衆で埋め尽くされていた。
「来たぞ! 聖騎士団の帰還だ!」
「見ろ、あの赤いドレスのお方! 噂通り、なんてお美しい……!」
「おおおっ、我らが聖女様万歳!」
「聖女様! どうかこちらへも慈悲の御手を!」
沿道を埋め尽くす何万という市民たちが、割れんばかりの歓声と拍手で一行を出迎える。
建物の窓という窓から色とりどりの花びらが滝のように舞い散り、白く磨かれた石畳の道をどこまでも華やかに彩っていく。
隊列の先頭を進む聖騎士団長レメディオスは、まるで自分の手柄であるかのように誇らしげに胸を張り、民衆の歓声に力強く頷き返している。
だが、当の中心人物であるクレマンティーヌはといえば、手配された白馬の上で完全に縮こまり、今にも消え入りそうな顔をしていた。
「おい、マヤ……どうなってんだよ、これ。村の騒ぎとは規模が違いすぎるだろ……っ」
左右から降り注ぐ熱狂的な称賛の眼差しと、絶え間ない声援。
かつて血と暴力の裏社会でしか生きてこなかった彼女にとって、この純粋すぎる光の奔流は、肌が粟立つほどに居心地が悪かった。顔は耳の先まで真っ赤に染まり、今すぐにでも馬から飛び降りて路地裏の暗がりへ逃げ出してしまいたい衝動に駆られている。
そんな彼女の隣を並走するマヤは、周囲の異常な熱狂などどこ吹く風といった様子で、ひらひらと片手を振って歓声に応えていた。
「いいじゃねぇか。お前がやったことの正当な評価なんだからよ。堂々としてろ」
「無茶言うな! 胃が痛くなってきた……っ」
「ははは。ま、硬くなんないで俺のそばにいりゃいいさ」
マヤが余裕のある笑みを向け、手綱を固く握りしめるクレマンティーヌの小さな手に、自分の大きな手をそっと重ねた。
その温もりと、彼が隣にいるという絶対的な事実。それだけが、クレマンティーヌの暴走しそうな心臓をどうにか繋ぎ止めている。
彼女は呼吸を整え、戸惑いながらも沿道の民衆に向けて、小さくふりふりと手を振った。
『うおおおおっ!! 聖女様が手を振ってくださったぞ!!』
そのささやかな仕草だけで、王都の歓声はさらに一段階上の爆発を起こす。
クレマンティーヌは再び真っ赤になって俯き、マヤはその可愛らしい反応を見て腹の底から楽しそうに笑っていた。
◇ ◇ ◇
王城の最奥。
白亜の柱が並び、豪奢な装飾が施された謁見の間。
玉座に腰掛ける聖王女カルカ・ベサーレスは、静かな緊張と期待を胸に、重厚な扉が開くのを待っていた。
その傍らに立つ神官長、ケラルトの頭脳は、極めて冷徹な政治的計算を高速で弾き出し続けていた。
(事前の根回しは完璧です。王都の民は完全に彼女を『聖女』として受け入れた。これで、彼女たちはもうこの国から離れることはできない)
ケラルトは扇子の裏で薄く笑みを浮かべる。
トロールの群れを単騎で瞬殺する絶大な武力。身元は不明だが、おそらくは他国の暗部か何かの離反者だろう。だが、それがどうしたというのか。
これほどの軍事力と民意の求心力を持ち合わせている存在を、みすみす手放す手はない。どんな訳ありであろうと、王都の民が彼女を熱狂的に支持しているという『事実』さえあれば、国を挙げて聖王国に囲い込む正当な理由になる。
すべては、聖王国をより強固なものにするための盤石な布石。
「カルカ様。レメディオス団長、並びに客人方が到着いたしました」
衛兵の力強い声と共に、謁見の間の重厚な扉がゆっくりと開かれる。
白銀の鎧を鳴らしてレメディオスが入り、その場に片膝をつく。それに続き、赤いチャイナドレスを纏ったクレマンティーヌと、漆黒のコートを着たマヤが静かに歩みを進めてきた。
(……ほう。なるほど、姉上が手放しで絶賛するだけのことはありますね)
ケラルトの目が、鋭く細められる。
赤いドレスの女から放たれる、洗練され尽くした武の気配。流れるような歩法一つをとっても、彼女が英雄領域に到達している圧倒的な強者であることが見て取れる。
だが、ケラルトの目をより強く引きつけたのは、隣を歩く黒衣の男の方だった。
武器一つ持たず、王の御前であるにも関わらず、まるで近所の広場にでも来たかのように自然体な歩み。剥き出しの殺気や魔力はない。だが、その極限まで無駄を削ぎ落とした肉体から滲み出る、底の知れない存在感。そして何より、あの英雄領域の戦士であるはずの女が、完全にこの男を頼り、一歩引いて付き従っているという事実。
(得体が知れない……ですが、所詮は流れ者。姉上からの報告通りであれば、うまく御せるはずです)
「よくぞ参られました。私がこの国を治める、カルカ・ベサーレスです。貴方たちが辺境の民を救ってくれたこと、聖王国を代表して心より感謝いたします」
玉座から立ち上がったカルカが、慈愛に満ちた微笑みと共に声をかける。
その言葉を受け、マヤがゆっくりと一歩前に出た。
「あんたがこの国のトップか。……勝手に入国して、すまなかったな」
跪きもせず、不敬とも取れる気さくな口調。
周囲の近衛兵たちが色めき立ち、槍を握る手に力を込める。だが、カルカはそれを静かに手で制し、マヤの言葉の続きを待った。男の声には一切の敵意も、驕りもなかったからだ。
「俺たちは、色々と元の場所のしがらみが面倒になってな。二人で全部捨てて、駆け落ちしてきた身なんだわ。許可証も何もねぇ」
マヤはポリポリと赤髪を掻きながら、飾らない言葉でありのままの事実を告げる。
「だから、勝手に入国したのが罪だって言うなら、俺だけ裁いてくれ。でもよ……」
マヤはそこで言葉を区切り、隣に立つクレマンティーヌを優しく見つめた。
「こいつは……クレマンティーヌは、亜人に襲われてる村を放っておけなくて、ただ剣を抜いただけだ。こいつはここで、何も悪いことはしてない。村を救ったこいつだけは、受け入れてやってくれないか」
静かな謁見の間に、男の真っ直ぐな声だけが響く。
自らが盾となり、すべての罰を被ってでも、愛する女の居場所だけは守り抜くという、揺るぎない覚悟。
その純粋で飾らない愛の形に、カルカの瞳が大きく揺れた。
(国を捨ててまで愛を貫き……それでもなお、我が国の民を見捨てられずに戦ってくれた。なんて……なんて美しく、気高い人たちなのでしょう……!)
情に厚く、心優しい聖王女の目から、ポロリと大粒の涙が零れ落ちる。
「……罰など、あろうはずがありません」
カルカは震える手でハンカチを取り出し、目元を拭うと、玉座の階段を自ら降りて二人の目の前まで歩み寄った。
「愛を貫き、なおかつ弱きを救うその剣と心。それこそが、我が聖王国の誇るべき正義の姿です。貴方たちを罪に問うなど、絶対にあり得ない。聖王国は、貴方たち二人を心より歓迎いたします!」
涙ながらの、完全な受け入れの宣言。
その言葉が謁見の間に響き渡った瞬間。
「……っ! よかった……!」
マヤは喜びのあまり、周囲の目など完全に忘れ、隣にいたクレマンティーヌを力強く抱き寄せた。
「ひゃっ!? ま、マヤ……っ! おま、こんな場所でっ!」
「本当によかった。お前の笑顔と、村々のみんなの笑顔を守ったんだ。お前が頑張ったからだぞ。本当にありがとう、クレマンティーヌ」
少し大きめの声で、心底嬉しそうに彼女の背中を抱きしめるマヤ。
王女の御前であろうと構わず愛情を爆発させるその姿に、クレマンティーヌは顔を真っ赤にして彼の胸に顔を埋めることしかできなかった。
その光景を見て、レメディオスは「どうだ!」と言わんばかりに後ろで思い切りドヤ顔を決め、カルカは二人の愛の深さにただただ感動して涙を拭っている。
ケラルトもまた、扇子の裏で完璧な笑みを形作っていた。少しばかり無作法ではあるが、これで完全に彼らを聖王国に取り込むことができる。計算通りの決着だ。
だが。
マヤがクレマンティーヌの身体からゆっくりと腕を離した、次の瞬間だった。
「それに」
マヤが、カルカへ向き直る。
先ほどまでポリポリと頭を掻いていた気さくな流れ者の気配が、一瞬にして、完全に霧散した。
空気が、張り詰める。
マヤの背筋がピンと伸び、足の運びがミリ単位の狂いもなく揃えられる。手は滑らかに定位置へと添えられ、その巨体が、カルカに向けて静かに、そしてあまりにも優雅に折り曲げられた。
「王女様にも、深い感謝を」
それは、一国の王族に対する『洗練され尽くした完璧な最上級のお辞儀』であった。
角度、速度、指先の動き、そして視線の落とし方。どれ一つとして瑕疵のない、王侯貴族ですら幼少期から血を吐くような訓練を積まねば身につかない、至高の礼法。
粗野な男のガタイからは想像もつかないほど美しく、静謐な動作だった。
「……え?」
ケラルトの扇子を持つ手が、ピタリと止まった。
常に冷静に計算を弾き出していた彼女の思考が、完全に白紙になる。
(な、なんだ……今の、所作は……!?)
ケラルトの目が限界まで見開かれる。
ただの無作法な流れ者だと思っていた。強大な武力を持つだけの、御しやすい戦士だと。
だが、あの完璧な礼法は何だ。あのような身のこなしは、裏社会の人間や、ただの平民あがりの兵士に絶対にできるものではない。
(この男、一体何者だ……!? 大国の高位貴族? いや、まさかどこかの国の王族の血を引いているとでも言うのか!?)
ケラルトの中で組み上げていた完璧な政治的計算が、ガラガラと音を立てて崩れ去っていく。
マヤという存在の底知れなさが、突如として黒く巨大な影となってケラルトに覆い被さってきたのだ。主導権を握ったと思っていたはずが、盤面を根底から覆されたような感覚。
「あ、頭を上げてくださいな。どうか、これからはこの国を貴方たちの家だと思って、ゆっくりと休んでくださいね」
そんなケラルトの戦慄など露知らず、カルカはマヤの完璧な敬意にさらなる感動を覚え、満面の笑みで彼らを歓迎していた。
「おう。ありがたく居候させてもらうぜ、王女様」
頭を上げたマヤは、いつもの気さくな笑みを浮かべていた。
だが、その後ろで控えるケラルトの背中には、冷たい汗が流れ落ちていた。
(この男……ただの戦士ではない。私が、聖王国のすべてを使ってこの二人を『囲い込んだ』のではない。この男が……自らの意志で、この国を『選んだ』のだ……!)
圧倒的な大歓声のパレードから始まった王都凱旋は、聖騎士団長の誇り、聖王女の涙、そして神官長の深い警戒と畏怖を飲み込みながら、新たな英雄たちの物語の幕開けを告げていた。