いつのまにか、聖女?どうしてこうなった?   作:マイナーチョコ

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第18話 守護者 

澄み切った秋晴れの空の下、ローブル聖王国が誇る王都の広大な練兵場には、分厚い鋼がぶつかり合う鈍い音と、張り裂けんばかりの覇気ある号令が響き渡っていた。

 

土煙を上げながら、重装備の聖騎士たちが二列の陣形を組み、仮想敵に見立てた木製の重盾に向かって一斉に突撃を繰り返している。踏み込みの深さ、剣を振り下ろす速度、そして一切の淀みなく次弾を叩き込む連携。聖王国最強の武力と謳われるにふさわしい、洗練された練度だった。

 

練兵場の端に設けられた見学用の天幕の下、マヤは用意された長椅子に深く腰掛け、その様子を気怠げに、だが鋭い観察眼を持って眺めていた。

彼の隣には、真紅のチャイナドレスの裾から美しい脚をのぞかせ、退屈そうに愛用のナイフの刃こぼれを指先でなぞるクレマンティーヌが座っている。

 

「……なぁ、ティーヌ。お前、あれ見てどう思う?」

「どうって……馬鹿正直な集団自殺の練習だろ。真正面から剣を構えて突っ込むだけ。横から足元を掬われたり、上から魔法を降らされたら、あの綺麗な陣形ごと一瞬で全滅するね」

 

ここ数ヶ月、共に辺境の村々を回り、数多の凶悪な亜人の命を奪ってきた彼女の評価は辛辣極まりない。だが、マヤも全く同意見だった。

彼らの動きは確かに美しい。悪を断ち切るという信念に満ちている。だが、それは「相手も同じように正面からぶつかってきてくれる」という前提に立った、あまりにも無防備な戦術だった。

 

そんな一様に剣を振るう集団の中で、マヤの視線はある一人の少女に向けられていた。

重い甲冑を着た騎士たちの後方で、従者見習いとして雑用や予備の武器の運搬に走り回っている小柄な少女――ネイア・バラハだ。

 

彼女自身は訓練に参加していない。だが、武器を磨きながらも、その鋭い三白眼は練兵場全体を舐め回すように動いていた。誰の剣筋がブレたか、どの陣形の足元が疎かになっているか。彼女の視線は、前衛の騎士たちが見落としている「死角」を無意識のうちに捉え続けている。

 

「……やっぱり、あいつはいい目をしてる」

 

マヤが独り言のように呟くと、天幕に入ってきたばかりのレメディオスが、自慢げに胸を張って頷いた。

 

「だろう、マヤ殿! 貴方に言われてから注意深く見ていたが、ネイアの奴、従者としての働きは鈍いが、戦況を俯瞰する視野の広さはなかなかのものだ。いずれ立派な『剣』を振るう騎士になるやもしれん!」

「いや、そうじゃねぇんだよ、団長さん」

 

マヤは苦笑交じりに首を横に振り、立ち上がった。

 

「あいつの目は『剣』のための目じゃねぇ。もっと遠く……全体を射抜くための目だ」

「遠く? 全体を、とは……?」

 

首を傾げるレメディオスに向かって、マヤはゆっくりと歩み寄った。

 

「お前ら、剣の腕は確かに一級品だ。正面からぶつかり合えば、大抵の亜人には負けねぇだろう。だがな……相手が知恵を絞って、お前らの剣が届かない場所から一方的に殺しにきたらどうする?」

「卑劣な真似を! だが、我ら聖騎士団の大盾はあらゆる矢弾を弾き返す! 防御を固め、距離を詰めて悪を討つまでだ!」

「……なるほどな。じゃあ、少し試してみるか」

 

マヤはパンッと手を叩き、練兵場に響き渡る声で指示を出した。

 

「よし、お前ら! 全体訓練は一旦休憩だ! 全員、兵舎に戻って冷たい水でも飲んでこい! すこーし、レメディオスに秘密の戦術を教えるからな。いいよな、団長さん?」

 

突然の部外者からの指示に騎士たちは戸惑ったが、レメディオスが「構わん、下がれ!」と手で制したため、彼らは一礼してぞろぞろと兵舎の方へと引き揚げていった。

 

広大な練兵場に、マヤ、クレマンティーヌ、レメディオス、そして遠くで片付けをしていたネイアだけが残される。

 

「団長さん、お前、そこから百メートルくらい離れた位置に立って、一番分厚い大盾を構えてみろ」

「む? さっぱり意図が読めないが……わかった」

 

レメディオスは言われた通り、ずっしりとした鋼の大盾を拾い上げ、練兵場の端――マヤたちからちょうど百メートルほど離れた位置に陣取った。

 

「よし、そこから動くなよ。……ティーヌ、悪いが少し凄んで見せてやってくれ。あの団長さんめがけて、武技を乗せたナイフを全力で投げる『フリ』だ」

「……趣味が悪いね、お前も。まあいいけど」

 

クレマンティーヌが、真紅のドレスの袖から、黒いナイフをスッと抜き放った。

その瞬間、空気が凍りついた。

 

百メートル離れていたレメディオスですら、肌が粟立つような強烈な殺気に思わず大盾を強く握りしめる。

クレマンティーヌは姿勢を深く沈め込み、ナイフを構えた腕を鞭のようにしならせた。彼女の桜色の唇から、恐ろしい言葉が紡がれるのが見えた。

 

『能力向上』

『剛撃』

『閃烈』

 

(――なっ!?)

 

レメディオスは息を呑んだ。

あの距離から、英雄領域の戦乙女が、身体能力と武技を極限まで乗せた投擲。

放たれたナイフがどうなるか、歴戦の彼女の脳内にはありありとその光景が浮かび上がった。

 

音速を超える初速。視認すら不可能な暗器は、真っ直ぐに飛来し、自分の構えた鋼の大盾を紙切れのように貫通して、心臓を抉り出すだろう。

避ける暇などない。防御など無意味。

 

「……ッ!!」

 

クレマンティーヌが腕を振り下ろす直前、レメディオスは恐怖のあまり盾を構えたまま膝をつき、防御姿勢で完全に固まってしまった。

だが、衝撃はいつまで経ってもこなかった。

 

「はい、ストップ」

 

マヤの呑気な声が響き、レメディオスが恐る恐る顔を上げると、クレマンティーヌはすでにナイフをしまい、元の退屈そうな表情に戻っていた。

 

「な? 遠距離から一方的にやられるってのは、こういうことだ」

 

マヤはゆっくりと歩み寄り、冷や汗を流して座り込むレメディオスを見下ろした。

 

「臆病者、大いに結構。だが死んだら終わりだろ? 遠距離じゃなく正面からやり合うのがいいってのは、敵がそう動いてくれる時だけの話だ。実戦で、知恵のある敵がクレマンほどの威力じゃなくても、あの距離から魔法で狙撃してきた時……お前のその自慢の聖剣は、敵に届くか?」

「届く、わけが……ない……」

「そうだろう。剣が届かねぇ距離から殺される。お前自身が死ぬならまだいい。だが、その後ろにカルカ様や、聖女であるこいつがいたらどうする?」

 

レメディオスの顔色が変わった。

絶対の忠誠を誓う主や、国が敬う聖女。彼女たちが遠方から狙われた時、自分の剣では守れないという圧倒的な真実。

 

「……盾を構え、防ぎ続けることしかできない。それでは、いつか破られる……」

「そうだ。だからこそ、弓が必要なんだ。敵が遠くから撃ってくるなら、それより早く敵の眉間を射抜ける『カウンター』がな」

 

マヤは顎で、遠くで固まっているネイアを示した。

 

「あいつの親父は、聖王国でも有名な弓の名手なんだろ? あの並外れた動体視力と視野の広さは、間違いなく弓を引くためにある。騎士だからって剣にこだわる必要はねぇ。お前らが鎧を着て盾を持つように、部隊の中に弓という『遠距離の盾』を持て。……わかるな?」

 

レメディオスは深く息を吐き出し、ゆっくりと立ち上がった。

彼女の瞳から偏見は消え去り、あるのは部下と主を守るための指揮官としての純粋な覚悟だった。

 

◇ ◇ ◇

 

やがて、休憩を終えた聖騎士たちが兵舎から戻ってきた。

練兵場の中央に立ったレメディオスは、全団員に向けて通る声で宣言した。

 

「皆の者、聞け! これより我が聖騎士団は、従来の白兵戦に加え、弓による遠距離支援部隊を正式に組み込む!」

 

その言葉に、整列していた騎士たちの間にどよめきが走った。

聖騎士にとって、正面からの打ち合いこそが誇りであり、遠距離から敵を射る弓は「臆病者の武器」という認識が根強かったからだ。

 

「そして、その遠距離支援の要として――ネイア・バラハ! 前へ!」

「……えっ!? あ、は、はいぃっ!」

 

突然名前を呼ばれたネイアが、慌てて列の前に飛び出してくる。

 

「ネイア、お前には特別に弓の修練を許可する。お前が持つその広い視野は、必ずや我が騎士団の新たな盾となるはずだ。他の者も、弓に覚えがある者は申し出よ!」

 

その言葉に、ついに一人の古参騎士が堪えきれずに一歩前に出た。

 

「お待ちください、団長! 弓部隊を組み込むなど……我ら聖騎士の誇りはどうなるのです! 正々堂々と悪を討つのが我らの正義ではないのですか!」

 

張り詰めた空気が流れる。

だが、レメディオスは怒ることも、威圧することもなく、ただ静かにその騎士を見据えた。

 

「誇りだと? ならば問おう。もし今、遥か遠くの崖上から、何者かがカルカ様や聖女様を狙撃しようとしていた時……お前は、自分のその剣で、敵の矢よりも早く懐に飛び込み、お守りすることができるのか?」

「それは……っ」

「できないだろう。私もできない。だが、弓ならば届く。我々の剣が届かない場所から迫る悪意を、いち早く察知し、打ち落とせる者がいなければ、我々の主はお守りできないのだ」

 

レメディオスの言葉は、実体験に基づく絶対の論理だった。

 

「誇りで主の命は守れん。もし、遠くからの狙撃に剣だけで対処できるという者がいるなら、今すぐ私の前に出よ。それができないのなら……黙って、弓の援護を受け入れろ」

 

古参騎士は唇を噛み締め、深く頭を下げて列に戻った。他の騎士たちも、団長の理路整然とした言葉の前に、もはや反論する者は誰もいなかった。

 

ネイアの三白眼には、大粒の涙が浮かんでいた。

ずっと否定され続けてきた自分の目。尊敬する父の得意だった弓。それらが今、敬愛する団長の口から「聖騎士団の要」として認められたのだ。

 

訓練が再開され、熱気を帯びた号令が再び響き始める。

その様子を天幕の下で見届けたマヤは、すっと立ち上がり、指揮を執るレメディオスの元へと歩み寄った。

 

「団長さん。悪かったな、騙すような真似して」

「ん? マヤ殿、何の話だ?」

 

剣の素振りを止めたレメディオスに、マヤは真っ直ぐな視線を向けた。

 

「実はな、今朝、お前を説得する前にケラルトのところに行って、この弓の部隊の件、裏で話を通してあったんだよ」

「妹と……? なぜだ?」

「お前ら聖騎士団の頭の固さは知ってたからな。俺が現場に首を突っ込んで意識改革をする、その許可をもらうためだ」

 

レメディオスの目が僅かに見開かれる。自分の預かり知らぬところで、外部の人間と姉が騎士団の根幹に関わる話を進めていた。一歩間違えれば、団長としての矜持をひどく傷つけられる事態だ。

 

「ケラルトは、しっかり理由を汲んでくれたよ。知性のある亜人相手に、剣だけで突っ込むのは限界があるってな。ただ、伝統がある手前、自分から口を出せば角が立つ。だから、俺が『聖女を守るため』って理由で強引に風穴を開けた」

 

マヤは小さく息を吐き、レメディオスに向かって軽く頭を下げた。

 

「すまなかったな。だが、それも聖騎士団……ひいては聖女、そして団長であるお前たちを守るためでもある」

 

真剣な声色が、秋の風に溶けていく。

 

「笑顔、絶やしたくないだろ?」

 

レメディオスはしばらく言葉を失い、マヤの顔をじっと見つめていた。

謀られていたことへの怒りはない。むしろ、この男が自分たちの命と、カルカの掲げる理想を本気で守ろうとして、泥を被るような根回しまでしてくれていたことに、深い衝撃を受けていた。

 

「……謝る必要はない、マヤ殿。貴方の言葉がなければ、私は己の偏見で、いずれカルカ様を……皆を死なせていたかもしれない」

 

レメディオスは表情を引き締め、マヤに向かって深々と頭を下げた。

 

「我が騎士団を、真の『守護者』へと導いてくれたこと。心より感謝する」

 

マヤは気怠げな笑みを浮かべ、「大げさなんだよ」と頭を掻いた。

その背中に、後ろから歩み寄ってきたクレマンティーヌが、呆れたような声をかける。

 

「……お前、本当に面倒なことばっかり裏でコソコソやってるね。私をダシに使ってさ」

「いいじゃねぇか。おかげでお前の護衛が増えたんだからよ」

 

マヤが振り返り、クレマンティーヌの髪をくしゃくしゃと撫でる。

彼女は「やめろ」と払いのける素振りをしながらも、その唇には確かな笑みが浮かんでいた。

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